第1話『仕事は主夫』
2001.6/17掲載
「今年いっぱいでやめさせていただきたいのですが…」
そう言い出したのは平成10年の初冬の頃。十年間続けてきた教職を振り、『主夫』になろうと思いました。
聖職とはかけ離れた性格や、仕事に対する限界を感じていたことも確かですが、それより何より「子どもと一緒に過ごしたい」という気持ちが大きく膨らんでいたことが、私の背中を強く押していました。
妻も教員で、私ひとり長男の就学を前に考えました。
(入学式…うちの学校と同じ日だな)(運動会…その日は部活の大会だ)。
休みも子どもと一緒のかわり、行事もことごとく子どもと一緒。つまり受持ちの子ども四十人をとるか、自分の子ども一人をとるかの選択を迫られることになります。自分の子どもをとりたい気持ちで一杯だけど、教員としての責任と自覚が…。
よし、それならすっぱりと責任と自覚を捨てよう。
こうして我が家に『主夫』が誕生しました。
子どもと過ごす毎日は楽しいことばかり!ではありません。がそこはやっぱり親子。同じDNAを半分持っているというのはこんなにも偉大なことかと感じます。二人の息子たちは、見た目が私にそっくりで、だんご三兄弟とか大中小のトトロみたいと言われます。でも中身の無謀さは母さんそっくり。
さて、主夫の育児にはいくつか大きなヤマがあるのですが、その最初のヤマは『お母さん』。ただしうちのお母さんではなく、よそのお母さん。参観日はもちろん懇談会や予防接種に乳幼児検診と、どこへ行ってもほとんどお母さんばっかりで、お父さんは肩身が狭い。
あっちでは片乳出して授乳中、こっちでは分娩時の状況報告会。思わず目を伏せ赤面してしまいますが、これを乗り越えないと主夫の育児は始まりません。とは言うものの初めはちょっとつらい。味方になるのは自分の子どもだけ。一緒に遊んでもらおうといつになく優しく話し掛けているのに、そういう時に限って他の子と仲良く遊んでいる。「おい、父さんのところに帰ってきてくれよぉ、そんなどこの馬の骨とも分からんやつと一緒に行くなんて、父さん絶対許さんぞ」と娘に恋人を紹介された時の頑固おやじのような気持ちになってしまいます。
しかしそうこうしているうちになんとなく顔見知りのお母さんも増えるし、あの人の奥さんかという人もいたりして、それとなく場に馴染んでくるものです。あとは共通の話題が目の前に『居る』わけですからそんな気まずいことはありません。その場にいる子どもたちとも次第に仲良くなってくると、むこうも寄ってきてくれるしこっちも調子に乗って一緒に遊んだりしてしまいます。気がつくと一番楽しんでいるのが自分だったりするのです。
第2話『お買い物は大変』
2001.7/1掲載
「お父さん、時計一番上まで行ったよ」これは家の掛け時計の長針が12を指していることをあらわしています。このときの短針の位置は10、曜日は土曜、この言葉を言うのは我が家の次男。彼が待ちにまっているのはなんとデパートの開店時間です。
第一土曜と第三土曜は長男とお母さんは学校がありますが、次男の保育園は休み。子ども向きのテレビも終わり、父さんと二人っきりで退屈になると彼はお買い物に行きたくなるのです。
広いところで走りまわるのが楽しいのかと思いきや、近所の小さな店でもいいようです。そういえば公園行こうとはいいません。デパートのゲームコーナーで遊びたいのでもありません。なんかおいしいものが食べられるからでもありません。お金を出すのが楽しいのでもありません。
お店の中をうろうろして普通の買い物をするのが好きなのです。さすが主夫の子といいたいところですが、小さい子どものお出かけは結構大変なんですよ、お父さん。
オムツの用意からはじまってぐずったときのごまかし用品、何をしでかすかわからないので着替え一式、あまりに汚い服は着替えさせて…と。出発するのは10時15分ころです。
やっぱりここでもお父さん一人での子連れは異質。店員さんもちょっと怪しいものを見る目つき。洋服などを見ていると汚されまいとするのかずっと後をついてくる店員さんもいます。
デパートで何より不便なのがトイレです。女性用トイレにはたいていオムツ替え用のベッドが置いてある(らしい)のですが、男トイレにはない。女性用の個室には子どもをのっけておく台がある(らしい)のにこれもない。たまにデパートで大きいほうをするときには、ベビーカーに子どもを乗せ、それを個室の前におき、子どもに話しかけながらふんばるというような、人に見られたらお嫁にいけなくなるようなことをしなくてはなりません。子どものおしっこのときも小便器が高くて届かないことがあるんです。せっかく立ってできるようになったのにわざわざ座らせたり、抱き上げたりしなくてはなりません。こんなことなら家にいたほうがいいじゃん、と思いますが彼は買い物が大好きなのです。
でもちょっと落ち着いて考えると、デパートって冷暖房完備、おもちゃ売り場の視聴ビデオ、試食コーナーのバイキング、お父さんの運動不足解消と、いいこともいろいろあります。そういえば真夏や真冬の平日昼間のデパートってベビーカーを押したお母さんでいっぱいです。それだけ気も紛れて快適なところだということでしょう。無駄遣いも少しはしますが、まあ安い遊戯料だと思って払っておきますか。
第3話『わんぱく天使』
2001.7/13掲載
カーテンや障子を開け、必ず外からも見えるようにすること。
これは教員時代の家庭訪問についての注意事項の一つです。密室の中では、何があるかわからない、何かあってはいけない(正確には何かあったと言われない)ための注意なのですが、その注意は男性教諭が家庭訪問に行くときのために向けられていることはまちがいありません。
ということは(ノーマルに考えれば)家庭訪問を家で待ち受けるのは女性、というのが前提としてあるのです。
私も10年間の教員生活で、お父さんだけの家庭訪問は一回しか体験がありません。(父子家庭でもおばあちゃんなどが同席というのがほとんどです。夫婦や、家族総出とかはよくあります)これにはおそらく二つの原因があって、ひとつはその時間お父さんは仕事に行っていること。もうひとつはお母さんに比べてお父さんのほうが子どもについて知らないことが多いからだと思います。
その点我が家はまったく逆ですから、先生を家で待ち受けているのは当然父親になるわけです。
先生にしてみれば面食らったに違いありません。10年やった私でもほとんどない経験なのに、息子の担任の先生は明らかに私より若い。玄関を入るとお父ちゃんがスリッパを並べ、無骨な手でお茶とお菓子を勧められ…。
ところで男同士二人きりだとどうしてか会話が弾みません。一杯はいっていればそうでもないのですが、家庭訪問でそれはまずい。お互い「あの〜」とか「え〜と」とか言ってぜんぜん話が進みません。窮した頃、我が家のわんぱく天使がやってきて私の横にちょこんと座るではないですか。「おぉ〜、お前はなんて親孝行な息子なんだ!家庭訪問が終わって先生がお菓子を残していったら全部お前にやるぞぉ〜(うそ)」
それからは、先生も私もなんとなく息子に話し掛け、それについて親と先生が答えあうような変な会話で持ち時間を有意義にいろいろな話をすることができました。
今までの経験上、お母さんが先生によく聞くことは子どもや学校について心配していること。教員としては弱点を突かれるわけですから結構つらい。でもお父さんは親の希望や親の考えを話してくれることが多くて、お家の方針や理想の人間像が見えてきてその後の指導にとっても役立つことがあります。家庭訪問にもっとお父さんが出てきて欲しいと思います。
さて我が家のわんぱく天使。先生を見送って部屋に戻ってみると残していったはずのお菓子がない。「お前勝手に食っただろ」「先生たべてったんじゃないの」「…、ふっふっふっカーテンが開けてあったからちゃんと目撃者がいるんだよ。観念しろ」「ひぇ〜」
第4話『N・Yへ行きたいか〜!』
2001.8/9掲載
夕方の子ども番組は時間が短く、10分程度のものが多い。我が家のお風呂にお湯を張るのもちょうど10分。番組開始とともにコックをひねるとエンディングテーマとともに入浴タイムの始まりである。
特に理由がなければ六時からが入浴タイム。特別な理由とは@父が夜に出かける予定があるA子ども二人がまだ帰ってきていない、この二つ。バスタオルを肩にかけ♪お風呂はいろ〜♪と歌いながら歩き出すとハンメルのねずみのように二人が後ろについてきます。
父の入浴は激しい。服を脱ぐのももどかしく、かかり湯だけザ〜っとしてドボン、早速戦いが始まります。初めはかわいく本物の水鉄砲。ピューとやっているうちに水の補給の苦手な次男が口にお湯を入れワニノコの水鉄砲。負けじと兄がゼニガメの水鉄砲。応戦する父の手のひらポンプに勝ち目がなくなるとあとは手でばしゃばしゃ足でばたばた洗面器でどばどば…誰かの泣き声が聞こえるまで延々とばしゃばたどばが続きます。頭から顔から全身がお湯でほぐれると洗い場へ。
父の入浴は激しい。シャンプーを手にとると頭から顔まで一気にごしごし。泡で顔と頭の境目がわからなくなった頃お湯をバシャ〜。耳も目も鼻もスッキリ洗われ気分爽快(になるには慣れがいるよう。しばらく前まではその度に嫌がっていました)。スポンジに石鹸をつけ首から下へ向かってゴシゴシゴシゴシ、すり傷があっても注射のあとでもゴシゴシゴシ「痛いよぉ」の声は聞こえないふり。兄は多少自分で洗えるので、背中が赤くなるまでゴシゴシゴシ。またもや頭からお湯をバシャ〜を繰り返し終わり。最後に20まで数えて出よう。
父の入浴は激しい。簡単には数えさせない。でたらめな数字で紛らわせたり、大波や水鉄砲攻撃で口を封じる。ようやく数え終わる頃には体が冷えていることもある。
二人でなんだか面白い歌に合わせて体中を拭いていく。この歌は兄しか知らないので、次男は兄と一緒に出ないと機嫌が悪くなる。部屋に戻ってパジャマを着ます。
父の入浴は激しい。着替えはどこにも用意してありません。「宝探し」と称し、さっき取り入れたばかりの洗濯物の中からパンツとシャツとパジャマの三点セットを探し出します。
みんながパジャマになるとちょうどテレビの天気予報がはじまる時間になっています。みんなそろって明日は晴れだの雨だの暑いの寒いのと天気予報を見ています。しかしその頃我が家の脱衣所では大雨洪水警報が発令され、帰ってきたお母さんの雷が落ちるという予報が出されています。
さあ、これでもあなたはニューヨクへ行きたいか〜?
第5話『公園へ行きましょう』
2001.9/8掲載
長男は公園マニアです。松川町から飯田市にかけて国道・中央道から見える全ての公園に行ったことがあるでしょう。
デパートが好きな次男に対して長男は公園の遊具が大好きです。特にこれといったこだわりはないようですが、大きくて複雑なつくりの遊具に強く惹かれるようです。一度行ったら20分でもう帰ろうと言う公園もあれば、母さんと弟を連れてもう一度行きたいと言う所もあります。
お父さんはかなりアクティブな性格のため、公園にいったら子どもに負けずにいろいろ遊びたくなってしまいます。もちろん子どもに監視の目を光らせていることなんかありません。「怪我なんかしないだろう。まあしたって大したことないや」というところ。よその子が来ても別に何ということもありません。けんかにならないならお互い迷惑かけあったって当たり前だと思っています。
かようにお父さんの公園はとっても気楽でいいかげんなのですが、世の中には公園デビューなる変な風習があると聞きます。つまり公園で遊ばせてもらうのに仁義をきらなければならないという習慣が。
ボスママに嫌われないようにごあいさつをし、汚れること、怪我の可能性が少しでもあること、不潔なこと(私から見ると潔癖でないこと全て)、他の子がやりたいとうらやましがること、お母さんが大変な遊びなどをやってはならないという掟があるようです。
どうみても子どもが好きなことばっかりじゃないかい。こんなルールの公園で遊んだって子どもの成長に対していいことないじゃないかというのが私の感想です。それにそんな群れママの子どもが中学時代をどんな風にすごすのかも大体知っていますが…。
そりゃ公共の場ですから最低限のマナーがあるのは当たり前です。ゴミを出さないとか、譲り合うとか、ちゃんと片付けるとか、物を壊さないなんていうことです。(むしろ家庭ではこれらを教えるべきだと思います)
さて、我が家は流れ者だし公園デビューとは無縁に遊びまくります。さっきも言ったように怪我は覚悟のうえ、危険なこともどんどんやります。汚れたって平気です。泥んこ遊びや倒れこんだってOK。猫の糞ぐらいあったって砂場で遊んで大丈夫です。ブランコなんて子どもが泣くくらい勢いつけてぶんぶん押します。それをみているほかの子が「僕も」とやって来ることもよくあります。そういう時は「やってもいいか聞いといで」と行かせると大体だめといわれるようです…残念。
どろんこ・汗だくで家に帰るとお母さんがとりあえず「まぁ何それ…」と言います。でも大丈夫、洗濯だってお風呂だってお父さんがやってますから。
第6話『父さんとの夏1』
2001.9/23掲載
夏休みは忙しい。家で子どもと遊んだり、海で子どもと遊んだり、山で子どもと遊んだり…。家事はお母さんが手伝ってくれるようになるのでだいぶ楽になるのですが、いかんせん体力勝負の毎日で忙しくてなりません。
今年の夏は長男がなかなか頑張りました。目標を三つ立ててチャレンジできる時に都合よく頑張っていました。
一つめは『水泳25m』でした。息継ぎが不十分だったことと、苦しくなるとやめてしまいたくなるという性格のせいで今まで達成できずにいました。近所のプールに何日も通い、スライダーで遊びたくなるのをなんとかこらえさせてトレーニング。
まずは溺れそうになった時どうすれば助かるかを説明し、わざと溺れさせてもしも何かあっても自分は助かるという自信を持たせることからはじまりました。さりげなく深いプールで足払いをかけたり、「助けてやるから大丈夫」と言っておいて助けなかったり、おんぶしてそのまま深く潜ったり…。おかげで息も溺れる限界まで伸ばせるようになりました。
次は息継ぎの仕方(顔のあげ方)。学校ではクロールから教えてくださっていたようですが、そんなことは知らない父さんは蹴伸びからのバタ平で教えます。海や川のような波のあるところではこの方が確実に息継ぎができると考えました。しかし手を体側にかき出すというのがちょっと不安なのか、長男の手はどうしてもイヌカキになってしまいます。おかげで顔を出せる時間が減ってしまい余計疲れるようです。余裕があるときは何とか平泳ぎになりますが、いざというときはイヌカキになってしまいます。
まあいい、それで頑張ろう。すると「父さん、息継ぎって吐くばっかりでぜんぜん吸えないんだけど」「???」そうです長男は水の中でしっかり息を止めているので、顔を上げた時その息を吐く時間しかなかったのです。
「水の中ではだんだん息を出しながら泳ぐんだよ」「だってそんなことしたら苦しくなるじゃん」「だから息継ぎするんでしょ」「な〜るほど」ということでなんとか息継ぎの意義も分ったようでチャレンジは続きます。
息継ぎができればあとは進むだけ。でも長男はバタ平なので遅い。なかなか進みません。泳ぐ長男の横をついて歩き、「頑張れよ、もうちょっとだ」とか声をかけて少しでも粘らせます。23mくらいでの挫折が何回か続いたあとやっと25mが達成できました。その日は家族でお祝いをしました。
すっかり自信をつけた長男は「プールの折り返しでだったら何メートルでも泳げると思うよ」と大きなことをいっています。ではその泳力がどう発揮されたかは次回『海編』に続きます。
第7話『父さんとの夏A』
2001.9/28掲載
夏休みは忙しい。家で子どもと遊んだり、海で子どもと遊んだり、山で子どもと遊んだり…。前回の続き。長男二つめの目標は『背の届かない所を潜る』でした。
父さんの実家では毎年海に行っています。でもそれは海水浴というよりは《漁》に近いものなのです。潜って貝や魚やイカ・タコなどを採りまくるというもので、嫁であるお母さんは「あんな海水浴があるのか…」と衝撃を受けていました。その家族の一員として海水浴を楽しむためには水中メガネをかけて潜れないと話になりません。
父さんも子どもの頃に鍛えられ、物心ついたときには泳いだり潜ったりは自由にできていました。その頃書いた絵日記は挿絵のようなもので、他の子とは明らかに構図が違っていました。
さて、海にはいつも叔母家族も一緒に行くのですが、そこの娘(子ども達にとってはいとこ。長男と同い年)は海に近い所に住んでいるので、何回も海に行き、漁にもかなり慣れています。情報では背の届かない所で潜れるとのこと。目標を達成するしかありません。
プールで「折り返しでだったら何メートルでも泳げると思うよ」とすっかり自信をつけた長男はまず、一番弱小ライバルのお母さんに勝負を挑みます。これにはあっさり勝ちました。ますます自信をつけいよいよチャレンジが始まりました。
といってもただ潜っているのは間抜けです。魚を追いかけたり、貝を拾いながらの楽しいチャレンジです。今年は小アジが大発生し、どこで潜っても魚がいっぱいという状況。楽しく練習するのにはもってこいでした。「父さん、あそこに魚がいるよ」「どこよ?」「あそこ」「あそこじゃ分からんから近寄って指差してよ」とか「おい、あれヤドカリかな普通の貝かな?」「採って見てきてあげるよ」とか「あそこにいるヒラメ(本当にいる)捕まえてやるからつんってして動かしてきてよ」とかいろいろ手をかえ品をかえ飽きさせずに潜らせます。
そうこうするうち海は父さんは立てるが長男にはぜんぜん足のつかないところへ。「あれサザエじゃない?採ったらじいちゃんに自慢できるよ」「ヴン、びっでぐるびょ(水中メガネをかけたまましゃべっているので分りにくいがおそらくウン、行ってくるよ)」…「やった〜採れたじゃん。ほらここぜんぜん足つかないでしょ」「びゃっびゃ〜(多分やった〜)」
二つめの目標も達成した長男。三つめはいったい何?結果はどうなる?…感動の次回へ続く。
ふろく・我が家の潜水ランキング 1位おじじ65歳現役5m 2位父さん5m・脂肪の浮力でわずかに負ける 3位叔母4m 4位叔父3m 5位長男・いとこ1m50p 7位母さん80p
第8話『父さんとの夏3』
2001.10/11掲載
夏休みは忙しい。家で子どもと遊んだり、海で子どもと遊んだり、山で子どもと遊んだり…。前々回からの続き。長男三つめの目標は『逆上がりができるようになる』でした。
前回登場のいとこが体操教室に通っていて、五歳の頃から逆上がりができるという情報を聞き、ここでも負ける訳にはいきません。お母さんが逆上がり練習ベルトなるものを買ってきて母子で特訓開始です。
お母さんにしては珍しく科学的トレーニングを導入したものだと思って見ていると、
「もっと、こうグッとやって、パッとして、ギューと頑張るとサッとなるんだよ」
「…」
さぁ父さんと練習しよう。練習ベルトのおかげでイメージはつかめているようですが、ベルトにすっかり頼る癖がついてしまいました。腕のひきつけと足の振り上げがまったくだめです。
まずは腕のひきつけから。斜め懸垂みたいなことをしながらタイミングをつかみます。そして足の振り上げ。どうしても前方に勢いが逃げてしまうようで体が上方に浮きません。そこで父さんからのアドバイス。
「チンコ(下品な言葉もさらりといえる人間になって欲しいので我が家ではこういう言葉が自然に使われています)を鉄棒にぶつけるようにやってごらん」
『キン』
「…本当にぶつかった…」
「そうならんように腕でひきつけるんでしょ」「…そうだった…」
などという、笑いと涙の特訓のおかげで、まぐれのように一回クルンと回れました。
ちょっとできるとすぐズにのる長男のことです、異様なほど自信を持って逆上がりができるようになってしまいました。
こうして夏休みの三つの目標を全てクリアした長男は、一回り大きくなって(態度が)二学期に突入していったのであります。
さて、三回にわたって長男のことばかり書いてきましたが、その間次男は何をやっていたのでしょう。
プールにはもちろんついてきました。兄と一緒の深いプールに入って監視員に怒られたり、いたずらしようとしてプールにはまって溺れそうになったりしながら、ビート板につかまって泳ぐ真似ができるようになりました。海にもついてきました。浮き輪でぷかぷか浮いて、じいちゃんや父さんが潜るのを見ながら口まで沈んで立ってることができるようになりました。
鉄棒にもついてきました。高鉄棒から落ちて泣いたり、鉄柱に頭をぶつけて泣いたりしながら補助つきで逆上がりを楽しんでいました。そして何よりウンチとシッコをほぼ完璧に一人で出来るようになりました。
父さんはというと、子どもと一緒になっていろいろ食べていたので5キロも大きくなりました。
みんな成長したね!?
第9話『家庭平和の万国旗』
2001.10/21掲載
万国旗といえばなんといっても運動会です。九月はお母さん・長男・次男と三週続けて運動会があり、バッテリーの充電器もフル回転でした。
運動会といえば我が家ならずともお父さんの活躍の場面といえましょう。ビデオ抱えてスタート地点へえっちらおっちら。一眼レフをかついでゴールへやっせわっせという感じ。なんたる親バカぶり…。
最近ではメカ好きの女性も増えてきて、お母さんカメラマンも多くなってはきましたが、お父さんの本格派ぶりに比べたらまだまだというところでしょう。
それから応援の場所とりもお父さんの仕事という家が多いようです。今年小学校の役員をやっていた関係で、早朝にグラウンドに行ってみるとシートをもったお父さんがうじゃうじゃ。午前六時が場所とり解禁時刻であったため、みんなトラックを遠巻きに虎視眈々。運動会開催通告花火が六時ちょうどに上がるのでそれに合わせて一斉に動き出します。なんたる親バカぶり…。
「おいおい君のとこは何人家族だい?」と言いたくなるほどの敷地を確保する人、キャンプじゃないんだからいすを車座に並べても…という人、もしもしそこは選手集合場所って書いてあるでしょ、という具合にいろいろいます。以前お母さんの勤務校ではパラソルを立てる人までいたといいますから驚いたものです。(先生方ははっきりとは言いませんが、すごく迷惑なことです。ぜひ慎むようにしましょう)
一方、お母さんの見せ場はお弁当作りでしょうか。運動会は雨天中止がある関係で給食センターはなかなか引き受けてくれません。どうしてもお弁当になってしまいます。15年ほど前はこのあたりにもコンビニができ始めた頃で、珍しさもあってかコンビニ弁当をもってくる子どもが結構いました。近所のコンビニの店長が「弁当入荷の計画を立てるから年間計画表をくれ」と言ってきたことさえありました。
今ではコンビニ弁当はほとんど見かけなくなり、そのかわり前日近所のスーパーはミニトマトとお稲荷さんの皮が売り切れるという現象が起こるようになりました。子どもにとってとてもいいことだと思います。
もう一つお母さんの仕事は声援でしょうか。お父さんの「おぉ」とか「あ〜ぁ」という普遍的な感嘆の言葉とは違い「きゃ〜○○ちゃ〜ん、カッコイ〜!」「お〜い△△、こっち向いてパシャ」…あんたらアイドルの追っかけかい、とつっこみを入れたくなるほど入れ込んだ声援。なんたる親バカぶり…。言われた子どもにしてみても思春期ともなればうれしいやら恥ずかしいやら反応も難しいところでしょう。
あれ、今回ぜんぜん我が家のことが出てきてないぞ。我が家の様子ですか?…なんたる親バカぶり…でした。
第10話『成功有読(せいこううどく)』
2001.11/8掲載
「読書の習慣は小学校卒業までにつくもので、中学に入ってから本を読ませようとしてもほとんどだめでしょう」とは、10年間の教員生活中で「ウチの子読書をほとんどしないんですけど、先生どうしたらいいでしょうか」という親の質問に対する私の冷たい回答でした。
この回答には今でも自信を持っています。読める・読めない、読む・読まないは問題ではなく、読書の習慣の有無が問題なのです。
今の中学生は教員から見て気の毒なほど忙しいです。その中に読書の機会を入れてやることはほぼ不可能です。「ゲームやテレビや漫画をやめさせれば時間なんていくらでもできる」という親御さんもいますが、現代人として生きていく子どもたちにとってはゲームやテレビや漫画もまた必要なものだと思います(ただし限度はある)。
そんな偉そうなことを言った手前、自分の子どもが読書しないとなったら大変です。ここは本腰をいれて何とかしなければなりません。幸い我が家は仕事がら本はいっぱいあります。学生時分の恩師に言われた『学問に金を惜しんじゃいかん』という言葉を忠実に守っているおかげで新しい本もいっぱい購入します。そのうえ父さんが図書館に通い、さまざまな本を借りてきますから大変です。
読み聞かせは十カ月くらいから始め、今でも続いています。毎日寝る前に一人二冊、兄弟二人で四冊です。長い本の場合は段落ごととかになることもありますが、10分や20分はかかります。
母さんは図書館の講習会などに参加し、難しいことを習ってきて実践していますが、図書館司書の免許を持っている父さんはそんな素人の言うことは聞きません。『読書はエンターテイメント』の信条にのっとり楽しく読みます。いろんな声で読みます。いろんな速さで読みます。ときには書いてないことまで読みます。
おかげで子どもは本が大好きです。次男はまだ字が読めないくせにみんなに本を読んでくれます。ただ長男は読み聞かせが楽しすぎるせいか自分で読むよりも読んでもらうほうが好きになってしまいました。
「じゃあどんな本を読ませればいいの」という質問に対しての回答を私なりの経験から紹介しておきましょう。
@書き出しに魅力がある。
Aさし絵がいい。
B物価に比べ安すぎない。
C有名人の監修・推薦を飾り立てていない。
Dあとがきや解説を読んでよいと思うもの。
E古典・名作・伝記は対象年齢が低くない。
Fオリジナルな本。
G作者名やシリーズ名などが記憶に残る。
H今子どもが興味を持ち始めた内容。
う〜ん、今回はオチがないなぁ。あっそうだ、こんな私をどこかの図書館で雇ってくださ〜い。
第11話『花も嵐も踏み越えて』
2001.11/29掲載
自分でトレンドを作り出すほど楽しいことはありません。今年の春から夏にかけて、私と次男がそのトレンドの中心にいたのです。そしてそのトレンドとは『自転車通園』です。
次男はただいま年少組で、毎日元気に登園していますが、保育園は三歳児が歩いて行くにはちょっと遠い所にあります。わざわざ車を出していると、チャイルドシートの装着や、駐車に手間がかかるし、地球にも優しくありません。なので我が家ではもっぱら自転車を利用しています。
さて、もっぱらといいましたが、ほぼ毎日と言いかえたほうがいいでしょう。車を使うのは、お迎え時間ぎりぎりでないとどうしても外出先から帰ってこられないときだけで、あとは雨が降ろうが、雪が降ろうがいつも自転車です。
昨冬はあの積雪の中、毎日自転車で通いましたし、この夏も台風で小学校が休みの日にも自転車でした。
長男がまだ保育園児の頃は、前のベビーシートに次男、うしろのチャイルドチェアーに長男、サドルに私、とまさにだんご三兄弟状態でした。
そんな姿を町の人はよく知っていて、「あの毎朝自転車に子どもを乗せとる人」とか「すごいスピードで(自分では抑えているつもりなのですが)自転車をこぐ人」といえば通じるほどになってしまいました。
それほど有名なのですから、同じ保育園の子供が知らないわけがありません。はじめは不思議そうに、「どうしていつも自転車なの」と聞いていた子どもたちが、「自転車速いね」と言うようになり、ついには「お母さん、どうして僕たち自転車じゃないの」と訴えるまでになったのです。
そう言われて、まわりのお母さんたちも負けてなるものかとリクエストに応えはじめ、ついに自転車登園ブームがやってきたのです。毎朝すれ違う自転車の数が多くなり、園門前にママチャリ畑ができたようでした。
とは言うものの、やっぱり雨が降る日や、荷物の多い週末や、夏のすご〜く暑い日にはその台数はガクッと減ってしまいます。私たちは雨が降ったら親子でカッパを着て、布団入れ用のジャンボビニール袋をかごに入れ、汗をだらだら流して自転車に乗ります。そんな時心の中で密かに、「ふふ…勝ったな…」と思っています。
夏休みをはさんでそのトレンドはだいぶ廃れ、今は三、四台の自転車にすれ違うだけになってしまいました。寒くなるともっと減るでしょう。
しかし私たちはくじけません。花も嵐も踏み越えて、この太ももが痙攣するまで自転車をこぎ続けるでしょう。そしてそんなお父さんにあこがれる次男は、三歳のくせに自転車に乗り始めました。補助輪付ですが、親譲りの猛スピードで今日も近所を駆け回っています。
第12話『親の顔が見てみたい』
2001.12/6掲載
このごろの参観日は、ただうしろで立って一時間みていればいいというものではなくなってきています。総合学習とか体験学習といって、子どもと一緒に何かをするというのが増えてきました。また、学校開放の流れから一日中参観OKのことも増えてきています。
長男の学校でも今年は一日中(もしくは複数時間)参観日が何回かありました。
一日中参観日についての学校(主に管理職)の言い分。「児童の日常的な様々な活動を見てもらえ、親の都合に合わせて来てもらえる。」
先生(管理職以外)の言い分。「一日中誰かがいるので児童が落ち着かない。参観授業はそれなりにショーアップした仕込みが必要なので、何時間も用意できない。」
保護者の言い分。「何時間もあったって図工や体育じゃ悲しいわ(小学校だとそうでもありませんが、中学になると、数学や英語のときはいっぱい来ますが体育や技術だと…です)。それに行く時間が分散すると親の数が少なくなって行きづらいのよね。」
結論、一日中参観をやりたがっているのは実際に授業をやりも見もしない人だけ。
とはいうものの、私のような主夫にしてみると、何時間でも見に行けるのはそれなりに楽しいものです。朝から学校に入り浸り、最初のうちは自分の子どもはどうかな、とみていますが、そのうち職業病なのか先生の指導法についてメモをとったりしてしまいます。
親が一人だけという授業もあります。普通の人なら尻込みしてしまうところでしょうが、主夫に尻込みは禁物です。堂々と真ん中に立って教室を見回します。
今では子供たちにとっても馴染みのおじさんなので、愛想よく話し掛けてくるし、休み時間になると飛びついてきて、一緒に遊ばされることもあります。長男も「どうだ僕のお父さんだぞ、いいだろぉ。」と言ってくれるので、親としてもうれしい限りです。
ちょっと恥ずかしいのは、よそのお母さんと二人っきりのときです。お雛様みたいに並んで、みんなから見られながら立っているのはきついものがあります。先生、早く授業を始めてくれ!
