出版物情報


更新日/98/09/09
1  『民俗と地域社会』福澤昭司著・岩田書院
2  『続山裾筆記』 松村義也著・信教出版
3  『民俗都市の人びと』 倉石忠彦著・吉川弘文館
4  『日本民俗誌集成』第9巻 倉石忠彦・高桑守史・福田アジオ・宮本袈裟雄編・三一書房
5  『山の動物民俗記』 長沢武著・ほおずき書籍
6  『柳田国男と女性観』 倉石あつ子著・三一書房




  1. 『民俗と地域社会』 福澤昭司著・岩田書院
    1998.6月刊行・A5判・302ページ・上製本・函入・5900円(税別)
    岩田書院新刊ニュースNO.118より

    大学奥深く秘蔵されて黴の生えた感のある「民俗学」を白日の下に引き出し、地域からの再構築を図る、という著者年来の願いに基づいて執筆された論考を集大成したのが本書である。
    ややもすると方法論とフィールドワークが乖離し、あるいはどちらかに偏りがちな民俗学の研究状況にあって、地域にこだわりつつ方法論にも目を配った本書は、今後の研究はもちろん、調査する者の在り方について、新たな指針を与えてくれるに違いない。

    【主要目次】
    第1編 地域研究の視点
    第1章 地域研究の歴史
    長野県における「郷土」研究のあゆみ/向山雅重の地域研究/民俗誌のゆくえ
    第2章 地域研究の視点
    地域研究の視点−天竜村坂部によせて−/この地域からの民俗学を−夏季調査の意味−/民俗学と学校教育
    第2編 地域研究の実際
    序章 地域分析の方法
    第1章 地域研究の統合
    儀礼的盗み/マチとサトとヤマ−松本市を事例として−/鳶のいたマチ/背負具にみる長野県の地域性
    第2章 異なる事例の一致
    病と他界−長野県内の麦粒種の治療方法の考察から−/両墓制と他界観/長野県南佐久郡臼田町清川の両墓制−葬送儀礼からの解読−
    第3章 地域社会の深層
    伝説と史実と/タイシコーの盗みと殺し/ヤミ/異界へのいざない

    福澤氏は、長野県にあって中央の民俗学を超えようという、強い意志と行動を持論としてきた。
    そのこころは、長野県にいる多くの民俗学研究者の心を動かしたともいえる。松本市丸の内中学の教諭という肩書きを、けっしておろそかにすることなく、現実の教育の世界から逃れることなく、「この地からの民俗学を」と提唱する心意気は、長野県民俗の会の活動にも影響を与えており、以後の氏の活動を期待せずにはいられない。

  2. 『続山裾筆記』 松村義也著・信教出版
    1998.1月刊行・B6判・265ページ・1200円(税別)
    長野県史編纂委員のほか、長野県民俗の会の代表委員も努めた松村氏は、民俗学者向山雅重氏の後継者といわれたが、松村氏自身の民俗学への独自性もあって、民俗学研究分野において期待が大きかった。しかし、氏は平成7年に逝去された。
    この本は、氏の意志を継がれた奥様(松村弘子氏)の手によって続編として出版された。
    松村義也氏の知識の深さは、長野県民俗の会の活動のなかでもよく知られており、そうした背景のうえに氏の研究が成り立っていた。裏を返せば、認識の低い民俗学研究者への無意識のうちの提言がなされていたわけである。
    本書の構成は、
    山裾
    きなこむすび
    送り盆
    麦踏み
    田打ち花
    かごろじ
    子どもの賭けごと遊び
    同郷人の民俗学−松村義也氏の方法−(倉石忠彦)
    あとがき(松村弘子)
    である。『駒ヶ根日報』に発表された「山裾」を中心に構成された内容は、とても身近なことに触れており、興味深い。


  3. 『民俗都市の人びと』 倉石忠彦著・吉川弘文館
    1997.6月刊行・B6判・203ページ・1700円(税別)
    『長野県民俗の会通信』140号(1997.7.1)における福澤昭司氏の書評より
    今から40年も昔のことである。松本市近郊の村から、石ころだらけの道を父親の自転車に乗せてもらって、年に何回か松本のマチに連れてきてもらうことが、私の大きな楽しみであった。松本には常設の露天(おかしな表現ではあるが)が並んだ、縄手通という場所がある。後の母親の話によれば、父親に連れられて、その縄手へ行った私は「父ちゃん、ここは今日お祭りかい」と聞いたという。店が建ち並ぶ場所は、祭りとしか思えなかったのだろう。我ながら、よく言い当てたものである。また、私の村からは、松本の町の明かりをよく見渡すことができた。あの明かりの下では、どんな華やかな暮らしがあるのだろうと、子供ながらに、いやむしろマチの暮らしの実態を知らない子供だからこそ、空想を働かせて眺めたものである。そんなマチの明かりが一層きらびやかに見えたのは、恵比寿講の晩である。恵比寿講には、花火が上がった。その花火の下にマチの明かりがあった。村ではエベスコといったその晩「今日はエベスコだで、イッペ飲むか」と父親がいい、小雪の舞う晩に徳利を下げて払は酒を買いに行った。その酒屋は在日朝鮮人の人がやっている、密造酒を売る店だった。この記憶が鮮明なのは 、酒を買いに行くというのがめったにない経験だったということもあるが、それからしばらくして誰かの密告により、密造酒を作っていたその家族が突然いなくなってしまったことが、幼い自分にとってかなりショックだったためと思われる。花火の下での華やかな売出しのマチと、密造酒を買いにいくムラ。同じ恵比寿講の晩のことである。

