【 NO.13 】 1999.10.20


1.こたつを明ける

 近ごろ急に寒くなってきました。伊那谷から望める南アルプスや中央アルプスの嶺々にも雪が見えます(1999.10.19)。
 つい半月ぐらい前までは、「今年はいつまでも暑いなー」といって半袖でいたのが信じられないほど急に寒くなりました。
 
 そんな肌寒い日がやってくると、ほしいのがこたつです。
 もっとも一般的な暖房具というと、少し前はこたつでした。『日本を知る辞典』(社会思想社)によると、こたつは戦国時代ごろから始まったもので、イロリに櫓を載せ、それに布団をかけて暖をとったといい、その櫓をこたつといったようです。当時のこたつは現在のものより低いもので、現在のものは高こたつといって江戸時代の嘉永年間(1800年代中ごろ)ころに始まったものといいます。昭和時代以降普及し、電気こたつが現れると、時の高度経済成長と重なり、暖房具の主流となりました。それ以前は、むしろイロリの火を利用して暖房としていたのでしょう。ご存知のとおり、今はイロリのある家は本当にまれなことで、住宅事情からいってもイロリのなきあとの暖房具の必需品でした。このあたりでは、オキゴタツ→マメタンコタツ→電気コタツというように変化してきました。そのまま現在でも電気こたつが親しまれています。

 ところが最近は住宅が洋式化し、たたみのない部屋ばかりになってしまって、「こたつ」というのもあまりポピュラーな暖房具ではなくなりつつあります。ストーブ→ファンヒーター→床暖房とさまざまな暖房器具へ流れ、最近では住宅そのものが空調設備を前提とした高度な考えのうえに造られるようになっています。それでもたたみが見なおされたりしていますし、こたつを床の上に置くというようなことも行われています。昔のような掘りごたつと違って、電気こたつという容易に置くことが可能なものがあるため、こたつが消えることはなく、まして「こたつを出す」とか「こたつを開ける」という感覚は、季節感を味あわせてくれます。

 そんななか、我が家でも「こたつを出したいなー」といったところ、「戌の日に出すものと決まっているから」とことわられてしまいました。次ぎの戌の日はいつなんだと調べてみると、10月25日となります。もう少し我慢というところです。

 さて「なぜ戌の日なんだ」ということになります。この戌の日という話しは、下伊那郡喬木村での伝承で、たとえば伊那谷でも北端の上伊那郡辰野町では、そうした話は聞いたことがなかったともいいます。


 『長野県史』民俗編資料編から、長野県下のこたつについての記述のなかから、こたつを出す日について拾ってみました。

 南信(『長野県史』民俗編第二巻(一)南信地方 日々の生活)
○こたつは11月下旬の戌の日に入れ、4月下旬の戌の日にあげる。(坂部)
○こたつを作る日は未の日が良いといわれた。この日につくると火事にならないといわれる。(新野)
○こたつは午の日に出し入れするのを嫌った。炭がまの口を午の日に開けることも嫌った。もしこの日に開けると、炭がいくら黒くてもまた火がおきて燃え出してくるといわれている。(坂部)

 中信(『長野県史』民俗編第三巻(一)中信地方 日々の生活)
○こたつを入れるのに良い日とされているのは、壬、癸の日である。逆に良くない日とされているのは、丙や丁の日である。(飯田、伊谷)

北信(『長野県史』民俗編第四巻(一)北信地方 日々の生活)
○戌の日にこたつを作るなともいわれた。(栗田)
○10月上旬の戌の日に作った。戌はずくがあってこたつなどに入っていないからだという。(三水)

東信(『長野県史』民俗編第一巻(一)東信地方 日々の生活)
○10月の戌の日にこたつを作る。申の日は忌む。(坂井)


 以上のようなもので、あまり多くは報告がありませんでした。当然寒いところほど早い時期に出すわけで、長野県ですので家によっては1年中出しておくという家もあるようです。

 そんななか『長野県史』民俗編第四巻(一)北信地方 日々の生活の暖房具の前書きで、「こたつを入れる日は戌の日を選んで作るムラが多い」と述べています。
 北信の事例を見ますと、戌の日にこたつを作るなという報告があるいっぽう、戌の日を選ぶところが多いという報告もあります。

 『日本民俗大辞典』(吉川弘文館1999.10)によると、「江戸時代に『炬燵を明ける』といって、その年はじめて火をいれるのは十月の中の亥の日で、掘り炬燵をあけて火をいれ、火伏せの神である愛宕神をまつる風習があった」とあります。

 前述した『日本を知る辞典』では、関西では初亥の子(旧暦10月初めの亥の日)をこたつ開きとして、たとえ暖かくても火の入れ初めをする習慣であったと述べています。

 長野県内の報告では、松村義也氏が『山裾筆記』(信濃教育会出版部 平成3年7月)のなかで、「こたつを明けるにはよい日を選ぶ。「亥(い)ごたつ」といって十月の最初の亥の日を選んだり、壬(みずのえ)、癸(みずのと)の日がいいなどさまざまなことが言われる。一冬じゅう、万一火に粗そうがあってはならないという気持ちから、日を選ぶのも慎重になるわけである。」と述べています。

 どうも慎重なものの、限定された日はいろいろであって、それだけにどうしてその日かというところも明解ではなさそうです。
 
 このようにこたつーを明ける日について、いろいろ言われてますが、ほかの暖房具はどうだったのでしょう。また、最近の暖房具にも使い初めの日が限定されているようなことがあるのでしょうか。

 さて、あなたの家では「いつ」こたつをあけますか?


2.メダカを食べる

 今年も水利の時期が終りました。
 水の時期が終ると、使っていた施設の点検管理が行われ、来年の稲作りへむけて準備となります。

 本ページで紹介してきた下伊那郡喬木村富田のため池も、先日水を干して管理をしました。

 「日々を描く」 No.6において、ツボを食べるという話題を載せました。昨年のツボとりのものでしたが、ここでいうため池管理が、いわゆる地元でいうツボとりになるわけです。

 写真はツボとりのもので、左上は、ため池を干したあとに出てきたつぼです。画像の右下に水が写っていて、黒く小さく見えるものがメダカです。
 右上は、ため池の最後のドロセン(底樋ゲート)を開けた際に、ため池下の水路に出てくる魚を網ですくっているものです。
 左下は、この日拾ったツボの全収量です。今年は3軒で分けてバケツ1杯以上という収量でした。
 右下は、ツボとりが終り、三尺道をツボを一輪車に載せて帰宅する風景です。

 さて、今年はメダカの量が多かったため、右上の写真がそうですが、捕って煮て食べました。かつてはタモロコも多く、必ずこの日にとってたん白源にしたわけですが、どういうわけか、タモロコが最近少ないため、今年も捕ることは断念しました。

 メダカはフナやタモロコと同様に寒露煮にするのですが、それらの大きい魚に比べるとドロ臭さがなく、苦いものの大変美味しいものです。

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