【 NO.20 】 2001. 9. 26


1.田んぼの畔に撒く金のなる木

 飯田市千代にあるよこね田んぼについては、「日々を描く」No.17 「田んぼの土手に見られる草花」で触れました。この「よこね田んぼ」は農水省の棚田百選に選ばれるとともに、よこね田んぼ保全委員会の活動などが注目されて、俄かに知られるようになりました。

 ところでこの「棚田」という言葉に定義があるのかというと、農水省が決めたかは知りませんが、定義があるといいます。傾斜が1/20以上の斜面にある階段状の水田のことをいい、面積1ha以上の棚田は全国に13,882か所、901市町村にまたがっているといい、総棚田面積は、水田面積270万ha(1997年)の8%に当たるということです。ついでに「棚田学会」なるものもあるといいます。
 
 日本の棚田に限らず世界の棚田を撮り続けているという写真家 青柳健二氏は、「百選に選ばれて、何かやらなければという、農家の人たちが刺激を受けて、いろんなことを試行錯誤しているところではありました。長い目で見なければならないのでしょう。いずれにせよ、見捨てられようとしていた棚田にスポットライトが当たったことは、日本の農業の将来を考えるいいきっかけになっているのは、間違いないように感じました。」と述べていますが、いっぽうでは、「百選に選ばれてからマナーの悪いカメラマンがやってきて迷惑している」という話も提供しています。

 
 さて、ここよこね田んぼも秋が訪れ、平坦地には少なくなったはざ掛け風景が現れています。いっぽうで県道の端に咲くコスモスを写真に納める人が、このところ訪れています。このコスモスも保全委員会が植えたものといいます。

 先の「日々を描く」No.17 「田んぼの土手に見られる草花」で何を言いたかったといえば、
春や秋の七草の材料がそろわないといいます。
 そうした草がなくなってしまったためいわれるのですが、それを自然保護の立場から嘆くのも滑稽でもあります。七草そのものが人々から忘れられている今、何が必要か問われるわけです。もちろん、希少種を絶やすことはしたくはありませんが、すべては人々が生き長らえてきたなかで行われた仕業なのですから。考えてみれば古い時代に帰化して、希少になっているものもあります。よこね田んぼであげられたヘラオオバコはヨーロッパ原産のもので、江戸時代末期に帰化したものといいます。
 ということで、人々が必要としなくなったものは、今までも多くのものが葬られてきたわけで、それらを選択するのは人々自身だということです。その際にかつての植生を考慮した上で田んぼの畔が守られるのか、それとも形だけを、また絵になる風景だけを意識して守られるかが現実の選択となってくるはずです。
 
 俄かに注目を浴びてきたこうした棚田が、形だけをもって「文化遺産」だという形容は納得いきません。「背景にある人々の暮らしを文化遺産だと言わずに、何が「棚田だ」と言いたくもなります。人々のこころを無視して形は生まれない、というのか私の自論です。

 さて、もう一度コスモスの話です。
 帰化植物が少ないといわれたよこね田んぼに、わざわざコスモスが咲いている風景の是非です。

 生業のために地元の人々が種を撒いたとしたら、それも一理あるでしょう。でもそうした生業のなかで、人々は金銭観を前面に出したために、多くのモノを失ったともいえます。「美しい農村の原風景」なんていう言葉も聞きます。果たして原風景とは何か・・・。報道も行政も何か間違っていないでしょうか。
 


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