    のっけから個人的経験を述べてしまったが、ここで取り上げようとする倉石忠彦氏の著書『民俗都市の入びと』は、マチどころではないもっと規模の大きな都市を、民俗学の俎上に乗せようとする、主として方法論の吟味なのである。都市の民俗については、一時「都市民俗学」なる言葉が生まれ、従来の民俗学とは異なる学問の誕生を錯覚させるようなこともあったが、都市の民俗も大きな民俗の一部をなすものであるという認識が定着し、それは死語となっている。ならば、本書でいうところの「民俗都市」とは何か。著者は「都市的文化もやはり日本の文化の一つであるとしたら、そこには時代を超えて伝承され、伝えられた文化の影響はあるはず」であり、それを見いだして「都市における伝承文化を発見」し、見いだされた伝承文化によって再構成された都市を「民俗都市」と名付けるのだという。つまり、都市の中に伝承性をみようというのである。してみれば、都市の文化に伝承性なるものが果たしてあるのか、また都市の文化と村落の文化とがそもそもどのような関係にあるのかが問われなければならないだろう。これについて著者は都市にも「伝承された文化の影響はあるはずだ」と仮定することから始め て、都市生活者の感性を民俗的にすくい取ろうと論を進めるのである。

    話をもう一度私の個人的体験に戻そう。私は数は少ないが、マチの調査も幾つか経験した。ムラの調査では自分の経験と重ねながら共感的な聞き取りができるのだが、マチでいつも白米を食べ、魚を食ベない日はなかった。店をしまった後は決まって料亭へ飲みに行き、芸者をあげたものである、などという話を聞かせてもらうと、同時期のムラの暮らしを知っているだけに、やりきれない思いになってしまうのである。そして、マチはどっか違うのだ、こんなにも生活程度が違っていいものか。マチの人間は裕福な分だけ、欠けている面があるはずだ、と思いたくて仕方ないのである。

    都市と田舎と言ったとき、われわれはどんなイメージをいだくだろう。都市社会学者のクロード・S・フィッシャーは『都市的体験』(未来社1996)において、アメリカ合衆国を題材として様々な統計資料を用いてその対比を試みている。アメリカで都市と田舎は、田舎・都市=正義・健全・道徳的:罪・腐敗・混乱と対比され、田舎の生活を都市の生活よりも上位にイメージしているという。これを我々に引きつけていうならば、都市のよそよそしさと田舎の温かさ、或いは都市の無秩序と田舎の秩序といってもよいだろうか。フィッシャーは、こうした通俗的な見方をまず提出しておいて、統計資料によりことごとくそうした偏見ともいえる見方をひっくり返してみせる。都市に住む人も、農村に住む人もその心理・パーソナリティー・行動に違いはなく、環境に適応して行動しているにすぎないというのである。

    この都市社会学者の見解は、アメリカ社会を題材にしているとはいえ、民俗都市の前提とした都市に住もうが農村に住もうが、人は伝承という尾をひきずって暮らしているのだという前提を確かなものとしている。

    さて、ではそれをどう証明するかということになる。本書は「都市と民俗学」「都市への視線」「都市の空間」「民俗都市の時間」「離郷者の群れ」「都市民俗誌の作成に向けて」の六章から構成されている。これをやや乱暴に整理するなら、民俗都市を定義した上で都市への視点を整理し、空間的・時間的に都市を考察したものである。「離郷者の群れ」はやや異質であり、都市人にとっての故郷論であり、最後の「都市民俗誌の作成に向けて」はまだ見ぬ都市民俗誌への恋文のようなものといえるだろう。

    いずれも著者年来の・主張を整理発展させたもので、一般の読者が読んでも十分理解できる平易な文体で述べられている。ただ、通読して一つ新しい方法として意識的に用いていると思われるのが、童謡や流行歌の歌詞をその時代の人々の心性を代弁したものとして多用している点である。歌詞はある個人の創作に過ぎないものであるが、その歌が広く大衆に受け入れられた時には、大衆の気分を代弁したものだといえるだろう。それは、伝播者がいることがはっきりしている昔話や伝説であっても、伝播者が歩いたルートの全てに受け入れられたわけではないことと似ている。昔話を受け入れる母体はムラであったのに対し、流行歌は日本という範囲だということである。ただ、流行歌の場合、歌詞ばかりでなく曲とマッチするかどうか、極端にいえばメロディーで受け入れられて、歌詞はおまけということもあるので、方法的に吟味が必要だと思われる。

    本書は吉川弘文館から創刊された、歴史文化ライブラリーの一冊として刊行されたものだが、最後にその「刊行のことば」に触れておきたい。書誌紹介に出版社の刊行の言葉を取り上げるのはおかしいともいえるが、その志の高さが強く胸を打つのである。そこではまず、現在の社会風潮は「先人が築いてきた歴史や文化に学ぶ余裕もなく、いまだ明るい人類の将来が展望できていない」ととらえ、「マスメディアが発達した高度情報社会といわれますが、私どもはあくまでも活字を、主体とした出版こそ、ものの本質を考える基礎と信じ、本叢書をとおして社会に訴えてまいりたい」と結んでいる。全く同感であり、この叢書が広く社会に受け入れられ、時代の気分を真摯な方向へと創り出してくれることを願ってやまない。