授業で長男が、「はい、はい!」とやっているときは、「家に帰ったら褒めてやろう」と自慢げに周りのお母さんたちを見回してみます。
でもそんな時間は長くは続きません。「何やってんだよ、教科書開けよ。そんなくしゃくしゃのプリントを…。なんで立ち上がってんだ。後ろ向いて手を振るな。かぁ〜忘れものかよ。」てな具合です。
教員時代、参観日にこういう生徒がいると、親の顔をじっと見ながら「もぉ〜、親の顔が見てみたいわい。」と冗談を言っていました。今になってみるとこう言いたいです。「すいません先生、こんな顔です…。」
第13話『急な発熱に…』
2001.12/19
子どもの急な発熱…困ってしまいますよね。そんなときこれ一つでもう大丈夫。それは主夫。
テレビCMではありませんが、子どもの病気は本当に困ってしまいますよね。大人みたいに、だんだん具合が悪くなっていくのをうまく伝えられないので、子どもの病気はいつも突然です。
朝仕事の支度をして、いつもみたいにパッと起きてこない子どもを起こしにいき、「なんかしんどいよぉ」「昨日遅くまで起きてたからだよ。しゃんとしなさい」と抱き起こそうとすると、なんだかパジャマがじっとりしている。おや?と思い首筋から胸に手を当ててみると、ゲッ、熱いじゃん。
普通はここからが大変。学校に休みの連絡を入れ、病院に予約を入れ、仕事場にとりあえず遅れますと伝え、熱を測りつつ下の子のご飯を用意するといった具合。
我が家も以前はおおわらわ。共に教員だったので、お互いの週計画表と時間割を持ち出して、「一時間目は自習でなんとかなるがそのあとはだめだ。」「じゃあ私が最初学校で段取りつけて帰ってくるわ。」なんていう大騒ぎ。同僚や児童・生徒にまで多大な影響を与えていました。
学校は一般の職場みたいにきちっとはしていないので、急に休んだりはしやすいのですが、その先生以外ではどうしようもないということが非常に多く、すごくうしろめたいのです。翌日からしばらくは小さくなって過ごさなくてはなりません。
しかし、今は余裕綽綽(しゃくしゃく)。母さんは病気怖がりで、すぐ薬だ病院だといいます。父さんは「こんなくらい大丈夫」と泰然自若。
病院に行くにしても、家から歩いて一分のところに病院があるので、電話して「今すいてます」と看護婦さんが言うときに、さっと駆け込みら〜くらく。薬局もその隣にあるので「あとで取りに来ます」と言い残してさっさと家に帰ります。
家での看病も大丈夫。冷蔵庫の中身はすっかり把握してるし、病人食だってすぐ作れます。子どもも父さんがそばにいてくれるから安心してゆっくり休めます。女性はこういうときも「あれがやりたい、これもやらなきゃ」と考えるそうですが、父さんは悠悠自適。子どもと一緒に昼寝したり、滋養をつけると理由をつけてうまいもの食ったり。
帰ってきた母さんは私の顔を見て、「元気そうね」と言います。
でも、やっぱり健康が一番。病気しないにこしたことはありません。喘息気味で以前はひと月に一回は病気になっていた長男も、父さんが主夫になってからはほとんど病気らしい病気をしていません。
たとえ母さんがいくら違うと言っても、これはひとえに父さんが毎日きれいに掃除をして、ほこりやチリを出さないようにしているからだと言い張っています。
第14話『京の夢王滝の夢』
2002.1/8掲載
あけましておめでとうございます。今年も子育て父さんとその家族をよろしくお願いいたします。
お正月の過ごし方はそれぞれの地域で大きく違うのですが、一応我が家では父さんの出身地である京都風で過ごします。大晦日から除夜にかけて年越しそばを食べ、紅白が終わる頃二年参りに行きます。帰ってくるとあとはごろごろ、元日はどこへも出かけません。
正月はかまどの神様と、それに仕える巫女である女性を休ませるため男性が料理の支度をします。支度といっても普通はおせち料理があるので、お雑煮を作るだけです。お雑煮も京風《白味噌・丸もち》です。京都では正月用の餅つきと餅まるめが年末のイベントの一つになっています。京都で育ち、餅屋でバイトまでしたことのある父さんはこれが得意で、鏡餅までまるめることができます。我が家では餅つきができないので、子どもたちには京都の実家に帰ったとき体験させてやりました。まだまだへたで、丸くなった頃には灰色のもちになっていました。
母さんの実家は王滝村で、いわゆるおせち料理というのはなく、大晦日にご馳走を食べるんだそうです。そしてお正月は普段どおり過ごすんだそうです。
さて、正月も子どもとたっぷり遊びます。花札やトランプや百人一首などやりたいのですが、まだ子どもたちがルールを覚えられないのでできません。もっぱらやるのはドラえもんすごろくとカルタ取りくらいです。
今ではあまり人気がありませんが、昔からおこなわれているのが『いろはガルタ』というやつです。その中の四十八番目(関東版にはほとんどないのですが、関西版では、いろは四十七文字のあとに《きょう》というのが入っています)のものが、今回の題名のもとになっている『京の夢大阪の夢』というやつです。
我が家のカルタ取りはそれではなく、子ども向き『十一匹のねこカルタ』です。「たらふくたべたよたぬきのおなか」とか、「はっぱぺたぺたぼろかくし」とかいうやつで、当初は長男がひらがなを少しでも覚えてくれるようにと願って買ったものですが、絵と言葉はばっちり覚えました。文字ではなく絵で覚えているので子どものほうが早く取ってしまいます。あまり目的は果たせませんでしたが、カルタとしては楽しく使っています。
お正月というのは子供にとってあまり楽しいものではないようです。父さんと母さんがずっと家にいてくれるのはうれしいようですが、寒いので外で遊ぶわけにもいかないし、テレビも特番ばかりで面白くないし、デパートに行ってもすごい人だかりで疲れるし、かといって寝正月では退屈だし…。
そこで我が家では@スキーに行く。Aじいちゃんばあちゃんに温泉に連れて行ってもらう。のどちらかにしています。
スキー場は下伊那にもたくさんあるし、高速道路を使えばあっちこっちのスキー場に行けます。毎日違うスキー場なんていうのも面白いものです。また回を改めてスキーのことは書きましょう。乞うご期待!
温泉は母方のじいちゃんが好きで、孫会いたさによく誘ってくれます。三が日はマッサージ師が休んでしまうので、その後に行きます。浅間・美ヶ原を中心に、二泊くらいで連れて行ってくれます。子どもたちはひさしぶりにじいちゃんばあちゃんに会えることに加えて、場所も特別なのでとても新鮮で、すごくはしゃぎます。時にはその勢いにじいちゃんたちがついていけないこともあるくらいです。そして朝から激しく遊ばされて疲れた体には夜のマッサージが最高なようです。父さんと母さんには、子どもをお任せしてのんびりできるのが最高の正月です。子供たちも楽しみにしていて「今度はあそこに泊まろうよ」とか帰りがけにリクエストを入れておいたりします。じいちゃん、来年もお願いね!
『はっはっはっはっ』鬼、大笑い。
第15話『ゲーム上陸』
2002.1/18掲載
一つのことに集中すると他のものがまったく目に入らなくなる長男。テレビがついていると、画面に食入るように見入ってしまい、親が呼ぼうが弟がたたこうがまったく反応がなくなってしまいます。
そんな長男がテレビゲームをやりだすとどうなるか。
母さんの実家には伯母が昔使っていたゲームボーイがおいてあります。それを見つけて遊びだすともう大変。ずいずいずっころばしの歌状態。時間もすっかり忘れ、あたりが暗くなっても気付かず、ず〜っと続けています。
そんな長男も小学二年生。周りではかなりの子どもがやっているようだし、子ども同士の話題もゲームのことが多そうです。父さんの知人たちの家にもほとんどゲーム機がある状況。横並びではありませんが、そろそろゲームもやらせなきゃいかんかなぁと思いはじめました。
どちらかというと母さんは反対派。目が悪くなりそうなことを何より心配します。また長男がのめりこみタイプだということも不安の種です。
父さんは結構推進派。自分自身もずいぶんゲームをやってきた世代だし、中学生を指導していたのでゲームが子どもにとっての大事なコミュニケーションの材料であることもよく知っています。自分も一緒に遊べたら楽しいとまで思っていました。
しかし、かといって野放図にゲームだけ与えてしまえばのめりこんで身を滅ぼすに決まっています。なにか厳密なルールを設定すべく、子どもと話し合いを持ちました。子どもにしてみると今まで全然許してくれそうではなかったのに、いい雰囲気なので、いろいろ条件を出せる状態ではありません。親の言うことにちょっと無理だとか、できそうだとか判断していくしかありません。
話し合いの結果決まったルールは四つ。一日30以上はやらない。あと片づけを完全にする。家のお手伝いをする。弟とゲームの取り合いをしない、というものです。ちょっとかわいそうかなというものから、こんなの常識だというものまでありますが、守ることが大切であり、ゲームを取り上げるためのルールではありません。親も子も厳しく守っていきます。
ちょうど時期もクリスマスから正月にかけて。孫に甘い祖父母がゲーム機とソフトを買ってくれました。(そういえば父さんも子どもの頃、欲しい物があるとおばあちゃんにすり寄っていったなぁ〜)
ゲームが我が家に上陸してもうすぐ一ヶ月になります。今のところ長男はよくルールを守っています。父さんも楽しんでいます。長男のなによりの不満はどのゲームも父さんのほうがうまいこと。そりゃ年季の入り方が違いますよ。
よ〜し、こうなったら子どもと本気で勝負するために、もう一台買うぞ〜!
第16話『今夜のメニュー』
2002.2/2掲載
奥さん!今夜のメニュー決まりましたか?
毎日家事をやらないと分らないでしょうが、夕食のメニューを考えるのってすごく大変なんですよ〜。
好きなものばかりでは偏るし、得意料理ばかりではメニューが少なくなってしまいます。みんなに注文を聞いても好き勝手、いいかげんなことばかり言うし、高いものは買えないし、給食と同じ物は避けたいし…。
「そんなつまらんことで悩むなよ」と思うようでは甘い!
主夫(主婦)には食事の用意は仕事。その仕事にこだわりを捨てたらおしまいです。会社で少しの仕事でも手を抜かずに働くのと同じなのです。仕事に貴賎の差はないのですぞ。
我が家は核家族なのでまだいいのですが、三世代、四世代が同居する家は大変です。八十歳の年齢差をこえて、おいしくて栄養のある食事なんて、簡単には見つかりません。それを毎日考えるのは奇跡のようなことです。
我が家の献立決定には次のような条件と優先順位があります。
@価格。単価が安いということより、割が安いというのを重視します。これは言いかえれば物の旬をとららえるということ。おいしさも十分です。
A誰かの好物。どんなに栄養があってもみんなが嫌がるようでは悲しい。少なくとも一人がニコニコして食べてくれればうれしいものです。
B必要なもの。病人がいれば病気に効く物。みんな疲れ気味なら滋養のつく物。
C新作。シェフのインスピレーションやテレビ、本で見てうまそうだなぁと思ったもの。私はほとんど味見をせずに作るので、一か八かのギャンブルメニューです。
D手抜き。(この頃はこれが安くて困ってしまいます。材料から作るより半調理のほうが安いのですから、安くあげると手抜きになってしまう…)
せっかくの食事ですから、できれば家族全員がそろって食べたいものです。我が家では母さんが教員にしては早く、7時頃帰ってくるのでそれまで待っています。小学校は昼食が一時すぎなのでまだいいのですが、保育園は11時頃なので、次男はおなかがすいて我慢できなくなります。なので空腹のピークをみはからってお風呂に入れたり(第四話参照)、軽くつまみ食いをさせたりしています。
母さんが帰ってくると待ってました!とばかりに食事が始まります。みんな空腹のあまり、味は二の次になっているようで、『頑張って作ってよかったなぁ』と思う半面『もうちょっと味わってくれよ』と思うほどすごい勢いで食事は進みます。
その食べっぷりを見て「子どもたちが二人して食べ盛りになったら我が家は食い倒れやなぁ」と私が言うと、「父さんが減らせばいいのよ」と母さん。そうかぁ…、今夜は二杯でやめとくか…。
第17話『白銀は招くよ1』
2002.2/23掲載
子供の進歩はものすごい速さです。リフトでたった10回ほど滑っただけで、三歳の次男はスキーができるようになってしまいました。一番なだらかなゲレンデや、林間コースならこけずに滑れるレベルです。
長男も三歳のときからスキーをさせています。甘えん坊で保育園以外では親から10メートルと離れたことがなかった長男が、ゲレンデで一人ずんずん滑って、リフト一本分離れていったときの感慨は忘れられません。「ちゃんと成長しとるなぁ」と見とれていたらコテン。いつまでたっても起き上がらないのでよく助けに行ったものです。現在長男は親の居る場所さえわかっていれば一人でどんどん滑っていってしまいます。リフト乗りやスキーの着脱もなれたものです。技術的にはまだパワーボーゲンでかっとんでいる状態なので、今後はハニハニターンの習得が待たれます。
次男は今冬スキーを始めました。スキー場に着くとスキーを履かせて、いきなりリフトで連れて上がりました。「大丈夫だ、止まらなくなったら父さんが止めてやる」と言って10メートルほど下で待ち構えます。母さんが板をハの字に開かせて「行け!」と手を放します。スルスルとなにげなく滑り出すと10メートルなどあっという間です。「すごいすごい、こんなに滑れたよ」「わーいわーい」「もう一回やってみるか?」と、こんなことを何回か繰り返しているうちに、あっという間に一人で滑れるようになってしまいました。
とはいってもまったく一人で大丈夫というわけにはいきません。
まず、リフトに一人で乗れません。どうしても父さんが一緒に乗らなければなりません。一度母さんと一緒に乗らせたら、リフトは止めるわ物は落とすわで大騒ぎでした。父さんと乗ってもハラハラです。
怖いもの知らずの次男はリフトから体を乗り出して下を覗き込むのです。ほっておいたら今まで四回は落ちているでしょう。
それから次男は一度こけると立ち上がれません。というか立とうとしません。こけたところに絵を描いたり、雪だまを作ったり、遊び始めてしまうのです。上から滑ってきた人に踏まれてしまいそうでとても危険です。
さらに体力がついていきません。根性はあるのでどんどん滑りたいみたいなのですが、すぐ足にきてしまいます。そうなると立っているのがやっとでとても滑れる状態ではありません。なんとかレストハウスに連れ込むのですが、そこまでは親が抱きかかえて滑ってやるしかありません。これが結構老体の腿・腰にはこたえます。
そんな二人を連れてなんと八方尾根にお泊りスキーに行くことになりました。
さてどうなるか?注目の次回に続く。
第18話『白銀は招くよ2』
2002.3/3掲載
「おうちが走ってる!」と、まずはびっくりします。(前回からの続き)
今までリフトが3・4本しか懸かっていないスキー場にばかり行っていたので、八方尾根の広さとゴンドラに圧倒されたようです。
子供たちがゴンドラに乗りたいようなので、家族四人でいきなり乗り込みました。「わあ〜落っこちる」「すごいスピードだ」「こんなあったかいリフトは天国だね」などと大騒ぎをしながら上の駅に着きました。
早速滑り始めるのですが、当日はすごいガスで辺りが全然見えません。コース図を見ながら適当に滑り始めました。
ところがどうやらコースを間違ったようです。いくら滑っても林間コースが出てきません。長男はなんとか滑っていけますが、次男にはちょっと無理。
でもそれを滑らせるのが父さん流。いつもの「ここで受け止めてやる」作戦で少しずつ進んでいきます。なんとか一枚目のバーンが終わったころ迂回コース発見。次男もすいすい滑り出しました。
ですが長男にとってはこれでは欲求不満。一人でどんどんスピードを出して滑っていってしまいます。小さなスキー場ならいざ知らず、ここではぐれたらもう出逢えない。母さんが後を追うことになりました。
次男はマイペース。父さんと一緒に頑張って滑っていきます。しかし今までの短いコースしかないスキー場とは違い、林間コースはいつまでも続きます。根性はあっても疲れは防げません。だいぶヨレヨレになりながら母さん兄ちゃんに追いつきました。(母さん兄ちゃんはかなり長い間ゲレンデの下で待っていたようです。とても寒そうでした)
ここで父さんと母さんの役割交代。父さんは元気な長男と楽しく滑り始め、母さんはヨレヨレの次男と一緒に滑ります。
しばらく行くと母さんが「もうこいつヨレヨレ、私も抱えて滑るの疲れたから先に帰るね」とギブアップ宣言。父さんと長男だけで楽しいスキーを存分に楽しみました。
今回のお泊りスキーは母さんの友達にくっついて、宿もどんなところか知らないままに参加していました。《ゲレンデまで歩いて六分》と書いてあったのですが、これはたぶん夏によその庭を突っ切って進んだときのことのよう。スキーを楽しみ疲れきったあと長男と歩くと30分ほどかかりました。
息もぜいぜいと宿にたどり着き、「こんなしんどいスキー場にはもう来たくない」と言う長男に同意しながら、「母さんと次男も大変だったろうなぁ」と思って乾燥室に入っていくと上から次男の元気な声が。
「僕たち途中でアイス食べてタクシーで帰ってきたんだよ」
やられた!今回ばかりは母さんのほうがうわてだった。
第19話『男同士だもんな』
2002.3/16掲載
長男と二人の時が一番遊べます。家族みんなが居るときは、父であり夫であり、息子であり兄であるわけですが、二人のときは男同士のよきパートナーだと私は思っています。
そりゃぁまだ小学二年生なので、できないこともいっぱいありますが、それは子供ゆえにできないことであって、彼にできないことはないと思って付き合っています。
勉強だって、遊びだって、勝負事だって、彼に対して手を抜いてやろうとか、花を持たせてやろうとなんか考えたこともありません。いつだって私自身、真剣に、対等に相手をしています。そしていつまでも子供に勝ち続けるのが、父親としての責務だと思っています。
多くのスポーツ選手が「どんな時、自分はプロ選手として通用しそうだと思ったんですか?」という問いに対して、「父親が相手にならなくなった時です」と答えていることからも、父親の能力が子供にとって社会の秤となっていることがわかります。なので絶対に負けてはなりません。「世の中は甘くないんだ。社会に出るにはせめて父さんを乗り越えてから行け」という能力をみせなければならないのです。
そういうわけで今日も真剣勝負です。野球をやるときは常に三振を取りに行きます。サッカーをやるときはファールまがいのタックルを仕掛けます。けんか独楽では平気で直接ぶつけていきます。テレビゲームでは最強パーティーでバトルします。クイズ番組を見ていて必ず先にファイナルアンサーを言います。推理ドラマで犯人を当てます。ご飯は軽く二倍は食べます。お箸の持ち方も基本どおりです。命がけともいえる壮絶な戦いです。
でもこれがたまらなく楽しいんですね。『子供のため』なんてこと気にかけたこともありません。自分自身が楽しく、一番充実感があり、いきいきしている時です(女の子ばかりのお父さんが「息子とキャッチボールしたかったんだよなぁ」という嘆きはおそらくこの充実感への渇望でしょう。逆に私には「生まれた瞬間から絶対嫁にはやりたくない」という愛着が分らないのでしょう)。
真剣勝負の一方で、男同士には妙な連帯感があります。「男の約束」というやつです。「女の秘密」同様、内緒ごとが結束を強めるのですが、女の秘密がお互いの秘密を握り合うのに対して、男の約束は一個の秘密を外に漏らさないようにするという性質があります。善い事でも悪い事でも「秘密にしておこうぜ」というのが合言葉になります。
我が家でも男の連帯感は強固なものです。
「へっへぇ〜ん!机の上が乱雑で整理整頓がへただっていいよな、男同士だもんな。」
↑いけません!
母さんだな勝手にこんなこと↑書いたのは。
第20話『DANCEダンスだんす』
2002.4/7掲載
落ち着きがないのは父さん譲りか、次男のおしりが床に着いていることはまずありません。うろうろと歩き回ったり、走り回ったり、ぐるぐる回ったり。そして立っているついでなのか、よく踊っています。
保育園で練習しているダンスはもちろん、他の人が踊っているのを見ると、ついつい自分の体も反応してしまうようで、テレビに向かって一心不乱に躍りまくっている姿がよく見られます。
最近のお気に入りは、保育園で教えてもらってきた『およげたいやき君パラパラバージョン』です。朝な夕なに何度となく踊って見せてくれるので、私はすっかり覚えてしまいました。(と思っていたのに、先日年長さんがおよげたいやき君パラパラバージョンを踊っているのを見て???次男の踊りとなんだか違うぞ。4ビートだと思っていたのに本当は16ビートのよう。我が家のは、ずいぶん省略されていました。人前で踊らなくてよかった。)
当然ですが、ダンスを家で教えたり、家族で踊ったりなんて事はしていません。次男はなんとなく自然とリズムに体が乗ってしまうようです。そうなるとこれはパーソナリティーの問題で親の出る幕ではないのかもしれません。踊ることは楽しいし、健康的だし、はつらつとしていてとてもいい姿なので、今後もこの個性を残していってやりたいな、と思います。
一方、長男はといいますと、これが全然踊ったりしません。踊りだけでなく、いわゆる情操的活動(歌、演奏、ダンスなど)が大嫌い。今に始まったことではなく、保育園に入った頃から嫌いでした。理由は恥ずかしいからなんだそうです。
参観日や音楽会でこそ元気よくいい顔をして歌っていますが、やっぱり好きになれないようです。運動会のダンスなんかは、あとからビデオで見るのさえ嫌がるほどです。
小学校の先生から見るとこういう子供は心配です。「自分を自由に表現できない何かが、心の奥底にあり、抑えつけられた自我が歪んでしまうのではないだろうか。」とか考えてしまうわけです。(私個人はこれはパーソナリティーの問題で一概には言えないと思います。他に自分を表現する手段を持っていれば全然問題ないと思っています。ですが、発表会などで子どもが踊ってない・歌ってないのは親として恥ずべきことだと思います。)
なので長男は、ことあるごとに母さんに「頑張って踊りなよ。へただっていいんだよ、踊らんほうが恥ずかしいよ」と怒られています。そしてそのすぐ横では、次男が「踊ってないでちょっとは落ち着きなさい」と言われています。
その様子を見ながら、父さんは「♪踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン」と踊りながらうたっています。
第21話『めんこでパッチン』
2002.4/23掲載
春休み、忙しい母さんをおいて、父さんの実家の京都に行ってきました。子供たちは神社・仏閣・古刹・名刹を見たって面白い歳ではありません。ひたすら従姉妹と遊んでいました。
そんなある日、探検ごっこと称して潜り込んだ押入れの中から、長男がなにやら引っ張り出してきました。
なんとなつかしや、それは父さんの『宝物入れ』ではありませんか。ビー玉・メンコ・おはじき・スーパーカー消しゴム等々、昭和四十年代に流行った遊びグッズがいっぱいつまった段ボール箱です。
中でも子供たちが最も興味をそそられたのがメンコのようでした。テレビ番組でメンコをやっているのを見て、父さんがいつも「あんなんじゃダメだな。もっとスナップを利かせて風を巻き上げるように…云々」と言っているのを聞いて、自分たちも一度やってみたいと思っていたようです。
じゃまになるからおいていこうという父さんの忠告は聞き入れられず、メンコは土産袋の中に納められてしまいました。それ以来、我が家ではメンコフィーバーが続いています。
今まで熱中していたゲームは戸棚の奥に追いやられ、朝の七時半からメンコバトルです。近所の子どもたちも巻き込んで、一日中「パシッ!わっ〜」とにぎやかにやっています。春休み中ということもあって、多い日は六時間以上も「パシッ!パシッ!」とやっていました。
最初の頃は獲られるのが嫌で、投げたとたんに自分のメンコを拾い上げていた次男も、だんだんルール通りにできるようになり、獲られても怒らなくなりました。それどころか、非力なくせにどういうコツをつかんだのか、攻撃は一番うまくなってしまいました。長男も投げ方がさまになってきて、大体はいつも二人で近所の子をやっつけているようです。
父さんが子どもの頃は、みんながMYメンコを持ち、めくったらそのメンコがもらえるという博打のようなものでしたが、今は我が家にしかメンコはありませんからアマチュアメンコの段階です。時代が変わってしまった現代では、この先、博打メンコに発展していっていいものかちょっと悩んでいます。
さて、テレビゲーム反対派の母さんも、「これは健康的でとてもよろしい。私も昔やったわ」と一緒になって参加することもあります。もちろん父さんも一緒にやります。
母さんのままごとメンコや子供たちのアマチュアメンコと、父さんの実践メンコはレベルが違います。容赦なくびしびし勝ちまくります。そして二時間ほど実力をみせつけた父さんは、次の日、肩がパンパンに張って腕があがらなくなっていました。
第22話『伊那谷道中道中記』
2002.5/15掲載
その日は下伊那四スキー場がいずれも超満員でした。駐車場にさえ入れないほどだったので、スキーをあきらめ、かわりに伊那谷道中に行くことにしました。
父・母・長男はオープン直後に一度来たことがあり(長男は覚えてない)、その時のことを思い出し、「あんまり面白くないけど行ってみるか」といいながら入場しました。
ところがあの頃とはずいぶん違って、いろいろと面白いものができていました。パビリオンも増えているし、馬や汽車も走っているし、体験コーナーがずいぶん充実していました。
休日であるにもかかわらず、その日はものすごい寒さのせいか他にお客があまりおらず、いろんなところを存分に堪能することができました。いろいろなお店に入って、試食・試飲を山ほどしたり、遊具や広場も貸し切り状態。元気のありあまる我が家のやんちゃボーイズ(長男・次男・父さん)が思いっきり騒ぐことができました。寒さに弱い母さんだけが「もう帰ろうよぉ〜」と言い続けていました。
待ち時間もないので、何か体験コーナーで楽しんでみようということになりました。長男は木工細工がしてみたいと言い、母さんは繭玉工作がしてみたいと言い、父さんは機織体験がしてみたいと言い、次男は五平餅が食べたいと主張しました。一応全部見てみるかと進んでいるうちに全員が面白そうだと思ったのが陶芸体験でした。ただの絵付けや、作るものが決められているものではなく、ろくろを使った手びねりで、自分で勝手に作ってよいというものでした。
カップの作り方を教えてもらい、二人分の代金で四人が楽しみました。母・長男・次男はマグカップ、父さんはビアマグをめざします。マルチな中学教師だった父さんは今までにも何度か陶芸の体験があり、お店の人にも「お父さん上手ですね」と褒められました。うまくいかないとすぐに泣けてくる長男は、「泣くな」と怒られながらみんなに手伝ってもらって作りました。
次男はほとんど粘土遊びのようでしたがなんとか完成させました。母さんは可もなく不可もなく作りました。(焼きあがりは二ヶ月後ということでやっと先日届きました。出来栄えは写真の通り。早速みんな自分の作品で一杯飲んでみました。「うまい!」)
それからも各施設をゆっくり回り、からくり屋敷で次男を泣かせたり、汽車の寒さで母さんを泣かせたり、アヒルを追いかけてガーガーなかせたりしました。
さすがに冷えてきて茶屋でお汁粉を飲んでいると、どこからともなく『家路』の曲が…。なんと閉園時間を過ぎていたのです。「面白くないけど」とか言って入ったくせにまる一日…。
「あ〜面白かった。」
第23話『輪ゴムでパッチン』
2002.5/26掲載
『おじいさんやお父さんが、子どものころよく遊んだおもちゃ』
前回紹介した伊那谷道中に置いてあった輪ゴムてっぽう(割り箸てっぽうとも言う)の作り方説明書に載っていた紹介文です。
「こんなの子どものころ作ったことないなぁ」と言いながらも、家に帰って早速家族全員で作ってみました。
長男と母さんは二人で相談しながらそれぞれに一つずつ作りました。次男は父さんのひざの上で手伝うような顔をして、邪魔をしながらあれこれ指図をしていました。
出来上がったものは写真にあるもので、長男作が下段のもの。ちょっといびつなところもありますが上出来です。中段が父さん作のもので、さりげなく溝が彫ってあったり、滑らかに削ってあったりします。母さん作は都合により写真に入っていません。
できあがったら次は当然、射的大会が開催されます。的ははがきを半分に折って立つようにしたもの。まずは次男が絶対に外れない至近距離から撃ちます。輪ゴムが当たるとはがきが倒れ、大騒ぎで「やったやった」と踊りまわっていますから、そのあいだに本格的な大会をします。
ここで、父さんばかりが見事に的に当て「やっぱり作り方がいいのは違うね。それに腕が全然違うぜ」と自慢するはずだったのですが、結構誰がどの輪ゴムてっぽうで撃っても的に当たってしまうのです。
さあ困った。どんなことであっても、子供たちを完膚なきまでにやっつけるという父さんの美学が…。もっと距離を離して当ててみるか、それともアクロバティックな体勢から撃ってみるか…。と考えていると、踊り疲れた次男が戻ってきて「ぼくもぼくも」と場を荒らしまくるので大会は終了してしまいました。
なんとかせねばと悩んでいると、思考を打ち破る母さんの怒声が「いったい何個輪ゴムを使えば気がすむの。ちゃんと探して使いなさい」と。
そうか、輪ゴムをなくさないような輪ゴムてっぽうを考えて作ればいいんだ!母さんにも怒られないし、オリジナル作品を作ることで「父さんすご〜い」となるはずです。早速その夜、布団の中で寝ながら考えました。
翌日、みんなが出かけたあと、家事をホイホイとかたずけて輪ゴムてっぽう作りを始めました。夢の中で構想はバッチリできあがっていますから、それを形にしていくだけです。そして完成したのが写真上段のものです。
試しに撃ってみると、紙の玉が意外と…飛ばない。そのうえ母さんには「なんだかシンプルねぇ」と言われてしまいました。
くっ、くそう。こうなったらもっとすごいライフルみたいなのを作ってゴルゴ13みたいに狙ってやる!
第24話『The fisherman』
2002.6/12掲載
今年度から公立の小・中学校は完全週五日制ということで、子供をとりまく家庭環境がいろいろと論じられています。
中でも家庭での体験を重視した、ふれあいについての話題が最も熱く、特に父親の役割を論じるものが多いように思います。
「やっと父親の子育ての重要性がわかってきたか。世の中が我が家に追いついてきたな」と勝手に勝ち誇っている毎日です。
さて、そういう内容を掲載している新聞・雑誌などを見ると、たいてい親子で釣りをしているカットや写真が添付されています。
「お父ちゃん達は他にできることがないのかい?」「そんなにみんな釣りってやってるのかなぁ?」
と深く疑問に思いながらも一応納得しています。なぜなら我が家は釣りをやるからです。
小学三年生と年中組を連れてそんなすごい釣りができるわけはありません。池で鯉・鮒・ブルーギルを釣ったり、清流釣りがせいぜいです。釣堀もたまには行きますが、あまりにも釣れすぎて面白味がないし、お金もかかってしかたありません。池や清流は簡単に釣れて、それでいて釣れすぎないのがいいところです。
長男は年少組のころから時々釣りに連れて行ってたので、仕掛けさえ作ってやればまあだいたい一人で釣れるようになりました。餌をつけて、ウキが沈んだらあげて、鉤をはずして、バケツに放り込むという一連の動きが分かってきたようです。腕のほうはまだまだ未熟で、釣り逃しや鉤を飲み込まれたりということがよくありますが、またそれもお楽しみのうちです。
問題なのはちょっと釣れない(アタリがない)時間が続くとすぐに飽きてしまうということです。自然の中では5分、10分ウキが動かないこともあります。その間にいろいろ工夫を凝らしたりできるようになるとよいのですが、まだそこまでは難しいようです。
次男は、今まで何回か書いたように落ち着きがなく、水にはまりそうなので今まで釣りに連れて行きませんでした。ですが、もうそろそろそう簡単に溺れないだろうと今年から連れていくことにしました。しかし、まだ自分で釣り上げる楽しさを知らないので、みんなの応援をしたり、釣った魚で遊んだり、一人で踊ったりして楽しんでいます。
母さんは食べられる魚釣りが好きです。たまにニジマスなんかが釣れると第一声に「おいしそ〜」と言います。次に「店で買ったらいくらするかなぁ」と言います。
もちろん父さんは釣りが大好きです。平日に一人でおかず釣りに行くこともたまにはありますが、やっぱり家族で行くと楽しさが違います。
「今日も楽しかったね。父さん、もう帰ろうよ」
「よし、じゃああと一回振ったら終わりにするから…、やっぱりこの餌がなくなったら終わりにするから…、いやいやあと一匹釣ったら終わりにするから…、くそ〜絶対釣ってやる〜!」
第25話『The fishermanU』
2002.6/29掲載
釣るのだけがフィッシャーマンではありません。時には、わなを仕掛けてみたりするのも立派なお楽しみです。
いつも釣竿を持って歩けるわけではないし、手っ取り早く子どもに魚を見せてやりたいような時にはわなを使います。
わなと言ったってたいしたものではありません。空のペットボトルを使って簡単に作れるわなです。ペットボトルを口から3分の1くらいのところで切って、それをひっくり返してはめ込むだけのもの。あとは全体に、適当に穴をたくさんあけて、流されていかないように紐をつければ完成です。簡単な『ドウ』みたいなものが出来上がります。
それを魚がたくさんいそうなところへ投げ込んで(餌なんてあってもなくても関係ない)10分ほど待てば、まぁ某かの魚が掛っているものです。とりあえず魚を捕まえるならこれで充分でしょう。
このわなをリュックの奥に忍ばせておけば、ちょっとした池などでいつでも子どもと遊べます。
先日も次男の保育園の親子遠足でのこと。その日は列車に乗って駒ヶ根の馬見塚公園まで出かけました。馬見塚公園には大きな池があって、タナゴやモツゴなどの魚がいっぱいいることを知っていた父さんは、こっそりわなを持っていきました。
そして自由時間になると早速次男を連れて池へ。次男が落っことしたおにぎりを餌にして、わなを投げ込みほんの2分、あっけなく五匹ほどの魚を捕まえました。ちょうどタナゴは婚姻色が出て金魚と見まがうほどの鮮やかさ。次男はプラカップに魚を入れて見せびらかせに行きました。
他の子どもたちにとっては、水の上から魚は見えてはいるけど触れないし、どんな魚か知ることも出来ません。次男の持っているプラカップを見ると魚が泳いでいるではありませんか。あっという間に子どもたちが集まって来て、黒山の人だかりになっていました。「父さんがね、わなで捕まえたんだよ」と自慢するものですから、今度はお母さんたちが父さんのところに集まってきます。「どうやって捕まえたの」「どういう仕掛けなの」「それどうやって作るの」など、質問攻めに合いました。「いやいやたいしたことないですよ。こんなのすぐできますよ、簡単ですから」とか言いながらもちょっと自慢げな父さんでした。
みんなにさんざん自慢しまくってよほどご満悦だったのか、気前よく魚を放流した次男は、家に帰ってからも、「一番楽しかったのはお魚を捕まえたこと」、と言うほどうれしかったようです。昨夏の自転車以来のヒーロー(第11話参照)になれて父さんも次男も大満足の親子遠足になりました。
でもよ〜く思い出すと最初のお話で先生が「池には勝手に行ってはいけませんよ」と言っていたような気が…。
第26話『かっとばせ〜今岡!』
2002.7/28掲載
日本中が真っ青に染まり、『チャチャチャニッポン』とやっていた頃、我が家では根強く縦縞と六甲おろしが吹き荒れていました。
そうです、我が家は阪神ファン(母さんを除く)。数少ないテレビ中継の日には、テレビの前に集合し、メガホンをたたきながら「かっとばせ〜」とやっています。
体を使うことは父親と同趣味がよいという持論のもと、子供たちが物心つく前から
「ええかぁ、トラチームはな、苦労しながら頑張って戦って、時々奇跡のように勝ちまくるカッコエエチームなんや。オレンジのバイキンマンチーム(巨人のこと)みたいにエエ選手独り占めにして勝つようなずるいチームとちゃうねんぞ」
と言い聞かせていました。おかげで子供たちはすっかり阪神ファン。タイハッピもHTマークの野球帽も持っています。
今年は開幕から奇跡の快進撃で、我が家も盛り上がっていました。
長男は派手な打撃戦が好きで、ホームランとかとにかく大きい当たりに大興奮です。中でも今岡選手に一目置いているようで、背番号7が登場するとトイレでさえ切り上げてテレビの前に駆けつけます。ルールにもだいぶ興味がわいてきて、いろいろと質問をしながら見ています。幸い父さんはスポーツに詳しく、的確に答えてやれるので頼りにしているようです。
次男はトラッキーのバク転が大好きです。要所要所で出てくるトラッキーを真似して、自分もでんぐり返しをしています。おかげでかなりスムーズにできるようになりました。
「オレンジのバイキンマン(ジャビットのこと)にはあんなことできないよね」
とうれしそうです。幸い父さんはマット運動に詳しく、的確に補助してやれるので頼りにしているようです。
実はこの『幸い』が大事なところです。体力的にも経験的にスポーツでは母親より頼りになる父親が、子供の信頼に応えてやれることが大切なのです。父と子のスポーツの絆はかなり重要です。現代の生涯体育の考え方からいえば、子供の一生を左右するといっても過言ではありません。ですから父親と同趣味がいいのです。
さて、快進撃を続けていた阪神ですが、新聞にWの文字があふれているうちにひっそりと順位を下げていました。前よりいっそうテレビ中継が少なくなりました。たまの中継でも大差で負けていて、画面を見るのがしのびない日が増えてきました。
それじゃあ、メガホンにくもの巣が張って閑散と…と思うでしょ。残念でした。そういう日には父さん秘蔵『1985タイガース優勝の軌跡・日本シリーズ対西武戦』のビデオをみます。そして、「かっとばせ!真弓!」とやっています。
頑張れ阪神!負けるなタイガース!
