第201話『勝手に祝200回』
2010.8/1掲載
この連載がついに200回を越えてしまいました。足かけ10年という想定外の超長期連載!あの次男でさえこの四月からは中学生になってしまったというからビックリです。
そこで、スクラップしてあるバックナンバーを読み返して見ました(確か100回の時もこんなことしていたような…)。
連載当初、長男はまだ小学校二年生。公園が大好きで、家族でのお出かけが何よりのお楽しみでした。その頃はまだ第一・第三土曜日が学校の登校日で、帰ってくるなり遊びに出かけたのもでした。学校で習ってきたことが面白くて、端から披露してくれ、それと同時に吸取り紙みたいにいろんなことを覚えていきました。
現在、高校二年生になって、出不精の屁理屈青年に向かってまっしぐらです。かつての吸取り紙はぐっしょり濡れた雑巾となり、なかなか学校で習ったことが頭に詰まっていかないようです。親がいろいろと助言してやるのですが、それに反論するのに懸命で、助言を聞き入れるゆとりがないようです。『親の小言と茄子の花』というくらいですから、素直に聞くゆとりさえ持てば、また吸取り紙が復活すると思うのですが…。
次男はまだ保育園の年少組でした。まだオムツをつけていて、排便・排尿が一人でできませんでした。兄にくっついて行っていろいろと同じようにやろうとしては失敗していました。新しいことに挑戦するのが大好きで、日々『初○○』に臨んでいました。面白いことや、突拍子もないことを見事なタイミングで突っ込み、まわりの雰囲気をいつも明るく和やかにしていてくれました。
現在、中学一年生になって、ゲームに青春を傾けています。いろいろな面で兄をアンチテーゼとし、轍を踏まない知恵をつけて育ってきました。そのくせやっぱり兄弟なのかどんどん似てきて、それをみんなに指摘されるのが今一番キツイみたいです。なかでも最も似てきたのは、出不精の屁理屈こねなところ。親と一緒に出かけたり、天真爛漫に笑わしてくれることがめっきり減りました。へんにカッコつけてみたりするのが中学生らしくてかわいいのですが、それをまた指摘されるのもキツイみたいです。
母さんは相変わらず学期末には忙しい忙しいと言いながら頑張っています。年齢は増しましたがますますチャーミングで、父さんとラブラブ夫婦を満喫しています。
父さんは相変わらずのほほんと暮らしつつも、庭の雑草と部屋のホコリと格闘しています。
そんなわけでこの連載と登場人物の、のほほんとしながらも進化と変化をしていく様子を楽しみに、「200回はまだまだ通過点。ほんの二合目。」ということで、今後もごひいきに!
第202話『夏は山』
2010.08/25掲載
夏休みは忙しい。家で子どもと遊んだり、海で子どもと遊んだり、山で子どもと遊んだり…。
今年の夏休みは、いよいよ次男の部活動が忙しくなってきて、長いお出かけができなくなりました。そこでなんとか一泊で楽しめて『涼しいところ』に行くという計画を考えました(計画を立てたのがすでに夏休みに入ってからだったため、とにかく涼しいが強調されました)。勘案の結果、今年のおでかけは『黒部・立山アルペンルート涼みの夏ツアー』決まりました。
黒部・立山には母さんは一度大町側から室堂まで行ったことがあるということでしたが。父さんと子供達には初ルート。なにより下界とは20℃近く違う気温にそそられます。
今回の黒部・立山アルペンルート涼みの夏ツアーは、当初、旅行社のツアーに入って行けば楽チンと考えましたが、予算的な理由で断念。自分でチケットと宿を確保し、自家用車で出かけることになりました。コースは黒部・立山を満喫するために、大町側扇沢からアルペンルートを通りきり、立山泊で翌日またアルペンルートを通って戻ってくるというもの。
早速アルペンルートのチケット確保です。現地でもチケット購入はできますが、伝説の行列ができるほどの混みようになることが多く、引き換えチケットを購入しておくのがお利口。我が家も近くの旅行代理店に行って購入します。ところがどうしたことか話がうまくかみ合わない。
父「扇沢から立山まで通り向けで往復お願いします。」
旅「往復ですね、どこまで往復しますか?」
父「ですから立山までで。」
旅「立山からお入りになるんですか?」
という具合。
皆さん知ってました?アルペンルートで『通り抜け』というのは、どちらかの入山口から入って、途中のどこかで折り返して元の入山口へ帰ってくることなんだそうです。我が家のように大町側から立山側まで行っちゃうことは『片道』と言うんだそうです。ですので
父「じゃあ、片道を往復するチケットを四人分で。」というなんともよくわからないことになってしまいました。確かに、同じコースを二日間かけて戻ってくるというのは珍しいのかもしれません。山の向こう側を特に観光してくるという訳ではないのですから。しかし今回は黒部・立山を満喫するのが目的ですからこれで行きます。
黒部・立山を楽しむには、計画の綿密さや混雑は二の次三の次、天候が八割以上。と言われていますから事前に天気予報だけはチェック。なんとか雨は避けられそうということでいざ出発!
充実満喫の黒部・立山になったのか?次回に続く。
第203話『夏はダム』
2010.9/4掲載
夏休みは忙しい。家で子どもと遊んだり、海で子どもと遊んだり、山で子どもと遊んだり…。黒部・立山アルペンルート涼みの夏ツアーは前回からの続き。
出発の朝、伊那谷は珍しく小雨が降っていましたが、アルペンルート付近は晴という天気予報でしたので気合を入れて出発。大町方面もやや道が濡れていましたが、これくらいなら大丈夫。扇沢で車を降り、いよいよアルペンルートに入ります。
チケット売り場には伝説の長い行列ができていますが、我が家は引き換えチケットを用意していますのでスイスイとトロリーバス乗り場へ向かいます。とはいえ夏休みのこと、人ごみを掻き分けねばなりませんし、バスも座ることはできません。でも暑い中行列に並んでいると思えば快適快適、心ウキウキいざダムへ!
16分トンネルの中をゆられて着くのが黒部ダム。バスを降りたらいきなり涼し〜い!気温16℃!「もうこれ以上進まんでもいい、ひと夏ここで暮らしたい。」そういう父をみんなは展望台へ引っ張って行きます。見えたのは、あの絵ハガキ通りの放水の景色。「これ以上進まんでもいい、ここでビール飲んで過ごす。」という父をみんなは引っ張って、ダム堰堤を歩きケーブルカー乗り場に連れて行きます。
ケーブルカーに乗ること5分、黒部平駅で降りるとそこが次に乗るロープウェイ乗り場になっています。情報によるとこの黒部平駅が一番混んでいて、1時間待ちは当たり前ということなので、ちょっと早いですがここでランチ。のんびり食べるつもりがすぐに乗車順が来てあわただしいランチに。とっととロープウェイで大観峰駅に着いちゃいました。
大観峰駅からトロリーバスで10分、アルペンルートのメインともいえる室堂につきました。快晴ではありませんが青い空と白い雲が峰々を隠したり映したりとなんとも言えぬ美しい景色。気温も13℃、下界を忘れる天上の楽園。景色に見とれる父さんの横で母さんがなにやらゴソゴソしています。見ると、超寒がりの母さんは荷物の中から長袖やらジャンパーやらカッパやらを引っ張り出して着込んでいきます。確かに気温は低いですが、空は青く、花は咲き乱れ、池面は碧に輝いて季節は夏!天然のクーラーをもっと堪能せねば。確かに1時間ほど外で過ごしたあとに食べたほかほかの肉まんは最高にうまかったけど…。
室堂をあとにし、高原バスで美女平へ。父さん以外は熟睡タイム。いろいろと見どころもあったんですが…。さらに美女平からケーブルカーで立山へ。天候にも恵まれ、無事アルペンルート『片道』に成功。
翌日は逆ルートで片道です。予習を済ませた濃〜い帰路は次回に続く。
第204話『夏は滝』
2010.9/15掲載
夏休みは忙しい。家で子どもと遊んだり、海で子どもと遊んだり、山で子どもと遊んだり…。黒部・立山アルペンルート涼みの夏ツアーは前々回からの続き。
二日目は立山から扇沢への『片道』です。そのまま帰っては前日とまったく同じことになりますから、ちょっとひねって称名滝に寄って行くことにしました。アルペンルートとは別ルートですが、立山駅からバスで20分、さらに歩いて20分。早朝の腹ごなしにもってこいです。
着いてビックリ!これはいい。落差はなんと350m。四段の迫力満点の絶景です。これだけ大きいので、離れた所からも見ることはできますが、直下の橋から見上げるのが最高。水しぶきでじっとり濡れますが、それがまたこの猛暑に最高に気持ちいい。これはいいものを見たと大満足で立山駅に戻り、片道をスタートさせます。
立山駅からケーブルカーで美女平へ。美女平はあんまり見るところがないのでさっさと高原バスで室堂へ行っちゃいます。室堂では昨日覚えたはずの高山植物名の復習をするはずだったのに、突然の雨。山の天気は変わりやすいという通り、ザッと降ったかと思えば薄日が差し、雲が湧いてきたと思ったら大粒の雨という天候。散策はあきらめ、バスターミナル付近をウロウロするにとどめました。
アルペンルートの中では室堂が最も高地ですから、ここから先はどうしても下山(帰路)の雰囲気がしてきます。実際大観峰駅と黒部平駅はあっさりと通過してしまいました。しかもロープウェイの途中からは本格的な雨。景色も見えず、『天候8割』を実感せずにはいられませんでした。
それでもさすがに黒部ダムは見所があります。昨日も登った展望台から見下ろすと、雨のせいかダムの放水口が昨日より上になっていて、一層迫力に磨きがかかっています。しかも雨にけぶるダム湖が幻想的ですらありました。いいものが見られたと喜んでレストハウスに入り、やっぱりはずせない名物『黒部ダムカレー』をいただきました。
最後に殉職者慰霊碑を見て、三日前に読んだプロジェクト●を思い出し、地上の星を心の中でリフレインしながら扇沢駅に降り立ち、この旅行は終了しました。
さてこの旅行を一言でまとめると『雷鳥の里』。アルペンルートは人跡未踏の地を開発した大観光地。あっちこっちに売店・土産物屋があり、富山名菓『雷鳥の里』の試食が必ずありました。それをことごとくすべてのところで一個ならず二個、三個と。475mの立山駅で食べても、2450mの室堂で食べても、晴でも雨でも雷鳥の里はうまかった。雷鳥の里最高!もちろんアルペンルートも最高!
第205話『THIS IS IT』
2010.9/26掲載
次男が中学生になってしまったので、今年の夏休みからは『自由研究』がなくなってしまいました。毎年ちょっと変わったことを考えて、家族で楽しみながらやっていたのに…。あんまりさみしいので、今年は父さんが勝手に自由研究しちゃいました。
研究テーマは『青いアメリカザリガニ』。昨年訪れた三重・鳥羽水族館で、七色のザリガニを見てからずっと気になっていたテーマでした。七色のザリガニとは、種類や生息環境によってザリガニはいろんな色になるという展示で、その中の青ザリガニは『植物性の食物を与えないと青くなる』と説明されていました。本当かぁ?こんなの見たことないぞぉ〜、と懐疑的に思いつつも興味津々。いざ実験開始!
1日目、まずはアメリカザリガニ入手。脱皮するごとに青くなるということなので、小さいものを二匹捕まえてきました。水槽に環境を整え飼育開始。2日目、一匹がハサミを残して消滅!どうやらもう一匹に共食いされたもよう。前途多難な出発ですが仕方がない。残った一匹に『マイケル』とアメリカンな名前をつけ飼育を続けます。
研究のポイントは、『植物性のえさを与えない』ということなので、最初はスルメを与えていました。しかしスルメにはいろんな調味・添加物が入っていることと、堅いという点でマイケル受けが悪く、刺身や、肉片を与えるようにしました。コケや藻が生えるとそれを食べてしまい、植物性のものを摂取してしまうのでマメに掃除をしなくてはなりません。また、脱皮した自分の殻を食べると、殻に含まれる植物由来の栄養素を再吸収してしまうので、見つけ次第取り除かなければいけません。
7日目、初めての脱皮。まだ飼育し始めて日数が浅いため色はまったく変わらないまま。16日目、二回目の脱皮。ひいき目で見るとちょっと青い?という程度。ほとんど変化なしといっていいでしょう。
順調に脱皮を重ねるマイケルでしたが、このあたりでペースダウン。今夏の猛暑のせいで食欲が落ち、動きも鈍い。命永らえたものの三回目の脱皮まで22日もかかってしまいました。おっ、なんとなく色が抜けてきたぞ!
そして飼育48日目、四回目の脱皮!これは明らかに青い!(写真参照)脱皮直後は青いというより透き通るような白さでよりびっくり。これぞキングオブポップカラー、感動のマイケル大変身でした。
※注意 この実験は、栄養の偏りによるものなので、マイケル自身にはあまり良くありません。もう一回脱皮させて、『青さは増すのか?』が分かったところで通常のえさに戻し、体力回復したところで自然に帰す予定です。
第206話『キン肉×2マン』
2010.10/11掲載
長男と自転車で太平洋を目指したのは、今から5年前。あの時は2日間で170km余りを走破し、気力と体力の充実を身につけた長男。その後中学校で三年間部活動に汗を流し、現在は部活動には加入してはいませんが血気盛んな17歳です。きっとあの頃よりの随分とグレードアップしているに違いありません。
電車通学の代わりに自転車通学にして、通学定期にかかっているお金を小遣いにするという作戦が可能かどうかを確かめるべく、先日長男は家から学校付近までのライドに挑戦しました。(実際には、ペタンクの練習会に行くついでに試してみただけです)
「道を教えてほしい」ということで一応父さんもついて走りました。父さんはこのあたりまでそこそこ自転車で来ることがあり、いつもなら約25分で走りきるところを、道案内を兼ねて40分かけてゆっくり走りました。
到着していそいそと練習を開始する父さんの横で、長男はいつまでたっても座ったままぐったりしています。そして「足が重い、尻が痛い、腰が痛い」と練習をパスしてしまいました。
なんということでしょう!40をとうに過ぎた父さんが元気で、17歳の若者がグロッキーしている!