    倉石忠彦氏は長野市生まれ。現在国学院大学教授。長野県民俗の会草創期において、現在の会の基盤をつくられた。
    著書には、『道祖神信仰論』(名著出版)、『都市民俗論序説』(国書刊行会)などがある。

  4. 『日本民俗誌集成』第9巻 倉石忠彦・高桑守史・福田アジオ・宮本袈裟雄編・三一書房
    1996.6月刊行・B5判・632ページ・23000円(税別)
    『長野県民俗の会通信』135号(1996.9.1)における巻山圭一氏の書評より
     『日本民俗誌集成』の第9巻長野県編が、中部編(2)として三一書房からこのたび公刊された。現在長野県民俗の会代表委員も務める福澤昭司氏が、この巻の編集委員を担当している。

    三一書房は、頃合いを同じくして、『日本民俗調査報告書集成』の刊行も進めており、こちらの長野県編も、民俗の会元代表委員の田口光一氏担当による編集である。この『報告書集成』は、多くは文化庁の指導のもとに各教育委員会等が主体となって編集・発行した報告書類の復刻版である。こちらがいわば「お上」の手による、行政がらみの公的な刊行物を集大成したものであるのに対し、今回とりあげる「民俗誌集成」のほうは、地域に根づいた生活者自身の手による、内発的とでもいうべき民俗誌にスポットをあてようとしており、編集発行者側の、両シリーズに対する、対照的な編集意図を読み取ることができる。

    長野県内の地域の生活者による民俗誌を選定して収録した本書の構成は、次のようになっている。

    序 「日本民俗誌集成」編集委員会
    第九巻 中部編(2)
    序 倉石忠彦
     小布施百話・・・・小布施町郷土史の会
     村の歳時記・・・・今井久雄
     尋常三年生の試みたる村の調べ・・・・竹内利美
     実録・仙人の村・・・・横山篤実
     語り継ぎ神宮寺の民俗・・・・同刊行委員会
     入野谷小記・・・・向山雅重
     解題・・・・福澤昭司
     解説 〔民俗誌論〕
     民俗誌論のゆくえ・・・・福澤昭司
     民俗誌文献目録・・・・福澤昭司

    本書に収載されている『小布施百話』から『入野谷小記』までの六つの民俗誌の資料的価値や、ここに選定されている意義などについては、すでに編者福澤昭司氏の「解題」にこと細かに述べられており、評者があえてそのことに言及することはこの書評の目的とするところではないし、評者の力量を大きく超えてしまうことになるだろう。ここでは、これらの民俗誌を手にしての感想をいくつか述べるにとどめたい気もするが、編者福澤昭司氏の「解題」を読むかぎり、収録する民俗誌の選定にあたっては、次の三つぐらいの基準や視点があったであろうことが察せられる。

    一つ目は、これは言うまでもないことなのだが、編者が優れた民俗誌であると査定する場合の前提条件として、そこには地域人の地域への思いや、自分の郷土・郷土人への愛情がなければならないという点である。地域人によって調査され、編集され、発行された刊行物を集成するということが編集の趣旨なのだから、このことは至極当然といえば当然のことなのだが、この地域への思いや郷土への愛ということは、「同郷人の民俗学」という言葉で集約されるべき、優れた民俗誌の前提条件である。

    二つ目は、特定の個人による職人芸的な民俗誌の記述もさることながら、みんなで自分たちの足下を見つめ直すという共同郷土研究を、意義深いこととして価値を認めているという点である。本書に収められている民俗誌のなかでは、『小布施百話』と『語り継ぎ神宮寺の民俗』とがこれにあたる。編者はこのことを「文化運動」という言葉で表現し、高く評価しているのである。

    三つ目は、自らの郷土に無限の愛惜を感じつつも、その郷土を客観視することに成功しているかどうか、という点である。「内なる眼」であっても、どこかに「冷めた視線」を保持していなくてはならないということである。『村の歳時記』の淡々とした筆致、「そこに生きる人々に寄り添ってい」ながらある面で「乾いて突き放している」横山篤実氏の視線、「我田引水の郷土自慢」に終わらない『語り継ぎ神宮寺の民俗』の内容、いずれもこれに該当することである。「子供達をして(中略)その生活環境を観察させ(中略)彼等が学校を卒へて村の成員となった後も、彼等の生活を正しく観、正しく批判する能力と態度を自得」させることを目的とした『尋常三年生の試みたる村の調べ』については、このことは言うに及ばない。民俗事象のなかから神の姿を消そうとする向山雅重氏の手法(1)もまた同様である。

    さらに、本書では「解題」のほかに「解説」を付し、「民俗誌論のゆくへ」と題して、編者福澤昭司氏が「自分もその渦中にあるべき問題」ととらえつつ民俗誌論を展開している。その構成は次のとおりである。

