『遥北通信』139号(H6.1.1)

京都市西京区竹林公園の石造物群

高木英夫

 竹林公園は洛西ニュータウン域内の東部にある。ニュータウンの造成にあたり、伐採されたこの地の名物竹林の一部を保存して公園としたもので、約20種類、数10万本におよぶ竹・笹を主体とし、池泉回遊式の庭園としている。池に架かる百々橋はもと西陣の寺之内小川に架っていた石造橋で、応仁の乱には山名・細川の両軍が、この橋を隔てて激戦を交わしたという由緒ある橋である。

 石造物群は竹林を背景にした園内の一画にあって、石仏をはじめ石碑・石塔・石製器具・建材など361点におよぶ。中でも石仏は216体ともっとも多く、阿弥陀座像や地蔵座像などである。いずれも花崗岩製で高さ1b前後の小さなものであるが、顔は稚拙に富み、親しみを感じさせるのは室町時代の特徴であろう。

 石碑は供養塔や道標など26個。石塔は五輪塔や層塔・石灯篭など56個。他に石製ひき臼、礎石、台座、手水鉢などが含まれている。

 これらの石造物は昭和50年2月から同53年2月にかけての地下鉄烏丸線建設工事のとき、旧二条城跡から出土したものである。旧二条城は永禄12年(1569)織田信長が足利十五代将軍義昭のためにその居城として造営したもので、南北約390b(烏丸通出水・丸太町間)の規模の城であった。その石垣には石仏や供養碑など、多くの石造物が用いられた。当時日本に来ていたキリスト教の宣教師ルイス・フロイスの著わした『日本史』によれば、信長は多数の石像を倒し、首に縄をつけて工事場に引かしめるのをみた市民たちは驚嘆と恐怖を覚えたとしるしている。

 これらの石像物は石像美術の対象とするほどではないが、当時の庶民信仰をうかがう上では貴重な遺物である。

 なお、平成5年6月16日に京都府埋蔵文化財調査研究センターは、京都市上京区下立売通新町東入ルの京都府警本部敷地内で織田信長が築いた旧二条城か豊臣秀吉の時代の大名屋敷に設けられたとみられる安土桃山時代の掘跡が見つかったと発表した。ここは先にも述べた烏丸線の建設現場の近くであり、ここでも20体以上の石仏や墓石が発掘されており、同様のものと思われる。
参考文献
『京の石像美術めぐり』・・・・・竹村俊則、加登藤信著
京都新聞社 「京都新聞」 1993年 6月17日朝刊