長男の言い訳によりますと、「父さんの運転が危なくて三回くらい死にかけたから疲れた」とか、「いつも使っている筋肉とは全く違う筋肉を使ってる」とか、「痛いんじゃなくて重だるいだけだ」とか。しかしいかに言い訳しようが、たとえそれが正当な理由であったとしても、到着後の姿を偽ることはできません。元気だったのは父さんで、グロッキーしていたのは長男。
まあ父さんなりに長男をかばってやる点もいくつかあります。まず一点目は、自転車の種類が父さんはクロスバイクなのに、長男はマウンテンバイク。上りは分がありますが、下りとロングライドは苦手とします。もし本当に自転車通学を考えるならば、マウンテンバイクでは難しいかもしれません。二点目は、父さんには走り慣れた道ですが、長男にとっては馴染みのない道。ペース配分や、上り下りの案配・ギア選択など難しかったかもしれません。三点目に、長男は手放し運転ができません。なので走りながら給水したり、上半身を休ませることができません。昼間の40分間、下伊那の起伏の激しいところを給水なしではちょっとしんどいかもしれません。(ちなみに父さんは約350ccの給水をしました。)
しかし、そのあたりを大幅に差し引いてみても、長男の体力低下に危惧せざるを得ません。人生の中で、今頃が最も体力を無駄に使えるころなのに…。大丈夫か?
第207話『カレーライス』
2010.10/28掲載
イチロー選手が十年連続200本安打を放ち、ますます輝きを増すと同時に、彼の生活習慣にもスポットが当てられ始めています。
その生活習慣の中のひとつに、『毎日カレーライスを朝食に食べる』というものがあります。そしてその習慣(朝カレーライスを食べるということ)に関して、様々な人が高評価を与えています。中でも一番有名なのが、日本薬科大学教授で、東京・日本橋でクリニックを経営する丁医師の「カレーのスパイスと漢方の生薬に共通点があることに注目し、カレーが脳や体に及ぼす影響を研究してきた。カレーを摂取すると脳内の血流が2〜4%増え、脳の『情報処理』を担当する部分の働きが活発になる。カレーを食べると脳が活性化されるので、仕事や勉強の前にカレーを口にするのは理にかなっている。特に、午前中から頭をフル回転させる必要がある受験生にはぴったり」というもの。
ふむふむ、細かい数値や難しい理屈はよくわからんが、とにかく朝カレーは脳に良いのだな。特に最後の『受験生にはぴったり』というところがよいではないか。ということで我が家の子供達がテストの日は、朝カレーに決定しました。
次男も今年からは定期テストがありますから、長男と合わせると年間10回〜12回のテストがあることになります。今まで月に一度くらいの割合でカレーライスを作っていましたから、テストのペースよりやや多いくらい。ということは、今ではなんとなく『カレーが出てくるとテストの日』というイメージが定着しつつあります。
本当は、スパイスの薬効はあまりぐつぐつ煮込むと揮発してしまうので、前日の晩にうす切り肉と野菜たっぷりを軽く煮込んでおいて、翌朝になってから、ルーを入れてさっと煮るのがベストの状態のカレーを作る秘訣なのだそうです。でもなかなかそうはいきません。なぜなら次男はテスト当日、(部活もないのに)六時半頃に出発してしまうからです。
軽く煮込むといってもルーが溶けてとろみが出るまでには、20分ほどはかかるでしょう。朝の五時からカレーを作る根性がこちらに湧いてこないのです(それまでに、必死でテスト勉強をやっている姿を見ていれば、多少は根性も湧いてこようというものですが、現状ではさっぱり湧いてきません)。どうしても前日に作って晩ごはんもカレーライス、翌朝温め直して朝カレーということになってしまいます。それでも多少は効果が上がるものと信じて、テストのたびにせっせとカレー作りにいそしんでいます。
さて、肝心の朝カレーの効果はいかほどか?う〜ん、効果が出てこのくらいだと信じるしかないないのでしょうか…。
第208話『共に学ぶか?』
2010.11/13掲載
私の学年度が最後だったでしょうか。中学校の技術・家庭科が男女別習で、三年間とも技術ばかりに取り組んだのは。あの頃は、技術・家庭科の授業時間が来ると、男子は技術室(または製図室)に行きます。途中で課程がかわることがないので、長期間かけて深く学習することが出来ました。木工・金工はあたり前、電気回路を組んだり、鍛冶まで実習しました。今の生活に役に立っていることも、あれ以来やったこともないものなど様々ですが、最も役に立っている実習は『自転車の組み立て』でしょう。
私が通った中学校では、技術室の壁に自転車が飾ってあり、普通はそれを使ってギアシステムや逆ねじの構造、フレーム強度の計算などをするのですが、その年はなぜか自転車の分解・組み立てをすることになりました。
当時は『学校腐ったミカン荒廃期』でしたから、技術の時間なんて授業にいないやつがいっぱいいました。いても先生の話なんか聞かないで遊んでたり、自習してるやつがたくさんいましたから実質10人ほどで実習に取り組むことが出来ました。(あの頃は学級崩壊などという不吉な言葉はなく、先生のせいで学校がおかしくなるなんて誰も言いませんでした。中学生ながらにダメなものはダメと自己責任で不良になっていた自律の時代だったと言えるでしょう。度量の大きい不良も多く、クラスの中で決して浮いたりしない人間関係が結ばれていました。教育すべてにおいて懐の深さがありましたね…。)
さてまずは分解。ぶっ壊すのは簡単ですが、分解は難しい。あとでちゃんと組み立てられるようにどこの何用の部品で、どっちが上だか下だか記録しておく必要があります。一か月ほどかけて構造を勉強しながら分解し、いよいよ組み立てです。これが結構難しい。自転車は可動部が多いので、ちゃんと組み立てないと動かなかったり動きが悪かったりします。結局完成するまで半年以上かかったと思います。
みっちり学んだおかげできっと今でも工具さえあれば組み立てられると思います。そこまでいかなくとも、家にある四台の自転車を整備・修理して快適な乗り心地を提供しています。
さて、現代。技術・家庭科は男女共習となり、うちの長男と次男も半年ずつ両方の勉強をしてきます。しかし実生活に生きるほどの学習や家庭では教えられない技能が身についているとは思えません。時間数が少なくなかなか深い取り組みもできず、しかも長野県の旧弊『スライド』のせいで技術・家庭科の授業が二時間続きで取れないこともしばしば。なんとかならんもんかなぁと思う今日この頃です。ただし、男女共習で技術・家庭科を学ぶ事は理想的なことだと思います。
第209話『シネマで』
2010.12/11掲載
11月13日大鹿村に行ってきました。『いつか晴れるかな』という映画の撮影で、原田芳雄が大鹿歌舞伎を演じるシーンの撮影が行われるということでエキストラを募集していたのに応募したものです。
父さんは京都に住んでいたので時代劇や、観光情報番組などのテレビロケには何度も立ち会ったことがあります。小学校の帰り道で「君達そこを走り抜ける子供の役やってよ」とかいうのにも参加したこともあります。しかし本格的な映画のロケは初めてです。裏情報から「名前は出てないけど、実は松たか子と三国連太郎も来る」ということも聞いていて、これは参加せねばと出かけて行きました。
午前11時30分、エキストラ約1000人が大鹿小学校に集合。ほぼ大鹿村人口に匹敵するエキストラが大集合ですから、すごい賑わいです。本当の歌舞伎公演でもおよそ1000人の人出は普通らしいので、大鹿村の方にとってはたいしたことはないのかもしれませんが、平素の大鹿村しか知らない私達にとってはびっくりの光景でした。
映画の撮影はやや遅れ気味ながら順調に進んだのでしょう。しかし、太秦映画村での撮影と比べたり、舞台演劇派の私から見るとなんとも効率の悪い仕事ぶりです。舞台演劇ならすべてのセットを組み、役者だけがその場を動きまわれば成立するように準備をしてやっとお客を入れるわけです。当たり前ですが、一時間の作品を一時間で作り上げます。ところが今回の映画のロケでは、一シーン撮るごとにセットを作り、また一シーン撮るごとにセットを作り直すという塩梅。そりゃ映画ですから、同じシーンをアングルを変えニュアンスを変え、何回も何回も撮影するだろうとは思っていましたが、撮影をしていない時間の長さにはビックリというかちょっとあきれました。今回参加した5時間の撮影で撮られたシーンを、まったくカットしないで全部使っても10分もないと思います。ロードショウになったら自分達がどんなふうに映っていたのか見に行ってみたいしDVDも借りたいと思っていますが、この短さじゃうかうかトイレにも行けんなぁというのが感想です。
さて、お目当ての松たか子と三国連太郎ですが、なかなか出てきません。さては裏情報はガセだったのかとあきらめかけた残り20分、やっときました。私のすぐ横2mくらいのところを通ってセットに入りました。
三国連太郎は見た目はよぼよぼ爺さんでセリフも一つしかありませんでしたが、オーラがすごい。この日一番の声援を浴びていました。松たか子はセリフ全くなし、端っこに座って手をたたくだけの出演でしたが、とっても美人だったので許しましょう。
第210話『シネマの』
2010.12/27掲載
せっかく映画の話をしましたので、映画の中での子育てについてちょっと語ってみようかと思います。
映画などで子育て(特に父親と子供)というと、まず根本に「できればやりたくないもの」という取り上げ方がされます。父子が積極的に触れ合う内容であっても、それは前日譚として「今まで避けてきた子育てを取り返すべく奮闘する」というスタンスです。そしてその関わり方は、大まかに言って二種類に分けられます。
まず一つ目は、父親がダメな人で(誤解もあるんですが)父子の間に確執があります。それが何かの事件というかきっかけで氷解して仲直りするというもの。名作『クレイマークレイマー』や最近では『ナイトミュージアム』などが代表作。小さい子供に限らず大人になった父子まで含めると相当な数が挙げられます。これだけ父子の確執がテーマになった映画があるってことは、父子の確執というのは、意外と普遍的な家庭問題なのかもしれません。
二つ目は、何かのトラブルなどから、いきなり父親が子育てをせざるをえないという状況がやってきて、右往左往しながら父子の絆を結んでいくというもの。これも名作『赤ちゃんに乾杯!』やそのリメイク『スリーメン&ベイビー』、トム・クルーズの『宇宙戦争』もこのテーマが流れていますし、日本でも『北の国から』なんか典型でしょう。基本に「子育ては母親の仕事」という共通理解があるので、このテーマの映画が成立するわけで、今後育児に関わる父親が増えていくに従ってこちらのテーマの映画は減っていくのかもしれません。
さてそんな中、私が一番好きで、参考にしているというか憧れているのは、二つ目のテーマの方の『ベイビートーク』です。ジョン・トラボルタが子供(実際には自分の子供ではないのですが)と愛情というか友情というか信頼関係を深めていく映画で、私にとってはそれまで知らなかった父子の関係が描かれていました。そしてなによりジョン・トラボルタが子育てを目いっぱい楽しんでいるというのがうらやましく感じました。(その頃のジョン・トラボルタがサタデーナイトフィーバーのころとは違い、太ってきて、下品で、三枚目になってきていたので自分を重ね合わせるのに抵抗がなかったせいもあるかもしれません。)
その後、結婚し、子どもが生まれて今に至るまで「楽しんで子育てをする」という信条にぶれはありません。そりゃあ面倒だったりいやになることもありますが、自分が楽しんでやっているという気持ちを忘れなければいくらでも踏ん張れるものです。
よーし、これからも目いっぱい楽しんでいくぞ〜!
第211話『玄界灘を越えて』
2011.1/25掲載
正月恒例のスポンサー付き旅行、今年は『壱岐と博多のうまいもの食いつくそうツアー』。壱岐牛(壱岐から出荷された牛が神戸牛や松阪牛として育てられています)・生ウニ・フグのコースを堪能するのが目的です。立案当初は『長崎平和と開国の旅』だったのですが、いかんせん長崎は遠い。JR利用で8時間ほど、飛行機を使えばもう少し早く着きますが、次男が飛行機はどうしても嫌だと言い張ったため壱岐・博多になりました。
しなので名古屋まで、新幹線で博多まで。数年前までは列車の中から大はしゃぎでゲーム大会が開かれていたのですが、子供達も大きくなったせいかおとなしいものです。じじくさい長男などは寝こけている始末。はしゃいでいるのは朝からビールを浴びる父さんだけです。
5時間後、博多に着いた我々はまずとんこつラーメンに向かいます。注文の仕方や、替え玉のタイミングなどは予習済み。しかし当日は大荒れの天候。店を探してウロウロするのが難儀なほど。仕方なく手近な店に突入、注文を済ませます。じじばばは「ヤワ」、我が家は「カタ」をチョイス。芯の残った様な極細面が濃厚なとんこつスープに絡んでデリィシャス!替え玉は「バリカタ」だ。う〜ん一層デリィシャス!本来ならもう一軒くらい行きたいところですが、壱岐への船の出航時間が迫っているため打ち止め。まあ明後日もう一度博多で時間があるので、その時再挑戦だ。
博多港から壱岐まではジェットホイルで1時間ほど。しかしまれにみる荒天・高波で海は大荒れ。欠航こそ免れたものの揺れる揺れるジェットホイル。先ほどの極細面を戻さんばかりの1時間半、なんとか吹雪の壱岐に着きました。
陸に上がればこっちのもんだ。宿に入り刺身と壱岐牛の夕食に舌鼓。しかし味がいまいち印象にない。なぜなら醤油があまりにもおいしすぎたから。次男なんて食品はそこそこに醤油をなめまくり、我々もほとんどの料理を醤油一本で食べきったほど。壱岐特産の醤油らしいのですが、お土産に売っていなかったのが実に残念でした。
二日目の昼過ぎまではレンタカーを借りて島内めぐりです。壱岐島は南北17km、東西14kmの大きさを誇り、路線バスも整備されているものの、わがままな観光客にはマッチしないようですので我が家はレンタカーにしました。絶景の『鬼の足跡』や奇岩『猿岩』などを見て回っていると、昨夜の宿から電話がかかってきました。「今日の本土への船が全便欠航になりました。再宿泊されるようでしたらご連絡ください」って。え〜、帰れないの?フグの予約はどうなるの〜?荒波の玄界灘を見つめつつ次回に続く。
第212話『玄界灘は限界なんだ』
2011.2/5掲載
壱岐と博多のうまいもの食いつくそうツアーは前回からの続き。
本土への船が全便欠航し、途方に暮れる私達に朗報が。「飛行機なら飛ぶかもしれません。」そうなんです、壱岐には小さいながらも飛行場があり、海が荒れても空は大丈夫ということがよくあるんだそうです。早速空港へGO!