「バース、帰ってきてくれ〜」
第27話『コオイムシ』
2002.8/9掲載
【コオイムシ】カメムシ目タイコウチ亜目コオイムシ科コオイムシ属 体長18〜20o5〜6月に発生し、本州・四国・九州に分布。メスはオスの背中に卵を産み付け、オスが卵の世話をするという珍しい特徴がある。
我が家の長男は昆虫が大好きです。カブトムシ・クワガタムシはもちろんですが、その他の地味な虫や、珍しい虫も大好きで、いろいろと親が知らないようなことも知っています。今年、そんな長男の心を捕えて放さないのが【コオイムシ】です。
コオイムシとは、写真にある水生昆虫で、生態その他については前述したとおりです。
先日、長男がえらくご機嫌な顔で、「父さんすごいよ!何だと思う」と両手をまるめて出した時には、またどうせアマガエルでも捕まえてきたか、と思いました。しかしあまりの得意げな表情に「なんかすごいのいたの」と覗き込んでみると写真のコオイムシがいたのです。この写真のコオイムシは長男が近くの田んぼで捕まえてきたものなのです。
私も名前は知っていましたし、その珍しい生態は有名です。しかし実物を見たのは今回が初めてです。しかも図鑑に載っているのと同じように卵を背中にしょったやつが見られるなんてびっくりです。
自分も子どもの頃いろいろと珍しいものを捕まえて、飼って、死なせてきた父さんとしては、すごいと思う半面(父さんでさえ捕まえたことのないやつなのに…)とても悔しい。そんな気持が伝わったのか、長男は捕まえたときの様子や見つけたときの感動を興奮気味に話します。悔しさを堪えつつ、長男を讃え、飼育道具を出してやりました。翌日には水草や泥を入れ、餌になりそうな小魚も用意しました。
コオイムシを捕まえたのは長男ですが、ちゃんと飼育しているのは父さんです。(大体今までもそうでした。クワガタムシに冬を越させたり、カブトムシを繁殖させたりするのは父さんの仕事で、長男は捕まえてくるだけで、あとは時々覗いて「まだ生きとるじゃん」というだけです)
しかし今回はだいぶうれしかったらしく、毎日覗いて「父さんもっと水増やしといてよ」とか言っています。←(お前がやれ!)
さらに、先日クラスの親子お楽しみ会(母さんと参加)での、自己紹介に『コオイムシを飼っています』と得意げに書いていたくらいです。
でも、他のお母さんたちにコオイムシは謎の生物、会う人ごとに説明を求められたそうです。流暢にしっかりとした説明をする長男の横で母さんは思っていました。「コオイムシってどこかにいたような気がするわ。そうそう今ごろ家で次男の世話をしているはずよ」
第28話『佐渡OKさ』
2002.8/20掲載
夏休みは忙しい。家で子どもと遊んだり、海で子どもと遊んだり、山で子どもと遊んだり…。
今年の夏休みは佐渡へ行きました。じいちゃんばあちゃんのスポンサー付3泊4日の超豪華ツアーです。とはいってもフェリーで自分の車を持ち込み、勝手気ままに島内をうろつくお気楽旅行です。
さて、佐渡は島ですから、当然船で行くことになります。長男は以前にもフェリーに乗ったことがありますが、次男は今回が船初体験です。どんな反応をみせるかと思いましたが結構冷静。乗った超豪華客船『こがね丸』が結構大きく、ホテルみたいだし、乗船も車に乗ったままスイ〜と入っていくのでよく分からなかったみたいです。
しかし、デッキに出るとおとなしくはしていません。持ち前の落ち着かなさを発揮し、あっちこっちへ消えてしまいます。出船までは、勝手に上陸してしまわないように捕まえていましたが、それも限界。あとは小木港到着まで船内狭しと走り回ります。疲れた親は「着いた時、魚の餌になっていたらそれも運命よ」と船室で昼寝を始めますが、ばあちゃんは心配で、ず〜っとついて回っていたそうです。
今回の旅行は、往復のフェリーを含め、乗り物に乗っている時間が結構長くなりました。島内でも遊覧水中透視船に乗ったりしたし、腰を据えてゆっくり遊んだり見学したりする所が少なかったのもその理由でしょう。
その、遊覧水中透視船は、船底がガラス張りになっていて、魚が泳ぐのが見えるのですが、当日は波も荒く、ずっと水中を見ていると気持悪くなるという状況。次男は乗ったときから水中を見続けました。いつゲボッとやって他のお客さんの視線を遮るかと思っていましたが、とうとう最後まで見つめきりました。落ち着かないのも父さん譲りなら、こういうど根性が座ったところも父さん譲りでした。
乗り物の中で一番長く乗ったのはやはり車でした。幸いにも夏前にニューカーに替えていたので快適なドライブを楽しめました。とはいうものの、長時間の乗りっぱなしは退屈です。車内はゲーム・ギャグ大会の会場となりました。長男はもちろん、次男までが結構キレのいいギャグを言うので、じいちゃんばあちゃんは喜んでいました。しかも、子供達が勝手にどこかへ行ったりしないので体力的にも快適な車内でした。
ギャグ部門ではやはり、『さ〜ど〜かなぁ』というのが連発され、「佐渡は全国でギャグにされ、かわいそうに」と言っていると、とんでもない看板が二枚、目に飛び込んできました。でかでかと
『スピード違反はスルメー』
『シートベルトは締めてアタリメー』…。
さ、佐渡おそるべし。
冒険の続きは次回へ!
第29話『佐渡OKさ!』
2002.9/6掲載
夏休みは忙しい。家で子どもと遊んだり、海で子どもと遊んだり、山で子どもと遊んだり…。
前回からの続き。
もちろん乗り物に乗っていただけではありません。島内いろんな所で遊びました。
今回、佐渡旅行にあたりはずせないものが三つありました。一つ目は前回書いた水中透視船。二つ目は海水浴。三つ目は次回に書く寿司でした。
海水浴と言っても普段の我が家の海水浴は第7話で書いたような漁。どこに漁場があるか探そうと思いましたが、今回は母方の祖父母同伴で、そんな海水浴を見せたらひっくり返ってしまうかもしれません。チャプチャプ海水浴に切り替えました。
海水浴場に移動する途中に『二見の夫婦岩』というところがありました。結構美景だったので降りて、見てみることにしました。日本海の白波をうけながら「きれいな所ね」「君のほうがずっときれいさ」などと言っていると子供達の姿が見えません。遠くのほうから「そっち行ったぞ」「捕まえた」という声が聞こえてきます。まさかと思いつつ戻ってみると、子供達がヤドカリ、えび、魚を捕まえ、海水を滴らせながら笑顔で立っていました。
「こうなったらここで海水浴だ」父さんの英断にためらいつつも、水着に着替えさせる母さん。じいちゃんばあちゃんはおののきつつ、レストハウスに消えていきました。
それから二時間。ヤドカリをいっぱい捕まえたり、カニを追いまわしたり、黒鯛におどかされたりしながら楽しみました。海水浴というほど泳ぎはしませんでしたが、子供達は海を堪能し、すっかり満足していました。もっと遊んでもいいと思いましたが、人の好いじいちゃんがでかい石仏を買わされそうになったので急いで引き上げることにしました。
思えば今回の旅行はよく濡れました。この二見の夫婦岩をはじめ、尖閣湾では「漬物石がほしいのよ」というばあちゃんの声に応えた子供達がビショビショになったり、金山の排水路にはまってキンキンに冷えたり、イルカショーでしぶきを浴びてジャブジャブになったり、スプリンクラーに抱きついてグショグショになったり、ジュースをこぼしてビトビトになったり、汗でグダグダになったり、と。
いつもの父さんなら「そんなもん着てれば乾く」と言うところですが、今回は良識派の母方の祖父母が一緒なのと、ニューカーということもあって濡れるたびに着替えていました。そして水道でザブザブ洗い、車の窓に干していました。もし八月初旬に佐渡で洗濯物をはためかせた松本ナンバーを見かけたら、それは我が家の大漁丸です。
よく濡れたものの、四日間とも快晴に恵まれた旅行は、まだまだ次回へと続きます。
第30話『佐渡OKさ?』
2002.9/19掲載
夏休みは忙しい。家で子どもと遊んだり、海で子どもと遊んだり、山で子どもと遊んだり…。
前々回からの続き。
やっぱりうまいものを食べないと旅行とはいえません。今回も日本海の幸を満喫しようと思っていました。特に寿司には期待していました。
直江津に着くと早速寿司です。まだ佐渡に着いていないのに、とも思いましたが、安くてうまいところがある、という母さんの情報に従いました。日頃はあまり生ものを食べない長男も「マグロ三人前」「スズキ二つ」などと気前よく注文していました。う〜ん、満喫。
ところが、いざ佐渡へ入ってみると寿司屋が見つからない。というか、街中をゆっくり見て回るのがもったいないような感じ。景色もきれいだし、涼しいし、いろいろ遊びたいし…。結局あちらこちらでサザエやイカ焼きをつまむ程度で、不満の残るものでした。
「もっと海のものが食べたいよぉ〜」と嘆きつつホテルの夕食へ。
お〜、ぐれいと!これは豪華だ。日本海の幸が満載だ(多少季節外れのものもある)。しかもこんな舟盛りまであるぞ。
「これは、○○観光様からのお心付けです。」ありがとう○○観光の○野さん。やっぱりなじみの観光社に頼んだのがよかった。またお願いしますよ、○○観光の水○さん。
さて、じいちゃんは少食です。ものすごい少食です。なので、たくさん残します。父さんは大食です。なので残り物を全部もらいます。刺身二人前、海鮮焼き二人前、カニ二人前等々。しかも舟盛りも山のようにある〜。満喫×2、しあわせ。
子供達は海の幸尽くしに困惑気味。隣の席のお子様定食を見て、「ぼくもハンバーグのほうがよかったなぁ」とかいっています。
罰当たりめ、父さんがぜんぶ食ってやる。満喫×4、しあわせ!
「今日はいっぱい運転してもらってご苦労様、ビールのおかわりもどうぞ」うお〜、満喫×10、し・あ・わ・せ!!!!
閑話休題、いささか思い出し興奮しすぎました。さすがの海の幸も食べ続けると飽きてきます。最後の夜は海の幸からはなれることになりました。ちょうど近くに高級中華料理店があったので中華にすることになりました。
じいちゃんは少食ですが、豪華好き。
「このコースにしよう。六人前。」
スポンサーなしでは決して入れないような店、やはりうまい。
じいちゃんは少食です。ばあちゃんは肉が苦手です。母さんはピリ辛が食べられません。父さんは大食です。ビールもうまい。うおぉぉぉぉぉ〜。満喫×10000、最高〜。
「今回あまり子供が出てこないぞ。楽しんでるのは父さんばかりだ」と思ったでしょ。いいんです。良い子育ての秘訣は、自分が楽しむことが一番ですから。
第31話『今年の暑は夏かった』
2002.10/2掲載
今年の夏は暑かった。おかげで子供達はいっぱいプールに入れました。
特に次男の保育園では、重陽の節句まで泳いでいましたからかなり堪能できたようです。
そして、その長くなった水泳シーズンのおかげで次男は泳げるようになってしまいました。
今年の夏のスーパーマテリアルは『うきうき水着』でした。全身スーツタイプの水着で、特筆すべきは上半身部分にウレタンのフローターが入っていることです。
上半身が水に浮くということは、多少深いところでも立とうとすると体がまっすぐになり、足が着きやすくなるということ。それに泳ぐ体勢になったときにも頭が自然と水からでて、息をするのが非常に楽になるということ。もしものときにも自然と水面に浮いてくることという利点があります。
実はこの水着は長男がまだ泳げなかったころから存在を知っており、ひそかに購入計画を立てたこともありました。しかしなにぶん高額で手が出せませんでした。
それが今年の夏には、型遅れということもあってかなんと300円という超廉価で売っていたのです。飛びついて買いました。この値段ならもしも効果がなかったとしても後悔はしません。効果があればもうけものです。
最初は異形の水着にしり込みしていた次男も「これがあると絶対沈まなくて楽しいよ」という言葉を信じていざプールへ。
まずはこわごわ水に入ってみます。
『プカリ』
お!私が思っていたのよりしっかり浮くじゃないか。ラッコみたいに上を向いたり下を向いたりぐるぐる回っても大丈夫。次男はすっかりうきうき水着を信じきっています。いつもはしっかりしがみついている深いプールでも「放して」と言って一人でぷかぷか浮いています。沈まないという自信からか顔をつけることはおろか、すっかり水に潜ってしまうことさえできるようになってしまいました。そうなれば、蹴伸びまでは一直線。きれいに浮かぶことができました。
できるとなると自信を持って伸びていくのが子供の常。水を制した次男は浮きまくります。保育園のプールでプカ〜、近所のプールでプカ〜、お風呂でもプカ〜。
兄としては負けてられないと長男が「こんなことできるか?」とバタ足をやってみると、すぐに真似してしまいました。
と、いうことはつまり、泳げるようになったということです。
一方、今年の目標のクロールで25mを達成できずに立つ瀬のなかった長男は、プールシーズンが終わってから猛烈に頑張りだし、現在15mまで進歩しました。
「あら〜、これで私と同じレベルに並ばれちゃったわ」母、三十●才の寂しい夏であった。
第32話『ひと足ひと足』
2002.10/24掲載
夏休みの一研究で悩んだことのある人は多いと思います。私も教員時代はずいぶん相談を受けましたし、今でも時々相談されることもあります。そんな時いつもこんなのをすすめています。
「町中に何本電柱がたってるか調べろ」
「家の前で一日何台何色の車が通るか数えろ」
「お母さんが何回包丁で切るか朝から晩までチェックしろ」etc.
これらすべてに共通するのは、調べたって別に何の役にも立たないであろうということ・でも自分の体を使って調べないと絶対にわからないということ・そして多分今まで誰も調べたことがないであろうということです。
そして、この三つを満たしていることが一研究のもっとも大事なことだと思っています。
役に立たない研究だからこそ独創的な考察が加えられるし、自分で疲れるからこそ苦労が成果に現れるし、誰かの焼き直しやまとめ直しにはならないし。
絶対に下伊那研究賞は受賞できませんが、図書館でページを繰っていた子よりどれだけ多くの経験を得るか計り知れません。
そんなわけでこの夏休み、我が家の長男がやった一研究は『歩数調べ』でした。学校を基点に、町内のいろんなところまで何歩で行けるかを調べました。役場や駅などの公共施設はもちろん、みんながよく行く商店や遠足で行ったことのある所など全部で20ヵ所くらいについて調べました。
調べ方はいたって原始的。1・2・3…と100まで数えたら『正』の字を書いていきます。誰でもできる単純なものです。
ところがこれがなかなか単純にいかないところが小学三年生のすごいところ。なぜか79の次に90がきてみたり、信号で止まったとたんにいくつまで数えたか忘れたり、目標地点が近ずくとついつい大股になったり、と困難の連続です。
しかも今年の夏はあの暑さです。ただ歩いているだけだって、帰ってくると汗だくだくでした。
そんなこんなで一週間ほどかけて、長男の歩数地図は完成しました。一番遠いところで7000歩以上あり、撮ってきた写真の顔もやつれ気味。
でも彼は、歩数だけではなく、近所の川にドジョウやメダカがいっぱいいることを発見し、きれいで珍しい花もたくさん見つけました。なにより、車だとあっという間でも、歩くとしんどいということがよく実感できたようです。こんな体験ができた彼の一研究は満点といっていいでしょう。
彼は今後もこの研究を続ける方針で、六年生では伊那から飯田まで歩くと言っています。
そんな君にこの言葉を贈ろう『山をも谷をも踏み越えよ』。
この言葉とタイトルにピンときた人は、ディープな教育関係者です。
第33話『ヨ〜イスタートドン』
2002.11/9掲載
秋たけなわともなれば、各地で運動会シーズンを迎えます。今年の我が家は母さんと長男が同じ日に運動会があり、お互いに観戦できない状態でした。その分、家族そろって見にいけた次男の運動会が盛り上がりました。
運動会前日からの大雨で体育館での運動会となりました。
保育園児にとって体育館はなかなか厳しいものだったようです。はだしで競技をするのですが、砂地と違い滑らないのです。筋力の弱い者にとっては滑らないと力が全て体にかかってきてとてもつらいのです。こけた時だって、砂ならザザーッとすりむく程度ですみますが、体育館ではキュッと止まって、悪いとやけどになってしまいます。
小・中学校でもグランドでのけがよりも体育館でのけがのほうが多いことは、競技種目の違いだけではないと思います。
そんなこんなで転倒者が相次ぐ中、次男は赤組の一員として元気に競技に参加しました。
次男の出場種目は、かけっこ・玉入れ・綱引き・爆弾ゲーム(要するに相手の陣地にたくさんボールを投げ入れる競技)・ダンスの5種目でした。ダンス以外は『ヨーイドン』で始めて『バン』で終わる競技です。なのに次男は『ヨーイ』で始めて『バン』のあとひと頑張りしてから終わるというタイミング。
綱引きでは、たかが園児一人の力は知れているので大勢に影響はありませんでしたが、あとの種目は結構…。
かけっこでは、『ドン』の時にはすでに3mのリード。狭いコースでの混乱にも巻き込まれず、そのままリードを保って1位でゴールイン。
玉入れでは、普通の人も『バン』の瞬間に持っている玉を投げることはよくあることで、そういう玉はえてして入らないものなのですが、次男の場合は『バン』のあといくつも玉を集め、審判が止めに入るまで投げ続けるというもの。しかもその玉が結構入る。私たちが確認できただけでも2個は入りました。幸いにも結果は白組の圧勝だったため、事なきを得ました。
爆弾ゲームは2mくらいのネットの上を越して投げ入れるのですが、次男は日ごろから父さんとキャッチボールをやっているので、かなりのポイントゲッター。『ドン』の前から投げまくります。そしてまた『バン』のあとまで投げました。1個しか投げませんでしたが、見事に入りました。結果は、なんと1個差で赤組の勝ち。つまりあの1個がなかったら勝負は反対になってたってことじゃん。あちゃ〜。
総合優勝にどう影響するかドキドキしていたら、「今日は赤も白も頑張ったからみんな優勝です」。
あ〜、よかった〜。
次男も大満足で帰ってきたし、いい運動会だった。のかぁ?
第34話『梨で釣る』
2002.12/4掲載
わが松川町は、梨の名産地です。関西で育った私には、梨といえば鳥取の二十世紀だったのですが、いまやそうではないようです。二十世紀自体も『幸水』『豊水』に次ぐ3位の生産量で、いまや幸水の半分しか生産されていないそうです。
その二十世紀の生産量が、松川町は日本一なのだそうです。(未確認)
我が家では、果物は百円以上で買うべからずという法則があり、露売や生産者直売以外では買わないのですが、付け届けに梨を利用しています。
主に親戚筋なのですが、松川町の大きくてみずみずしい梨はどの家でも大好評のようです。あまりのおいしさに「まぁ食べてみて」と近所にも配って回るのだそうです。
そんな付け届け先には、高級巨峰産地や、京都マツタケの本場などが含まれています。
付け届けをもらったら何かお返しするのが日本の常識。二十世紀の最盛期は九月中下旬。巨峰の収穫時期も九月中下旬。マツタケの収穫は十月上旬。作戦どおりです。
さて、我が家の子供たちは果物が大好きです。梨・りんご・ぶどう・いちご・みかん・もも・すいかetc.
家の庭でもいちごとぶどうといちじくを栽培しており(ただ庭に植えてあるだけ、ほとんど世話をしていない)、今年はぶどうが大豊作で、毎日食べきれないほどたくさん収穫できました。学校や保育園から帰ってくると、ぶどうの蔓の下に座り込み、枝からもいでは食べていました。
我が家の周りはりんご・もも・梨の果樹園が広がっており、見ると食べたくなってしまうもの。『盗って食いたい』という欲求を抑えるためにも、毎日果物を食べるようにしています。前述した百円ものですから惜しがることもありません。一日に二個三個はあたりまえ。『今日は吐くまで食べる日』というものまで作って食べまくります。「梨よ〜」という言葉を合図に早い者勝ちです。一斉に席に着き、我先にと手を伸ばします。あまりに激しい戦いのため、わざと小さく切り分けて、一本の箸で食べるようにしたり、味のよくないものから先に出したりなどの工夫もなされます。
父さんよりちょっと上品に育った母さんは「最初から分量を決めて取り分けとけばいいじゃん」と言いますが、そんなことをしたら次男も大人と同じだけ食べたがって新たな争いが起こるか、食べすぎで倒れるかしてしまいます。争いながら食べるのが我が家に一番合っているようです。
そんな中で母さんは考えました「いつもはテレビに夢中で、呼んでも来ないのに、『梨』といったとたんに集まってくるんだから…!」
このごろ母さんは子供たちに用事があるときは名前を呼ばずにこう言っています。
「梨よ〜」
第35話『ばそんどう』
2002.12/13掲載
幼年教育について様々なことが言われて久しい昨今ですが、我が家ではそういうものを一切やってきませんでした。
教員の体験から『学校教育だけで、社会人としての知識は十分足りる』と判断したからです。
家庭では、生き方や考え方、しつけなどの哲学・道徳を学ばせるべきだと思います(近頃は、学校にルールを作ってもらわないと子供を管理できないという家庭が増えてきて、先生たちは困っています)。
幼年教育をやってこなかったせいか、長男は小学校入学までひらがなが読めませんでした(自分の名前は読めた)。ですが、今では何の問題もなく三年生の漢字まで習得しました。むしろ心配なのはしつけのほう…。
環境というのはおそろしいもので、幼年教育などやらないのに、次男は兄が勉強するのを見ていて文字に興味を持ち、年中組なのにひらがな・カタカナが読めるようになってしまいました。最近では新聞の4コマ漫画を誰よりも先に読み、読めない漢字が出で来ると質問に来るようになりました。そのうえ「ぼくも早く漢字が読めるようになりたいな。そうしたらもっと父さんみたいにいろいろ読めるようになるもん」と意欲的。
父さんは、元国語教員だったのに加え、自己研鑽で漢字検定準一級を持っており、日常生活で読めない漢字がほとんどないため尊敬を受けています。なので、「これなんて読むの?」とよく聞かれ、それにしっかりと答えてやることができます。
読めるようになったといっても、それは文字が判読できるようになったというだけで、言葉のルールまで理解したということではありません。
それは夏休みのことでした。二日続けて名もないような小さな食堂(喫茶コーナー?)に行くことがありました。父さんと母さんが「昨日行ったあの店にいくか」と話していたら、「あのばそんどうに行こう」と次男が言うのです。
『さすがに小さい子供の観察眼は鋭いなぁ。あの店の看板なんて気がつかなかったのに、どこかに書いてあったんだなぁ』と感心しつつ、
「あの店ばそんどうっていうの?」
「うん、そう書いてあったよ」
「よく見てたね。じゃ、ばそんどうに行こう。」
と出かけていきました。
食事を済ませ、落ち着いたころ、「ねぇねぇ、ばそんどうってどこに書いてあるの、父さん見つけられないんだけど」と聞くと、次男は指を横に動かしながら「ば・そ・ん・ど・う」と古ぼけたのれんを追っていきます。
「あった!」と、わかった瞬間、大笑いしてしまいました。そこには昔風に右から左に『うどんそば』と書いてあったのでした。
あんまり大笑いしすぎたので、それ以来ばそんどうには恥ずかしくて行けません。
第36話『言葉と子』
2002.12/28掲載
ある日次男が、折れ曲がった割り箸を一本ずつ両手に持ち、「じぐだんぐ〜、じぐだんぐ〜」と言いながら部屋の中をうろうろ歩き回り始めました。
新しい宗教の創始にでもなってしまったのかと家族で心配していると、ピタリと立ち止まり厳かな声で「ここだ!」と叫びました。家族がとても不安気に見ていると、次男は足元にあった座布団をめくり上げ、そこにあったコインを拾い上げました。そして「見つけたぞ!」と、にっこり笑いました。
ここまで読んでオチがわかった人はかなり勘がいい。
実は次男がやっていたのは『ダウジングごっこ』だったのです。曲がった針金を両手に持ち、地中に埋まった金属や、水脈を探すというあれです。
何日か前にテレビでダウジングの特集をやっており、それを家族で「ホンマかいな」と言いながら見ていたので、遊びの起源ははっきりしていますが…。それにしても『じぐだんぐ』には参りました。
まあ、じぐだんぐに限らず、子供の言葉には言い違い(記憶違い?)がたくさんあります。
長男も小さいころは、薬のことをどうしても『スクリ』、鯨のことを『ジクラ』と言っていました。紙に字を書いて(そのころ長男は字が読めませんでしたが…)指さしながら「く・す・り、はい言ってごらん」「ス・ク・リ」というような言語トレーニングをよくやりました。結局トレーニングは実を結ばず、年齢と月日がこの問題を解決してくれました。最近は、近所の子供たちと鬼ごっこをしている時「こっちをコウキョウトッパするぞ」とか大声で言っています。
父さんも幼少の頃、豆腐のことを『オフト』と言っていたのだそうです。実家に帰ると、今でもじいちゃんばあちゃんが笑顔で楽しそうに話しています。それを見るたび、言い違いも親にとっては楽しい子育ての記念碑なんだなぁと感じます。
しかしその記念碑も、あまりに突拍子もないと笑顔をとおりこして、爆笑になってしまいます。
次男が《およげたいやきくん》を踊りながら歌うと(第20話参照)、どうしても『いいもんだ』が『いいこんだ』になってしまいます。しかもやけに力を入れて歌うものだから思わずズッコケてしまいます。
さらに次男の極めつけは『筋肉素直』です。ある有名な童謡の一部なのですが、何度違うといって直してやっても直りません。確かに元の言葉が難解で、次男なりに意味のわかる言葉で解釈したのでしょうが、あまりにも意味深な言葉に解釈しているので笑えてしまいます。
なんの歌か知りたいですか?教えましょう。
♪お〜ほしさ〜まキラキラ、きんにくすなお〜
第37話『縁と月日』
2003.1/1掲載
あけましておめでとうございます。今年も子育て父さんとその家族をよろしくお願いいたします。
お正月ともなりますと、実にのんびりとしたもので、仕事も忘れ雑事も忘れ、といい感じで過ごしているわけですが、ここに至るまでの年末はそりゃぁ大変なものだったわけでありますよ。
大変その一 学期末
学期末がやってくるととにかく母さんは忙しくなります。理由は通知表。最近では年度二学期制を敷く学校や、通知表を廃止した学校もあったりしますが、母さんの勤務校はまだ一年三度の苦しみが待っています。終業式には通知表を渡さなきゃいけないことは、何ヶ月も前からわかっているのだから早めに準備すればいいというのですが、それができないようです。
性格のまじめな母さんは、「二学期の通知表は二学期のことを書くんだから、ギリギリ最後まで児童の様子を見て、丁寧に書いてあげたい」のだそうです。教師の鑑です。
私には真似できません。私は、十年間ずっと学期初めに通知表を回収した日から出欠欄の記入を始め、特筆すべきことがあると行動の様子欄に書き、期末テストが終わるとすぐに成績を書き、「今日から三学期だと思え」と生徒たちに言っていました。ですから、いつも通知表は学校で一番最初に書きあがり、他の先生にプレッシャーをかけていました。
現代は『早し、良し』の時代だと考えている私にとっては当たり前なのですが、他の先生には常識はずれだったのかもしれません。やっぱり仕事をやめたのが私でよかった。
そんなわけで母さんは、連日常識はずれな時間まで仕事をしていて大変でした。
大変その二 大掃除
『早し、良し』の父さんですから、大掃除も十二月前から始めます。居間のワックスがけや、網戸掃除などの『寒くなったら嫌な事』&『子供がいたら邪魔な事』からはじめます。窓掃除もします。クモの巣払いや花壇のかたずけまで。調子に乗って、テラスのペンキまで塗ったりします。天気のいい日を見計らって、しっかりやります。屋外のほとんどを終わらせておきます。
そして母さんも休みに入り、家族そろっての大掃除。残しておいた屋内にとりかかろうとすると母さんが「外からやってよ」。
「えっ?」
父さん大掃除から一ヶ月。まだ雪にならない松川の雨で、網戸やテラスが汚れている!悲し〜。寒空の下、二度目の網戸掃除をする父さんの涙が、やがて雪へと変わっていきます。
家族そろっての大掃除にはもっと大変なことがあります。お邪魔虫の存在です。
長男はもう三年生ですからいろいろ手伝えます。なのになんとかサボろうとするので、手伝わせるのに大騒ぎです。
一方の次男はまだ四歳。まだまだ一人で大掃除はできません。なのにいろいろやろうとするので、誰かがアシストに付いてまわらなければなりません。
結局、本来2.5馬力のところ、1.2馬力くらいしか働けなくて大変でした。
大変その三 買出し
『縁起物は値切って買う。大きく値切ったほうが縁起がいい。』というのは関西では常識。父さんは関西人なので値切って買いたいところですが、こちらではそういう風習はなく、なかなか値切りずらい。平値で買うのはけったくそ悪いので、自然に安くなる閉店まぎわを狙うことになります。しかしあまり遅く行くと品切れも多く、縁起物が無いということになりかねません。結局、都合のいい時間に年末の買出しとともに済ませてしまうことになります。
しかしその後、買い忘れたものがあったりして近所の店に行くと、ずいぶん値引きして売っていて、ものすごくけったくそ悪いことになったりします。あ〜ぁ、悔しくて大変でした。
よし!今年は何事にも落ち着いて、あまり急がず焦らずに、『縁と月日』を実感できるような年にしていくようにしよう。
【縁と月日】昨年(第14話)に引き続きいろはがるたからの題名。関西版いろはがるた『え』の項。意味は自分で調べてね。
第38話『餅は餅屋その壱』
2003.1/21掲載
11月に、長男のクラスで、そば打ちをしました。学級の畑にまいたそばを収穫して、製粉したものを食すという参観日の企画でした。
当日はたくさんの保護者と、学区内の『そば打ち名人』なるお年寄りを多数講師に迎え、盛大に行われました。
我が家では、うどん作りは過去に何回かやったことがありますが、そばは初体験。長男以上にわくわくしながら父さんも参加しました。
家庭科室に入ってまず大ショック!クラス全員エプロンをしているのに、長男だけが持ってない。そんなこと家で一言もいわなかったし、連絡帳にさえ書いてきていない。何とかしようにもどうしようもない。げんこつを一発食らわしてバンダナだけはつけさせました。ショックから立ち直れないままそば作りに突入しました。
『そば作りは水加減が命』。名人たちは「こんなもんかね」「もう少し入れようか」とかどんどん進めますが、具体的に何tとか言ってくれません。技を盗むつもりの父さんは、戸惑いながらただ見ていました(その後の研究によって、気温や湿度、そば粉の状態や割合などによって、水加減は微妙に違い、一概に何tとは言えないものだとわかりました)。
そのあとのコネでも名人たちは「もう少しがんばれ」とか「これはいい感じ」とか言いますが、素人目にはさっぱりわかりません。照りが出てくるということですが、どのくらい照ればいいのかわかりません。長男たちも「あと200回」とか言われてやっていますが、結局何度も「これでいいの?」と聞きにいってました。(ところで〔耳たぶの硬さ〕というのはどんなものなんでしょう。何人かの耳を触りましたが十人十色だし、耳は強くつまむと痛いけど、そばは穴があきます。そもそもこんな小さな耳とあんな大きな生地は触感があまりにも違うように思うのですが…。)
次のノシは慣れたものです。うどんや餃子の皮などで体験済み。自信を持ってやろうと思ったら、子供がやっても結構うまくいく。なんだノシって簡単だったのね…。次のキリでがんばろう。
これが難しい。まず細く切るのが難しい。あまり細くすると重ねた麺がくっつくし、もたもたしてるとよれよれしてくるし。出来上がりは、ベビースターラーメンか、きしめんになっていました。
そば粉とつゆの良さで、味はおいしく、量も結構ある。おかわりしようと思ったら、「それじゃ持ち帰り用に渡すから、タッパーを出してください」という先生の声。えっ?、そんなこと家で一言もいわなかったし、連絡帳にさえ書いてきていない。
長男は、二発目のげんこつでおでこにそば団子をつくって持ち帰りました。
第39話『餅は餅屋その弐』
2003.2/2掲載
そば打ちが思ったより簡単そうだと感じた長男と父さんは、家族でそば打ちをすること提案しました。すると、次男はもちろん母さんも意外にのってきました。
そば粉は今、一年中店に並んでおり、道具も昔母さんがパン作りに使ったものが使えそうということで、早速作ることになりました。
味で選べば十割を目指したいところですが、とりあえず長男のクラスと同じ六割そばを作ります。
まずは粉を振るって小麦粉と混ぜ、水を加えてネリネリします。まだ未熟な私たちは、水をドバ〜と入れて練り始めました(このドバ〜がのちに悲劇につながるとはまだわかっていませんでした)。
長男(一度経験している長男は指南役として大活躍)・父さん・次男・母さんと順番にこねているとつやも出てきていい感じ。
でもちょっと軟らかすぎ?手にいっぱいくっ付いてくるぞ。みんなが手についた粉を、あかをすり出すように生地に混ぜ、それも一緒にネリネリ。練りあがりは、つやはあるけどネラネラ軟らかい。なんだか頼りないけどしょうがない、「ノシ」にいこう。
前回同様ノシは簡単。量が多かったので二個に分けましたが、両方とも順調にノセました。
いよいよ課題の「キリ」です。「うわ〜、くっつく〜」という悲鳴のとおり。麺がスッと切れず、重ねた麺と合体していく…。しかも包丁が短いので、何重にも折りたたんである…。重なった麺をはがそうとするとブチブチ切れる…。
どうしようもないと開き直りかけたとき、もっとひどいことが起こっていました。切っておいた麺を次男がもう一回ネリネリしているではありませんか。直径2pの麺の球があちこちに…。も、もうどうしようもない…。あきらめてとにかく茹でるしかない…。
作りたての麺は数十秒茹でればOK。あっという間に8pほど(最長12p)のそばが茹で上がりました。
食べてみると、味はともかく食感が…。これはなに?特にこの2pの球。作った意地で全部食べましたが、満足感ゼロ。早速反省会をしました。
@水はチョビチョビ入れる。
A生地は固めるのではなく、固まるのを待つ。
Bたたむとき打ち粉をケチるな。
C次男の警戒を怠るな。
特にCが大切だと確認し、次回に備えるべくそば粉の袋に書いてある『そばの打ち方』を見返しました。
なになに、『そば粉を振るい、強力粉をお好みの割合で…』??!強力粉?
