第101回勝手に祝100回』

2006.2/2掲載

 この連載がついに100回を越えてしまいました。足かけ六年という想定外の長期連載!長男もこの四月からは中学生になってしまうというからビックリです。

 そこで、スクラップしてあるバックナンバーを読み返して見ました。

 連載当初は『父親』の目線から育児を見てみると意外な面が見えるとか、主夫ならではの子どもとの触れ合い方が説教くさく書かれていました。

 それがだんだん『佐竹家の父親』の目線に変わり、次第に我が家の子供成長日記の様相を呈してきました。

 最近に至っては、すっかり『お父さんのお楽しみ日記』と化し、育児や主夫のあり方にほとんど触れていないではありませんか。これはこれで面白いかもしれませんが、読んで下さる方には、なんの役にも立たないものになってしまいます。

 というわけで、今回はちょっとまじめに子育てについてお話ししていきたいと思います。

 テーマは子供の成長について。

 子供の成長と聞いてまず思いつくのは、ハイハイできて、しゃべり始めて、歯が生えるというあたりでしょう。この頃の成長を目にするのは、まことに劇的で驚きでさえあります。誰にそのシーンを見せてくれるかは運次第、見た者は自慢の種にできるほど。

我が家の子供が生まれた頃、私は働いていて、女房は育児休暇中。いいシーンはすべて女房のものになっていました。それを取り戻すべく私は主夫となり、その後の多くのシーンを目撃してきました。しかし劇的なシーンはだんだん減っていき、さらにその目撃者は、保育園や学校の先生にとって代わられました。

 ところで、私も中学教師として、いろいろな成長のシーンを見てきたわけですが、教員が見る成長と親が見る成長とはだいぶ隔たりがあるように思っています。

 教員は、在学中・学期中・単元中・授業中といった限られたスパンの中で成長をとらえます。いや、成長のシーンを意図的にねらっていくわけです。逆上がりを例にすると、教員は単元中にやり方を指導し、最後の時間にテストをします。一回でできれば◎、五回以内にできれば○、五回でできなければ△という具合に成長をとらえます。それはそれで劇的な成長で、教師冥利に尽きます。

が、親はもっと長いスパンで成長をとらえます。「この子が親になった時、自分の子供に逆上がり教えてやれるかしら」とか「この子が八十歳になった時、寝たきりじゃなくて逆上がり出来るくらい健康でいてもらいたい」というふうに。

 そんなわけで、この連載も人生的な長いスパンでとらえていただいて、「100回はまだまだ通過点。ほんの一合目。」ということで、今後もごひいきに!

  

第102話『視界良好2』

2006.2/11掲載

 子供の体の変化の早さには、目を見張るものがあります。良くなるのもあっという間なら、悪くなるのもあっという間です。

 春の検診ではA判定だった次男の視力が、秋の検診ではなんとCになってしまいました。(最近の学校での視力検査は、1・5とか0・ 8とか言いません。ABCDという判定が出されるのです。Aはよく見える(だいたい1・0)、B→C→Dと悪くなり、Cは0・5から0・1くらいということになります。ちなみに長男はD。[第77話参照])

 小さいころの仮性近視はあっという間に良くなることもあると期待して、次男と視力回復トレーニングに取り組み、ごまかしてきましたが、年明けくらいからますます見えない様子。テレビを見ていると知らず知らずのうちにどんどん接近していきます。こりゃあ回復の見込みなし。ほっとけばますます悪化してしまうと判断。仕方なく眼鏡を作ることになりました。

 まずは眼科に行きます。長男のとき同様に「何でこんなになるまでほっといた?」と怒られます。慣れているので聞き流し、眼鏡店に向かいます。

 長男ほど矯正が強くないので、たいした支障なく進みます。「落ち着きがない子なので、とりあえず壊れないものを」とお願いすると、店員さんもうなずいて探してくれます。「僕は青色がいい」という次男の言葉であっさり決まり、レンズも難なく決定しました。ドキドキドキドキ…。「御会計、19500円です。」おっ、長男のときより安い!そうか、レンズの矯正が少ない分、特殊なものじゃなくてもいいし、フレームも強いものでなくてもいいからか。やっぱり少しでも健康というのは安くていいなぁ、と実感して帰ってきました。

 後日、眼鏡が出来上がってきました。掛けてみると

「おおぉ!見えるぞぉ!」

次男の喜びの声が。あとはお決まりの視力検査。家中のありとあらゆる文字を離れたところから読んでみせます。次に眼鏡をはずして読めないことを確認します。30分ほどで検査を終了し、眼鏡をケースに片付けます。「あれ?眼鏡かけないの?」と聞くと「だって眼鏡かけてると不便だもん。」と答えます。長男が常時眼鏡をかけていて、暴れたり遊んだりしているときに壊さないように気にかけているのを見ているので、それが面倒くさいように思ったようです。「だって眼鏡かけてたらよく見えて楽しいでしょ。掛けたりとったりするの面倒だし、どこかになくしたら困るじゃん。」と言っても聞く耳持たずに遊びに行ってしまいました。くそぉ、眼鏡着用を機会に暴れん坊主卒業を狙って19500円はたいたのに…。

 今日も我が家で裸眼の少年が一人、あいもかわらず暴れています。

 

第103話『流行』

2006.2/18掲載

 流行に乗り遅れるのはなんとなくさびしいもの。かといって、何でもかんでも流行に乗ればいいものではありません。本当に自分にとって有益なものかを考え、自分なりに採りいれてこそ流行に乗ったといえるでしょう。

 また、流行に乗ってはならない場合もあります。その筆頭が冬の定番『インフルエンザ』でしょう。

 流行に鈍感な我が家のこと、まさかインフルエンザに罹るなんて思ってもいませんから、予防接種などしているはずもありません。しかし(だから?)今シーズンは、母さん・長男・次男の三人もが流行に乗ってしまいました。

一番手は次男。日曜の夜からグデグデしてると思ったら月曜日に発症。38度5分の熱を出し即病院へ。見事インフルエンザの診断をいただき、一週間の闘病生活ご招待。気管支炎にもなりかかっているということで、注射二本のサービスつき!

二番手は長男。火曜の朝に発症。こちらは38度9分ほどの熱を出し、自分ひとりでは歩けないほどフラフラしていました。当然インフルエンザの診断をいただき、四泊五日の闘病生活ご招待。のどが渇くと水を飲みすぎ、タミフル負けして嘔吐のおまけつき!

 三番手は母さん。水曜日に子供達の看病ついでにゴロゴロしていたら、昼過ぎに母さんが帰ってきました。「優しいじゃん、子供達のために早く帰ってきてくれたよ」と思っていたら、「私もダウンだから病院連れてって」と。38度4分の熱を出し、自分で車を運転できなくなって『父さん救急車』の要請。搬送先でインフルエンザの診断をいただき、四泊五日の闘病生活ご招待。仕事こそ休みましたが、逐次FAXで指示を出し続けるという大企業の社長のような療養生活でした。

 こうなってしまえばもう我が家はインフルエンザの棲家です。空気は澱み、どこへ行っても咳と鼻をかむ音と、ゼイゼイと苦しそうな息が聞こえてくる世界。あちこちから、あれをしてくれ、これをやってくれ、と嘆願の声がするばかり。白衣の天使もかようなまでは、というくらいのナースコールを請けまくりました。病人食を作り、薬を飲ませ、着替えを手伝い、熱を測るなど八面六臂の大活躍。さらに患者さんが寝静まるのを待って、買出し・掃除・洗濯・風通しなどをおこない、遅くまで白衣の父さんの仕事は続くのでした。

ここまできたら、いまさらマスクをつけようが、うがいをしようが父さんがインフルエンザから逃れることはできまいと覚悟を決めるしかありません。せめてみんなが立ち直るまでは持ちこたえよう、と特別スタミナ食をもりもり食べ滋養に努めました。おかげでいまだに発症していませんが、体重の大幅増加という副作用に苦しんでいます。

 

第104話『医ミシュラン』

2006.3/5掲載

 今回のインフルエンザ3連発で、ちょっと変わったことをやってみました。それは三人とも違う医者に行くというものです。特に意図があったわけではなく、時に応じて行きやすいところに行ったのですが、結果としてその差を比較できる有意義な行動になりました。

 次男が行ったのは「マンガや映画に出てきそうだね」というような古色蒼然としたA医院。玄関を入るとストーブがぽつんと置かれた薄暗い待合室。看護師・受付・患者が誰も居らず、奥から顔を出した老医師がたった一人で出迎えてくれます。

他に患者がいないのですぐに診察に入ります。しんどくてぐったりしている者にとって『すぐ診てくれる』ありがたさは何ものにも代えられません。ひと通り診察して「インフルエンザです。しかも気管支炎の初期。薬はこれとこれを出します。注射も2本打っときましょう。」と明確な診断が下されます。

この老医師は必要とあらば病人にも説教をするという剛の者。なんでもはっきり言ってくれるので、おっかない反面とっても頼りがいがあります。

薬代含めて1200円の診察料。

注射が、見ているだけでも痛そうなことを割り引いて、総合判定星四つ半というところでしょう。

 母さんが行ったのは本当は外科が得意というB医院。結構混んでいたものの「この時間なら診てやる」といわれた時間に行くと、ほとんど待たずに診察してくれました。

症状を詳細に聞き、インフルエンザの判定を下し、この後の生活の注意と、症状別対処法を指示してくれました。さらに「早く楽にしてほしい」という希望に応え注射1本打って、薬代含めて4000円の診察料。

えらく高いなぁと思ったら薬がいっぱい。解熱の座薬まで処方する念の入り。薬が大量なことをかんがみて、総合判定星三つといきましょう。

 長男が行ったのはC医院。ここはいつ行ってもいっぱいの患者。この日も予約時間に行ったにもかかわらず20分ほど待ちました。

診察は「インフルエンザだと思いますが、検査しますか?」「こういう症状ですがどうしますか?」という調子。薬についても「これはこういう効能の薬ですが、要りますか?こっちの薬はどうですか?」とこちらまかせ。インフォームドコンセントも結構だけど、こっちはなんにも分からないし、薬も買えないし、医者を頼って行くわけだから、明確な指示がほしいものです。これでは病気の不安がぬぐえません。

診察料は、薬代含めて3500円。総合判定は、不安と待ち時間とアフターフォローを考えると、星ん〜…。

どの患者も一週間後には治りましたが、いろいろ???の医院めぐりでした。

 

第105話『中学へ行く君に@』

2006.3/16掲載

 早いものでこの連載が始まったとき、小学2年生だった長男が、この四月から中学生になります。中学生になる不安や期待やいろいろがたくさんあるようです。

 一般的に、『中学に行くと』と言われることは、

@教科ごとに先生が変わる。これは確かに大きな変化ですが、最近は小学校でも少人数学習とか、コース別学習というのが流行っていて、いろんな先生に習ったことがあるので、戸惑うことは無いでしょう。むしろ同じ先生と四六時中顔を合わせないですむので、切り替え・リセットが利きやすくなるかもしれません。

A英語が加わり、教科名が数学・美術・保健体育・技術家庭などに変わる。確かに英語という教科が増えることはすごいことのように思えますが、勉強なんて常に新しいことを学んでいくのですから驚くことではないはずです。教科名は変わったところで、内容は算数・図工・体育・家庭科の延長ですから、まぁ変わらないと言ってもいいでしょう。

B勉強が難しくなり、量も増える。これはうそです。前述どおり勉強なんて常に新しいことを学んでいくのですから難しいのは当たり前。小学校となんら違いはありません。量だって、英語が増えることでそういうイメージがあるようですが、一日五時間、週五日は小学校と同じです。

C部活動がある。これは生活の大部分を占める大変化と言っていいでしょう。毎日の練習や、休日にまで至る活動は、時に家族の生活まで変えてしまうものです。部活動への取り組みが、中学校生活の一番の思い出になるのは間違いないでしょう。また、他学年の生徒とのかかわりの中で、社会性を育てるいい機会でもあります。目的を同じくするものの集団の面白さを十分味わってもらいたいと願います。

 D制服があり、守らなければならない校則がたくさんある。制服の是非は置いといて、校則という法律のミニチュアに縛られることは大切なことでしょう。社会に出たときにそれぞれのコミュニティーにはそれぞれのルールがあり、それを遵守することの大切さを練習するわけですから。さらに、ルールそのものの価値を考えたり、ルールを変える意義や手段を学ぶのにも役に立ちます。わけのわからない変な校則がある学校が紹介されることがありますが、それについて生徒が考えることに意味があるのです。(先生たちは理由付けをしますが)校則自体に意味はありません。

 さて、ここまで小学校と中学校の違いを書いてきましたが、実は一番大きな本当の違いをまだ書いていません。それは親には絶対にわからないことで、先生でも気付いている人は少ないでしょう。

 それは何か?は、次回に続く。

 

第106話『中学へ行く君にA』

2006.3/30掲載

 さて、前回なぞを残したままの『小学校と中学校の一番大きな違い』はなんでしょう?それは、中学生は一人前の大人扱いということです。(ついでに親も子供の親ではなく、大人の親扱いです)

 そんなこと知ってるよ、常識じゃん。電車だって、入場料だって大人と同じだもん。身長だってもうお母さんに追いついたよ。と思う程度のことではないのです。

小学校では、「できるかな?できたらいいな。できなくてもがんばろうね。」というスタンス。すべてのことを先生が教えてくれます。勉強はもちろん、生活面や、時に家での過ごし方まで教えてくれます。いわば、保育園のバージョンアップ版のようなものなのです。(小学校をばかにしているのではありません。言葉でのコミュニケーションがまだ怪しい六歳の子供に、集団生活を送らせるには、こと細かにいろいろと指導していかなくてはなりません。保育園と違い、多くの生活のきまりの中で、自分でなにかをさせるのは並大抵のことではないでしょう。手間と根気は小学校の先生が一番だと思います。)

 しかし中学は、「言うまでもなくできるに決まってる。結果にあらわれる努力をしましょう。」というスタンス。

勉強は、新しいことは教えてくれますが、その基礎となる学力と準備があるのが前提です。何を教えてくれるんだろう?という態度で授業に臨んではいけないのです。中学の勉強が難しい・量が多いといわれるのは、この前段階が身についておらず、戸惑っていることの表現です。

 生活面でも、例えば給食の配膳方法や、掃除の仕方は知っててあたり前。よりスムーズに、確実にやるにはどうしたらいいかを、自分たちで考えるのがあたり前。

 家での生活なんて学校が口を出すべきことではありません。何時に寝るとか、朝飯食べろとか、洗顔して登校しろとかあたり前のことで、十二年間の生活で自分の身についているもの。

 多くのことに自律的に取り組まなければならないようになっているは、社会のミニチュア版と言っていいでしょう。

 中学時代は、今まで育ってきた幹や枝を太くして、花をつける栄養を蓄える時期と言ってもいいでしょう。土を耕し、種を蒔いて、根を張る手伝いをしてくれるところではないのです。そこまでは自分でやってね、というところ。

 で、この辺のところを実は先生たちも分かっていないのです。だから先生からの要求は高くなり、子供や家庭は戸惑い、中学は厳しいとか難しいとか思われているのです。

 四月から中学へ行く君に…!もうこれを読んだからには安心して中学生になれるだろう。あっという間の三年間、十分に楽しんでくれ!

 

第107話『アルプス1万尺』

2006.4/21掲載

 三月も下旬になりますと、いよいよ春の香がしてまいります。花ほころび鳥歌い、野山も青々としてまいります。そんな中、我が家は冬真盛り(?)の中央アルプス・千畳敷へ行って来ました。

 ことのはじまりは長男の卒業記念に、両方の祖父母を招いて感謝の会を開くというもの。温泉で一泊してもらって、どこかいいところに連れて行ってあげたいと考えました。そこで思いついたのが中央アルプス・千畳敷だったのです。

ご存知のとおり千畳敷までは、バスとロープウェイで一年中登れます。しかも千畳敷にはホテルやレストランが完備しているので、季節に関係なく高山を体験できます。父方じじばばは一度行ったことがあるようですが、あまりの混雑で思い出がなく、母方じじばばは一度も行ったことがない。父さんは中学生を引率して、ロープウェイの上や下からは何度も見たことはありますが、千畳敷に降りたことはありません。子供達ももちろん初体験、母さんだけが既知の経験ということでした。

 その日は麓の駒ヶ根高原でさえ雪のちらつく絶好の雪山日和。初春の菅の台からバスで登っていきます。このバスが怖い!狭い山道を車輪ギリギリで走っていきます。最前席に座った父さんと子供達がいるのは崖の外側。高いところが嫌いな父さんはキンタ○を縮み上がらせていました。

 40分ほどで命からがらバスを降り、そこからはロープウェイで上がっていきます。時間にしてわずか7分のことですが、刻々と季節は逆戻り。緑減り、雪深くなっていきます。千畳敷はすっかり冬。(もっとも、真冬の千畳敷はもっとすごいのでしょうが…)積雪は3メートル。一面の雪原が吹雪にかすんで見えます。本来見えるはずの富士山や周りの景色はまったく見えません。マイナス8度の酷寒の世界、「マイナス8度なんて経験したことがない」とはしゃぐ父方じじばば以外は、早々にレストランに退避しました。

しかし、これで終っては父さんの名折れ、隠し持った荷物から携帯用『そり』をとり出します。そして寒風の中、そりを担いで決然と雪原に飛び出しました。

その後はソリで滑りまくります。面白さが伝わったのか、子供達もやってきて、一緒に滑りまくります。父方ばあちゃんや母さんも参加して、そり大会が開かれました。冬山監視員さんに「危ないのでやめてください」といわれるほどアクティブにそりを堪能しました。監視員さんは、麓にスキー場があるので、そこでそりをしろと言いますが、千畳敷でやるからこそ価値があるというもの。しかし危険と言われれば従うしかありません。かわりに、嫌がる監視員にむりやり我が家の記念写真を撮らせて下山してきました。

 ん〜冬もいいねぇ〜。

 

第108話『実録入学式中編』

2006.5/3掲載

幼い幼いと思っていましたが、制服を着てみるとうちの長男もそれなりに中学生のように見えるから不思議です。今回は中学校の入学式をドキュメントしてみましょう。

11時30分 今年の入学式は、珍しく午後に行われました。昼食を済ませてからゆっくり初登校です。初登校といっても中学校は小学校の隣にあるので、通学路は小学校のときと同じ。10分ほどの道を、父さんと一緒に歩きました。下校してくる近所の小学生に会うと、少し照れくさそうにしていましたが、本人なりに晴れがましい気分があったようです。

12時00分 中学の玄関で受付です。その頃には周りじゅういつもの知ったメンバーばかり。互いに制服の大きさ比べをしてリラックスムード。受付を済ませて各教室に入ります。

12時30分 保護者は控え室で待たされていますが、その間生徒たちは各教室で仮担任からいろいろな指導を受けます。入学式の段取りから、制服の着こなしのチェック、入場の順番に並ぶ練習などをしています。そして、いちいちうるさい仮担任に対して「この人が担任の先生になりませんように」と思った頃入場になります。

13時00分 いよいよ入学式が始まります。まずは新入生入場。一組から身長順に入場します。お母さんたちが花道を取り囲み、写真を撮ったりビデオを撮ったり大騒ぎ。それでも午前中に行われた小学校の入学式に比べればなんてことありません。まあ親もだんだん成長してるってことでしょう。長男は二組。身長順なので前から六番目くらい。小学校入学の時にはうしろから三番目だったのに、随分小さくなったもので…。

 式自体は普通です。式辞・告示・祝辞・歓迎の言葉など、中学生らしく粛然と進み無事入学式が終了しました。

13時50分 長男の学校では引き続き始業式が行われます。新任職員の紹介や、校長先生の話に続いて、本日最大のイベント、担任発表が行われました。二組は父さんと同世代くらいの男の先生。しかも国語の先生ということで、長男的にはなじんだ雰囲気。「この先生なら、まあ特に仰天することなく生活していけるかな。」というのが父さんの感想。

14時30分 教室に入って担任の先生の話を聞きます。新しい教科書をもらい、膨大な配布物を受け取ります。小学校と違い、提出物の書き方や出し方は生徒が聞いておいてくれます。その間親は廊下で役員決めをします。決定後教室に戻ると、生徒と先生が妙に仲良くなっていて親としてはホッとするところです。

「まあまあかな」が長男一日目の感想。さて翌日からどんな学校生活を送っているのか、はまた次回以降に!

 

第109話『リーダー』  

2006.5/11掲載

 阿南少年自然の家主催『春の野山で遊ぼう!山菜採りと山菜てんぷら・イチゴ狩り』というやつに次男と参加してきました。

 いつもならこういう学校経由で配られるビラなんて、たいして見もしないで捨ててしまう次男が、どういうわけか今回は家に帰ってくるなり「父さん、僕これに行ってもいい?」と聞いてきました。見てみると前述の阿南少年自然の家のビラだったわけです。

 内容は冒頭に記した表題どおりのもの。無料ではありませんが、驚くほどの高額でもありません。家族の予定表とつき合わせて、何も問題がなかったので、参加することにしました。(中学に入学したての長男は「ゆっくりしたい」という理由で不参加、母さんも長男に付き添って不参加。)

 さあ当日。いったいどれほどの人数が参加するのやらと思い阿南少年自然の家についてみると、すごい人数。定員を上回るほどの家族でいっぱい。家族総出はもちろん、三世代で参加というところも結構ありました。

 まずは班ごとに分かれて顔合わせです。我が家が入った班は、小一・年中ボーイズのいる四人家族と、小一・年少ガールズのいる四人家族との計十人の班。自己紹介に続いて係決めをします。係は子供が主体、親はそのサポートです。子供の中では次男が一番年上なので班長に立候補。満場一致で承認され、それ以降次男はずっと「リーダー」と呼ばれることになりました。

 昼食を食べいよいよフィールドワークに出発。次男と小一ボーイはすでに意気投合したようで、「リーダー」「アイボー」と呼び合ってじゃれ合いながら山菜採りに勤しんでいました。

 三時間ほど歩き回ったあと、今度は、いま採ってきた山菜をてんぷらにし、飯盒で炊いたご飯で五平餅を作ります。リーダーの指示のもと、かまどや鍋・釜の用意、食器の準備などがなされます。経験豊富なリーダーの父の助けもあって、我が班は順調に支度が進んでいきました。(途中、小さな子供たちのお守りとしてかくれんぼをして遊んでいたリーダーが、本気で隠れてしまい、みんなで捜索するというハプニングもありましたが…。)おいしくできた食事をみんなで食べ、後片付けもして、宿舎に戻りました。

 宿舎内でもリーダーは頑張りました。子供たちを指揮してベッドメイクをしたり、宿舎中大騒ぎしての探検ごっこを企画したりしていました。

 翌日も、朝食・天竜峡散策・イチゴ狩りと班の子供たちを率いて積極的に行動しました。

お別れ会で班メンバーの保護者からも「リーダーありがとうね」と感謝されるほど大活躍でした。

 家ではごまめの次男がこんなにリーダーとして頑張れるなんて、父さんもビックリの二日間でした。

 

第110話『ファーブル少年』

2006.5/30掲載

 次男の今年度の宿題に、「何でも日記」というのがあります。普通の日々の日記ではなく、自分が考えたテーマのことを毎日絵日記風に書いていくというものです。次男が選んだテーマは『昆虫の観察日記』でした。と言っても、夏休みの蝶の観察記録みたいなものではなく、毎日違う昆虫を見つけて記録をつけていくというものです。最近でこそ暖かくなり、昆虫も活発に動き出し、そこらじゅうで見つけられるようになりましたが…。

 そもそも、私たちが暮らしているこのあたりに毎日観察するほど多くの種類が生息しているのでしょうか?

 次男が昆虫の観察日記を始めた当初は私も懐疑的でした。しかし次男が毎日野山を駆けずり回って、何らかの昆虫をつかまえてくるのを見て、「身近な所にこんなに虫っているもんなんだなぁ」と驚きと感動をしました。

 もともと昆虫が好きだったのは長男です。小学校一年生から奥本大三郎のファーブル昆虫記全八巻(通常は小学校高学年対象の本)を読み、こむずかしい昆虫の名前をたくさん知っていました。しかし次第にその興味は、昆虫自体から、昆虫の生態→生き物の不思議→自然の神秘→サイエンスの魅力へと移っていきました。いまでも科学好き少年ですが、昆虫自体についてはあまり執着はないようです。

 それと代わって小学校二年生から奥本大三郎のファーブル昆虫記を読み始めた次男は今が昆虫熱一番熱いときなのかもしれません。クラスにもう一人いるらしい昆虫少年と、競い合うように昆虫熱を高めているようです。ただ普通の虫好き少年と違って捕まえて飼うことには興味がなく、つかまっている昆虫を見ると「かわいそうだね」というくらいです。(去年までは自分でもいっぱい虫を飼って、死なせていたことはもう過ぎ去ったことらしい。)

 好きな順でいうと甲虫類(カブトムシやクワガタの仲間)が一番のようですが、採集の難しさや国内産が外国産に比べて今ひとつ地味な感じがすることなどから、今関心が高いのは蜂や蝶のようです。先日はオオスズメバチの女王蜂(体長10p弱の大物。大人が見てもちょっとビックリ感動する代物です。)を興味津々に見ていました。

蜂も蝶も我々が普段呼んでいる種類より本当はもっと細分されていて名前も複雑です。うかつに「それ○○チョウでしょ。」とか言うと「違うよ。オオ●●××○○チョウだよ。」とか瞬時に訂正されてしまいます。

 少年期に誰もが一度は罹るファーブル熱、ひいていくのもあっという間です。いつまで続くか分かりませんが、それまでは私もつられて高熱を出しそうです。(慢性化すると困るなぁ…。)

 

第111話『腰痛はつらいよ』

2006.6/13掲載

 緊急事態発生!いつも元気な父さんが寝たきり中年に!

 109話で紹介した、阿南少年自然の家主催『春の野山で遊ぼう!山菜採りと山菜てんぷら・イチゴ狩り』というやつで、二日間で5時間ほどフィールドワークに付き合い歩き回った父さんは、疲労性ギックリ腰になってしまい一週間の半寝たきり生活を余儀なくされました。

 最初の三日間は寝返りさえうてず自力で立ち上がるには、痛みに耐えながら5分かけて立ち上がるという状態でした。四日目くらいからは、1分くらいで立てるようになりましたが、腹筋・背筋に全く力が入らず、体を支えておくことができないので座っていることもできず、やっぱり寝たまま過ごさざるを得ませんでした。一週間ほどでつかまり立ちでなんとか動けるようになり、ふぃーふぃー言いながら食事の用意はできるようになりました。社会復帰できるようになるまで、その後20日くらいかかりました。若い時のようには回復しないし、GWもどこにも行けないし、散々な腰痛でした。

 さぁ、主夫である父さんが寝こんでしまっては、家庭の中がまわりません。こんな時こそ家族の協力と団結が必要とされます。

 いつもは朝早々に出かけていき、遅くなるまで帰ってこない母さんが、洗濯や雑事を助けてくれるのは予想してはいましたが、意外にも次男がよく働いてくれたのにはビックリでした。

 朝起きるとまず「父さん大丈夫?」と声をかけ、スリッパを揃え、手を添え階段を一緒に降りてくれます。朝食の牛乳を注いでくれたり、着替えを取ってくれたり。いつもはぎりぎりに怒られながら『いってきます』をするのに、さっさと支度をして登校していきます。

 帰宅した時もまず「父さん調子はどう?」と聞き、朝食後の食器が洗われずにそのまま流しに放ってあるのを見ると、黙って洗ってくれます。言われなくても風呂掃除も終わらせ、自分の宿題もそこそこに父さんのそばに来て何かと気遣ってくれていました。

 一方長男は、中学校の生活のリズムになかなか乗り切れず、まだ父さんにかまっている余裕がない状態。弟ががんばっているのをどう見ていたのかわかりませんが、いつもと変わらぬ生活をしていました。(正確にいうと、いつもはいろいろうるさい父さんがおとなしくしているのをいいことに、いつもより手を抜いて生活していました。まあこんな機会も、長男にとってはちょっとした息抜きになったかもしれません。)

 さて、健康が何よりとはいうものの、父さんが腰痛から回復した現在の我が家、働き者の次男はどこ?優しかった家族はどこ?怪我の功名とは、難しいものですなぁ…。

 

第112話週末を』

2006.7/21掲載

中学生の週末といいますと、これはもう部活動に決まっています。

うちの長男も昨年度までのように、家族に付き合って遊んでることはできなくなりました。

親的には、休日は一緒に過ごしたいし、家族として取り組みたいことがたくさんあります。反面自分が教員だった頃のことを思い出すと、毎週末部活に打ち込んでいました。生徒たちにとっても学校生活の中で最も情熱を傾けるのは部活動で、楽しく熱心に取り組んでいたように思います。ですので長男が日焼けしていくのを頼もしく見守っているつもりです。

 さて、完全週休二日制になってから週末の部活動がちょっと変なことになっているのはご存知でしょうか?

 教育関係のえらーいところから、「週末のうち最低一日は部活動を休まなければならない」という御達しが出ているのです。では実質はどうかというと、前述のとおり(長男の学校だけではなく、おそらく長野県じゅうの中学校で)土曜・日曜と二日とも活動が行われています。どういうからくりなんでしょう?

 簡単にいうと、一日分は社会体育という名前を借りて中学校の部活動が行われているのです。(そのことは、教育関係のえらーいところだって知っているに違いないでしょう。)そのせいで、練習試合は○○中学対△△中学とは言えず、○○ジュニアクラブ対△△スポーツクラブなんてことになっているし、引率は保護者が他所の子供も送り迎えする『もしものとき』どうするんだという状態になっているし、果ては引率計画さえ保護者名で出されるむちゃくちゃなことになっています。

教育関係のえらーいところは、部活を一切ぶっ潰して社会体育に完全移行していきたい意向があるようで、今の状況にほくそえんでいるのでしょうが、これっておかしくないですか?