確認してみると通常どおりのフライトがOK。しかし問題が二つ。一つは壱岐空港からは長崎にしか飛んでいないこと。我々の目的地は福岡、長崎まで行ってそこから福岡まで戻るには4〜5時間かかります。今日中に着くのは無理。しかし、明日になったとて船が出る保証はありません。何日間も島に閉じ込められるよりは、と長崎行きを決めました。
二つ目の問題は次男の飛行機恐怖症。しかしこれが意外にもあっさり「いいよ」とのこと。「ここにずっといてもしょうがないし、帰れないと困るじゃん」と言うことらしいです。
ここからが慌ただしい。飛行機の予約が取れたらすぐに、船の欠航証明書をもらいに行き(これがないと払い戻しができません)、福岡の宿のキャンセル(自然災害なのでキャンセル料はいりませんと言ってくださったハイアットリージェンシーの方ありがとうございました。どうしても本土に帰れませんと言いましたが、本当は飛行機で帰れました、すみません)、そしてレンタカーの引き渡しの変更(使用時間が2時間延びたのにサービスして下さったオリックスレンタカーの方ありがとうございました)と、なんとかやりくりできました。
さてそんなわけで、壱岐での滞在時間が2時間増えたので観光地巡りに戻ります。まずは食事だ。ウニ丼食べるぞ!ところがウニは冬期は禁漁中とのことで採りたての生ウニはない。壱岐牛食べるぞ!ところが正月ということでやってる店がない。仕方なく島の真反対側まで移動してやっと壱岐牛ステーキを食べることができました。サシが少なく肉の味がしっかりするステーキで、食後のステーキにありがちなモタレ感が全くないおいしいお肉でした。
最後に一支国博物館に行きました。ここは事前学習の段階でみんなが一番行ってみたいと言っていたところで、2時間かけてゆっくり見て回りました。大陸との中間にある壱岐独特の歴史や、その中で育まれた文化というものがとてもよくわかりました。また、職員やガイドの方の対応もすばらしく、もし壱岐に行かれる際には一番のお薦めスポットです。
さあ、いよいよ壱岐とお別れ、飛行機で長崎を目指します。強風の中本当に飛行機は飛ぶのか?次男はビビらないのか?長崎の宿はどうする?明太子は買えるのか?不安満載で次回に続く。
第213話『なぜか長崎』
2011.2/18掲載
壱岐と博多のうまいもの食いつくそうツアーは前々回からの続き。
強風の中なんとか飛んだ飛行機で無事長崎入り。しかし長崎空港は市外からは遠く離れた所、空港バスに揺られ1時間半、やっと長崎中心部に到着し、早速今夜の宿探し。お正月ともなれば観光地の長崎の宿はどこもいっぱい。観光案内所のお姉さんが頑張って見つけてくれたのもビジネスホテルのツインを3部屋。寝る場所が決まってやれやれとお姉さんにお礼を言って出ようとすると「ホテルの辺りは何にもお店がないので、食事はこの辺りで済ませた方がいいですよ」と…。
そんなこんなで旅行三日目。午前中は予定外の長崎観光になりました。
やっぱり平和公園は外せんなぁ。のんびりした季節のせいか事前学習の不足のせいか鬼気迫る祈念の情がわいてきません。本当にのんびりした平和な公園に感じました。
やっぱり教会も一つは行かなきゃ。平和公園から足をのばし浦上天主堂へ。ちょうど新年最初の集会日で大賑わい。ゆっくりは見学できませんでしたが、奇麗で立派な教会を見て、本格的なカトリックの集会の雰囲気を体験できて大満足でした。
やっぱり歴史的には出島は忘れちゃいかんだろ。現在の出島は島ではなくまったくの陸地ですが、往時の建物と雰囲気を再生すべく博物館化されています。畳の上にイステーブルのへんな部屋の建物を見つつ、オランダジンニ・ナッタツモリデ・ウロウロタノシミマシタ。
おっと、もうこんな時間だ、列車に遅れちゃう。カステラの文明堂本店が休みで残念。ちゃんぽんを食べる時間がなくて残念。いろいろ残念だったけど、もともと来るはずじゃなかったからまあよしとするか。ぜひもう一度、落ち着いて来たいものだ、と思いました。
列車でゴトゴト博多駅へ。やっと予定のルートに戻ってきました。しかし博多でゆっくりする時間は残されていませんでした。駅ビル内で40分ほど過ごすしかありません。もう博多ラーメンを食べに行くことはできません(思えば初日にむりして食べておいてよかった。もう少しで食べられないところだった)。
そうだ、お土産に『通りもん』を買わなきゃね。売店探してウロウロと。明太子は絶対買わなきゃ。でももうゆっくり選んでるヒマはない、よしこれだ!(家について食べてみたら素晴らしくうまかった。大当たり!)わ〜もう時間ない、新幹線乗らなきゃ、あれ?切符がない…。
今回の旅行は史上最高にアクシデントに見舞われたものになりました。しかし、次から次とやってくるトラブルをなんとかクリアして楽しく過ごすことができました。今年一年は、危機管理が重要な年、という暗示かもしれませんねぇ。
第214話『一舟ください』
2011.3/2掲載
年末年始はなにかと物入りで、大金を持ち歩くことが多くなります。またなにやらめでたい気分になってしまって、ついつい無駄遣いをしてしまったりします。そんな無駄遣いで『たこ焼き器』を買ってしまいました。
一度に20個焼ける電気式で、定価1000円を二割引き!ついでにその足でたこ焼き粉や具のたこキャベツ紅ショウガなど一式買いそろえ、早速タコ焼きパーティーに突入です。
たこ焼きといえば関西のもので、関西ならどこの家にもたこ焼き器があって、みんなたこ焼き名人!というイメージがあるようですが、実際にはそういうことはありません。やっぱりたこ焼きは屋台で買って、うまいのまずいの文句を言いながら食べるものです。ですので関西出身の父さんですが、たこ焼きを自分で作ってみるのは今回が初めてです。
作り方は知っています。お祭の屋台をさんざん見てきました。穴ぼこに水で溶いた粉を入れ、具材をぶち込み、コロコロ返してやれば完成です。
なんてことはありません、家族のだれが作っても難なく完成し、おいしく食べられました。しかし、ここからが我が家はちょっと違う。たこ焼き器で何が作れるか考えだしました。
その1 ホットケーキミックスを使ってお菓子作り。これは誰でもすぐに思いつくことでしょう。ホットケーキミックスをたこ焼き粉の代わりにするだけです。そして具材もおやつっぽいものにすれば簡単です。ジャムやチョコレートを入れてみるとまったくおやつそのものです。正月らしく(?)あんこを入れるとタイ焼きや回転焼きと同じです。スナック菓子は入れると熱で溶けて、なくなってしまいます(たこ焼きを作る時の天カスと同じことになったようです)。
その2 卵焼き。溶き卵を流しいれれば超簡単。真ん丸な卵焼きがすぐにできあがります。だしで溶いたり、ケチャップやマヨネーズを入れて作ってみると、お味も結構なものができあがりました。
その3 焼きおにぎり。軽く丸めてご飯を穴ぼこにはめ込んで、クルクル返せばこんがり焼きおにぎりの完成。お醤油をたらすといい香がしてきます。ただし醤油が垂れるとコゲになります。しかも熱くなりすぎてしばらくは食べられません。
その4 ヤミ焼き。ヤミ鍋のたこ焼き版です。各自冷蔵庫や戸棚から(一応食べられる物を)適当に持ち出し、こっそりたこや具の代わりに中に入れちゃうのです。ソーセージや明太子や鶏そぼろなんかは大当たりにおいしくできます。
さあ、この買い物が無駄遣いに終わるのか、便利グッズに定着するのか?新メニューの開発と共に興味深いところです。
第215話『チョコレート・デイ』
2011.3/10掲載
バレンタインデーが女性からの愛の告白の日だったのは遠い昔のことのようです。今では義理でも友でも自分用でも何でもありのチョコレート大博覧会の様相です。もともとヨーロッパでは男女関係なく、親しい人に贈り物をする日ですから、それに近づいたともいえます。
年中行事を欠かさない我が家ですから、当然バレンタインデーも開催されます。母さんがすごく愛する父さんと、愛する子供達にチョコレートを買ってくれます。『食べる』的に言うと普段から売っている板チョコが最もお得なのでしょうが、『買う』的にはそれでは面白くない。この時期しか売っていないような楽しくおいしそうなものを探しに、母さんは大博覧会に突入して行きました。
もう恥ずかしがる年齢でもないので、父さんもくっついていって様子を見ていました。値札と相談しながらチョコレートを物色していた母さんの足があるところでピタッと止まりました。それが写真にあるチョコレートファウンテンの前。値段3980円、遊びで買うにはちょっと高い。我が家で楽しめば盛り上がること間違いナシ!とってもとっても心残りのようでしたが断念したようです。
2月14日、色々悩んだ母さんから、チョコレートケーキをもらい、家族みんなでおいしく食べました。
さて、日本ではバレンタインデーにチョコレートをもらったら、お返しをしなくてはなりません(これもヨーロッパにはない風習です)。一か月先なんて区切らなくても機会があればお返しをしていいでしょう。
2月15日、買い物ついでにふと、元大博覧会会場に行ってみました。するとさすがに兵どもの夢の跡、『●%OFF』の札を貼りつけられ寂しげに売れ残ったチョコレートが並んでいました。その一番奥、ひっそりと目立たないように50%OFFの札をなびかせて、あのチョコレートファウンテンが置いてあるではないですか。これは絶好の機会、相手が欲しがっている物をあげるのがプレゼントの基本。母さんはこのチョコレートファウンテンをとっても欲しがっていた!お返し決定、しかも電光石火の翌日返し。
早速チョコレートフォンデュパーティー開催。予想どおりの大盛り上がり。しばらくはチョコレートのにおいさえかぎたくないと思うほどたらふく食べました。
大いに盛り上がったあと、なにやら煮えきらないような顔をしている人が一人いました。
「確かにこれをほしがってはいたけど、それはバレンタインデーの一環として、みんなにあげたら楽しいなぁって思ったからであって、私が欲しがってたわけじゃないんだけど…」
第216話『踊れ銀輪』
2011.3/23掲載
東北地方太平洋沖地震により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、そのご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復旧復興をお祈り申し上げます。
さて、揺れが収まり、津波も引いたら、大きな問題になってきたのがエネルギーの不足です。特に電気を使うばっかりの東京で大騒ぎになっているようです。そんなときに一番役に立つのは自転車でしょう。狭くてガタガタの道も走れるし、多少の荷物も運べます。移動速度も格段に上がるし、何よりエネルギーの消費がほとんどなしで動くところが魅力です。なぜ自衛隊などのレスキューに銀輪部隊がないのか不思議でなりません。特に今回のように津波で被害を受けるようなところは、地形が平らで楽に自転車が使える所なはずです。
高潮などの災害で冠水したときに、カヌーイストたちが物資を届けたり、安否の確認に活躍しているのをテレビでよく見ます。サイクリスト、いや、せめてチャリダーが今回なぜ活躍していないのか残念にも思います。
エネルギー不足は被災地から離れた我々にも関わりつつあります。ガソリンが売り切れ、灯油の販売も怪しくなっています。電気を直接被災地に送ってあげるわけにはいかないので、オイル類を救済・復興に優先的に使ってもらうのは納得できるところです。なれば、我が飯伊地区でも自転車の復権となってもよいのではないでしょうか。
かつては『飯田の自転車にはペダルがついていない。下りは漕がなくてもドンドン走っていくし、登りは坂が急すぎて押して来るしかないから』などと言われていました。しかし、昨今の自転車の高性能化と、自転車で坂道を走るスポーツというのが定着しつつある状況で、当地にも自転車文化が花開きつつあるように思います。自転車チームがホームグランドに使い、国内有数の大会が開かれる土地なのですから。
ところで我が家です。次男はこの春、自転車を買ったばかりで新品をうれしそうに乗り回しています。まあ他の移動手段を持たないせいもありますが、自転車率が高いです。長男は高校まで自転車で通ってもらいたいところですが、実質春休みに入っていて家でゴロゴロしているだけですから、エネルギー消費量は少なそうです。母さんは…、う〜ん仕事がある以上自動車使用もやむをえぬか…。近所への買い物や移動には自転車を使ってもらいたい。父さんはもうバリバリにチャリダーです。少々遠くても買い物には自転車で出かけます。するといいことがあるんですよ。車の時ほど荷物が運べないので、買い物の量が減り経済的。しかも体重も減って健康的。うーん自転車最高、踊れ銀輪!