    はじめに
    1.民俗誌とは何か
    民俗誌とは
    民俗誌作成の目的
    調査・執筆の担い手
    2.長野県の民俗学と民俗誌
    池上隆祐の『郷土』 
    郷土研究は根付いたか
    雑誌『蕗原』の志
    3.民俗誌のゆくえ
    民俗誌と民俗誌論
    地域で地域を研究すること
    アマチュアであること
    おわりに
      第一項「民俗誌とは何か」では、民俗誌を、「ある地域の調査に基づき調査者自身がそこでの生活のあるまとまりを記録したもの」と定義しつつ、「調査する側に見ようとする意思があってすくいあげられたものだけが、『民俗』と命名された」点に言及する。「調査する者の意識対象との間に生ずる差異こそが、生活の中から『民俗』を立ち上がらせるといえる(傍線評者)」とし、その点では、同郷人が調査をする場合、「同郷人だからこそ、当たり前すぎて知りえない心理の方が多くはないだろうか」と述べ、同郷人のかかえるハンデを指摘する。そのうえで、郷土人による郷土調査の場合には、調査者の意識としての「内なる郷土」と、調査する対象としての「現実の郷土」とのズレ(すなわち差異)によって、日常が民俗として認識されうる、と述べた筆者の指摘には鋭いものがある。

    評者が思うに、自分の経験からしても、現実の郷土を調査していくうちに、幻想として抱いていた内なる郷土像がもろくも瓦解していくというケースが多いようだ。「自己内省の学」としての民俗学である以上、それもやむをえないことなのかもしれないが、よほどマゾヒスティックな人でないかぎり、多くの人にとってそれだけでは民俗学の魅力が半減してしまう。民俗調査をおこなうことによって、自分の生活様式に新たな説明を与えたり、ふだんの暮らしのなにげない動作のなかに今まで気づかずにいた意味を再認識したり、もう一つのアイデンティティーを発見したりといったことが、斯学の醍醐味なのではなかろうかと思う。

    第二項「長野県の民俗学と民俗誌」では、雑誌『郷土』創刊当時の、池上隆祐氏による「郷土にあって郷土を研究する」志はあまりよく理解されず、柳田囲男の期待した「郷土にあって日本を研究する」研究者も育たなかったという現実に触れる。とくに、長田尚夫氏や竹内利美氏らの発言を引きながら、雑誌『蕗原』に結集した人たちは、伝説や昔話中心の柳田や折口信夫の関心にあきたらず、社会経済史的領域に傾斜していったことを説明している。「眼前の子どもたちの窮乏」情況や「個々の村」を捨象してしまった当時の民俗学と、長野県の教員たちとのあいだに、どうしようもない料簡の齟齬をきたしてしまっていたという。

    どちらの味方をするかは別として、郷土の子どもの現実に真正面から向き合いたいと思う長野県の教員と、もう少し余裕をもった見方で高踏的に地域を見つめたい(地域が資料採しの場に過ぎなかったとしても)とする柳田や折口との対立の構図は、もっと注目されてよいことだと思う。現在では柳田や折口ほどの巨人はいないから中央と地方をめぐる情況も変わってきているが、現在の長野県の教育現場を見回してみても、『蕗原』当時の長野県の教員気質は今も連綿と続いているように感じられてしまう。最近、室賀敦朗氏が迢空折口信夫のおもしろい歌を紹介している(2)。有名な歌なのかもしれないが、評者はこの室賀氏の記事を読むまで知らなかった。
    まれまれはここにつどひていにしへのあた らし人のごとくはらばへ

    山本健吉氏の 『句歌歳時記』夏の部の解説によると、この歌は「物臭太郎のように、たまにはじだらくに怠けよと、信濃の熱心な教育者たちに呼びかけた歌」だそうで、これはその室賀敦朗氏の文章からの孫引である。これを読むと、物臭太郎の研究などに意義を見出そうとしなかった長野県の教員たちに対する折口の嘆息が聞こえてくるような気がする。折口の眼には、長野県の教員たちの姿勢が、あまりにも直截的に真摯であり過ぎるように映ったのではなかったか。 

    第三項「民俗誌のゆくえ」においては、地域で地域を研究しようとする者は、「生身の他者と対峙しつつその総体をうけとめ」、「総体としての暮らしの記述」を目指さなければならないとし、「ある地域にこだわり続けて何度でも民俗誌を著していくという方法」を提案している。そして、現在の民俗学の低迷を救えるのは、「地方のアマチュアだけである」と言い切っている(3)。 

    ここでいう「ある地域にこだわり続けて何度でも民俗誌を著していくという方法」について、筆者は別の稿で「特定のムラにこだわり続けて普遍性にまで到達した民俗学の成果を私はまだ知らない」とし、この解説の註記にもあるとおり、ある一つの地域にこだわりつつ普遍に到達する道を啓いた例として『熊谷元一写真全集』を挙げる(4)。そして、こういった提案や指摘を踏まえつつ、「おわりに」の結びで述べられる「粘り強く地域にこだわっていきたい」という筆者自身の強い意思表明は胸を打つ。

    この解説で述べられたことは、今まで筆者がほうぼうに書いてきた一連の主張の集大成といった感が強いが、もう何年か前のことになるけれども、実はこういう福澤氏の論調に、大月隆寛氏が反論している(5)。これは学史に残る大論争に発展するかと目されたが、福澤氏は論を張るより実践で示すしかないとして、あえて鉾をおさめることを選択したように見受けられた。

    いずれにせよ本書は、民俗学を学ぶ者にとって、その資料的価値もさることながら、資料記述のありかたについて教えてくれる貴重な一冊であり、その解説も、これからの郷土研究を考えるうえで優れた指針となる論稿であるといえよう。