中学校の各種体育大会は、中体連(中学校体育連盟)という全国組織があって、そのもとに開催されているのに、部活動を学校から切り離すなんて矛盾だらけです。金と責任のかかることを、地域に押しつける丸投げにほかなりません。

 と、ここで声を荒げてみてもあまり効果はありません。なぜなら各学校の校長が教育関係のえらーいところの言いなりだからです(後々出世に響くらしい)。実際の活動は黙認(推奨?)しながらおら知らねぇと言い張ります。一人くらいは「うちの学校は週末も連休も思いっきり部活動をやる。社会体育になんか任せておけるか。そして部活動で学校を盛り上げ、地域社会までも活性化させてみせる。」という器の大きな校長はいないのでしょうか(口だけ言う校長は多い)。

 そんな校長のいる学校で私も顧問をしてみたかったなぁ。

 

第113話ヒーマの休日』

2006.8/6掲載

 三週連続で月曜日、家族の誰かが休みで、二人で過ごすという珍しい体験をしました。

 まず一週目は母さん。土曜日に体験学習が入った振り替えとして、月曜日が休みになりました。母さんと二人の休日は、昔を思い出す(?)デートです。

 そうは言ってももう昔には戻れません。ショッピングに行っても、つい子供達の洋服を探してしまったり。お茶を飲みながら口をついて出るのは仕事の愚痴だったり…。それでも子供抜きで過ごす八時間はどこか新鮮であり、懐かしくもあるという感じです。今後もこういう時間がたくさん持てればいいなぁと思いました。

 二週目は長男との休日。中学校生活には慣れてきたものの、土曜・日曜というと部活動にいってしまう生活の続いていた長男。久しぶりの休日に少し戸惑い気味か。また、ちょっぴり大人になってきて、父さんと二人きりというのもなんだか意識するのか、特別何もしない休日を選択しました。

 いろいろお出かけや遊びを提案しますが、「宿題があるから」とか「靴洗っとかなきゃ」とか言って家で過ごしました。いつもは次男の乱入でゆっくり父さんとキャッチボールやゲームとかなかなかできないので、そういうことをやりたいと言うのかと思っていたのですが、邪魔でもライバルがいないとやりがいもないみたいです。結局お昼ごはんを一緒に食べに行っただけで、あとは平凡に、のんびりと過ごした一日になりました。

 対照的にこれでもかというほどに盛りだくさんの休日を過ごしたのが三週目の次男でした。

 朝一番から昆虫採集につき合わされます。友達に聞いてきたという近くの森に自転車で行きます。山に分け入り目的の木を見つけるまでは自分だけでもできますが、木を蹴ってクワガタ・カブトを落とすにはやはり父さんのパワーが必要と同行を願い出たようです。(父さんパワー全開でキックしまくりましたが、残念ながら、この日はなんにも捕まえることはできませんでした。)

 次いで家に戻る間もなく桑の実採りに向かいます。数日前父さんが「山に桑の実がなっているのを発見した」と話していたのを覚えていてのリクエスト。お腹いっぱい味わいました。

 そのあとも、プール・買い物・サッカー・キャッチボールと休む間もなく遊びまくりました。そして遊びだけではなく、最後に晩ご飯作りも一緒にしました。ハンバーグ作りに挑戦し、たまねぎをきざんだり、混ぜたりこねたり大活躍。もちろんサラダや味噌汁もしっかり作って、長男と母さんを待っていました。

 三者三様の楽しい休日でしたが、やっぱり四人一緒のお休みが一番楽しいなぁ。

 

第114話『朝のお好み焼き』

2006.8/19掲載

 今年の夏は、広島への旅行を計画しました。中学生の長男が、部活を気にせず休めるのは今年が最後と思い、遠出の計画でした。

 さて、今回は父方のじじばばを伴い、六名様御一行二泊三日の計画。じじばば宅の京都を出発します。京都駅から新幹線で広島へ。新幹線初体験の子供達は、ホームに入った時から記念写真を撮ったり車体に触ってみたりおおはしゃぎ。乗ってからもトイレ探訪やグリーン車見学等、にぎやかな二時間を過ごし広島に着きました。

 広島は、暑い!連日40度近い快晴で、この旅行中本当に大変でした。そんな中、広島城見学を済ませ、この旅行の目的の一つ、広島風お好み焼きを食べに行きます。

 お好み焼き屋はあっちこっちにありますが、あまりの暑さに悩んでいる暇はありません。手近な店に飛び込みます。

 鉄板の前にかぶりつき、「薄い生地だねぇ」「キャベツは大盛だ」「焼きそばもしっかり焼くんだ」とか、うるさくしながらお兄さんのお手並みを拝見しました。味も絶品で、有名店でないのかもしれませんが、大満足の食事になりました。

 午後は今回の旅行の最大の目的地、平和公園です。61年前と同じくらいの猛暑の中を歩き、木陰も水もなにもない街を想像しながら原爆ドーム・動員学徒慰霊塔・原爆の子の像・平和の灯・原爆死没者慰霊碑を見て回りました。そしていよいよ平和記念資料館に入りました。

 中学一年生と小学三年生とでは感じることは違うでしょうし、まだ分からないことも多いでしょう。でも若い今、悲惨な戦渦を知り、平和の貴重さを心のどこかに留めてもらえれば十分だと思っています。見学直後、二人からは、親やじじばばの言葉を借りた感想しかまだ出ませんでしたが、今後の人生経験の中で、自分の言葉で感想を持ってくれることと思います。

 宿に入りのんびりご飯を食べ、夜の散歩に出ました。まだまだ暑いものの、昼とは違うたたずまいを見せる平和公園を歩き、原爆ドームまで来たときのことでした。すぐ近くからラッパと太鼓の音が聞こえてきました。行ったことのある方にはお分かりでしょう、原爆ドームの隣は広島市民球場なのです。その日は広島−ヤクルト戦が行われており、その盛り上がりが漏れてきていたのです。試合途中にもかかわらず、野球好きの父さんが「見ていくか?」あきれるじじばばを先に帰し、母さんと子供達を説得して入場しました。レフト最前席にかぶりつき、周りの雰囲気に合わせて「前田〜頑張れー」とかやっていました。

 思いもよらぬ充実した夜を過ごした父さんは大満足で、お好み焼きの作り方を思い出しつつ眠りにつくのでありました。

 

第115話『昼のもみじ饅頭』

2006.8/29掲載

 二日目は、広電に乗って宮島口へ向かうところから始まります。(前回からの続き)そこから連絡船で宮島に渡ります。

 宮島といえば銘菓もみじ饅頭でしょう。いろんな製造元と、販売店が入り乱れ、どの商品がおいしいのやらさっぱり分かりません。これは片っ端から食べてみるよりなさそうです。

 食べてみました。結果、やまだ屋のふつうのこしあんが一番おいしいことが判明。変わり餡はやっぱりウケねらいの感がありますし、他社のものは時間がたつとふんわり感が失せてしまいます。お出かけ予定のある方はぜひご参考に!

 さて、いくらよく食べる我が家でも、何でこんなに食べまくることができたのでしょう。それは暑さ!宮島も暑かった。商店街に入ると、あちこちから冷房が流れ出し、冷たい麦茶で誘われる。5mと進まないうちに次の店に入ってしまうという仕掛け。我が家は全員で見事に作戦に引っかかってしまったわけです。ですのでもみじ饅頭にとどまらず、ありとあらゆるものを食べまくることになりました。

 広島といえばやっぱり牡蠣。季節外れとはいえ、冷凍技術の発達した昨今では年中うまい牡蠣を食べることができます。店先でいいにおいをさせて焼かれてしまうと、いやでも食べてしまいます。牡蠣だけではさびしいのでついでにビールも…。

 暑いときはやっぱりアイスクリームが食べたくなります。バニラだけでなく、こちらもいろいろな種類があり、ついつい食べ比べをしてしまいます。「宮島限定」などと書かれているともう止めようがありません…。

 お昼ごはんはやっぱりアナゴ飯でしょう。これも店先でいいにおいで誘ってきます。さんざん食べているにもかかわらず、フラフラと食堂に入ってしまいます。メニューに焼き牡蠣があってまた注文してしまいます。あ〜もう食べられない、でもおいしい…。

 こんな状態でたかだか300メートルほどの商店街を抜けるのに三時間以上かかってしまいました。

 やっと厳島神社に着き、水に浸る社殿を見学。さらに弥山登山、水族館見学をし、宿に到着。

 宿に入りのんびりご飯を食べ、夜の散歩に出ました。まだまだ暑いものの、昼とは違うたたずまいを見せる厳島神社まで来るとだいぶ水が引いています。サンダル・短パンの父さんは一人鳥居に向かって歩き出しました。膝を越えるあたりで鳥居にたどり着きガッツポーズ!子供達にうらやましがられました。(しかし翌朝の干潮時に、みんな歩いてたどり着けたので、父さん一人の優越感は長くは続かなかった)

 思いもよらぬ充実した夜を過ごした父さんは大満足で、焼き牡蠣の香りを思い出しつつ眠りにつくのでありました。

 

第116話『夜の岩国寿司』

2006.9/8掲載

 三日目は、連絡船に乗って宮島口へ向かうところから始まります。(前々回からの続き)そこから山口県岩国に入ります。

 岩国といえば錦帯橋です。山頂の岩国城をバックに、五段の美しい橋の姿は、父さん的美観地ベスト3に入ります。今回わざわざここまで足を伸ばしたのも、父さんの強い要望によるものです。

 早速錦帯橋を渡って、まずは白蛇を見に行きます。アオダイショウのアルビノらしいですが、いかにもありがたそうです。しっかり拝んでおきました。次にロープウェイで岩国城に行くはずだったのですが、あまりの暑さにダウン。ちょっと早いですが食堂に入って岩国寿司を味わうことに。

 岩国寿司は大きな桶で、何段にも重ねて作る押し寿司ですが、客席に出てくるときには写真のような姿になって出てきます。味はあまり寿司飯っぽくなく、ほんのり甘みがついていていくらでも食べられるような感じ。それを証明するかのように父さんが三個、長男も二個おかわりしました。おまけに土産に四個も買ってしまいました。

 旅行も三日目になるとだいぶ疲れてきます。協議の結果、岩国城はパスすることに決定しました。近くの噴水公園で水浴びに変更。さらに100種類の味が揃うというソフトクリーム屋で涼をとります。

 最後に錦帯橋を戻り、河原に降りて錦川を楽しみます。橋の上からいっぱい魚が見えていたし、流れる水はいかにも涼しそうでした。靴を脱いでチャプチャプするつもりだったのですが、アクシデント発生!次男が水の中に転んでしまいました。ずぶぬれになった次男は開き直りました。どうせ濡れちゃったんだからとジャブジャブ水に入り、川で泳ぎ始めました。首までつかって清流で泳ぐ次男の姿はとっても気持ちよさそう。まねして泳ぎたいところでしたが、いろいろ事情を考えて自重しました。次回行くことがあったら水着を忘れずに持って行きたいところです。

 さあ、今回の旅行もそろそろ終わりです。新岩国駅から新幹線に乗って京都に戻ります。新岩国駅では、宮島から大事に持ってきたもみじ饅頭が売っていてショックを受けたり、おなかいっぱいなのにやっぱり駅弁を買ったり、子供達は待合室で名残の大喧嘩をしていたりしました。

 新幹線の中は、疲れて寝て帰るのかなと思っていましたが、駅弁を食べたり、車内販売でおやつを買ったりして楽しく過ごしました。

 二時間半後、一同疲れ果てて家に着きました。荷解きをしながらお土産のもみじ饅頭をほおばります。平和公園や厳島神社の荘重さが思い出されます。岩国寿司も食べてしまいました。錦帯橋の華麗さが思い出されます。

 本当に暑い旅行だったけど、本当に本当に楽しい旅行だった。

 

第117話『登下校』

2006.9/26掲載

 小中学生が登下校中に被害に遭うという事件が日本各地で発生しています。それは大都市圏だけにとどまらず、地方都市・さらには田舎にまでに広がっている身近な問題なのです。

 そういうわけで、わが松川町でも同様の事件が発生しています。幸い(?)にも今のところ人命に関わるような凶悪な事件は発生していませんが、こんなもの紙一重なものですから、安心している場合ではありません。町ぐるみで本気で取り組んでもらえれば一番いいのでしょうが、それこそ人命に関わるような凶悪な事件でも起こらない限り本気で取り組まないのがお役所です。頼りにしていても埒があかないので、各家庭で自分の家の子供達を危険から守らなければなりません。

 幸いにも我が家では、父さんがヒマをもてあましていますから、登下校に眼を届かせることができます。

 朝は学校まで一緒に行き(実は父さんの運動不足解消が目的だったりする)、校門まで見送ります。季節の移り変わりをともに味わい、野道の伝統的な遊びなどを伝えながらも、周囲に気を配りながら歩いていきます。

 下校時も買い物や散歩の時間を子供の下校時刻に合わせ、さりげなく様子を見守ります。まあ下校はあっちこっちで道草を食いながら、二時間ちかくかけて帰ってきますからずっと見ているわけにもいきません。それでも、通学路に見知らぬ車が止まっていないかとか(もしあったら中を覗き込んでナンバーをチェックしておきます。カメラでパチリも良い作戦です)、子供のおよその位置を把握するとか、大人の目があることを喧伝するとか、いろいろ対策になると思っています。

 そのうちに、子供のお友達の顔や名前やそれぞれの関係なども見えてきます。特に下校時は、学校で築いた人間関係の仲良しさんと一緒ですから見るべきものが盛りだくさん。参観日より役に立つことうけあいです。

 登下校を見守るのはOKですが、車で送迎をするのはNGです。登下校も大事な学習の時間ですし、時刻にあわせて支度をするのも大事な生活訓練です。そもそも歩くこと自体にも意義があるのです。(この問題についてはまたいつか項を改めまして!)

 さてある日のこと、学区内の危険マップが配られました。当然我が家の近所から見ていくわけで「おっ、この近くにも変質者出没か。なになに、『児童・生徒の登下校時にだらしない格好でフラフラ歩いている中年の男。カメラを持っていることもあり、止めてある車の中を覗き込んだりしている。何度も立ち止まって児童・生徒の方をじっと見ていることがある。』なるほど、怪しいなぁ」

 えっ?それってどう見ても俺のことじゃん!

 

第118話『漫画概論』

2006.10/4掲載

 漫画は面白いであります。疲れた心を手軽に癒すにはピッタリであります。

 現代では、漫画とひとくくりにしないで、テレビ漫画はアニメ、漫画本はコミックといって分けているようですが、ここではまとめて『漫画』でいきたいと思います。

 漫画の善悪については各所で論じられていますので詳しく書きませんが、父さん的には『基本的に善。過剰な摂取による時間の浪費が悪』だと考えています。何事もほどほどが肝要ということ。

 近年「読書よりも漫画を見る(読む)ほうが脳が活性化される」というレポートが発表されたり、漫画で知識増を狙ったものや、名作文学の漫画化など漫画復権の兆しがあり、同時に漫画=子供のものという図式も崩れつつあるように思います。

 私が一番漫画のすごさを感じているのは、絵の採択瞬間の必然性。漫画の一コマがその瞬間でなければならない理由を考えること。川上から桃が流れてくるときの絵は、桃はどのくらい沈み、おばあさんとどれだけ離れていて、川面はどれほどさざなむのか?これを考えながら読むと2ページで五分は楽しめます。

 我が家で今、一番旬な漫画は(冒頭部分を読んでわかった人はツウ)ケロロ軍曹という漫画。長野県では民放BSでしか放送していないので、テレビで見た方は少ないかもしれません。しかし、かなりキャラクターグッズなどにもなっていますので、絵を見れば「ああ、これか」という感じでしょう。次男が、お友達の家でビデオを見せてもらい気に入ってしまったもの。家でしきりに宣伝するのでビデオを借りて見ました。おもしろかった!それ以来ケロロブームが続いているであります。

 我が家でブームになるためには父さんに気に入ってもらうことが絶対条件です。ビデオにしても本にしても、家の中に持ち込むのは父さんの担当なので、父さんの食指が動かないことにはどうしようもないのです。なので必然的に『父さんシフト』の傾向があります。

 最近の我が家のヒットを振り返ってみると、

『釣りキチ三平』―父さん小学生来の愛読書。

『サスケ』―幼少期に夢中でテレビにかじりついていた。

『クレヨンしんちゃん』―下品だが(それも父さん好みか?)愛とやさしさにあふれた名作。

『カムイ外伝』―本当はカムイ伝が好きなのだが、子供達にはまだちょっと難しい。

『ボボボーボボーボボ』―久しぶりのギャグナンセンス漫画。

『ブラックジャック』―アッチョンブリケ!

『ゴルゴ13』―「・・・。」

と、父さんの好みがくっきりと出ています。

 この、『地震・雷・家事・育児』が、いつかアニメ化されるような名作になるとうれしいであります。

 

第119話『まちがえられる』

2006.10/19掲載 

 先日富士山に行ってきました(と言っても登山に行ったわけではなくドライブで五合目まで行っただけですが)。泊りでいったのですが、宿泊費節約のため車の中で寝ることにしました。御殿場の街中から少し離れた公園の駐車場に場所を占め、ワンボックスの座席をフルフラットにすれば、立派なホテルの出来上がり(ちょっと狭いですが)。寝袋にもぐりこんで「おやすみなさい」。

 草木も眠る丑三つ時、遠くの方から光がスーと近づいてきます。そして・・・「トントントン」窓を叩く音がします。恐怖のあまり目を堅く閉じていると「もしもし」と女性のか細い声…ではなく野太い男の声が。

 はぁ?と窓を開けてみると、制服姿の警官が二人。「この辺心中とか多くて。見慣れないナンバーなので確認させてもらいます。」その後、「何しに来たんだ」から始まって、「何時から止まってる」とか免許証の確認やらなんやらで、パトカーのそばで20分ほどいろいろ話を聞かれました。最後には誤解がとけたようで、「寒いから風邪ひかないように」と言って放免されました。しかしこっちはTシャツ一枚、裸足の寝起き。体は冷えきり、しっかり風邪をひいてしまいました。翌日は寝不足、よれよれ。居眠りで事故でも起こしたらどうするんじゃという一日になってしまいました。

 それにしても、心中と間違えられるなんて、びっくりするほどの間違えられようです。場所柄そういう人が多く集まってくるそうですし、目的を果たしちゃう人も多いのだそうです。また、心中ならずとも、自衛隊などが多くあるせいで不審車両などに対して警戒心の強い地域でもあるようです。

 もともと父さんは、この人柄のせいか間違えられることは多いです。第117話で書いた不審者と間違われた話はまだ記憶にも新しいところ。古くは、交通事故のけが人を介抱していたら、けが人と間違えられ救急車に乗せて行かれかけたこともあります。名前なんて正確に書いてもらえることのほうが少ないくらいです。町の公式文書さえ間違えた名前で届きますから…。

 そんな父さんの間違いは笑っていられますが(?)、笑っていられない間違えられが我が家におとずれています。次男が「保育園児」に間違えられると言う事例が相次いでいるのです。体は小学三年生の平均身長よりやや小さめではありますが、体重は標準的だし、三年生とは思えないこむずかしいことも話します。なのに、退屈しのぎに本を読んでいたり、とっさに計算とかをすると必ずといっていいほど「保育園なのにむつかしいことできるんだねぇ。」と褒められます。う〜ん困ったなぁ。いっそ幼児料金と言張ってみるか?

 

第120話『土竜』

2006.11/3掲載

 『土竜』読めますか?

 峻山を飛んでいた龍が、高峰にぶつかって谷に落ちてしまいました。その上から崩れた山が落ちてきて龍は土の中から出ることができなくなってしまいました。その龍が姿を変えたのが『土竜』です。

 そう『土竜』はモグラのことなのです。

 「モグラの姿を思いうかべてください。」と言うと、三つのタイプに分かれるそうです。一つ目はさっぱりうかんでこない。二つ目はなんとなくおぼろげにネズミみたいな姿が思いうかぶ。三つ目はくっきりとヘルメット・サングラスでつるはしを持った姿が思いうかぶ。こんな冗談があるくらい、モグラの姿はなかなか知られていないのです。

 まして生きて動いている姿となると、見たことがない人がほとんどではないでしょうか。我が家はそんな稀有な体験をする機会に恵まれました。

 我が家の庭に、様々な恵をもたらしてくれる『ほったらかし農園』があるのですが、その農園がモグラに荒らされまくるのです。堪忍袋の緒が切れた父さんが、モグラ捕りを購入し捕獲に乗り出しました。そしてついに先日、最終兵器を用い捕獲に成功したのです。

 仇敵モグラのファーストインプレッションは「おぉ、かわいいじゃん」。早速次男を呼んで観察開始です。

 次男にとって初のなまモグラ。(父さんにとっても初のなまモグラです。テレビなどで動いているのは見たことがあったし、死んだモグラなら子供の頃いっぱい見ましたが、生きて動いて手にとれるとなると初体験でした。)噛まれないように注意しながらいろいろ観察しました。

「目は小さいね。なんかの種みたいだね」

「すごい前足だ。爪が硬ってーな」

「鼻は意外とんがってんなぁ。わっ柔らけー」

「歯はこんな鋭いんだ。これに噛まれたら痛いだろうな」

「毛がすごくすべすべして気持ちイ〜!」

「しっぽはヒゲみたいで短くてちっちぇ〜」

「動くの速っ!モモモモモってあっという間にもぐってっちやう」

飼うか?という意見もありましたが、飼育は非常に難しいということであきらめました。(地下最強・地上最弱の生き物といわれるほど飼いにくいのだそうです)

 最後は学校に持って行ってみんなに見せることにしました。クラスでも珍しさとかわいさから大人気で大騒ぎになったようです。(先生、変なもの持ち込んですいません。死なないうちに我が家から離れたところに逃がしてやってください…)

 以来我が家はモグラブーム!布団の下にモモモモモ、タンスの中身をモモモモモ、シャツを着るにもモモモモモ、茶碗のご飯をモモモモモ、朝から晩までモモモモモ…。

 

第121話『りんごツウ』 

2006.12/8掲載

 この南信州に住み、まして松川町に暮らす方々の前で『りんごツウ』を名乗るのは恥ずかしいのですが、いまさらながら我が家では今、りんごブームなのです。

 きっかけは、今年度次男のクラスでりんご栽培の体験学習に取り組んだことです。品種の学習に始まって、作業内容の調査や病害虫の対策、実地の作業体験、そして間もなく迎える収穫まで。八か月間いろんな形でりんごに接していました。

 そんな環境の中、秋のりんごシーズン到来と共に一気にりんごブームに火がつきました。

 まず代表的なりんごをいくつかそろえて、食べ比べをしてみました。早生ふじ・王林・ジョナゴールド・陽光・シナノスイートの五種類でやってみました。すると、単独で食べていた時には気づかなかった味の特徴が、クッキリと浮かび上がってきます。ここであまり詳しく書くと恥をかいてしまうので詳細は述べませんが、そりゃあ、甘いの、酸っぱいの、香の強いの、ジューシーなの、と五種五様の違いがありました。翌日からはそれぞれ名前を伏せて、皮をむいて饗していきます。その結果、この五種類ならもう完璧に判別できるようになりました。

 その後、紅玉・シナノゴールドも利きりんごの仲間に入り、今後も続々と増えていく予定(?)です。

 我が家はもともと果物好きで、(第34話参照)日頃からたくさん食べてはいますが、利きりんごを始めてからは大変なペースです。仮に五種類のりんごを味見しようと思ったら、最低でも五個食べなければなりません。四人家族が食後に五個のりんごを食べるのはなかなか大変です。また、一種類につき一個では、種類の特徴なのか、個体の特徴なのかわかりません。同じ種類でも食べ比べてみる必要があります。それにこの時期りんごばかりを食べているわけにはいきません。梨も食べたいし、柿も出始めるし…。あ〜お腹いっぱい!

 昨年、我が家で流行した料理に『炒めりんご』というのがあります。もとは『鶏もも肉とりんごのバター炒め』という料理だったのですが、長男は中のりんごのところだけをおおいに気に入り、単独料理として独立させたもの。なんのことはありません、ただ多めのバターで、皮をむいてスライスしたりんごを、しんなりするまで炒めるだけのものです。

 で、利きりんごをしていたある日、長男が、「炒めりんごでも利きりんごをやってみたい。どのりんごがどんな味になるのか?どのりんごが一番炒めりんごに合うのか?生食とは違うりんごの味が発見できるのではないか。」と言い出しました。

 うーん、確かに興味あるテーマではあるが、もうこれ以上は食べられません。

 

第122話『餅は餅屋その玖』

2006.12/14掲載

 街にジングルベルが流れ、家々の立ち木にイルミネーションが輝きだすといよいよクリスマスです。ディナーにちょっとしゃれて手作りピザなんてどうでしょう。

 手作りピザなんていうと、「生地が大変なのよ。発酵させるのに時間がかかるし、ふんわりならないし、そもそも円く平らにするのだって大変なんだから。」という声が聞こえてきそうです。さらに「みんなの希望のトッピングしてたら何枚あっても足りないし、そんなに食べられないのよね。」という愚痴も聞こえてきます。そこで今回紹介するのは『超簡単セルフチャオズーピザ』です。

 【用意するもの】

 トッピングするもの(チーズは必須か?あとはお好み。パイナップルなどクリスマス向き、肉・野菜・和食材も結構いける)

 ピザソース(既製品にこだわるなかれ。ケチャップもよし、照り焼きのたれ・味噌だれ・たらこマヨネーズなんかもうまい)

 そして今回のカナメ、餃子の皮!

 『超簡単セルフチャオズーピザ』なんてかっこつけてもたいしたことはありません。要するに、餃子の皮にピザソースを塗って、おのおの好きなものを乗せてトースターやオーブンで焼くだけなのです。

 餃子の皮と聞いて、なんだか???思った方もいらっしゃるでしょうが、とんでもない。立派なローマ風ピザ生地になります。原材料はどちらも小麦粉ですからあたり前といえばあたり前です。

 この『超簡単セルフチャオズーピザ』がいいのは前述の不満が解消されるうえ、みんなで作ってその場で食べられるという楽しさが加わるところです。手巻き寿司や巻き巻き焼肉のにぎやかさと華やぎと共通するものがあります。自分が作ったのを食べるのもよし、誰かと交換して味わうもよし、闇ピザにして度胸を試すもよし、楽しい時間が過ごせることうけあいです。

 我が家ではすでに何度もピザパーティーが開催され、それぞれの好みもはっきりしてきました。母さんの好みはフレッシュ野菜系。ケチャップソースにトマト・ピーマン・コーンをたっぷり乗せチーズをちょっとかけたもの。長男の好みは肉系。ハム・ソーセージ・サーモンなどたっぷり乗せボリュームも満点。父さんの好みは海系。たらこソースにサーモン・エビを乗せ、牡蠣が入っていたら最高。問題は次男。好みはチャレンジ系!とりあえず思いついた妙な取り合わせをどんどんつんでいきます。そのくせ一番にお腹いっぱいになって「あとはあげる」の捨てゼリフ。得体の知れない組み合わせの残り物を食べるこっちの身にもなってくれ〜。

 おっ、これ結構うまいじゃん!

 

第123話『ところてん』

2007.1/16掲載

 昨今いじめ問題が深刻化しておりまして、子育てを語る私も、ここで扱わないわけにはいきますまい。

 そうはいうものの、お気楽子育てを標榜する私ですから、読んだ方と悩んでらっしゃる方が、「あぁ、そういう考え方もできるんだ」と気が楽になる程度のものです。正統派のいじめ論をご希望の方は読み飛ばしてください。

 さて、まずいじめって何か考えましょう。現在教育現場ではいじめを『被害者が不快に感じたこと』と定義しています。加害者側の意識や、客観的な事実は一切介入しないのです。これってなんか変ですよね。道で倒れたおじいさんを「大丈夫ですか」と抱き起こしたら「年寄りだと思って馬鹿にしよって、不快じゃ」と思えばいじめになってしまうということです。学校などでいじめアンケートをとっても実態が把握できないのはこのあたりが原因かなと思います。被害者にとっても、いじめ行為を取り除いてほしいのではなく、加害者の意識を直してほしいのではないかと思うのですが…。

 さらに人間の心ほど不思議なものはなく、悪意を背景にした善意とか、善意を含んだ悪意とか複雑なものがあるので、二択で「これはいじめ、これは違う」と簡単に判断できないのがこの問題の難しいところです。ある角度から見ると確かにいじめだけど、視点を替えるとそうとばかりはいえんぞ、ということが多いのです。報道や、噂で一方的な見方だけを聞き、これはひどいとかこれはおかしいというのは非常に危うい判断なのです。

 で、ここから導かれる結論は「いじめはなくならない」ということです。いじめに明確な判定基準がない以上、何を取り除き、何を許すべきかの判定基準もないのですから。過剰に取り除けば社会生活が立ち行かないし、過剰に許せばいじめが蔓延します。個別に問題が起こった時に判断処置をしていくしかありません。

 では、家庭で何ができるか。基準がない以上、いじめない子・いじめられない子を育てることはむりです。できるのはいじめに強い子・いじめられても大丈夫な子を育てることです。図太く、ある意味鈍感に、「俺がいじめられてる?それはないやろ〜。大丈夫大丈夫、なんもないって」と心の底から(うわべだけでは絶対ダメ)笑い飛ばせる『心の太い人間』に育てることが大切です。家族の絆の太さに基づいた日々の鍛錬が重要です。そしてこの家族の絆の太さが実は大きなポイントだったりするのです。

 そこで、我が家の子供達を見てみますと、家族の極太の絆と、父さんの厳しい鍛錬のおかげで、実に心が太く育ちました。しかし最近では何にでも「それはないやろ〜。大丈夫大丈夫。はっはっはっ」で済ましてしまう傾向が。

「来週テストでしょ?」

「それはないやろ〜。」

「テストできた?」

「大丈夫大丈夫。」

「点数は?」

「チッチキチーやがな。」「…。」

 次回、後半に続く!

【ところてん】テングサなど、寒天質を含む海草を煮て溶かし、箱に流して冷やし固めた食品。なぜ今回のタイトルになっているかは漢字で書くとわかります。

 

第124話『いぢめる?』 

2007.1/24掲載

 「いぢめる?」とは今から二十年ほど前に連載開始されたいがらしみきおという人の漫画『ぼのぼの』の決まり文句の一つ。当時頭をおさえてかわいく「いぢめる?」と言うのが流行りましたが、昨今の「いじめる」はかわいくないですね。(前回からの続き)

 いじめの根底をなす意識は、被害者においても加害者においても、連帯意識(連帯感)と疎外意識(疎外感)だと考えます。連帯意識と疎外意識はしばしばセットで現れます。

 いじめることによって誰かを疎外するかと思えば、いじめることによって連帯感を高めることもあります。いじめられて疎外感を持ったかと思えば、いじめられることによって連帯感を感じることもあるのです。聞くと変なふうに思いますが当人たちは大真面目。事件後「思えばひどいことをしてしまった」という反省の言葉や、いくらいじめられても、加害者と一緒に行動してしまった被害者の気持ちはこの複雑さにあるのです。

 一般的に連帯感と疎外感を半比例の関係でとらえることが多いのですが、これがいじめ問題の理解と発見を難しくしているのだと思います。そしていじめ撲滅の鍵もここにあると思います。

 連帯感と疎外感を比例の関係でとらえましょう。そうすれば、さっきの反省の言葉や被害者の気持ちがすぐ理解できるでしょう。そして撲滅へのスローガン『連帯なき集団に疎外なし』が見えたはずです。

 『連帯なき集団に疎外なし』なんとさらりとした水のように引っかかりのない冷たい言葉。ですが、これこそがいじめ撲滅への最短距離なのです。

 そもそも小中学校の同級生ってなんなのでしょう。親や先祖の都合で、たまたま同じ町に住み、たまたま同じ年の四月から三月の間に生まれただけのことではありませんか。そんな希薄な理由でたまたま同じ組になった者が、強い連帯意識をもって仲良くやっていくことの方が不思議です。「仲良くしよう!」なんて意識は持たず「机を並べることになったのも何かの縁。三年間そこそこやっていこうや」で十分ではないでしょうか。

 そんなこといったら学校が成り立たんじゃないか、と思われるかもしれませんが、小中学校のクラスというのは、その程度の生活訓練の場だと割り切ってみたらどうでしょう。そうしたらいじめだ仲間だ友情だと大騒ぎしていた肩の力が、すっと抜けるのではないでしょうか。

 そしてその分、部活や、社会活動や、趣味などの共通の目的を持って集まった仲間と、強い連帯感を育てればよいのではないでしょうか。

 人生いつも平均ではなく、ここは力を入れるところ、ここは軽く流してよいところ。そういうことも教えていかなきゃならない気がします。

  

第125話『門松』

2007.2/3掲載

 父さん史上、家に門松が飾られたことはありませんでした。父さんの出身地の京都は注連縄文化圏ですし、どう見ても竹が主人公なのに『カドマツ』という名前がどうも許せなくて飾ったことがなかったのです。しかし今年初めて門松を飾りました。

 きっかけは、年末に次男と参加した阿南少年自然の家主催の門松つくり体験でした。

 門松を飾ったことがないので、造作がどういうふうになっているのか見たこともありませんでしたし、まして作り方など全く知りません。次男と一緒に全くのゼロからの体験となりました。

 今回作ったものは、高さ30cmほどのもの(近所の店で見たら2500円くらいの)で、時代に合わせて『総天然素材』のものでした。

 まず枠を作ります。作るといっても直径15cmほどの竹を切るだけです。(直径15cmといいますが、実際見ると一般人には用意できないようなすごい太さ!来年以降自作するには、この竹・もしくは代用品の入手が鍵となりそうです。)

 次に立てる竹三本を切ります。太さをそろえ、長さをあわせ、切り口の角度を合わせ(一本を切って片方ひっくり返したらうまくいきそうですが、逆さ竹で縁起が悪いのでダメ)、表面を傷つけないように丁寧に切っていきます。切れたら三本まとめてしばります。

 その三本竹を枠の中に入れ、空いたスペースに切りくずや木っ端を詰めて固定します。この時ギチギチに詰めず、空間を残しつつ固定すると、最後の飾りつけの枝が入りやすくなるという利点があります。

 最も時間がかかるのが薦編みです。直径15cmの枠に巻くのですから45cm以上の薦が必要です。編み方を二種類紹介してもらいました。一つはおやすと同じ方法で編むやり方で、これなら一枚20分くらいでできます。もう一つは道具を使ってすだれと同じ方法で編むやり方で、これだと二枚で一時間ほどかかります。我が家は初体験のすだれ方式に挑戦しました。最初こそ手間どりましたが、慣れてくると、次男と二人で「♪こっち取ってホイ、あっち抜いてホイ」とか歌いながらいいリズムではかどりました。50分ほどで編みあがりました。

 編みあがった薦を黒い縄で巻きつけたら、あとは派手に飾るばかりです。松を挿しまくり、南天も実のたっぷりついたとこを飾ります。芽の膨らんだ梅も飾って、いよいよ春らしくなります。あと地域によっておやすを飾ったり、注連縄をつけたり、短冊を添えたり羽子板を乗っけたりするようです。

 完成品が写真のもの。売り物なみの立派なものができました。

 この門松が我が家の玄関で、一年ぶんの福を招いてくれれば最高です。

 

第126話『東京大自然』

2007.2/25掲載

 先日家族で東京に行く機会がありました。せっかく東京まで行くのだから、用事だけではもったいない。前日一泊して東京遊びを企画しました。

 東京のどこに行ってみたいかと聞いてみると、次男は即座に「パンダ!」と答えました。長男は小学校の修学旅行で東京に行ったことがあるので、特別どこかに行きたいという希望はありませんでしたが、「そういえば国立科学博物館で、忙しくてゆっくり見られなかったから、もう一度行ってみたい」と。そこで今回の見学地は上野に決定。

 家族四人で移動となると自家用車の方がお得。中央道は一本道で簡単ですが、首都高速道路と、都内一般道はごちゃごちゃしていてはっきり言って一見さんに運転は無理。しかもカーナビの付いていない我が家の車ではカーさんナビが頼りです。平気で「次のゴトチョウの信号で右折して」とか命令するカーさんナビを『御徒町(おかちまち)のことだな』と理解して運転していきます。朝六時に出発し四時間かけて東京上野公園到着。本当に疲れました。

 一月下旬だというのに東京はぽっかぽか。動物園を歩き回るにはいいお天気。まずはパンダ舎に一直線。母さんと、長男のイメージでは『パンダはじっとしていて面白くない動物』。おそらく修学旅行で大人数で詰め掛けたのでパンダも疲れていたのでしょう。私の中では『パンダはまめに動いてサービス精神豊かな動物』。平日ゆっくり長時間見ているのでいいシーンにめぐり合っているのでしょう。この日は後者。えさの笹をムシャムシャ食べたり、歩き回って背中を見せてくれたり。母さんと長男が喜んでいました。

 その後、動物園内をひと回りして、午後は国立科学博物館に移動しました。

 国立科学博物館は日本館が閉鎖中だったものの、すべてを見ているととうてい一日では回りきれません。それぞれに興味も異なることですから、集合場所と時間を決めて各自自由見学としました。

 長男は修学旅行ではゆっくりできなかった体験コーナーに一直線。ほとんどの時間をそこで費やしました。次男は生き物、中でも昆虫のコーナーに向かいます。しかし昆虫コーナーは次男の満足いくほどではなく、ほどなく恐竜コーナーへ移動していきました。動物園で歩き疲れた母さんはラウンジで休憩。ぼーっと動物園のカバ状態でした。父さんはミュージアムショップを冷やかしたり、次男を追っかけたりしてすごしました。

 最後に四人そろって『たんけん広場』で大騒ぎ。閉館時間で追い出されるまで昆虫や動物の生活を十分に楽しみました。

 しかしよく考えてみたら、なんでわざわざ東京まで行って自然を堪能してるんでしょう?