第217話『Dreams Come True』
2011.4/16掲載
人はそれぞれに夢を持って生きています。すぐに手が届くような小さな夢から、到底かないそうにないほどの大きな夢までいっぱいあるでしょう。今回はそんな夢が叶う素敵なお話です。
主人公は我が家の17歳になる長男。長男の夢の一つが『作ったままで切っていない長いバウムクーヘンを食べてみたい』という夢です。直径の大きなバウムクーヘンや、ただ長いだけのバウムクーヘンなら、ちょっと探せばあるのですが、作ったままで切っていないものはどこにも売っていません。作ったままで切っていないということは、おいしそうにうまく焼けているところだけではなく、端っこのへげへげのこげこげになってたりするところもくっついたままになっているということです。そのへげへげがついているとこに夢があるわけです。
色々なお店に行って、焼いたままの物を売ってくれるように交渉しますが、どこに行ってもNOの返事ばかりです。曰く、「入れる箱がないのでお渡しできません」。箱なんかいらん。手で持って帰るといっても聞いてくれません。曰く、「大きいので賞味期限内に食べ終わらないので売れません」。根性でぜったい食べるといっても聞いてくれません。曰く、「そういう料金設定がありませんので販売いたしません」。言い値で買うからといっても聞いてくれません。曰く、「おいしさの保証ができないので商品には致しません」。渡されたらへげへげの部分はすぐ切って捨てるからといっても聞いてくれません。
探しに探し、無理を無理やり聞いてもらいやっと飯島町にある『信州里の果工房』さんからOKをもらいました。
引き渡し当日、カウンターに現れたそれは、長さ40cm・直径20cmの巨大な塊。大きな包装紙で包まれた塊はスイーツの常識を超えています。無造作に持ち上げると折れてしまいそうなので、赤ん坊を抱くように持つ必要があります。そのまま車に乗り込み、バウムクーヘンにもシートベルトを締め、安全運転で無事キッチンに到着しました。
いよいよ実食!夢叶う瞬間がやってきました。切り目のない巨大バウムクーヘンの夢のへげへげゾーンにかぶりつきます。喜色満面とはまさにあんな感じ。第一声は「うまい!」でした。へげへげゾーンはちょっと焦げていてクッキーのような味。バウムクーヘンとは違いますが決してまずくはありません。次男なんか「ここだけの塊のお菓子があったら買う」というくらい。もちろん本体部分は絶品でした。しっとりムッチリと今まで食べたどこのバウムクーヘンよりうまかったです。
巨大な塊を賞味期限内の三日で平らげ大満足な長男&我が家でした。『信州里の果工房』さん本当にありがとうございました。
第218話『THE LAST家庭訪問』
2011.4/28掲載
家庭訪問を受ける立場になってはや12年。いよいよ今年が最後の年になってしまいました。
次男の中学では三年生では家庭訪問がありません。というか、三年生が修学旅行に行っている間の、ウラ行事として家庭訪問が行われます。現在二年生の次男ですから、今年の家庭訪問が最後となるわけです。
家庭訪問の準備は、もう手慣れたもんです。先生が通るところをちょこちょこっときれいにして、いつもは使っていない応接間のホコリを払い、軽く接待の支度を整えたらOKです。
家庭訪問の時だけきれいにしたって仕方ないじゃん、という考え方もあるでしょうが、『訪問していた』立場から言わせてもらえば、こんなときでさえきれいにできない家庭の教育力は、推して知るべしというところです。同様に、お茶やお菓子も食べるつもりはありませんが、どういう姿勢で客を迎えようとしているか、という社会力を見るバロメーターになります(いいお菓子が出るかどうかではなく、一般常識として礼儀程度のおもてなしをするか、ということです)。最近では、家ではなく、職場や喫茶店などで『家庭訪問』を受けたいという家庭が増えているそうですが、前述のような理由から教員の側はぜひお家に伺いたいのですが…。先生はただ『おじゃま』しているだけではなく、いろんな情報を仕入れているのです。
さて次男の家庭訪問ですが、担任の先生は昨年と同じ(一年生から二年生になる時にクラス替えをしましたが、また同じ先生に担任になってもらえました)。腹の探り合いもなく、まあ話もなあなあです。特に昨年からかわったところもありませんし、ここでなきゃ言えない話もありません。和やかに雑談をして終了しました。でもいいのです。家庭に来るだけで、先生はいろんな情報を仕入れていったのですから。
迎える側としましてもいろんな情報を仕入れています。定刻どおり来るか。地図を読みとれているか、または去年来た道を覚えているか。どんな車で来るか。このあたりは『どれだけうちの子を気にかけていてくれるか』度合いが測れます。服装やあいさつは人としての常識度が測れます。話しぶりからは子供との関係というか距離が測れます。家庭訪問は、おそらく先生が思っているよりも、家庭にとって大きな行事だと思います。
そんな家庭訪問も今回が最後。面倒くさい半面ちょっと楽しみにもしていました。春の大掃除を兼ねてあたふたと準備するのも風物詩みたいな感じで。
もしも、また家庭訪問があるとしたら、担任の先生が急遽変わった時か次男が問題を起こした時。うーん、やっぱりもう家庭訪問は最後にしてほしいなぁ…。
第219話『春の野』
2011.5/17掲載
まだまだ自然がいっぱい残っているわが松川町では、春の芽吹きの時期は野草が花盛り(いや葉盛り!)です。
まずはフキノトウから。まだ寒い時期に出て、気づかないうちについつい忘れてしまいます。ちょっと大きくなるとおいしくなくなるので、採り損なうことの多い野草です。
次に庭にあるタラノメです。近くの畑から種が飛んできて庭に三本ほど自生しているもので、毎年にぎやかにトゲと葉を茂らせてくれます。メはおいしくいただきますが、いかんせん数が少ない。一人1個もないてんぷらでは、酒の肴にもなりません。でもうまいんだなぁ。
続いてウコギ(このあたりではオコギとも言いますね)。庭に二本しかないのですが、猛烈な勢いで成長するので剪定が大変です。葉なんか採っても採ってもきりがありません。ウコギ飯を二回作り、おひたしを一週間続けてもまだまだ茂っています。以前カキアゲを作ったことがありますが、バラバラと崩壊してダメでした。面倒くさい木ですがこれがまたいい薫りなんだなぁ。
大型連休の頃になると、もうあっちもこっちも野草だらけです。一番のお気に入りはノビル(ノノヒルとも言います)。以前は味噌をぬったくってつまみにしかしていませんでしたが、今年ある店で、葉っぱのままチョウ結びにしててんぷらにしてあるのを食べて、これがうまかった。家でも作ってみたら簡単で実にうまい。連日ノビルを食べまくり、なんだか血液もサラサラしてきた気さえします。
ノカンゾウも採り放題です。根元の部分を軽く湯がいて、ぬたやおひたしにすると一品になります。つぼみはてんぷらにすると、甘い不思議な味のてんぷらになって、ついつい食べ過ぎてしまいます。花は花酒になりますが、香が好みじゃなかったので一回でやめました。
アカザ・シロザも味噌汁の具として重宝しています。雑草ですが駆除せずに残しておくと、秋までどんどん茂ってくれます。増やし過ぎると収拾がつかないので要注意です。
その他ワラビやコゴミ・コシアブラなど有名どころはありますが、家の周りにはないので省略します。
さて、そんな春の食卓を我が家の面々はどう思っているのでしょう。基本、変わったのに対して拒否反応がある長男はダメです。申し訳程度にしか箸をつけません。母さんも元々香りが強いものはダメ。またてんぷらなどの揚げ物も好みじゃないのでそんなには食べません。次男は文句は言いませんが、そんなにはバクバク食べてくれません。なんだ結局春の食卓を堪能してるのは父さんだけ?あ〜ぁ、タダだと思って喜んで採って食べてまた太っちゃうなぁ。
第220話『よい子』
2011.6/25掲載
次男が宿泊学習に行ってきました。楽しかったようでいろいろ話してくれるのに加えて、私からもいろいろと質問をしてみました。すると何にもやっていないことが分かりました。
いやいや、なにも体験していないわけではないんです。いい体験をいっぱいしてきました。松代大本営跡で平和に心めぐらし、無言館で戦争の無残さに心痛め、友達との集団行動で心ひとつにする重要性を学んできました。私が何もしてきなかったというのは『悪い体験』です。
マクラ投げ、夜ふかし、大騒ぎして正座させられる、布団の中でこっそり花札、風呂のぞき…etc.。一つ一つの悪さをいちいちこなしていけと言っているのではありません。私が言いたいのは、先生に言われるままのよい子で過ごしていていいのか?という疑問です。真面目に過ごすことが悪いことではないのは当たり前なのですが、「それだけでいいのか」という不安と言い替えればいいかも知れんません。
現代の教育は、ひたすらに『優良清浄』な方向に向かっています(成績がよいという意味ではありません)。詰め込み時代や、学校荒廃時代にあった様な「劣悪汚濁なことにはとりあえず目をつむって」という態度は、『ゆとり教育』時代に一掃され、ひたすらに優良清浄が推し進められました。学校というところは『劣悪汚濁』の入りこまない純粋培養の場になっています。結果、現在の子供は劣悪汚濁に対する耐性が著しく低く、なにかの拍子に劣悪汚濁なものに触れるとどうしていいかわからず、ものすごく深刻に受け止め、逃げるか壊れることしかできなくなっています。
子供だけではありません。そういう教育を優等生として過ごしてきた先生達も同じです。そしてそれが当然の姿として子育てしてきた保護者達も同じです。ある高校で(!)風呂のぞきをしようとしたら停学になったとか、教室掃除をまじめにしないからと緊急保護者会が開かれるとか、私はビックリこきました…。
自分が生徒だったころ思い出してください(若い人は親世代の話を聞いてください)。昔はよかったとは言いません。でも昔なら悪さをしない子供がいたでしょうか?悪さに対する耐性が高くなかったですか?そして悪さと悪事と非行と犯罪の境目がちゃんと分かっていたのではないですか。有る物を、有る物として認めていく力があったのではないですか。
人間は自身が体験してきた事例によって生きていくキャパシティーを広げ、強くなり豊かになり大きく生きていけるようになるのだと思います。どんなに良いことだって偏った体験は、偏った人間を育てるだけだと思うのですが。いかがでしょうか。
第221話『竿灯』
2011.8/23掲載
連載開始時には小学2年生だった長男も、なんと現在高校3年生。『子供』として家族でそろって旅行に行けるのは今年が最後になるでしょう(本当は今年だって受験生ですから遊んでいる場合ではないのですが…)。そこで今年の旅行は家族の原点に帰るべく『我が家のルーツを訪ねる』をテーマに秋田旅行に決定しました。
我が家のルーツは、新羅三郎義光を祖とする常陸源氏・源昌義が在地名にちなんで佐竹と名乗ったのが始まりと思われます。家系図に載るような本家ではないですが、家紋が同じであることや、通字の『義』が代々続いている(なぜか父さんにだけはついていないのですが)ことなどから間違いないでしょう。そんなことを確かめたりしつつ秋田を巡ってみます。
秋田は東北ですが、今回の地震ではほとんど被害を受けず、旅行に支障はありません。むしろ多くの人に訪れてほしいとわざわざ知事さん(現在の知事佐竹敬久氏も我が一族!もちろん我が家よりずっと本家筋に近い)が声明を出しているくらいです。宿を予約し見学場所を決めるところまではよかったが、なんせ秋田は遠い!車で行くと約900km、所要時間10時間!列車だと新幹線を使っても10時間、運賃四人で10万円強!強行ですが自家用車を駆って行くことにしました。
初日、早朝六時に出発しますが、移動のみで10時間かかるので秋田県に着くだけ。それも秋田県でも南部の横手市まで。B級グルメで有名になった横手焼そばを食べて一日目は終了しました。
二日目、秋田市に移動し、今回のメイン『ルーツ探訪』にかかります。まずは居城の久保田城址見学です。ただし城郭はすでになく、千秋公園という市民の憩いの場になっています。でも、そちこちに遺構はたくさん残っており、見るべきところはたくさんあります。さらに秋田市立佐竹史料館という、今回の旅行にジャストフィットな素晴らしいところがありますのでじっくり時間をかけて見学しました。さらにさらに、歴史案内ボランティアという方々がいて、公園内を一時間半ほどかけてじっくり解説してくださいました。おかげで今回の旅行のテーマはバッチリクリア。おまけに現在の本家筋のお家事情なんかの裏話も聞けて本当におもしろかったです。
遅くなりましたが昼食です。やっぱり地元の名産品を食べねばなりません。まずは稲庭うどん。ご存知日本三大うどんの一つで、平べったく、黄色がかった乾麺なのが特徴。飲食店ではもちろん調理した物が出てきますが、うわさ以上の滑らかな食感に思わずトレビア〜ン。そして以降、いつもの旅行以上の、うまいもんコンプリート食いまくりモードへ突入していくのでした。次回に続く。
第222話『なまはげ』
2011.9/11掲載
『秋田ルーツを食べまくるツアー』は前回からの続き。
頃はちょうど8月3日。秋田最大の祭『竿灯』の初日です。本番は夜なのですが、その練習というかデモンストレーションというかを、秋田駅前で昼間からやっているということで早速見学。竿灯の技の見事さは就中です。私達も体験コーナーで提灯をぶら下げた竿を持ってみましたが、小学生用までならなんとかなりますが、中学生用ともなるとすごい重さに耐えられませんでした。その何倍も重い一般用は、見ているだけで腕が痛くなりました。いろんな意味で伝統を支えていくのは、すごい重みのあることだと痛感いたしました。
また、会場にいろんな店が出ていて名物も沢山味わえました。『ババヘラ』・暑い中、きれいなアイスの花は心身ともに癒されました。『甘寿司(飾り寿司とか飾り巻とも言うらしい)』・食べるのがもったいないきれいさ。でも食べる。寿司とは思えぬ甘さ。疲れた体にしみこんでいきました。秋田銘菓『金萬』・これしか売っていないという超専門店は屋号も商品名も金萬。どこか懐かしいほっとする味は、満腹のお腹にもすっと入っていきました。もう食べられない…ということで第2の目的地男鹿に移動。
最近は道の駅がおもしろい。ありきたりの商品ではなく、その土地土地の独特の物がおいてあって、旅行者にはワクワクエリアです。我が家も途中の道の駅で『岩ガキ』『生ウニ』『比内地鶏』などつまみながら進んでいきます。
男鹿半島といえばなまはげです。本物のなまはげの登場は大みそかだけですので、観光用になまはげの伝承館があります。なまはげの実演を見たり、なまはげ文化の資料を見たりして日本の文化を考え直します。(なまはげというのはかなり小さい集落ごとの行事であって、集落ごとに色々と違いがあるのだそうです。伝承館で見られるのは真山地区のなまはげで、ここのは古い伝統としきたりを厳粛に守っていると言われています。)『地震・雷・火事・親父』の親父は、本来なまはげみたいな役割をしなければいかんのだなぁ。やっぱり無条件に怖いって存在は必要だ、などと考え至りました。
2泊目は男鹿温泉。漁師の宿というふれこみですからちょっと期待できます。秋田で魚といえばハタハタです。ハタハタ自体は伊那谷でも売っていますが、やっぱり本場獲れたては違います。身が厚く甘みも強い。名物に値する美味でした。
あ〜そうそう、『いぶりがっこ』はどこででも出てきます。初めは独特の燻香が気になりましたが、慣れてくるともうやみつき。こちらに帰って普通の沢庵を食べるとものすごく違和感を感じるほどでした。
さあ、まだまだ食えるぞ、次回に続く。
第223話『辰子』
2011.9/22掲載
『秋田ルーツを食べまくるツアー』は前々回からの続き。
家からちょくちょく来られる距離ではないので、この時ばかりといろいろ見ておきたいのですが、秋田は広い。そして観光スポットがあちこちに点在している。八幡平・角館・乳頭温泉・象潟・玉川温泉など行ってみたいところはいっぱいありましたが、やむなくカット。そして最後の目的地に選んだのは『クニマス』で一躍脚光を浴びた田沢湖です。
男鹿から田沢湖の間にも道の駅があります。やっぱり立ち寄って『岩ガキ』『生ウニ』を賞味。総菜コーナーで『男鹿焼きそば』を食す。この男鹿焼きそばはしょっつるをソースに、昆布とわかめを麺に練り込んだという海の焼きそば。夏にぴったりの満腹知らずの逸品でした。
田沢湖ではまずは辰子像を見なければなりますまい。しかし、辰子像は観光客でにぎわう湖畔の真対岸。何もない20kmの湖周を10km行きます。突如現れた辰子像は金ピカピカ。酷暑には見るだけで汗が噴き出そうです。
さて、この辰子像の前で今回ちょっとした計画がありました。それは魚釣り。話題のクニマスはいませんが、鯉やウグイは復活しているということ。ぜひ復活の湖で釣りをしてみたいと思っていたのですが、辰子像前はすごい人だかり。魚はうようよいるのですが、ここで竿を振る勇気はちょっと…。少し離れたところでと思ったら、そこには魚はさっぱりいません。観光客がくれるえさめあてにみんな辰子像に集まっています。しょうがないここで決行だ!辰子像横のお堂の陰に隠れ、竿は使わず手釣りでいくぞ。えい、と投げた0.5秒後、20cm超のウグイゲット。速っ!あまりのあっけなさに次男も「やってみる」と。えい、0.2秒、20cm、速っ!