急いで台所に行って、さっき振るった白い粉の袋を見ると、『薄力粉』と濃い文字が。
D説明・注意書は、しっかり読むこと。
第40話『餅は餅屋その参』
2003.2/25掲載
さて、強力粉も用意したし、リベンジするぞ。
もう水加減もだいぶわかってきたし、少しずつ混ぜながら、固まってくるのを待つこともできるようになりました。
次男も前回の失敗に懲り、変なところで手を出すことはなくなったし、長男はしっかりとした戦力として計算できます。
コネ・ノシ・キリ・材料、どこをとっても素人としては完璧でしょう。自信を持って茹でようとしました。
しかし、なんと麺が短くぽろぽろと切れてしまう。
ショックを受ける父さんに「そんなに簡単にいくわけないよ、今までよりうまくいったじゃん」と慰める長男の言葉。「おいしいよ!おそばみたいだね」と、誉めてるのかけなしてるのかよく分からない次男の言葉。
早速母さんと反省会です。お蕎麦屋さんの手つきをよ〜く思い出します。はた、と父さん気づきました!『お蕎麦屋さんが伸ばした生地は1uくらいになるのに、1mの麺はでできたことがない。つまりプロがやっても切れるんだ。問題は切れる長さだ』と。蕎麦屋のそばは約30p、我が家のそばは約15p。なぜ切れるんだ?どこで切れるんた?う〜ん、う〜ん…。
「こう畳んだときに切れるんじゃない?」と長男が伸ばした生地を畳む手付きをしながら言います。
なるほど、確かに我が家は15pほどに畳んで切っている。なぜならうちで使っているのは刃渡り18pほどの出刃包丁だから。蕎麦屋は刃渡り30pはあろうかという蕎麦切り包丁を使っている。
いいところに気づいたぞ長男。さすが一人前の戦力だ。次回からは反省会にも参加させてやるぞ。
そうとわかりゃぁ簡単だ。次回(年越しそば)の時にはできるだけ畳まず、包丁でサァーッと切ればいいわけだ。楽勝!
さて大晦日。計画どおり30pくらいにしか畳まず、サァーッと切れば、「おお、予想どおり。長い長い!」という歓声が続いたのは20本目くらいまで。ど、どうしたことだ。切ったはずの麺が包丁にくっついて丸まってくるじゃないか。しかも畳まれた何枚かがくっついている…。
我が家のなまくら包丁では、何本か切っているうちに、刃先にそばがこびりつき、いつしか押し切り、引き切り状態になってしまうのです。これではいかんといちいち包丁をきれいにしていると、生地が乾いてきてうまく切れなくなってしまう。
結局、我が家の年越しそばは太く短く、時々素晴らしく長いのが混じっているという、縁起がいいのか悪いのかはっきりしないものになってしまいました。
次は蕎麦切り包丁を用意して、研ぎに研ぎまくって挑戦する予定です。
ってことはまだ続く?
第41話『GOOD MORNING』
2003.3/14掲載
皆さんのお家で、朝の音楽と言えばなんでしょうか?テンポのいいポップス?上品にクラシック?
我が家の朝の音楽は『ラジオ体操の歌』です。
ラジオ体操といえば、夏休みの風物のようになっていますが、実は年中、毎朝6時30分からの超長寿番組なのです。
タイマーセットされたラジオからお馴染みの「チャンチャンチャララ、チャンチャンチャラチャチャチャ〜ン」という音楽が流れてくるのが我が家の目覚まし時計。ラジオ体操の歌がなってるうちにトイレを済ませ、指定の位置につきます。
まだ寝ている人は、『背伸びの運動』のおろした手に叩き起こされます。『胸の運動』で朝の空気をたっぷり吸って、『横曲げ』あたりで体が覚醒してきます。『開いて閉じて開いて閉じて』でジャンプすると、体が軽くなり声も出始めます。
第二体操の終わりまで、10分間しっかり体操すれば、気力も充実爽やかな一日のスタートです。
こんな習慣ができたのは去年の8月から。夏休みに長男がラジオ体操に行くようになり、次男がそれについていったのがきっかけでした。7月中は張り切って早起きしましたが、8月に入り、長男の出かける時間に起きられなくなった次男にも、ラジオ体操はやらせたいということで、目覚ましラジオ体操を始めました。
夏休みじゅう続けたら、その後はなんとなく自然に習慣となり、現在にいたりました。
夏休み明けから11月くらいまでは、毎朝親子三人で(母さんは、もっと早起きをして仕事をやっているので参加しなかった)そろって体操していました。
しかし、朝が寒くなってくると横着者の次男が、「お布団の中で体操する」と言って起きてこなくなりました。年末には、無精者の長男がサボり始めました。母さんは相変わらず仕事をやっています。
というわけで、現在目覚ましラジオ体操をやっているのは父さんだけ、という日も少なくありません。
さすがにこの寒さの中、屋外でというわけにはいきませんから、二階トイレ前広場で毎朝体操を続けています。その横を寝ぼけ眼の長男が通り過ぎていきます。
「一緒にやろうよ」と言うと、「父さんもガンバルねぇ、またそのうちね」と階下へ…。布団の中の次男に「一緒にやろうよ」と言うと、「あやつり人形みたいに動かしてくれるんならやる」と…。「母さぁん」「朝は忙しいの!」…。
確かに家族の中で最も活動量が少なく、いちばん体操をやらなきゃならないのは父さんですし、この時くらいしか体は動かさないんだけど…。
そんなさみしい父さんにも「今日も元気に」と声を掛けてくれる体操のおじさん。ピアノ演奏の方と二人組で年中無休で毎朝毎朝、あんたらは本当にえらい!
第42話『餅は餅屋 その肆』
2003.4/4掲載
学校が土曜休日になって、どう使うかが問題になっていると以前書きましたが、我が家では、『土曜日はハンドメイドの日』ということにして、いろいろな食べ物を自分たちで作っちゃうことにしています。今まで書いてきたそば作りもこの一環だったわけです。そばばかり作ってるように思われないよう、他の物語もさせていただきます。
うちの子供たちは御幣餅(五平餅とも書きますが、やはり畏敬を込めてこう書きたい)が大好きです。山椒の味が利いた上品なやつ、ではなく、くるみ味の甘いたれをべったりつけたものが大好きです。
そばの時と違い、長男も次男もやけに真剣です。簡単で自分たちがすっかり一個担当して作れるという充実感と、大好きなメニューなので失敗してなるものかという気迫がヒシヒシと伝わってきます。
まずご飯作り。もち米だけ、うるち米だけで作る地域もあれば、両方を混ぜる地域もあり、いろいろと考えてうるち米だけで作ることにしました。ツブツブがしっかり残ったほうが甘いたれにはあいそうだし、子供たちが丸めてるうちに本当の餅になってしまう可能性もあったからです。
炊き上がったご飯を父さんがボウルの中で半殺しにし、次男が用意した割ってない割り箸にご飯をつけていきます。
長男と父さんは『おにぎりに突き刺す派』、次男と母さんは『箸のまわりにくっつけていく派』でした。おにぎりに突き刺す派は、固く締まって崩れにくい物を作ることができますが、箸のまわりにくっつけていく派は、均一な大きさの平べったい物ができます。それぞれ特徴的な物を二つずつ作れました。
たれは、一応母さんが作りました。実家のばあちゃんの知恵をかりていましたが…
「まずクルミを擂って、」(クルミなんて家にないわ)
「そこに三温糖を入れて、」(上白糖でもいいよね)
「ゆっくり温めるのよ。」(そんなに待てないわ)
と、いう具合でした。
不安はあったものの両面にべったりと塗り、いざ火にかける。
「うわっ、すぐ泡立って焦げる!」
ものの一分ほどでこんがり(?)焼き上がり。あつあつのところをいただきます。
おっ、これはうまい。ご飯の固さもいい感じだし、たれも焦げ具合もバッチリだ。(その後の研究で、焼いた時の泡立ちが大切だとわかりました。あのおかげで、粒っぽい砂糖がしっかりとけ、たれのとろみも甘さもぐっと引き立つようです。)
大成功に満足し、夕食が終わりかけたとき、何か足りないような…
「あっ。おかず用意しといたのに、出すのすっかり忘れてた!」
第43話『科学実験室』
2003.4/17掲載
三月二日に鼎文化センターで、『米村でんじろうのおもしろ実験室』というものが開かれました。
テレビでお馴染みのでんじろう先生一座が、中部電力敷設地域を巡り、いろいろと科学的におもしろいことを見せてくれるショーで、中部地方では結構知られたものです。
科学にとりわけ関心の強い長男は、「今度こういう会があるんだけど…」と言ったとたん「行ってみたい!」と喜びました。「よし」と力強く答えたものの、このショーは無料ながら、抽選で当たらないと参加できないもの。父さんは無類のクジ運悪さを誇ります。少しでも違うかと願いを込めて、長男の名前で申し込んでおきました。
そんなことを忘れかけた二月中旬、当選のはがきが我が家に届き、長男に誇らしげに「約束どおり入場券とったからな」と威張って伝えました。
さて三月二日。1時開場なのに、12時30分に文化センターに到着。自由席でなるべく前に行こうと列に並びました。それでも、はや何十人もの行列のあとで、最前席は到底無理。中段の一番前席に陣取りました。
ショーは定刻に始まり、「皆さんこんにちは」「こんにちはー」「でんじろう先生を大きな声で呼びましょう」「でんじろうせんせー」という感じで進んでいきます。もしかしたら飽きてしまうかと心配した次男が、一番大きな声で「でんじろうせんせー」とやってるのを見てひと安心。長男は子供だましはもういいから早く始めてくれと目がランラン。
ショーの内容は、タイトルどおり実験しながら、子供たちに科学をおもしろく体験させるというものです。しかし国営放送の番組とは構成も違い、コントあり、クイズあり、抽選会ありと盛りだくさん。保育園児の次男もノリノリですし、長男の知的欲求にもしっかりと応えています。特に長男にとっては、今一番興味を持っていて、学校でも習ったばかりの『電気』の話題が多くて大満足のようでした。
母さんは「ストロボライトでなんかムカムカする。」と文句を言いながらも「おもしろいねぇ、授業でも使おうかなぁ」と喜んでいました。
最も印象に残ったのは、最後にやった大玉送り。本当は大きな風船を十何個も会場に放ち、あっちこっちへ打ち返します。家族四人で必死に手を出し、足を出し風船に遊んでもらいました。
さて、ショーが終わり、人ごみをかき分け会場から出ました。駐車場も大混雑、車が長い行列を作っています。でも我が家は到着したとき、熟考の末、一番出やすい位置に車を止めていたので、スイ〜と出ることができました。
「作戦通りだ」と威張る父さんに次男が
「やっぱり科学の勝利だね」と…。
科学ってそんなんだったっけ?
第44話『年長さん』
2003.5/5掲載
「あと一年たったらランドセル買ってね」とは次男のせりふ。
一年も先のことをと思うなかれ。一年なんてアッという間なのです。
この春、年長組にあがった次男ですから、あと一年たったら小学校入学。ランドセルを買わなくてはならないのですが、ここではそんなことは問題ではありません。アッという間の一年後に、次男が小学生ふさわしいまでに進化するかが問題なのです。
次男は、親がどう贔屓目に見ても落ち着きがあるようには見えません。家でさえ(今まで何回も書いてきましたが)飛び回っていて、お尻が畳に付くことがないのですから、お友達と一緒になったらどんなことになるか想像しただけでも恐ろしくなります。
長男は(親の贔屓目で見て)落ち着きもあったし、話すことが理路整然としていました。一年生を何度も担任してきた母さんが見ても、小学生として合格点をやれる域に達していました。その長男でさえ四年生になった今、4年生のレベルにあるか怪しいのに…。
保育園に行きます。自転車を降りたところからお友達と競走しながら園舎まで。下駄箱の前で、先生のお出迎えを振り切ってお友達とバトル開始。教室に入っていきますが、大きな声が園庭の端まで聞こえています。
お迎えに行きます。全園児で整列してさよならのご挨拶をしますが、次男がどこに並んでいるか見つけるのはとても簡単。列が乱れたり、倒れている子がいるあたりに絶対います。二列に並んで園庭の端まで歩いて来ますが、走ったり止まったり、お友達とバトルしたり、まともに歩いている様子はありません。自転車に乗ると、お友達の家の自動車に負けるなとチャイルドチェアーで大騒ぎ。
さて考えるに、次男に落ち着きのないのは事実として、なぜにそんなに落ち着きがないのか?
よくよく観察してみました。すると、どうやら次男は《常に面白いことをして(笑わして)やろう》と考えているようなのです。確かに次男のまわりでは、笑い声は絶えませんし、みんな笑顔です(苦笑い含む)。
食事中や、テレビを見ているとき、電話中やもちろん外出中にもいろいろギャグを考えつくようで、TPOを完全に無視してギャグを飛ばしています。怒られている時でさえギャグを考えつくと、目が笑っています。
ギャグだとわかっている家族でさえ「も〜」と思うのですから、他の人から見たらとてつもなく落ち着きのない子に見えるのは仕方ありません。
「あいつはどうなるのかな〜」とまじめな顔で母さんに相談すると「なんかまたギャグを思いついたんでしょ。目が笑ってるもん。」と。
えっ?私とあいつ、一緒なの?
第45話『車輪よあれがパリの灯だ』
2003.5/21掲載
春はやっぱり自転車です。穏やかな風を切って走る爽快感は自転車ならではのもの。
しかし、横だま(補助輪)がついたままガラガラいわしていては爽快感も薄れます。そこで、次男は横だまなしで自転車に乗れるように特訓を始めました。
第十一話でも書きましたが、次男は横だま付きでもかなりスピードを出して走っていました。それはそれはものすごい騒音でした。雷が落ちたかと思うような音が、左右に傾くたびに、ガラガラ・・・ガラガラガラ・・・ガラガラガラガラ…と。近所迷惑でもあり、本人も付き添いも恥ずかしいので横だまはずしに踏み切りました。
まずは次男の希望を聞き入れ、左側の横だまだけをはずしました。すると、とても器用に右に重心をかけて走っていきます。でもこれでは右の横だまは常時接地しており、以前にも増してうるさい。それでもあまりにうれしそうな次男の顔を見て、とりあえず「片方取れてよかったね」といっておきました。
二日後、こっそり右の横だまをはずし、左に付け替えておきました。最初気づかずに乗り出した次男でしたが、何回もこけるうちに「なんか改造したんじゃない?」と気がつきました。そしてすぐに器用に左に重心をかけて走るようになり、ガラガラ走行になりました。
また二日後、ついに父さんは本気になり、両横だまと、ペダルを取りました。これは知る人ぞ知る超自転車練習法なのです。両足で地面をけって進むことで、ペダルをこぐことや、こけることへの関心を取り去り、重心をとることだけに集中して乗れるようになるというものです。
さあこれで乗れるようになるのもすぐ、と練習を始めようとすると、「僕、今日は練習やめとくよ」と。
「え?なんでなんで」
「だってこぐところがなくて危なそうだもん」
今まで危ないなんていうことに気をつけたことなんて一回もないくせに、どうしたんだ。
「この方法だと早く乗れるようになるんだよ、やってみようよ。」と何回誘ってもだめ。本気で危ないと思い込んでいるようです。次男のどこにこんな恐怖心があったのか、本当にびっくり。まあ、怖さを知っていくのも成長のしるし、次男の成長を喜びましょう。
しかし、自転車に乗れなくていいわけじゃありません。どういう理由でうまくなって、どうして安全かを説明し、見本を見せて、やっと練習開始です。
もう時間の問題さ、と余裕で見ていると
「ガッシャーン!」 ?????
どうやったらこける?
あわれ、親に似て股下の短い次男は、足が地面にしっかりつかなかったのです。…これより小さい自転車は…ない。
第46話『牛に引かれて善光寺』
2003.6/20掲載
行ってきました、御開帳。史上最高の38万人の次の日。
前日ほどではありませんでしたが、それでも回向柱に触るのにも、戒壇巡りにも長い行列に並ばなくてはなりませんでした。
当然ですが、宗教的な意図があっての参拝ではありません。ただの観光として、御開帳とはどんなものかを子供たちに見せてやるのが目的です。
私自身は過去に二回見たことがありますし、そもそも善光寺から自転車で五分のところに住んでいたこともあるので「まぁ、あんなもんかな」というイメージもあります。のんびりと長野駅から一日がかりで歩いてみようという計画でした。
しかし前日の38万人に驚き、シャトルバスを使って、大門一直線コースに変更しました。
シャトルバスを降りてびっくり!「何でこんなに混雑してるんだ?」今まで二回の御開帳では見たことがない人ごみ。SARS、イラク戦争で海外に行く人が減ったとは聞いていたが…。
そうか、みんな善光寺に来て、月蓋長者のように阿弥陀如来におすがりするのだな。確かに縁起からしてSARSにはとても効きそうだ。
しかし今の私たちにとってはこの人ごみが大問題です。楽しみにしていた回向柱触りや、戒壇巡りは「触ったらさっさと移動してください。ゆっくり触ってもご利益は変わりません。」というなんとも不信心な係員のスピーカーからの声で、すっかり興ざめです。
知的好奇心旺盛な長男は、縁起や伝説をいろいろ父さんから聞きたいのにゆっくり話もできません。「水が飲みたいよ〜」とぐったりしてしまいました。
人いきれに弱い母さんは、人ごみを避けるのに一所懸命。観光気分も吹っ飛んでしまったようです。
小さな次男は周りの人の視界に入らないので、平気で踏まれたり、蹴られたり。
お土産を買おうにも人波に押されてゆっくり見ることもできません。やっと隙間を見つけてソフトクリームを食べるのが精一杯でした。
鳩にえさをやろうにも売店まで行けないし、いつもより鳩は少ないし、誰が鳩を逃がしたといって次男はどこかの子供とけんかしてるし…。
子供たちには「また混んでない時に連れて来てやるからな」と納得させて、早々に人ごみから抜け出しました。ふぅ〜。
せっかく長野に来たんだからそばを食べることにしました。しかしどの店も超満員。やっと見つけた空席で、そばがくるのを延々と待ちます。やっときたそばは、おぉ〜、長い!
ゆうに80pを越えるそばに、探究心をそそられ、味どころではありませんでした。
う〜ん、なんかご利益あったかなぁ?
第47話『象に引かれて善光寺』
2003.7/2掲載
行ってきました、キグレサーカス。
今回の発案者は珍しく母さん。「私、サーカスって一回も見たことないのよ。見たい決意が揺らがないように、前売り券買っといて!」と、いつになく積極的な姿勢で指図します。もちろん子供たちや私に異論があろうはずありません。前売り券を買って、いざその日に備えます。
でも、須坂はやはり遠い。なんとなくサーカスだけを見るのに、高速代7000円を出すのはもったいない。
そう思っていたら、前回書いた御開帳があったわけです。二つも目的があれば7000円も惜しくない。いざ出発!
父さんは、今から30年程前になりますが、サーカスを何回か見たことがあります。その印象は次々にすごい演技が出てきて、見とれているうちに「あれ?これさっき見たぞ」というところまで見たら退場、というもの。
ところが今回見たのは、演技ももちろんすごいですが、全体を通して『ショー』という感じ。ストーリーがあり、構成も演出もされています。ずいぶん変わったものだ(昔の私が幼すぎたせいもあると思いますが)と感心して見ていました。
子供たちも、綱渡りに「おぉ!」、馬の登場に「うぅ!」、バイクの騒音に「えぇ!」、空中ブランコに「あぁ!」、ピエロの失敗に「いぃ!」と五段活用の歓声を上げていました。
次男の一番の歓声は、象の演技でした。あの大きな象が三頭も登場します。動物園だと遠くのほうに隠れている象が、目の前3m(早目に着いて一番前の席に座っていましたから)をドッシドッシと駆け回るのですから子供でなくとも感激します。
さらに象が、寝ているおねえさんをまたいでいったり、寝ているお兄さんを腹で押しつぶすような格好をしたりすると、悲鳴にも似た歓声がこぼれます。最後にあの巨体が細い鉄の棒の上で逆立ちをしたときなど、思わず乗り出して拍手をしていました。
終演後も「こんなことしたんだよ」と逆立ちをしたり、「お兄さん死んじゃったと思ったよ」と何度も何度も話していました。
長男の一番は、ピエロでした。「ピエロは笑わすだけじゃなく、じつは実力のある人が、わざと失敗したり、他の人の失敗を助けてあげたりする重要な役なんだよ」と父さんに聞かされていたので一目置いて見ていたようです。
もちろん失敗や面白い演技のときは大笑いしながら見ていますが、失敗のシーンでも「あれって、うまくやるより難しそうだね」とか分析しながら堪能していました。
発案者の母さんは、空中ブランコで大騒ぎ。例の五段活用を連発していました。
父さんはサーカスより、家族の笑顔が一番でした。
第48話『鬼に引かれて元善光寺』
2003.7/22掲載
『一度は詣れよ元善光寺善光寺だけでは片詣り』ということで行ってきました、御開帳。
元善光寺までは車で二十分ほど。善光寺ほど混雑することもないだろうと、たまたま振替休業のあった長男と月曜に気楽に出かけました。
しかし平日だというのに結構参拝者が多く、大きな観光バスなども停まっています。私たちも少し離れた駐車場から歩くことになりました。
今までもお花見や、公園に立ち寄ったことなどもあり、境内の長〜い滑り台などはお気に入りです。でもこの日はそういう雰囲気とは違います。どこに行っても人がおり、滑り台は参拝者の頭上を滑ることになります。遊びはおいといて、参拝に集中しました。
当然のように父さんは、縁起にも詳しく、何で『元』なのかとか、何で座光寺なのかとか、本多(一部本田の表記あり)善光って何ものとか、回向柱って何とか、七年一度なのにどうして六年ごとなのかとか長男に教えながらの参拝です。(実は元善光寺のほうを先にお参りしたので、このあと行く善光寺(第四十六話参照)の説明もかねて、いろいろ教えていました)
さらに、いつもなら有料の宝物殿も、堂内から無料で行けるということで見にいってみました。
宝物殿に行くまでの廊下にも、座光の臼とか、本多善光像とかあって、父さんの解説は熱を帯びます。もともと京都出身で、しかも修学旅行で生徒を連れて行く関係上、かなり仏を勉強した父さんの異常に詳しい解説は、そこらへんのガイドをしのいでいます。仏像の解説にとどまらず、仏教観や、神仏の由来・エピソードをふんだんにちりばめた解説に、長男はじめ近くにいる人が、みんなうなずきながら聞いています。
そんな父さん解説が、最も熱を帯びたのが『地獄八景図絵』でした。
お寺がもっと身近だった父さんにとっては、どこのお寺でも本堂の壁に掛かっているなじみの絵ですが、その迫力、物語性は素晴らしいものだと思っていました。またその影響力も大きく、私の人格形成の何割かはこの絵によっているといってもいいでしょう。
長男にもそんなことを少しは期待しながら説明しました。
宝物殿から出て、ふと見ると長男の顔がさっきまでとはぜんぜん違います。キリッと、とても緊張した顔つきです。そして「どうやったら地獄に行かなくてすむ?」と聞いてきました。
それ以来、長男の生活は少しならず変化し、よい人間になろうと意識しているように思います。
でも少し怖すぎたのか、しばらくは一人で寝られなくなっていました…。
後日、地獄を甘く見ていた次男にもこの絵を見せると、驚愕の結果が!
閻魔様、これからも我家のために次男を見張っていてください。
第49話『大成功有読』
2003.8/20掲載
当代随一の魔法使いといえば、やはり『ハリーポッター』でしょう。
長男は、小学校入学まで字が読めず、本も、読んでもらうのは好きだけど、自分で読むのは好きじゃない(第10話参照)子どもでした。その長男に、ハリーが魔法を起こしました。
気のすすまない長男に半ば無理矢理ハリーポッターを読み聞かせ、ちょっと興味を持たせたところ、そのあと読むは読むは…。『賢者の石』『秘密の部屋』と読みすすむにつれ、止まらなくなりました。ベッドに入って寝るまでの時間(寝る時刻も一時間ほど遅くなりました)一心不乱に読んでいました。『アズカバンの囚人』は一週間ほど、炎のゴブレットさえ九日で読み終えました。
そのころになると、今までならテレビゲームをしていた時間に本を読むようになっていました。弟とのけんかの時間も減り、ハリーの魔法に心底感謝いたしております。
その後、流行のファンタジーアドベンチャー系のシリーズをいくつか読破し、今では母さんと新刊のとりあいをしています。
けんか相手のいなくなった次男は、一人しょんぼりといすに座って静かにしていると思ったら…!なんと保育園児の次男まで、ハリーの魔法にかかっていました。
さすがにハリーポッターシリーズとはいきませんが、『いやいやえん』や『たんたのたんてい』の中川李枝子ものや佐々木マキの『ねむいねむいねずみ』や『ムッシュ・ムニエル』を一人でドンドン読んでいくのです。
たまに、絵本を読んでやろうかと言うと、「ぼくが読んだほうが早いから自分で読むよ」とか、「こんな大きい字は赤ちゃんむきだよ」とか言われてしまいます。
今までさんざん落ち着きがないだの乱暴者と罵ってきましたが「もしや天才か?」と、こちらがバカ(親バカ)になっています。
親としては、よかったよかったと見ていてはなるまい。子どもに負けない読書をしなければ。
母さんは、前述のように長男と争ってファンタジーアドベンチャー系の本を読みあさります。もう少し文芸色の強いものをすすめますが、「学校で児童としゃべるための教材研究になる」と、かたくなに長男と同じ路線を走っています。しかもこれがものすごい速読。一晩で一冊はあたりまえ。その勢いで、通知票もつけてくれると、学期末にのんびりできていいんだけどなぁ…。
父さんは、その系統はハリーポッターと指輪物語で充分。ハリーポッターでは、私も魔法にかかりましたが、指輪物語では、三ページ読むと意識がなくなってしまうという指輪の呪いにかかってしまいましたから。
図書館の貸し出しが、無料で本当によかった。
第50話『夏の人々@』
2003.9/2掲載
あの、小沢征爾がタクトを振るおうとも、歌うのはせいぜい一万人。なのに私たちは51000人の大合唱をしてきました。場所は、いま日本で一番熱い場所『甲子園球場』。
ご存知のとおり我が家はトラキチ一家(第26話参照)で、今年はイケソウとの予感に、早々五月中にチケットを取りました。予感は的中!快進撃は続き、私たちが行ったのはロード直前、マジック31の八月三日。
真夏の暑さがやってきた甲子園球場に着いたのは、試合開始三時間前。メガホンを買い、風船を買い、うちわやTシャツを買い、席に着いたのは試合開始二時間前。指定席なので早く行く必要はないのですが、「野球は試合前が面白いんや」という父さんの意見に従い早くやってきました。
快進撃のおかげでこの日もチケット完売超満員の予定。グランドではドラゴンズの打撃練習が行われており、球場内はすでに四分の入り。応援席にも金本・赤星・檜山がいっぱい。うちの子供たちも今岡に衣装替え、試合に備えます。まだ試合開始一時間前。
やがてタイガースの選手が出てきて守備練習を終え、グランド整備が始まるとスターティングメンバーの発表。スタンドはいよいよ臨戦態勢。『一番セカンド…』場内アナウンスに呼応して甲子園はすでに興奮のるつぼ。
九番までの発表が終わり「さあ、いくで〜」とハチマキを締めた頃、試合前の景気付け、一回目の六甲おろしの大合唱。「こんな日を待っとったんや」と思わず涙ぐむ父さんの横で、九歳の長男と五歳の次男も大声で「ろっこ〜おろ〜しに〜♪」。「これぞ正しい日本の夏の親子の姿や〜!」涙をぬぐい父さんも絶唱します。でもまだ試合前。
試合開始は定刻六時。我がタイガース先発の伊良部は見事な立ち上がり。一回表をピシャリと三者凡退に抑えます。その裏タイガースは、ヒット・盗塁・四球にタイムリーの連打連打。打者一巡の猛攻で3点を奪います。我が家も大騒ぎ。毎日あんな大声で叫んでいる次男でさえゼイゼイ。このまま九回までいったら死ぬ、と思うほどの興奮。球場全体が酸欠状態です。
でも安心、相手の攻撃中はほとんど休み。アウトをとったとき喝采が起きるだけであとは静かなもの。まじめにやってるのは選手だけです。そしてチェンジ、またあのお祭騒ぎが始まります。ここまででまだ試合開始から35分。
二回は幸い(?)にもすんなり終わり、そろそろ次男は退屈してきます。試合に集中できず、 歓声が上がるたびに「今、何があったの?」という始末。そして「もう風船飛ばしてもいい?」と心はすでにラッキーセブン。
はやる気持ちを抑えつつ、次回に続く。
第51話『夏の人々A』
2003.9/5掲載
燃える甲子園球場は前回からの続き。
三回には、満塁から、相手エラーで二点を取る展開。テレビのようなスローがないので、よくわからないようなプレイ。球場の大ビジョンでもエラーなどはあまり再生しないので見逃すと大変。次男も「何があったの?」を連発していました(その後は、なんとか食べ物のおかげで集中力を取り戻していました)。
父さんが「やっぱりプロのホームランを一本は見せてやりたいなぁ」と思い始めた頃、期待に応えてくれました桧山選手。ライトスタンドにきれいな放物線の2ランホームラン。
これで7‐0と大量リード。余裕で風船飛ばしの用意を始めた七回表、大変なことになりました。
スタンド中がフーフーやっていると、伊良部投手が突然の乱調。満塁のピンチ!でもみんな手がふさがっていてメガホンもたたけない状態。「まあこんなスタンドでは集中もできんわなぁ」と思いながら、仕方なく口で「がんばれー伊良部!」のただの声援。何とか一失点で切り抜けました。
そしていよいよ風船飛ばし。
球場中が風船の波。四本組200円の風船がゆれ、次の瞬間には夜空に花が咲き乱れました。もうこの世のものとは思えないような美しい情景。タイガースファンでよかったと誰もが陶酔したことでしょう。この瞬間をずっと待っていた子供たちも大騒ぎ。立ち上がり、跳ね回り狂喜乱舞とはまさにこの状態。
フ、と一息ついて横を見ると、次男がまた風船を膨らましています。??我が家は四人家族で、風船は四つしか買わなかったはず。「これどうしたの?」「上から降ってきたの」確かに誰かが飛ばした風船が、あっちこっちに落ちています。「試合に勝ったら飛ばそうね」と四個拾い上げる父さんを母さんは信じられない、という目でにらんでいました。(のちにこの風船を、洗いに行くという任務が母さんには課せられました。)
試合はその後淡々と進み、結局タイガースの快勝!優勝へのマジックを29に減らしたのでした。
試合が終わったとて、そう簡単に球場を去ってはいけません。ここで本物の51000人の大合唱なのですから。ジェット風船を飛ばしながら、メガホンを打ち鳴らし、スコアボードで勝利を何度も確認しつつ歌う六甲おろし。「ああ、この日のために生きていて良かった!」と涙があふれてきます。この一体感、この陶酔感!人生の中でもそう味わうことができない貴重なものだと思いました。九歳と五歳でこの体験ができた子供たちは、なんて幸せなんだろうとうらやましくもあります。
もう甲子園へはいけないけれど、優勝が決まったら、我が家でパーティーしなくっちゃ!