 

第127話『肉』

2007.3/6掲載

 まず川柳を一句

『肉だ肉 鶏肉豚肉 牛もかう』

 これは次男が学校で、俳句(川柳)の学習時間に作った作品です。気持ちがとっても素直に表現されていることや、“買う”と英語で雌牛のことを言う“カウ(COW)”が掛詞になっている(?)点などが評価されたのか、大島蓼太俳句大会で表彰されました。

 で、この川柳に素直に表現されているように、我が家は肉好きです。

 父さんの出身地の関西では、肉といえば牛肉のことをあらわし、豚は豚肉、鳥はかしわ肉と呼びます。(関西で肉まんといわず豚まんと言うのはこういう文化的背景からです)しかし我が家で言う肉とは関西風ではなく、豚鶏牛等、肉の総称です。そしてどの肉もみんな大好きなのです。

 そうは言っても我が家のことですから、高級な肉を買ってくるなんてことはありません。(頑張って買ったところでグラム200円までです。それでさえ買い物カゴに入れるときには手が震えるものです。)ですからそれほどビビッたりありがたがる必要はないのですが、なぜか食卓に肉があがるとえらく盛り上がります。

 肉の種類にはそれほどこだわりません(なんせ安いですから)。こだわるのは調理方法です。いろいろな経験上、一番うまいのは塩コショウでただ焼いたもの。肉の種類によって鉄板がいいか、フライパンがいいか、グリルがいいかの違いがあるくらい。あとは焼き加減にも多少のこだわりがあります。生肉が大好きな父さんの影響か、総じてレアがお好み。スポンサーつきでステーキとか食べに行くと、九歳の次男でさえ「焼き加減はレアで。ソースは塩コショウとバターにしてください。」と注文します。

 こんなに肉好きな我が家なのにも関わらず、今まで牛丼屋に行ったことがないことに気づきました(父さんは若い頃ずいぶん行った)。昨今の輸入牛肉騒ぎで、何かしらマイナスのイメージがあったからか、下伊那地方に牛丼屋が少ないせいなのか。家で作ったりレトルトを食べたりはしていたのに、なぜか牛丼屋に行ったことがなかったのです。これでは肉好きの名がすたる!早速行ってきました。

 店に入ると普通のレストランのようにまずメニューを開きます。しかし牛丼しかないことを確認し、「牛丼三つ、大盛一つ」と注文します。ガツガツ食って、長男は大盛のうえにさらにもう一杯おかわりします。お腹いっぱいになりレジへ行くとなんとあのハンバーガー屋さんより安いではありませんか!食べ盛りの我が家御用達決定!

 にわかに牛丼屋ファンになった子供達は、ことあるごとに「これ○個買ったら牛丼●杯食べられるぞ。」と“1牛丼”という通貨単位を作って暮らしています。

 

第128話『ここで一句』

2007.3/18掲載

 前回、次男作の『肉だ肉 豚肉鶏肉 牛もかう』という川柳を披露いたしましたが、実は日々俳句・川柳をひねっているのは長男なのであります。

 昨年四月から一日一句、日記代わりに俳句・川柳を作っています。今ひとつ文章力に欠ける長男に、小学校の頃は毎日日記というか作文を書くようにさせていました。ですが、中学に入学し、宿題に部活に忙しくなってきてあまり負担になってはいけないと、少しの時間でできる俳句・川柳を作らせることにしたのです。

 本来俳句・川柳だって短時間でほいほい作れるものではないのですが、書く手間を省くことと、風呂の中でも歩きながらでも考えられることを思えば、作文よりかなり手軽なものといっていいでしょう。しかも先ほど『ひねる』と書きましたが、長男は実際にはほとんどひねっていません。ストレートで、しかも一回作ったらそれっきりです。推敲を重ね、ひねりまくるのが俳句の面白さなのに、その辺はまったくわからないようです。

 しかしまあ何とかもうすぐ一年間を達成しそうです。(作り忘れた日も何日かありますが…)今から見返してみると立派な日記になっています。が、そこはやっぱり俳句・川柳。それだけ読んでも「この日って何があった日だっけ?」とか、「これってどういう意味?」というものが結構あります。作った本人でさえわからないことがあるのですから、周りのものには???の連続です。そこで父さんが、詞書を添えて、一冊の句集に仕立て上げることにしました。

 学校の計画表や、長男の生活の記録(小学校でいう連絡帳みたいなもの)の感想欄、家族の予定表などとつき合わせて解読していきます。そのおかげでほとんどの詞書が完成しました。

 一年分一気に読んでみると、その成長していない度合いがよくわかりました。なかには俳句・川柳とは言えず『超短編散文詩?』かと思われるものや、自由律も程々にと言いたくなるようなものもあります。

 しかし360句もあると、それなりに「おっ!」と思わせるのもあります。いくつか紹介させていただきます。

 初めて蕨採りに行って詠む     『わらびとり庭に植えれば雑草に』

 早朝から休日部活に        『ねむい目をこしこししながら自転車で』

 臨海学習一日目は雨        『雨ふって海に入れずイカさばく』

 久しぶりの部活がうれしくて    『時計みてアッとおどろく3時間』

 大晦日昼から頭痛でダウン     『頭痛するゆく年くる年昼にくる』

 前日の大雪が解けて        『くだけちるかまくらざんがいそりすべり』

        これじゃただの親ばかの自慢だよ…。

 

第129話『組替え』

2007.4/4掲載

 次男の小学校では三年生から四年生に進級するとき、長男の中学校では一年生から二年生に進級するときにクラス替えが行われます。

 父さんの出身地京都では、小学校は三年進級時と五年進級時の二回、中学校では毎年クラス替えがありました(今は知りませんが)。これが普通だと思っていましたから、わたしが長野県教員になったときにはずいぶん戸惑いました。当時、三年間クラス替えなしが主流の中学校の教員だったので、特にびっくりしました。多感で成長期にある中学生と三年間もずっと一緒だなんて、責任が大きすぎます。生徒にしたって受ける影響が大きすぎるように思います。だって、中学時代の思い出はずっと同じ先生との思い出なんですから。またクラスメイトについても同じことが言えると思います。ウマが合う奴合わない奴。好影響も悪影響も一心同体です。いい中学時代を過ごせるかどうかが、一度きりのクラス編成で決まってしまいます。

 『三年間じっくり指導できる』のがよいと偉いさんは言いますが、弊害のほうが多いのは、昨今クラス替えが増えてきた実情が証明しているでしょう。しかし当時いくら私がクラス替えを主張しても聞き入れられませんでした。なかには「ここは長野県だ」と怒鳴りつける教頭までいたくらいで、トホホでした。

 教員側から見ると毎年クラス替えがあると、「勝負は一年間。思い切ってやる。」と立ち上がりが早く、しかも自分の専門性を生かせるのです。専門性とは、例えば『入学直後に生活と学習の習慣を付けさせるのがうまい先生は毎年一年生の担任』、『進路指導に長けた先生は毎年三年生の担任』という具合。学校内での仕事がプロフェッショナルなのです。生徒も保護者も安心して任せられる環境がありました。

 生徒側から見ると、いやなことは「一年我慢すればいい」だし、いいことは「今のチャンスを逃せない」と短いスパンで完結させることができるのです。リセットとスパートがかけやすい環境があります。

 中学校では部活動があるので生徒同士横のつながりが強くなります。クラスを隔てた情報交換が盛んになるので、どうしても担任の比較・品定めが行われます。その場で自慢げに担任を語る生徒がいる一方で、いいなぁと指をくわえる生徒もいるわけです。知らぬは担任ばかりなり、です。

 さて、我が家では次男がクラス替えを嫌がっていました。よほど居心地のいいクラスだったのでしょう。担任の先生も転任すると分かり、クラスのお別れ会をやったときには「泣きはしなかったけど寂しかった」と言っていました。

 さぁ四月からはどんなクラスになるか?楽しみ半分、不安半分。

 

第130話『勉強して来い』

2007.4/18掲載

 勉強して来いったって児童・生徒のことではありません。先生のことです。先生のことったって研修や自己研鑽を積めということではありません。人事異動の話しです。

 先生は、長野県に採用され市町村から任命されて職場が決まります。ですので本来なら市町村教育委員会から「○○先生を××中学校の職員として迎えたい」という申請があり、県教育委員会がそれを認可するという段取りで赴任先が決まるはずなのですが、実際はそうではありません。詳細については私のような下っ端が知る由もありませんが、簡単に言うと、地区の校長が集まって先生たちを取り合う(あるいは押し付け合う)のです。

 その集会に先立って各校で先生方の希望調査がおこなわれます。住居や家族、取得免許の都合で、希望を聞いてくれる(聞き入れてくれるわけではない)のですが、その場でよく言われる台詞が「勉強して来い」なのです。

 『勉強して来い』をいい意味で通訳すると「いろいろな経験を積んで来なさい」ということになります。山間部の学校で『勉強して来い』といえば次は都市部の学校に行けということ。少人数の学校で『勉強して来い』といえば次は大人数の学校に行けということ。高学年の先生に『勉強して来い』といえば次は低学年を担当せよということ。もちろんその逆もあり、つまりは今までの環境の反対の経験をしなさいということなのです。

 これを読んで「先生もやっぱ経験を積まなきゃな。俺も技術者だけど昔は営業もやったもんだ」と感心されるとちと違う。何が違うかというと、一般社会で経験を積むときは、見習いから始まり、下積みを経験して一人前の仕事を与えられるのですが、先生の場合はいきなり一人前の仕事から始まるのです。昨日まで事務仕事をしていた人に、いきなり家一軒建てろというようなものです。

 先生にとっては戸惑いはあるもののまあいいでしょう。今後の教員生活のなにがしかの肥しになるでしょうから。でも担当された児童・生徒にとってはしゃれにもなりません。お試し期間中の芥となり、肥しにされてはたまりません。

 前号で先生の専門性について書きましたが、この『勉強して来い』を憚らず通訳すると「せっかく身に付けた専門性と能力をできるだけ発揮しにくい環境への配置換え」に他ならないのです。

 そりゃぁ、新しい環境のほうがうまくいく先生や、どんなところでも能力のある先生もいますが、そうそううまくはいきません。当たるは六卦当たらぬは八卦くらいに心得ておきましょう。

 さあ、四月から御子息・ご令嬢の担当になられた先生、前任地はどんな学校ですか?

 

第131話『いたずら天使』

2007.5/9掲載

 129話で書きましたように、今年度長男・次男ともにクラス替えがありました。クラス替えのあった年の春の恒例行事といえば、家庭訪問です。(そう言えば以前はクラス替えなど関係なく、毎年家庭訪問ってありましたよね。20年ほどまえから徐々に減ってきて、今ではクラス替えのあった年・組だけのものになってしまいました。)

 まず我が家にやって来るのは次男の担任の先生。今春当地に赴任してきた先生で、町内には不慣れ。しかも我が家は初日の一番。ちょっといやな予感がします。

 ビンゴ〜!予定時間を10分すぎても先生は現れません。懇談時間は15分しかないのに…。次男と二人で大きな通りに出て探してみますが、先生がどんな車に乗っているのかわからないのでただ立ってることしかできません。(私は教員の頃、家庭訪問通知の中に必ず『洗車してない青いワンボックスで伺います』とか書いていました。)

 時間切れ間際に、先生がうろうろしていた次男を見つけて邂逅できましたが、家までの道すがらに懇談は始まり、家にあがると必要最小限の確認だけして先生は去っていきました。三年間で一度だけの家庭訪問なのにちょっと寂しかったです。

 数日後、今度は長男の担任の先生がやってきます。昨年から当地に赴任していますが、担任を持つのは今回が初めて。つまり家庭訪問も初めて。でもなかびの最終ということで安心。

 次男のときに懲り、結構早い時間から長男に偵察に行かせます。やっぱり先生がどんな車に乗っているかわからないのですが、前訪問先から順路を推測して待ち伏せました。おかげで先生を迷わすこともなく、少しの遅れで懇談が開始できました。

 今回、順番が最後ということで母さんも懇談に参加でき、両親でお迎えできました。母さんは家庭訪問初体験。いつもは受ける接待を初めて施す側にまわり緊張気味。準備はいつもどおり父さんが整えておきますが、お茶出しなどやってみたいということでお任せしました。

 さて長男の担任は女性。いまや女性の中学担任も少なくはなくなりましたが、それでも珍しいほうでしょう。さらに我が家では長男・次男通じて初めての女性担任で、微妙に反応したのが次男でした。懇談していると、次男がこっそりのぞきに来ます。障子の隙間から、あるいは寝転んで死角から。さながら忍者のごとく諜報しておりました。

 家庭訪問は来る先生も大変ですが迎える家庭も大変です。懇談内容はもちろん重要で最大の大変さですが、訪問をうける者として、それなりに失礼のないようにするのも大変です。そしてなにより、季節外れの大掃除が一番大変です。やっぱ毎年はしんどいなぁ〜。

  

第132話『ご近所大自然』

2007.5/20掲載

 我が家があるところは、都会とは到底言えませんが、山でも森でもなく、ましてジャングルなどではありません。果樹園と水田の点在する住宅地であります。そんな場所にもかかわらず、我が家の周りは野生動物の宝庫です。

 当地に引っ越してきて以来、一番馴染み深い野生動物は『キジ』です。我が家の庭で虫をついばみ、りんご畑や田んぼの中を闊歩していきます。季節によってはメスや家族を連れていたりします。尾羽の美しさで時の移ろいを映し出し、年中顔を出す気のおけないやつです。子供達が小さかった頃は、庭で畑で道路でよく追いかけっこをしていました(もちろん子供達が一方的に追いかけるだけですが)。道路が舗装されていなかった頃は砂煙を巻き上げ、アメリカンコミックのロードランナーさながらに駆けていく姿は圧巻でした。

 現在一番仲良しなのは『モグラ』です。庭をほじくりかえす与太者ですが、ワナを仕掛けて捕獲してみるととてもかわいいやつです。(第120話参照)ワナ敷設以来すでに10匹ほどに出会い、そのたびに子供達にかわいがられています。もちろん全部別の個体ですが、どいつもこいつも丸々と太った大物で愛らしいったらありゃしません。丁重に我が家から離れたところに放流させていただいております。

 最近仲間入りしたのは『ネズミ』です。モグラ捕り器にかかっていたクマネズミで、どうやらモグラの穴を拝借して移動していたようです。さすがにネズミはいろいろ問題がありそうなので、かわいがることができませんでした。屋根裏を走り回ったり、柱をかじっていたわけではありませんので、ここは穏便に遠方処払いにさせていただきました。

 『ハクビシン』は日常的に目撃されます。しかし庭にまで入り込んで来るようなことはなく、猫でもいるのかなと思って近づいていくとさっと側溝に隠れるようなシャイなやつ。実は凶暴らしいのであんまりお付き合いしたくないかも…。

 結構変わったところでは、『キツネ』が出没します。夜行性なだけあって、なかなか出会うことはできないのですが、車のライトに太くて長い金色の尻尾が照らし出されるシーンはちょっと幻想的でさえあります。また冬の朝に、未踏の雪原に真っ先に出て足跡と糞を残していくのも趣のあるものです。

 これからの季節、夏の風物として『カッコウ』が裏の電線に来ます。あんな大きい鳥が、細い電線によく止まれると感心しながら観察します。窓のすぐ横で派手に鳴いてくれるのでうるさいったらありゃしません。

 しかし、一番うるさいのは家の中の『野生児ども』です。喧嘩をしているのか遊んでいるのか。頼むからもっと落ち着いて生活してくれぇ…。

 

第133話『負けた…』

2007.5/30掲載

 今年から長野県にもプロ野球ができたそうで。でも伊那谷まではなかなか来てくれないので、盛り上がってるのやらどうやらピンときませんなぁ。

 信濃とか長野っていわれるとどうしても北信のイメージになって、信州っていうと中信を連想してしまうのは私だけでしょうか。伊那谷を想起するには南信州という響きが一番でしょうか。『南信州グランセローズ』うん、応援したくなる!

 前振りが長くなったのは、これから書く本家プロ野球、わが阪神タイガースが不振を極めておるからであります。

 阪神タイガースといえば、長期にわたって優勝を逃し続け、時として盛大に栄華を極め、また長い眠りにつくというパターンを繰り返します。三回優勝を見ると寿命が尽きるとか、四回優勝を見ると仙人になれるとか伝説に語られているほどです。

 ですのでたかだか一年・二年優勝を逃してもどうということはありません。九連敗くらい『へ』でもありません。でも、一年に一度、地方からわざわざ甲子園まで応援に行った時くらいは勝ってほしいと願うのは贅沢でしょうか。

 我が家は一年に一度、地方からわざわざ甲子園まで応援に行っています。今年で五年目になりますが、過去四回は三勝一分け。不敗神話をどこまで伸ばせるか、応援にも力が入ります。

 今回は横浜戦のチケットを取りました。苦手三浦投手のローテーションをはずし、必勝態勢です。試合前からの盛り上がりはいつもどおり。応援の按配ももう心得ていますから、最後の、勝利の『六甲おろし』までのペース配分も完璧です。あとは阪神タイガースが勝ってくれるだけです。

 しかしままならないのが三番シーツです。我が家が見に行く試合はことごとくブレーキになり、この日も内野フライと併殺打を連発します。我が家と相性がよく、過去四年で3本塁打5打点の檜山選手は二軍落ち…。0‐0のまま風船飛ばしに突入します。

 不安的中、八・九回にダラダラと失点し、結局零封負け。なんにもいい所なく試合が終了しました。「金返せ〜」という捨てゼリフがぴったりの試合ですが、言ったところで金が返ってくるわけではないのでおとなしく帰ります。しかし帰り道は長く寂しいため息の尽きない道のりです。子供達が一緒ですから、どっかで呑んで憂さ晴らしというわけにもいきません。

 さて、初めて敗戦を見た子供達は私以上にがっくり。でもそのがっくりの原因が、長男は「藤川が見られなかった」こと、次男は「ファールボールがもらえなかった」こと、というのがなんともいえず微妙なところです。

 と、いうことでシーズンはまだまだ長い、あきらめずにがんばって応援しよう。頑張れ阪神タイガース!

 

第134話『手伝う

2007.6/16掲載

 子供も体が大きくなってきますと、家に帰ってきてゴロゴロしていられては邪魔になって仕方がありません。少しは働いてもらいましょう。

 我が家ではもう何年も前からそれぞれに決まった任務が割り振られています。長男には朝ごはんのおかず作りと、夕食後の食器洗い。次男にはお風呂洗いが課せられています。

 しかしこの中の長男の朝食作りについては、開店休業中です。中学の登校時刻が早く、みんなの朝食を作っていると、間に合わない(もしくは冷めてしまう)からです。それでも自分の分と、早出の日の母さんのおかずとを作っています。中学生男子としてはよくやっていると評価していいでしょう。

 むしろいい加減になっているのは、夕食後の食器洗いです。食後『食休み』と称してゴロゴロしてみたり、テレビ鑑賞の『このコーナーが終わったら』作戦で引き延ばしたり、忘れたフリをして寝てしまったりと、なんとかサボろうとしています。でも父さんにそんな小細工が通じるはずもなく、結局怒られてやらされたり、もっと仕事を増やされてしまうことになったりしています。このごろはだいぶ懲りてきてはいますが、それでもこちらが隙をみせるとサボろうとするので気が抜けません。

 次男のお風呂掃除はサボるわけにはいきません。毎日必ず仕事が待っています。我が家のライフスタイルからいって、七時までに二人は入浴を済ませておきたい。次男が下校してから、宿題を終わらせ、その後にお風呂洗いをしているとちょっと間に合いません。下校後宿題の前に終わらせておかないといけません。今ではだいぶ習慣になって忘れずにやってくれるようになりましたが、以前は毎日父さんに急かされていました。このごろではさらに進化して、朝登校前に終わらせたり、全員の入浴後夜のうちに済ませておくことも出てきました。

 懇談会や近所の人の話では、毎日決まった仕事があるという家庭はあまりない様で、しかも言われなくても働いてくれる子供というのもなかなかいないそうです。そういう意味では我が家の子供たちは頑張っているのかなぁと思っています。でも私としては、決まったお手伝いもいいけれど、自分で気付いて、やるべきこと・やったほうがいいことをパッと見つけられるようになってほしいと願っています。気が利くというか、周りを見られるというか、状況を読めるというか、いい意味で人の顔色を伺えるというか。

 長男・次男ともにこれからますます忙しく、家庭学習や部活などやるべきことも増えてきます。しかしやっぱり家庭が生活の基本、しっかり働いてもらいますよー。

 

第135話『餅は餅屋その拾』

2007.6/26掲載

 六月に入り、新年度の仕事の忙しさがやっと一段落した頃でしょうか。農家では逆に一番忙しい時期でしょうか。まあどちらにしても、ここらでちょっと一服、お茶でも飲みましょう。

 今回我が家が挑戦した手作り料理は、なんとお茶。緑茶の手揉みに取り組みました。

 きっかけは母さんの教材研究。学校でお茶摘みをして、例年は業者に製茶を依頼しているのですが、今年の土曜参観日に『家族と一緒に製茶作業』を企画しました。当然母さんは初挑戦。学校にも経験者不在ということで、我が家での教材研究と相成りました。

 ある日、父さんが外出から戻ると、なにやら焦げ臭い。よもや火事でもと部屋に飛び込むと、粉々の茶色い葉屑を前に、母さんが呆然としていました。

「製茶がうまくできないの。父さんやったことある?」

あるわけありませんが、それを言っちゃあおしまいです。家族で何とかしましょう。

 父さんの出身は、『お茶のふるさと』京都府宇治市、日々製茶工場の間の道を学校に通っていました。遠い日の記憶を呼び起こして(こっそりインターネットでも調べました)一同に指導します。

 「まずは蒸しだ。いきなりホットプレートで温めてはいかん。」母さんに手順の訂正を求めます。「茶葉がしんなり、色が変わるまで加熱。ここをおろそかにすると青臭い味になる。蒸しを省くとウーロン茶になっちまう。」

 「蒸しあがったら急いで冷却。」次男にうちわであおがせて茶葉を捌きます。「ここでしっかり水気を取っとかないと味が出ない。葉同士がくっつかなくなるまで頑張るぞ。」

 「さあここから一番難しい揉みだ。」ホットプレートをごく低温で温めて茶葉を揉みます。子供達に火傷の注意を促し、揉みの手ほどき。「こうやって茶葉を一方向に縒りながら、水分をひねり出す。そしてまた捌いて水分を飛ばしさらに揉む。この工程がお茶の味を決めるのだ。」

 「いよいよ仕上げの乾燥だ。」母さんに注意深く温度を監視させながらホットプレートで加熱。「まだだ、あせるな。でも絶対焦がすな。焦がすとさっきの二の舞だ。焦げ臭いお茶なんか飲めないぞ。」

 およそ一時間、緑茶の完成!いざ試飲。

 うっ、青臭い!味が薄い!どういうことだ、これでは成功とはいえない、いや失敗だ!早速恒例の反省会だ〜。

 蒸しが足りなかった。もっとしんなり香り立つまで蒸さなくては。揉みも不十分だ。もっと少量ずつ、確実に水分をひねり出さなくては。乾燥も中途半端だ。指先で揉んだら砕けるほど乾燥させなければ。くっ、くそ〜もう一回だ。

 果たして我が家が一服できるのはいつ?

 

第136話『撞きます』

2007.7/3掲載

 今から三十年ほど前でしょうか、ボウリングブームがありまして、各地にニョキニョキとボウリング場ができました。私が高校生の頃まではそのニョキニョキがいっぱい残っていて、休日や放課後によく通ったものです。でも、そこで私がやっていたのはボウリングではなくビリヤードでした。

 二十年ほど前にはトムクルーズのハスラー2の影響でビリヤードブームがやってきたわけですが、それ以前に学友と日々ボウリング場でキュウを撞いておりました(プールバーではなく、あくまでもボウリング場です)。

 そんなある日、テレビで見たのでしょう、子供達が「ビリヤードをやってみたい」と言い出したのです。パイオニアとしてはほっておけません。早速行ってみることにしました。

 とは言うものの、いまどきビリヤード台があるのやら、ないのやらさっぱりわかりません。プールバー的な店は何軒かあるようですが、小中学生が遊べるような明朗な時間に営業していません。また子供と遊ぶのに、飲酒前提は困ります。となるとやっぱりボウリング場にあたってみるしかありません。調査の結果、一軒のボウリング場にビリヤード台が設置されていることがわかり、休日を待って出かけていきました。

 想像とおりビリヤード場はガラガラ、我が家の貸切状態。ちょっとくらいのマナー違反があったって問題なしです。まずは父さんの模範演技と簡単な講習会。簡単にルール説明をしたらさっさとゲームに突入します。

 次男にとってビリヤード台はまだ高すぎました。ラシャ(台の平面部)に直接左手をおくと、クッション(台の側面部の盛り上がったところ)が邪魔になってキュウが撞けません。クッションに手を置くとボールまで遠くなかなかヒットしません。しょうがなくメカニカルブリッジ(手の届かないときに使う補助器具)を使いますが、「父さんはほとんど使わないのに、僕だけ使ってかっこ悪い」と嫌がります。

 長男にとってビリヤードは細かすぎました。ミリの単位で狙いをつけ、正確なショットとクッションを計算することが面倒くさくて仕方がないようです。「あーいらいらする」と愚痴ばかりこぼしていました。

 そういうわけで、長男はもうやる気が失せたようですが、次男はやる気満々。家に帰ってくると新聞を細く丸めてキュウを作り、段ボール箱でビリヤード台を作り、ゴムボールを撞いて練習を開始しました。そして「また来週行こうね。」

 もうこうなってはとことん付き合うしかありません。元から父さんも好きなのですから火に油。母さんも巻き込んで、(長男が部活動でいない日に)ボウリング場にせっせと通っています。

 

第137話『食は肴酒にあり』

2007.7/18掲載

 漫画というのは何かと影響を受けやすいものでございまして、ましてグルメ漫画なんかですと、もう読んでいるだけでヨダレだらだら、おなかがグ〜、「今夜のおかずはこれで決まり」なんて思ってしまうわけです。

 グルメ漫画と申しますと、古くは『包丁人味平』から始まりまして、大ブームを巻き起こした『美味しんぼ』、料理活劇『ミスター味っ子』、レシピ漫画総本山『クッキングパパ』などあまたございますが、我が家ご用達は『酒のほそ道』という漫画でございます。

 題名からおよそ想像はつくと思いますが、もともと呑兵衛漫画で、主人公・岩間宗達と後輩や友達との酒盛りの様子が描かれています。その中で、呑兵衛の心得や、酒や肴の薀蓄がいっぱい出てくるのです。で、我が家の子供達は、ここから食の知識をいっぱい仕入れてくるのです。酒や肴の薀蓄なのですから当然中心はおつまみ(酒の肴)です。子供らしいかわいらしいメニューではなく、おっさんくさい渋いメニューに入れ込んでいるのです。

 ある日の会話。「板わさっておいしそうだね。うちでもやってみようよ」「そば屋で一回ヌキって頼んでみたいね」「やきとんってうまいのかなぁ」「そら豆のさや焼きってうちでも作れる?」「くちこって父さん食べたことある?」「ホヤは東北が本場なんでしょ」「生シラス一回食べてみた〜い」というような会話が日常茶飯に飛び交っています。

 確かに主人公『そーたつ』が酒を飲みながら、うまそうに肴をつまんでいるのを読んだら、知らないもの(食べたことないもの)も実においしそうに見えます。一回食べてみた〜いというのがよく分かります。(私なんかこの漫画を読むたびに、ビール飲みた〜いと抑えようのない激情に駆られてしまいます)

 食に関する知識が呑兵衛寄りですから、「このっハナタレ小僧が!」「ハナタレってあのおいしい焼酎のことでしょ」とか「ナマコの生態は…」「あぁコノワタのもとでしょ」とか「ビール残すの?だったらモツ煮のとき使うとやわらかくできるよ」とか「ビール泡立たないね、ちゃんと洗ってないんじゃないの」とかいう方向にいってしまいます。人前でこんなところを聞かれたら、家でどんな教育をしてるのか怪しまれてしまいます。

 13歳と9歳で居酒屋ツウになってしまった子供達ですが、実際に居酒屋メニューを作ってみると反応は真っ二つに分かれます。次男はひと通り挑戦してみて、「これはいけるね」とか「大人の食いもんは分からん」とか一丁前に言いますが、長男はほとんど手をつけず「不気味なものを…」とか言っています。

 そんなわがまま言ってると一人前の呑兵衛になれんぞ!(ならんでいいか…)

 

第138話『球を打つのが』

2007.8/5掲載

 長野県でプロスポーツを見る機会というのはあまり多くなく、しかも下伊那地域にいたっては、問題外の外ってくらいに疎遠なものであります。そんななか、ついにやってきました信濃グランセローズ!