    1.このことについては、拙稿「神不在の現実を見る−向山雅重先生に学ぶ−」(『長野県民俗の会通信』108− 1992)でも触れたことがある。
    2.室賀敦朗「ずくなし物くさ太郎」(『信州の旅」97− 1996)
    3.筆者は別の稿で、「私たちは、もう一度民俗学が立ち上がってきたころの初心に戻り、先輩も後輩もプロパーもアマチュアも関係なく、同じフィールドを前にして民俗学を求めるという一点だけを共通の基盤とし、この地から、このフィールドから新しい民俗学を再興していきたい」と述べている(福澤昭司「夏季調査の意義−この地からの民俗学を−」『長野県民俗の会通信』129−1995)。
    4.福澤昭司「書誌紹介『熊谷元一写真全集』第一巻〜第四巻」(『長野県民俗の会通信』124 1994)
    5.大月隆寛「『地方」に安住したままの『幻視者』へ−福澤昭司氏への手紙−(1)〜 (4)」(「長野県民俗の会通信』84〜87− 1988)

  5. 『山の動物民俗記』 長沢武著・ほおずき書籍
    1996.6月刊行・B6判・249ページ・1553円(税別)
    『長野県民俗の会通信』135号(1996.9.1)における福澤昭司氏の書評より

    本書は会員の長沢武氏が、長年の山村における調査をベースとして歴史資料なども加え、主として動物と人間との関わりについて述べたものである。その主な項目は以下のとおりである。

    1夜行性の臆病者 ノウサギ
    2今は幻、怖さの象徴 オオカミ
    3 将軍家へ毎年献上の ″妻恋鳥″ キジ
    4 子連れの葉隠れ忍者 ヤマドリ
    5 大空の王者、名狩人 タカ

    著者の前書きによればここに取り上げたどの動物も「ここ100年の間に大変少なくな」り、「昔は山村の人たちの暮らしの一部の中にあった」 が、「今ではほとんど姿を見なくなってしま」ったものだという。

    本書のすばらしい点は、著者自身が山村にあって身近にこうした動物と接し、豊富な調査資料が実感に裏付けられて記述されていることにある。たとえばキジ。「ケンケーン!高く澄んだ大きな鳴き声です。それも私の寝所から30メートルほどの距離の草むらからです。雄キジの鳴き声です。私の家は国道148 号から30メートルほど入った所にあり、周囲には100戸ほどの家と畑、その外は植林した山に続く集落です」とあり、キジの声を聞きながらキジについて書かれていることがわかる。

    私自身は、中でもオオカミについて興味深く読ませていただいた。私の調査経験からは、狼は送り狼など口頭伝承の世界にいる物で現実味は薄かったのだが、本書から狼害がいかにすさまじいものであったかが知れる。馬などの家畜が害されるばかりでなく、10数歳の子どもが多く食い殺されていることを知った。思うに、それくらいの年頃は家の近所の遊びを離れ、自由に野山を遊び始めるころで、狼の恐ろしさを聞いてはいても実際の危機管理には無防備だったということだろう。

    それにしても「送り狼」や狼の「産養い」だとかは、実際にあったものだろうか。県史民俗編総説Tにも次のような話がある。

    ムラ尻にはおおかみが昔はいて、ムラから出入りする人をおおかみが送り迎えをしていた時代があった。そのおおかみを、送り犬っていっていた。

     波田から実家に帰ろうとするうちのばあ さまを、山形の境まで送っていったそうだ。帰ってくるときも、遅くなるときは知ってて迎えに行き、うちまで送ってくれたという。そのお礼に、あわや何かで作ったぼた餅、おはぎを重箱に入れ、ふるしきにくるんで表に置いときゃ、それを食べて、そして、どうやって縛ったか、元通りきちんと 縛って置いていったって。
    著者も述べるように肉食の狼がぼたもちなどを食べるわけはない。狼を神として祀りあげざるを得なかった人々の創作なのだろうか。

  6. 『柳田国男と女性観』 倉石あつ子著・三一書房
    1995.10月刊行・A5判・234ページ・2200円(税別)
    『長野県民俗の会通信』133号(1996.5.1)における、中村ひろ子氏の書評より
    民俗学における女性研究が他分野に先駆けて進められ、女性の力に高い評価を与えてきたことについては、周辺分野からも「民俗学は既存の学問では例外的といっていいほど、対象としても担い手としても、女性を視野にいれてきた学問でした」(l)「日本における女性学の先駆者たる柳田国男」(2)など高い評価を得ており、民俗学内ではなおのこと当然の了解事項となってきたのではなかろうか。しかし、1970年代以降さまざまな領域で女性研究が進められ、友性の視点から従来の研究成果を見直す動きが大きな流れとなる中、民俗学にあってはその動きにほとんど反応することなく、いわば安眠をむさぼっていたのではなかろうか。その状況に「このままでよいのか」との疑問を投げ掛けたのが著者であり、本書はその問題提起を中心に1986 年から91年までに書かれた論考および報告を再録した著者初の著書である。

    全体の構成は次の通りである。
    女性と民俗学−序にかえて−
    第一章主婦と主婦権
    第二章柳田国男の主婦観
    第一節主婦の概念
    第二節主婦論の形成過程
    第三節主婦論の視点と課題