第52話『夏の人々B』
2003.9/30掲載
夏はやっぱり海に行かなくてはいけません。今年のように涼しくとも、我が家の漁(第7話参照)は行われるのです。
じじばばいとこ一家とともに、福井県若狭の高浜へ。いつもは岩場に魚がたくさんいる絶好の漁場です。しかし今年はやっぱり寒かった。魚があんまりいない。しかも水が冷たい。さらに冷夏の海につきものの強風が吹き荒れる状況でした。
でもそんなことは我が家の漁には関係ありません。もう海が怖くない長男は、浅いところなら自分で潜るし、深いところには浮き輪を持ってついてきます。
でも、しばらくするとみんなが「もう戻ろう」と言い始めます。脂肪の厚い父さんは感じなかったのですが、みんなにはとても寒いようで、唇は紫を通り越して小豆色です。仕方がないので浜に戻ります。
浜では次男がものすごい勢いで泳いでいます。今年から水中眼鏡デビューをした次男は、海の中が面白くて仕方がないようです。あっちこっちでザブーンと飛び込んだかと思うと、しばらくドザえもんのように浮いていました。唇は小豆色ですがまだまだ元気でした。
そんなこんなで一日目は終わり、二日目。なんと長男過労でダウン。一昨日ボウリングで6ゲームも投げたのが原因のよう。視点も定まらず、ぐったりしているので部屋に残していきました。
海は前日にも増して冷たい。魚もいない。しかも昼食を食べ終わったころから突風が吹き出し、すごい大雨。長男の不参加でいまいち盛り上がっていなかった一同は宿に退却しました。
さらに三日目。前日から天候が回復せず、大粒の雨。でも、この降雨には前日から心の準備ができていた我らは、決然と海に向かいました。(実はこの大雨は、今年一番の大型台風、第10号の直撃を受けたものでした)
一日雨の降った海はそれはそれは冷たい。悲鳴を上げながら頭まで沈みます。そして立ち上がると「寒〜い」。海の中より雨は冷たく、泳いでいたほうがはるかに温かいのです。
そうなればこっちのもの。昨日不参加の長男は、それを取り戻すかのようなはしゃぎっぷり。あまりの寒さに「長ズボンとジャンパーで泳ぐ」と言っていた次男もいつもより高い波とお戯れ。「いや〜楽しいなぁ」と周りを見回すと私たち以外に誰も泳いでいない。水着の人もいない。浜辺には傘をさした人達ばかり。我が家の貸切だ!
なぜみんな泳がないのだろうと浜をうかがっていると、われらをにらむイカツイおじさん集団を発見。いかにも怪しく、私たちが浜に近づくと、おじさんたちはサッといなくなり、沖に出ると現れます。不穏な状況で、半日楽しんで宿に向かうと、途中あのおじさんたちがたむろしているのに遭遇。そこには『海難救助本部』の看板が…。
こんな日まで働いてくれるとは、感謝感謝!
第53話『夏の人々C』
2003.10/22掲載
8月4日は何の日でしょう?正解は『箸の日』。
というのを知ったのは七月末。インターネットで故郷宇治市のホームページを見ていたら、『橋寺で箸供養』という項目が目に入りました。
橋寺というのは宇治橋のたもとにあり、橋と宇治川の鎮護を司る寺院です。書道家・石碑研究家には、『宇治橋断碑』という日本最古の石碑があることでご存知の方も多いと思います。
その橋寺でハシつながりということだけで箸供養が行われたわけです。
地獄図絵で寺の効果を再認識した我が家(第48話参照)は、自分たちの箸を持って行き、子供たちの箸使いがすこしでもうまくなることを願って参加しました。
橋寺は小さなお寺だし、お箸をお供えして、なむなむとやって終わりだろう、と思って軽い気持ちで参加したのに!
当日は本殿拝所に約30人の人々が鎮座し、神妙な雰囲気。我々もいやおうもなく拝所に上げられ、端座させられました。邪魔にならないように一番後ろに座ったものの、厳粛な雰囲気に、我が家のやんちゃ坊主が堪えられるわけがありません。正座が、あぐらになり、居座りになり、読経が終わるころには親にもたれかかっていました。
これは早々に退散するしかないと思っていたのに、振り向いた住職がそのまま説教を始められました。説教自体は、食の罪深さと、そのことへの感謝と尊さを自覚せよという真にありがたいものなのです。が、我々はもう抜き差しならない状況。早く終わってくれ〜と、さっきよりも真剣に祈っていました。
やっと説教が終わり、後半の『ハシ文化研究会』が始まるまでに急いで退席しようと、本殿から出ようとしたその時、背後から我々を呼び止める声が。
振り向くとそこには参加者の中ではかなり若い中年の人たちが、カメラやペンを持って立っていました。「ちょっといいですか?」「どうして今日参加されたんですか?」「どちらからみえましたか?」矢継ぎ早な質問が。
え!取材?なんと地元の新聞社が取材に来ていて、唯一子供を連れていた我々に目をつけたというわけ。「子供の箸使いがうまくなるようにと」「長野県に住んでいますが、実家がすぐそこで」
しどろもどろに境内から逃げ出た翌日、なんと2つの地元紙に我々のことが載りました(しかも名前入りで)。「載ってたん見たでぇ」という旧知のおばちゃんの声の中に「しっかり子育てしてはんねなぁ」というものが。
はて?どういうことかと記事を見直すと『神妙に目を閉じ、手を合わせる子供の姿が…云々』という件が…。本当はグダグダしていたのに、下駄を履かせてくださったのね。
こういう地元紙に支えられて私たちは成長していけるのね。
地元紙ありがとう。
地元紙万歳!
第54話『二時間待って』
2003.11/9掲載
その日がついにやって来ました。「もしかしたら、ここからひっくりかえされるのでは」という不安さえ抱かせた日々を何日も過ごし、ついにやって来ました。星野監督が、赤星選手を涙の抱擁で出迎え、二時間後に胴上げされるその日が。
我が家でも、当然のように昼間はテレビの前に集合し、いつものようにメガホンをたたき絶叫していました。サヨナラ勝ちの瞬間は狂喜乱舞。星野&赤星以上の抱擁を繰り返していました。心配性の父さんでさえ、さすがにマジック1では逆転されないだろうと安心し、やっとタイガースが優勝するだろうという気になってきました。あとはスワローズの結果待ち。今度はインターネットでスワローズの試合を逐一確認して過ごしました。
スワローズに今日のところは勝ってもらい、後日タイガースが勝った瞬間に優勝が決まるというのがいいなぁ、と思うのも半分。いやいや万が一のことがないとは言い切れん、やっぱり今日決まったほうがいい、と思うのも半分。つまり、どっちでもいいような気分でいました。
試合の方はスワローズが先制するものの、ベイスターズが猛然と反撃し、6点差を付ける一方的な展開。いよいよこれは優勝決定だと、家の中で準備が始まりました。
選手・監督とともに祝杯を挙げねばとビールやジュースが用意されます。(さすがに家に中でビールかけはできません)父さんは二週間も前に完成させたクス玉を部屋の真ん中につるします。父さんがそんなものを作っていたとは知らなかった母さんは、「何でそんなものまで…。あんた本当に暇ねぇ」とあきれていました。
子供達は大喜び。「さすが父さん、こんなものまで作れるんだ」という尊敬とともに、父さんが常々言っている「ふざけることは真剣にやらなくちゃいけない」という言葉もよくわかったようでした。
テレビの前で正座して国営放送に見入ります。そしていよいよその瞬間。「やった!」と大騒ぎの子供達と対照的に、父さんは脱力。星野監督同様「あ〜しんどかった」というのが正直なところ。十八年待ったなんて大層なものではなく、望んでいたものがホイと手の中に入ったような、思わずほっぺをつねりたくなるような虚脱感です。
しかし、十八年前というと、父さんが単身長野県にやって来た年。知り合いさえいなかったのに、こうやって家族にまで恵まれたかと思うと感慨も新た。深夜まで優勝特番で感慨に浸っていました。
翌朝、いつもより早く起きた父さんはスポーツ新聞を買いにコンビニに走ります。ところがどこにも新聞がない。なんとその日は休刊日!
く〜、さすがタイガース、最後まで落ちをつけてくれるぜ!
第55話『プライズハンター』
2003.11/23掲載
体育の日が10月10日でなくなって何年がたつでしょう?果たしてその間晴れた日は何日あったでしょう。10月10日はただ東京オリンピックの開会式のあった日ではなく、晴天の特異日だからこそ、この日に開会式が行われたわけです。なので10日以外の体育の日は雨が降ってあたりまえなのです。もちろん今年も降りました。
でも、早朝からザーザーというわけではなく、今にも降り出しそうなまま午前八時を迎えました。
さて、わが松川町では、町民運動会は「体育の日」と決まっています。私が住みはじめてからも、何回も雨天中止があったにもかかわらず相変わらず「体育の日」です。教員あがりが考えると、前日の日曜に設定して、もし雨なら順延にすればいいように思うのですが、世間一般ではそういかないようです。
そんなわけで今年の体育の日午前八時、運動会開催決定を告げる花火がドドーンと打ち上げられました。「絶対降って来るよなぁ」と言いながらも、お祭り会場に必ず顔を出す我が家は出かけていきました。
案の定ラジオ体操の頃からポツリポツリと降り始め、一時間後には土砂降り。結局競技はわずか四つ消化されただけで、途中終了になりました。
しかし、転んでもただでは起きない我が家、わずか四競技に五回も出場してしまいました。
最初の障害物競走に、長男と次男。一位と二位になり、見事賞品ゲット!次の地区対抗リレーには我が地区は不参加なのでしょうがなく見物。三つ目の親子種目に次男と父さんが出て見事二位。またもや賞品ゲット!そして最後の児童種目に長男が参加。結果は五位ながら、この競技で打ち切りのため気前よく係の人が賞品をくれました。さらにこんな天候で地区の人がほとんど来なかったので、残ったジュースやビールをいっぱいもらうことができました。
わずか一時間ほどで自転車のかごに入りきらないほどの収穫をもたらし、今年の町民運動会は終了しました。
我が家にはボロかった運動会ですが、これでは寂しいのも現実です。前記の順延とかいろいろ考えて、たくさんの人が楽しく参加できるようにはならないものでしょうか?大勢いる中で、我が家だけやたらたくさん賞品ゲットして、大いに自慢したいものです。
さて、今回母さんが登場していません。なんと運動会不参加だったのです。なぜかと申しますと、実は『腰痛で病院に行っていたから』です。しばらく前にバレーボールでこけたとかで痛がっていたのですが、仕事のせいで病院に行けず、この日にいきました。
いるだけでこんなにおいしい運動会に出られないなんて…。やっぱり健康は大事ですなぁ。
第56話『餅は餅屋 その伍』
2003.12/7掲載
近頃、理科の授業から、酸素を取り出す実験が、爆発の可能性があるからと削除されたのだそうです。子供のころ誰もがあの『ポン!』という音に驚き、科学の身近さと好奇心をかきたてられたことでしょう。あんなことが危険とは…と嘆いていたら、母さんが「そんなことより前段階で、もっと危険なことがあるのよ」と言います。聞いてみるとそれはアルコールランプに火をつけるための『マッチを擦る』ことだそうです。
喫煙率の低下・ライターの普及などでマッチが家庭内になく、当然擦ったこともない子供が増えているのだそうです。
そんなバカなと思いながらも我が家を振り返ってみると確かにマッチなんかありません。夫婦ともタバコは吸わず、花火や蚊取り線香はチャッカマンでつけています。時代の趨勢でマッチなんか必要なくなるのだ、と言ってしまえばそれまでですがなんとなく納得できないところがあります。
そんな表情を見て母さんが「マッチなんかまだましで、包丁だって使ったことない子もいるのよ」と言います。そんなバカなと我が家を振り返ると、これは大丈夫。長男が四歳の頃に子供用の包丁を買い与え、簡単な手伝いをさせていました。(一度きゅうりを切っているときに親指をザックリ切ってしまい、救急病院に運んだこともありますが…)でもそういえばこの頃やらせていないと思い、梨の皮むきをさせました。梨狩りでたくさんもいできたのを「自分でもいで、自分でむいて食べたらおいしいぞ」と勧めてみました。
ちょうどその頃、子供番組で皮むきをやっていたので、大いに乗り気で挑戦していました。が、当然そんなうまくいくはずがありません。むいているのか削っているのか微妙なところ。多面錐の梨が出来上がりました。おいしい汁は枯れ、手垢で茶色の梨です。本人も不満らしく、もう一個挑戦。父さんに「包丁を持った右手は動かさず、左手も梨を支えるだけ。右手の親指が勝負」と教えられ頑張っていました。
父さんも並んで梨むきです。当然父さんのほうがうまく、身長ほどに伸びた皮を見てファイトがかきたてられたようです。
その後何日も梨がなくなるまで頑張り、うまいとまでは言えませんが、何とか梨らしくむくことができるようになりました。
そのうちに、「僕が梨むくよ!」と張り切ってむくようになったのですが、そう言ったきりいつまで待っても梨が出てきません。まさか怪我でも…と思いのぞいてみると、どんどんむいて、どんどん一人で食べているのです。
「何で持ってきてくれんの?」
「上手にむけたから。だってみんなにあげるのがもったいないんだもん。」
「・・・。」
第57話『餅は餅屋 その陸』
2003.12/20掲載
学級菜園でたくさんとれる作物といえば、今も変わらずやはりサツマイモでしょうか。先生たちもサツマイモが大好きです。
長男も学級菜園でサツマイモを育て、たくさん収穫できたようです。収穫できれば当然、次に収穫祭が待っています。つまり自分たちで調理をし、味わう時間がもたれたわけです。
長男の組では、班ごとに何を作るか考え、大学イモや、ポテトサラダが多い中、なんと長男たちはスイートポテトに決めたそうです。
半日使って作るならいざ知らず、わずか一時間で作るのは無理じゃないかと親は思うのですが、「作った人がいるから」と自信ありげに登校していきました。
しかし、想像どおり下校後はがっくりして帰ってきました。
やはり時間が足りず、満足にゆでる(ふかす)時間もなく、裏ごしする時間もなかったそうです。なので、サイコロ形のイモに、液状のクリームがからんだだけのそれはそれはまずいものになっていたんだそうです。
「あんなまずいもの二度と食べたくない」と言う長男を見て、(そういえば今までスイートポテトなんか食べたことないかも)と思い、「本当は美味しいものなんだよ。家でも作ってみよう」とあいなりました。
まずは作り方を調べてみるところからはじめました。するとなんとびっくり!調べる物・人・本によって、材料や分量がぜんぜん違うのです。(試しに皆さんも調べてみよう!)ここは都合よく「適当でもそれなりに美味いということさ」とわりきり調理開始。
時間はたっぷりありますから、長男の記憶を頼りに、ゆっくり作っていきます。しっかりゆでて、丁寧につぶし、きちんと裏ごしします。いつもは落ち着かない次男も(それでも以前よりだいぶ進歩しましたが…)ポテトつぶしがやけに気に入って、一人でほとんどつぶしてくれたり、ハンドミキサーなどの文明の利器を駆使したりして無事オーブンへ入りました。
ここまできたら人事を尽くして天命を待つことしかできません。長男が言うところでは、すでにこの時点で学校で作ったものとはまったく違ったものになっているようで、次男は期待ワクワクで、長男は半信半疑で焼き上がりを待ちます。
焼きあがりは「おぉ!うまそう。」しばらく冷まして食べてみると「おぉ!うまい。」
長男に「これがスイートポテトだよ」と自慢げに説明する母さん。学校で作ったのとは別の食べ物だと驚きの長男。珍しく黙々と食べる次男。
この大成功に気をよくした三人は、「サツマイモはまだまだある」と、連日スイートポテトを作って、大満足の週末になったようです。
第58話『六十の三つ子』
2004.1/6
あけましておめでとうございます。今年も子育て父さんとその家族をよろしくお願いいたします。
さて、正月ともなりますと、朝から酒飲んで、コタツでゴロゴロしながらテレビでも見てゆっくり過ごそうかというふうに思うわけでございますが、ワンパク盛りはそうはいきません。テレビはつまらん、外は寒い、大人ほどにはジュースも飲ましてもらえない、となりますので「ゲーム大会しようよ、お出かけしようよ」となるわけです。
我が家は第14話に書いたように正月温泉ツアーが組まれることが多いのですが、それでもずっと行っているわけにはいきません。家で過ごす日も何日もあるわけです。そんな時、やっぱり「ゲーム大会しようよ、お出かけしようよ」という声が上がります。ただ他家と少し違うのは、そう言い出すのが父さんだということでしょう。
父さんはじっとしているのがあまり好きではありません。疲れていてもうろうろ遊びまわり、体はもっと疲れても、心がリフレッシュすれば元気になるタイプなのです。
母さんはその逆。ゆっくり体を休めて、昼寝をしたり、本を読んで過ごすのが好きなようです。
次男はお出かけもゲームも大好きだし、長男もお買い物以外ならお出かけもゲームも大好きです。多数決によってお正月もアクティブに遊びまわることになります。
ゲーム大会は、二年前からだいぶ進化し、カルタ・すごろくに加え、トランプや花札、それに水道管ゲーム・にわとり四苦八苦・スキップボー・青冠などのマニアックなカードゲームも行われます。
子供が欲しがって買ったことになっていますが、実際には父さんの趣味でチョイスし、勝手に買ったというのが本当です。
当然父さんだけは前もってルールも知っており、コツもつかんでいますから強いに決まっています。みんなにルール説明をしたり、アドバイスしながらもひとり勝ちを続けます。(ただし父さんの運の無さは比類なきもので、運勝負になると負け続けます)
お出かけでは、母さんが元気で、いい天気なら(なぜかいい天気だと母さんは元気です)スキー。天気が悪いと初売りの残り物探しにデパートへ行くことが多いです。
スキーは子供達も大好きだし、だいぶ手がかからなくなってきたので(第17・18話参照)しっかり遊べて父さんは大満足。母さんも行き帰りの車の中でしっかり寝られるので満足しているようです。
デパートで正月らしい商品を見て歩いたり、どんな福袋が残ってるか探しまわるのは本当に楽しいものです。長男はソフトクリームなどにつられてついてきますが、買い物が嫌いです。母さんは次男が悪さしないようについて歩きますが、人が多いだけで疲れています。
やっぱり今年も一番元気で一番ワンパクなのは私みたいです。
【六十の三つ子】新年恒例いろはがるたからの出典。今回は尾張版『ろ』の項。意味は自分で調べてね。
第59話『家族の肖像』
2004.1/18掲載
三十の半ばを過ぎると、誕生日もめでたいようなめでたくないようなものです。それでも我が家では、みんなで楽しくお祝いすることにしています。
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| 挿絵@ |
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| 挿絵A |
年末に父さんの誕生日がやってきました。誕生パーティーには父さんの好物の高カロリーな料理が並び、この時期しか売っていないアイスケーキがテーブルの真ん中に乗っています。本数は適当なろうそくを、主人公以外が吹き消すというギャグなどをちりばめて楽しい時間がもたれます。しかし誕生日で一番楽しみなのはやっぱりプレゼントでしょう。
夫婦の間では、誕生日プレゼントということにして、いつもならちょっと買うのをためらうようなものを贈り合うことにしています。
子供達からは、お金のかかるものは自分たちで稼ぐようになってからもらうことにして、現時点では売り物ではないものをもらっています。それは何かというと『似顔絵』です。長男と次男がそれぞれ一枚ずつ画用紙に私の顔を描いて贈ってくれます。
これはもう七年来続いているもので、見返してみると、親の老け具合とともに、子供の成長もよくわかります。長男の絵で見ると、はじめは挿絵@のような頭足人にも見えない父さんの姿だったのに、次第に目玉ができ、眉毛が生え、色がつき、首が伸びて、動作まで表現されるようになりました。
また、似顔絵の横に添えられている一言も、母さんの代筆から自筆になり、『とうさん』の一言から『とうさんいつもありがとう、だいすきだよ』という父の日でも使えそうな感動的な文にまで進歩しています。
父さんはその絵を額に入れて書斎に飾っています。そして年に一回入れ替えるということにしているわけです。が、ふと母さんがもらった絵と見比べてみると…なんか違うぞ。
母さんの絵は誠心誠意真面目に描いてあるのに比べて、父さんのはどうもお笑い交じりのような気が。もちろん真面目に描いてくれてはありますが、どこかに笑いを狙ったところがあります。母さんのはただニッコリ微笑んでいるのに、父さんのはへんな顔で大笑いしています。
極めつけは挿絵Aの今回の長男の作品、『カンチョーをする父さん』です。我が家でブームの技がカンチョーで、それを伝授したのが父さんなのでわからないではありませんが、その絵を「お誕生日おめでとう」と渡されるとかなりずっこけます。まぁそういう笑いをしっかり受け止めてやれるところが父さんのいいところなのだといっそうお笑いに磨きをかけましょう。
ところでこの『カンチョーをする父さん』が今までの絵の中で一番うまくかけているのはなぜでしょう。
第60話『お誕生日』
2004.2/6掲載
十二月に父さんの誕生日がきてから、一月に次男、三月に長男としばらく我が家は誕生日ラッシュとなります。
で、先日は次男の誕生日がやってきました。次男は一月生まれなのに、通っている保育園の年長組(二十九人在籍)で、もっとも遅い誕生日なのです。お友達がドンドン六歳になるのに、自分だけがいつまでも五歳だ、と本当に誕生日を心待ちにしていました。
当然我が家では盛大なお誕生会が開かれました。次男希望のお誕生会メニューとして、ステーキ・ポテトサラダ・コーンスープ・オムライスがテーブルに並びます。特にステーキは、シェフ(父さん)がパフォーマンスとともにホットプレートの上で焼きながら出してくれるという豪華さ(本当は安い肉)。さらにはいつもは出ないジュースなども用意され、至福のディナータイムとなります。
興奮しているのかあまり食が進みませんが、その気持ちわからないでもありません。食後にはメインのケーキも待っているのですから、むしろ当然というべきかもしれません。
ケーキは自分たちで作る、という計画もあったのですが、今回次男の希望が『中までチョコの入ったチョコレートケーキ』だったため、技術的理由で市販品になりました。市販品はやっぱりうまい。特に今回のは、甘すぎず苦すぎず、フックラしていてシットリしており、とってもおいしいものでした。次男も希望通りのケーキに満足。
さらに、お誕生日プレート(○○ちゃんお誕生日おめでとうと書いてあるチョコレートの板)も独り占めして大満足でした。さすがに直径十八センチものを一回で食べきることはできませんので半分は翌日に回されました。
さて、お待ちかねプレゼント贈呈。今回は『ジェンガ』というゲーム。積んである木のブロックを崩さないように抜いていくというゲームで、正月にお友達のところでやって面白かったので自分もほしくなったというものでした。(そういえば去年もゲームでした。ダイナマイトとスキップボーというカードゲーム。どうやら正月に遊んだ面白い記憶が覚めない時期なので、ついついゲームに目がいってしまうようです。そうは言ってもテレビゲームとかを希望しないのが次男の天真爛漫ないいところです。)
こういうゲームは家族みんなで集まって遊べるし、いろんな意味で学習にもつながります。父さんも喜んで希望通りのプレゼントが用意できます。
食後は早速ジェンガ大会。負けそうになるとついインチキをしてしまいたくなる次男は、みんなに「あっ、六歳の人はそんなインチキしちゃいけないんだ!」と言われ、苦渋の表情。
次男よ、年齢を重ねるということは、つらいことも増えるということなのだよ…。
第61話『象棋』
2004.2/20掲載
長男いろいろなものにチャレンジする積極性を持っています(向上心はあまりありませんが)。スポーツや遊戯でもとりあえずチャレンジするのがえらいところです。そんな長男にとって一番の悩みは『父さんに勝てないこと』です。
どんなことでも手を抜かない父さんには、なかなか勝てないのはあたりまえ。
野球やサッカーなどのメジャーなスポーツでは到底かなわないし、筋力や瞬発力もまだまだ及びません。基礎体力に差があるので、近頃はやりの軽スポーツでも勝つことができません。
遊戯部門も、コマ回しや竹馬などのレトロ系は経験に差がありすぎます。テレビゲームも父さんに一日の長がありますし、カードゲームやボードゲームでも、作戦が必要なものは父さんの勝利が続きます。ただ運だけで勝負するものは勝つこともありますが、それではやはり達成感が薄いようです。
父さんとしても、手を抜くのは嫌だけど何とか長男に勝たしてやりたいとも思います。そこで父さんがすごく弱いもので挑戦させてやろうと考えました。
父さんが昔から弱いものといえば…将棋!これは弱い。友達とやって勝った記憶が全くない。駒の動き方は知っていますが、セオリーとかは全然わかりません。詰まれてもなんで負けたかわからないほど。
「よし、これだ!」と思いましたが、これは断念。なぜなら父さんが弱すぎるゆえ、長男に『勝ち方』を示してやることができないからです。ただ駒を動かして、運のいい方が勝つゲームになってしまい、世間に出て長男が恥をかくのが目に見えています。
そこでもう少し考えて…象棋!象棋とは中国将棋のことで、競技人口が世界一多いチェスのたぐいです。中国の下町に迷い込むと、あっちこっちで親父たちが興じているあれです。これなら日本ではあまりメジャーじゃないし、世間に出てもそれなりに自慢できるし、父さんも高校時代遊んで将棋よりはだいぶよくわかるし。
早速駒は用意しました。ところが盤がない。ペラペラのビニールのは付いているけど、これじゃ楽しめない。翌日『平日大工』で将棋盤を作りました。この気合の入り方に母さんはまた白い視線を浴びせていました。
長男は最初の二日ほど負けまくっていましたが、次第にセオリーがわかり、得意な戦法も見つけ、このところほぼ五分の勝負をするまでに成長しました。父さんもこのままおめおめと負け続けるわけにいきませんから、研鑚をつんでいかなくてはなりません。
父さんとの厳しい勝負に疲れると、長男は軽く勝てる相手でリラックスするようです。
「母さ〜ん、一回勝負しようよ〜。」
第62話『餅は餅屋 その漆』
2004.3/13掲載
近年、物流の進歩によって、品切れというものがほとんどなくなりました。○個限定や生鮮には時刻によって売り切れがありますが、日常生活品の品切れはそうお目にかかれません。そんな中、我が家は品切れ入荷待ちにであいました。
それは、あるテレビ番組で紹介された『裏ワザレンジ容器1号』というもの。電子レンジでたった五分チンするだけで、スポンジケーキが作れちゃう!という便利グッズ。確かにテレビで見るとふわふわのスポンジケーキができており、手間もたいしてかかっていません。いろいろホームメイド好きな我が家にはもってこいの商品です。
翌日早速近所の量販店に出かけます。どこだどこだと、探し回ってやっと便利グッズコーナーを見つけました。そこはすでに何人かの人が集まっており、手に手にいろんなものを吟味しております。「あった!あれだ」と私が手を伸ばそうとした瞬間、前にいた親子連れが最後の一個を持っていってしまいました。
『ガビ〜ン!』
レジに向かうその親子を呆然と眺め、ついフラフラとあとをついていく次男。レジまでいったついでに「あれ、もうないんですか?いつ入荷しますか?」と詰め寄る父さん。「ありません。しばらくしないと入りません。大人気なんです」と言われ、ガビ〜ンな長男。
なんとか立ち直りほかの店を回ってみましたが、なんと近隣の大きな店のどこにもありません。
久しぶりに味わう品切れの恐怖と、あと少しで買えたのにという残念が入り混じり悔しさ百倍。どうしようもないので、入荷するまでのしばらくを待つことにしました。でもしばらくなんて待てません。翌日から機会あるごとに出かけていっては棚を見る日が続きました。
そうこうするうちしばらくたったのでしょう、ついに見つけました。やっと買えたその嬉しさはまるで手作りのおいしいケーキを食べたときのような感激でした。
当然その日は手作りケーキ。すぐできるということなので、母さんの帰宅を待って始めました。思ったよりは手間でしたが、子供たちでも簡単にできるくらいの作業で三十分ほどで完成しました。ワクワクしながらそのまま冷まし、食後にデコレーションして食べました。
ん?予想よりおいしくないぞ。というか硬くてスポンジって感じじゃない。テレビで見たのと全然違う、こんなケーキのためにガビ〜ンを堪えたわけじゃない。これじゃ悔しさ二百倍だ。早速恒例の反省会を開きますがよくわかりません。いろいろ試しながらやってみるしかなさそうです。
それ以降、我が家は連日、夕食後はケーキです。そして今最大の課題は、おいしくできないことより、ケーキに飽きてきたことです。
第63話『もしもし』
2004.3/31掲載
もしもしカメよカメさんよ〜♪という次男の歌声が、今の我が家では四六時中聞こえてきます。別にこの歌が気に入っているわけではなく、けん玉の『もしカメ』というやつに挑戦しているからです。
正月前に保育園でけん玉をもらい、現在年長組全体で取り組んでいるのだそうです。ひな祭り集会で発表をするということで、次男も張り切って練習しています。
始めたころは、大皿に乗せるのだってやっとのことで、一回乗るたびにやった!と騒いでいたのです。二月の参観日で見たときにも、何とか乗るようにはなったものの『もしも…』程度で、到底人様に見せるようなものではありませんでした。
ところが先日、家に帰って来るなり「見ててね」とけん玉をやりだすと、とても上手いのです。ほとんど例外なく『世界のうち…』くらいまで続くようになっていました。次男いわく、『お昼寝から起きてちょっとやってみたら、できるようになってたんだよ』とのこと。
これは実によくわかります。私はもともと『人間の成長は革命的に起こる』と思っています。だんだんできるようになるのではなく、ある時を境に急にできるようになるものなのです。日々上手くならないからといってあきらめてはいけません。芽もつぼみもなく、いきなり花開くのが人間の才能なのです。もちろんそのための修練を怠ってはいけませんが…。
さあ、できるとなるとズに乗る我が家の子供たち。次男もどんどん上手くなります。連休明けには『どちらが先に…』くらいまでスイスイ行くようになりました。
でも、ただこの状況だけを見てはいけません。見逃してはならないのは次男のがんばりです。革命的にできるようになるといっても、そのための修練が不足しては花も咲きません。次男は朝起きてきていきなり『もしもし…』とはじめます。テレビを見るときもけん玉を離さず、CMになるとやおら『もしもし…』。食前食後に『もしもし…』、手洗いうがいで『もしもし…』。本当に四六時中、もしもしもしもしやっています。
そのがんばりは誰が見ても頭の下がるもの。いつもチャランポランな次男の中に、こんな真摯な姿が隠れているとは驚きです。もちろん次男としてはそんなにがんばっているつもりはないのかもしれません。純粋に楽しいからいっぱいできるのかもしれませんが、この熱意はすごいものです。
年度末で通知票をつけている母さんも、このくらいがんばるとすぐに終わると思うのですが。見習ってほしいものです。
次男のがんばりとともにもう一人がんばった人がいます。それは、次男の「見て見て!」につきあって四六時中けん玉を見せられた父さんです。(もう飽きた…)
第64話『自転車はトライ』
2004.4/17掲載
このところの次男のがんばりは、前回のけん玉と、もうひとつありました。それは自転車乗りでした。
第45話で書いたように、次男は足が短いゆえに練習に苦労してきましたが背も伸び、暖かくなったのを機に練習再開です。
まずはまたペダルをはずし重心をとる練習から、と思ったら、「僕、こぎながらやってみるよ」と、いきなり大きなトライ。
父さんがうしろを支え、次男が「いいよ」と言うと押しながら手を離すという方法でやってみました。
一回目。「いいよ」「ほい」『スイ〜』えっ?乗れるじゃん!
