師走である。
 一年が終わる月に入ると、口々に忙しさを語る。仕事によっては忙しい人たちもいるのだろうが、常の生活の中を見るかぎり、特別ほかの月と大きく変わるわけではなくても自然とそんな言葉が口をついて出る。農耕が主であった社会環境下では、農作業が終わり、いわゆる農閑期に入り、ひと段落して、次の年を迎えるべく準備に入るときであり、けっして忙しさという印象はなかったと思う。ところが、農耕社会から、総サラリーマン化した現代になり、それまでの農閑期に入ったという印象はなくなり、仕事の上では1年を納めなくてはならないという、いわゆる商売の盆暮れ勘定のイメージがついてきた。そのため、勘定をしなくてはならなくなり、大晦日でも夜遅くまでとりたてに歩いたという商売の姿が、今は多くの人々に備わってしまったのかもしれない。
 それでもかつてにくらべれば、一年の区切りを、この12月と正月の間にしようという「けじめ」の雰囲気はなくなった。正月がかつてのような正月のイメージでとらわれなくなったといってもよい。常に「正月」、そんな印象がもたれるこのごろで、メリハリがないといえるだろう。それは農村の中も同じで、農耕にたずさわる人々が減少すれば、季節感は自ずと薄らいでいくものである。加えて、農耕にたずさわる人たちも、かつてのように正月の意味、行事を意識しなくなった。農閑期というものもかつてにくらべればなくなってきた。古くからの行事を欠かさずに行なっているような地域ならいざしらず、一般的な地域では行事も簡略化され、正月を迎えるにも改めて準備を行なうということもしなくなってきている。
 「おおそうじ」という言葉も、このごろはあまり聞かなくなった。年末を迎えても窓を掃除する姿も見なくなった。かつては、障子の張り替え、畳干しなど、大掃除にかなった作業が行なわれ、年末を迎える風景を感じたものであるが、常の仕事に追われるため、あらためてそんな作業を年末の最中に行なう必要性も失われたといえる。
 12月とはいうものの、この年末に向けて行なわれる行事に、霜月祭りというものが多い。霜月祭りについては、『日本民俗大辞典』(吉川行文館)によると、次のように書かれている。
霜月祭  農作業の終了に伴い、新穀の収穫感謝をする行事。旧暦十一月に行われる祭をいうが、今は新暦十一月の祭もいう。柳田国男は九月中に稲の収穫か終り、十月の神無月は次の大事な祭を迎えるための斎忌の期間ととらえ、十一月の霜月の祭を民間新嘗祭の残留と位置付けた。特に霜月二十三夜は、大師講など稲の収穫に伴う物忌の祭を行う例が多いことをあげ、このころに冬至があることを踏まえて、一年の循環の一区切りの日と考えた。またこの時期は収穫儀礼だけではなく、穀母が身ごもる日を予知し、人間の生殖にとっても必要な機会と考えた。この考え方に基層の部分で共通するのが折口信夫の農耕の周期と、暦法以前の生活感寛が一致していたという発想で、作事始めが年のはじめにあたり、収穫をもって一年が終るという。折口はそこから年の替わり日ごとに他界から訪れる霊魂を身に付けて、新しく生まれ変わる信仰があったという。そして年の替わり目に他界から新しい魂が訪れ、人にたまふりをして、衰えた魂を新しい魂に切り替えて復活する。年の替わり目に行われる魂の復活の儀礼が冬祭の信仰の本義だという。こうした柳田や折口の考え方をよく表わしているのが、霜月ころに能登半島(石川県珠洲市、輪島市、珠洲郡内浦町、鳳至郡能都町・穴水町・門前町・柳田村)で行われる稲作の収穫と、年初の予祝を祝う儀礼のアエノコトである。この祭には新穀収穫の感謝とともに、田の神の婚姻・新生を暗示する呪術的な意図が象徴されている。また秋田県平鹿郡大森町波宇志別神社の保呂羽山霜月神楽と、愛知県北設楽郡東栄町・豊根村・津具村、長野県下伊那郡上村・南信濃村・天竜村、静岡市、静岡県榛原郡本川根町・中川根町・川根町、藤枝市などいわゆる三信遠地方で行われている花祭や霜月神楽がある。これら霜月神楽の特色は、湯立をして神々に湯を献上し、氏子たちも清まることにあり、湯による清めによって鎮魂が行われる。この霜月の神楽は、頭屋に斎庭を設え、ここに竃を築いて釜に湯を沸きたぎらせ、その湯を勧請の諸神に献じ、頭人をはじめ、祭に集まった人たちも同じ湯を受けて清まり、なお巫覡が神がかりして神々の託宣を乞い、頭人の鎮魂を行う神事であるとされる。また霜月の神楽には、生まれ清まりの考え方がある。かつて年少の子供が湯立の湯を浴びることを産湯の次第と称し、また六十歳を過ぎた大人が浄土入りをするという擬死再生の思想があったという。こうした霜月に神楽を行う地域は西日本にも広く分布しており、年の替わり目にあたり、人も新たな魂を身に付けて、ともに新たな復活を願ったもので、柳田や折口の発想とも重なる儀礼といえよう。
 霜月であるから11月をいうのであるが、現実的に今の暦や行事の実施日からいけば12月の祭りとなっている。比較的行事、祭りの少ない12月である。長野県では霜月祭りといえば、遠山の祭りという印象が強い。20年ほど前には、12月8日に行なわれる下伊那郡南信濃村八日市場(隔年で中立・・・現在の飯田市)で行なわれる霜月祭りが、遠山の祭りの最初であった。一年の最初の祭りということもあって、地方のテレビ局が必ず撮影に来ていたものだが、平日に祭りを開催することが大変になってきて(人口減少により村から出た人たちにも手伝ってももらわないと、なかなか祭りが成立しなくなった)、比較的小さな集落で祭日の変更が行なわれた。そんななかで、真っ先に行なわれる遠山祭りが八日市場から他の集落に移り、一時は八日市場の祭りも、かつてのような賑わいをなくしていたが、最近は、八日市場でも祭日を変更し、これより前はないというような12月1日を祭日に変えた。当然日を固定しているから平日に行なわれることが多いわけであるが、かつてのように夜明けまで徹した祭事の時間を変更して、当日の夜には終了するような日程に変更して、地域として祭りが負担なく行なえるようにしている。
 文化財指定されるような祭りとはいえ、それを維持していくことは大変なことである。「ここの祭りは古式を守っている」などというようなことは簡単には言えるが、この時代に祭りを維持していくことはそんな簡単なものではない。いずれそうした祭りが、さらに厳しい状況を迎えることも予測できるが、とりあえず継続されることを望むだけである。

 ちなみにかつての祭日と現在の祭日を紹介する。
昭和31年 場所 平成17年
12/3 南信濃村此田
12/6 南信濃村梶谷
12/8 南信濃村十原
12/8(中村・八日市場と3年毎) 南信濃村中立 12/1(八日市場と隔年)
12/8(中立・八日市場と3年毎) 南信濃村中村
12/8(中立・中村と3年毎) 南信濃村八日市場 12/1(中立と隔年)
12/10 南信濃村木沢 12/10
12/11 南信濃村夜川瀬
12/11 上村上町 12/11
12/12 南信濃村上島 12/第1土
12/12 上村中郷 12/3
12/12 上村下栗 12/13
12/13 南信濃村和田 12/13
12/14 南信濃村小道木 12/第1日
12/14 上村程野(写真) 12/14
12/15 南信濃村八重河内 12/15
12/16 南信濃村須沢 休止中
南信濃村大町 12/23

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