    第三章マチを生きる
    一節織物の町に暮らす女性たち−群馬県伊勢崎市−
    第二節避暑地の女性−長野県軽井沢町−

    第第四章家と女性
    第一節主婦の機能
    第二節主婦にみる伝承性−「味」を通して−
    前段の序論、第一章、第二章では主婦および主婦権を手がかりに柳田国男を中心に民俗学における女性研究の再検討と新たな視点の提起を行い、後段の第三章、第四章では前段で提起した視点にそって地域調査の形で女性のさまざまな姿をとらえる試みを行っている。本稿では本書の中核をなすと思われる前段を中心に紹介していきたい。

    「序にかえて」におかれた「女性と民俗学」は『日本民俗学』に昭和60・61年の研究動向として書かれたものである。はじめにも記した時代状況の中、遅ればせながらはじめて研究動向に「女性」という分野、視点が設定されたのである。「女性と民俗学」にはこのような状況をしっかり受けとめて、一時期の研究動向を越えて民俗学における女性研究を女性の視点で総括しなくてはならないとする著者の意志が読み取れる。

    著者は女性と民俗学の関係性には「女性が民俗学とどうかかわってきたか」と「民俗学が女性とどうかかわってきたか」の二つの側面があるとして、前者を柳田国男が女性に向けたメッセージと女性研究者育成の志向の中に、後者を柳田以後の研究を跡づける中にみているが、最も新鮮な指摘は男性研究者と女性研究者の視点の違いをついた点であろう。坪井洋文の提示した女性研究についての問題点(3)には高い評価を与えながらも、民俗学における女性研究は「男性は主に女性の霊カや力という面から女性の優位性を説こうとし、女性は家や社会の中で女性達がどんな役割を負い、どう働いているかといった実際の生活の中での事象に関心がある」という。さらに「女性たちは男性研究者たちがいくら女性の優位性を説こうと、実際の社会生活での男性の優位性は身をもって体験しており、そこから生まれる現代的な課題にも強い関心を示している」と女性の立場から従来の論調への違和感と現代への関心を表明する。また、歴史学、文化人類学、社会学、女性学などにも目配りし、隣接科学の成果を取り込んでいく必要性を指摘している。

    「第一章 主婦と主婦権」は、最も早い時期に書かれたもので、この主婦、主婦権再考の中で形づくられた著者の問題意識が「女性と民俗学」や「柳田国男の主婦観」へ向かわせ、また後段の地域調査の視点となったことを思うと、著者の主婦論、女性論の原点として位置づけてよいように思う。

    「民俗学が女性を論ずる場合の主たる論点」として主婦や主婦権の問題を位置づけた上で、「女性学の分野などで現代主婦を対象とした研究成果として主婦の定義などをかなり綿密に検討しているが、それに重ね合わせるだけの準備ができていないのが民俗学の現状」であるから、「民俗学として現代社会の中に存在する女性とは何かを考えていくに先立って主婦とは何かを考えてみたい」として、資料を現代の主婦を視野にいれた民俗誌や広辞苑、社会学、女性学などにも求め、(1)主婦の定義、(2)果たして主婦権はあるのか、(3)主婦権の譲渡時期、(4)現代家族の主婦、に整理して検討している。

     ここには、多様な主婦像を前にして、なんとか、<民俗学>・<現代>・<女性>の三つの視点に立って、主婦とはなにか、主婦権とはなにかを明らかにしようと模索する著者の姿がみえるが、その成果は今回新たに加筆された最期の部分に「主婦・主婦権といわれるもの」についての指摘、説明として示されている。現代の主婦を視野にいれた結果としては、民俗学が従来示してきた主婦像との合致に意外の感があるが、著者の主婦像を示すものとして要点を紹介しておく。

    @主婦とは結婚していることが条件、家政の管理のための一家に一人の存在である。
    A家政の管理の権利を主婦権と呼び、自給自足の生活のなかでは生産した作物をどう分配するかに役割の大半があるが、気配り、家風の継承など経済や労働だけでない文化の継承もよい主婦に不可欠である。
    B伝統的な主婦というものは姑から譲られるもので、すぐ主婦の座にはつけない。
    C主婦の権利は家長の傘下にあり、家の経営全体のごく一部分にかかわる。家格・階層・生業などにより権利のあり方に違いがある。
    D女にとって主婦の座は魅力的で、譲られる日を待ち望んでいた。

     「第二章 柳田国男の主婦論」は1988・ 89の2年間に書かれた三つの論説から成っており、一つの章として読み通すにはかなりの重なりや微妙なづれもみられるが、一貫して民俗学における主婦・主婦権の検討のためには柳田国男の主婦論を検証しなくてはとの問題意識にたって論がすすめられている。

     第一節「主婦の概念」では、柳田国男の著作から主婦、主婦権についての言説を丹念に拾いだして、柳田がとらえている主婦像を明らかにする。「結婚して主人と暮らし一家をかまえている家の女主人は皆主婦」という大粋があってさらに「三世代家族の中で嫁の務めをはたした後に主婦から主婦の座を譲られ、主人と共に家の中心となって家を切り盛りする人が本当の主婦」、さらに「主婦権が譲られるのは死に譲りか、姑が隠居してからである」「主婦である女と主婦になれない女の間には格段の差があったために、女たちはできるだけりっぱな主婦になろうと努め、若い娘たちの目標でもあった」という。そして、柳田のいう主婦権の内実を次の五つにまとめている。