多少ハンドルがぶれるものの大きな問題はなし。50mほど走ってブレーキをかけてピタッ!なんと次男は自転車に乗れました。今までの練習が身に付いていたのか、やはりここでも革命的な進歩を見せました。
できるとなるとズにのる我が家の子供たち。何回も何回も「いいよ」「ほい」を続けました。
大変なのは父さんです。「ほい」と送り出したら50m先まで行ってまた「ほい」ですから。
疲れた父さんは一人でスタートする方法を教えます。段差のあるところに足をかけ、片足で地面を蹴り、もう片方でこぎ出すという普通の乗り方。
スタート直後が一番不安定な次男は、怖がるかと思いきや「やってみたい」とまた大きなトライ。
一回目。慎重に足場を決めスタート。『スイ〜』えっ?できるじゃん!
右足でも左足でもスイスイ発進します。もう乗れるじゃんと見ていたら『ガッシャ〜ン』。泣くかなと思ったら、黙って立ち上がり、段差のない地面から『スイ〜』。えっ?もう完璧じゃん!
押さなくてよくなった父さんは、自分の自転車で後をついていきます。いつもの50mが終わりかけたとき、「この先で曲がってみるか?」というと、「うん」と気軽にトライ。今まで曲がったことがないのに。『スイ〜』なんと滑らかなカーブ。今度は左カーブだ『スイ〜』。えっ?もう君に教えることはない、免許皆伝だ。
早速ヘルメットを買い与え、安全についてはよくよく教え込みました。
一人でスイスイ走れるようになった次男を見ながら、父さんは考えました。「次男が三月で卒園したらもう送り迎え用のチャイルドチェアー付きママチャリはいらない。よし、スポーツタイプの自分用の自転車を買って、乗りまくってやろう。まずは大蔵大臣への折衝だな」と。
自転車屋でカタログをもらい、さりげなく目に付くところに置きます。「母さぁん、自転車買ってもいい?」「いいわよ。二万円くらいでしょ!」
わざわざカタログの値段のところに赤線引いておいたのに…。こりゃ次男に乗り方教えるより難しそうだ…。でもトライが大事だよな。
第65話『実録入学式』
2004.5/22掲載
6:30 春休み中だらだらと過ごしていたのに、シャキッと起きてくるのはさすがに小学生の自覚でしょうか。
9:00 入学式に備え借りてきた衣装を着ます。兄と同じ紺のスーツを着せようと思ったら全く似合わず、白黒チェックになりました。長男と顔はそっくりなのに表情の違いが差になったようです。
9:20 トイレに行ってランドセルしょっていざ出発。今日は父さんと一緒に歩いていきます。保育園のころはずっと自転車だったので並んで歩くのはなかなか新鮮。いいお天気だったので、いろいろお話しながら手をつないで歩きました。
9:40 玄関を入ったところで受付をします。過日、すでにクラス分けは発表されているので一年四組の受付へ。『入学通知』を出し、名前を言ってリボンをつけてもらいます。教室に行くまでに保育園のお友達と、「お前○組か。俺は四組だ!」と近況報告会。保育園時代超仲よしだった四人がそれぞれ別のクラスになっていたのは、学校事情からいうと当然でしょう。
しばらく教室で仮担任から話を聞いたり、配布物に記名をしていると、「保護者の方は体育館へ」と連絡が。「がんばってね」と次男に声をかけて父さんは体育館へ。
10:10 いよいよ入学式が始まります。まずは新入生入場。一組から名簿順に入場します。お母さんたちが花道を取り囲み大騒ぎ。写真を撮ったりビデオを撮ったり大変です。でも地元有線放送局が撮影に来て、それのほうがよっぽどきれいにしっかり写ることを知っているので、我が家はビデオなどをやめ、この目で次男の姿をしっかり見ることに。四組は最後に入場なので、だいぶお母さんの数も減り、無事、次男の姿を見ることができました。
式自体は普通です。祝辞・式辞・歓迎の言葉など退屈な部分が終わり、いよいよ担任発表。四組は父さんと同世代くらいの唯一の男の先生。「この先生ならアクティブな次男を受け止めてくれるかな。これでしゃれのわかる人なら最高だ。」というのが父さんの感想。
11:30 入学記念写真を撮影します。今度は背の順に並んで撮影です。次男はなんと一番前!小さいとは思っていたがこんなに小さかったとは…。まあ前にいたほうがいいことが多いんですけどね。
11:45 教室に入って担任先生の話を聞きます。写真撮影に手間どったこともあり、先生の自己紹介と、翌日の連絡で時間がなくなってしまいました。
12:15 もう下校です。持ち帰るものをランドセルに詰め、一人一人、先生と握手をして下校します。「学校は面白そう」が次男一日目の感想。
さて翌日からどんな学校生活を送っているのか、はまた次回以降に!
第66話『ライバル』
2004.5/30掲載
小学校に入学し、次男が張り切っているのは当然ですが、それに負けじとがんばっているのが長男です。
今までは「自分だけが…」と思っていたこと(宿題や時間割、提出物やお手伝いなど)を次男も同じようにやるわけですから、負けてはいられません。(というか、手を抜きづらくなったということか?)
次男のほうは過去、長男がどういうところで怒られてきたかを見ているので要領がいい。「僕、○○をちゃんとやったよ」としっかりアピール。ついでに「兄ちゃんは五年生なのにまだやってないんだよ」と密告も。
もちろん量や質においては長男のほうが断然大変で、手間もかかるのですが、さすがにそこまで言われると長男も燃えます。いつもはタラタラやっている宿題も、たまに次男と同時刻に帰ってくると信じられないほどのスピードで終わらせ余裕のポーズ。「弟はねぇ…」と言わないところが長男の優しいところ。
そんな長男が一番燃えているのが朝ごはん作りです。夕食後の皿洗いを弟に取られたため、兄には朝食のおかず作りが課せられたのですが、やはりいつも父さんが厨房に立つのを見ているせいか、特に抵抗なく働いています。
最初はただソーセージを温めるだけだったのに、だんだんと料理になってきました。目玉焼き・スクランブルエッグ・ベーコンエッグなど、卵料理を中心に毎朝がんばっています。
先日も父さんが晩ご飯を作っていると、うしろから寄って来て「それ全部使っちゃわないで少し残しておいてよ、明日の朝ご飯にするから」ととっても計画的。
実は今まで長男は朝起きてきてもこたつにもぐりこみ、起きているとは名ばかりでゴロゴロ朝を過ごしてきたのですが、この朝食作りが始まってからは見違えるばかりです。起床のラジオ体操の音楽が鳴りはじめるとサッと布団から出て、ラジオ体操をせずに台所に直行。父さんがラジオ体操を終えて台所に行くと、もうできたてのおかずが並んでいます。母さんなどもう食べ終わっていることさえあります。この朝のすがすがしい習慣が続いてくれるとうれしいです。
一方、入学当初ははりきってラジオ体操前に起きてきて、出発二十分前にはランドセルを背負って準備を終えていた次男は今ではすっかりゴロゴロモード。兄に作ってもらった朝食をボーッと食べ、またゴロゴロ。出発五分前に「ぼくの着替えがないよ〜」と大騒ぎしている始末。「一年生なんだから自分で用意しなさい」と言われても、もう一年生という響きに新鮮さはないようです。
この二人、なぜか相手がだめな時だけ頑張る、妙なライバル関係です。
第67話『紙馬』
2004.6/23掲載
『紙馬』といわれても何のことやらわからないでしょうが、我が家には、写真で次男がまたがっているダンボールでできた木馬があるのです。
今をさかのぼること十年前。父さんがまだ中学校の教員をやっていたころ、クラブ活動の指導で『ペーパークラフトクラブ』というのをやったことがありました。その時、本格的なペーパークラフト以外にも手軽に作れるものはないかと考えて、ダンボールクラフトを採りいれていました。
生徒がいろいろと作っているのを見ていて、「俺ならもっとすごいものが作れるぞ。なんか巨大なものを作ってやろう。」という気になってきました。ちょうど長男も生まれ、子供も楽しめるものが欲しかったので、色も似ている木馬が頭にぱっと浮かんだのかもしれません。大作のわりに、構想わずか三十秒でした。
構想ができたら次は材料調達です。これが実は大変。ダンボールなんてどこにでもあると思うと大間違い。木馬は人が乗る物なのでやはり強度が大事。小さなダンボールを接ぎ合わせたものではだめです。折れ目があるのもできれば避けたい。つまり一メートル四方ほどが一つの面になったものが必要ということです。
ダンボールといえば普通は『箱』ですよね、皆さん全辺一メートル以上の箱って見たことあります?それでさえ、とれる紙辺はわずか四枚。木馬完成には二十枚以上は必要。
考えに考えてやっと見つけました、『学校のストーブの箱』。毎年三・四台は新品と交換されるので今年買ったストーブはまだ箱に入ったままだろう。ちょうどストーブ係でもあった父さんは、「新しいストーブを点検したいので」といってダンボールだけをいただきました。(その頃はどうせ焼却処分でしたからまさに廃物利用でした)よって製作費は糊代三百円のみ。
いよいよ製作。型紙を合わせ同じ絵を何枚も何枚も描き、一枚ずつカッターナイフで切っていきます。授業の合間や放課後にコツコツと作っていきます。(クラブ指導の一環なので遊んでいるわけではない)最後にすべてを積み重ねて、ピッタリ合わせて、貼り合わせて完成。製作なんと三ヵ月!無事文化祭の職員展にも展示できました。
家に持って帰り早速長男を乗せてみると、いまいち盛り上がりません。ゆれるのがあまり好きでないのかすぐに下りてしまいました。
盛り上がったのは母さん。これはすごいと写真に撮って育児雑誌の手作りコーナーに応募してしまいました。(その写真は採用され、でかでかと掲載されました)
さてその木馬、時を経て今大ブーム。次男がアクロバティックに乗りこなし、長男も負けじと乗っています。製作者としては嬉しい反面、ボロボロになって行く姿に涙を誘われます。
第68話『観せてもらいます』
2004.7/6掲載
子供が二人とも小学校に入ったので、参観日は大忙しです。
とは言うものの以前第12話で書いたように、このごろでは参観する時間も何時間かあり、授業が見られないということはありません。でも、クラス懇談会や、親子行事などにはなかなか両方は出られません。
特に今年度は、五年生の長男のクラスの学級代表になっており、とりあえずそちらを放っておくわけにはいきません。
さらには本部役員の『子育て副委員長』も拝命しており、(昔の母親委員会というやつ。これは新聞にこういう連載をしていることや、人前で子育てについて偉そうにしゃべっていることとは無関係で、ただ五年生の代表だからという理由です。)学校にはいますが、子供たちから離れて動かなくてはならないこともあります。
私は、そもそも役員が大変だというのを打破しなくてはならないと思っています。三十年も前からずっと言われ続け、みんなが役員になるのを嫌がり、なかには「上級生で役員やると大変だから下級生の時にやっとくわ」なんて変な立候補があったりしてちょっとうんざりです。
むしろ役員は楽で、やらなきゃ損(キレイ事の『子供のため』とかじゃなくて)と思えるようにしなくてはならないと思います。家庭と学校の連携がクローズアップされている昨今、学校としても早急に取り組まなければならない問題だと思うのですが、校長先生どうでしょうか?
そんなわけで、個人的に楽な役員を演じているのですが、二つの教室に同時に現れるのはさすがに無理です。母さんが出られるといいのですが、どういうわけか、こういう行事はいろんな学校が同じ日に実施するためなかなか出席できません。
心情的に今、参観したいのは次男のほう。落ち着きがなく、授業中もどうなっているか心配だし、入学したてで様子が想像もできないから(想像するのが恐ろしい…)。長男はまぁそれなりにがんばっているし、クラスも先生も二年目でよく知っています。授業に関しては安心していい子供だと思っています(生活面が心配…)。
さて、つい先日も参観日がありまして、それぞれ一時間ずつ授業を見せてもらいました。長男のほうは算数の授業で、張り切っていました。姿勢が悪いことと、問題が解けるたびにいちいち父さんを振り返ることを除けば十分合格でしょう。この調子で頑張ってもらいたいものです。
一方次男のクラスに行きますと、音楽の授業。音楽的センスがないのは両親を恨め。でも、足踏みするとき動き回ったり、ペアを作る時、お友達を無理やり捕まえたりするのはやめてくれ。父さんは役員で面が割れているんだから恥ずかしいぞ。
あっ!だからみんな役員嫌がるんだぁ。
第69話『音楽会』
2004.7/25掲載
音楽会といえば秋のもの、というのは昔の話。冷房の効くホールでは夏こそ音楽シーズンなのです。そしてその流行にのって小学校でもこの時期に音楽会を済ましてしまうところも多くなってきました。
我が家の子供たちが通う小学校でも、七月七日に音楽会が行われました。
四月に入学したばかりの次男の組は大変そう。大声で歌うだけなら何とかなりそうですが、楽器の演奏となると、そうはいきません。今年のお題の鍵盤ハーモニカが手元に届いたのが五月も半ば。そこから『ドレミ』がやっと始まるわけです。演奏曲を決め、演奏の指導はもちろんのこと、一年生ですから並び方や、入退場の仕方までしつこく教えなければなりません。特にうちの落着きのない小僧などは、どれだけお世話をかけたかと想像するだけでも恐ろしいことです。
まあ曲自体は『カッコウ』で、そんなに難しくないこともあって、何度か家でも練習して一応吹けるようになりました。歌も『森のくまさん』で、これも大丈夫そう。次男なりに自信を持って音楽会に臨めたようです。
長男のほうは昨年からの持ち上がりですからそんなに忙しいことはありません。でもそれにしてもあまりにものんびりしすぎている。歌はまあいいとしても、楽器の演奏はやっぱり練習しなくては難しいと思うのですが、一向にそういう様子がありません。楽器すら持っているのを見たことがありません。大丈夫なの?ときいても「うん、大丈夫」と余裕の表情。
そこでよくよく聞いてみると長男の担当は『パーカッション(早い話がタンバリンだった)』。リズムにさえあえば難しい指使いなどはないものだったのです。
そういえば、長男は去年の音楽会も打楽器だったような…。よっぽどリズム感が良いか、よっぽどオンチで不器用かのどっちかだな。(たぶん後者。本人は前者と言張っている。)
花形楽器を演奏するのがえらいわけではなし、こういう地味な楽器もあって合奏が完成するのだから、大切な仕事でなんら恥ずべきものでもありませんが、それでも二年連続というのはあまり聞いたことがないような…。でも長男はこういうお気楽路線が気に入っているようで、誇りを持ってパーカッションを演奏していました。
さて、本番では長男次男ともに、満足のいく演奏ができたようで、ステージ上での表情もまあまあ。家に帰ってきたときもニコニコ顔でした。次男が前奏中に大きなあくびをしたことなどは、まあ気にすることもないでしょう。
一方、朝からずっとドキドキしながら見ていた父さんは、終演の頃にはグッタリ。あの暑さの中、ただの学校の体育館に800人はつらい…。やっぱり音楽会は、芸術の秋がいいかも。
第70話『美味いカレー』
2004.8/19掲載
長男のクラスで、親子のふれあいレクリエーションが行われました。
前にも書きましたが、今年長男のクラスのPTA学級代表なので参加しないわけにはいきません。というか、私が中心になって、企画・運営をしなくてはなりません。
でも、私の目標は『楽な役員(第68話参照)』なので、働きません。
五月ころ担任の先生に、「今年の親子レクどうします?遊びは卒業してなんか体験的なのにしませんか?」と言ったことだけが仕事でしょうか。
先「あ〜いいですねー。」
私「何がいいです?」
先「飯盒炊爨なんてどうでしょう。」
私「それに決めましょう!場所は?」
先「松川青年の家が使って欲しいって言ってきてるんですよ。」
私「じゃ先生、日程が決まったら予約しといてください。メニューは何に?」
先「カレーがいいんじゃないでしょうか。それに工作みたいなのができるそうなのでやりましょう」
てな具合に相づちだけを打ちながら話は決まっていきます。日程も学級懇談会で「いつごろがいいですか?」と聞いただけで皆さんがいろいろ決めてくださるし、副代表の方に「打ち合わせと下見に行ったほうがいいですね」と教えていただき、さっそく先生に連れて行ってもらったりしました。
準備は、先生と青年の家との連絡でどんどん進むし、買い物も副代表の方が引き受けてくださり、私は「いいですね〜」とか「もう完璧ですね」とか言ってるだけです。時々相談を受けることがあっても「先生と(あるいは副代表の方と)相談してみます。」と言っておいて、さっきのような会話を繰り返すだけです。
いろいろな落ちがあった計画も、皆さんがいっぱい指摘してくださるので「あ、そのとおりですね」と直しているうちに綿密なものになりました。
当日はいい天気。私の雨男パワーより、実際に計画を立てた先生の晴男パワーが勝ったようです。
最初の挨拶くらいはしますが、細かいことは先生がおっしゃって下さるので、私は「頑張りましょう」と言って終わりにし、早速カレー作りになりました。こうなればもう役員の仕事は終わりです。
でも、ここから頑張るのがいつもの父さん!
グループの子供たちにてきぱきと指示を出し、保護者の方たちと協力してご飯とカレーを見事に作ります。そして、ほかのグループがまだ悪戦苦闘しているうちに、大きな声で「いただきま〜す」と挨拶をして食べ始めます。あちこちから「はやいなー、さすが役員のグループだ」と感嘆の声が上がります。
「フフ、これこそが役員の快感だな」
と悦に入りながらカレーを味わう父さんでした。
追・副代表の方、先生、保護者の皆様、本当にありがとうございました。この場をかりてお礼申し上げます。
第71話『忙しいかひまか島 蛸之章』
2004.8/31掲載
夏休みは忙しい。家で子供と遊んだり、海で子供と遊んだり、山で子供と遊んだり・・・。
さて、今年の夏休みは、日間賀島に行ってきました。
五月に長男が社会見学で知多に行き、その時日間賀島に宿泊しました。「とってもよかった」という長男の言葉を信じ、夏休みのメインイベントとなりました。
今回はいとこ家族が不参加のため、じじばばと六人様ご一行。いつも行っていた若狭よりも短時間で到着するので現地集合。(と言っても、どうせ同じ船で日間賀島に渡るので、師崎港集合)ゆっくりとお昼頃到着し、子供たちはひとしきりじじばば孝行。一緒にご飯を食べて、高速船に乗って一路日間賀島へ。
わずか10分のクルージングで日間賀島到着。宿は港のすぐ前にあります。
【ここで簡単に日間賀島の紹介。愛知県知多半島の先っちょから海を二`ほど隔てた島。周囲五`ほどの小さな島で、隣の篠島が俗化してきたため新たな観光地として、冬はふぐ、夏はタコの島として売り出し中。下伊那のいくつかの学校でも臨海学習に使われています。
港に着いた我々も、まずタコのモニュメントと記念撮影。(写真参照)他の多くの家族もここで記念撮影をするので順番に並んでの撮影です。さらには、島のマンホールもタコの絵がかかれています。と、まあこのくらい日間賀島はタコの島なのです。】
ホテルに荷物を置いて、着替えたら早速海に行きます。浜はホテルのすぐ前、歩いて20秒。いつものように網を持って岩場に向かいます。でもここは、若狭のように魚はたくさんいないし、岩場も少しです。それでも日本海と太平洋の違いを、魚種や海藻の色、海の塩味、水の色などから感じ取り、しっかり楽しみました。
我が家系の狩猟本能が満たされず欲求不満になるかと思いきや、浜のすぐ横の磯で、干潮にはカニ、貝、ナマコ、小魚などが捕り放題。次男はカニを百ほど捕まえて「カニパラダイス」を作っていましたし、長男はナマコの生態観察(ほとんど拷問)にいそしんでいました。少し沖に行くとタコの島らしくタコもいっぱいいました。
海を堪能し、ホテルに戻ります。このホテルには展望露天風呂があり早速入浴。この日は我が家の貸しきり状態。海で満足しきれなかったのか子供たちは泳ぎまくります。
父さんが日焼けとお湯で火照った体を冷まそうと立ち上がって浜のほうを見てみると、あら?そこには今まで浜で見ていたのと同じ景色が。なんとホテル二階の露天風呂から、高さ1mほどの垣根を越えたすぐ先がさっきまでいた浜なのです。
ワンダホ〜!と感嘆しつつ、タコタコ三昧の食事に向かいます!
第72話『忙しいかひまか島 鰒之章』
2004.9/8掲載
夏休みは忙しい。家で子供と遊んだり、海で子供と遊んだり、山で子供と遊んだり…。前回からの続き。
ワンダホ〜な気分でむかえた食事は期待とたがわぬ海の幸づくし。鯛の活造りを真ん中に海幸せいろ蒸し・焼魚・フライ盛合せがドドーンと並びます。タコの酢の物やタコの塩辛など結構豪華!
こりゃいいぞとバクバク食べていると、あとからあとからいろんな料理が運ばれてきます。車海老のおどりや知多名物大アサリの宝楽焼など日ごろ食べたことのないものがいっぱい。
さらにお待ちかね、タコの丸ゆで!(タコを塩味で丸ゆでしてあるだけなのだが、豪快でうまい。はさみで切りながら食べるという演出もにくい)はさみでジョキジョキ切って、食べても食べてもまだまだある。ロブスター洋風焼なども食べ、おなかいっぱいになってきたところにさらに日間賀島名物たこ飯!新鮮なタコを使うせいか臭みは全くなく、ご飯もタコの色がついてお赤飯のよう。そこらで売っているタコ飯の素とは比べ物になりません。デザートのスイカまでしっかりいただき、ビールなしでも大満足の夕食でした。
部屋に戻り、腹をさすっていると「ザザー」と雨の音が。数日前には台風が居座っていましたが、もう大丈夫と思っていたのに。さすが雨男父さん!と変な自慢をしていたら雨は上がり、今度は「ドドーン、パンパン」と花火の音が。日間賀島の花火週間で、目の前の浜から花火が上がっています。おいしいものを食べ、きれいな花火を見てまったくワンダホ〜な一日目でした。
二日目は、前夜の台風が残っていたのか曇り空。海水浴には少し寒いかなという天気。でもこれも幸い、長男がぜひやりたいと希望していた釣りをすることにしました。
強い風を避けて湾内で竿を出しました。計画では『なにかが釣れるサビキ釣り』で『なにか』を釣ろうと考えていましたが、日間賀島では水質保全のためサビキ釣りは禁止でした。仕方なくゴカイを餌にいざスタート!
釣りといえば、父さんより何倍も釣り好きなじいちゃんの登場です。孫にはあまいじいちゃんは、仕掛け作りから餌付け、オマツリの処理までアドバイザーとして活躍します。孫に甘えられうれしそうなじいちゃん。それをいいことに父さんは自分で釣りを楽しみます。おかげで、そこそこのベラやタナゴが何匹か釣れました。
一方子供たちはさっぱりでアドバイザーへの苦情が殺到。やっと小スズキが釣れた時は、子供たちよりもじいちゃんがほっと喜んでいました。
結局父さんに釣果で負けた子供たちは、夜釣りでリベンジしたいと言い出しました。嫌がる母さんも引っ張り出しての夜釣りは、次回に続く。
第73話『忙しいかひまか島 蝦之章』
2004.9/19掲載
夏休みは忙しい。家で子供と遊んだり、海で子供と遊んだり、山で子供と遊んだり…。前回からの続き。
夜釣りといっても夕食後に湾内で楽しむほどのことですが、子供たちはやる気満々。この夜も花火が上がるので、それを見るということにして母さんも連れ出します。アドバイザーじいちゃんも、電気ウキまで用意して燃えています。
花火を見ながら小一時間。みんな二匹ずつの引き分けに終わりました。(付け加えておくと、長男は翌朝、早朝釣りにも挑戦。結局、滞在中一番の大物を釣り上げ、大満足でした。)
三日目は快晴。「三日間この天気だったら大変だった」というほどのいい天気。思い残すことのないように泳ぎまくります。ビーチの三つの浮島めぐりをしたり、浮島からの飛込みを楽しんだり。昨日まであまりいなかった魚もたくさん出てきて海らしくなっていました。昨日までは強風で起きていた砂塵も、この日は収まりのんびりと半日すごせました。例年の『漁』とはまた違った面白さが味わえました。よっぽど楽しかったのか、こういう時いつもはあっさりあがってくる長男が、いつまでもプカプカビーチ横断をしていました。
さて海からあがって、ホテルでお風呂に入って、いよいよ師崎に戻ります。残念ながら楽しかった日間賀島旅行ももう終わりです。次男にいたっては、連絡船に乗るのがいやだと泣き、船の中では島を見つめて「明日もまた来る!」と泣き、本土に着いてからも「僕だけもっといる」と泣いていました。
師崎に着いて涙もかれたころ、じいちゃんばあちゃんとさよならです。いつもなら名残惜しそうにする子供たちですが、次男はもう泣きつかれたのかあっさりと、長男も満足しきったようにバイバイをしました。
家に帰ってからも数日は「日間賀島では・・・」という話ばかりするくらい楽しかったようです。
長男の一番の思い出は、釣りと磯遊び。社会見学のときは海に入れなかったので、海と遊べたことがうれしかったようです。
問題は次男の思い出。
三日目、高速船に乗る前にお昼ご飯を食べました。港のすぐ前にある食堂に入りましたが、ホテルで海の幸をいっぱい食べたせいか、次男は卵丼を注文しました。(父さんは名物大あさり丼を食べましたが、これはちょっと×××でした。母さんが食べた白ミル飯は美味しかった。)
特に変哲のない普通の卵丼なのですが、甘〜く味付けがしてあって、次男のツボにはまったようです。この卵丼のインパクトがすごく強かったようで、以来「日間賀島の卵丼は美味しかったぁ。お店や、父さんが作るのよりも美味しいよ。」と思い出にひたっています。
第74話『子育て転覆隊』
2004.10/11掲載
夏休みは忙しい。家で子供と遊んだり、海で子供と遊んだり、山で子供と遊んだり・・・。
この夏休み、カヌーに乗る体験をしました。
母さんの実家近くの湖でカヌーの講習会をやっていて、すごく安く体験できるということで早速出かけていきました。
当日は小雨が降り、風がやや強いという、カヌーには適さない天候。しかしせっかく来たのですからあきらめる手はありません。インストラクターの説明を陸で聞き、20分後には湖に漕ぎ出します。
長男と母さんはそれぞれ一人乗り、次男は父さんと二人乗りのポリ艇に乗り込みました。(実はこの日我々が乗ったのはカヌーではなくカヤックです。カヌーとカヤックの違いは、パドル〈漕ぐ櫂〉が両羽になっていればカヤック、片羽だったらカヌーというのだそうです)
最初の乗船はドキドキです。どのくらい浮くんだか沈むんだか何にもわからないのですから。乗ってみての初感は「沈まんじゃん、結構安定しているぞ。」安心しきって漕ぎ出します。
基本に忠実な母さんは、インストラクターに習ったとおり平凡に漕ぎます。派手な沈(ちん・カヌーで転覆することを沈といいます)をして笑われるのが自分の役目であることを忘れていたようです。
長男はスピード重視。パドルを立て気味に深く水に入れて漕ぐとスピードが出やすいとインストラクターに教わり早速実践。派手にパドルを立てすぎるので水が垂れてきてびしょぬれになっていました。
次男は体が小さすぎてパドルが水に届かないので、手ぶらで乗っているだけです。父さんに「あっち行け、こっち行け」と命令しながらお大名様状態でした。ためしに一度漕がしてみたところ、なかなか前に進まず、クルクル回ったり、流されていったりと散々でした。でもそれからは謙虚な大名になっていました。
父さんは次男の命令で動いているフリをしながら、勝手に遠くまで行ってしまいます。でもさすがインストラクター、すばやく父さんに追いつき「そっちは行かないでください」と釘を刺していきました。
さて、講習会終了後の感想は、家族全員一致で「おもしろかった、またやりたい。」でした。
そうなればマイカヌーが欲しくなります。でも普通のカヌーは置き場所に困るし、価格も10万円ほどの高額。しかし、あきらめきれない父さんは、執念のネットサーフィンならぬ『ネットパドリング』でインフレータブルカヌー(空気で膨らませるもの)を懸賞でゲットし、めでたく秋晴れの休日には、家族で近くのダム湖に通っています。
でもこのカヌーが二人乗りのため、家族一斉には楽しめません。もう一台なんとかせねば…。
第75話『夏の終わりに』
2004.10/27
暑さ厳しく雨の少なかった今年の夏は、学校での水泳がたっぷりできました。とにかく水を楽しむ次男も、なんとかいい泳ぎを身につけたい長男も、背中が真っ黒になるまでプールに浸りました。
で、その成果を水泳記録会で披露してくれました。
次男は水中かけっこと12メートル泳。水はぜんぜん怖くないので嬉々として水に飛び込んでいく次男。順位など別にありません、楽しく二種目こなし、ご褒美のジュース拾いまで笑顔で通しました。
長男は平泳ぎ50メートルに出場。タイムは速くなかったものの、実にきれいなフォームで泳いでいました。ですが後半、順位を気にしてピッチが狂い、泳ぎが汚くなってしまいました。来年に向けて、足のけりが課題となりました。ご褒美のジュース拾いも楽しみました。(長男の学年では、以前ご褒美が梨の幸水だったことがあります。松川の特産品を使って学習をまとめ、将来社会に出た時に、故郷を語りうる誇り高き取り組みだととても感動しました。でもどういうわけか梨拾いは一年きりで終わってしまい、普通のジュース拾いになってしまいました。衛生面とか、アレルギーとかいろいろ問題があったのかもしれませんが、実に惜しい取り組みでした。ぜひ復活してほしいと思っています。)
水泳とともに夏の最後をかざるのがなぜか運動会です。(暑いうちに運動会を終わらせるのが長野県学校教育の不思議常識。スポーツの秋とかいう感覚は無視されています。水泳記録会からわずか二週間で準備と練習を終え、運動会を迎えます。)
次男にとって初の運動会の目標は、『インチキをしないで正々堂々。負けてもくよくよしない。』でした。保育園ではいろいろと伝説に残るようなインチキをしてきましたが、もうそこからは卒園してもらいたい。玉入れ、かけっこ、綱引きと、勝ったり負けたりしながらも楽しく一日過ごしました。残念ながら白組が負けてしまいましたが、充実した運動会になったようです。
長男の目標は、『白の勝利と係活動をしっかりやる』でした。個人的な目標がないところが、良い意味でも悪い意味でも長男らしいところです。それでも自分の出番では力いっぱいやっていましたし、良い成績の時はうれしそうに、負けちゃった時は悔しそうにしていました。係活動もそれなりにがんばっていたようです。こちらも残念ながら白組が負けてしまいましたが、充実した運動会になったようです。
さて、秋を迎えなぜか家では応援合戦ブーム。子供達が白組の応援歌にのせていろんなものを応援します。すると負けじと母さんが赤組の応援歌にのせて…。
あ〜、どっちもうるさ〜い!