堪能する間もなく釣りを終えて早々と宿に入ります。
暑い夏、早い時刻、湖、とくれば泳ぐしかないでしょう。今回泳ぐ予定はなかったので、水着を持っていません。でも旅行も終盤を迎え、濡れてもいい服がいっぱいあります。次男と父さんはいざ湖へ!ばしゃばしゃ泳いで気持ちい〜!母さんは足まで入って水遊び、ノリの悪い長男は「俺温泉入ってくるわ」。
秋田旅行もこの宿で最後の夜。食べ残したものはないかなぁ?あ〜、きりたんぽ食ってないぞ。とか言ってたら夕食のメニューにきりたんぽ!これで今回予定していた秋田名物コンプリート。ついでに自分用お土産に、花寿司とハタハタの甘露煮買って帰えろ。そうそうこの辺、地ビールもいっぱいあるんだよな。車で来てほとんど飲めんかったからアリだな。
あとは10時間帰るだけかぁ…?朝早く出ればまだ寄れるぞ!次回に続く。
第224話『金色堂』
2011.10/7掲載
『秋田ルーツを食べまくるツアー』は前々々回からの続き。
秋田からの帰り道、どこかもう一か所くらい寄ってかないともったいない。高速道路からほど遠くない場所で、いくつか候補を上げてみました。仙台の被災地を見ておくのも貴重なことだ。盛岡でわんこそばもやってみたい。花巻の宮澤賢治も文学的だ。“白河の関越えんと”すのも芭蕉チックだ。で悩みに悩み、世界遺産になったばかりの平泉・中尊寺に決定しました。
高館・毛越寺・一関など近くにもいいところがいっぱいありますが、帰路の途中なのであまりゆっくりはしていられません。中尊寺のみに絞って見学です。
月見坂を上り、本堂を経由、いよいよ金色堂を目の当たりに…!できん。いや金色堂が遠くから一望できないのは当たり前。1288年に、時の幕府が覆堂を造って保護し始めて以来遠望はできません。しかし、覆堂の中にある金色堂が、更にガラスケースに収まっているとはびっくりしました。貴重なものですから、触れないようにしてあるのは理解できます。他の観光地だって立入禁止のエリアはいっぱいあります。でもあのガラスケースはいただけません。味も素っ気も情緒もありがたみも全部吹っ飛んでしまいます。せっかくきれいで荘厳なはずなのに…。
あっけにとられたまま駐車場に戻ってきますと、周りの食堂の看板に『わんこそば』と書いてあります。これはぜひ体験せねば!勇んで入店「わんこそばいっちょう」と注文しワクワク待ちます。しかしどうも雰囲気が違う。椀が飛び交い重なる音がしない、チャレンジ場面にある興奮とざわめきがない…。なんと平泉地方では、『盛り出し式わんこそば』という、初めから小分けされたそばの入った椀を数十杯まとめて持って来て、客が自分でお代わりを入れて食べる方式なんだそうです。え〜っ?あのホイッ、ハイッ、ホイッ、ハイッ、ホイッ、ウグッというやつが食べたかったのに…。計画になく事前学習をせずに行った平泉ですが、ちょっと残念なことになってしまいました。
さあ、あとは高速道路上を帰るだけです。しかし途中のSA・PAで休憩する度におもしろいものがありました。実際の観光地には行けませんが、高速道路が通っている辺りの名物を買ったり食べたりできます。フランクフルトに使われている肉の産地だけでも随分楽しめました。
今回の秋田旅行は、父さんにとっては20代のころからずっと行ってみたいと思っていたもので、『子供』と一緒の家族そろっての最後の旅行にもってこいの舞台になりました。そしてどういう訳か、いつもは不運な父さんに運がつきまくった!という不思議で最高な旅行でした。楽しかった!
第225話『南信マツカヴァの四季 春編』
2011.11/19掲載
ペタンクという競技に我が家がはまっていることは、何度となく書かせていただきました。長男が2年前のジュニア世界選手権に出場し、そのことも連載させていただきました。そして今年、長男がまたジュニア世界選手権に出場することになりました。
世界選手権は、2年に一度ですので連続出場ということになります。前回と同じく、地域に喧伝すべくマスメディアに連絡を取りました。するとどうでしょう、2年前は新聞3社とラジオ1社から取材していただいたのに、今回取り上げていただけたのは信州日報社様一紙のみ!(ありがとうございました感謝感謝です!)長男の通う高校でも、北信越大会ごときで垂れ幕ドーンと出すくせに、日本代表には公欠さえくれません。どうにもペタンクの認知度の低さと、待遇の冷たさを感じますが、そこは結果で見返してやりましょう。
今回の世界選手権はトルコ・アンタルヤ県ケメル市で開催されます。日本人はほとんど行かないそうですが、トルコ国内では有名なリゾート地。『天国に行くのにもう死ぬ必要はない』というのがキャッチフレーズです。おっと、しかし我々は遊びに行くのではありません。日本代表として戦いに行くのです。
えっ?ジュニア大会なのにどうして「我々」なのかですか?そ、そりゃぁ、長男は未成年ですから付き添いも必要でしょう…。父さんは全力でマネージャー役を引き受けましょう!いざ出発〜。
成田空港から飛行機・飛行機・バスと乗り継いで大会会場到着は深夜0時ころ。待ち時間も入れて松川からはざっと24時間の大移動でした。
翌日はちょっと寝坊をして体調を整え、一日練習&調整にあてます。おっとここでハプニング発生。チームのメンバーの一人が飛行機に乗り損ねて到着しません。次善策で明日早朝に到着する便で向かうとのこと。彼は日本チームの大黒柱、欠くわけにはいきません。が、無事到着を祈るしかありません。万が一にことも考えて、残りのメンバーでしっかり練習をしておきます。(大会は三人で戦うトリプル戦。チームは交代選手を含め4人で構成されていますから、万が一間に合わなくても出場に支障はありません。)
さて父さんは、練習を温かく見守って…などいません。実は帰国3日後に自分が出場する日本選手権が控えています。長野県代表として出場する以上、無様な結果は残せません。ですので代表チームそっちのけで自分の練習に没頭します。練習試合の相手をやった時も「かませ犬」なんかにならず思い切りやってしまいました。
さあ、こんなマネージャーのいる日本代表はどうなったのか?次回に続く。
第226話『南信マツカヴァの四季 夏編』
2011.12/9掲載
トルコペタンクジュニア世界選手権紀行は前回からの続き。
大会は3日間にわたって開催されます。初日はシューティングコンテスト(ペタンクの技術の中の、自分の球を敵のブールに直接ぶつけはじき出すティールという技の競技会のこと)と予選前半(5戦中の2戦)。日本チームのシューティングエントリーは未着の彼。仕方なく選手変更して臨みますがあえなく予選落ちしました。
やっと4人がそろって臨んだ予選前半はあっけなく2連敗。あっさり書いてしまいましたが、理由はこの2試合長男が出なかったから。ペタンクは3人が一人2球、計6球を投げ合う競技です。言い方を変えると、一人が投げる球数より、他人が投げる球数の方が多いのです。もっと違った言い方をすると、たとえ本人の投球がペケだったとしても、雰囲気を高めチームを盛り上げ他の二人のパフォーマンスを引き出せればその方がよいという競技です。今大会、長男が担った役割はまさにこの役だったのです。高校生の男女2人ずつの中に立ち、緊張感とリラックスをコントロールして高めるまさに触媒のごとし。その長男がテラン(ペタンクでのコートのこと)に立たないのですから負けるのは、あたり前(と、私には見えましたが、チーム首脳陣にはわからなかったのでしょう)。まあ、そんなことで初日は終了しました。
2日目は予選後半と決勝トーナメント1回戦。予選後半の3戦目と4戦目、今度はあっけなく勝ちました。なぜなら長男が出場したからです。長男の投球はペケなことも多いのですが、あとの二人のパフォーマンスは絶好調です。これこそが今回の長男の役割であり、長男の真骨頂発揮というところです。そして第5戦、勝てば予選突破、負ければ予選落ちの大一番。長男はメンバーから外れ、やはりチームも負けてしまいました。
ペタンクという競技は、技術はもちろんですが、運や流れやムードが非常に重要な競技です。なぜ連勝したメンバーを変えるのか?3戦4戦で作った良い流れをなぜ自ら捨てるのか?そもそも2年前の世界選手権から、長男の出ていない試合は一つも勝てておらず、長男が出て負けたのは、途中出場だった1試合だけなのです。この選手起用は負けを呼び込む自滅采配でした(と、私には見えましたが、チーム首脳陣にはわからなかったのでしょう)。
予選落ちした日本チームはネイションズカップという敗者トーナメントに回りました。1回戦、長男は先発したものの、流れを作る間もなくたった2メーヌで交代させられ当然のようにチームも負けました。
これで3日目は出場機会がなくなりましたが、それでも次回に続く。
第227回『南信マツカヴァの四季 秋編』
2011.12/21掲載
トルコペタンクジュニア世界選手権紀行は前々回からの続き。
大会二日目にしてすべてのプログラムが終了してしまった日本チームは、特にすることがありません。予定としては、レベルの高い決勝戦を観戦することくらいです。
そこで、やることその1。練習及び練習試合。日本同様に3日目にすることがなくウロウロしているチームがいくつもあります。そういう国を捕まえて会場の横で勝手に試合をしてしまいます。レギュレーションがあるわけではありませんから、ダブルスでもトリプルでもシングルでも。多国籍軍でも大丈夫です。大人が混じったってかまいません(いや、大人だけで楽しんでいる場合もかなりありました)。選手たちもいくつかの国と対戦していた様です。そしてもちろん父さんもいろんな国の人と対戦しました。
タイランドの前Jrシューティングチャンピオンとシングルを戦い11対13で惜敗したり、スペインのコーチと組んで、トルコ軍(仕事の終わった審判員)とダブルスをしたり、どこのだれかわからない六人でトリプルを戦ったり。もしかしたら今回遠征に行った日本人の中で、一番たくさん試合をしたのは父さんだったかもしれません。
やることその2。観光。観光と行っても会場地はリゾート地で、観光地ではありません。街中をそぞろ歩きし、町並みやトルコの雰囲気を楽しみます。買い物をするでもなくショッピングモールをうろついたり、地元の人と交流したりしていました。
やることその3。やっぱり泳ぐ。10月とはいえ、地中海に面したトルコ南部はまだまだ暑い。昼間は軽く30度を超え、強い日差しが降り注ぎますので泳ぐのはもってこいです。大会本部が用意してくれた我々の泊まったホテルにはプライベートビーチがあり、部屋から水着で海水浴。前回のチェニジアの対岸(?)にある地中海の石浜でリゾートです。どんどん泳ぐにはあまりにも近深で、あくまでもリゾート用の浜でした。ちなみに海水は対岸以上に塩辛く、少し泳ぐと鼻がつんとして退散しました。また、ホテルにはプールも二つあり、そこでタイランド大人チーム対日本の水球対決も行われました。時間切れ引き分けに終わりましたが、ペタンクで負けた溜飲は下げることができました。
このあたりを読むと、なんて豪華なホテルに泊まって贅沢を!と思われるかもしれません。確かに地元では五ツ星の高級リゾートホテルですが、3食、バス・トイレ付、ビーチ・プール・ゲームアトラクションコーナー使い放題のツインの部屋が、日本円で4000円ほど。日本の素泊まりより安い!