 今回我が家が観戦したのは7月21日、対新潟アルビレックス戦。6月の飯田県営球場では石川ミリオンスターズに快勝し、今回も最下位相手に快勝してくれるものと信じいざ球場へ。

 結果は皆さんご存知のとおり8―9の惨敗でした。点数だけ見ると、僅差の試合で惜敗では?とお思いになるかもしれませんが、内容的に無残でお粗末な負け方でした。このお粗末な試合に怒り心頭なのが我が家の長男です。

 学校の部活動で野球部に所属する長男。練習試合中のフォーメーションやカバーリングの動きがあまりにも悪いのを見かねた父さんが試合観戦に引っ張り出したのです。が、自分のことは棚に上げてグランセローズには厳しい注文をつけます。(確かにミスや、不用意で無分別なプレーが多く、小中学生のお手本となるべき部分は少なかったのですが…)プロなのですから、速い球を投げたり、遠くへ打ち返したり、難しい球を捕ったりするのはあたりまえ。もっと「これはプレーヤーとして見習わなきゃ」というプレーを見せてほしかったと思うのは長男だけではありますまい。「これじゃうちの学校の上級生のほうが強い」という長男の言葉にもうなずかざるを得ません。(この場合の“強い”は勝負をしたら勝てるという意味ではなく、手本となる部分が多いということ)

 で、翌日からグランセローズを他山の石として、長男の動きがよくなったかというと、そうでもないところが詰めの甘いところです。

 この試合観戦を一番楽しみにしていたのは実は次男。試合当日、グローブ片手に勇んで試合会場入りした彼の目的は『ファールボールキャッチ』ただ一つ。試合内容も、勝敗もどっちでもよく、だだひたすらにファールボールを追っかけます。あげくは場外への打球を追うため球場から出て、試合を見ずに待機します。そんな努力にもかかわらず、ファールボールキャッチはならず、こちらも不満げにゲームセットを迎えました。

 父さんは、せっかく見に行ったのにグランセローズが負けて残念だったということはありますが、ホームランが5本も見られたり、選手サインボールをキャッチできたりとまあまあな満足度でした。一つ希望を言わせてもらうなら、(にぎやかな応援も悪くはないが)バットの乾いた音や、投手の腕の風切り音や、ベンチの野次が聞こえるような静かな野球が見たい。応援を楽しむんじゃなくて、野球を味わいたいなぁ。

 

第139話『ガンバロー』

2007.8/28掲載

 夏休みは忙しい。家で子どもと遊んだり、海で子どもと遊んだり、山で子どもと遊んだり…。

 今年のキャンプはちょっと趣向をかえて、テント泊ではなくバンガローに泊まってみました。今回訪れたのは岐阜県中津川市、夕森キャンプ場。中津川市とはいうものの、木曽の裏側(裏木曽という言い方が本当にあると今回知りました)、長野県からやっと出ただけの所です。

 キャンプ場は夕森山の中腹にかなり大きい規模で展開しています。バンガローが何棟も立ち並び、小中学校の林間学習に来た感じ。しかしまだ夏休み初期ということもあってか、利用者はポツポツ。私たちから見えるところには一家族しかいないような静かさでした。

 さて、今回はテント泊ではないので、食事に重きをおきます。テーマを『子供達が、飯盒でご飯を炊けるようになる』に設定し、メニューはご飯がないと始まらないカレーライスに決定しました。

 「さあやってみろ」とまる投げしてもできるはずありませんから、親としてしっかりと指導します。「初めチョロチョロなかパッパ、ジュウジュウ噴いたら火をひいて、赤子泣いてもふた取るな」という言葉くらいは子供達も知っていますが、どこまでが初めで、どのくらいがパッパかわかりません。火にかけたらすぐに噴いてくるのにジュウジュウじゃないのか、火をひいたあといつ食べられるのか、などなど子供達にはまだまだ未体験なことばかりです。

「いきなり強火にかけたらどうなる?」

「底だけ焦げる」

「だから飯盒全体に熱が回るまでが初めだ。ふたの真ん中を触って確かめろ」

「ジュウジュウ噴いてるよ、まだ?」

「よく見ろ、まだ水蒸気が混ざってるだろ。つまりまだ米が水を吸収しきってないってことだ」

「今だ!煙が軽く白くなっただろ。水蒸気からコゲに変わった瞬間だ!」

「今一番熱いのはどこだ?」

「底」

「だから底からはがしてやることで飯盒内が蒸される」

 と、いうふうにテクニックだけでなく、そう考える理由と証拠を教えていきます。理由と証拠を体験の中に刷り込んでやるのが大切なのです。こうすることで、状況に応じて臨機応変に対処することができるようになります。これが教えるということで、テクニックだけを伝えるのは「やらせた」だけで教えたことにはならないのです。

 で、みっちり父さんの指導を受けた子供達、腕を試されるのは翌朝の飯炊き。そんなに優しくない父さんは黙って見ています。すると、兄弟二人でけんかしながら協力して何とか炊き上げます。

 おっ!うまい。見事免許皆伝じゃ!(甘い?)

 

第140話『夏の生き物

2007.9/2掲載

 夏休みは忙しい。家で子どもと遊んだり、海で子どもと遊んだり、山で子どもと遊んだり…。

 夏休みというと、なにかと生き物に触れ合うことが多い時期でもあります。しかし今年はあまり多くの生き物とは触れ合いませんでした。そのわりに結構印象深く触れ合うことができました。

 ひとつはセミ。次男の夏休みの自由研究が『セミの羽化の観察』だったからです。

 夕刻、近くの果樹園に幼虫探しに出かけます。目の高さ辺りを注意深く見ていくと、のそのそと地上に出てきた幼虫がいます。それを難なく捕まえて家の中の止まり木に止まらせれば準備完了。あとはひたすら観察です。

 午後9時過ぎ、羽化が始まりました。するとアレヨと見ている間、30分ほどで体が全部出てきました。意外にあっけなく観察終了か、と思ったところがここからが長かった。羽が伸び、色が見慣れたアブラゼミ色(茶色)になったのは、翌朝5時ころ。さすがに次男はダウンして寝てしまい、最後は父さん一人での観察。10時間以上も見守って愛着も湧いてきたセミは、立派な成虫になり、夜明けとともに外に飛び去っていきました。

 ふたつ目はサンショウウオです。遊びに行ったとある渓谷で(諸事情により場所は伏せさせていただきます)

「父さんこの辺なんか獲れるかなぁ?」

「獲っちゃいけないけど、この辺に住んでるのはサンショウウオくらいかなぁ」と言いながら探していたら予想通り出てきたのが写真のサンショウウオです。体調5pほどのかわいいやつで、初めて見た母さんは「かわいい」と連呼していました。長男と次男もさすがに興味をそそられたらしく、いろいろと観察していました。特に次男は『サンショウウオの名前のいわれは、山椒のにおいがするから』ということを知っており、盛んににおいでおりました。そしてその結果「生臭かった」と結論付けました。

 観察後ちゃんと逃がしてやりましたが、豊かな自然に触れた感動は長く残っていました。

 三つ目はイワナです。夏の恒例、清流での魚のつかみどり。いつもならニジマスが多いところですが、今年はどういうわけかイワナがいっぱい。

 長男はもう一人で捕まえられるようになったので、ほっておいてもどんどん捕まえてきます。次男はまだそこまではいきません。父さんの協力を得て、いいところに追い込んでいって捕まえます。父さんが捕まえて、さりげなく捕りやすいところにおいておくのは、本人のプライドが許さないようでだめなんだそうです。そんなわけで結構長時間にわたってイワナとやりあっていました。

 命もっとも盛んな夏。いろんな命と触れ合って成長してくれたかな?

 

第141話バイシクル』

2007.9/28掲載

 最近、次男がやけに『エコ』に入れ込んでいます。きっかけは学校でゴミ処理施設の見学・学習をしたこと。よって取っ掛かりはゴミ問題でした。そこからやがて地球環境へと発展し、エネルギー問題や、生態系についても一家言は尽きないようです。

 昨今のガソリンの高騰には閉口します。加えて長野県はガソリン価格の高さでは全国屈指とのこと。ちょっとお出かけのたびに、「○km走ったからガソリン代は△円か。あれが買えたな・食べられたな。」と嘆くのが習慣になってしまいました。

 と言うことをふまえまして、我が家では自転車を多用することにしています。

 もともと父さんが自転車好きということがあり、長男・次男ともに自転車をよく利用させています。古くは前のベビーシートに次男、うしろのチャイルドチェアーに長男を乗せ保育園に通っていた時代から(第11話参照)、それぞれの自走練習を経て(第45話・第64話参照)、長男にいたっては、天竜川河口までのサイクリングに出かけるしまつ(第91話参照)。(近頃、集団でほどの距離を自転車で走破することが何度か新聞記事になっていますが、そんなこと今さら記事になることか?と疑問視する我が家です。)なぜ飯田ボンシャンスから誘いが来ないのか不思議なくらいです。(まぁ、ただ自転車が好きなだけで、ヘビーなレースにのめりこむ予定は今のところありません。)

 今では、買い物はできるだけ自転車で行きます。往復に時間がかかるのが唯一の欠点ですが、地球に優しく、ガソリン代もゼロ。しかも、かごに入る分だけしか買えないので、必然的に買い物の量も減っていきます。おまけに健康・体力作りにも一役買って一石四鳥!自転車バンザーイ!

 そして、今年のニューカマーは『折りたたみ自転車』。折りたたみ自転車といっても、26インチの外装6段変速という結構走れるタイプ。これを車の荷台に積み込み、日本全国あっちこっちで走りまくります。

 と、言うとかっこいいですが、実態はかなり違います。自転車を持って出かけても、自転車で走ることがメインの目的ではないので、日本全国あっちこっちでおつかいや、ちょいのりに使っているだけです。むしろ、わずかな距離を歩くのが面倒になってしまって自転車が手放せない、と言うのが実情でしょう。

 ですが自転車の一番良いところはその手軽さ・横着なところではないかとも思うわけです。私がそもそも自転車好きになったのも、車や電車に乗るのが面倒くさいからという理由。ちょっと趣味っぽく遠乗りもしますが、基本スタンスは面倒くさいのがいやだから。

 とすると、家族みんなを面倒くさがりに引き込んでるってことか?そ、それはいかんなぁ…。

第142話『これっくらいの』

2007.10/10掲載

 秋の行楽・スポーツシーズンを迎えまして、楽しみの一つにお弁当があげられましょう。

 我が家ではお弁当が二種類用意されています。一つは、製作時間約一時間、彩り豊かに2〜3個の弁当箱に分けて盛られる『母さん弁当』。もう一つは製作時間約5分、彩り・栄養バランス偏った好物だけを大弁当箱に詰め込む『父さん弁当』です。母さん弁当は、主に行事関連の晴の日に用いられ、お弁当を開いた時に「わぁ!」という喜びを感じたい場合ご用達です。父さん弁当はと申しますと、食事時間がゆっくりとれず、あわただしい褻の日のメシみたいなもの。弁当を開く前に「ふー」と一息つくような場合ご用達です。

 名前のとおり母さん弁当は母さんが、父さん弁当は父さんが作るのですが、中身の違いは一概に父さんが面倒くさがり屋で、母さんが真面目だからという理由だけではありません。二人の成育歴に大きくかかわっているのです。

 母さんにとってお弁当というのは、まさに行事などの晴の日に食べるもので、「わぁ!」という喜びとともに蓋を開けるものだったのです。また、女の子特有の『お弁当公開』や『おかず交換ごっこ』をして楽しむものなのです。

 京都出身の父さんは、中学校から弁当になり、食い盛りの高校時代も毎日食べていたのが弁当。つまり、褻の日のメシみたいなもの。弁当を終えて息もつかず次の行動に移る、そんなものだったのです。

 当然、食べていたお弁当の中身も違ったはずです。母さんの母さん(ばあちゃん)だって年に数回のことなら時間も手間もかけていたことが予想されます。年に数回だけ、凝った料理が美しく盛られているものを食べていた母さんにとってお弁当とは自然とそういうものになってきたのでしょう。

 父さんの母さん(ばあちゃん)はそうはいかなかったはずです。毎朝毎朝忙しい時間に大盛りの弁当を作らなければならないのです。凝った料理や珍しい食材を使うなんて無理に決まっています。息子からの反応は『おいしい・まずい』ではなく『少ない・ちょうどいい』ばかりなのですから、メシに近づいていくのはあたりまえでしょう。

 そういう歴史のある二種類のお弁当を子供達はチョイスします。まだ行事のときしかお弁当を食べない次男は母さん弁当をチョイスします。長男も行事の時は母さん弁当をチョイスしますが、部活などでは父さん弁当をチョイスします。「食べ盛りになって質より量を求めるようになったか」とある意味頼もしく思っていたのですが、ある日父さん弁当を選ぶ理由を聞いて愕然!!

 「母さんにあんまり面倒かけたくないし、父さんヒマそうだし…。」

 

第143話『ケンチョー』

2007.11/6掲載

 次男が今、一番熱心に取り組んでいるのは『日本47都道府県制覇』。何のことはない、日本中の県名と県庁所在地を、地域ごとに覚えるというだけのものです。

 きっかけはチラシに入っていた『おふろで旅する日本地図』というものを買ったこと。ぬれても大丈夫な素材に地図がプリントされており、お湯で温めると県名と、県庁所在地が表示されるというものです。買った当初は大して興味もなさそうにただ眺めるだけだったのですが、父さんが同時購入の『おふろで旅する世界地図』でヨーロッパの国名を全部覚え、みんなに自慢し始めてから、闘争心に火がついたのか猛烈に覚えだしました。

 それまではカラスの行水だったのが、なかなか風呂から出てきません。出てきたとたん「今日は○○地方を覚えたぞ。問題出して!」とお披露目します。一週間ほどで一応全部覚えてしまったようで、今では地図なしでもおよその位置関係まで分かっているようです。そしてさらに完璧を期すべく、夜布団に入ってから『日本地理クイズ』を10問ほど出題しないと、親を寝かせないという状態になってしまいました。

 そんな背景の下、県庁所在地に強く興味を持った状態で、次男は学校の社会見学で長野市に行ってきました。

 見学先は、長野県庁・善光寺・NHK放送センター。その他、車窓からオリンピック施設や県都の施設を眺めるというコース。(次男はとっても楽しみに行って来ましたが、実は2003年の善光寺御開帳の折、家族みんなでこのコースに行きました。当時五歳の次男の記憶にはないようで、おかげで新鮮な気持ちで行けたみたいです。)

 学習的にメインは長野県庁でしょう。しかしちょうど県議会中ということと、知事が有名人から地味な人になったということもあり子供達の興味は今ひとつ。緊急防災センターの活気が土産話で出たくらいで、あとは…でした。

 一番印象深かったのは善光寺の御戒壇巡りだったようです。前日から「触れなかったらどうしよう。どんな形の鍵なの?」とドキドキで、帰ってくるなり「触れたよ、真っ暗だった、長かった。」と興奮気味に話してくれました。お土産に散華と七味唐辛子をもらったこともとてもうれしかったみたいです。

 NHK放送センターの思い出はやっぱり(長男の時同様)クロマキーでした。ブルーバックの前に青い服の友達が立ったら消えちゃったことなど、うれしそうに話してくれました。大勢の人が忙しく働いて、やっと放送が出来上がることにもびっくりしたようでした。

 地図で覚えて、興味を持って行った県都めぐりは有意義だったみたいです。父さんもヨーロッパを覚えたので…?

 

第144話『蒟蒻』

2007.11/22掲載

 長野県南信農業試験場の一般公開というのに行って来ました。母さんは仕事が忙しく、長男は中間テスト三日前、ということで参加者は父さんと次男の二人だけでした。

 長野県南信農業試験場といえば、梨の『南水』、いちごの『サマープリンセス』を開発したところということで、ある意味大変身近な施設とも言えます。地図上でも高森町下市田にあり、当地からは大変身近なところになります。しかし、いつも横を通り過ぎるばかりで立ち寄ったことはなく、今回の一般公開で初めて訪れることとなりました。

 午前十時から公開なので10時にあわせて出かけました。到着したのは10時10分頃、すでに駐車場はいっぱい、手に手に即売品などをぶらさげた人でごったがえしています。出遅れたかにみえましたが、先着500人のハーブ苗ももらえたし、先着100組のコンニャク作り体験にも申し込めました。

 今回の狙いは、一番父さん一押し『コンニャク作り体験』、二番次男大期待『農産物試食』、三番『試験場内見学』でした。試食コーナーと、コンニャク作りが大行列だったため、場内見学から始めました。研究発表を見たり、圃場散策をした中で長野県南信農業試験場が『南月』という梨も開発していたことを知りました。南水と同じ交配からできた兄弟種の青梨ということを聞き、興味津々!早速試食コーナーで味見しました。味も見た目も青梨と赤梨の中間あたり、ちょっと複雑な味わいでした。次男推薦は赤梨の『あきづき』。豊水を甘くしたようで、甘み・食味のバランス最高。今後の販売が待ち遠しいです。父さん推薦はやっぱりリンゴ『シナノスイート』。今後の栽培農家の増加に期待したいです。

 お昼頃になり人並みが途切れてきました。いよいよコンニャク作りに突入しました。コンニャク作りは父さんも初体験、ワクワクで開始です。まずは生芋を水と一緒にミキサーにかけます。完全にこなれたところで鍋に入れて、かき混ぜながら強火で温めます。父さんと次男でかわるがわる混ぜて混ぜて混ぜてネバついてきたら、水酸化カルシウム水溶液(要するに消石灰液)を投入!さらに二人で混ぜて混ぜて混ぜる。ネバネバがプルプルに変わってきたら、冷めないうちに牛乳パックに移しかえます。会場ではここまでで終了、あとは家に帰って冷めてから。

 試食で満腹、コンニャクとハーブ苗でお土産いっぱい、大満足で帰ってきました。

 翌日、コンニャク作りは仕上げに。小さく切ってゆがいて水に浸けてアク抜きです。次男がマメに水かえに大活躍、無事完成しました。当然晩御飯の一品に。

 期待と不安で一口

「お〜うまい、絶品!」

 

第145話『ヴルスト』

2007.12/9掲載

 長野県内にもテーマパークがいくつかありますが、今回はその中の「信州塩尻農業公園 チロルの森」に行ってきました。

 その日は長男が早朝より部活でおらず、小雨が降り次男にとって非常に退屈な日でした。「どこか遊びにいこうよ〜」というリクエストに応え行くことにしたのはチロルの森でした。

 実はチロルの森には七年前に一度行ったことがあり(次男は覚えてない)、その時のことを思い出し、「今ひとつ面白くないけど行ってみるか」といいながら入場しました。

 休日であるにもかかわらず、その日は朝からの小雨のせいか他にお客があまりおらず、(お得情報・チロルの森は雨天時は入場料が無料になります。雨上がりの昼頃出掛けていくのがベスト?)いろんなところを存分に堪能することができました。いろいろなお店に入って、試食・試飲をしたり、遊具や広場も貸し切り状態(ただし雨で濡れている)。

 待ち時間もないので、何か体験コーナーで楽しんでみようということになりました。父さんはソーセージ作りをやってみたいと主張し、次男はアイスクリーム作りをしてみたいと主張し、母さんは牛の乳搾り体験がしてみたいと主張しました。どれも魅力的ですが、乳搾りだけは時間の都合が合わず断念。ソーセージとアイスクリームを作ることにしました。

 ソーセージ作りは言葉で言うととても簡単。荒挽きの豚肉に調味料とつなぎを入れて丹念に混ぜる。ソーセージガンに詰める。羊腸の端を縛ってムラにならないように肉を押し入れる。適当な大きさにねじる。茹でる。食べる。

 でもやってみるとこれがとっても面白い!荒挽き肉はミンチと違い、混ぜ感がプチプチしていてじつに心地よい。ソーセージガンに詰めるのも力ずくではダメ、団子状に固めたうえで丁寧に詰めないとうまくいきません。羊腸に詰めるのは、空気が入らないように、かつ均一に肉が入るように、押し出し係と羊腸伸ばし係が息を合わせてやらないとうまくいきません。ねじるのも適切な大きさに、やさしくねじっていかないと羊腸が破れてしまいます。父さんと次男が声を掛け合い、協力して見事に完成しました。(今までいろんな体験物をやってきましたが、協力が必要な度合いでかなり上位にランクインするでしょう)

 20分ほどゆっくり茹でて食べたソーセージは実においしかった。贔屓目ありで今まで食べたどのソーセージより美味でした。今回は味付けなどお任せでしたが、こういうところも自分たちで好きにやっていくとさらに楽しめるでしょう。

 「今ひとつ」とか言っていましたが、非常に有意義な一日を過ごせました。入場料無料なのがいいですねぇ。

 

第146話『なんじゃもんじゃ』

2007.12/15掲載

 ある日突然母さんが「もんじゃ焼きが食べた〜い」と騒ぎ出しました。聞いてみても別に理由やきっかけがあったわけではないそうです。謎は残りますが、ここは母さんの要求に応えるってもんじゃ。

 しかしもんじゃ焼きの作り方なんか知ったもんじゃありません。そもそも私の人生史上もんじゃ焼きなんて一回しか食べたことがありません。子供達には未知の食べ物です。これはプロに頼るしかありません。

 早速子供達に調査を依頼、タウンページでもんじゃ焼きを検索。ありませんでした。お好み焼きで検索。店舗はたくさんありますが、もんじゃ焼きをやっているかは広告のページにないのでわかったもんじゃありません。あっさりとお蔵入りになりました。

 で、数日後。飯田街内に買い物に出掛け、街中をうろうろとしておりましたら『もんじゃ焼き』ののぼり発見!「母さん!あれあれ!」と教えますが、当の母さんはハテナ顔。困ったもんじゃ、自分で言い出したことも忘れていたのかしばらくたって「あぁもんじゃ焼き、そうだ食べたかったんだ、やった〜!」ということで御入店。

 当店人気ナンバーワンを注文ししばし。具を持ってきてくれた店員さんに作り方を詳細に聞いて、いよいよ実践開始。まずは言いだしっぺ母さんの挑戦です。最初に固形物だけを鉄板に乗せ、こてでざくざく切るように広げながら焼きます。細かくなってしんなりしてきたらドーナッツ状の土手を築き、その中に液状部を少しずつあふれないように投入。グツグツきたら全体を攪拌して出来あがり。あとはおのおのが、小さなこてで押し付けて焼きながらこそげ取って食べていくってもんじゃ。

 思っていたほど難しいもんじゃなかったので、あと二品注文して、父さんと次男で一つずつを受け持って完成させました。

 おいしいながらもなにか食に集中できない。取り用のこてが小さくて、こんな小さなもんじゃ火傷しそうで気になってしかたがないのです。ためしにちょっと大きいこてでやってみたところ、取るのはうまく取れますが、こてが熱くなり過ぎて、口に運んだ時、唇を火傷しそうになりました。なかなかうまいこといかんもんじゃとあきらめました。

 そんなことをいいながらも、三人前も食べるとお腹もふくれるってもんじゃ。いや一気に食べられないぶん、時間がかかり、いつもより満腹感があるくらいです。お店も混雑して行列さえできそうな勢いでしたので、いつまでもいられるもんじゃなし、店を出てきました。

 子供のもんじゃ初体験の感想は「おいしかった。けど口の中が軽く火傷っぽいよ。」確かに二日ほどヒリヒリしてました。

 

第147話南信マツカヴァの12ヶ月・1月の章』

2008.1/6掲載

 南仏プロヴァンスの12ヶ月という本をご存知でしょうか?ピーターメイルという英国人の著書で、世界中に南仏ブームをもたらした一冊です。

 その中の7月の章に『ペタンク』というスポーツのことが書かれています。目標物に向かって鉄球を投げて,近づければいいだけの競技ですが、その面白さといったら言葉では尽くせません。で、我が家はそのペタンクにはまってしまいました。

 きっかけは三年前の飯伊共育フォーラムというところで長男が体験したことでした。その後、町の公民館の講座などに何度か参加していくうちに、家族みんなに面白さが伝染。はずみで参加した県の大会で、飯田の同好の衆につかまってしまい、以来ペタンク狂生活を送っています。

 フランスで生まれたペタンクという競技は、その歴史自体がまだ2007年でちょうど100年しかたっておらず、日本に入ってきたのはわずか20年ほど前のこと。マイナースポーツの域を出ず、競技人口も浅薄なものです。しかし競技の面白さは非常に深遠で、はまりだしたら抜け出せない魅力満点です。

 そんな面白い競技ですから、地球規模で普及しており、世界選手権なども定期的に開催されています。今年の夏にはジュニア世界選手権大会が諏訪市で開催され、長男があと少しで代表入りを逃したことなど地方紙で報道されたりしていましたので、ご記憶にある方もいらっしゃるかもしれません。地球規模の大会があるってことは、もちろん大陸規模の大会もあるわけです。そうです、アジア大会です。

 アジア大会に出場する日本代表を選ぶにあたって、今回は個人選考会が開かれました。(今までは、選考大会を開いてその優勝エキップ(チームのこと)が代表になったり、監督がすきなメンバーを集めて代表にしたり、うやむやのうちに勝手に代表と名乗って参加したりしてました。)そしてその選考会に我が家からも、父・母・長男の3名がエントリーしたのです。

 まずは、中部地区選考会に挑戦です。会場は我らがホームグラウンド飯田市上郷R153高架下テラン(コートのこと)です。上位6名のみしか全国最終選考会に出場できない狭き門。母さんと長男は残念ながら選外に沈んだものの、なんと父さんはきわどく五位で最終選考会出場権獲得!家族の期待が両肩にずしりとのしかかります。

 日本代表8名の座を争う全国最終選考会は、諏訪市・諏訪湖スタジアムの隣の会場でおこなわれました。全国各地区を勝ち抜いた猛者どもが集まるこの選考会、全国区で顔を鳴らした人たちがいっぱいいます。しかし半ば開き直って挑戦する無名の父さんもひけをとらない大健闘。そしてなんとなんと七位、で12月1日から4日にかけて、タイ王国・スパンブリで開催されるアジア大会に日本代表として出場決定!

 さあアジア大会での奮闘はいかに!実力発揮?メッキが剥がれた?タイ王国紀行とともに次回に続く!

 

 第148話『南信マツカヴァの12ヶ月2月の章』

2008.1/25掲載

 ペタンクタイ紀行は前回からの続き。

 さて日本代表に選出され、タイ王国に行くことになったとはいえ、そう簡単に行ってくることはできません。パスポートの取得からはじめなければなりません。もう10年も前にパスポートの期限が切れ、海外に行く予定などなかった父さんは急いで手続きをしなければなりません。代表決定から出発まで1ヶ月もないのですから大急ぎです。インターネットで必要書類を確認し、役場で書類を発行してもらい、合同庁舎で手続きをします。パスポート発行まで約10日、本部からは「早く旅券番号を教えないと航空券が取れない」とやいのやいのの催促。

 家では荷作りをしなければなりません。「タイは気温が30度を超えるくらいだから、あれとあれを持って、これはいらないし、でも空港までは寒いぞ。こんなの現地で買えばいいよな。」とか荷を分けていてふと「あっ、スーツケースないじゃん!」とにかく一からの海外遠征になるのでした。

 出発準備と並行して広報活動にも務めます。ペタンクはなんといってもマイナースポーツ。多くの人にその存在と面白さをわかってほしいし、自分たちが国際大会に出場することをきっかけに少しでも地域に浸透できればとがんばります。

 信州日報さんはじめ地域各紙に代表決定の記事を掲載していただき、飯田市長を表敬訪問し、それも記事にしていただきました。(松川町在住の私が飯田市長を表敬訪問したのは、私たちが所属・活動しているクラブが飯田市を拠点にしているから)

 そして今回珍しい体験としてラジオ出演による広報活動がありました。いいだFMiステーションさんにお世話になりました。

 過去には日々、教室・体育館で熱弁を振るい、飯田文化会館・伊那文化会館で講釈をたれ、下伊那教育会館で説教を説いた私ですが、ラジオ出演は初体験。ちょっとドキドキで放送局へ向かいました。ラジオ局の方はみんな忙しそう。珍しそうに局内をきょろきょろ見回しているうちに、打ち合わせもそこそこに本番開始。

 始まってしまえばまあ緊張することもなく、楽しくお話できました。でも、言葉で魅力を伝えるのはなかなか難しい。あと一時間くらいしゃべらせてもらえればもっと魅力を語れたのに…。

 さあ、いよいよ出発!パスポートも航空券もスーツケースも間に合った。広報活動もばっちりだ。成田集合のため茅野からあずさで新宿へ、成田エクスプレスで空港へ。でも茅野駅ですでに迷子になってしまった!果たしてタイまで行き着けるのか?無事大会に出場できるのか?不安を残しつつ次回に続く。  

 

第149話『南信マツカヴァの12ヶ月・3月の章』

 2008.2/9掲載

 ペタンクタイ紀行は前々回からの続き。

 茅野駅以降、新宿・成田と迷いまくりながらも、空港でなんとか他のメンバーたちと合流。空港内をうろうろしたり、最後の日本食を味わったり、忘れ物を買いに走ったりしながらあわただしく時間をつぶしました。

 松川を出発して10時間、やっと飛行機に搭乗です。飛行時間は7時間。ゆっくり寝て行きたいところですが、到着が現地時刻の午後10時過ぎ(時差はマイナス2時間、つまり日本時間の深夜12時過ぎ)なので飛行機で寝てしまうと向こうについて寝られなくなり、時差ぼけになりそうなので頑張って起きていきます。

 朝あわただしく出てきたので新聞も読んでいないと機内で読みます。持参した本を読んだり、パズルを解いたり。機内食では早くもタイに思いをはせ、タイビールを飲んだり、タイカレーを食べたりします。ナイトフライトなので景色は楽しめませんが、星空がとても美しく見えました。また陸地を通ると、街の灯りがちらちらとなんとも幻想的です。眠気覚ましとエコノミー症候群予防の体操を2回ほどおこない、2回目が終わる頃着陸となりました。

 夜ということもあり『暑い!』というほどではありませんが、ホテルまでの送迎バスは冷房をガンガン効かせます。むしろ寒いバスに2時間揺られ、やっと大会会場のスパンブリに到着。宿泊先のクファンスパンホテルのベッドに入ることができたのは、日付の変わった午前2時過ぎのことでした。

 今回我々が泊まったクファンスパンホテルという宿舎は、現地では高級リゾートホテルなのですが、料金はうそみたいな値段。大会公式ホテルなので、他国の選手たちも泊まっています。翌朝早くからホテル内外を探検し、かなり大きなことも確認。近所にコンビニもあり、滞在中ずいぶんお世話になりました。

 大会初日は開会パーティーと組み合わせ抽選会があり、それまでは練習をします。ホテルから試合会場まで車で10分ほど。タクシーで移動しますがこれがよくテレビで見るようなトラックに座席がついたような乗り物。強風に吹かれながら時速100km以上でぶっ飛ばします。

 会場に着いたら早速練習です。なんといっても今回は日本代表としてペタンクの試合に来たのですから、ここは手を抜くわけにはいきません。テランの状態を把握しつつ、自分の調子やチームメイトと作戦を確認していきます。ペタンクはメンタル面や作戦・戦術が重要なスポーツです。翌日からの本番に備えて憂いはなくしておきたいものです。5時間ほどみっちり投げ込んでこの日の練習は終了しました。

 夕刻からは開会パーティーと組み合わせ抽選会。対戦相手も決まり、試合への闘志をみなぎらせながらもパーティーでは大いにハジケます。

 さあ、いよいよ明日は試合!気合を入れつつ次回に続く。

  

第150話『南信マツカヴァの12ヶ月・4月の章』

2008.2/26掲載

 ペタンクタイ紀行は前々々回からの続き。

 いよいよ大会が始まります。開会式は午前8時から。一時間以上前に会場に入り練習などをします。

 試合会場は気温35度に達するタイ王国の炎天の下、日陰もない砂利敷きの屋外ですから、なんにもしなくても汗だらだら。体調の維持も重要になります。

 ペタンクというとなんとなく『ニュースポーツ・老人向け軽スポーツ』と思われがちですが、世界的に見ると若者が必死に取り組むゲームです。運動量は激しくないため、確かに高齢者まで楽しめますが、本格的な試合には技術・体力・精神力が漲っていないと取り組めません。一試合一時間ほどですから、一日四試合も戦うとフラフラになるくらいです。

 開会式は実に華やか。タイらしく、花火や爆竹がこれでもかと鳴り響き、アジア各国からの選手を迎えます。選手のほうはリラックス。開会行事を横目に勝手に記念撮影したり、おしゃべりしたりまことにおおらか。日本の教育関係の人なら青筋立てて怒りまくるようなセレモニーでした。

 開会式後はまずシューティングコンテストがおこなわれます。シューティングとは、ペタンクの投球技術の一つで、相手の球に自球を直接ぶつけて弾き飛ばすこと。で、この技術だけを競うのがシューティングコンテストです(プロ野球オールスターゲームのホームラン競争をイメージしてもらうといいか)。各チームから『ティーラー』という弾き飛ばし専門の選手一人が出場し得点を競います。私は『ミリュー』という弾き飛ばしも、『ポワンテ』という寄せる係もするという何でも屋なのでシューティングコンテストは応援でした。

 シューティングコンテストが終わり試合開始予定は11時。しかし実際には午後1時になってもまだ始まりません。ペタンクは南フランス発祥のスポーツ。南仏の非常におおらかな(いい加減な)性格が、そのまま持ち込まれているので、大会運営も実にいい加減。世界選手権だって時間通りに進行することはありません。この日も予選三試合を戦っただけなのに終了時刻は午後9時頃。ちなみに9時終了なら、予定に近いほう。日付をまたいでおこなわれることもざらです。