第76話『ITきき』
2004.11/19
今年はPTAの役員を受けてしまったので、半ば強制的に『飯伊PTA研究集会』というのに参加させられました。そこでの分科会の議題として「IT機器を子どもに与えるのは、是か非か?」というような内容のものがありました。
その分科会の話題提供がうちの学校だったこともあり、保護者向けのアンケート調査などが行われました。
集計結果を見ると、普及率は予想通り結構高い。今じゃ親が家で仕事をするのにコンピュータがなくては話にならんという状態ですし、農家だって出荷管理や、観光農園のホームページ作りにコンピュータはなくてはならないものになっています。
活用についても仕事やホームページの作成・閲覧、メールなど予想通りでした。子供が意外と使っていないという結果(一年生なんかが使いこなすのは常識的に考えて無理なのであたりまえか)に驚きましたが、それでもホームページ閲覧やゲームに使っているようです。
使用の問題点で、「使い方がわからない」とかいうのはご愛嬌ですが、問題はこのあと。「子供がゲームばっかりやって困る」とか「親に隠れてやっていて心配」とかいうものです。
どういうことなんでしょうか?そんなこと、子供に機会を与える前に、当然指導と約束があって当たり前のことではないのでしょうか。使い方を教えずに、物だけ与えれば暴走する(悪い意味だけではないですが)のはあたりまえです。もし、ルールとマナーを自律的に守れない者に与えるならば、当然厳しい管理下においてあたりまえではないのでしょうか。その辺のところが問題になるのは、『ITの問題』ではなく『家庭の問題』です。
IT機器よりもう少し子供に近いものであるゲーム機でも同様でしょう。教員時代保護者から時々「子供がゲームばっかりやってしょうがないんです」という相談を受けました。(現在でもそういう相談は多いらしいですが)口にこそ出しませんが「ゲームを買い与えたのはあなたでしょ。ちゃんと指導できないのに何でそんなことしたの?原因はそこでしょ」と思っていました。
つまりは家庭の教育力(指導力)を向上していかないと、IT機器も家庭の危機も乗り越えられないというわけです。
さて我が家では、コンピュータはみんなが集まる居間においてあり、家族団欒のアイテムの一つです。インターネットで情報を得たり、学習ソフトで学んだり、ゲームもちょっぴり。子供たちも自由に喜々として使いますが、今のところ際限なくのめりこむようなことはありません。
現在一番の問題は、父さんがネットショッピングで散財してしまうこと…、まさにIT危機!
第77話『視界良好』
2004.12/3掲載
最近の学校での視力検査は、1・5とか0・8とか言いません。ABCDという判定が出されるのです。Aはよく見える(だいたい1・0)、B→C→Dと悪くなり、Dはおよそ0・1以下ということになります。こうなりますと、もうメガネなしでは生活できないところにあるといえばわかりやすいでしょうか。
先日子供たちの学校で視力検査があり、なんと長男がDをもらってきました(しかも両目とも)。
以前から見えが悪くなって、目を細めたりしていることに気づいてはいましたが、「黒板も見えるし、生活にも困ってない」という長男の言葉を信じ、「遠くとかしっかり見て治すようにしなよ」と言うだけにとどめていたのですが…。D判定ではもう仕方がありません。メガネを作ることにしました。
初めてのメガネなので、まず眼科に行って検査を受けます。最初は視力検査から。「わかりません、わかりません」「一歩前に出て」というようにして測定していきます。長男の足が前に進むたびに眼科医の顔がくもっていきます。検査結果は両目とも0・08。眼科医が最初に言った言葉は「お母さん、何でこんなになるまでほっといたの。こんなの全く見えてないようなものだ。よく生活できてたな。」というお叱りの言葉。「だって本人が…」という言葉をのみこみ、ただ怒られる母さん。長男への怒りも高ぶります。
続いて眼鏡店へ。「よくメガネなしでここまで生活してましたね。初めて作るメガネにしてはすごく度の強いものになりますよ。」と半ばあきれられました。恐縮しつつレンズとフレームを選びました。カウンターに戻ると「十五分ほどで用意できますから」といわれ「わりと手軽にできたじゃん」と思っていたら「御会計38800円です。」ぜんぜん手軽じゃなかった〜。来年のお年玉はみんなメガネ代に献上しろ〜、おやつもおかずもお預けじゃ〜。長男への怒りは高ぶりまくり。ヒクヒクする親を横目に、長男は取り扱い方の説明を聞いて上機嫌で帰ってきました。(初めてにしてはよっぽど度が強いのか、その夜も眼鏡店から「気持ち悪くなったり調子悪かったらすぐ言ってください」と連絡がありました)
さて帰り道。車の中で長男がうるさい。今まで見えていなかった街の様子や看板が見えるのでいちいち感動して読み上げます。街中のありとあらゆるもので視力検査をしています。キャッチボールも球の回転まで見えると大喜び。学校でも同じようで、「連絡黒板とか意外と便利なものだね」などと言っています。(今までどうやって連絡を受信してた…?)
家では、「父さん、あそこの壁汚れてるね。天井にもなんか付いてるよ。」うるさ〜い!おまえが掃除しろ〜!
第78話『子育て登山隊』
2004.12/15掲載
松川町からよく見えて、愛着をもたれている山といえば小八郎岳でしょう。山頂付近の崩落が激しく、治山工事が盛んに行われています。でもその崩落個所が小八郎岳らしく見せているのも事実です。
さて、その小八郎岳に我が家は一家そろってアタックしてきました。(アタックといっても小八郎岳は標高1475メートル。行程片道一時間の山。それでもれっきとした独立峰なのが偉い!)
長男は保育園の年長組のときに、一度登ったことがあります。でもその時の記憶が「休憩でチョコを食べた」というものでした。今回は、山歩き初挑戦の次男と、山歩きに嫌な思い出があるという母さんも連れての行程になりました。
午前10時、登山口の鳩打ち峠まで車で行きました。先着に熟年グループがいて20人以上の大集団。登山では少人数グループが前を行くのが常識。準備もそこそこに午前10時30分頃登り始めました。やはり体の小さい次男は目立つようで、熟年グループの皆さんから「行ってらっしゃい、がんばってね」と声をかけられていました。お調子もんの次男は「行ってきま〜す」と手を振り返し、早足で登山道に取り付きました。
山自体はさっきも書いたようにたいした山ではありません。普通に歩けば十分お昼までに到着します。でも普通に歩かないのが次男。ダーと走っていったかと思うと立ち止まって休憩。休憩したと思ったら下に向かって駆け出すし。やたらと無駄に体力を使っていました。
長男はまわりのみんなを置き去りに、一人でどんどん登っていきます。確かに長男の体力からいうと走ってでも登れそうですが、一番体力のない人に合わせて登っていくのが登山の常識。そんなことを教えようにも長男の姿は遥か前方に…。
そんなこんなで、片桐ダム眺望をしたり、熟年グループに抜かれたり、チョコを食べたりしながら、のんびりと紅葉を見ながら登っていきました。
予定通り昼前に山頂到着。体力を使い果たした次男は「僕あと五十歩しか動けないよ」とグッタリ。でも景色を楽しみ、双眼鏡で我が家探しをし、お弁当を食べいるうちに復活しました。
食事中、母さんが「冷えてきたね」というのを待っていたかのように父さんがリュックをガサゴソ。中から熱湯入り水筒と味噌汁の素。「温かいのがおいしいねぇ」と母さん大喜び。子供たちもおかわりするほどの大盛況。「どうりで父さんだけリュックが大きいと思ったのよ」と半ばあきれながらも母さんは感心していました。
下山してから長男に「学校での登山にむけていい経験になったでしょ」と言うと、「登山に味噌汁が欠かせないってわかったよ」…。
第79話『総領の甚六』
2005.1/1掲載
あけましておめでとうございます。今年も子育て父さんとその家族をよろしくお願いいたします。
今年は自慢から始めましょう。
父さんは、大学で教育学部の国語科に所属し、特に古典文学の研究室に入っていました。卒業論文も和歌の研究に取り組みました。さらに中学生に指導すること10年、百人一首など当然全部頭に入っています。三十一文字だけではなく、和歌の背景や解釈など当然朝飯前なのです。(信州日報で百首解説の連載しましょうか?)早取りでもあまり負けた記憶がありませんし、まあ(特殊な特訓をした方はおいといて)一般の中で人後に落ちることはないだろうと自負しています。
さて本題。正月の遊びに百人一首というものがありますが、近年学校教育の場で五色百人一首というものがはやっています。(百首を五つに分け、それぞれ20枚ごとに特定の色を割り振ったもので、簡単に言えば二十人一首を5セット作ったもの。)百首だとしんどいものを20にすることで少しでも覚えやすくし、いろんな意味で百人一首を身近にするのがねらいのようです。
その五色百人一首に長男のクラスでは通年で取り組んでいます。まだまだ言葉遊びのレベルなのでしょうが、たくさん覚えて早取り大会をしているようで、勝負の成績によってJ1・J2・JFL・アマチュアのレベルに分かれ、それぞれ上位レベル参入を目指して激しく戦っているようです。一度参観日に見せてもらったら、J1・J2レベルは見事に早く取れていました。(古典文学普及推進派の父さんとしては、今後意味や解釈、背景などの授業をしていただき、文化として百人一首を扱っていただきたいなと思う次第です。)
そんな中で長男は、当然J1にいるだろうと思うわけです。家に百人一首は4セットもあるし、その上母さんが五色百人一首も買ってきました。しかも毎夜、次男の読み聞かせに優先して、父さんが一首ずつ解説と覚え方のコツを伝授していたのですからあたりまえでしょう。まあ日によって調子が悪かったりしてJ2に落ちることはあっても一時的なことで、J1で優勝を争っているものだ。と思っていたのに…。ある日ふと聞いてみるとなんと「JFL」という答えが!
なぜなぜ?しっかり覚えたんじゃないの?「覚えたけど、みんな早く探して取っちゃうんだもん」
う〜む、このレベルだと解釈や背景を教えるよりも、もっと実践的に取る方法を教えたほうがいいのか?でもそれじゃ古典の面白さと和歌の文化を冒涜するようなもんだしなぁ…。まあ今の勝負のためだけに覚えてるわけじゃないし、しっかりと理解が深まったほうがいいんだけど…。
【総領の甚六】新春恒例いろはがるたからの出典。江戸版『そ』の項。意味は自分で調べてね。
第80話『松の内』
2005.1/23掲載
正月飾りにもいろいろとありますが、この飯田下伊那地区でよく飾られるものといえばおやすでしょうか。正月前に店で買うと200円ほどですが、家中に飾るとなると結構の金額になってしまいます。そこで、縁起物は値切りたい我が家(第37話参照)としては、自分たちで作ってしまうことにしました。
そうはいいますが、父さんの実家でも、母さんの実家でもおやすを飾る風習がない(なので本当は家のどこに飾ればいいかもよく知らないのです。しょうがなく父さんの実家ふうに、火の神と水の神がいそうな場所に飾っていますが…。)ため、実際に作ったことがありません。
こういうとき頼りになるには地域の力。地区の育成会の行事として「おやす作り」が行われることを聞きつけ、早速親子で参加しました。
公民館は藁だらけ。地区のお年寄りの説明で製作開始です。作り方は結構難しい、と思ったのは最初の五分だけ。同じことを何度も繰り返すだけなので子供たちもすぐにできるようになりました。
次男にとっては、出来上がった部分を手の中につかんでいくことが難しく、なかなかきれいに形にまとめていくことができません。それでもなんとかがんばって仕様にたえる物を作っていました。
長男はスイスイです。最初こそ説明を聞いていましたが、どんどん一人でできるようになってしまいました。そのうち調子にのってきて『巨大おやす』に挑戦したり、『超長おやす』を作ったりしていました。
我が家の今回のおやす作りノルマは20個。家中の火の神・水の神を数えると15柱くらい。多少余裕を持って20個製作としました。
案の定、次男作はいいところまでいくものの、全体の締めが弱いため、風が吹いたら分解しそう。長男はいい形になるものも多いのですが、バランスが悪く、つるすと逆さ向いてしまうようなものもありました。さらに、巨大おやすや超長おやすは実際に飾るわけにはいきません。大晦日に飾ろうと見てみたら、使えそうなおやすの数は予定とぴったりくらいでした。
この会のおかげでよい正月が迎えられました。家中に飾られたお手製おやすは、売品より明らかに神々しく輝いていました。
さあ、作り方もバッチリ覚えたし、一年後忘れないようにパソコンに記録しておこう。来年からはどこかで藁と松と竹を調達すれば完全自作できるな…、と藁・松・竹の入手先を算段しはじめた頃、「それじゃ、一息ついて、子供さんはおやつを配るので取りに来てください」と育成会の人の声が。なに?おやつ付き!しかもジュースまで。当然無料の育成行事!
前言撤回、やっぱり来年もこの会に参加する!
第81話『冬の身支度』
2005.2/16掲載
冬の朝はとにかく寒い。特に子供が学校へ登校する時間帯は寒い。一応テレビで天気予報をチェックするものの、伊那谷特有の朝もやが、今日の天候の予測を妨げます。ゆえに子供たちにどんな服を着せていけばいいのか悩むのです。
次男のファッションのこだわりは、『着やすさ』でしょうか。これは着こなしの問題ではなく、手間をかけずに着られるかどうかということ。
わざわざタンスから出さなくても、たたんでいない洗濯物の中から探し出した方が手間がかからない。それも下の方から探すより上にあるものがいい、という感じ。なので、洗濯物が速く乾いた日などは「これで四日連続で同じ服を着ていける」などと喜んでいます。さすがに厳冬期にはないですが、更衣期には「今日はちょっと寒いから二枚着ていくよ」と言って長袖Tシャツを二枚重ねて着ていたりしました。
そうかと思うと意外とおしゃれなところもあって、新しい服を買ったりしたら「いつ初めて着ていったらいいかなぁ」とか、「この服のことみんななんて言うかなぁ」などと気にしているようです。
長男のこだわりをひとことでいうと『大丈夫!面倒くさい』です。
寒〜い朝、どう考えてもトレーナーだけではさむそう。親が「ジャンパー着ていきなよ」とすすめると、「ん、大丈夫!面倒くさい」といってそのまま首をすくめて登校していきます。
雪が積もった朝、どう考えても運動靴じゃあ冷たそう。親が「スノトレか長靴はいていきなよ」とすすめると、「ん、大丈夫!面倒くさい」といってそのまま雪中行軍していきます。
ふぶいている朝、どう考えても素肌では凍みてきそう。親が「手袋と帽子していきなよ」とすすめると、「ん、大丈夫!面倒くさい」といってそのまま襟を立て、ポケットに手を突っ込んで登校していきます。その結果、当然耳はしもやけになってしまい、「このごろ耳がかゆいんだけど、虫でもいるのかな」などと、とぼけたことをのたまわっています。
とは言うものの、五年生にしていろいろ着る物に文句をつけずに、なんでも着てくれるのはありがたいことです。次男も兄のお古でも文句も言わずニコニコ着てくれるので本当に助かっています。
毎朝何を着ていくか三十分も悩んだりすることはなく(聞くところによりますと、一部の女の子は毎朝なかなか大変のようでございますなぁ…)、親としてはありがたいですが、せめてかっこ悪くない格好はしていってもらいたいところです。
先日も、帰宅した長男の体操ズボンがやけに短い。不審に思い確めてみると、そこには次男の名前が!お前が弟のお古を着るのはいくらなんでもそりゃないだろう…。
第82話『機怒愛絡(きどあいらく)』
2005.3/9掲載
子供が憎くて憎くて虐待してしまう、というニュースが、田舎町でもよく聞かれるようになりました。
一方、子供がかわいくてかわいくて、下へも置かぬ扱いで、親が子供のしもべとなってしまっている家庭というのも、話題にのぼって久しい感があります。
この両極端、どっちがどのくらいいけないのでしょう。私は両者全く同じにいけないものだと思います。「命を取らんだけ溺愛のほうがまし」と考えるのは間違い。こんな溺愛の中で育った子の人生は、社会の波に乗れず、世の中に放り出された産業廃棄物のよう。生殺しで地獄の責め苦にあわせるようなもの…。
と、まあ脅しはこのくらいにして。ここまで極端ではないにしろ、一般の家庭でも、少なからずどちらかに傾いているのが実際でしょう。「上の子はかわいいんだけど下の子は憎たらしいの」なんていう複雑な心境の方もいらっしゃるのではないでしょうか。ではこの塩梅いかほどがいいか、と考えると、私はイコールの塩梅が理想だと思います。「かわいいけど憎たらしい」か「かわいくも憎らしくもない」のどちらかということ。(後者はなんか変と思われるかもしれませんが、昔から言う『親は無くとも子は育つ』というのが全くこれ)
怒ることができないのならかわいがることもしない、うんと怒るならうんとかわいがる、たっぷりかわいがったらたっぷり怒れ、ということです。
教員時代、お父さんが深刻な顔で「どうやって子供を叱ったらいいのでしょう」と相談にみえたことが何回もあります。その頃は「親が叱らにゃ誰が叱るの」とはっぱをかけていましたが、今なら「いつも子供をどのくらいかわいがっとる?」と聞いて、かわいがっとるなら「思い切り感情をぶつければいいですよ」と言い、あんまりかわいがっとらんのなら「そりゃ怒るのは他の人にまかしな」と言うでしょう。
さて我が家を振り返ると、実によく怒られています。特に次男。家に居る半分の時間は怒られているでしょう。でも残りの半分の時間はべったりくっついて甘えています。長男はだいぶ怒られることも減ってきたので、かわいがられ度も減ってきました。時々弟がうらやましいのか同じように甘えてきて、怒られ度をアップしていきます。
父さんはいつも子供たちと一緒にいて、しっかりかわいがっているので、しっかり怒る義務があると思っていますし、その分しっかりかわいがる責任もあると思っています。(このごろ次男が怒られ慣れてきたのが気になりますが…。)
収支合わせになってはいけませんが、このバランスは大事にしていかなくてはと思っています。怒る機会は愛が絡ぐ、これぞ『機怒愛絡』。
※文中、叱るではなく、わざと『怒る』としています。怒る=感情的、叱る=指導的といわれますが、親が感情で怒ることで子供も感情をうけとめ感情が育ちます。作為的に叱っていては子供も作為的に受け止めるようになります。親はどんどん怒りましょう。でも、先生は叱るのが仕事なんですよ。
第83話『カット』
2005.3/23掲載
クイズ、少ないと悩み、多いと悩み、適量だと一層悩むものな〜んだ?
正解は髪の毛!少ない人の苦悩は周知のごとく、多すぎて処置に困る人も結構います。適量であればこそ、あれやこれやと鏡の前で悩みは尽きないようでございます。
我が家の長男は、多すぎて困るタイプ。しばらく放っておくと爆発した栗のイガみたいになってしまいます。頭皮から全方向に垂直に髪の毛が突き出し、頭の大きさが三倍に見えます。
生まれて四年ほどはほとんど髪の毛がなく(伸びず?増えず?)会う人ごとに心配されていました。その後、子供特有の柔らかい髪が無事生えていたのですが、八歳くらいから急にゴワついてきました(というかまるでタワシ)。
そして現在の爆イガヘアーにいたるわけですが、本人はあまり気にしていない様子。第81話に書いたようにほとんど外見に頓着しない性格なので「生えてりゃいいや」くらいに思っているようです。でも母さんは爆イガがとても気になるようで、ちょっと伸びるとすぐに「見苦しい」と散髪をすすめます。
しかし、散髪代って結構高い!一回1500円ほどですから、二ヶ月に一回行かれると、家計が爆イガしてしまいます。ここは父さん床屋が開店するしかありません。
父さんは19歳以来、ずっと自分で自分の散髪をしてきたというもはやプロ(父さんも頓着しない性格だったので…)。愛用の散髪バサミで立ち向かいますが、長男のイガには歯が立ちません。つんつんとトゲが残り、落ちて踏まれたイガのよう。しかたなく散髪代四回分をかけて電動バリカンを購入しました。これは便利。長さを設定しておけば、それ以上長く残ることも短くなることもありません。キワやすそだけちょっと気をつけて刈ってやれば簡単に散髪完了です。さっきまでの爆イガが、あっという間にオーガスタのグリーンに。本人もまんざらでもない様子。頓着しないといってもみんなから「サッパリしたね。いいねぇ」と言われればうれしいようです。「美容室に行く」などと言わずに父さん床屋の常連さんになりました。(一度床屋に行きたいと言ったことがありましたが、それは「父さん床屋はエプロンがなく、落ちた髪でチクチクするから」という理由でした)
頓着しない長男の悩みは、『いつまで髪の毛があるか』ということ。父さんの家系はハ○系ばかりで、じいちゃんの頭を見て「ああなっちゃうのか?」と心配しています。(もちろん父さんもかなりのピンチ!)一方、母さんの家系は真っ白系。白くてもあったほうがいいか、白いうえに○ゲたらどうする、と議論は尽きません。当面の目標は「次の阪神優勝まで髪を残す」ことだそうです。
第84話『餅は餅屋その捌』
2005.4/9掲載
なんでうまくいかないんだぁ〜?
家族でこんなにいろんな料理に挑戦し、お菓子におかずにケーキまで、すべて一定以上のものが作れたのに…。どうしてもそばだけが満足いくものにならない。
ここにも過去、第三十八話・三十九話・四十話と掲載し、着実に進歩していくかに思われたのですがさっぱりです。材料・コネ・のし・切りとそれぞれのポイントは十分抑えたつもりなのですが、一向に上達しません。
具体的に症状を申しますと、切ったあとどうしても長くなりません。何枚かの重ねた麺がくっついたりつぶれたりしてしまいます。一枚ずつにはがそうとすると、プチプチ切れてしまいます。茹でたらはがれるかとそのまま茹でると、分厚いうどんかきしめんのようになってしまいます。
初めの頃はケチっていたうち粉もこのごろではたっぷり使い、折りたたんだ状態ではくっついてしまうようなことはなくなりました。包丁もそば切り用の包丁を購入し、30センチをキープして切っています。
気になることはこの切るときの切り味が、『サクッ、とんっ』という感じにならないことです。蕎麦屋の軒先で職人さんが打っているところや、テレビでそば打ちの場面を見ると、どうもここに違いがありそうです。
我が家で切ったときは『ぶにゅっ』もしくは『ぐでっ』。よくて『ズズッ』という感じです。どうもここをなんとかしないと我が家に長寿そばはやってこないようです。
ここは冷静に基本に立ち返って見ましょう。
そば粉は特別問題はないでしょう。つなぎもちゃんと強力粉を用意し、分量もはかっているし大丈夫なはずです。のしも手早く、店で出るそばの厚さまで伸びています。切りは前述のとおり万全を期しています。とすれば、この切り味の違いは、「コネ」にあるとしか考えられません。
名人たちの言葉を思い出そうと過去の連載を読み返して見ました。生地はまとめるのではなく、自然にまとまるのを待つ。
フムフム。
水は少しずつ様子を見ながら加える。
フムフム。耳たぶの硬さでこねる。ちょっと分かりにくいが一応フムフム。
照りが出るまで練る。おっ!これだ!
照りかぁ、そういえば生地の照りなんか気にしてないなぁ。気にしてないってことはうまくいってないんだろう。
でも、どうやったら照りが出るんだろう?長時間練るのかなぁ?でもコネから切りまで20分で勝負なんてことも言われるしなぁ。力を込めるのかなぁ?鉢の大きさとか材質も関係あるのかなぁ?
ともかく次回のテーマは照りだ。そして次男いわく「口に刺さるおそば」、長男いわく「ベビースターそば」をなんとか脱却するぞ!
第85話『六年生』
2005.5/4掲載
時の流れは速いもの。うちの長男がこの四月からもう六年生になってしまいました。
六年生といえば小学校の最上級生、下級生の面倒を見、学校を代表して立ち、地域に貢献する立派な学年です。
しかし我が家の六年生は、六年生になったという自覚がないのか、五年生の頃となんらかわったところがありません。
朝は相変わらず父さんのラジオ体操の横をすり抜けていき、半分寝ながら朝ごはんを作り、コタツにもぐりこんでゴロゴロしています。着るものや髪形にも一向に無頓着で、ぼさぼさヘアーで、裾からシャツをダラ〜ンと出して二年生の弟と同じ時刻に出かけて行きます。
学校でも、児童会長・副会長はもちろんのこと、委員会の役員にさえ選ばれなかったようで、数少ないヒラ委員としてのんきにやっているようです。学級でも特別な役はなく、張り切る六年生の中にあって、ひたすらにマイペースで生活しているようです。
帰宅時刻も次男とそんなに違いません。帰ってきてからのんきにお菓子を食べて、のんびり宿題にかかります。ところがどういうわけか、長男のほうが早く宿題を終えてしまいます。宿題自体の量も、盛りだくさんの次男に比べほんの少ししかないのは確かなのですが、それでも早すぎます。先生としては、「中学を前にして、自主的な学習の時間をたくさん確保してやろう」という意図があるのだと思いますが、長男にはそのあたりがさっぱり伝わっていないようです。読書をしたり、テレビを見たり、近所の子供たちと遊んだり、と優雅な時間を過ごしています。
休日も、地区のスポーツクラブなどには一切入らず、家族と一緒に楽しみまくっています。(この連載をお読みの方ならご存知でしょうが、我が家はそこいらのスポーツクラブ以上に忙しくあちこちで遊んでいますから、それに付き合っていればそれなりに充実した休日ではありますが…。)
しかし、父さんにしてみれば、長男と今までとかわらず接することができるし、触れ合う時間もたっぷりあってとても楽しいです。また、次男にとってもよき相棒がいるわけですから安心でもあります。(ただしこの頃、どちらが遊んでもらっているのかわからないようなこともしばしばですが)
母さんは、六年生の長男を見て、「この子なら児童会でもきっと使えるのに」とか、「もうちょっとかっこいいって言われる男の子になってよ」とか、「スポーツでバリバリ活躍してよ」とかよく注文をつけています。
まぁ、こいつにもいいところはいっぱいあるし、大器晩成ともいうし、気長に成長に付き合いましょう…。
第86話『修学旅行一日目』
2005.6/5掲載
六年生になった長男はつい先日修学旅行に行ってきました。
向かうは首都・東京方面。GWが明けたばかりの五月九日から一泊二日の旅程です。
連休中には、また甲子園球場に行ったりして、忙しく遊んでいた我が家ですが、長男としては修学旅行のことが一応気になっていたらしく、準備に怠りないかと何度も確認していました。(何度も確認したわりには、親と一緒に確めてみると随分落ちがありましたが…)その甲斐あって、出発当日元気に張り切って出かけていきました。
出発は朝五時。連休明けですいているとはいえ、どこでどんなトラブルがあるかわかりませんからできるだけ早く出発するのは修学旅行の常識。朝ごはんもそこそこに、おにぎり片手に旅立っていきます。
さて一日目のコースは、国会議事堂見学、そのあとディズニーシーで遊び&昼食、東京タワーで見学とお買い物をして宿舎に入るというもの。
渋滞にまったくあわずに、一時間も早く国会に着けたということで、ゆっくりと議事堂内を見学できたそうです。
当然ディズニーシーにも早く入れ、(こちらも待ち時間がほとんどない状態だったそうです)ゆっくり遊べたようです。詳しく聞いてみると、ゆっくりどころか『センター・オブ・ジ・アース』というアトラクションに七回も乗ったりしたのだそうです。我が家ではまだディズニーシー・ディズニーランドに行ったことがないのですが、長男はすっかりディズニーシーツウになりました。(ディズニーシーをコースに入れるのは飯田・下伊那地域の学校では初めての試みということで、この旅行の目玉でした。そこをこれだけ楽しめたのですからもう旅行が成功したも同然です。)
東京タワーでは、展望台まで上がり、ルックダウンウィンドウから下を見たり、大都会東京の景色を見たりと「すごいなぁ」を連発したそうです。
修学旅行前、長男が一番楽しみにしていたのは、実は宿舎なのです。特に部屋のカードキーがとっても楽しみのようでした。ですが、帰って来てのホテルの感想は、「世の中にステーキよりおいしいものがあるって分かったよ」というもの。ホテルの夕食で食べた中華料理がとてつもなくおいしかったようで、カードキーは記憶の奥にしまいこまれていました。帰って来てからしばらくは、「この辺で一番おいしい中華料理屋はどこ?」と中華ファンになっていました。
大満足で布団に入って、修学旅行にしては早い時刻に寝てしまったそうです。(友達はもっと遅い時刻まで起きていたそうですが、家で早寝している長男には付き合いきれなかったみたいです。)
二日目も盛りだくさんに、次回に続く。
第87話『修学旅行二日目』
2005.6/15掲載
眠い目をこすりながら修学旅行二日目は始まります。
二日目のコースは、上野国立科学博物館で絶滅した動物の化石などを見、そのあと上野動物園で生きた動物を見る。最後に浅草で昼食を食べ、帰ってくるというコース。
国立科学博物館は、科学に興味がある長男にとっては見所のひとつ。化石や生物・恐竜のコーナーなどしっかりと見て回ったそうです。そして、さらに楽しみにしていた体験・実習コーナーで…!
体験・実習コーナーは期待にたがわず面白そうなのですが、何しろ長男の通う小学校は児童数が多く、みんなが体験・実習コーナーに入ってしまうと、なかなか自分で体験することができないのです。あれもやりたい、これもやりたいと考えているうちに、あんまり体験しないまま見学時間が終了してしまったそうです。
旅行から帰ってきた時、「もう一回、どこか一ヶ所だけ行くとしたらどこに行きたい?」と聞いたら迷わず「国立科学博物館」と答えました。理由は「体験・実習コーナーであんまり体験できなかったから。今度行ったら絶対全部やってみたい」ということでした。
そういえば、昨年の社会見学でも、やはり体験ものがあんまりできなかったことを悔しがっていました。人数が多い学校は、こういう点が弱点かもしれませんね(もちろんいいこともいっぱいあるんですが…)。
上野動物園といえばなんといってもパンダです。幸いにもその日パンダは起きていて、さらに歩いたり遊んだりと大サービスのパフォーマンスをしてくれたそうです。長男のお気に入りはやっぱりトラ。ジャビットの本拠地にもHTキャップをかぶっていく長男ですから、トラの檻の前で『六甲おろし』の一番くらいは歌ってきたのかもしれません。
さあ、最後の見学地浅草。ここでは見学はそこそこにお昼ご飯です。浅草でご飯と言えば、そう天ぷらです。葵丸進という店の2000円の天ぷら定食!なんと贅沢な、子供に天ぷらの味なんか分からんのに!と憤りつつも「天ぷらの味どうだった?」と聞いてみました。案の定「うん、おいしかったけど、まああんなもんかな。特別おいし〜いって言うほどじゃなかったよ」と言ってました。ハハハ、まあ我が家的にもお子様味の、甘い天丼あたりで満足しててくれた方がありがたいですけどね。きっと前夜の中華バイキングの印象が強すぎたからかもだと思います。
さて、そんなこんなの一泊二日の修学旅行。長男の中では大きな思い出となり、一回り成長してくれたものと思います。と思いますが、いつまでたっても成果がさっぱりあらわれてこないのはなんででしょう?