皆さまにトルコ旅行をお勧めしつつ、またまた次回に続く。
第228話『南信マツカヴァの四季 冬編』
2011.12/29掲載
トルコペタンクジュニア世界選手権紀行は前々々回からの続き。
大会三日目は日本チームに関わりがなく進んでいき、前回チャンピオンのイタリアが準々決勝で敗れ、過去11回優勝のフランスが準決勝で敗れ、決勝戦はタイ対ドイツ。両チーム大激戦で準決勝を勝ち上がり、白熱の決勝戦が予想されたのですが、結果は13―0でタイの圧勝。あっけなく大会試合は終了してしまいました。
大会の最後を締めくくるのはファイナルパーティーです。ごちそうを食べつつ各国の選手たちと交流を深めます。記念品の交換をしたり、記念写真を撮ったりと和やかに会は進みます。選手間で熱心にそして一番人気のある事は、ユニフォームの交換です。たいていの国はユニフォームを2枚は作ってきますから、1枚自分の記念にとっておいてもう1枚を交換します。なかには我が日本チームのように、初めから交換用に過去のユニフォームをもっていったり、練習用のシャツに国のロゴを入れ交換する国もあります。試合では活躍の少なかった長男も、ここでは大活躍。イスラエル・イングランド・カナダ・フランスと交換成立。2年前に交換したスイス・ウェールズ・中華台北と合わせて7枚のお宝が手元に残りました。
パーティーには大会関係者はみんな参加できますので、父さんも出席しています。写真を撮ったり、選手同士の通訳をしてやったり、記念品の交換をしたりしています。父さんにユニフォームはありませんが、そこはそこ。いろいろなアイテムを用意しています。帽子マニアの父さんが狙うは代表チームキャップ。2年前はカナダ、3年前(自分が出場したアジア大会の時)はタイ、と確実にゲットしてきた実績はダテではなく、今回はロシアチームの帽子を見事手に入れてきました。
夜も更け、お腹もいっぱいになったのでそろそろ引き上げましょう。これにて大会行事すべて終了いたしました。
あとは帰るだけですが、ただ帰ってはもったいない。トルコといえば古くはチグリスユーフラテス文明から、ローマ帝国を経てオスマントルコへと続く遺跡の宝庫。せめて少しでもと無理を言ってペルゲ(英名・ペルガ)遺跡というローマ時代の美しい近代都市の跡に寄ってもらいました。水路や石柱の残るメインストリートを歩き、市場や公衆浴場でローマ人になってくつろぎ、スタジアムで仮想古代アスリートと徒競争を戦いました。劇場が立ち入り禁止で入れなかったのは残念でしたが、トルコの歴史の偉大さが十分伝わる素晴らしい見学になりました。
こんな素晴らしい旅行もついてくる世界規模のスポーツ『ペタンク』。私ももっともっと腕を磨いて世界へ羽ばたくぞ!
第229話『謹賀新年』
2012.2/1掲載
今回の年末年始は、久しぶりに我が家で過ごしました。実に1999―2000年以来ということですので12年ぶりということになります。次男にいたっては、生まれてこのかた初めての家正月ということになります。年越しだけは家でして、明けてからすぐに温泉というパターンなどがありましたが、ずっと家で、家族だけで過ごすというのは初めてだったわけです。
年末は大掃除から始まって、しめ飾り作りや餅つき(餅まるめ)など忙しく過ごします。忙しいと言うものの、どこにも行かないということは大みそか除夜の鐘まで年末はあるわけですから、例年よりのんびりした年末だったといえるでしょう。
あけましておめでとうございます
家族そろってそばをすすって年越しをしました。そしてすぐに寝てしまいました。
新年はのんびりと、いやだらだらと遊んで過ごしたいところですが、今年はそういう雰囲気にはなりませんでした。なぜなら長男が受験生だから。こう書くと、なんか家中の空気がピリピリとして受験生に気を使ってそっと暮らしていた様な印象を持たれるかもしれませんが、そうではありません。そもそも、この正月にどこにも出かけず家で過ごしたいと言い出したのは長男なのです。私たちはどこに行こうかいろいろ考えていたのに…。まあ長男の心情は、過去受験生であった者にとっては痛いほどよくわかります。気持ちよく受け入れることに抵抗はありませんでした。
でも家族で遊ぶには一人抜けるとちょっとさびしい。ゲームをやるにも三人では盛り上がりませんし、麻雀なんかできません。仕方がないので受験生は家に残して、三人で飯田の仲間のところに行って、元旦からペタンクをやってきたくらいでした。
正月の風物詩はそこそこ実施しました。雑煮を食べ、もちを焼き、ごちそう(おせちは家族にあまりにも人気がないということで、好きな物だけ買うことにしてお重はやめました)をいただき…。初詣には近所のお寺に行きました。他の参拝者が全然いなかったので、きっと仏様も私たちの声がよく聞こえたと思います。しっかりいっぱいお願いをしてきたのでご利益を期待しています。
その後の七草粥やどんど焼き、鏡開きなどもしっかりやって、今年の招福を切に祈願いたしました。
さあ、正月気分もほぼ抜けきった1月14・15日、いよいよ受験の幕開けセンター試験が始まります。長男にとっては勝負どころとなってきます。正月の浮かれ気分を犠牲にしてがんばってきた成果を発揮してもらいたいものです。(犠牲にしたものが小さすぎるとの指摘もあるが…)
がんばれ!
第230話『鬼は外』
2012.2/21掲載
この連載が始まってすでに11年がたちました。我が家の年中行事を、つぶさにお伝えしてきたつもりだったのですが、ふと見返してみると節分のネタが一度もありませんでした。節分行事をやらなかった、なんてことはありません。毎年きちんとそこそこ楽しんでやっていたのですが、この時期は毎年正月ネタがいっぱいあって、連載にする隙間がなかったのが原因でしょう。
節分といえばなんといっても豆まきです。寒い時期とはいえ、掃き出しを大きく開けて家族そろって声を張り上げて鬼遣らいです。外に向かっては力いっぱい『鬼は外』。内に向かっては(あとで拾い集めやすいように)控えめに『福は内』。ストレス解消にも役立つでしょう。
まいたあとは家の中に散らばった豆を数え年の数だけ拾って食べます。昔は律義に数えていましたが、四十を半ばも越えると数はいい加減です。年によってはパック入りのバタピーでそのままおつまみに突入することもあります。それでも子供達には『数え年』とは何ぞやとかをウンチクしながらの大事な行事になっています。
昔は無かったのに近年になって大ブームの節分行事に『恵方巻き』があります。もとは大阪の風習らしいですが、京都育ちの父さんはそんな風習はまったく知りませんでした。ここ10年くらいでしょうか、どこの店に行っても巻き寿司が山積みにされていて、予約をする事さえ当たり前になりつつあります。
そんなにわか仕立ての商業主義に踊らされたことを我が家がやるわけがない、なんてことはあり得ません。存分に毎年楽しませてもらっています。とはいえやはり伝統的裏付けがないので、やり様はいい加減です。本来は七種の具を巻いた太巻きでなければならないらしいですが、我が家ではお好みの具を自分で巻いた巻き寿司でOKです。恵方を向くところまではやりますが、目をつむってとか、一言もしゃべらずとか、ひと口で丸かぶりなどは無視されることが多いです。
さらにこの日は、デザートもロールケーキなどの“なが巻きモノ”が用意されます。いつもなら四等分されるようなものを、丸かぶりと称して一本たいらげるのが贅沢で好評な企画です。
食事のメニューもやはり節分仕様で、必ずイワシが出てきます。ただ焼くのは、家じゅうが鬼じゃなくても逃げ出したくなるほど臭くなってしまうので、ちょっと時間をかけたメニューになります。梅肉煮とか明太子詰めなどになります。今年はちょっと楽してフライで済ませました。
さて、この節分メニュー、母さんと次男にはちょっと評判が悪い。学校の給食でイワシと豆と巻き寿司をすでに食べていて、「え〜、また〜」…。
第231話『卒業式ago』
2012.3/17掲載
今をさかのぼること20数年前。私も高校を卒業したわけで、きっと卒業式にも出席したはずなのですが、全く記憶がない。小学校の卒業式での呼びかけや、中学校の卒業式での答辞、大学の卒業式での記念撮影などはそれなりに覚えているのですがなぜか高校はさっぱり!
当時の自分の環境を振り返ってみますと、1月15日に共通一次試験(今日のセンター試験・あの頃は毎年試験日が1月15日の成人の日と決まっていました)に惨敗し、私立の受験予定の無い私は浪人確実という境遇。それでも一応二次試験(今日の一般試験・あの頃は前期とか後期とかがなく、試験日が三月上旬の1校のみの一発勝負でした)に向けて絶望の中でもがいていた日々だったと思います。
そんな中での3月1日(昔から公立高校の卒業式は3月1日もしくは2日に決まっています。あれは三月分まで学費を取るための陰謀だといわれ続けています)ですから、精神的にボロボロだったと思います。また私の出身校は(昨年度より近隣校との統廃合で消滅。校地には写真の石碑が建てられ、校名にわずかの名残をとどめるのみ。当時の京都府は『バス停方式』という進学制度を敷いており、公立高校を受験し合格すると、府教育委員会から自宅にもっとも近い高校への入学が指示されました。なので本来進学校とか就職校とかの格差はうまれないはずなのですが、卒業時にはなぜか偏差値にものすごい差ができていました。我が校は現役進学率が5%ほど。15%ほどが浪人をしますが、2年目も合格せず半分が就職していくという具合)ほとんどの者の就職先が決定しており、のほほんとした雰囲気は受験生にはつらいものがありました。
さらに当時は今のようにインターネットなどという便利なものがありませんから、大学の情報やボーダーラインなども自分の足で調べるしかありません。また、募集要項の取り寄せ、受験料の払い込み、受験地の宿舎確保、試験場までの交通機関の予約など全部自分でやっていましたから、勉強できないくらい忙しかったともいえます(前述のバス停方式での隣の高校は進学率が50%以上あり、こういう情報や、手続きを進路指導室が提供してくれていたそうです)。
うーん、これは卒業式の印象がなくても当たり前か、と思える厳しい日々ですなぁ。年明け以降学校にはほとんど寄り付かず、卒業式だけ久しぶりに登校したような感じだったのでしょう。
これに較べると長男の卒業は恵まれすぎています。周りは同じような境遇の者ばかりだし、学校や父さんという強力なサポーターを擁しています。そんな恵まれた環境での卒業・受験とはいかなるものであったのか?次回から大型連載の予定!
第232話『しんがく校』
2012.4/3掲載
皆さんは『進学校』と聞くとどのようなイメージをお持ちでしょうか。私は京都府出身なので、進学校とは私立の文一辺倒の厳しい学校というイメージです。そして成績上位者は京都大学・大阪大学に合格し、それ以外も都市部の国公立はあたりまえ(京都は全国一国公立大学が多いので)、私立なら全員関関同立(関西大学・関西学院大学・同志社大学・立命館大学のこと。関東でいうなら早慶上智みたいなもの)をめざす。やむなく成績の振るわない者が地方の国公立に進学する。そんなイメージです。長野県では、私立の進学校はほとんど整備されておらず、地区ごとに偏差値に差がある公立高校を受験するわけですから、地域最難校が必然的に進学校という扱いになっているのが現状です。
さて我が家の長男は、中学校の時に頑張ったのかその地域最難校に在籍していました。高校からは一年の時から進路情報などの説明があったのでしょうが、前述のイメージがあったせいかあまり真剣に聞いていませんでした。なのでいざ長男の進路希望を聞いた時の第一印象は「へ?なんで?」というものでした。長男の選択に文句があったのではありません。私のイメージと高校の実情との隔たりがあまりにも大きかったための「へ?なんで?」です。
長男に聞いても、先生方に聞いても、私のイメージとの隔たりは3スタンスほどありそうでした。そういえば文一辺倒ではなく、全国大会に出場する部活動があったしなぁ。長男自身も世界大会とか行ったしなぁ。
(でも、世界大会について言わせてもらうと、日本代表で世界選手権に出場するのに長男の高校は公欠をくれませんでした。他の選手の高校では公立私立に関わらず、公欠を出してくれたそうです。高校によっては壮行会まで開いてくれたと聞きました。この、公欠をくれないという事実は『本校においてはたとえ日本代表であろうとも、学業以外の事には便宜は図らない。武には惑わされず文に集中すべしである。』という意思表明だと受け取っていましたから、よけいに隔たりが大きくなったのでしょう。武も認めるなら、なぜ日本代表に公欠を出さなかったのか、非常に恣意的なものを感じます。)
おっと、話がずれました。3スタンスの隔たりがあるとすれば、「まずはセンター試験を受けてみて、その結果次第で最善策・次善策を考えよう」という長男の選択は至極妥当といいますか、現実的なものだと納得いたしました。しかし、この時点で親として不満を言わせてもらうと「なんでお前はそんなに○○したいという希望がない?嘘でも夢でも持つもんだろ!」。
この不満が大波乱を呼ぶセンター試験は次回に続く。
第233話『センターは8』
2012.4/15掲載
嘘でも夢でも進路の志望のない長男の受験騒動記は前回からの続き。
『まずはセンター試験を受けてみて、その結果次第で最善策・次善策を考えよう』という至極妥当で現実的な選択をした長男ですから、出願等現実的にやれるものと、全幅の信頼のもと任せておりました。
さてセンター試験ですが、現在はこんなふうになっております。
【国語】古典・漢文を含む1科目200点満点。
【英語】ヒアリングを含む1科目200点満点。
【数学】課程に合わせ2科目選択。それぞれ100点満点。
【社会】2科目選択、それぞれ100点満点。
【理科】2科目選択、それぞれ100点満点。
全部合わせて1000点満点。
これが基本の形で、あとは志望校に合わせて必要な教科・科目を受験したり、あるいは不要な教科・科目をパスするような形で受験していきます。そして受験教科・科目を登録し願書を出すのが10月上旬なのです。
長男は『まずはセンター試験を受けてみて、その結果次第で最善策・次善策を考えよう』という作戦なのですから、もし万が一奇跡が起こって1000点満点取れたりしたら京都大学へ!もし点数が伸びなかった場合には、比較的得点の高かった科目のみで受験できる大学を探す。というのがセオリーでしょう。
時は移って1月16日。センター試験を終え、自己採点でいよいよ志望校が決定します。結果を見ると
「おや?えらく低くないか?」
「日ごろの得点率と同じくらいだよ」
「だっていつもの得点率なら○○点くらいになるじゃん?」
「それは1000点満点ならでしょ。俺800点満点だし。」
???なんと長男は、セオリーを無視し、しかも『得意じゃないから』という理由で数学と理科を1科目しか受験しなかったのです。だ、脱力…。ちゃんと指導してやらなかったのがいけないのか、せめて確認だけでもしておけば…。これでは点数が高かろうが低かろうが受験できる大学がぐっと減ってしまいます。万が一奇跡が起こっても京都大学はあり得なかったわけです。志望がないうえに、自ら選択の幅を大きく狭めてしまうとは…。
仕方がありません、この状況で合格できそうな大学を探しましょう。しかしただでさえ少ない選択肢の中で、壊滅的に英語ができないという現状にあった大学・学部はほとんどありません。芸術系の学部に活路がありそうですが、芸術系はとんと才能がないときたもんだ。
それでも何とかやっとこさっとこ見つけ出し、ここを第一志望でと、まとまりかけたその時意外な告白が!次回に続く。
第234話『公私困動』
2012.5/12掲載
センター試験を終え、なんとか志望校が見えてきた長男の受験騒動記は前々回からの続き。
何とかやっとこさっとこ見つけた第一志望がまとまりかけたその時意外な告白が!