 午後1時30分、やっと私たちの試合が始まりました。私のエキップは大阪のM氏がティーラー、私がミリュー、大阪のY氏と飯田のK氏がポワンテという構成。三人一組の試合なので戦略上Y氏とK氏が交代で出場します。

 予選第一試合はカンボジア戦。カンボジアは先ほどのシューティングで3位になったティーラーのいる強豪国。果たして試合になるのか?軽くあしらわれるのか?ドキドキしつつ次回に続く。

 

第151話南信マツカヴァの12ヶ月・5月の章』

2008.3/9掲載

 ペタンクタイ紀行は前々々々回からの続き。

 予選一回戦は優勝候補の一角カンボジア。日本から遠路はるばる乗り込んで、やっと試合開始です。

 さすがにアジア大会、という緊迫した雰囲気はありません。お国柄と競技柄か穏やかな雰囲気で試合はおこなわれます。しかしそれぞれに国を代表して参加しているのですから、集中した真剣勝負が繰り広げられます。さすがの私も第一投は震えました。

 第一メーヌ(セットと同義)はお互いポワンテ(寄せ)ティール(弾き飛ばし)を決めあって11球を投げ終え、相手が2点の状況。残るは私の一球のみ。緊張しつつも集中しポワンテ。見事にビュット(目標球)にピタリと寄り日本エキップ先制!「お!世界に出てもそこそこ戦えるぞ。我等のレベルも馬鹿にしたもんじゃない!」と思えたのはここまで。相手のティールの精度があがり、カローという、敵の球を弾き飛ばしたうえ自分の球がその場にピタッと残るという最上級の投球を連発され、ずるずると失点。終わってみれば1―13の『スミイチ』の完敗でした。

 ペタンクは3人一組、各自2球(各エキップ6球)合計12球の投球でひとメーヌが終了です。メーヌを繰り返しながらメーヌごとに得点を計算し、合計13点に先に達したエキップの勝ちになります。(社会体育などでは時間制限でおこなわれることもありますが、それでは魅力半減です。点を取ったり取られたりだけでなく、大きく取るための博打や、小さく取られるための犠打などの作戦の妙があるのです。フルコースを時間制限で食べるような味気なさはぜひやめてほしいものです。)ひとメーヌでの最高点は6点ですから、3点といえば大量得失点です。なのに我々は4点5点という失点をし、ほぼ無抵抗状態でひねられてしまったということです。

 さすがにこれではまずいと作戦を練り直し、メンバーも入れ替えて心機一転予選二回戦に臨みました。

 予選二回戦の相手はマレーシア。マレーシアは平均年齢が20歳ほどの非常に若いエキップ。(いえ、ほとんどのエキップが平均年齢20代でした。私が最年少というような老齢エキップのほうが珍しい。日本のもうひとエキップは10代を含む平均年齢30ほどですから、いかに我がエキップがヨレヨレだったか想像に難くないところでしょう。)若さにつけこんで攻めたいところですが、競技歴は向こうのほうが長い。敬老精神で年寄りに勝ちを譲ってくれるとは思えません。気合と根性を入れて踏ん張るしかありません。

 我がエキップに勝機はあるのか?それとも轍を踏んでしまうのか?ハラハラしつつ次回に続く。

  

第152話『南信マツカヴァの12ヶ月・6月の章』

2008.3/19掲載

 ペタンクタイ紀行は前々々々々回からの続き。

 予選二回戦は非常に若いマレーシア。一回戦に負けている我々はもう負けるわけにはいきません。

 とはいうものの実力差はいかんともしがたい。あっという間に1―5と離されてしまいました。しかしここで我々にペタンクの神が降りてきました。ポワンテとカローが連続で決まり、1メーヌでなんと6点!で大逆転。このまま一気に、と思いましたがペタンクの神は早々に去ってしまいました。

 この1メーヌですべてを出し切ってしまった我々は抜け殻のようになり、その後はズルズルと失点を重ね、7―13で敗れてしまいました。

 これで予選各ブロック上位2チームが進出できる決勝トーナメントの道が絶たれてしまいました。が、これでアジア大会すべてが終わってしまったわけではありません。予選がもう1試合残っていますし、決勝トーナメントに進めなかったチーム同士で戦うネイションズカップという大会も残っています。

 さて、今回のアジア大会には、タイ王国・カンボジア・マレーシア・ベトナム・ラオス・シンガポール・台湾・中国・オーストラリア、そして日本の10ヶ国が参加しました。各国2エキップ、中国・ラオス・オーストラリアは1エキップ、合計17エキップでおこなわれました。予選は4組に分かれ、上位2エキップが決勝トーナメントへ。決勝トーナメントに残れなかったエキップと、決勝トーナメント一回戦敗退エキップによって、ネイションズカップがおこなわれます。このネイションズカップも決勝トーナメントに劣らずレベルの高い試合が展開されます。我々にとっては予選だろうが、ネイションズカップだろうが、手も気も抜けない厳しい試合になります。いや、はっきり言うと一勝できれば大金星に値するほどなのです。

 なんとか一勝を!と、また作戦を練り直し、メンバーも入れ替えて予選三回戦に臨みました。

 予選三回戦の相手は台湾(世界的には台北、もしくはチャイニーズタイペイといわないと通じません)。お国柄か非常に明るいエキップで、応援団もとってもにぎやか。暗〜くチマチマと、腫れ物に触るようなせこいペタンクをする日本国内の大会では見られないおおらかさで試合は進みます。

 このおおらかさにのまれたか、我がエキップは健闘むなしく5―13で完敗しました。しかし1メーヌごとの戦いは接戦に持ち込め、我々としてはある程度手ごたえのある試合になりました。

 さあこの手ごたえは本物だったのか?明日のネイションズカップで悲願の勝利はつかめるのか?日暮れとともに現れた蚊の大群に襲われながら次回に続く。

  

第153話『南信マツカヴァの12ヶ月・7月の章』

2008.4/12掲載

 ペタンクタイ紀行は前々々々々々回からの続き。

 アジア大会も最終日。予選突破できなかった我々は、ネイションズカップに回ります。競技開始は午前8時30分なのですが、トーナメント一回戦不戦勝のためしばらくは時間をもてあまします。

 練習にもいい加減飽きてきたので、早めに昼食を食べて英気を養います。

 この食事ですが、お弁当が出るわけではありません。レストランがあるわけでもありません。試合会場の一角に特設の屋台村があり、そこで好きなものをもらい(大会公式屋台ですから選手IDを提示すれば無料でもらえます)、ベンチに座って食べるのです。旅行番組に紹介されそうな典型的な屋台ですから、超本場・正真正銘のタイ料理です。私にはどの料理もおいしく毎食楽しく完食していましたが、辛いのが苦手な人や、香草がどうしても無理な人はつらそうでした。そうは言っても他に食べるものはないし、四日もいるとそれなりに慣れて食べられるようになるみたいです。私なんか水も大丈夫で、水道から直接ゴクゴク飲んでました。唯一食べられなかったのは、口に入れる前から辛さを感じる激辛春雨炒めだけでした。

 さあ腹ごしらえもできたところでネイションズカップです。くじのいたずらか対戦相手は、前日負けたばかりのチャイニーズタイペイエキップ。同じ相手に負けるわけにはいきません。気合を入れまくって試合に臨みます。

 この試合は当日何かに憑かれたように絶好調の私がティーラーになり必勝を期します。前日になんとなく手ごたえを感じていた我がエキップは、必死でくらいついていきます。「なんとか一勝を!」の熱い思いで積極的に仕掛けていきます。私も熱い思いに応えようと、のりにのって絶好調を維持します。いえ、私をのせてくれたのは味方だけではありませんでした。前日の対戦同様、チャイニーズタイペイはエキップも応援団もとっても明るくにぎやか。その雰囲気が私をのせてくれます。そのあたりに気づいたのか日本応援団も明るくにぎやかに応援してくれます。もちろん私も陽気なパフォーマンスで応えます。そんなこんなで、私が実力以上の力を発揮し、そういうプレーが出るたびに、敵も味方も大喜びという公式戦ではありえないような盛り上がり。言葉は違えども同じスポーツを愛するものの絆に感動しつつ試合は進んでいきます。

 しかし結果は非情、6―13で敗れてしまいました。これで我々のアジア大会は終了。と思うと大間違い!ペタンク大会の面白いところ、ここからも試合がいっぱいあります。

 えっ?どういうこと?勝つまでやるの?と謎を残しつつ次回に続く。

 

第154話『南信マツカヴァの12ヶ月8月の章』

2008.4/27掲載

 ペタンクタイ紀行は前々々々々々々回からの続き。

 アジア大会の予選を突破できず、ネイションズカップにも敗れ、我々の公式戦は終わってしまいました。しかし、今まで書いてきたようにペタンクの大会というのは非常におおらかで、時間ものんびりと開催されます。そこで自然と空き時間が多くできることとなり、その間に野良試合がいっぱい行われます。いい表現で言うと試合前の調整ということでしょうが、実際の試合とはあんまりかかわりはないということもママあります。

 ペタンクにはシングル・ダブルス・トリプルと三種類の試合形式があり、そのとき集まった人数で試合形式を変えることができます。今回のアジア大会公式戦はトリプルですが、野良試合にそんな制約はありません。暇そうにしている選手を見つけたら声をかけ、一人ならシングルで、二人ならダブルスで、三人ならトリプルで試合をします。そしてこの精神は世界共通のものですから、相手からもどんどん誘われることになります。

 そんな状況ですから私も、ラオス・中国・オーストラリアの方たちと試合をさせていただきました。そしてそこではそれなりに勝利を挙げ、『タイ王国負けっぱなし紀行』は免れたのでした。

 さあ本戦のほうは我々の関与しない中で進み、タイ対タイの男子決勝戦や、タイ対ベトナムの女子決勝戦を羨望と驚愕で観戦し、「次回はあそこに立ってみせる」と決意も新たに表彰式も目に焼き付けてきました。

 無事大会が終了したその後、さらに盛大なファイナルパーティーが待っています。日本チームは伝統的にこういうパーティーで暗かったようですが、今回のチームはハジケまくり『ジャポンヌーボー』を大いに喧伝してまいりました。

 ファイナルパーティーは完全なる『ノーサイド』です。4日前までは顔も知らなかったアジア各国の選手たち、数時間前まで必死で戦っていた相手と和気藹々アイアイくらいに仲良く楽しみます。なかにはパーティー用にドレスアップして気合を入れて参加する選手がいたりして試合とは違う華やかさがあります。

 パーティー中は、健闘をたたえあうなんていう野暮なことはしません。大会や試合や技術談義をするような人も一人もいません。全くの旧知の間柄が久しぶりに出会ったような和やかさと盛り上がりです。歌ったり踊ったり記念品の交換をしたり。アドレスを教えあって、交流を続けていこうとする人たちもたくさんいました。こんな素敵な仲間と世界中でつながっているペタンクが、またいっそう好きになる感動のパーティーでした。

 あ〜楽しかった。あとは帰るだけ、しかし無事帰れたのか?次回に続く。

 

 

第155話『南信マツカヴァの12ヶ月9月の章』

2008.5/13掲載

 ペタンクタイ紀行は前々々々々々々々回からの続き。

 アジア大会の行われたスパンブリという街は、バンコクからアユタヤに向かった線をさらに延ばしたところにある街です。帰国の飛行機が夜便だったため時間に余裕のあった私たちは、アユタヤ遺跡の見物に繰り出すことにしました。

 アユタヤまで行ったはいいですが、まったくの行き当たりばったり観光なので予備知識がありません。どこが見どころだかわからないのでとりあえずウロウロします。遠くからでも見える大きな建造物はひととおり見ましたが、見落としたところもいっぱいありました。帰国後ガイドブックで見たら『菩提樹に抱かれた仏頭が一番の見どころ』と書いてありましたが、見逃してきました。でも逆に、へんな市場のまかないどこや、皮細工の作業場などを見ることができました。そして外国人(タイ人以外)の観光客がまったくいないような屋台で、いろいろ食べたり飲んだりしたのでした。

 さらに時間があったため、バンコクで買い物もすることにしました。これもまったくの行き当たりばったりです。何とかバザールとか言う土産物屋街へ行き、『ディスカウント!』『モアモア!』と連呼しながら買い物をしてきました。

 スパンブリに比べるとバンコクはやはり物価が高く、25円だったミネラルウォーターは35円に。50円だったキーホルダーは150円になってました(でも『ディスカウント!』『モアモア!』で同じくらいの値段になります)。私は特別買い物の予定もありません。家族にTシャツとキーホルダーを買うくらい。のんびり商店街をウロウロしながら、他の選手たちの買い物を見たり手伝ったり(ディスカウント!モアモア!係)してすごしました。

 長く印象的だったペタンクタイ紀行もいよいよ終わりです。帰国便は22時35分発のタイ航空。成田到着は翌朝、6時15分の予定。今度はぐっすり寝てくるしかありません。離陸直後に出された機内食をさっさと平らげ、名残のタイビールを一杯飲んでお休みなさい。

 寝ぼけ眼で成田到着、ジャンパーを着込みますが寒さがこたえます。荷物を受け取ったら、今回ともに戦ってきたメンバーと解散です。名残惜しいような気もしますが、次回予選会の強敵にもなるメンバーです。微妙に腹の探り合いをしながらの解団式となりました。

 帰路は新宿から高速バスで一気に松川へ。本当にタイ紀行が終わってしまいました。しかしここでのんびりしている暇はありません。タイで得たものを多くの仲間たちに正しく伝えなければなりません。そしてなにより、また大会に出られるように頑張らなければなりません。ヨッシャー!

 

第156話笑いの殿堂』

2008.5/29掲載

 問題・関西の人気劇団といえば?タカラヅカ!ピンポ〜ン。しかし地元でそれ以上の人気を誇るのが、よしもと新喜劇。というわけでこの春、帰省をかねましてなんばグランド花月に行ってきました。

 父さんがなんばグランド花月に行くのは実は2回目。数年前の夏、じじばばに子供達を預け、母さんとデートしたときに「USJ?」「満員で入れない」、「神戸散策?」「暑すぎてダウン」、「室内で楽しめるところ?」「なんばグランド花月!」ということで思い立って出かけ、立見席で見たことがありました。

 関西の笑いに慣れている父さんでさえ生よしもとは初体験。テレビとはぜんぜん違う臨場感に大爆笑でしたから、母さんにいたっては腹をよじって苦しがっていました。そういうおもろい体験をぜひ子供たちにもさせてやりたいということで今回家族そろってちゃんと座席をとっての鑑賞になりました。

 まずは新喜劇から始まります(通常はまず漫才・落語・奇術があり、その後新喜劇なのですが、この日は春休み特別4回公演ということで順番が入れ替わっていました)。おなじみの小薮や川畑、一の介や未知やすえの繰り出すギャグに大笑い!オクレなんか立ってるだけで笑えてきます。いつもは落ちつきのない次男も、食い入るように身を乗り出し大爆笑を繰り返しています。そして最後にほろりとさせる絶妙の演技に、一時間があっという間に過ぎていきました。

 後半の漫才では、Wヤング・やすよともこ・桂きん枝・カウスボタン・中川家・千鳥などが登場。父さんは話術な巧みなカウスボタンあたりが笑いごろですが、子供達は千鳥で大爆笑。母さんはWヤングにうけていました。後半もあっという間に一時間半が過ぎ、涙を流しながらなんばグランド花月をあとにすることになりました。

 さあ、せっかく食いだおれの街に来たんやからなんかおいしいもんでも食べよ、ということになり道頓堀に繰り出します(なんばグランド花月と道頓堀はアーケード続き、歩いて5分)。それに道頓堀に来たんですから、話題の『くいだおれ人形』とか動くカニの看板とか、優勝ダイブでおなじみ道頓堀橋とか、グリコの大看板も見なければなりません(これら全部見ても歩いて5分。写真撮影の待ち時間のほうが長いくらいです)。

 見物をひととおり終え、記念撮影も済ませ、今回は大阪名物串かつ屋で食いだおれ。しかし、道頓堀をウロウロしながらたこ焼き・明石焼き・よしもと人形焼をいっぱい食べていたためなかなか食が進みません。別の意味で食いだおれてしまったわれわれは「大阪の奥深さ恐るべし」とリベンジを誓って帰宅しました。

  

第157話『ブッブー』

2008.6/14掲載

 子供の頃にマニアックになり、種類や名前を驚くほど記憶しているものというと、電車・車・怪獣の三大定番が挙げられるでしょう。

 我が家の子供たちは今まで特にどれにもはまることなく(多少ゲームキャラクターに興味があったようですが、マニアックというほどではありませんでした)平和な日々が続いていたのですが、五年生の次男がここにきてがぜん自動車に興味を持ち始めました。しかもTOYOTA車限定で。

 小中学生をお持ちのご家庭なら、この辺りまで読んで自動車マニアックの原因が分かるかと思います。原因は飯伊地方では恒例の『東海地方への社会見学』にあります。

 東海地方への社会見学は飯伊の多くの小学校で五年生時に実施される行事で、海なし県の子供たちに海を体験させること、翌年の修学旅行の行動訓練・宿泊訓練(最近は泊をともなわない実施校も増えてきましたが)、さらには地域の産業として近隣の愛知県の自動車産業を見学してくる、という目的があります。学習として行くわけですから、事前学習がしっかりとおこなわれ、事前学習の目玉がTOYOTA自動車なのです。

 TOYOTA側からのアプローチも積極的です。事前学習のための資料や冊子を贈呈してくれたり、ホームページも児童に理解しやすいものを用意してくれています。見学場所についても、自動車工場だけでなく、機械化の歴史や自動車産業の全体像をくっきりと見せてくれる工夫がなされています。それで、自然と子供たちの興味関心がTOYOTA車に向かっていくわけです。

 TOYOTAからもらう資料の中には、車名一覧(全車種が網羅されているわけではありませんが)になったトランプカード入っており、次男はそれを熱心に見て覚えてしまったようです。覚えてしまうと次は実際に見てみたくなるものです。

 外出する時にはトランプを持っていき、駐車場で道路上で次々にTOYOTA車を見つけ、車名や車名の由来などを解説してくれます。たまにトランプに載っていない車を見つけたりすると、子細にチェックをしています。

 さて、次男は車種チェックを進めていくに従って大きな疑問がわいてきたようです。それは国内販売台数の約50%を占めるはずのTOYOTAなのに、次男によるとTOYOTA車はそんなに走ってないというのです。むしろ国内販売台数の割合が約18%しかない日産自動車のほうが多いというのです。うーんなぜでしょう?長野県には軽自動車が多いからかなぁ?でも日産の軽はそんな多くないしなぁ。販売店が多いのかなぁ?

 ???私には分かりませ〜ん。先生ぜひ今後の学習で解決してやってください。

  

第158話『ひおしがり』

2008.6/28掲載

 次男が、東海方面社会見学に行った話は前回いたしましたが、その中で次男初体験の潮干狩りが行われました。

 海に、山に、川に獲物を求めて喜んで出かけていく我が家なのに、どういうわけか今まで潮干狩りには行ったことがありませんでした。『狩り』とは言うもののあまりアクティブでなく、ワクワク感が少ないことが今ひとつ興味のわいてこないところでしょうか。さらにはほとんどの干潟では、満潮時に『アサリ撒き』を行い、外国産の貝ばかりであるといううわさのせいか。そして何より店で買ったほうが断然安いということも大きな要因でしょう。

 現在、潮干狩りの相場は、一人1200円程度(小学生以下半額)で、採っていい量は3〜5sほど。貝のお持ち帰りにはさらに追加料金を取るところもあるようです。我が家が家族4人で出かけたとすると、4200円でアサリ20sということになってしまいます。こ、これはすごい…。アサリに4200円の出費というのは非常に大きい。回るお寿司屋さんに行って、貝食べ放題でもこのくらいで収まるでしょう。さらにアサリ20sというのがとてつもない量です。日ごろ食卓にあがるアサリの酒蒸しが500g程度ですから、一カ月毎日酒蒸しを食べてもまだなくならない!加減して採ればいいじゃないかと思われるかもしれませんが我が家ではそれは無理。そんなこんなできっと潮干狩りに行こうと思わなかったのでしょう。

 話を次男の潮干狩りに戻しましょう。前日には「ぼくだけ採れなかったらどうしよう」とか「波に流されたら帰ってこられない」とか変な心配ばかりしていましたが、案ずるより産むが易し。とっても楽しかったようで適量(600g程度)のアサリをお土産に持って帰ってきてくれました。

 次男が潮干狩りをしてきたのは南知多ビーチランドのそばの干潟で、(次男には内緒ですが)ここのアサリは非常に小さい。心ある旅行業者に聞くと、「あそこは採りにくくって数が少なく、形も小さいんですよ」と教えてくれました。(ちなみに、翌日他の場所で潮干狩りをしてきた近隣の学校の獲物は、丸々と大きく量も1s以上ありました。)いえ、次男の学校だって、時間や行程の都合でそこになっただけで、文句を言うつもりはぜんぜんありません。次男が楽しそうに帰ってきたのがなによりですから。

 せっかく採ってきたのですから食べましょう。しかしここで問題発生!次男が「アサリさんかわいいから、食べずに飼う」と言い出したのです。それは無理だと説得し、なんとか鍋に入っていただく、そして口に入っていただく。うまい!

 ここだけの話、貝類は大きいものより小さい方が断然うまいのです。

  

第159話『口八丁手八丁』

2008.7/26掲載

 口八丁手八丁で浮世を渡ってきた父さんにとって、タイトルの言葉は一種の褒め言葉か。八丁味噌といえば味噌カツなどでよくお世話になっています。それはさておき、我が家のファーブルこと次男と一緒に別の八丁、『ハッチョウトンボ』を見に行ってきました。

 さて、このハッチョウトンボ、日本に生息する200種ほどのトンボの中で一番小さいトンボで、体長約2p(一円玉と同じ大きさ)!日当たりがよく、きれいな水が入り込む数センチの深さの湿地のような場所に生息。四月下旬から八月上旬まで飛び交う姿が見られる亜熱帯性のトンボで、アジアに広く分布。放浪性が強く、住みよい場所を求めた結果、伊那谷にも入り込んだようです。

 今回観察に行った場所は、上伊那駒ヶ根市の南割公園アルプス球場隣のトンボ池。ここは、中央自動車道建設のために山を削ったら、湧き水が出たという近代的な自然観察場。トンボ池の目の前の斜面から、絶えず湧き水が出ていてハッチョウトンボの生息に適しているらしく、以降いつの間にか勝手に居着いたハッチョウトンボの生息地として整備され、現在に至るというところ。

 実はハッチョウトンボ観察会は今回が二回目。昨年「長野県でトンボといえば秋だろう」と九月頃出掛けていったところ、前述のとおり季節外れ。家の周りにも飛んでいるアキアカネしか観察できませんでした。その反省をいかし、今年は六月の暑い日に出かけていきました。

 トンボ池に到着すると、いきなりたくさんのトンボの歓迎が。しかし、これはナツアカネやシオカラトンボの姿。(トンボ池はしっかり整備されているので、ハッチョウトンボだけでなく、多くの種類のトンボが生息しています。この日もギンヤンマやイトトンボもたくさん飛んでいました。)

 「一円玉ほどの小さいトンボなんか飛んでいないぞ。また今年も空振りか」とあせりながらもゆっくり池を見てみると、居た〜!池の中に生えるスギナのてっぺんに真っ赤な一円玉。

 早速ファーブル先生の観察が開始されます。「やっぱり小さいなぁ。でも立体のせいか一円玉よりは大きく見えるな。」「すごい真っ赤だ。目玉はつやがあってビーズ玉そっくりだ。こっちには飴色と白色の縞模様のがいる。これはメスで真っ赤なのがオスだな。」「とまったときの羽の配置が独特だぞ。」「あれ?オスは1m以上は逃げないぞ。この小さい範囲がなわばりなんだな。」「ヤゴの抜け殻は見つかるかなぁ。」などと見事な観察。

 次男よ、ハッチョウトンボは確かに珍しく見ごたえがあったけど、父さんにとってはこんなに集中し落ち着きがあり頼もしいお前のほうが珍しくて見ごたえがあったぞ。

   

第160話『キャンプだホイ』

2008.8/19掲載

 アクティブな我が家ですから今までキャンプなど何回も行きました。本格的な幕営こそしたことがありませんが、キャンプ生活なんか別段珍しい体験ではないはずです。そんな次男が、学校の林間学習でキャンプに行ってきました。

 学校の仲間たちとのキャンプ生活は、家族とはひと味違ったおもしろさがあり、いい体験になるでしょう。それにこういう団体でのキャンプでしか体験できないこともあります。それはキャンプファイアーです。家族でのキャンプでは『焚き火』程度ならできますがキャンプファイアーまでは無理です。公共のキャンプ場などで、キャンプ場主催の自由参加ファイアーが行われることもあるようですが、知らない人たちとファイアーを囲んでもそんなには盛り上がれません。いろんなセレモニーをしたり、フォークダンスをしたりするのはやはり団体でのキャンプならではでしょう。

 出発の時刻は雨ザーザー。カッパを着込んで一時間半の“強歩”になりましたが、お弁当を食べ入所のいろいろをしているうちに、雨はすっかり上がってくれました。おかげで夕食の飯盒炊爨以降の活動は、全て予定通り実施できました。

 夕食のメニューは定番カレーライス。皮をむいたり、具材を切ったりは慣れたもの。みんなと力をあわせておいしいカレーが完成です。

 問題はやはりご飯でしょう。昨年の家族キャンプで飯盒でのご飯の炊き方をみっちり伝授しましたが(139話参照)、一筋縄ではいかないところが飯盒炊爨のおもしろさ。みんなであ〜だこ〜だやっているうちに焦がしてしまいました。しかしそれほど深刻な事態にはならず、白いところを掻き集めて、班員分のご飯はことなきを得ました。

 ちなみに、翌日の朝ごはんでは、ご飯は完璧なものが炊けました。ただしご飯に集中しすぎたせいか、味噌汁を作るのが遅くなり、慌てて入れたたまねぎがほとんど生状態で「辛くて辛くてマイッタ」というものになってしまいましたが…。

 夜はテント泊。一つのテントに5人で泊まることになっていて、このメンバーによってキャンプの楽しさが決定するといっても過言ではありません。私が子供の頃はずっと寝ないでおしゃべりしたり、隠れてトランプをやったり、テントから抜け出してウロウロしたりしていましたが、時代は変わったのか、特別悪さをしたり先生に怒られるようなこともなく過ごしたようです。

 えっ、こういう団体でのキャンプでしか体験できないキャンプファイアーのことですか?次男によると「すげーちっちゃくて、ぼくの身長より低かった」。楽しかったから良かったんだろうけど、ちょっと残念な感じがするなぁ…。

 

第161話『天に星地に花火』

2008.8/27掲載

 夏の夜を彩る風物といえば、なんといっても打ち上げ花火です。そんな打ち上げ花火を足下に見下ろしたことがおありでしょうか。

 さかのぼること4年、2004年秋にそのプロジェクトは立ち上がりました。プロジェクト名『花火を上から見てみよう!』。

 それは家族で小八郎岳に登った時のことでした(第78話参照)。小八郎岳山頂から松川町を一望した際、目の前に『信州まつかわ温泉清流苑』が見えるではありませんか。「そういえば、しばらく前に清流苑の花火大会があったよね。あの打ち上げ花火をここから見たらどんなふうに見えるのかな?」この一言で『花火を上から見てみよう!』決定。

 しかし清流苑花火大会は夏休み中のため、我が家は不在なことが多く、今年まで実施にいたりませんでした。そして構想4年、ついに念願の『花火を上から見てみよう!』を今年行うことになりました。

 参加者は、発案者父さんと、四年前の登山をほとんど覚えていない次男、以上二名でした。登山にいい思い出のない母さんと、受験生という隠れ蓑ですっかり出不精に磨きがかかった長男は不参加でした。

 清流苑花火大会は午後八時から。鳩打ち峠から小八郎山頂まで約一時間。テント設営などの時間を見越して午後六時に出発。同じようなことを考える登山者がいっぱいいたらいやだなぁ、と思いつつ登っていきました。幸いそんなことを考える人は他にいなかったようで、二人だけで山頂桟敷独占ということになりました。ご飯を食べて、テントで休憩して準備万端花火の打ち上げを待ちました。

 「父さん下がったよ!」という次男の声。しばらく遅れてドーンという音。ついに打ち上げが始まりました。現場では打ち上げているのでしょうが、我々から見ると眼下遥か下のほうに落ちています。次男の「下がった」という表現が非常に良く分かります。花火と我々の間にさえぎるものは一切ありませんから、全体がとてもクリアにきれいに見えます。スターマインなどは、花火作家の想定外の視点から見ていますから、作為を超えた美しさがあります。花火を透かして街の灯りが見えるところは、とても不思議な感じがします。少し遅れて聞こえてくる音は、さらにうしろの烏帽子ヶ岳で跳ね返り、音ともいえぬような空気の塊が押し寄せてなんとも幻想的。そしてなにより座ったままで、うつむいて打ち上げ花火を見るというのが新鮮でした。

 その後、余韻に浸りながら山頂でテント泊、朝になって下山してもまだ不思議な余韻が二人の心と体を包み込んでいました。

 最後に二人合作の一句を、『天に星 地には花火の 小八郎』

 

第162話『ブッブッブー』

2008.9/4掲載

 毎年子供とその家庭を悩ます『夏休みの自由研究』。今年次男が取り組んだのは『日本全国・車のナンバープレート探し』でした。

 一学期に行った東海地方への社会見学でTOYOTA車に興味を持ったことと、父さん持論の「夏休みの自由研究は、『調べたって別に何の役にも立たないであろうということ・でも自分の体を使って調べないと絶対にわからないということ』が大事なんだ」という言葉に従ったのでしょう。

 調べ方はいたって簡単。夏休み中、常にデジカメを持ち歩き、日本全国の車両の登録地(松本とか長野とかの地名のこと)のナンバープレートをどれだけ集められるかを記録に残していくというものです。ナンバープレートを求めて旅行するのではなく、次男が移動する中でどれだけ出会えるかを調べます。あんまりじろじろ探して、写真に撮っていると怪しげで怒られそうなところが一番難しいところでしょうか。あと安全には万全を期さねばなりません。

 ところで、全国で何種類のナンバーがあるかご存知でしょうか?近年多く採用されてきた『ご当地ナンバー』も含めてなんと105種類もあります。長野県の短い夏休み中にどれだけ出会えるか。今年の夏のお出かけ予定は、両親の実家への帰省と若狭での海水浴のみ。次男の予想では「半分超えればすごいんじゃない」。父さん予想で「期待を込めて80種類」。さあ夢の105種類コンプリート目指してレッツゴー!

 まずは近くのお店や施設などから。意外にいろんな地域からお客さんが来ているようで、あっけなく20種類ほどが集まりました。この分ならコンプリートも夢じゃないと思いながら帰省と海水浴のため高速道路へ。SA・PAのたびに停まり次男を中心に家族総出で探して回ります。さすがに高速道路は遠距離からの車も多く、九州や東北の車にもたくさん出会えました。若狭到着時点で約80種類をゲット。

 しかしこのあたりから急にペースダウン。なかなか新しいナンバーに出会えません。難しいと予想していたご当地ナンバーには結構出会えたのですが、やはり北海道・沖縄が厳しい。そして予想外に次男を苦しめたのが金沢と大分でした。北陸の福井県に行けば確実と思われた金沢は京都府に入ってからなんとかゲット。大分は九州地区が全部集まったのに唯一見ることができませんでした。

 旅行も最後、駒ヶ根で夕飯の買い物をして帰ろうと立ち寄った店でなんと沖縄発見!奇跡の一台で旅行を締めくくることになりました。

 結局夏休み中に、予想を大きく上回る96種類ものナンバープレートに出会うことができました。

 この調査、やってみると結構はまりますよ!