    @氏神や先祖の祭祀権
    A火の管理権
    B家をきりもりする権利
    C財産の管理権
    D食物分配権

     ここに取り出されている柳田の言説は個々には紹介されてきたものだが、このように「主婦権」として整理されて提示されたことで、柳田の描く主婦、主婦権の全体像が一望できることは勿論だが、民俗学における主婦、主婦権論もまたいかに柳田に依っているか、柳田以後がいかに手薄であるかが見えてもくる。

     第二節「主婦論の形成過程」では第一節でみた柳田の主婦像の形成過程を跡づけている。「柳田国男女性関連論文・講演等目録」を作成して、柳田の初期から晩年に至る女性論の中で主婦論が後期に集中していることを示し、その主婦論の特徴を家刀自という存在の重要さと家の継承とを結びつけて説いたところにみている。そして、その背景として生家の母を理想像として主婦の理想形が形成されたことと、戦時色が濃くなる時代背景の中家に残る女達を啓蒙することにより家の存続をはかろうとしたことの二つを指摘する。柳田の主婦をはじめとする女性の力への評価が、家の存続をはかるためという側面を強く持っていたという指摘は柳田の女性論の一つの限界を示す意義あるものであろう。このほかにも婦人解放運動などの視点からみると保守的な感じさえすること、対象が中産階級の子女であって、貧しさのため働かざるをえない女たちに対する思いやりがあったか疑問であること、家刀自の語源や変遷、婚姻制度や家制度との関係性からの検討が課題であることを問題点として挙げてはいるが、最後には「家継承として点から日常生活の主婦の暮らしを考えようとしたとき、柳田の理論は半世紀近 い年月を経た現在もなお考慮すべき視点を多々含んでいる」として、先程批判した家継承という点から主婦をとらえることを評価している。

     第三節「主婦論の視点と課題」では、柳田の主婦論の中の四つの視点が語られる。
    @女性一般の能力に対する視点
    A家族制度の変遷に伴う主婦権への視点
    B現状の主婦に対する視点
    C女性解放に対する視点

     そして最後に、第二節で指摘した問題点を越えるための課題が示されている。
    @柳田の主婦論の骨子にある女の霊カと日常生活との関連性の検討
    A主婦論と関連ある婚姻制度、特に高群逸枝の論の検証
    B民俗学が描きだした女性像を女性学や女性史などとの関連で位置付け、検討する態度
    C一つ家にあって主婦と利害関係にある家族関係、特に家長権との関係
    D柳田の主張した家の継承からはずれた多様な女性の把握

     以上、著者の視点や問題意識に注目しつつ、著者の言葉を引用しながら論旨の紹介と若干の意味づけをしてきた。最後に評者の関心にそって二つの問題を取り上げ私見を述べて、課せられた評者としての役目に代えたい。

     本書の第一の意義は柳田の主婦論の全体像を明らかにするとともに、その限界を検証したことであろう。そして、そこに女性の視点が存在したことを見逃してはならない。「民俗学研究者によってはじめて行われた柳田の女性像の再検討作業であること、さらに男性でなく、女性の、女性自身による、柳田の女性像批判になっていること」(4)という栗原弘の評価を大いなる同意を込めて引用しておきたい。

     ただ、そこで問われるのは柳田を検証した著者が柳田を乗り越え、さらに現代という時代認識と女性の視点を加えて、著者自身の主婦論をどのように展開しているかであろう。著者は柳田にはみられなかった現代の多様な主婦を対象として取り込んで、「主婦の定義もかなりの広がりをもって考えることができる」、サラリーマン家庭の主婦の任務を「権利とはいいがたいものであり、単なる家庭内における役割を分担しているにすぎない」、「家制度が崩れ、家に対する考え方が変化している現在、家というものの存在を考慮せずに主婦の概念を打ち出さなければ」と新たな主婦像を描いてみせる。しかし、一方で第一章の主婦・主婦権についての説明@からDと第二章二節に総括されている柳田の主婦論を比較するとき、その重なりの多さに気付くし、先にも述べたように柳田批判の根拠の一つであった家継承という点から主婦をとらえることを有効とする指摘もしており(5)、著者自身の主婦論をトータルに理解するのは難しい。著者は女性研究者も含めてその多くが「柳田の組み立てた家の存続という枠組みのなかでの女の働きに視点をすえていることに驚かされる。それは……柳田の理論を再検討 してみる態度に欠けていた」からだと批判しているが、著者の主婦論もその中に「柳田の理論を再検討してもなお、柳田の組み立てた家の存続という枠組みのなかで女の………」と読み違えされかねないのではなかろうか。勿論、著者は問題を提起することに中心を置いており、必ずしも断定的な答は出していない。しかし読み手に柳田の主婦論を相対化しきれていないとの印象を残すことの一つの要因は、後にも指摘するように、柳田のとらえた主婦と著者が視野に入れようとしている現代の主婦を一続きにとらえることの困難さにあろう。そしてもう一つが、「社会学や女性学の主婦概念に民俗学としての立場を保ちつつ」「女性学やフェミニズムの定義とは一線を画して」という著者の「民俗学として」への強いこだわりや使命感にあるように思う。