「私立も受けたいんだけど」
え!?それは想定の範囲外だったなぁ。
今回の受験にあたっての父さんの算段は、
@日本全国どこの都道府県に行ってもいい(別に海外でもいいけど)ので国公立大。お金の事もあるし、やはり国公立大の地元でのかわいがられ度は私立大の及ぶところではありません。
A浪人OK。1年くらい勉強だけしかすることがない、という特殊な環境に身を置いてみるのも長い人生では貴重な体験。どうせ下伊那では家から通える予備校もないのですから、一人暮らしの練習にもなるし。
Bいろいろ無駄にしない。今までやってきた様々なことを生かして(もしくは使って)進路を考えてほしいということ。ペタンクで世界大会に出場したこととか、補欠ながらも部活を続けたこととか、一応進学校(地域最難校)で学んだこととか、家族で日本各地を旅行したこととか。
北海道教育大学から琉球大学まで、京都で予備校生活まで想定していましたが、私立大とはびっくりしました。今までの進路調査や、学校での面談でも私立大のことなんか一度も話題に出たことすらありませんでした。いままでに『ここの私立大のこの学部に行きたいんだ』とか聞いていれば、学費のことだって今から節約してなんとか頑張りましょうとか、受験に向けていろんな下調べとかしてバックアップできただろうに。なんで今ごろいきなりに、というのが戸惑いの元です。急に私立大に行きたいと言われてもなんか応援しずらいというのが本音です。『落ちてしまえ』とは思いませんが、心の底から受験を応援しにくい感じです。
長男が言うことには、@浪人はしたくない。「俺がまじめに1年間勉強ばっかりできるわけがない」とのこと。《それが嫌ならなんで高校の3年間もっとしっかりやっとかんのじゃい【父の心の声】》
Aセンター試験から絞り込んだ学部が、やりたいこととずれている。《今まで特に希望はないちゅうとったやないけ》
B苦手な英語が受験科目にない。《だから苦労してセンター試験のあと志望校探したんやろうが》
言いたいことは山のようにありますが、それでも本人が初めて持ってきた自分の希望ですから尊重したいと思いました。国公立大は願書を出したし、私立大の願書も取り寄せて二校受験の方針でいくことになりました。
どっちに行くかはまだ決められないので、両校の結果が出てから悩むことにして次回に続く。
第235話『東京に10』
2012.5/26掲載
国公立2次、私立大入試も終わり、結果待ちの長男の受験騒動記は前々々回からの続き。
結果発表!1勝1敗。悩む必要もなく進学先が決定しました。この結果が良かったのか悪かったのか分かるのは四年後。充実した有意義な四年間にしてもらいたいものです。
進学先が決まったら早々に新生活の準備をしなければなりません。新生活の場は東京になりましたので、情報はたくさん入手できます。しかしあまり悠長なことをやっているわけにはいきませんから、一日で決着させるべく東京に乗り込みます。
事前の調査の段階で今回の新生活にあたっての父さんの算段は、
@贅沢をする必要はなし。最低限の生活ができればOK。いろいろ我慢するのも大切。
A学校に近いところ。自分の経験から、サッと下宿に帰れるくらいがよい。最低でも自転車で気軽に通学できる範囲がよい。交通費もばかにならないし、家・学校の往復だけなら無駄使いするところもない。
B自炊する。栄養面がなんだかんだとか言いますが、今や自分で料理くらいできないと恥ずかしい。今後の人生においてもいい練習の期間になる。
家賃や食費の事も気にはなりますが、そこは長男が有意義な毎日を送るためだと思えば、なんとかしようと思うのは親心。家族会議が開かれました。
長男が言うことには、@賄い付きが絶対条件。「俺がきちんと食事を作るわけがない。そんな事に煩わされるより勉強に取り組みたい」とのこと。《本当に学習に打ち込むんだろうなぁ。今までの生活を見てると到底信じられんが【父の心の声】》母さんまでが「こいつに自炊させたら栄養が偏って、ぶくぶく太るか、栄養失調になるわ。そういう心配しないでいい方が良いわ」とのこと。父さん案は却下されました。
A賄いがあるなら遠くてもいい。「高校時代も40分ほどかけて通学していたのだから、そのくらいなら平気」とのこと。《一日に何往復もすることも出てくるから面倒だぞ。交通費は自分の生活費から出せよ》母さんまでが「近くてたまり場になると困るから遠くていいんじゃない」とのこと。父さん案は却下されました。
Bトイレだけは共同はいや。「落ち着いてウ○コくらいできなきゃストレスたまる」とのこと。《これはわかる、聞き入れよう》
言いたいことは山のようにありますが、家族会議には従わざるを得ません。父さんと長男が一日かけて東京まで行って決めてきました。
家賃(バス・トイレ付、エブリデイ一日二食の食費込みで)●万円。登校時間約40分(定期代は自分の生活費から出す)に決定しました。
ここでどんな生活を送っているのか?機会があったらお知らせします。
第236話『春の間』
2012.6/27掲載
今年に入ってから、なんやかんやで我が家の生活の主役になっていたのが長男だ、という話は前回まででたくさんお伝えしました。その間の次男の様子はどんなんだったのでしょう。
生活の様子から言うと、まずはもうすぐ長男がいなくなるのが分かっているのでなんだか名残惜しそうでした。喧嘩もするし張り合ったりいじわるもしたりされたりしますが、やっぱり一番の仲よしの兄弟がいなくなるのはさみしいのでしょう。受験期こそ多少はおとなしくしていましたが、合格が決まるやいなや暇があると長男に絡んでおりました。
進学の準備や新生活の準備にもいろいろと立ち合わせましたが、そのあたりはひとことで言うと『羨ましそう』でした。一人で新しいところで生活するのは不安そうだけど、自由はおもいっきり堪能できる。しかも新生活のためという名目で、新しいものや便利なものをいっぱい買ってもらえる。多少のわがままやぜいたくを望んでも今回だけは許されている。そんな長男が羨ましかったのでしょう。さらに、先攻の長男が私立大学で、しかも東京に住むとなると、後攻の自分には国公立大学しか残されていないことを理解しているのか『きっと僕にはこんなぜいたくはさせてもらえないのに…。』という羨ましさもあったのでしょう。
長男がいなくなってからは、たいしてさびしげでもなく、自分の時間を堪能しています。長男が置いていった本を読んだり、空いた部屋を別荘として利用したり、テーブルやこたつのいい位置を占めたりと結構充実している様子。まあ長男の新学期が始まるということは、次男も新学期が始まったということで、学校が始まれば、日常の忙しさが普通の毎日になっていくのは人の世の常ですが…。
日常生活の中で、長男がいなくなったことの影響が最も大きく現れる点は、食べ物関係です。全体の量が3/4以下に減ることはもちろん、奪い合って食べるライバルがいなくなったので、個人の食べる量も多少減ったようです。しかし逆に増えたものも。ケーキやおやつのように規定量が決まったものは、今までは1/4でしたが、春からは1/3に。さらに、食べ物関係で好き嫌いの多かった長男がいる頃は避けていた食材が大いに利用されるようになりました。かやくご飯・魚介類・きのこ・しそ味・梅味・チーズケーキetc.そしてこのあたりが実は次男の大好物であったりするのです。
今までは二人兄弟の弟でしかなかった次男が、今は一人っ子となり、いい意味でいろんなものを一人占めできるようになりました。まあこれもいい経験というか貴重な時間ですのでしっかり味わってもらいたいですね。
第237話『旅は世につれ』
2012.7/22掲載
中学3年生になった次男の、春の大イベントは修学旅行でした。広島・京都・奈良と巡る2泊3日の旅行は、じつは次男にとって一度は行ったことがある所ばかりでした。まあ家族と行くのと友達と行くのとでは心理的に大きく違うので、それなりの楽しみがあると思うのですが、さてどうだったのでしょう。
初日は学校を出発して新幹線で広島へ。新幹線が初めてという仲間もいたようですが、次男にとってはもう慣れたもの。特にはしゃぐこともなくカードゲームで鉄路を楽しんだそうです。広島の原爆関連の見学地には、小学校3年生の時に行っています。小学生の時にはわからなかった事もあっただろうし、中学生だからこそ感じることもあったと思います。大人になって訪れても新たな感想を持てる所ですから今回のことを忘れずに、大人になってからぜひまた行ってもらいたいものです。
先生方一押しの『お好み焼きを昼食に食べる』というのも過去にじっくりかぶりつきで体験済み。しかも今回は作っているところは見られず、完成したお好み焼きが運ばれてきたそうで、ちょっと残念そうでした。
二日目は京都をタクシーを使ってのグループ見学。北野天満宮や金閣寺や養源院など有名所を見てきたようです。京都の神社仏閣はどこも見どころのあるいいところなのですが、修学旅行で行くと続けざまにいくつも見てしまい、結局どこも似たような印象しか残らないのが欠点です。次男にとってはほとんどが過去に行ったことのあるところだったので、ちょっとは違う感想がもてたかもしれません。
この日の昼食はグループごと好きな所でとる事になっていました。事前学習の時から「安くておいしくて京都らしいところ知らない?」と熱心に調べていました。京都らしいところは高い(しかもあまりおいしくない)のでなかなかみつかりません。そこで父さんがお奨めしたのは『京都大学の学食』。ここは安いし、うまいし、しかも行きたくても行けない人がいっぱいいるという京都憧れの食堂。でもあまりに突拍子もないと思ったのか次男は学校で提案しなかったようです。
三日目は奈良。ここも過去に行ったことがあり、仏像や宝物の通な見方を教えてやりました。奈良公園のシカと戦ったこともあるし乗ったこともあります。ただあの時はまだあまりに幼かったので、ほとんど記憶にないかもしれません。もっとも奈良は大人になってから見に行く方がおもしろいところで、シカと遊ぶのに抵抗がある中学生くらいで行ってもあまりおもしろさが分からないのです。
修学旅行という特別な旅行で行った各名所、次男の心にいい思い出として残ってくれているといいですね。
第238話『初帰省』
2012.9/19掲載
全国的にも夏休みが終わり、いよいよ2学期が始まりました。次男には来春の高校受験に向けてがんばってほしいところです。
さて、夏休み中のこと。今春から大学生として一人暮らしをしている長男が、帰省してまいりました。夏休みの期間がやはり小中学校と違い、八月あたまから、九月中旬までということで、八月いっぱい家にいました。
さかのぼること28年、父さんの初帰省のことを思い出しました。
大学に入って4カ月、仲間もだいぶできましたが休日までべったり一緒に過ごすような友達はおらず、一学期終了次第すぐに実家にもどりました。当時は急行『ちくま』という京都まで直通の夜行列車があり、この時もちくまに飛び乗り翌日の早朝に京都の実家にもどりました。京都に帰って何をやっていたかというと、友達めぐりと、都めぐりでした。
父さんの出身高校は進学率が低く、多くの者が地元で過ごしていました。進学した者は逆に地元にはほとんどおらず、長期休暇でもない限り会うことはできません。そんな訳でみんなで連絡を取り合って(今とちがってメールや携帯があるわけではないので手紙でやり取りしてました)連日いろんな友達と会っていました。地元の友達の家を場所に提供してもらい、日本各地の土産物を持って集まっていました。麻雀しながら全国の銘菓をつまみ、近況報告の毎日でした。
都めぐりの方は地方の大学にいると、「君は京都の出身なのか!それじゃいろいろ神社仏閣とか知っているんだろうね」などと言われることが非常に多く、「いや、実は行ったことないんや」では済まされなくなっていたからです。特に古典文学系の授業では、「現地の様子を教えてください」とか、「この寺からこの神社まで歩くとどのくらいかかるのかね」などと教官にふられることが多く、知りませんとは威信にかけて言えなくなっていました。それで友達と会わない日は、文学的・歴史的に有名な神社仏閣をかたっぱしからめぐっていました。のちに教員となり中学生を修学旅行に連れて行くようになった時、この夏の経験が役に立ったことが、怪我の功名というか行き掛けの駄賃みたいでなんかウハウハしちゃいました。
たいしたことないタラタラした日々も、それなりに人生に役に立つものだなぁなどと回顧しながら長男の夏休みを見てみると、タラタラを通り越してダラダラと過ごしています。友達と会うでもなく、出かけるでもなく、部屋にこもってダラダラしているだけです。もったいない!しかたがないので庭の草むしりを手伝わせ、家事をいくつか担わせることでようやく体を動かしていました。
来年からは帰省中の生活費を入れさせるか。
第239話『助っ人?』
2012.9/27掲載
現在、長男は東京で大学生として生活していますので、家族ではありますがあくまでもイレギュラーな存在になっています。家族で何かするにも『いつもの戦力』としては計算できません。どうしても助っ人(もしくは邪魔っ人)として考える必要があります。
我が家がペタンクにはまっていることはここにも何度か書いてきましたが、いま次男のペタンク熱が下がりまくっています。理由は「同年代の仲間がいない」とか「年寄りのスポーツみたいでかっこ悪い」とか「マイナースポーツでいちいちルールから説明しなきゃいけないから面倒くさい」とか「おじさん達がたばこを吸っていて臭い」とか「選手層が薄くて優勝とかいってもあまり自慢できない」とか言っていますが、ともかくお付き合い程度に続けているのが現状です。そんな中、長男の夏休み中に長野県の大会がありました。当初は父・母・次男でエントリーしましたが、まだまだペタンクに熱く、東京で一人トレーニングを続けている長男を『助っ人』として急遽登録変更しました。
試合結果の方は思いもよらぬほどの圧勝で、見事優勝を飾ることができました。この大会では今まで2位が最高だったので、喜ばしい最高の成績が残せました。次男だったらここまでの圧勝はなかったかなぁと思うと、助っ人として十分な働きがあった様に思います。