 

第163話『もぐる』

2008.9/28掲載

 夏はやっぱり海水浴です。アクティブな我が家なのに、ここ数年は海水浴に行っておらずちょっと不満が募っていました。で、福井県若狭・高浜町の海に行ってきました。

 我が家の海水浴は漁です。(第7話参照)チャプチャプ水と戯れるのではなく、水深のあるところでもぐって、魚を獲ったり、貝を採ったりして楽しむものなのです。(観察及び家族への自慢のために一時的に捕まえるだけですので、密漁などと誤解されませんように)

 若狭・高浜の海に来るのは5年ぶりのこと。以前来たことを次男は覚えていませんでした。実質漁デビューとなる次男は、みんなにおくれをとらないようにと秘密兵器を用意しました。それはシュノーケル。

 我が家の海水浴では代々シュノーケルは用いられませんでした。息いっぱいまでもぐる我が家流はシュノーケルに合わないためなのですが、次男はまだそこまでもぐることもできないし、海中を堪能するためにも有効だと考えての採用となりました。

 使うと決めたものの、使い方や信頼感が今ひとつだった次男は、シュノーケル購入から連日お風呂でトレーニングを始めました。おかげで海に行ったときには一人前に使うことができるようになっていました。

 今年の海はぬるかった。あの烈暑のままに海水も温まっており、魚があまり浅瀬に寄ってきません。しかしある程度の深さ(3mくらい)まで行くと魚がいます。次男はそこでシュノーケルでスーハーしながらプカプカ浮いたまま水中をのぞいています。おかげで海中を十分堪能できたようでした。もちろん可能な限りもぐることにも挑戦していました。3mまで深くなると底までもぐりついて獲物を探すことはできませんが、底の石を取ってくるくらいはできるようになりました。2mほどならしっかりもぐってサザエなど捜すことができましたし、実際採ることもできました。

 次男のシュノーケルを見てうらやましがったのは母さん。水泳が苦手な母さんは「私だって息ができればしっかり泳げるし、ちゃんともぐれる!」というのです。じゃあ証拠を見せてもらおうと急遽シュノーケルもう一本購入。しかし結果のほうは、浮き輪でプカプカしている時間が増えたこと以外はあまり成果は出なかったようです。まあそれでも水中を覗いている時間が増えたことで、今まで以上に海水浴が楽しめたようではありましたが。

 今年最大の獲物は父さんが捕まえた黒鯛(35cm)。泳いでいるのをいきなり捕まえたのですがまさか採れると思っていなかったので本人もビックリ!こんなん素手で捕まえるなんてもはや海女!(海坊主という説もあり)

  

第164話『ぐねる』

2008.11/07掲載

【ぐね・る】動詞(五段)足首をひねること。またそれによって捻挫などをすること。俗:関西弁

 飯田・下伊那地区ではあまりなじみのない言葉ですが、関西弁が飛び交う我が家ではおなじみの言葉。加えて、母さんがよくぐねってきては大騒ぎするのでなおさらです。

 そんなところが遺伝したのでしょうか、長男が学校の階段でぐねって帰ってきました。長男は部活動引退後、『学校の階段部』というのを勝手に結成し、日々階段を駆け上がり駆け下りているようで、いつかはぐねるだろうと予想していました。長男いわく、「活動中じゃなかった。学校の階段部はあくまでも安全だ。」ということらしいですが、今後も活動を続けるようならもっと大きな事故が発生するのは自明の理。早く気づいてもらいたいものです。

 さて、不覚にもぐねってしまったらさっさとやらねばならないことがあります。まずは冷やします(凍傷にならない程度に!)。そして冷やしつつ、腫れがあるかどうかを確かめます。痛いだけなら日にち薬、市販の冷シップで大丈夫でしょう。腫れがあったときが大変です。腫れてくるってことは、靭帯(筋肉・腱)が損傷しているか、軟骨が変形しているか、骨が折れているか、という可能性が高いからです。素人判断は禁物、病院に行くのが確実です。そして必ずレントゲンを撮ってもらうようにしています。

 今回の長男は、見事に腫れ上がってきたのでレントゲンコースご案内。レントゲン撮影で骨には異常がなく、靭帯損傷と診断されました。しかし内側と外側の両方の靭帯が損傷しているということで厳重固定。アイシングを続けて、入浴のときも決して温めないようにと注意されました。さらには松葉杖まで勧められましたが、翌日から学校が連休になるということでお断りしてきました。

 病院から帰ってきたら、あとは冷やして安静にするしかありません。ただし病気のときの安静とは違い、移動さえできればあとは普段どおり活動できます、勉強したり手伝いをしたり。ぐねったことを理由に、なにかとサボろうとする長男に説教するのが、親としての看病の一項目として付け加えられました。

 翌日以降、学校が計画休なのをいいことに「足が痛いから」と言い訳をしてぐうたらな四日間を過ごしました。ヒョコヒョコしながらも結構自在にうろついていたにも関わらず…。おまけに連休明けの朝には「学校まで歩けない」と母さんに車で送らせました。(母さんは自分がよくぐねるので、ぐねった人に非常に甘くて困ります。)

※これはあくまでも我が家の対処法ですので、皆様はかかりつけの専門医等にご相談・加療されますようご注意ください。

  

第165話『休連休』

2008.11/19掲載

 秋真っ盛り、信州の神無月の連休といえばやっぱり行楽でしょう。食べて良し、見て良し、遊んで良し!なにをやっても麗しい一日が過ごせること請け合いです。そんな10月の三連休、次男が熱を出して寝込んでしまいました。

 2日ほど前から「なんとなく頭がくらくらする」とは言っていましたが、いつも以上に元気にいたずらして回っている姿に、家族はすっかりだまされていました。金曜の夜、赤い顔で「頭痛い」と訴え、やっと体温計を持ち出しました。測ってみると37度4分。ここ数日、布団を蹴飛ばして寝ていたことを考え合わせると想定の範囲内。まあ熱があるといってもそう高熱なわけでもなし、土曜日の午前中ゆっくり寝させておけば治るだろうとたかをくくっていました。

 しかし、翌朝起きてみると容体は悪化。熱はしっかり38度台に上がり、食欲もガクッと落ちてしまいました。いつものいたずらな目力もなく、早々にコタツにもぐりこんでしまいました。

 こうなるともうどうしようもありません。氷枕と冷却シートで頭をサンドイッチ。薬を飲ませたり、スポーツドリンク、バナナなどを用意して、おとなしくさせることしかできません。でも、日ごろから元気な次男のこと、夕方ころにはごそごそ動き出し、翌朝にはいたずら全開になるだろうと思っていました。

 ところが今回はそう簡単にいきませんでした。夜になっても熱っぽい顔をしたままぐったりしています。熱も一向に下がらず38度台後半をキープ。食欲もなく、バナナとヨーグルトを寝ころんだまま口にする程度しか食べられません。結局まる一日苦しそうに寝たまま過ごしました。

 闘病二日目。朝からやっぱり高熱をキープ。赤い顔でぐったりしています。いつも落ち着かない次男に「ちょっとくらい病気でパワーの落ちてるときの方がおとなしくていい」と言っている両親でさえ「大丈夫か?」と思い始めました。病気に弱い母さんは病院に連れて行きたくて仕方ないようですが、今日は三連休の真ん中、重篤な状態でもないのに当番医や救急医にいくことははばかられます。やっぱりおとなしく寝かせておくしかありません。

 闘病三日目。さすがに少しずつ熱が下がってきました。昼には起き上がって食事が摂れるようになり、みるみる元気になってきます。目にはいたずらな光が戻り、落ち着きなくうろうろと動き始めました。こうなればもう大丈夫!翌日は学校にも行けるでしょう。

 無事でなにより。とは言うものの、秋の行楽三連休しっかり寝たまま過ごされて家族はいい迷惑です。あそこに行く予定だったのに、あれもしたかったのに…。あ〜あ。

 

第166話『わにわにだちょう』

2008.12/5掲載

 長野県内にテーマパークは少なく、遊びの面でも学習の面でもさびしいものですが、今回ちょっと遠出をして楽しんできました。行き先はリトルワールド。高速道路を使って二時間ほどの南信地区からはおなじみのテーマパークです。

 今回リトルワールドでは「世界サンドウィッチ紀行」と題し、各パビリオンゆかりのサンドウィッチ・ハンバーガー15種類を味わえる企画が行われていました。しかしこの日は秋晴れの絶好の行楽日和。かなりの人出で、全て食べるのはちょっと無理そうです。行列と相談しながら進んでいきましょう。

 まずは日本・沖縄ゾーンで「スパムバーガー」。ポークランチョンミートに卵焼きを添えたハンバーガーです。ハムにちょっとくせがあるもののまことに美味しい。

 続いての中国「東坡肉バーガー」とメキシコ「タコス」はあまりの行列にパス。二個目ですでにパスというのも情けないのですが、最初の一個がとても美味しかったため「みんな食べなくても満足できそうだ」との予測の結果です。

 四つ目インドネシアの「ジャッフル」。バナナとチョコレートがとろけるおいしさ、おやつ感覚で次男の一押しです。

 ヨーロッパゾーンではドイツの、スモークハムと生ハムを贅沢にはさんだ「カッセラーサンド」と、ローストポークとチーズをドイツパンではさんだ「ローストポークサンド」。さらにフランスのオープンサンド「クロックムッシュ」とイタリアの「サルサリエット」。ここはどれも大行列。しかし全パスは悔しいのでどれか一つ…、ドイツビールが飲みたい父さんの独断で「ローストポークサンド」に決定!30分の行列を二杯のビールで我慢して食しました。美味でした、母さん一押し!

 アフリカゾーンでは「ダチョウコロッケバーガー」。ついでにワニ肉の串焼きも食べて。証明書をもらいました。

 インドのナンで巻いた「サブジロール」、タイ北部のピリ辛ソーセージの「サイウワドッグ」と食べ進め、サイウワドッグ」は父さん大絶賛の美味しさでした。

 韓国「プルコギドッグ」は売り切れ、しかも閉園時刻が迫ってきました。なんとかあと一つ。長男が気になっている、コロッケをライスバンズではさんだ「三元豚コロッケバーガー」をなんとか食べることが出来ました。日本らしいテイストで長男一押しでした。

 なんか朝から晩まで駆けずり回って、並んで、食べまくって、飲みまくった一日になりましたが、おなかも気持ちも大満足、幸せな一日でした。

 それにしても、今回食べられなかった八種類のサンドウィッチが気になる…。もう一回行くわけにはいかないが何かの機会に絶対食べてやる!

 

第167話『ストライク』

2008.12/27掲載

 中学生ともなると、学級の親子が集まって和気藹々とはなかなか難しくなってきます。親のほうは、小さい頃から知っている子供達が大人っぽくなった姿にちょっと戸惑いを覚え、子供のほうでは、昔からの自分を知られている気恥ずかしさで、共にちょっと距離を置いておきたいと思う関係なのです。そんな事情から、中学校の親子レクレーションというと微妙な距離感のある催し物になってしまいます。で、中学3年生の長男クラスの今年度の親子レクはボウリングでした。

 我が家ではもう5年も前から子供にボウリングを体験させています。別に将来プロボウラーにしようとしているわけではありません。『何事も体験が大事。やったことないでは情けない』という我が家の子育て方針に従って体験させたものです。父さんの実家の京都で、たまたまボウリング場の前を通ったとき「ボウリングってどんなの?」という長男の言葉であっさり体験決定したものです。それ以来何度かボウリング場に通い、長男はもちろん次男もそこそこ出来るようにはなっていました。

 さて親子レクです。現代の子供たちがどのくらいボウリングに親しんでいるのか?他の家庭では親子でやっているものなのか?そもそもいまどきボウリングなんてやっている人はいるのか?我が家の長男だって、そこそこ出来るようになったとは言いますが、それが相対的レベルでいかほどのものなのか?多くのハテナを抱えたままゲーム開始です。

 さすがにお父さんお母さんの中には『ボウリングブーム世代』がたくさんいて、女性でも130点を超えるような方が何人もいらっしゃいました。一方子供の方はと申しますと、経験者と未経験者の差が非常にはげしい。1ゲームで50点ほどしかとれずきゅうきゅうしている子供も結構います。各自2ゲーム投げて親子レクは終了。大人の部優勝が350点ほど、子供の部優勝者が290点ほどで、優勝者以外の成績は後日発表ということになりました。

 後日学校から成績表が配られ、我が家は父が総合5位、長男も子供の部2位(総合8位・やはり父には勝てず!)になっていました。親子共にベストテン入りしたのは我が家だけで、してみるとやっぱり皆さんそんなにボウリングってやってないのね…というところでしょうか。うれしくもありちょっぴり恥ずかしくもあり…。

 我が家のボウリングレベルがそこそこ高いということが判明した今、長男に負けまいとする次男が張り切っています。今の時点で長男に勝っておけば、中学生の中でも通用するということなのでしょう。先日も127点を出し大満足で自慢して回っていました。

 

第168話『しはん坊の柿のさね』

2009.1/1掲載

 あけましておめでとうございます。今年も子育て父さんと、その家族をよろしくお願いいたします。

 松川町に秋が訪れますと、街道沿いが実ににぎやかになってまいります。今までシャッターが降りたままになっていた店先が大きく開け放たれ、赤や緑や黄色の商品がところせましと並べられ、多くのお客さんでごったがえすのです。そうです、果物の直売所が盛大にオープンするのです。

 我が家でも果物直売所をよく利用します。桃・二十世紀・幸水・南水・シナノスイート・ふじは毎年利用させてもらっています。

 さて、それらの購入は一応父さんが担当ということになっていますが、一人で買いに出かけることはまずありません。なぜなら、果物直売所に行く目的が購入以上に『試食』に重点が置かれているためです。

 選果場でもある程度は試食させてくれますが、単品種でさらにセルフであることが多く、品種や味の特徴などの説明はしてくれません。それにくらべて果物直売所では実にさまざまな試食をさせてくれ、解説も微に入り細に入ります。いや、全ての果物直売所がそうであるとは言いませんが、我が家はそういうところばかり探していきます。我が家にとっていい果物直売所とは試食をいっぱいさせてくれて、解説が面白いところなのです。

 果物直売所に行くと一時間ほどかけていろんな種類の試食をさせてもらいます。こちらはちゃんと買うつもりで行っていますから本気で味わいますし、今年の出来や味の特徴もしっかり聞いておきます。量で言うと一人で二個から三個分ほどいただくでしょうか。次男はこの試食のおかげでリンゴの種類や味の特徴をしっかり覚え、利きリンゴができるほどになってしまいました。そして味と品種に満足できたところで購入となるわけです。自分たちで食べる分もありますし、各所への付け届けにもずいぶん利用させてもらっています。

じつは、果物直売所に限らず我が家は試食が大好きです。試食の量の多さ=いいお店、という図式さえ確立しているといっていいでしょう。

 デパートなどでは常時試食コーナーがありますが、それ以外にも特売日や、○○祭とかいう日にはいつもよりたくさんの試食コーナーがあります。そういうのを見つけるとついついそちらに寄って行ってしまいます。

 観光地のお土産コーナーも試食マニアにはうれしいスポットです。そこでしか売っていないようなお菓子や食材なんか、やっぱり試食なしには買いにくいものです。味を確かめておいしかったら「買おうかな?」。おいしくてもどこかで食べたことがありそうだと「やーめた」。まずかったら当然×。とってもおいしくても値札を見て「とんでもないっ」ということもありますが。まあただでさえ観光地とか○○祭っていうだけで財布の紐がゆるんで、ついついいろんなものを食べたり飲んだりしちゃうんですけどね・・・。

 

『しはん坊の柿のさね』

新春版恒例いろはかるた上方編出典。意味はみんなで調べてみよう!

  

第169話『臼杵』

2009.1/21掲載

 長野県の小学校では、5年生でお米作りを体験する学校が多いようです。日頃は食べるだけで、ありがたみをあまり感じていないものでも、大変な苦労と多くの人の手が加わって、やっとお口に入るんだという実感を持つことは非常に重要です。という例にもれず、我が家の5年生の次男も米作りを体験しました。

 五月に田植えをするところから十月の脱穀までひととおり体験させてもらったようです。まあ、学年が120人以上いて田んぼは1枚ですから、そんなに苦労するほどの体験はしていないんですが…。とにもかくにもそんなわけで先日最後の体験会『収穫祭』が行われました。次男たちが植えたのはもち米で、収穫祭ではお餅をついて、それを味わうということでした。

 さて問題は餅つきです。我が家でも毎年餅つきはやっていますが、それは機械つきです。餅つき機にお米をセットしたらあとはほっといてもお餅ができます。ですが、今回はそうはいきません。臼と杵でペッタンペッタンつかなくてはなりません。次男はそんなことやったことがありません。実は父さんもやったことがありません。大昔実家で餅つきを見たことはありますが、まだ幼稚園児だった私が手伝うことはありませんでしたし、餅屋でアルバイトしたときもつくのは機械(機械といっても臼と杵でつくものですが)がついていました。五年前に長男の米の収穫祭でも餅つきをしましたが、当時役員だった父さんは、いろいろな世話をするだけで餅つきをしなかったのです。というわけで今回初体験、しかも今回の収穫祭にはお父さんの参加が少なく、クラスの餅つき隊長に任命され、ほぼ全てを任されるという事になってしまいました。

 さあ蒸した餅米が運ばれてきました。まずは体重をかけて米を練っていかなければなりません。やり方は今までに見たことがあったのでそれを思い出してやってみます。ウニウニやってるうちになんとなく練れてきたので軽くついてみます。ペッタンペッタン、おぉいい感じだ。もう米が飛び散らないので児童たちと交代。子供達がかわるがわる20回ずつついていきます。15人ほどつき終わったところで最後の仕上げにお父さん登場。力を込めてペッタンペッタンすると、おぉ見事につきあがった。

 そのあと急いでお母さんたちが餅を丸め、子供達がきな粉・ゴマ・あんこをまぶしていきます。これを二回繰り返して餅つき大会終了。お母さん方が作ってくださったトン汁と一緒に食事会になりました。

 食べてみるとうまい!初めてついた餅なのにデリシャス!親子ともども6個の餅を完食してしまいました。

 もしかしたら誰がついてもうまくいくのか?

 

第170話『えび揚がりました』

2009.1/29掲載

 今回の父さんの誕生日パーティーはちょっと和風でまとめてみました。そのメインディッシュとしててんぷらを所望しました。そして家族が用意してくれたのはなんと『セルフてんぷら』でした。

 セルフてんぷらとは、食卓上にコンロとてんぷら鍋を用意し、衣をつければその場で揚げられるように食材が準備されているというものです。イメージとしては旅館で出される小洒落た“一人てんぷら”を大規模にしたものと思ってくださればいいでしょう。大規模ったって大鍋を掛けるわけではありません。食材が多彩に、大量に用意されているわけです。今回用意されたのは、えび・キス・なすび・たまねぎ・かぼちゃ・サツマイモ・アスパラガス・ちくわなど。それぞれがお店の三人前ほど用意されました。

 食材を串に刺し、衣にからめたら鍋にGO!まずはえびからいってみましょう。ジュージューいい音といいにおいが立ち上ってきます。頃合を見はからって引き上げて、軽く油をきって『カプッ』。う、うまい!これが特売で買った1尾39円のえびとは思えない!そこらのお店なら3尾800円くらいで出てくるえび天よりよっぽどおいしいぞ!続いてなすびもいってみようか。うま〜い!どいつもこいつも揚げたては実にうまい。

 ご機嫌で家族を見回してみると、なにやらみんなうろうろ動き回っています。なにしているのかと見ていると、食材によってつける衣を変えているではありませんか。次男が言うことには「こっちの衣はサラサラで、そっちの衣はトロトロなんだよ」と。次いで長男が「アスパラやえびはトロトロがうまいな」と。さらに母さんが「なすやかぼちゃはサラサラがおいしいね。サツマイモはもっとドロドロがおいしそうね。ちょっと作ってくるわ」と。なるほど食材に合わせて衣を変えるなんてなんてツウなんだ。いつもの食事作りで父さんはそんなことしたことないぞ。さらに、天つゆだけでなく、桜塩・抹茶塩まで用意してある。どれもこれも見事な演出じゃ〜。

 食材と衣と味付けの組み合わせは無限大。次男曰く「もう二ケ月はてんぷら食べなくていいや」というくらい、とっかえひっかえさまざまなてんぷらを食べまくりました。

 いや〜予は満足じゃ。いつもパーティーっていうとついつい肉類を中心とした洋食になってしまうけど、こりゃ和食もいいねぇ…、などと思いつつ部屋に吊ってあったどてらを着てみると、「ん?なんか油くさいぞ」。換気扇もないダイニングルームでてんぷらを揚げまくったので、部屋中油だらけになってしまったのです。

 翌日、父さんはとっても大変な掃除と換気で忙殺されたことは言うまでもありません。

 

第171話『のこのこ』

2009.2/13掲載

 昨年末、お正月用の門松作りが阿南少年自然の家で催されました。一昨年も参加し、見事な門松が作れたので、今回も次男と父さんがのこのこ参加いたしました。

 さて、その製作現場で使ったのこぎりの話をしていきましょう。

 現代、日常生活の中で小学生がのこぎりを引くことはほとんどないと言っていいでしょう。我が家の次男も例にもれず、ほとんど触ったことがありません。学校の授業で2・3回ちょこっとやったことがあるようですが家庭ではやっていた記憶がありません。一昨年の門松作りのときに一応やったことがあるはずですが、マネごと程度であとは父さんが頑張ったような気がします。ということで次男は、今回が実質のこぎりデビューということになりそうです。

 デビュー戦にしては対戦相手が手ごわすぎます。青竹のしかも斜め切りです。丸いままの木を切るのだって難しいのに、繊維に負けないように斜めに切るのですから。しかも、門松用の竹ですから三本の竹を同じ角度に切らなければならないのです。(長い竹を真ん中で切って、片方をひっくり返したら二本は同じ角度のものができそうに思うでしょうが、そうすると逆さ竹になって縁起が悪いのでやってはいけません。)

 子供がのこぎりを使うときにまず障害になるのが、木材の固定です。大人だと足でドンと踏みつけておけば大丈夫ですが、子供は体重が軽いのでしっかり押さえつけられません。長くて平らな木材ならお尻の下に敷いてしまうこともできますが、丸い竹ではそれもできません。父さんの体重を貸してあげることにしましょう。

 第二の障害は切り緒です。子供は大人より腕が短いので、のこぎりのスライド幅も短く、切り始めの傷が付けにくいのです。なかなか傷がつかなかったり、曲がってついてしまったりします。木目に真っ直ぐつける時だって難しいのに、斜めに何本もそろえるのは大変です。今回は父さんの分と合わせて計六本切るチャンスがあるので、比較的そろったものを選べるという利点をいかして乗り切る作戦でいきました。それでも緒つけはちょっとずつゆっくりとやってなんとか、さまになりました。

 三番目の障害はスタミナです。一本の木材を切り終わるまでは一気に切ったほうがうまく切れます。しかし体力とともに集中力に劣る子供は途中でいやになってしまいます。ですがこれは、竹が中空であることであっという間に切り終わり、難なくクリアできました。

 竹が切れたら、あとは根気強くていねいに作っていくだけです。作業時間六時間、次男が頑張って作り上げた門松は、正月の間我が家の玄関を見事に飾ってくれました。

   

第172話『ツイスト』

2009.2/27掲載 

 冬になると家にこもって、運動不足になりがちですが、今冬の我が家には無縁。その理由は『ランドサーフ』!

 ランドサーフとは、左右対称の二枚のボードを中央のスプリング内蔵のねじり棒で接続し、左右のボードを交互に踏み込むことで前進するという、スケートボードの親戚のようなもの(写真参照)。このボードを支えているのはたった二つのタイヤだけなので一見難しそうですが、短時間の練習で誰でも簡単に乗りこなせるようになり、大人から子供まで誰でも簡単に楽しむことができるスポーツアイテムです。(メーカーの解説書抄)ブレイブボードという名前で別メーカーから販売されているものもありますが総称としてはストリートサーフィンと言われることが多いようです。

 何かのテレビで紹介していたのを見た次男が、「今年の誕生日プレゼントはこれにして」と希望。早速インターネットでお取り寄せ、誕生日前に贈呈式がおこなわれすぐに挑戦となりました。

 『短時間の練習で誰でも簡単に乗りこなせる』とはいうものの最初はおっかなびっくり。ヘルメットや手袋を着用して父さんの助けを借りての挑戦になります。

 まず乗ってみます。乗れません。そりゃそうです。タイヤが二個直線に並んでついているだけですから、ほっておいたら倒れます。

 父さんを手すりにし、ちょっと勢いをつけ進んでみます。2mほどで倒れます。5回ほど繰り返すとバランスはとれるようになりました。

 次は自力で地面をけって乗り込みます。やはり2mほどで倒れます。5回ほど繰り返すとできるようになりました。

 次に左右のボードを交互に踏み込んで前進してみます。これがさっぱりできません。やっとバランスがとれるようになったのに、踏み込むためにはわざとバランスを崩す必要があります。さらに、交互に踏み込むには、すばやくツイストダンスを踊るように体をひねる必要があります。恐怖心を克服する精神力と、全身の体力が要求されます。

 しかし20分ほど練習した頃からなんとなく形になってきて、30分ほどでほぼ乗れるようになりました。左ターン右ターンもすぐにできるようになり自由自在に乗りまくっています。そして「次はアクロバットに挑戦だ」とか言っています。

 当然父さんも見ているだけではすみません。道具を借りて挑戦してみます。次男のやり方を今まで見ていますから大丈夫、すぐにスイスーイと…いきません。すごく怖い!しかも予想以上に体力がいる!

 30分後、なんとか乗れるようになりましたが、100mも進むと足がパンパンになってもうだめです。う、う、うんどう、ぶそくを、痛感、しました…。

 

第173話『白黒つけるぜ』

2009.3/11掲載

 コーヒーと紅茶、どっちが好みと聞かれれば迷わず紅茶と答えます。ご飯とパン、どっちが好みと聞かれれば迷わずご飯と答えます。ゆえに私がコーヒーショップに入って、ランチを食べるなんてことはありえません。

 そんな父さんが思わずコーヒーショップに行ってしまうという事態が発生。何があったのかはっきりさせましょう。

 事の起こりは昨年11月に名古屋系コーヒーチェーン店が飯田に開店したことにさかのぼる。名古屋・東海地域では有名かつ人気のこのコーヒー店のことは父さんも以前から聞き及んでいた。しかし自分でコーヒーショップになど入る気のない父さんが特別気にかけることはなかった。それが今回長野県初出店ということでメディアに取り上げられ、父さんにまでそのメニューを知らしめる結果となった。そして報道されたメニューの中に、父さんのストライクゾーンど真ん中に入ってきたものがあった。その名は『シロノワール』。『シロ』は日本語の白、『ノワール』はフランス語で黒のこと。コーヒー店が言うことには、「黒っぽいデニッシュ生地のパンケーキの上に、白いソフトクリームが乗っているから」だそうでネーミングもストライク。さらに「あつあつのパンケーキの上に冷たいソフトクリームを乗せるという相反するものを一つにするというコンセプト」というのも気に入った。い、行かなければ…。

 と、いう次第でコーヒーショップに入ってしまったのです。

 コーヒー店とはいうものの紅茶やソフトドリンクも充実しておりひと安心。食事メニューは米飯系は一切ないものの、米飯をもしのぐ腹持ちを保証するその大盛りぶりはあっぱれ。パン食大好き&食べ盛りの長男でさえも一品で満足するボリュームに次男はノックアウト。

 しかしここまでは食事。ここからがデザート、つまり「シロノワールタイム」に突入です。初めは一人一個と思っていたのですが、ここまでの大盛りぶりに計画変更。しかも次男と母さんがほとんどダウンのため四人で一個ということにしました。

 直径15cmのデニッシュ生地のパンケーキの上に、大盛りソフトクリームが乗っている!思わず見とれていると事態は急変。パンケーキの熱でソフトクリームがどんどん融ける。これは急いで食べなければ!パンケーキをつかんでソフトクリームをからめ、添付のメイプルシロップをかけてほおばる。ストラ〜イク!パンケーキの甘さとソフトクリームの甘さとメイプルシロップの甘さが増長することなく見事な三重奏を奏でながら口腔を刺激する。まいった!

 しかし奪い合い&融ける&うまい、で落ち着いて味わえなかったことが非常に残念であった…。今度は絶対一人で一個食べてやる。

  

第174話『傘がない』

2009.3/29掲載

 今冬は降雪量が非常に少なく、生活面では雪かきなどしなくてもよくてとっても助かりました。その代わりといってはなんですが、雨はよく降りました。雨が降ると普通は傘をさして外を歩くわけですが・・・。

 実は父さんは傘をさすのが非常に苦手です。軒下からずっと傘をさしているにもかかわらず、100mも歩くと頭も顔もしっとりと濡れ、肩なんがぐっしょりです。サイズの大きな傘を使ってもだめです。どこがどう悪いのか知りませんがとにかく傘をさしても濡れてしまいます。

 もともと父さんの出身地である京都では、あまり傘をさしません。一つには地下街が発達しているので、雨が降ったらみんな地下にもぐってしまうから。二つ目は、平坦な京都では自転車を使う人が多く、自転車に乗りながら傘をさすことはできないので、そもそも傘を持ち歩かないから。三つ目に、京都には欧米人が多く訪れるから。欧米(特にヨーロッパ)では雨はザーザー降るものではなく、サタサタ舞うもので、傘は役に立たないのです。京都に観光に来る欧米人も習慣どおり傘をささないので、それを見慣れた京都人も傘をささないのです。そんなわけで父さんもあまり傘をさしたことがなく、さし方が未熟なのでしょう。さらに今では、「どうせさしても濡れるんだから、傘をさすのはやめよう」というように考えています。雨中を長く歩かなければならないときは合羽を愛用しています。

 そんな父さんを見て育った子供達もあまり傘が好きでないようです。

 次男の傘技術はまあまあ。濡れないようにちゃんと傘をさせるようですが、アクティブに走り回りたい次男にとって傘は動きを制限するものに他ならず、なんとなくなじまないようです。朝から降雨の時は持って出ますし、一応学校にも置き傘をしており、激しい雨が降っている時には傘をさして帰ってきます。しかしちょっとした雨や、降ったりやんだりするような雨の時は傘をささずに走って帰ってきます。「このほうが濡れないから」と言いながら濡れた服や靴を干しています。

 長男の傘技術は父さんほどではありませんがへたくそです。傘をさしてもなんとなくどこかしらが濡れてしまうと言う程度で、あまり頼りにしていないようです。朝から雨が降っていても、ザーザー降っていなければ「こんな雨なら降ってないと言っていいな」とか屁理屈をこねて傘を持っていきません。それに、折り畳み傘など何本買ってやってもすぐに壊してしまいます。そんな訳で親ももうあきらめ勝手にさせています。

 母さんは傘好きです。少しの移動でもマメに傘をさしています。そして傘を減らす係を担ってくれています。

  

第175話『炎上』

2009.4/22掲載

 インターネットのブログが炎上というニュースが話題になりました。コンピュータに詳しくない人のなかには「パソコンから火が噴くの?」と思った人も少なくないようです。実際には無責任な書き込み(投書みたいなもの)によって、わけがわかんなくなってしまう現象のことをいうのですが、我が家でも今年たびたび炎上現象が起こりました。ただし我が家の炎上が起こったのはコンピュータではなく学習プリントの上でした。

 今春受験だった長男が、受験に向けて問題を解くのですが、やれどもやれどもさっぱりわけがわかんなくなるという炎上がよく起こったのです。国語・社会・理科はそれほど苦手意識がなく燃え上がることはなく、英語も一問わからなくったって、以降の問題にひびくことはあまりありません、ぼやですみます。しかし数学の図形問題は前問が次問の設定条件になりますから基本で間違うともう防ぎようがありません。

 長男は炎上する問題が出てくると、父さんに聞きに来ます。社会と理科なら「○○を調べてみろ」と言っとけば済みますし、国語はプロですし、英語も中学のレベルならノープロブレムで即答できます。しかし数学の図形問題はそうはいきません。なにしろ前問が次問の設定条件になりますから一問目から確実に解いていかなければなりません。

 父さんは一応高等数学まで修めていますし、答えを出すだけなら簡単です。しかし高校受験のレベルで公式や定理を示しながらというと、ときに炎上することがありました。たいていは時間をかけて、もう一度見直してみるとすぐに鎮火するのですが、平成20年度の長野県高校入試の問四だけはどうしても鎮火しませんでした。

 問題は写真もの、その難解なこと奇天烈なほどです。昨年の合格者の中で何人がこの問題を解けたのか気になるところですが、親としては子供に聞かれて答えられないようでは不合格です。必死で考えました。考えに考えましたがどうしても解に至る条件が一つ足りません。結局炎上は止まらず、大火事に発展してしまいました。

 父さんの名誉のために言っておきます。どうしてもこの問題が解けなかった父さんは長男に「父さんがどうしても解法が知りたいから聞いて来いって言われました」と言って中学の数学の先生に聞いて来いと言いつけました。帰宅後長男の言伝は「これはとっても難しいんだ。先生もすぐに解けないから後日解き方を教える。」というものでした。あれから二カ月、卒業式が終わり、長男も無事高校入試に合格しましたが、いまだに解法は教えてもらっていません…。

 

 

 

 

 

 

第176話『実録入学式高編』

2009.5/16掲載

 入学式は午後。午前中に在校生による始業式がおこなわれ、新入生を待ち受けるという様相です。式自体は新入生とその保護者、役職のある一部の在校生だけが参加するというものです。なんてったって高校ですから生徒数が非常に多い。長男が入学する高校も1学年が360人の大所帯。全校生徒が参加できるはずもありません。これで普通でしょう。

 式次第はよく見る入学式です。新入生入場、告示、祝辞、代表あいさつなどが続き、校歌を歌って終わりというもの。まあ入場時にブラスバンドの生演奏があったり、校歌を上級生代表が一緒に歌ってくれたりというアトラクション的なものが用意されているのが高校らしいところでしょう。

 服装にもなんとなく見慣れた感じが…。長男が入学する高校は制服がなく私服登校なのですが、入学式ということで、ほとんどの生徒が中学の制服を着用していました。高校=私服というイメージがすっかり出来上がっていたので、どうしてもアレアレ?という感じが拭い去れませんでした。

 式後教室に入って初ホームルームです。担任から生活上の注意を聞いたり、あすからの予定を確認したり、高校生としての心得を説かれたりする時間が過ぎました。

 さて、父さん的に一言で評するなら「親切すぎないか?これじゃ中学の入学式みたいじゃん」。自分の高校入学式を思い出してみると、自由勝手気ままを校風とする(勝手に生徒たちが実践していただけですが…)今春統合閉校を迎えた我が母校では、登校したら体育館に勝手に入る(入場とかなし)。告示くらいはあったでしょうがわずか10分ほどの入学式。ホームルームも特になく(そもそもホームルームと呼べる自分たちの教室がなかった)、カリキュラムの組み方の説明がしつこくされたくらいです。(我が母校はカリキュラムが非常に自由に組める学校で、3年間で必要な教科さえ履修すれば、何年で、どの先生の講座で履修するかは自由。授業ごとに教室が割りふられ、大学の講義とほぼ同じ。私は大学入学時に大学のカリキュラムって高校より簡単と思ったくらいです。)我が母校はちょっと極端すぎるようなので比較の対象としては怪しいですが、中信のMF高校から転勤したばかりで長男の担任になった先生が、やはり親切すぎる校風にちょっと疑問を持ってらっしゃるようだったので私の感想もあながち間違いではないようです。

 ホームルームが終わると下校になるわけですが、ここからが高校生活。昇降口を出ると上級生の洗礼が。班活(部活動)の勧誘攻撃です。巧みにはぐらかしたり逃げ回ったり…。そういう人の間にもまれながら3年間、成長していってくれるのでしょう。頑張れ長男!