第88話『ストロベリー』
2005.7/3掲載
おひるごはんに、500円でいちごがなんこでも食べられる『アクアロマン』と言うビニールハウスにいきました。「いちごをいっぱいくうぞ。」っていう気持ちでアクアロマンにいきました。ぼくたちが食べられるはんいにいくと、すぐに食べはじめました。いちごはあまくて「うちのいちごにくらべたら、どんなにあまいんだろう。」とおもいました。
しばらく食べていたら、おなかがいっぱいになりました。「もうくえん。」と思うけれどうまそうだからどんどん食べてしまいます。そして、ゲボが出るくらい食べて、「もうげんかい」と思ってかえりました。
「もういちごを一か月、いや一年に食べるりょうぐらい食べたんじゃないかな」と思いました。
かえるとちゅう、いちごがしょうかされる音がしました。
これはうちの次男のある日の日記。
アクアロマンというのは中川村にあるいちごのハウスで、シーズン中はそこそこいい値段がしますが、六月になると、たったの500円で食べ放題になるというところなのです。しかも水耕栽培で、土もついていないし、食べごろの高い位置にいちごがなっているので食べるのも楽チンなのです。
我が家は六月某日お腹を空かして、昼食として出かけていきました。
当日の様子は次男の日記のとおり。甘い甘いいちごが食べ放題です。大きさも平均長8pほどで、小食の人なら五個も食べれば満腹してしまうほどのもの。もちろん我が家の欠食児童は食べに食べまくります。
まずは目に付く範囲の中から、一番赤いものを採って食べます。そのうちただ赤いだけでは甘くないことが分かってきます。いろいろ試すうちに甘いいちごの形と色が判明し、それを狙って食べまくります。このあたりでうまさの満足期がきます。うまいのは当たり前。そこで、次は大きないちごを求めていきます。長さだけでなく、幅広さや厚みも重要ですし、大きくてさらに甘いのはポイントも高くなります。
このあたりでかなり満腹してきてつらくなります。次男などは採った大物をキープして持ち歩いたりします。結果つぶれてしまい味は落ちるのですが、キープしたい気持ちはよくわかります。こうなると、食べるより珍しいの(形の変わったの)を探すことに熱心になってきます。
悩むのはここから。形は普通だけど、すごく大きくて甘そうなのを見つけたら大変。そのいちごが入るかお腹のすき間と相談です。入るとなるとみんなに見せびらかしてパク!入りそうにないなら、とりあえず採って間をおいてパク!どうしても入らないときは、やっぱり採って無理やりパク!だって本当においしいんだもん。
第89話『愛・地球博』
2005.7/23掲載
土曜参観の振替休日の月曜日。子供たちを連れて、母さんは置いて行ってきました『愛・地球博』。月曜は平日の中では混むほうだとは聞きましたが、まさか休日ほどということはあるまいと…。ところが行ってビックリ、その日は平日過去最高の約130000人の人出。
早朝七時に家を出て、シャトルバス乗り場に着いたのが8時20分。すでに長蛇の列。バスに乗れたのが8時55分でした。道路は空いており予定通り20分で会場着、しかしまたしてもそこに長蛇の列。結局入場できたのは開場一時間後の10時でした。当日予約、午前の整理券配布、すべて終わってました。
並ぶしかありません。この日は週間天気予報を大きく裏切る30度超の真夏の気候。広い場内を歩くだけで脱水状態。目的のパビリオンはとりあえずおいといて、すぐ入れる涼しいところを探します。
ここでこの日、数少ない僥倖、『マンモス館25分』の情報が!
これはラッキー!急いで駆けつけマンモスゲット!よかったよかったと喜びましたが、マンモス館は動く歩道、わずか2分ほどで自動的に追い出されてしまいました。熱波に追い出された我等は、「人気の企業館は夜に期待して、各国館をまわろう」と決めました。
作戦としてはよかったのでしょうが、この日はなんといっても130000人、しょぼいパビリオンでも10分ほどは並ばなくてはなりません。ジュース・アイス・カキ氷代ばかりがかさんでいきました。
涼しい風が吹き始め、午後5時過ぎにはだいぶ人も引き…ませんでした。人気の企業館はまだ200分以上の行列。HITACHIやTOYOTAが見たければ、残り時間すべてを費やすしかありません。さすがにそこまで腹はくくれませんでした。『8時30分までに並べば入場可』の看板を信じ他のパビリオンへ。
電力館とJAMAは、なんとか行列に耐え入場。そして8時、満を持していざHITACHIへ!
「今日の入場は締め切らせていただきました。」
いくらかわいいお姉さんでも許せない答えが…。8時30分までって書いてあったじゃんと言っても「今日の入場は締め切らせていただきました。」の一点張り。もしやあれはお姉さんではなく、話題の高性能ロボットか?と疑いながら開いているパビリオンを探します。
大地の塔が可能らしいとの情報で、早速ダッシュ!そして我等が並んだ途端「本日の入場ここまでです。」
床に寝転び、巨大万華鏡を見上げ「最後に入れてよかったなぁ」とのんびりしていたら、一日中走り回り疲れ果てた次男が半分眠っています。こいつを背負って帰るのは大変、とたたき起こして家路に着きました。
はぁ、本当に疲れました…。
第90話『パフェ』
2005.7/31掲載
おひるごはんのあとにジャンボパフェを食べました。フルーツパフェとチョコパフェがあって、おかあさんは「チョコパフェがいい」と言いましたが、それ以外の人はフルーツパフェがよかったのでジャンボフルーツパフェにしました。ちゅうもんしてぼくは「どのくらい大きいの?」とおとうさんに聞きました。高さは50cmあり、おもさは2.5kgもありました。
出てきたジャンボパフェはそうぞうしていたよりも大きかったです。
食べおわるころにはおなかがつめたくなっていました。おかあさんだけはひかえめに食べていました。
ジャンボパフェはふつうのパフェの六ぱいぶんもあって、食べる前は「六ぱいぶんもあるけどぜんぶ食べられるかな」と思いましたがぜんぶ食べられました。
これもある日の次男の日記です。ここにあるジャンボパフェは、飯田市内にある某レストランのメニューで、大きさ、量は次男の日記にあるとおり。百聞は一見にしかずと言いますがまさにそのとおり。いくら大きいと言葉で聞いていても、実際に運ばれてきたパフェを見ると想像を絶するものがあります。
さて、ジャンボパフェができあがって、運ばれてくるのは見ていなくても分かります。厨房から出てきたパフェを見た他のお客さんから「おぉ!」とか「おっきー」とかの歓声があちらこちらから上がるからです。ウエイトレスさんを見るとトレイなどには乗せずに、両手でしっかりと支え持ってきます。それでも重いのか、心なしかいつもより速足で(むしろ小走り)運んできてくれました。
お客さんの視線が、パフェからそれを支えるウエイトレスさんを経て、ジャンボパフェを注文した人の顔に注がれるのは当然のこと。さすがにこの瞬間は恥ずかしい。あきれたようなばかにしたような、それでいてうらやましそうな視線や、子供の憧れの視線が痛いほど。
早速長〜いスプーンを使って食べはじめました。
フルーツたっぷり、クリームたっぷり、アイスもたっぷり。さすがに六杯分というのは多い。掘れども掘れどもなかなか底に行きつきません。途中のシリアルゾーンや、ゼリーエリアもがんばって食べ進んでいきますが、次男の日記どおり母さんが手を抜いていますから大変です。味はどこまでいってもおいしくて大満足なのですが、食後のデザートというのに無理があったか限界が近づいてきます。最初からお昼ごはんにするつもりで食べればよかった…。
ふと視線をあげてみると、周りのお客さんがこちらを見ています。「本当にあんなの食べきれるのかしら?」という視線です。くそう負けてたまるか!バクバクバクバク…完食!うまかった。
第91話『遠州の彼方に 第一章』
2005.8/23掲載
長男の夏休みの一研究といえば、もう『歩数調べ』に決まっています(第32話参照)。昨年の夏休みに駒ヶ根飯田間を踏破し、今年はいよいよ県外へ飛び出します。
しかし徒歩で県外まで行っていては何日かかるか分かったものではありません。そこで今年のニューカマー、自転車!昨秋、今回に備えて新車を購入し、トレーニングを積んできました。飯田まで何回も走り、運転技術と運転マナーをしっかりと身につけさせました(実はまだだいぶ怪しい)。
そして、今年の目的地は『海』。天竜川に沿ってどんどん下っていき、遠州灘にゴールしようという計画。松川付近から遠州灘まで何漕ぎで到着できるかを調べます。(実際には自転車のペダルは空回りをするので、何漕ぎかを数えることはできません。タイヤの周径を測り、走行距離からタイヤが何回まわったかを調べることにしました)
ちなみに松川から天竜川河口まで、河川距離ではおよそ165qあることになっています。そこをなんとか二日間で走破する計画を立てました。基本的には500mの標高差を下っていくわけですし、一日80q、時速15キロで六時間走れば十分クリアできる計算でした。
さあ、夏休みになったらすぐに出発です。暑くなる前にできるだけ距離をかせぎたいので朝七時に起点である学校を出発です。
飯田までは何回も走った道、快調に進んでいきます。153号(及びそのわき道)をどんどん南下していきます。松尾から水神橋を渡り、県道1号に進みます。151号を進むかどうか悩んで、交通量が少ない県道1号を選んだのですが、これが大失敗。あまりないだろうと思っていた坂道の連続。初めは意地でがんばっていた長男も、次第にへばってしまい、降車して押し始めました。時速15キロはおろか、平均時速10キロをきる始末。この調子で行ったら半分進むまでに日付が変わってしまいます。
なんとかペースをあげさせなければ…。と思ってむかえた下り坂。ガッシャーン!段差に引っかかって大転倒。ひざ、ひじを大いに擦りむいて出血。あちこちにあざもできています。これでペースも気持ちも大きくダウン。それからしばらくは登りのたびに降車して押す時間が増えていきました。
それでもなんとか山を越え、温田の南宮大橋を過ぎたあたりでお昼ご飯。一時間ほどかけてゆっくりと休息と食事をとり、大好きなカツ丼を平らげ、傷の手当てをしたことで少し元気を回復したようです。さらに地図を見たところでは、もう今までのような坂道はないような感じ。
ここまでの遅れを取り戻すべく、颯爽と漕ぎ出していきますが、そのあたりは次回に続きます。
第92話『遠州の彼方に 第二章』
2005.8/30掲載
長男の夏休みの一研究といえば、もう『歩数調べ』に決まっています(前回からの続き)。
阿南県立病院の近くでお昼ご飯。ここまでで距離は46.53q。時間にして六時間以上かかっています。時速15キロで六時間走れば十分クリアできる計算でしたから大変な遅れです。このままでは本当に真夜中まで走らなくてはなりません。ここからはペースをあげてがんばります、
コースも今までのような上り坂はあまりありません。そりゃあ川沿いを走るわけですから、注ぎ込む川の谷を越えるために、上り下りを繰り返しますが、今までの山越えとはぜんぜん違います。時速15キロの快調なペースで進んでいきます。
食後一時間ほど進んだところでやっと県境。長野県から愛知県に入りました。(天竜川は静岡に流れていくと思っていましたが、実際には愛知静岡境を流れるため、県道1号を進む私たちは愛知県側をずっと走ることになります。勉強になりました。)
ここまでで距離は68.34q。さぁ、あとふたがんばり、と進み出すとこれが楽ちん。愛知県に入った途端に道がよくなり、舗装がきれいででこぼこが減り、トンネルのおかげで坂道も激減しました。ペースも大幅にアップ。時速20キロを超えて走れることも多くなり、まさに風をきって走るという感じ。しかしながらここまでの疲労の蓄積は侮れず、それ以上のペースアップはなりませんでした。
それでも三時間ほどで一日目ゴール予定102.5q地点の静岡県浜松市佐久間、(旧佐久間町中部天竜)に到着。旅館に泊まって汗を流し、ゆっくり休みました。
二日目、朝五時。あろうことか激しい雨の音で目が覚めました。嫌な予感もしましたが、出発する頃には雨もほぼ上がり、決然と漕ぎはじめました。
さて二日目は、国道152号を南下し、磐田市に入ったところから堤防道路をひたすら進むコース。アップダウンも一日目とは比較できないほど少なく、直線に近い道で進めます。
快調に進めるはずだったのですが、出発から二時間ほど走ったところで、突然の大雨!それこそ前も見えないほどの激しい降りに、仕方なく掘っ立て小屋の軒先で雨宿りを強いられました。
立ったままで待つこと45分。小降りにはなったものの体は冷え冷え、カッパを着てのリスタートになりました。が、なんと、ものの3分も走らないうちにきれいな道の駅が現れました。もう少し雨の中を我慢して走っていれば、こんなきれいでイスも食べ物もあるところで休憩できたのに…。
とっても悔しい気持ちで30分走ると雨もすっかり上がり、夏の日差しが。なんてこったい、と次回に続く。
第93話『遠州の彼方に 第三章』
2005.9/14掲載
長男の夏休みの一研究といえば、もう『歩数調べ』に決まっています(前々回からの続き)。
雨も上がっていよいよ静岡県磐田市に入ります。これであと浜松市を端まで行けば遠州灘です。残り40数q、ラストスパートに入ります。しかしどうにもペースが上がりません。130qを走り抜いた体には、だいぶ無理がかかっているのです。
まず、お尻が痛い。ずっとサドルの上でこすられて、ヒリヒリズンズン痛みます。かといってずっと立ち漕ぎするわけにいきません。我慢しかありません。次に手が痛い。手のひらから手首にかけてギチギチに痛みます。手放しで乗ることはできませんから我慢するしかありません。さらに腰も痛い。前日から10時間以上も同じ姿勢ですから、痛くなるのも当然。30分ごとに休憩しては、トントングリグリスリスリと痛みを和らげて走り続けます。
そして真夏の日差しのもと、河口の目印である掛塚灯台が見えてきました。灯台の灯りが見えると船乗りたちはほっとするといいますが、それ以上にうれしかったかもしれません。最後の力を振り絞って砂地を走り抜け、掛塚灯台に到着しました。
喜びいっぱいなのでしょうが、喜びきれないほどの疲れがあったのは写真を見ていただければ分かるでしょう。しばらく座り込んで、水をたっぷり飲んでぐったりと休みました。
総距離170.74q、実走時間11時間50分間、平均時速14.4キロ。わずか二日間の自転車の旅でしたが、長く疲れた旅程になりました。そして長男にとっては多くのことを身につけた旅になりました。
長野・愛知・静岡がつながっていることが分かりました。天竜川が大きく豊かで、日本の発展に貢献した川であることが分かりました。堆砂が環境問題に大きく関係していることが分かりました。そして自分の力で、がんばればものすごいことも成し遂げられることを知りました。
帰ってきてから模造紙にまとめを作っていましたが、そっちの方はそこそこです。でも本人が170qを走破し、汗を流したことは最上級の一研究だといっていいでしょう。
さて、今回父さんは何をしていたかといいますと、実は長男に付いてずっと並走していたのです。つまり父さんも総距離170.74qを走りきったということです。長男同様、尻・手・腰がヒリズンギチと痛んでいたのです。いや40sしかない長男の二倍のヒリズンギチに耐えたということです。
よくがんばったねぇ、と自分を褒めたいところでしたが、三日たってふとした拍子に肉離れになってしまい、日頃の運動不足を悔やむことになりました。情けない…。
第94話『忙しいかひまか島 西港』
2005.9/29掲載
夏休みは忙しい。家で子供と遊んだり、海で子供と遊んだり、山で子供と遊んだり…。
さて、今年の夏休みも、昨年に引き続き(第71話参照)日間賀島に行ってきました。二泊三日で昨年と同じ宿でじじばば同伴の六名様ご一行で行って来ました。
昨年と違うところは西港ではなく、東港から入島したことです。
日間賀島には港が三つあり(漁港は除く)、フェリーが着く北港、私たちが泊まる宿のすぐ前が西港、そして今回着いたのが西港の真裏にある東港です。
何でわざわざ宿から遠い東港に着いたかというと、昨年は楽に楽しく満喫しようという思いで、島巡りをしなかったのですが、周囲わずか5qの島なのに、島巡りしないのはもったいない。そこで今年はいろんな所を歩いてみることにしたのです。
東港は西港に比べてやや寂れた感じ。宿も小さな民宿ばかりで、西港のような土産物屋もありません。実際には西港から歩いて20分ほどなのに、本土知多半島も見えないので、すごく遠くまで来た感じがします。
でも荷物をいっぱい持って歩くのはしんどいので、到着した時は車に迎えに来てもらい宿まで送ってもらいました。
その日は宿の目の前、西浜で泳ぎます。天気はいいものの今年も風が強く、水はかなりにごった状態。海の底はあんまり見えません。底まで潜って見ると魚もたくさんいるのですが、プカプカ浮き輪で浮いている次男にはなんにも見えません。二時間ほどで浜じゅう泳ぎ回り、海水浴に飽きて、隣の磯に向かいます。
ここは昨年同様カニや貝の採り放題。次男はやっぱりカニをとりまくり、カニパラダイスを作っていました。長男もいっぱいいろんなものを採りましたが、それ以上に長男の心を惹きつけたのは石でした。きれいなポットホールのいくつも開いた石で、自然の奇跡が生んだ芸術作品のような石です。(ポットホール・うず巻のために小石が回転して岩底にできたなべ状の穴のこと。急流の場所で岩底に割れ目や穴があると、水の流れによって軟らかい部分がけずられ、できたくぼみに小石が入り込み、その小石が渦によってくぼみの中を転がって円形の穴ができる)いくつも見つけた中から特に気に入ったものを拾ってきて、これも夏休みの一研究に加えたようです。
さて、遊び疲れて宿に戻り、お風呂に入って、食事をします。お風呂と食事の素晴らしさは昨年同様。まったくリッチなリゾート気分を満喫させてくれました。
食後はやっぱり魚釣り。長男も次男もじいちゃんまでもが楽しみにしていました。しかしこの魚釣りで、今旅行中最大の大事件が起こりました。どんな大事件だったかは次回に続く。
第95話『忙しいかひまか島 東港』
2005.10/20掲載
夏休みは忙しい。家で子供と遊んだり、海で子供と遊んだり、山で子供と遊んだり…。前回からの続き。
大事件は翌朝の釣りの時に起こりました。底物釣りをしていた父さんの竿にハオコゼがかかりました。ハオコゼはひれのとげに毒があり、刺されると大変なことになります。父さんはそのことを知っていますし、子供達にもちゃんと教えました。鉤はずしの時もきれいなタオルを一本無駄にしてまで慎重に扱いました。
釣りを終えてバケツの魚を逃がす時悲劇が起こりました。普段なら釣れた魚を慈しんで一匹ずつ手で放流するのですが、今回はそうはいきません。ハオコゼに触ると危ないので、バケツをひっくり返して放流しようとしたのですが、次男は片方の手の親指がバケツの内側に少しはみだした状態で縁をにぎり、その手を下にしてひっくり返したものだからハオコゼが流れ出るときに親指にとげが引っ掛ってしまったのです。見る見る腫れ上がる親指に泣き叫ぶ次男。じいちゃんの処置が適切だったことと、深く刺さっていなかったことが幸いし、大事に至らず昼前には腫れもひきましたが、大騒ぎでした。
そんなショックもあって午前中は海で泳がず、島探検をしました。周囲5qをのんびり歩き、島の資料館や観光スポットなどを見て歩きました。島の文化や生活がよくわかってとても面白かったです。また、いつも泳いでいるのと違う東浜も、面白そうだと意見がまとまりました。そこで午後は東浜で泳ぐことにしました。
東浜へは島内巡回無料バスを使って行きます。東浜には海上アスレチックみたいなものがあり、ターザンロープを伝って海にダイビングしたり、海への飛び込みブランコがあったりします。子供たちはそこでさんざん遊びました。「海には怖いものがいるから、僕はもう海には入らない」とさっきまで騒いでいた次男も、大はしゃぎで海に飛び込んでいました。ただ東浜には磯がないので、飽きるのも早く三時間ほどで引き上げてきました。
二日目の夜は花火をしてのんびりとリゾートな夜を過ごしました。
三日目はいよいよ帰る日。時間を惜しむかのように朝から泳ぎまくります。ジャンケンレスキューという過酷な遊びまで開発し、クタクタになるまで海を堪能しました。
さぁ潔く本土に帰りましょう。でもここでもう一つやりたかったことが。それはいつもの乗合船ではなく貸切の海上タクシーを使うこと。六人いれば値段もほぼ同じ、早速お願いしました。
タクシーといっても結構大きな船。30人くらいは乗れそうです。そこに我が家だけ六人貸切で乗船、特等席の採り放題。あっちこっちといろんな景色を家族占めしました。タクシーは速い速い、高速船より先に師崎に到着しました。桟橋に降り立ったときの優越感は格別でした。あ〜、リゾート感満喫の旅行だった。
第96話『目標達成?』
2005.10/28掲載
「やった!」と家族全員が叫ぶ瞬間がやってきました。
9月29日午後8時51分。そうです、阪神タイガースペナントレース優勝の瞬間です。当然のようにクス玉が割られ、取り急ぎジュース・ビールで乾杯です。(優勝記念パーティーは翌日の夜、すき焼きやケーキで開かれました。)
家族全員というと「おや?確か母さんは?」と思われる方もいるかもしれません。もとはGのつく球団のファンだった母さんも、甲子園の興奮と、六甲おろしの洗脳で今ではすっかりタイガースファンになってしまいました。なので家中で大騒ぎになっているわけです。
タイガースの優勝といえば、21年ぶり18年ぶり、と人生的スパンで考えなくてはならないもので、四回優勝を経験すると寿命が尽きるとも言われています。そんなのを三年間で二回も体験したのですから大騒ぎも当然と言えましょう。
とはいえ、なぜか今回は多少盛り上がりが少ない気がします。十何年ぶりに優勝するのが当たり前で、あれから二年、まだ優勝しないだろうという油断が心の中にあったからでしょうか?優勝四回経験者がちょうど四十二歳の厄年でジンクスが実現する恐怖でしょうか?はたまたYGが弱すぎて勝った充実感がないからでしょうか?今年も甲子園に行ったし、メガホン・ジェット風船もやっていますが今ひとつ現実味がない感じ。あんまり強すぎるとタイガースらしくない、というのも理由でしょうか。「俺の応援のおかげで勝っとるんや!」と思い込めないのがさびしいところかもしれません。
それでも、一般人や他球団ファンから見れば大盛り上がりに違いありません。クス玉やパーティーはその証拠。翌日は親子そろってタイガースウェアを着て、HTキャップをかぶって出かけていくのもタイガースファンなら当然でしょう。早朝からコンビニをはしごして、スポーツ新聞を何紙も買い込むのも常識です。家中のBGMやカーステレオも、六甲おろしで統一するのはお約束です。遮断機のシマシマにさえ思わずガッツポーズで応えてしまうのは、もはや中毒かもしれません。
さて、家族全員でやった!と叫んだ時、一人だけ少しニュアンスの違う者がいました。それは長男。覚えていらっしゃるでしょうか長男の頭髪に関する目標を(第八十三話参照)。家系の○ゲになるのを少しでも遅らせ、次の阪神優勝までフサフサでいるという目標。長男にとってかなり切実だった目標を達成し、結構うれしかったようです。しかし根本的に解決したわけではないので、まだまだ長男の戦いは続きます。
がんばれ長男!(たぶん次男も!)がんばれ阪神タイガース!
第97話『参加型科学実験室』
2005.11/25掲載
今年も鼎文化センターで『米村でんじろうのおもしろ実験室』というものが開かれました。
テレビでお馴染みのでんじろう先生一座が、中部電力敷設地域を巡り、いろいろと科学的におもしろいことを見せてくれるものです。
我が家がこれを見に行くのは二回目で、前回の様子も第四十三話に紹介しました。今回は次男もそれなりに科学というものを理解し、科学的な興味もわいてきていますので、家族一同とっても楽しみにしていました。
当日、やはり少しでもいい席を取ろうと思い(全席自由席)開場三十分前に会場に到着しました。しかしすでに長蛇の列。入り口から延びた行列は階段をさらに上がり三階にまで達していました。正面のいい席はあきらめるしかありません。次善策として「端でもいいので、できるだけ前」を狙うことにしました。
開場と同時になだれ込み、なんとか取れたのは最右端の最前列。いろいろ機材が置いてあり、やや見にくいのですが仕方がありません。
さぁ定刻どおりにショーは始まりました。楽しく不思議な実験をしなが ら、子供たちに科学をおもしろく体験させるというおなじみのスタイル。難しい実験だけではなく、コントあり、クイズありと盛りだくさんの内容。今回のテーマは『空気の不思議』ということで、日頃はなかなか感じられない空気をいろいろな形で体感させてもらいました。
そんなショーの中で、我が家の子供たちが一番盛り上がったのはクイズ。いえ、クイズそのものではなく、解答者に指名されること。大きな声と派手なアクションでアピールしますが、なんせ満員の場内から選ばれるのは稀有なこと。当然指名されることなくショーは進んでいきました。
最後の実験は片栗粉を混ぜた水の上を走るというもの。難しい理屈は省略しますが、とにかくすばやく足踏みをすると水の上を走れるのです。
『誰にやってもらおうかな?』
最後のアピールタイムです。いっそうアピールする子供たち。すると、なんと次男が選ばれたのです。理由は、裸足にぞうり履き、ジャージの半ズボン、というすぐに実験に参加できる服装だったということでした。
少し緊張しながらステージ上で自己紹介をし、実験をする次男。見事に片栗液の上を走りきりました。
ショーの途中からでんじろう先生がちらちらと次男のほうを見ていて、不思議に思っていたのですが、あれはそういう服装の子供をチェックしていたのですね。
結果的に、前の席に座ったのが大成功。そして暑い日は、だらしない裸足・ぞうり・ジャージが正しいと科学的に証明された瞬間でした。
第98話『骨まで愛して』
2005.12/7掲載
「お父さん、枯れた枝はポキッと折れますけど、若い枝は折れても曲がるだけでばらばらにならないでしょ。そういう状態です。」
とある病院の整形外科の診察室でのある日の会話。そこにいたのはドクターと看護師さんと私と次男。なんと次男が腕の骨を折ってしまいました。
お友達と追いかけっこ中、なんと木に登って逃げようとして1m50pくらいのところから転落したようです。腕から落ちたのは幸いと言えば幸いか、右手首を強打していました。最初は両方の手が痛いと(落ちたショックも大きかったようですが)泣いていました。でもシップを貼ってしばらくしたら、泣き止んで元気を取り戻したように見えていました。しかし夜中、痛さのために何度か目を覚まし、翌朝になっても痛みがひかないので整形外科に連れて行きました。レントゲンを撮って、診察室で告げられたのが冒頭の言葉でした。
確かにドクターの言うとおり手首の骨がクキッと曲がっています。
「こういうのも骨折って言うんですか?」
「ええ。若い成長期の骨はポキッといかないんですよ。」
ということで見事に骨折という診断になりました。
ギプスで腕を固めながら「二週間はおとなしくしといてね。」というドクターに「おとなしくさせるには体じゅうを固めてくれないと無理です。」と応える父さん。「ギプスがとれるまで入浴しないでね。」という看護師さんに「えっ!お風呂入らなくていいの?」と喜ぶ次男。まことに緊迫感のない診察室でした。
それでも腕を吊って病院から出た次男はなんとなく落ち込んだ様子で、事の重大さにやっと気付いたようでした。
それから二週間の生活は大変でした。勉強や食事はもちろん、利き腕が使えないので不便極まりない。お手伝いもできないし、ギプスを濡らしてはいけないと言われたので手を洗うことすらできません。しかもけが人の特権を知ってしまった次男は、何かにつけて「○○するとちょっと痛い。」を連発し家族を混乱に陥れました。そのくせ骨折ギプスなのにおとなしくしていることはまったくありません。大変だったのは家族の方です。
二週間後、一日も早い完治を望む家族の願いがかないました。
「あぁ、もうここくっついてますから大丈夫ですね。」
「もう何やっても大丈夫ですか?」
「木から落ちるのはやめてください。」
というふうで無事完治、ギプスもとれました。
わんぱくで便利な両手を取り戻しやっと普通の生活に戻れたことを喜んでいた次男ですが、骨折中免除されていたお手伝いや仕事を再開した今、時々健康な右手を見てため息をついています。
第99話『鼠島上陸』
2005.12/20掲載
テーマパーク日本最高峰といえば、もちろん東京ディズニーリゾートでしょう。ついに我が家もディズニーリゾートにいってきました。
じいちゃんばあちゃんのスポンサー付きで、六人様ご一行、二泊三日のディズニーリゾートの旅です。
出発は塩尻。スーパーあずさでさえ子供たちにとってはすでにアトラクション。座席をひっくり返したり、車内販売で駅弁を買ったり十分に盛り上がりました。新宿駅、東京駅での乗り換えはアトラクションへのダッシュの準備運動。ゼイゼイ言うばあちゃんを置き去りにして舞浜駅に突進です。
舞浜駅はすでにディズニーワールド!サービスカウンターに荷物を預け、取るものもとりあえずディズニーランドへ入場しました。
今回、一日目と三日目をディズニーランド、二日目をゆっくりディズニーシーという計画でした。長男と母さん以外は初めてのディズニーリゾートですから、何をどう見たいかはわかりません。じいちゃんがゆっくりビールを飲めるように、こういう計画になりました。
入場ゲートをくぐるといきなり「あ!プーさんだ。あっちにはピノキオだ!」と父さんは喜びますが、他の人はアトラクションにまっしぐら。「まずはカリブの海賊だ!」と走って行ってしまいました。
父さんは、こういう所の雰囲気を存分に味わいたいほう。ディスプレイや造作を眺め、店を覗き、人波を観察し、そしてアトラクションも少し楽しめれば十分です。
でも、子供たちや母さんはそうではありません。より派手で、より激しく、よりゴージャスなアトラクションを目指して東奔西走します。父さんはともかく、じいちゃんばあちゃんには地獄の責め苦だったかもしれません。
ディズニーランドで子供&母さんが一番希望していたのは『ビッグサンダーマウンテン』。ジェットコースター系が苦手の父さんとしては、パスしたいところでしたが、まだ入場直後でハイテンションだったこともあり、同乗することにしました。子供&母さんは大喜び、父さんは限界ぎりぎりというところ。以降父さんは、ビッグサンダーマウンテンより激しいのはパス、と決まりました。
当日は結構混んでいたのですが、六人分のファストパスを駆使し、子供&母さんはアトラクションに乗りまくりました。そうこうするうち小雨が降りだし、エレクトリカルパレードが中止になるなど場内はすいてきました。ここからが本番と張り切る父さんとは裏腹に、子供&母さんが眠いとダウン。仕方なく泣く泣く閉園前にホテルに向かう父さんでした。
そしてそのリベンジを果たすべく二日目に突入しますが、次回に続く。
第100話『鼠海出航』
2006.1/19掲載
ディズニーリゾートは前回からの続き。
二日目はディズニーシー。朝一番から入場し、子供&母さんは飛ばしまくりますが、父さんはのんびりと「あと十五時間もある」と余裕。そう、この日の父さんの目標は『閉園し、ディズニーの人が帰ってくれと言うまでいる』でした。
とはいえこの日も朝からハイテンションなことには変わりなく、いろいろなアトラクションを楽しみまくります。長男イチ押しの『センターオブジアース』で父さんは死にかかり、『インディジョーンズアドベンチャー』で次男はずっと目をつぶっていて、『レイジングスピリッツ』ではさすがの母さんも絶叫し、『ストームライダー』には長男が忘れ物までしてくる騒ぎよう。ギブアップのじいちゃんばあちゃんのチケットまで使っての六人分ファストパス作戦が威力を発揮し、夕方までには希望のアトラクションをほぼ体験することができました。ビールも飲むし、ケーキも食べるし、ポップコーンの食べ比べにも挑戦できました。
子供たちは前日同様七時頃にはダウンしはじめましたが、父さんはここからが絶好調。年寄り・女・子供を先に帰し、一人で遊びまくります。
こんなところ、おっさん一人じゃ面白くないだろう、と思われる方もいらっしゃるでしょうが、それを存分に楽しめるところが父さんのすごいところ。子供たちがバカにして乗らなかったアトラクションを体験しまくり、土産物屋を片っ端からのぞき見て、レストランで夜食としゃれ込む。『ブラヴィッシーモ』で感動し、園内がすきはじめると昼間楽しかったアトラクションに再度挑戦。短くなったスタンドの行列に並んで餃子ドックを食べたりと、まあ、なんと濃密な時間だったでしょう。この時間を体験しない人は、ディズニーリゾートを半分しか体験しないのと同じようなものだと思いました。
瞬くように時は過ぎ、いよいよ十時。閉園時間になります。アトラクションには何分前まで乗れるんだろうと、わざと入場口で待っていてお姉さんの反応を見ていたら、どうやら十時までに並んだ人は乗れるらしい。ぎりぎり3秒前に列に並び、十時過ぎのアトラクションを楽しみました。
目標どおり『帰ってください』と言われてホテルに戻ると十一時半頃。当然みんなは寝てました。
最終日は半日だけ。一日目にやり残したところを回ります。走って並んで絶叫して、ディズニーランドも満喫できました。
さて、今回のディズニーリゾートで一番印象に残ったのは、ディズニースタッフのサービス精神の旺盛さ。あそこまで徹底すると見事なもんだ、と感心しきり。見習うべき人がここにもあそこにも、と反省しながら家路につきました。