では、日常生活ではいかがなもんだったのでしょう。基本的には家でゴロゴロゴロしています。前話に書いた庭の草むしりは、多少手伝いましたがたかだか一週間ほどのことです。しかも抜き方が甘いせいで、ものの10日ほどで長男の担当箇所は草むらにもどってしまいました。助っ人というにはやや不足でまあ『お手伝い』のレベルでしょう。
あとは掃除もしませんし、洗濯もしません。東京で賄い付きの生活をしているのですから、料理なんか全く手が出ません。いやむしろ部屋を汚し、洗濯ものを増やし、食費を高騰させ、洗い物を増やし、メニューにいろいろ注文を出すのですから明らかに『邪魔っ人』でした。
とはいえこれは、いつもはいないイレギュラーメンバーであるがゆえの評価であって、春までみたいにずっと一緒に暮していれば、良いにつけ悪いにつけ当たり前のことだったはずです。長男が急にペタンクがうまくなったり、家事を手伝わなくなったわけではありません。長男自身はたいして変わっていないはずです。ということは、今レギュラーとして暮らしている次男や女房や私自身も「イレギュラーメンバーだったらどういう評価が…」という疑問もわいてくるわけです。
う、うっ。これはあまり考えないようにしよう。家庭平和のために。
第240話『週末ヒーロー』
2012.10/25掲載
「今、日本にはヒーローが足りない!」という声に応えるべく、日本各地にさまざまな週末ヒーローが誕生しています。あるものはアイドルとして無気力な若者に活力を与え、あるものは地域の復興と活性化に汗を流し、あるものはお金儲けのために気力をふりしぼり、あるものは自己満足と自己表現に心血を注ぎこむ…。目的は様々ですが、皆この世を少しでも充実したものにすべく全身全霊でヒーロー道に精進している方々です。なぜエブリデイヒーローでないのかというと、変身前の隊員が、学校だったり職場だったり平日は抜け出せない都合を持っているからで、ゆえに休日は自由なヒーロー活動にいそしめるわけです。
そしてなんと我が家にも週末ヒーローが現れました。毎週ではないのですが、連休中のどこかや、平日なのに地元の中学校が休みの日によく出現します。その名も『パジャママママン』。その姿かたちはどことなく次男にそっくりですが、ヒーローの正体が明かされることはないのではっきりとは分かりません。
特徴はなんといっても、起きてから寝るまで同じコスチュームのまま過ごすこと。コスチュームは季節によって変化し、夏は薄手のパジャマのような姿、冬は厚手のパジャマのような姿、春秋は気温に応じたパジャマのような姿。またヒーローの常道としていつ変身したのかさっぱり分からず、昨夜のままのような気もしますがはっきりしたことは謎のままです。
活動時間は、主に朝は次男が起床する頃から、夜は次男がお風呂に入る頃まで。活動場所は主に次男の部屋。ときに居間や台所で見かけることもありますが、絶対に靴をはかず、屋外での活躍は見たことがありません。
パジャママママンへの取材によると、活動の目的は『家族の平和を守ること』だそうで、具体的にどのように守っているのかというと、『温かく見守っている』のだそうです。取材班が垣間見たところ活動内容は、部屋で本を読む、部屋でゲームをする、居間でテレビを見る、朝昼晩ときちんとご飯を食べる、朝昼晩の間に自由におやつを食べる、風呂掃除をする、ベッドでゴロゴロする、少しは勉強をする、というものでした。
昔はお出かけが大好きで、買い物や催し物には必ずついてきたし、庭で遊ぶのだって大好きだったはずなのに…。部活をしていたころは休日のたびに何時間かは走り回っていたはずだし。長男が家にいた頃は、二人でなにかしらウロウロと外に出て悪事や良事を働いておったのに…。もっとアクティブだったのになぁ。
あっ…!い、いやいや…、パジャママママンの正体は誰にもわからないのだから…、そんな愚痴が出るはずは…ないのですが…。
第241話『相談しよう』
2012.12/19掲載
年末の学校の重大行事といえば保護者懇談会です。特に我が家の次男のような中学3年生ともなると、抜き差しならない話し合いが持たれます。
小学校のことはよく知りませんが、中学校では普通三者面談が行われます。先生と生徒とその保護者、奇遇でしょうか我が家にはその三者がそろってしまいました。
家庭との個別懇談は通常年二回持たれます。春の家庭訪問と、年末の懇談会。学校としては、家庭訪問は家庭の話を聞いてくる懇談、懇談会は学校側の話を聞いてもらう懇談と位置付けます。教師サイドから話したい内容を用意しておき、ある程度落とし所を想定して話を進めることになります。家庭サイドは「へへぇ、かしこまりました、善処いたします。」か「我が家は○○な方針でやっとります。」のどちらかに落ち着くしかないようになっているわけです。
教師側としては落とし所におとすための証拠をいっぱい集めておかなければなりません。生活面でも学習面でも「こういう証拠があるんだが、どうなっとるんだ!」という展開です(悪事だけではなく褒事についても)。この証拠集めが結構大変です。学習成績もただ点数を出せばいいってもんじゃありません。得意分野や不得意分野の洗い出し、得点の変動や順位、授業への取り組みや伸びしろの判断、また郡内全体の傾向まで用意します。中学ではそれを全教科について情報収集し、かつ視覚的に訴える資料にしなくてはなりません。小学校もたいした違いはありますまい。この時期母さんは狂ったように仕事をしまくっています。
家庭側のポイントは、先生からどんな情報を聞き出すのかということです。教員が通常教えてくれるのは一部の情報だけです。ですが、その奥には膨大な資料があるのですから家庭から突っ込んで質問していけば情報は山のように出してくれます。事前に懇談内容をお願いしておけばそりゃもうすごいもんです。その場にいって「うちは子供に任せてありますので、」とか「まぁどういうこと、お母さんはちっとも知らないじゃない。」などというのはもったいないの極致です。教師としてももうお手上げです。家で一度懇談会を保護者と子供で開いておいて、家庭なりの統一した見解を持って懇談会に臨みたいものです。
さて我が家です。中三の懇談会は実質もう入試相談会です。進路については折に触れて話題にし、子供の言い分も親の言い分も互いに伝えてあります。まだすり合わせきれないこともありますが、そのあたりを先生の資料を基に解決できればと思っています。
以前は生活のことでお叱りを受けることにドキドキでしたから、話題が学習のことに集中するならむしろ気が楽だ…。
第242話『畳六』
2013.1/1掲載
あけましておめでとうございます。今年も子育て父さんとその家族をよろしくお願いいたします。
さて皆さんのご家庭では決着をつける時はどんな方法をお取りでしょうか。微妙に大きさの違ってしまったクリスマスケーキを誰からどういう順で取るか、最後に残ったカズノコを誰が食べるか、こたつから出てミカンをかごに盛ってくるのは誰か?家庭内では様々な場面で決着をつけねばなりません。多くの家庭では手っ取り早く「ジャンケン」が用いられるようです。
我が家ではできるだけジャンケンを用いないようにしています。なぜなら父さんがあまりにもジャンケンが弱く、不公平だからです(通常ジャンケンは常に勝率1/3で、万人に公平だと言われていますが、それは嘘です。勝つ人は勝ち、負ける人は負けるのです。そりゃ何万回も続けて勝負すれば1/3に近づいていくかもしれませんが、問題は最初の1回です。そこが弱い人はやっぱりジャンケンに弱いのです)。
そこで多く用いられるのが『すごろく』です。すごろくと言っても市販の時間のかかるものではなり、子供達が小さかった頃に自分たちで作った折り込みチラシの裏を利用した簡単なものです。それだからこそ面白さもプレイ時間も我が家仕様のベストすごろくでもあるわけです。
ハンドメイドすごろくはいくつもあるので、まずどのすごろくで勝負するのか決めます。全員一致のこともあるし、多数決のこともあるし、ジャンケンで決めることもあります(このじゃんけんで父さんはいつも負けます)。すごろくが決まったら次は順番決めです。ここはやはりじゃんけんで順番を決めることになります(このじゃんけんで父さんはいつも負けます)。
いざ勝負!たださいころを振って出た数だけ進んでいく運頼みのすごろくなら父さんの負けは決まっています。そんな事はもうずっと前から分かっているので、すごろくを作る時から『大きな目を出した人が有利とは限らない』ルールのすごろくを作っています。そして父さんの大好きな『大逆転ルール』も兼備しています。
結果として各人の勝率はほぼ同率になり、公平な決着を見ることができます。ですが、同じ勝率であったとしてもじゃんけんだと絶対負ける父さんにとってはだいぶ得をしたような気分になりますし、無類の幸運を誇る母さんにしてみればだいぶ損をしているように感じるものです。かくして、今日も母さんは『面倒くさい』をたてにじゃんけんで勝負をしたがり、父さんは絶対すごろくを選択します。子供たちに遊ぶ心と時間のゆとりがある時には父さんに乗ってくれるし、急いている時はジャンケンになってしまいます。
今年はいっぱいすごろくができるゆとりある年になるといいですなぁ。
第243話『働く』
2013.3/24掲載
大学というところでは、日々の学問とともに入試という重大懸案がございます。特に私立大ともなりますと、年明けから三月下旬まで様々な形で行われる入試こそが最重要事項扱いです。そこで在学生の講座は一月中旬ごろで終了いたします。つまりは一月中旬から春休みという事でございます。我が家の長男も一月下旬から春休みに突入し、三月下旬まで帰省してきてゴロゴロしていました。
話題はかわりまして、我が家のすぐそばに保育園が建つことになりました。そしてその工事に先立って遺構発掘調査が行われることになりました。作業員は広く町内外から募集ということで、調査期間は一月下旬から三月までの予定。ん?なにかとぴったり合うような…。ということで長男が発掘調査団に参加することになりました。
長男にとって賃労働はこれが初めての経験。朝八時半から夕方五時まで、日給●円の肉体労働。そこらのコンビニバイトより給料は低いですがそこにはちょっと理由がありました。実は長男は大学で歴史学を専攻しており、発掘調査などもその範疇に入っています。大学で実際の発掘調査に関われるなんてことはそうそうないことで、つまり勉強を兼ねた貴重な体験の場として参加することに決めたのです。
もともとこの調査団には父さんが参加することに決めていました。理由は簡単『めったにない経験だから』。つまり我々にとってこの作業は『お金ではなく経験が報酬になる』仕事だったわけです。募集人員が少なかったので、いざとなったら二人で交代で出たり、無報酬の体験参加を申し出るつもりでした。
作業は予想をはるかに超える肉体労働。みなさんが発掘調査と聞いて想像するものとは全く違います。表土(発掘地は田んぼだったので起耕していた深さまでの土)はシャベルで掘り出す、その下は埋蔵物が出る可能性があるので(ほとんど出てきません)ジョレンで薄く掻き削る、当時の生活地盤だった赤土がでてくるまで続けて、住居遺構があればアタリなければハズレ、ということを繰り返します。遺構が出てくれば次の段階に進みますが、そんなことはまあないことで、田んぼを穴だらけにする作業に終始していました。たまに出る遺構ではもう少し細かい作業になります。スコップで残土を取り除き、遺構や埋蔵物の外郭を掘り出します。まあこの辺りまでが我々の作業。これ以上の技術を要するような刷毛で掃いたり細かいツンツンするような作業は現場監督のお墨付き作業員の仕事で、私たちには回ってきません。それでもたまに出る土器や陶器が珍しく、古代にロマンをはせながら楽しく働いていました。
そんなある日長男に!次回に続く。
第244話『やめる』
2013.4/7掲載
古代にロマンをはせながらの遺構発掘調査は前回からの続き。
一見単純そうな発掘穴掘り作業ですが、なかなかに難しさと工夫があります。いや、まずそれを見つけるのが重要です。
今回の作業員は、広く町内外から募集ということで発掘などというものをやったことがない素人がほとんどでした。にもかかわらず現場監督はなんのレクチャーもしてくれず、「みんなたいらに削っていって、出てきたらそこでストップです」というだけです。何をもってたいらというのか?何が出てきたらストップなのか?そもそも何を出そうとしているのか?さっぱりわからないままに始まりました。(後日談ですが、我々が「最初にレクチャーをしてくれたらもっと興味深く作業ができたのに」と雑談していたら、そこに猛然とやって来て「ここは学校じゃないんだ。そんなもの教えてられるか。文句があるならやめてしまえ」などと暴言を吐かれる始末。人を使うのは人の力なのですよ、作業効率を上げるも下げるも使う人次第なんですけどねぇ…。)
そうはいっても経験値は少しずつ上がってきます。より早く掘る方法、より丁寧に掘る方法、より効率を上げる分担、よりうまくできる道具の使い方など、いちいち書ききれませんがいろいろな工夫を身につけました。体力的にも次第に慣れ、初日は土掻きだけでヘロヘロになっていたものが、一週間もすると1.5mもの穴の底から箕いっぱいの土を投げ上げることが午後までできるようになりました。また、時々出てくる埋蔵物にも一喜一憂、その価値も少しずつ分かってきました。
そんなある日長男にクビ宣告が!現場監督が言うことには「この仕事は町の税金を使った福利事業で、収入の少ない人や、年金暮らしの人を優先するもの。普通のバイトではない」とのこと。それを納得した上で、父さんと長男が交代で出たり、無報酬の体験参加を申し出ましたが、受け入れられませんでした(これについての理由説明はなし。しかも作業詰所では金がない金がないと連呼。金はいらないという作業員をやめさせての言葉とは思えませんが…)。
福利事業は大切ですが、それ以上に大切なのは未来を育てること、つまり子どもや若者を引き付けることがこの田舎町で大切なことだと思うのですが、どうも我が町はそうは考えないようです。
まあしょうがありません。雇用者と労働者の不条理を学ぶのも大事な社会勉強です。退職金代わりにいい教訓を得たということにしておきましょう。しかし、翌日からすることがなくなった長男が、本当にゴロゴロゴロゴロゴロするのを「誰かなんとかしてくれ」という私の心の底から叫びは誰にぶつければいいんでしょうか。