 

第177話『ザランチ』

2009.6/6掲載

 中学と高校の違いを挙げていけば山のようにあり、言い尽くすには一晩かかりそうです。小学校から中学にあがったときよりも変化が大きいことは異論のないところでしょう。そんな中から一つ取り上げると、給食と弁当の違いも大きな変化です。

 何が違うって家庭の負担が違います。たかが弁当一つ、負担ってほどのもんじゃないでしょ、と言いたいところですが、毎日やらなければならないという精神的な負担が大きいのです。

 我が家には二種類の弁当が用意されています。丁寧できれいな母さん弁当と、栄養バランスの偏った手抜き父さん弁当です。毎日のことですし朝の忙しい時間に作らなければならないので、父さん弁当を勧めたのですが、長男がどうしても母さん弁当がいいと主張したため、母さんが弁当作り係になってしまいました。

 以前一四二話でも書きましたが、母さんはお弁当というのは手をかけた『晴の食事』だと思っています。毎日毎日食べ盛りの高校生にガツガツ食べさせるというのになれていません。コマコマとしたおかずを作り、きれいに盛り付けていました。しかしさすがに一ヶ月もたつと疲れてきたようです。おかずは冷凍食品が増え(最近の冷凍食品は凍ったまま弁当箱に入れておくと、食べる頃にはちょうどとけているという便利さ!)、前夜のおかずがそのまま入るようになってきました。(父さんとしては自然な傾向だと好意的にとらえていますが、母さん自身はちょっと悔しいみたいです。)

 さらに母さんは考えました。朝の負担を減らすため、週に一回『父さん弁当の日』というのを制定しました。金曜日は父さん弁当の日というキャンペーンを大々的に繰り広げ、抵抗する長男に「父さん弁当か、自分で作るかどっちがいい?」という無理難題を突きつけ、なんとかコンセンサスを得ることに成功したようです。

 父さんは張り切りました。なんせ週に一回しか出番がないわけですから、アイデアを絞る期間がとっても長い。「来週のテーマは何にしよう」などというコンセプトの設定から(ちなみに先週のコンセプトは『長い』、先々週は『丸い』でした)、食材集めやおもしろ調理器具情報の収集までいろんなアイデアが泉のように湧いてきます。

 せっかく父さんが燃えて(楽しんで)いるのに残念なことが二つあります。一つは母さんの曜日感覚がぼけて、金曜なのに母さん弁当を作ってしまうことがあること。もう一つは食べる長男があんまり楽しみにしていないこと。開けてびっくり玉手箱、食べてびっくり弁当箱。食べすすむごとにサプライズ!というのを目指しているのに…。ただ肉類特盛りは気に入っているようです。

 

第178話『首都感染』

2009.7/5掲載

 全国、いえ世界中で新型インフルエンザが流行し、都会の人ごみのなかに行くことが罪悪のようにいさめられていました。(ここにきてあまり毒性が高くないことや、世間の過剰反応に配慮したのか「普通のインフルエンザと同じ対応で大丈夫」とか言われていますが)そんな騒ぎの真っただ中の6月2日から、次男が東京に修学旅行に行ってきました。

 準備の段階から学校は大騒ぎ。まずは『中止の可能性』の連絡から。関西方面への修学旅行をとりやめた学校があるという事からの派生なのでしょうが、その頃まだ関東では感染者がいない状態でしたからちょっとビックリ。それから数日、次男はニュースの度にテレビにかじりつき、全国のインフルエンザ状況に戦々恐々としていました。

 ついに関東でインフルエンザ感染者が発生すると、第二の大騒ぎ『マスク争奪戦』が起こりました。第一報は「マスクを10〜20枚持たせて下さい」というもの。近隣の学校は大体この時期に修学旅行ですから、下伊那北部からあっという間にマスクが姿を消しました。マスクを手に入れられなかった家庭からの通報のおかげでしょうか、数日後には「5枚くらいでいいです」というお便りが出され、出発直前には「2・3枚用意しましょう」に変更されていました。

 心配はあるもののなんとか実施の方向でとなってからも騒ぎは続きます。『見学地の閉鎖・入場禁止による予定の変更』が話題に上がりました。でもまあこれは旅行の引率なら平時でも起こりうる問題で、学校側としてはいくつかの案を旅行業者と話し合っています。せっかく見学地の学習を進めてきた子供たちにとっては残念でしょうが、そんなに心配するほどのものではありません。

 さらに話題は『感染児童の保護・隔離・引きとり』に関する事項に移ります。旅行中に新型インフルエンザに感染し発症した児童は家庭で面倒見てくれということです。ここだけみるとすごいことのようですが、実はこれも旅行引率には常に用意されている事項なのです。項目が『感染児童』となっているか、『旅行を続けられない事態になった児童』になっているかの違いだけです。

 珍しかったのは『感染者発生による計画変更』でした。最悪の場合、全員が隔離され帰ってこられない事態もありうるということ。最長一週間の退屈旅行になる可能性もあり、それはそれでいい思い出になるかもしれませんが、修学旅行としては悲しい。できれば全行程平和に楽しんできたいものです。

 さて、そんな不安を抱きつつ出発していった次男はじめ修学旅行隊、無事行ってこられたのか、帰ってこられたのか?次回に続く。

 

第179話『首都歓声』

2009.7/14掲載

 新型インフルエンザ騒動で出発が危ぶまれた次男の修学旅行ですが、無事当日を迎え、ウキウキワクワクで出発していきました。

 一日目の予定は、国会議事堂・国立科学博物館・東京タワーの見学です。

 国会議事堂はコースとしては平凡ですが、修学旅行でなければなかなか見られない場所で、大人になって見に行こうと思っても同じようには見せてくれません。しっかり見学してきてほしい場所ですが、学習カリキュラムの関係で、まだ政治の勉強が始まっていません。『なんだかよくわからないけどすごい場所』として帰ってくるものと思われました。24年度施行の新学習指導要綱に期待します。

 国立科学博物館は男の子にとっては非常に興味深いところで、嗜好に合わせてまる一日かけてゆっくり見学するほどの価値がある場所なのですが、団体行動が基本の修学旅行ではあまりゆっくりしません。『大人になって見たいものが決まったらゆっくり来てね』というところでしょう。次男の感想でもほとんど出てきませんでした。

 次男の“初日絶賛ポイント”は東京タワーでした。時間と予算の関係で特別展望台まではいきませんでしたが、大展望台で大満足だったようです。眼下に首都東京を眺め、政治・経済の中心を実感し、人間の密集を感じ、意外な緑の多さに驚いたようです。

 東京タワーでのお楽しみに“お買い物”がありました。今回は学習段階で、土産物リストと値段表が配られ、事前に何を買うか予算立てをして買い物に臨むという、ものすごいことになってました。お買い物というのは、その場の雰囲気を楽しみ、あっちこっち見てまわって「あっちのまんじゅうの方がおいしそうだな、でもこっちのせんべいの方が喜んでもらえるかな」などと家族の顔を思い浮かべながらウロウロするのが楽しいのに…。しかもお買い物のコンセプトが『家族に買って帰る』なので、子供の自由買い物はできないようになっていました。しかし我が家の次男へのリクエストは「ひよこだけ。あとは自分の好きな物を買ってきなさい。」でした。まあ予算が4000円ですからそんなにいろいろ買えるわけではありません。さんざん悩んで東京バナナとキーホルダーと東京タワーオブジェを買ってきました。帰ってきて大事そうにお土産を飾っている姿を見て、やっぱり買い物はこうでなくっちゃと感じました。

 初日最後のお楽しみはエンドレス。宿舎ではお友達との話しに花が咲きまくり、眠ったのは午前三時、目覚めたのは午前五時だったそうです。そんなんで二日目は大丈夫なのか?ディズニーシーを楽しめるのか?不安を残しつつ次回に続く。

 

第180話『首都観光』

2009.8/4掲載

 新型インフルエンザ騒動でコースの変更もありえると思われた次男の修学旅行ですが、無事一日目の予定を終えました。

 で、二日目ですが、ここでなんとコース変更のアクシデント!しかしその理由はインフルエンザとは全く無関係。二日目最初の見学地ディズニーシーの開園時刻は午前10時なのに、ディズニーランドの開園時刻の9時から入園するという計画になっていたからです。無駄に一時間過ごすのはもったいないので、皇居の見学が組み込まれました。バスから降り、二重橋のところまで行き記念写真を撮ってくることができました。予定になかったため事前学習は全くなされていませんでしたが、都会にあるのに豊かな緑と、落ち着いた雰囲気となんとなく漂う厳かさを存分に味わえたようです。

 さあ10時。本日の、いや今回の修学旅行の大目玉、ディズニーシーに入場です。班ごとに分かれて我先にと駆け出します。一応見て回る計画を立ててあったそうですが、入場してしまえばあの強烈な楽しい誘惑でそんなもん吹っ飛んでしまうにきまっています。次男の班もご多分にもれず、ついつい手近なアトラクションから飛び込んでいったそうです。

 さて今回、次男は修学旅行までに絶対にやっておきたいことがありました。それは「身長を140cm以上にしておくこと」。なぜなら、ディズニーシーで最も激しいアトラクションといわれる『レイジング・スピリッツ』の利用制限が身長140cm以上だから。春の身体測定の結果は!138cm。残念ながら搭乗不能、他のアトラクションで楽しんでもらいましょう。(そんな残念な次男に朗報!この7月1日より身長制限が下げられ、117cmから乗れることになりました。うーんむしろ残念さがアップするなぁ。)

 広いパークをくまなく回るのは至難の業ですが、当日はウィークデイ。しかも、あとは帰るだけの行程ですから、かなりいろいろ贅沢に回れたようです。次男の一押しは『タワー・オブ・テラー』。ディズニーシー内でもっとも新しいアトラクションで、前回家族で行ったときにはなかったものです。垂直落下型のアトラクションですが、ストーリー性が高く、サスペンスの怖さが強いそうです。

 昼食を食べるのもそこそこに(昼食代が少なく満足に食べられなかったという感想も聞かれましたが…)、いろんなアトラクションに何回も乗り、たっぷり堪能して帰路につきました。

 行けるかどうか心配された修学旅行から何事もなく帰ってきた次男。「ただいま」の声より先に「おもしろかったぁ」と報告をし、その後えんえんと一ケ月以上も東京の面白さを語り続けてくれました。

 

第181話『お伊勢さん〜外宮』

2009.8/29掲載

 夏休みは忙しい。家で子どもと遊んだり、海で子どもと遊んだり、山で子どもと遊んだり…。

 今年の夏休みは『お伊勢参り』としゃれこんでみました。お伊勢参りといったって、当然伊勢神宮に行くだけではありません。今回目指したのは、お伊勢さん内宮、外宮、別宮オールコンプリート。鳥羽水族館、二見シーパラダイス、二見ヶ浦。そして伊勢のうまいもん(伊勢海老・さざえ・アワビ・牡蠣・松阪牛)コンプリート。どこまで時間が許すのか?どこまで財布が持ちこたえられるのか?一泊二日伊勢の旅、とりあえず出発進行!

 まずは今回のメイン伊勢神宮へ向かいます。当然しきたりを守って外宮から。

 早朝にもかかわらず雨上がりのムンムンする中、蝉の大合唱に包まれながらの参拝。ご正宮参拝後、宮域内の別宮にお参り、さらに月夜見宮まで足をのばし、汗だくになりながら外宮制覇。さっさと内宮へ移動。

 日曜日ということもあり、内宮の駐車場はすでに満車。五十鈴川沿いの臨時駐車場に停めさせられ、1kmほどの道を歩かされました。汗だくで内宮に着くと、4年後の式年遷宮にあわせ工事中の宇治橋に代わって、仮橋を渡っていきます。仮橋を通れることは20年に半年くらいしかない珍しいことなのですが、やはり正式な橋を渡りたいというのが心情か、子供達は文句を言っていました。さらに昨夜来の降雨により五十鈴川が増水、御手洗場が使えません。それでもサンダル家族は五十鈴川まで行き、手足を洗ってはきましたが不満の一つも口をつくところです。しかし清澄な神宮の杜を歩き、荘厳なご正宮まで来ると、さすがに厳粛な雰囲気となり、熱心に手を合わせていました。

 お伊勢参りと言ってもただの物見遊山にならないのが我が家流。いつものごとく、父さんレクチャーが展開され、情報盛りだくさんの参拝になります。父さんにとって今回のお伊勢参りは五回目。小学校の修学旅行でも訪れたくらいですから、事前学習はバッチリです。しかも父さんの愛読書の五指に入るのが古事記ですから、天照大神は得意中の得意。伊邪那岐・伊邪那美の国産みから、天宇受賣命のあたりまでスラスラとストーリーが迸ります。

 そんなこんなで月讀宮などの別宮参りも済ませ、お待ちかね『おはらい町』散策となりました。ここではさんざん飲んで食ってというはずだったのですが、暑さと人ごみでダウン。赤福餅と揚げ天はなんとかクリアしたものの、あとは冷たいものとおやつのみ。非常に悔いの残るおはらい町となりました。

 仕方がないからこの後の二見でいっぱい食ってやる。気合を入れつつ次回に続く。

   

第182話『お伊勢さん〜内宮』

2009.9/8掲載

 夏休みは忙しい。家で子どもと遊んだり、海で子どもと遊んだり、山で子どもと遊んだり…。お伊勢参りは前回からの続き。

 二見では、二見シーパラダイスと二見ヶ浦(夫婦岩)を見て、先ほどできなかった海の幸食いまくりをする予定。しかし、おはらい町でたいした飲み食いもしていないのにウロウロしすぎ、さらに『間ぬけ作』なる知恵の輪に30分以上も悩み続け(いえ、30分だけではありません。旅行終了後もいまだに悩み続け、やけに悶々とした時間を費やされています。)、予想以上に時間をくってしまったため二見シーパラダイスに着いた時点で午後三時半。名物アッカンベーアザラシのショーはすでに終了。閉館まで二時間をきり、見て回るのさえぎりぎりくらいです。

 まああせる旅でもなし、入ってしまえば堪能します。なんとか間に合ったイルカふれあいタイムで、温かいウェットスーツみたいなイルカのひれに触れたり、カワウソの握手タイムで、猫の肉球の塊みたいなカワウソの手を握ったり、アシカショーで、愛らしいアシカのしぐさに和まされたりして十分に楽しみました。

 五時、閉館の放送に押し出されるように外に出、併設の二見プラザで飲み食いしようと思ったらそこも五時閉館。空腹を抱えて夫婦岩に向かいます。

 二見シーパラダイスから夫婦岩は歩いて1分。こちらの売店等も五時閉店ですから、あたりは閑散としています。おかげで夫婦岩をバックにゆっくり夫婦で写真を撮ったり、おみくじをじっくり熟読したりできました。

 今回のお宿は食事がウリの海沿いの宿!といっても今回はスポンサーなしの貧乏旅行ですから、料金は廉価。今までの経験上そんなに期待はできません。建物は古くはないけど…、部屋はきれいに掃除はしてあるけど…、景色は他の建物がなかったら…、お風呂は温泉場じゃないからねぇ…。期待もなく食堂へ。おぉ〜すごい!海の幸てんこ盛り!刺身は舟盛り、伊勢海老確認、サザエ確認、鯛確認するまでもなくいっぱい。焙烙が二品、松阪牛確認、大アサリ確認、ホタテ確認!伊勢海老の焼き物もある。今回伊勢に来たら食べたいと思っていたものがほとんど網羅されている!しかも量もたっぷり!これは素晴らしい!建物も部屋も景色もお風呂ももうどうでもいい。今まで泊まった宿の中でトップクラスの素晴らしさだ!

 食事一つでここまで豹変もどうかと思いますがそのくらい満足して眠りに就きました。そして翌朝、ご飯を食べ出発するまでこの幸せは続きました。

 さあ旅行最終日、残す課題は鳥羽水族館とアワビと伊勢うどん。すべて満足できたのか?間ぬけ作でもやもやしながら次回に続く。

 

第183話『お伊勢さん〜別宮』

2009.10/22掲載

 夏休みは忙しい。家で子どもと遊んだり、海で子どもと遊んだり、山で子どもと遊んだり…。お伊勢参りは前々回からの続き。

 さあ旅行最終日、残す課題は鳥羽水族館とアワビと伊勢うどんです。まずは鳥羽水族館へ。

 鳥羽水族館は皆さまご存じのラッコ、スナメリ、ジュゴン、マナティーなどの海獣充実の水族館。我が家の第一目的もラッコのお食事タイムです。

 まあラッコの愛らしいこと!潜って餌を食べたり、飛び上がって餌をとったり、くるくる回って泳いでみたり、連れ帰ってお風呂で飼いたいくらいです。

 まあ海獣どもの大きいこと。マナティーは淡水の生き物、天竜川にあんなの浮かんでたらビックリです。海にいるジュゴンやアザラシが、海水浴に行って浜辺で寝てたらあわてて逃げるでしょう。しかしそいつらも水槽ごしに見るには実にかわいらしい。セイウチの前で30分も癒されてしまいました。

 一番時間を費やしたのは、屋上の触れ合いコーナー。普段水槽の向こうにいるタコ・ナマコ・アナゴ・ヒトデ・メジナが浅い用水路みたいなとこに放され、触り放題になっています(本当は触り放題ではなく、指でつついてねと書いてありました)。次男はそこでタコをつかみ上げ、ナマコ投げにアナゴの再放流事業と荒技の連発。それまでおとなしく見ていた周りの子供達の間にもムーブメントを広げ、大騒ぎを起こしてきました。幸いにも係員さんに怒られることもなく無事退館できましたが。

 見学地はこれで終わり。あとアワビと伊勢うどんを食べて帰るだけです。アワビを食べようと立ち寄った直売所、なんとアワビは4000円!あ、あきらめました。

 失望で訪れたレストランで伊勢うどんを食べます。一杯350円、満足(もっとすごいものだと想像していた長男には拍子ぬけられ、次男にいたってはうどんなんて食べたくないとまで言われましたが…)。お土産に伊勢海老チップス・伊勢海老茶漬け、松阪牛ふりかけ・松阪牛チップスを買い帰路へ。

 しかしさっきのアワビが心残り。残念そうな父さんに子供達から励ましの「アワビ食べたつもりなら松坂牛もう一回食べられるね」の声が。進路変更、急遽松阪市内に寄り道。あまり敷居の高そうじゃない店を探し勇んで入店。気が大きくなっており、上肉を注文します。「う、うううまいッ!海産物もうまいけどやっぱ肉最高!アワビは食べられなかったけどこれで帳消し大満足だ!」

 子供も大人も心もおなかも大満足のお伊勢参りになりました。しかし食べ物の豪華さに目がくらみすぎて、伊勢神宮のありがたさがなんか褪せちゃってませんかぁ?

  

第184話『バック・トゥ・ザ・フューチャー』

2009.11/1掲載

 夏休み後半、我が家はバック・トゥ・ザ・フューチャーがブーム。T・U・Vと連続してレンタルし、一週間ほどかけて制覇しました。しばらくは、未来と過去を行ったり来たりしたらどうなるか、という議論が交わされ、『チキン』が合い言葉になったりしていました。

 父さんはついでにスパイダーマンもVまで制覇し、ターミネーターも全話見ようと思ったのですが、まだ宿題の終わらない次男に止められました。

 さて、なぜこんな映画ブームがやってきたのでしょうか?ヒント、これらの映画の配給元はすべてユニバーサル社。答えは夏休み中にユニバーサルスタジオジャパンに行ってきたからです。

 京都の父さんの実家に行ったついでに、車で一時間半ほどかけてみんなで行ってきました。父さんは2回目のUSJ、母さんは4回目、子供達は初めてになります。

 初めての子供達にとってはいきなりのアトラクションはとりつく島がありません。父さんがナビゲートします。「父さんが前来た時にはスパイダーマンはまだなかったから、今回はスパイダーマンからスタートだ!」

 今回父さんのお薦めはウォーターワールド。夏の暑い日に来た理由はここにありました。ウォーターワールドといえばおそらく日本一のびしょぬれアトラクション。着替え一式を用意し、海水パンツにはきかえ、ゴーグル着用、濡れエリアに陣取ります。ショーが始まると期待に違わぬびしょぬれぶり。バケツの水を浴び、ボートの飛沫を受け、飛行機の爆風水に身をまかせます。ノリの悪い長男は四列目にいたので堪能も半分ほどでしたが、最前列にいた次男と父さんはこれでもかというほど濡れまくり、ショーを超堪能できました。ショーが終わり、すっかり着替えた後も夏の暑さを忘れるほどの爽快さ!これでこそお薦めした甲斐があったというもんです。

 その後、ジュラシックパークでまた濡れたり、ターミネーターで爆笑したり、ジョーズでビックリさせられたり、バックトゥーザフューチャーで大興奮したりと堪能しまくり、帰路に着きました。

 興奮冷めやらぬ車内では、これらのもとになっている映画を知っていればもっと楽しめるに違いないという結論に至り、家に帰ったら一通り見てみようということになりました。しかし母さんの「気持ち悪いから」という提案でターミネーターは採用されず、ジュラシックパークとスパイダーマンは見たことがあるということで没。ウォーターワールドは面白くないという理由で不採用。バックトゥーザフューチャーかジョーズのどちらかにしようといったところ、次男が「怖いから」と言ってジョーズを強硬に拒否しました。

 お前、チキンだな。

 

第185話『浦島太郎』

2009.11/17掲載

 生きた海ガメを触る機会なんてそうあるもんじゃありません。父さんも今まで一度も触ったことがありませんでした。まして生まれたばかりのコガメなんて、テレビで見ることはあっても、自分が見ることなんてたぶんないだろうと思っていましたし、触れるなんてこと想像だにしませんでした。ところが今年の夏、そんな機会に恵まれたのです。

 中部電力の子供体験事業として、浜岡原子力発電所を見学し、そのあと海ガメの放流をするという催しものがあったのです。子供向けの事業ですから、小学生の次男に案内が来たのですが、それを見た父さんは、次男に聞きもせずに申し込みました。だって生まれたばかりの海ガメの赤ちゃんを自分の手で放流できるのですから。

 あとから次男に報告したところ「うん、行ってもいいんじゃない」というそっけない返事。ものの珍しさがまだわかっていないようですが、抽選で参加者が決まるようですから、ここで大喜びされてぬか喜びになっても困るということを考えればこんなもんでよかったのでしょう。

 申し込んだのも忘れかけた七月下旬、中電から当選のはがきが!大喜びの父さんの様子に次男もだいぶ珍しさがわかったのか期待をふくらませて当日を待ちました。

 8月29日、絶好の海ガメ日和(?)の中、飯田発のチャーターバスで出発しました。

 前半の浜岡原子力発電所はあんなもんです。昼食のあと静岡県浜松市中田島砂丘に向かいます。中田島砂丘は日本では数少ないアカウミガメの産卵地。七月から九月にかけ母ガメは500個くらいの卵を三回に分け産卵に来るそうです。放っておくと天災人災様々な理由でほとんど孵化せず、また孵化しても生きられないということで、保護団体の方が保護し、抱卵して孵化させ、放流までしているのだそうです。で、今回私たちはその放流のお手伝いをするということなのです。

 そういう活動のことや海ガメの生態や、取り巻く環境のことを勉強して、いよいよ放流となりました。長い砂丘を浜辺まで歩き、いよいよ海ガメを渡されます。この日の朝孵化したばかりの5pほどの小さな子ガメ。甲羅を優しく持ってやると手足をパタパタさせてかわいいったらありゃしません。持って帰って飼いたくなりますが、それをすると五十万円以下の罰金。そもそも3年で2mにもなるアカウミガメを飼えるはずもありません。

 名残惜しく波打ち際に置いてやるとピョコピョコと海に向かって歩いていきます。まぁかわいいったらありゃしません。波間から頭を出して沖へ出ていくのを本当に名残惜しく見送りました。そして心の中で「大きくなったら竜宮城へ連れて行ってね」とつぶやいていました。

  

第186話『種』

2009.11/27掲載

 夏休みといえば一研究。今までも長男の歩数調べや、次男のナンバー調べなどの面白(内容はあまりない)研究をやってきた我が家も、ついに今年が最終回(次男も今年で小学校卒業です)。有終の美に次男はいったい何を研究してくれるのでしょうか。

 次男が選んだのは『スイカの種調べ』。スイカの中のどの辺に、どのくらいの種が分布しているのかを調べるというもの。スイカを横に輪切りにしながら、分布位置と個数をチェックしていく方法で調査します。さあ、いつものように家族そろって調査開始です。

 まずは直径約15cm、重さ約1.5kgの小ぶりのスイカで調べてみました。次男はこの小玉のスイカの中に入っている種の数を200個と予想しました(予想の根拠は「なんとなく」でしたが…)。結果は286個。いい加減に予想した割には、かなり近かったと言っていいでしょう。

 分布の方は、縦の位置で見ると、上端と下端には少なく、中央部分に多いのはだれもが予想するとおりでした。

 注目すべきは横方向の分布。巷に流布する噂では、『しま模様の黒い部分に種が並んでいる』とか、『ヘタのイボイボの延長線上に種が並んでいる』とかいうものがあります。今回の調査で次男が発見したのは、まず、中身は端が少し渦をまいたような中心角120度の扇形で三分割されています。そしてその扇形の中が左右シンメトリーになっていて、その各部分の中央あたりに種が密集しています。つまり種は六か所に集中しているという事です。その位置については、しま模様や、ヘタのイボイボとは特に関係がないようでした。

 これは大発見です。が、たった一個の調査で決めつけてしまうのは早計です。次は直径約30cm、重さ約10kgの大きなスイカで調査してみましょう。

 重量比で行くと1200個ほどの種がありそうですが、種の数はなんとたったの557個。わずかに二倍ほどしかないのです。

 一方分布の方は、やはりこちらのスイカも同様の結果が。むしろ大玉の方が顕著でした。この結果がうまくまとめられると研究としても一流なのでしょうが、残念ながらそこはまだ次男の力不足でした。

 さてこの調査、いつになく大変でした。なんせ家族四人で11.5kgのスイカを食べなければならないのですから。研究だからとおいしいスイカを捨ててしまうなんてことできるはずがありません。しかも種をもれなく掘り出さなければなりません。体温で温もったスイカを食べつくし、種を一個ずつカウントしました。あまりのつらさに、今年はこの二個しかスイカを食べずにすごしました。

  

第187話『シャワー』

2009.12/13掲載

 『豊丘村の野田平キャンプ場へ上がって行く途中の虻川渓谷は、まさに“エメラルドグリーン”の清流です。この一帯は「大明神淵」いわれる渓谷で、国内でも最大級、直径7mのポットホール(巨大甌穴[おうけつ])があります。これは、流水の力で石が回転し、長い年月に渡って河床の窪みを掘り込むことによりできたものです。

 豊丘村では、虻川渓谷のエメラルドグリーンの清流を肌で体験していただくために、平成21年8月9日(日)に「豊丘村虻川渓谷シャワー・クライミング体験」を企画したところ、午前の部・午後の部を合わせて、村内外から約50名が参加されました。

 ウェットスーツやライフジャケット、ヘルメットを着用の上、インストラクターの案内の下、険しい岩場や滝の連続する「大明神淵」の約200mの区間を、水に浸かりながら2時間かけて登りました。途中、岩場から巨大ポットホールの滝つぼに大ジャンプする体験も行いました。』

 というのに我が家は参加してきました。

 シャワー・クライミングというのは、日本語では沢登りと言われ、川の中を濡れながら遡上していくハイキングの一種です。今までテレビなどで見て、一度やってみたいと思っていたところ先のニュースを知り、早速申し込んだという訳です。

 当日、なんと一番楽しみにしていた次男が発熱。とはいえせっかくのチャンス。この機会を逃したらいつまたシャワー・クライミングを体験できるかわかりません。発熱の次男を一人家に残し、三人で参加することにしました。

 前日の雨のせいで増水し、水温もやや低めでしたが、虻川渓谷はまさにエメラルドグリーンの清流。豊丘村役場でウェットスーツに着替え、バスで現場に到着した我々はいざ川中へ。冷やっこーい、でも気持ちい〜。いざ上流へ。

 川の中を歩く、水中を泳ぐ、岩場を登る、ロープに伝わって引っ張られる。増水のせいでいつもよりシャワー・クライミングの醍醐味を味わえたようです。ただし、残念なことが一つ。途中の巨大甌穴で滑り台遊びを体験するはずだったのですが、激流のため中止。しかしそのおかげで滝つぼジャンプが二回できるということになりましたが。

 今回のメインイベントとでもいうべき滝つぼジャンプ。高さ4mほどのがけから滝つぼに向かって飛び込みます。結構の高さがありますが、空中浮遊は爽快そのもの。やる気満々の父さんはもちろん、おっかなびっくりだった母さんも、クールな長男も大はしゃぎで飛び込めました。

 いやー楽しかった。おい次男よ、来年も体験会があるみたいだから、今度は一緒に行こうな。やっぱり健康が第一!

 

第188話『南信マツカヴァの12ヶ月・10月の章』

2010.1/1掲載

 このタイトルがついた時はペタンクの話題です。1月〜9月の章は、二年前父さんが日本代表としてアジア大会に出場した時に、連載させていただきました。そして今回、長男がジュニアの日本代表に選ばれ、ジュニア世界選手権に出場することになりました。

 五月に第一次予選会が、東は千葉、西は岡山までの17歳以下の選手が一堂に会し行われました。そこでは各自の技能のスキルがテストされ、上位九名が第二次予選に進みます。長男はどの技能を取っても突出したスキルはなかったものの、平均した力を発揮し無事二次予選進出の九名に残りました。

 第二次予選会は七月。精鋭九名での総当たりテタテット戦(シングルの試合)。成績上位四名が日本代表選手になれます。

 個人戦ですから、作戦や駆け引きは一人で考えなくてはなりません。そしてその戦術を実行する技術も当然要求されます。また、一日で8試合をこなすので、技術だけでなく、体力や精神力も充実していないと勝ち残れません。そんな中で長男はなんとか四位に食い込み、見事代表に選ばれました。

 長男が出場する第12回世界ジュニアペタンク選手権大会は、なんとアフリカ大陸のチュニジアで開催されます。「どこ?」と言うのが第一声。早速世界地図を持ち出して調べます。アフリカと言うものの、地中海に面した北部の国で、ステレオタイプで思うようなアフリカと違うようです。また、インターネットなどで調べてみると上下水道敷設率はほぼ100%、予防接種も必要なく、治安も非常に良く、イスラム教のアラブ人が大多数の国のようです。さらに大会会場はモナスティールという地中海に面した中部のリゾート地。四季もはっきりし、冬は雪が降ることもあるそうです。

 さあ、まずは準備を始めなければなりません。は?誰の?長男と、もちろん父さんのです。いえ、最初から行く気満々だったわけではないんですぅ。長男はもう高校生ですし、チームには海外経験豊富な監督・コーチがついていきます。一人で大丈夫だと思っていたのですが、他の選手たちにはみんな親がついていくというので、長男だけ一人にするわけにはいかない、と“渋々”ついていくことにしたのです。

 長男は海外旅行初心者ですから、父さんがいろいろ教えてやります。まあ遊びに行くわけではないので、ペタンクの道具とユニフォーム、国際ライセンス、パスポートがあればOKです。文明国ですから向こうでだって買い物はいくらでもできます。それでもアドバイスとして「荷物はコンパクトに、少数にまとめろ」、「とくに必要じゃないものは向こうで捨ててくるつもりで用意しろ」、「飛行機の中はとりあえず暇だから、暇つぶし用品はたくさん持っていけ」、「リゾート地なんだから絶対プールがある、水着持っていけ」とか言いましたが…。

 出発は10月1日。成田から延々18時間の旅程。気が遠くなりながら、次回に続く。

 

第189話『南信マツカヴァの12ヶ月・11月の章

2010.1/19掲載

 チュニジアペタンク紀行は前回からの続き。

 成田から飛行機に乗ること12時間、やっとパリ・シャルルドゴール空港につきました。今回飛行機初体験の長男は、ドキドキしてはいたようですが、乗ってみて思いのほか安定した乗り心地にすっかり安心したよう。満席だったため父さんとは離れた席でしたが、チームのメンバーと和やかに過ごしていたようです。

 乗り継ぎ一時間で今度はチュニジア・チュニス空港まで3時間のフライト。先ほどよりずいぶん小さな飛行機でいざアフリカ大陸へ!

 さらに今度は空港から試合会場のあるモナスティールまでバスで2時間。延々18時間にもわたる移動で、ホテルに着いたのが深夜二時前。その日の午後から大会は始まります。父さんのように睡眠を自由に変えられる者ならいざ知らず、中高生の選手団にはあまりにも過酷。午前中の練習では、みんなボーっとした顔でゆらゆらとゆれています。おまけに35℃超の暑さで完全グロッキー。昼食と休憩でなんとか復活してもらいたいものです。

 大会は午後から始まりますが、最初はシューティングコンテストから始まります。ペタンクの技能の中の、ティールという自球を直接相手の玉に当てはじき出すという技術のコンテストです。各チームのティーラーというティール専門の選手が出場します。長男はティーラーではありませんので、ある程度のんびりする時間がありました。しかも長男は、四選手中三人で試合をするメンバーで四番目の扱いで、首脳陣からの声かけも少なく、「何かあったら出てもらうから自分で調整しといてね」という感じです。ならばと今回の遠征の隠れ目的『地中海で泳ぐ』を決行しました。

 最初長男は泳がないと言っていましたが、こんな機会はめったにないということと、全身に日光を浴びると時差ぼけが早く解消されること、さらにたまらぬ暑さもあって地中海へGO!

 地中海までホテルから歩いて15秒。白い白い砂浜を突っ切って青い青い海に入ります。日本の海よりずいぶん塩辛く、濃密な海水の味がしました。疲れるほど泳いでは逆効果、20分ほど堪能してさっと切り上げて大会に臨みましょう。

 ティールコンテストでは日本の選手は一次予選は突破したものの、二次予選で敗退、残念ながら決勝トーナメントには進めませんでした(彼の実力はそんなもんではありませんでしたが、過酷な移動のせいか、暑さのせいか、構えた時にゆらゆらしていますから実力が発揮できるはずがありません)。あとは試合で活躍してもらいましょう。

 試合開始は午後五時。長男は予想通りサブからのスタート。活躍はできるのか?そもそも試合に出られるのか?次回に続く。

 

第190話『南信マツカヴァの12ヶ月・12月の章』

2010.02/7掲載

 チュニジアペタンク紀行は前々回からの続き。

 初日二試合は出番がなく、大会は二日目に入りました。予選5試合中第3試合までは1勝2敗。長男はここまで出場していないので詳細はほっといて、予選突破にはあと2試合とも勝つ必要があります。ここでやっと長男登場!不調のティーラーに代わってハンガリー戦に出場です。

 長男はほぼ実力どおりの期待された働きを見せ、白熱した試合展開に貢献します。ここらで実力以上の力が発揮できればレギュラー入りなんでしょうが、そうはできないところが今の実力。試合は12対12の大接戦。そして惜しくも最終メーヌを相手に取られ負けてしまいました。

 これで予選突破は難しくなりましたが、若い彼らに捨て試合はありません。経験を積む意味でも真剣に最終試合に臨みます。と思ったら長男はまたサブに回されてしまいました。折角大熱戦を演じ、気合が乗ってるメンバーで戦えばいいと思うんですが、私がなんと言ってもせんないことです。

 結局最終試合にも負け予選落ち。大会三日目に、予選落ちした国同士で戦うネイションズカップというトーナメントに回ることになりました。

 ネイションズカップ一回戦は対トルコ戦。長男が出場し、見事13対0で圧勝!よかった!が父さんはちょっと複雑。父さんは前回アジア大会で公式戦未勝利、国際大会公式戦初勝利を長男に先を越されてしまったということが悔しいところです。でもまぁアフリカまで来て未勝利で帰っては面目ないので素直に喜びましょう。

 二回戦は対モナコ戦。長男はまたまた出場!相変わらず可もなく不可もない実力を発揮しましたが、惜しくも10対13で負けてしまいました。

 これにて大会はFIN。ぜひ見ておきたい決勝戦と閉会パーティーまで暇になってしまいました。ということで先日泳げなかったティーラーの選手と監督も伴って再度地中海へGO!地元の子供と仲よくなり、崖からダイブにも挑戦、地中海堪能。

 ホテルのプールでも他国の選手と交流したり、決勝戦を見に会場に行く道すがら、得意の「ディスカウント・モアモア」で土産の買い物にも挑戦したり。面白い時間を過ごせました。

 決勝はイタリア対フランス。史上初のフランス以外の優勝を驚嘆で見つめ、「いつかはあそこで」の思いを強くしました。

 閉会パーティーでも各国の選手と交流しまくり。記念品を交換したり、折り鶴を教えたり、とっても充実した時間を過ごしました。

 この経験を生かし、長男にはさらなる飛躍を目指してもらいたいところですが、帰国後、燃えに燃えているのはどう見ても父さんの方です。

 

第191話『人跡未踏』

2010.2/19掲載

 子供達はいずれこの家を出、どこか離れたところで生活する日が来るでしょう。そんな時周りの人達に「お前の生まれ育ったところはどんなところ?」と聞かれることも多いでしょう。そう聞かれると、よく知らない事ばかりなのに気付くことでしょう。住んでいる時には何とも思っていなかったふるさとへの興味が湧いてくるのはこういう時です。

 父さんも、京都出身ですが、住んでいる時にはそんなの当たり前で地元の事を深く学ぼうなんて思ったこともありませんでした。ところが地元を離れてみると自分が京都の事を知らないことにびっくりしました。大学生・教員時代にいろいろ京都の事を学び、今になってやっと人を案内できるほどになりました。

 そんなわけで、子供達にも郷土のことを他所の人に話せるほどにはなってほしいと思い、下伊那を象徴するような旅行を計画しました。

 「これぞ下伊那!」といえばとびっきりの田舎を体験しなくてはなりません。しかし、山の中を歩くのなら全国どこでも体験できます。田舎道を歩くのも多くの所で体験できるでしょう。そこで今回計画したのは『飯田線各駅停車・秘境無人駅を巡る』の旅です。飯田線伊那大島駅を発し、終点豊橋駅までをただ往復するだけの旅行ですが。

 飯田線ほど人のいない鉄道は日本屈指といっていいでしょう。鉄道ファンに囁かれる『秘境駅ランキング』でも多数の駅がベストテン入りを果たしています。人の跡がありながら人がいない、人がいそうにない所なのに人がいる。これこそ下伊那の秘境たる所以!これを語れれば「下伊那ってどんなところ?」と聞かれても即答できるでしょう。

 いざ出発。飯田市街を通過し、天竜峡あたりまでは無人駅も多いですが、人の乗降もあり普通の地方路線と変わりありません。しかしそこから10ばかりの駅は凄まじい。客の乗降がない。JRも申し訳程度に停車し、開扉したと思ったら一瞬の後に閉扉。駅はあるけど見える範囲に家はない。駅から通じる道がない。駅さえ不安になるほどしか平な所がない。駅どころか線路も敷設するところがなく渡らないのに鉄橋が渡してある…。

 実はこの旅行、企画自体は10年以上前、松川に居を構えた時から考えていました。しかしふんぎりがつかないというか、なんのために行くんだか、二の足を踏んでいたのです。子供達のために実施に至りましたが、もちろん一番楽しんでいたのは父さんでした。

 いや、楽しんでいたという言葉では物足りない。下伊那人の意地と先人の努力、人が生きて行くという文化と魂にふれたような気がします。ためになったし、下伊那という場所が一層気に入った旅行になりました。

  

第192話『地獄で卵』

2010.3/5掲載

 地獄には今まで少なからず助けていただいてきましたが(第48話参照)、今年の春も地獄にお世話になりました。

 今回お世話になったのは、おそらく多くの人にとって日本で一番行ってみたい地獄、別府温泉地獄めぐりです。大分・九州のとどまらず日本有数の温泉地である別府温泉に行ってきました。

 別府温泉の地獄めぐりといえば、白池地獄・鬼山地獄・かまど地獄・山地獄・海地獄・鬼石坊主地獄・血の池地獄・龍巻地獄の八つを巡るもの。当然全部行かねばなりますまいが、ただ行くだけでは我が家らしくない。今回のテーマは『地獄で卵・温泉卵食べまくりツアー』。

 白池地獄では乳白色のきれいなお湯と、温泉熱で飼育している熱帯魚が見られますが、施設内に温泉卵はありません。タマゴポイント(以下TPと略)=0

 鬼山地獄では猛烈な湯気とワニに迎えられ、別府名物『地獄蒸し』による温泉卵が食べられました。家庭で食べる茹卵と大差なく、TP=40

 かまど地獄ではほんの数メートル隣にあるだけなのに全く違う色のたくさんの池にびっくり。ここの温泉卵はお湯の成分のせいで燻製っぽい独特の味。ついつい2個も食べてしまい、TP=85

 山地獄にはカバやゾウがいます。しかしお湯のたまった池はなく、蒸気が噴き出しているだけ。温泉卵もありませんでした。TP=0

 海地獄ではオオオニバスに乗ることができますが冬期はやっていません。コバルトブルーのお湯でゆでた卵はプルップルの白身にしっとり黄身。2個食べてもまだ食べ足りない気分でTP=100点満点!

 鬼石坊主地獄はボコッと噴き出す泥の泡があちこちに。残念ながら温泉卵はありませんでした。あの泥で茹でたらおいしそうなのに…TP=0

 血の池地獄は血のような真っ赤な池が広がっています。土産物は充実していますが温泉卵はありません。鮮血の真っ赤な卵が食べてみたかったのに、TP=0

 龍巻地獄は間欠泉。諏訪の間欠泉を見慣れている我が家にとっては、ちょっと物足りないものでした。そしてここにも温泉卵はありませんでした、というかあそこで温泉卵は作れなさそう…。TP=0

 その他旅館街にある売店などでも地獄蒸しによる温泉卵が売っていて、結局子供達と母さんは2〜4個、父さんは合計6個も卵を平らげました。しかも、少しずつ味が違うのでそれぞれに楽しくおいしく食べられました。

 おいしかったけどコレステロールはたまりまくりだわな。こんな生活を続けていたら、あっという間に本物の地獄に行ってしまいそうです。

 それでも本物の地獄が別府みたいなら…いいかも。

  

第193話『計画的生活』

2010.4/1掲載

 今年も高校入試の季節がやってまいりました。長男の入試から、もう一年もたったのかなどと過去を振り返っている場合ではありません。あと二年たったら今度は大学入試を迎えます。それが一回で済んだとしても、その翌年には次男が高校入試を迎えます。『日々是試験』といえるほどテストの連続なのです。

 入試ほど大イベントではないにしろ、中学・高校生ともなると、中間・期末のテストは年中行事。その定期テストに長男は右往左往しています。

 テスト一週間ほど前になると急に焦り始め、趣味の(いやライフワークか、むしろこれが本職か?)ペタンク練習さえキャンセルする慌てぶり。そのくせたいして集中できているわけではなく、寝坊してみたり、息抜きと称しては次男と一緒にテレビを見呆けたりしています。こんな風ですので、結果及びそれに連動する成績がどうなっているかは、ここで私が述べる必要もないでしょう。

 さて、成績はこの際放っておきましょう。問題は一週間では結果が出ないと分かっているのに、何でわずか一週間前になるまで焦らないのかということです。

 仕事に対して(勉強も同じ)つじつまを合わせるには2パターンあります。一つは驚異的な追い込みと集中でぎりぎりで仕上げるタイプ。もう一つは長期的展望で余裕をもって仕上げるタイプ。どっちがいいかは性格にもよるし、仕事の内容にもよるし、結果が出せれば人それぞれどちらでもOKでしょう。

 父さんは典型的な後者。いつまでに何を仕上げなければならないかを余裕をもって設定し、計画的に少しずつ着実に進めていくタイプです。教員時代も、通知表など手元にそろった時から作成が始まります。日々所見や記録を記入し、配布日の一週間くらい前には完成させていました。この方式は、毎日着実に進捗していくので作業にゆとりがあり、『大変そう』という状態が訪れません。なので、周りの人(校長や教頭)から『頑張っている』と思われないの不利な所です。

 そんな父さんに言わせると、「その日にテストがあることは四月に分かっていること。そこまで何も準備をしてこなかったお前が悪い。」ということになります。

 長男が前者タイプでないことは寝坊と長〜い息抜きが証明しています。一週間前から焦ったってできるわけがありません。ゆえに『勉強をする』という言葉は免罪符にならず、義務や義理や遊びに強制的に参加させます。

 そのせいで成績が悪くなると言うかもしれませんが、父さんがそういう人物であることはこの家庭に生まれた時から分かっていること。今さら泣言いっても許しません。そのへんもやっぱ計画的にいかなくっちゃ!

  

第194話『脱・小学生』

2010.4/14掲載 

 早いものでこの連載が始まったとき、まだオムツをつけていた次男が、小学校を卒業してしまいました。日々接していると成長がなかなか見えませんが、久しぶりにこの連載を振り返ってみるとずいぶん成長していることが分かります。いえ、それはもう成長という言葉ではなく、別のものに進化していったと言った方がいいかもしれません。

 前述もしましたが、オムツをしていた次男と、今の次男を比較することはもうできません。あの頃の次男に何ができたか、今の次男に何ができるかを比較する意味は全くないでしょう。これからの生活・人生に不足しているものが、どのくらい減ってきたかを基準に成長をとらえなければいけないでしょう。

 こんなときに教員は、『教え子との比較』を持ち出しがちです。一般家庭においては親類・縁者、近所の子との比較を持ち出したくなります。でもこれは意味がないことだと分かるでしょう。だってこれからの生活・人生に不足しているものは各自のゴール(目指すもの)が違うのですから比較のしようがありません。(そういう意味では、小学生までは他人との比較によって子どもの成長をとらえようというのは間違いではないでしょう。ただしそれは早いか遅いかの比較であって、優劣はつけられません。小学生までの成長は時間の差こそあれほぼ全員が到達できる段階なのですから。)本人の希望する進路や適性、家庭で語られているはずの望むべき人間像・生き様に向かって、何を身につけていったらいいのかを探り出し、考え、実行していくのがこれからの成長を測る基準になるのです。

 そしてこれからの成長は、いつまでも完成しない成長ということもできるでしょう。希望や進路が変わったら成長すべき方向は変わるし、理想の人間像などある意味到達することはできないところなのですから。むしろ希望や進路を定め、望むべき人間とは如何やということを追求することこそが成長といってもいいのかもしれません。一生修行一生成長といったところでしょう。

 さて、ここで我が家の次男について振り返ってみましょう。長い目で見た希望ややる気はあるようなのですが(空手形っぽいですが)、いかんせん今の過ごし方がなっていません。眠いからといって昼まで寝ていたり、宿題がないからといって、机に向かわなかったり、めんどうくさいからといって出不精になっていたり…。

 3年後、中学卒業の時に今回の記事を振り返ってみたら、果たして成長が見られるのでしょうか?あっという間の3年間、本人にとって有意義な時間にしてもらいたいと願うばかりです。まあ何を言ったって本人次第なんですけどね。

 

第195話『実録入学式中編の2』

2010.4/28掲載

幼い幼いと思っていましたが、制服を着てみてもうちの次男は中学生に見えません。そんな次男の中学校の入学式をドキュメントしてみましょう。

11時40分 次男の中学の入学式は午後に行われます。来賓が出席できるようにということですが、生徒にとっても昼食を済ませてからゆっくりと暖かい時に出かけられうれしいものです。中学校は小学校の隣にあるので、通学路は小学校のときと同じ。10分ほどの道を、父さんと一緒に歩きました。下校してくる近所の小学生に会うと、恥ずかしそうにしていました。

12時00分 中学の玄関でクラス発表を見ます。次男は三組。小学校時代の仲よしはいないようですが、むしろそのほうが進級した実感が湧くというものでしょう。各自受付を済ませて教室に入ります。

12時30分 保護者は控え室で待機している間、生徒たちは各教室で仮担任からいろいろな指導を受けます。入学式の段取りから、制服の着こなしのチェック、入場の順番に並ぶ練習などをしています。ここに来るのは入場まで面倒をみる仮担任。一瞬は「この人が担任か」と思いますが、正式な担任が発表されると二秒で忘れ去られる存在です。

12時50分 いよいよ入学式が始まります。在校生・保護者・来賓の順に入場し、新入生を待ち受けます。新入生は一組から身長順に入場します。長男は三組。身長順なので前から二番目。ずいぶん小さいように思いますが、父さんが中学校に入学した時より大きいことが判明しちょっとびっくり。小さいなりにも親を超えて行ってくれたということを喜ばねばなりますまい。

 式自体は普通です。式辞・告辞・祝辞・歓迎の言葉など、中学生らしく粛然と進み無事入学式が終了しました。

13時55分 小休止をはさんで引き続き始業式が行われます。新任職員の紹介や、校長先生の話に続いて、本日最大のイベント、担任発表が行われました。次男の学校では一年から二年に進級するときにクラス替えがあるので、この担任とは一年間のお付き合い。それでも中学校に楽しくなじんでいけるかの大きなポイントになりますので興味津津。次男の担任はアラフォーの社会科担当の男性先生。在校三年目ということで落ち着いた雰囲気のクラスにしていってくれそうです。

14時30分 教室に入って担任の施政方針を聞きます。どの先生もいい話をするんですが、入学の緊張であまり記憶に残らないのが実情です。新しい教科書をもらい一日目は終了です。

「まあいいんじゃない」が次男の感想。さて翌日からどんな学校生活を送っているのかは、また次回以降に!

 

第196話『役立つものを』

2010.5/12掲載

 次男が中学校に入学してはや一ケ月。次第に学校生活にも慣れ、毎日のリズムが出てきました。まだ部活動が本格化していないので多少はのんびりしたものではありますが…。

 のんびりとはいっても、学習の方は待ってくれません。新しく始まった英語や、教科ごとに変わる先生の特徴に慣れるのにひと苦労の毎日です。特に毎日の宿題である『提出ノート』というやつに苦しんでいます。

 さて、この提出ノート、本当に役立つのでしょうか。元中学教師で、提出ノートがいかに扱われているか熟知している父さんに言わせると、ズバリ『役に立ちません』。

 まず生徒の立場から申しましょう。漢字を覚えるというのは、意識を一点一画に集中し、造形美を養うということなのです。作業的に何個書いたから覚えるということはあり得ません。もし効果があるなら書き順のマスターくらいですが、実際生徒たちがどんなふうに書いているかというと、上から下まですべてのマスにまず『小』の字を左半分に書きます。続いて『又』をすべてのマスの右上部に書き、最後にその下に『土』をすべてのマスに書いていく。こうして『怪』という字が出来上がります。まことに奇怪ですがこんなことが結構あるのです。どうしても書いて覚えたいなら毛筆でデカデカと一回書くか、レタリングで仕上げる方が効果的です。

 教師側から実態をお知らせしましょう。先生方はほとんど見ていません。見るのは名前と量だけ。赤ペンで丸をつけていたらまだいい方。ハンコだけポンという人や、係の生徒に名前だけチェックさせて終わりという人もいます。たまに添削してあるのは、偶然開いたページにあたったか、その子がマークされていたか。そのくせこのノートの提出回数を「日常の学習点」として通知表に反映します。すべての先生がこうだとは言いませんが、ほとんどこうだと言って過言ではありません。そんなのが国語、数学、英語と三教科もあるんですから…。

 しかもこの提出ノートという風習は、長野県だけのものだと「秘密の○○ショー」というテレビ番組で失笑されたくらいです。結果の一例として2009年度全国学力テストの順位で見ると、小六では17位なのに、中三では26位。中学の教育方針に問題ありと見ていいのではないでしょうか。

 県外人の私から見ると、長野県人は、変わったことを始めるのは得意ですが、旧弊を振り払うのがすごく苦手です。いえ、旧弊の中で育った人(その頃は最先端だったのかも?)が旧弊だと気付かず、伝統という名のもとに継続されていくのです。

 そろそろボロは脱ぎ棄て、まずは『スタンダード』を目指すべきだと思うのですが…。

 

第197回『役立てよう』

2010.5/19掲載

 前回提出ノートが役に立たないことを書いたところ、結構多くの方から感想をいただきました。その中で一番多かったのは「懐かし〜。まだあんなことやってるんだ。学校って変わらないね〜」というもの。これが決してほめ言葉でないことを、学校関係者はしっかりと心にとどめるべきでしょう。

 「じゃあどんなやり方が役に立つの?」という質問もいただきました。やはり効果的な方法を知りたいというのは人情。私も教えてあげたい。ズバリ申し上げましょう。『わからない!』

 「?!?そんな無責任な」と思わないでください。わからないと言うのは、方法がないという意味ではなく、効果的な方法は十人十色、百人百色なのです。そもそも、自分に適した効果的な方法を見つけだすことが、中学校の学習の主眼ととらえたほうがいいのです。

 効果的という言葉は、結果につながると言い換えていいでしょう。中学校の具体的な活動で言うと『テストの点が取れる』ということです。「そんな点取り虫に育てたくないわ。テストのために生きてるんじゃないんだから」と思われるかもしれませんが、発想が違います。テストはだれがなにをテストするんでしょうか?「先生が生徒を」は×。「生徒が自分の勉強方法を」が○。テストで点が取れたということは、効果的な方法が身に着いたということなのです。逆に点が悪かったということは、効果的な方法がとれておらず、無駄な努力をしていたということです(努力してないわけじゃありません)。今のやり方を変え、自分に合った方法を新たに探す必要があるのです。

 教科によって、単元によって、項目によってそれぞれに効果的な方法が違うことだってあります。同じ方法でやってるのに、国語はいいんだけど数学がいけない、とか、1年の時はできたのに2年になってさっぱり、というのも教材の変化に、効果的な方法がついていっていないということなのです。様々なシーンに合った様々な方法を、ふところ深くいくつも身につけていくのが中学校での学習なのです。

 小学校ではその元になる学習の習慣作りをやってくれます。日々机に向かい勉強の時間を取る。そのために宿題が出ます。高校入試からは、出題者(学校や、会社や社会)から見て、必要な能力が備わっているかどうか試されます(まさにテストされる)。能力が備わっていなければバッサリ切られる真剣勝負です。必要な能力を獲得する方法が身についていなければ、無駄な努力をした結果バッサリと切られて終わり。

 自分の能力と、ライフスタイルと、目標に合った効果的な方法を探していられるのは中学の3年間しかないのです。そしてこの3年間の意味の大きさといったら…。

 

第198話『部活だい』

2010.6/9掲載

 教員時代、各部活の顧問が集まった時に『どの部活動が一番お金がかからないだろう?』ということを議論したことがありました。その時はバレーボール部が一番安いという結果になりましたが、次男の出費がかさむ今、再検証してみましょう。

 遠征費や食事、医療費などは、どのくらい勝ち残り、熱心に活動するかによって違ってくるので、ここでは除外(除外ですが一応知ったところでは、年間20万円近くから、ほとんど0円まであるようです)。さらに学校の事情によって、試合用ユニフォームをどう扱うかに違いがあるようです。ここでは日常の活動に必要な個人の持ち物ということで考えてみましょう。

 まず前回王者のバレーボール どうしてもいるのはシューズとソックス5000円。ひじあて、ひざあてまで買っても10000円くらい。ユニフォームが他競技に比べて安いのも魅力です。

 野球部 グローブ、バット、スパイクに練習用ユニフォーム帽子から靴下まで一式(滑りこむと破れるため野球部には練習用ユニフォームは必携)。およそ30000円超。アンダーシャツなどは何枚か必要です。

 サッカー部 スパイク、ストッキング、シンガードは必要。最近のゲームパンツは下着と一体型が増えているのでそれも個人持ち。10000円ほどで収まるか。

 バスケットボール部 シューズとソックス(このシューズが高い!バレーは高級品で10000円なのに、バスケは10000円超は普通)。ということで約10000円。

 テニス部 ラケット(ガット含む)、シューズ、ウェア。個人競技なのでウェアが個人持ちなのか、そこがテニスのこだわりなのか、30000円ほどになります。

 卓球部 ラケット(ラバー含む)は個人持ち。シューズと、ウェアを学校の体育服で済ませれば5000円以下。

 武道・武術系 ウェアはすべて個人持ち。そして段位認定などが、必須なので数万円かかります。

 陸上部 トラック・跳躍系はスパイク。ロード系はシューズ。投擲種目は専用シューズがあります。砲丸投あたりで靴は何でもよければ0円も可能か!(専用シューズは結構高い)

 バドミントン部 ラケット(ガット含む)、シューズ。20000円ほどになります。

 その他の競技 まだまだいっぱい部はありますが、競技人口の少ない競技ほど道具が高くなるのは資本主義の基本。競技用水着だって10000円は下りません。

 これはあくまでも最低の金額で、実際には一つじゃ足りないものや、チームで揃えたりしているとたちまち高騰してしまいます。惜しくないっていえばウソになりますが、惜しくないほど頑張ってくれればまあ良しとしましょう。

 

第199話『神の夢人の夢(人編)』

2010.6/19掲載

 父さんの実家京都府宇治市に、縣(あがた)神社というこじんまりした神社があります。例祭は『暗闇の奇祭』といわれるものなのですが、例祭そのものよりも『日本一たくさんの夜店が出るお祭』として山村美紗の著作などで有名になったお祭です。

 父さんにとっては子供の時から『お祭』といえばあがた祭ですから、これが普通だと思っていました。長ずるに従い「あがた祭は特別だ」と知り、その規模が日本一だったと聞かされた次第です。特別で日本一となると、これはやはり子供達に体験させねばなりますまい。しかし、あがた祭は曜日に関係なく6月5日と決まっています。子供達を連れていくには、ちょうど土日にあたり、しかも学校行事等が入っていない年が来るのをずっと待っていました。今年は見事ビンゴ!しかもついでに親戚の法事もあったので大手を振っていってきました。

 例年は周回状になった2kmの参道に1500ほどの夜店が出るのですが、昨年インフルエンザ騒ぎで出店が中止になったことで今年は出渋りが多く、店数は半分以下だったそうです。それでもさすが日本一という規模です。子供達にとっては見たこともないようなにぎわい。軍資金をおばあちゃんからせしめていざ夜店へ。

 お祭の屋台といえば、タコ焼き・焼きそば・お好み焼きなどの定番食べ物屋。もちろんたくさんございます。子供達が知らなかったのはお好み巻き・冷やしフルーツ・タコせんなど。晩御飯がいらないほどたくさん食べました。

 スマートボールや輪投げ・射的の遊戯屋。もちろんたくさんございます。子供達がびっくりしたのはあてもの屋(くじ引き)の多さ。頭のよくなるお菓子や紙くじの他にも、さまざまな工夫を凝らしたくじがいっぱい。当たらないと分かっていてもついついやってしまうものなのです。

 子供達が一番はまって、投資したのは鯉つりとうなぎつり。長野県ではあまりなじみがないようですが、定番の夜店。父さんも子どもの頃一番はまったものでした。釣りといっても餌で釣るのではなく、えらの部分にフックみたいな針を引っ掛けて、釣り上げるもの。うなぎは40cmほどがレギュラーサイズ。「釣れるわきゃない」と思いつつもやってしまうものなのです。(時々釣れる人がいるからやめられない!)鯉つりは結構釣れます。10cmくらいなら複数匹も可能です。15cm超が勝負のしどころ。ただ昔と違って、『釣れたらみんなくれる』わけではなく『持ち帰り一匹』の制限がありますから、勝負もかけやすいですが(釣れないと『おまけで一匹』はありません)。

 都合3周した子供達と母さんはダウン。しかし父さんは夜にも目的が!それは一体?次回に続く。

 

第200話『神の夢人の夢(神編)』

2010.7/3掲載

 父さんの実家京都府宇治市の、縣(あがた)神社の例祭は前回からの続き。

 『日本一たくさんの夜店が出るお祭』として有名ですが父さんにとっては子供の時から『お祭』といえばあがた祭ですから、これが普通だと思っていました。ですが、振り返ってみると、夜店が出るのがお祭という勘違いをしていたような気がします。神社のお祭ですから当然神事が行われ、それこそが祭そのものであるはずです。そこで、親類縁者、友人知人に「あがた祭の本祭って見たことある?どんなんか知ってる?」と聞いてみたところ、100%で回答NOを得ました。これは由々しき事態である。本祭を見ずして祭り騒ぎだけを見るというのはいかがなものか。自分の生まれ故郷の祭ぐらいしっかり見とく必要がある。と反省し、暗闇の奇祭といわれる本祭を見に出かけました。

 本祭は夜11時30分から始まります。11時過ぎに出かけていくと、先ほどまで大賑わいだって参道は夜店がすべてたたまれ、『あとの祭り』状態。人間がうたかたのこの世を謳歌した残骸が風に吹かれるばかりです。

 境内に入るとそこには人がびっしりと、いない…。ちらほらと見える参詣者は、多く見積もっても300人ほど。そのうち100人は氏子さん達でしょう。夜店の人出の15万人の0.2%しか本祭を見ないのですから、親類縁者・友人知人が見たことないというのも納得できます。

 本祭はほぼ定刻に始まりました。せっかく『奇祭』といわれているのですから、ここで私が内容を公表するのは控えますが、神事としてとても良い感じのものだと思いました。あがた神社は安産・出産・良縁・子育ての守り神『このはなさくやひめ』が祭神ですから、暗闇である理由やエロティシズムが漂うことは想像に難くないでしょう。しかし下卑た感じや開放的な雰囲気は一切なく、古事記や神習にうとい人にはただの『盛り上がらない祭』に見えると思います。わかって見ると、実にストーリー豊かで、儀式化された様式美が伝わってきます。

 ただ『暗闇』についてはもう有名無実です。一応神事の節目では消灯を呼びかけ、街灯などは消されますが、今やカメラやビデオの画面は光り放題。近くの信号機も点滅しています。おまけにその日は下限の半月。奇祭の一部始終はすっかり丸見えでした。

 本祭が終了したのは午前1時。社殿に奉納された梵天から御幣をいただき、三々五々参詣者達は帰っていきました。

 翌朝、目覚めた子供達はまだお祭り気分。あの夜店のにぎわいと興奮はまだまだ続きそうです。

 果たして今後地元の小さなお祭で盛り上がれるのか心配です。