     柳田の主婦論について、もう一点付け加えておきたい。確かに本書は福田アジオの「柳田国男における歴史と女性」(6)ともども「民俗学研究者によってはじめて行われた柳田の女性像の再検討作業」である。しかし、五十嵐誠毅(7)や村上信彦(8)などによる歴史学からの鋭い批判がすでに1970年代に出されていたことを忘れてはならないと思う。そこで少し長くなるが紹介しておきたい。五十嵐の「家を維持し繁栄させるためにこそ家刀自の努力は傾注される」「分配は単なる所帯のキリモリのみでなく、精神の分与ともいうべきメンタルな要素の分配があり、それは家にまつわる歴史の継承的参与であり、情愛の表現でもあった」との指摘や、村上の「家父長権が制度的に認められている以上、すべての主婦はその支配下にあったとみるべきで、注意してみればかならず眼につかずにはいない夫婦間の支配関係がそっくり脱落している」などの指摘は、先に紹介した著者の柳田論やその批判に重なる点が多い。長い間その批判に答えることをしなかった責任は民俗学全体が負うものではあるが、『柳田国男と女性観』の表題を持つ本書である。これらの先行業績の指摘をきちんと評価し、学んだ点は 明記し、民俗学の立場ですべき再批判があれば行なうという作業(9)が欠かせなかったのではないだろうか(なお、表題がなぜ「柳田国男の女性観」ではなく「柳田国男と女性観」なのか、「と」に込められた意図を知りたいと思う)。

     第二の意義は、従来所与のもののごとく使ってきた主婦および主婦権の概念、意味を再検討し、民俗学における主婦研究のあり方、方法、その有効性を明らかにしようとした問題意識にあろう。ただ著者はたびたび主婦とはなにか、主婦権はあるのか、と問いかけている。しかし先程もみたように明確な規定という形はとっていない。著者も明らかにしているように「主婦」の語が指し示す意味は多様である。と同時に歴史的存在でもある。民俗学が対象としてきた主婦とはその中の何なのかを明確にする必要があろう。

     現代社会の中で問題にされ、主婦論争や家事労働をめぐる論争を生んだのは、近代社会が生んだ生産活動から切り離された家事労働者としての主婦である(以下<近代主婦>)。柳田の主婦論の本質とその意図は、この<近代主婦>とは異なる主婦像を主婦権の語と共に提示したことである。民俗学ではこの柳田の示した主婦権というイメージを背負った主婦像を<民俗学でいうところの主婦>と称してきたのではないのか。だとすれば、<民俗学でいうところの主婦>と<近代主婦>の異同を論理的に明らかにしなくてはならないし、とくにその根拠としてきた主婦権との関係性をきちんと規定する必要があろう。<民俗学でいうところの主婦>とは主婦権の伴うものをいうのか、あるいは生産と消費が不可分な生産構造<家事の未発生>や、一家の中に複数の女性の存在を必要とするのか。また、著者が対象にしている<現代の主婦>と<民俗学でいうところの主婦>や<近代主婦>とはどのような関連にあるのか。これらの論議をきちんとすることで、柳田の主婦論を背負いながら民俗学の視点で、<現代の主婦>をとらえることの意味がより明確になろうし、隣接科学との論議の深化や性別役割や家事 労働という新しい視点や分析概念の導入も生まれてこよう。

     また、主婦権は実態ではなく柳田が生み出した分析概念である。概念規定をあいまいにしたまま使われていること自体おかしなことであろう。まず先に述べたさまぎまな主婦のなかのどのような主婦の分析概念として有効かどうか、その有無は権限の及ぶ領域の大小によるのか、権限の中身(すなわち家事労働といった概念でとらえきれない氏神や先祖の祭祀権や火の管理といった機能を持つかどうか)によるのか、主婦の主体性の有無にかかわるのかなど、論議されるべきであろうし、主婦権が家にとってではなく、当事者である女たちにとってどういう意味をもっていたのかについても、村上(10)の「それが光輝ある到達点であったかどうか」の批判を含め問い直したいところである。

     最後は批評というより評者自らが日頃解決できずにいることを、なんとか著者に答えてほしいとのわがままな願いになってしまった。力不足による読み違いの多いこととあわせておわびしたい。

     今後の主婦研究、女性研究の課題については、著者の豊かな指摘がある。あとは一人でも多くの女性研究者が、いえ男性研究者が安眠から眼を醒ますことであろう。本書により少なくとも一人が眼を醒ましかかっていることを報告して感謝したい。


    1.鹿野政直『婦人・女性・おんな』岩波書店 1989
    2.岩尾寿美子『女性学徒ことはじめ』講談社 1979
    3.坪井洋文「生活文化と女性」 (『日本民俗大系9 家と女性』)小学館1985
    4.栗原弘『高群逸枝の婚姻女性史像の研究』高科書店1994。義江明子も「女性史と民俗学」(『女性史研究入門』三省堂 1991)で「民俗学の中から、はたして主婦権といえるものが存在したのか、また主婦権で女性をとらえきれるのか、という疑問が出された」と評価している。
    5.栗原弘(註4)も「倉石の行なった批判的視点は曖昧なものとならぎるを得ない」と指摘している。
    6.福田アジオ 「柳田国男における歴史と女性」『国立歴史民俗博物館研究報告』21−1989
    7.五十嵐誠毅「『柳田学』と『女性』の位置」「群馬大学教育学部紀要」22− 1973
    8.村上信彦 『高群逸枝と柳田国男」大和書房 1977
    9.栗原弘(註4)も「倉石は自説と村上説との位置関係・相違点を明確にする必要がある」と批判している。
    10.註8に同じ

    倉石あつ子氏は、松本市生まれ。前記倉石忠彦家のそれこそ主婦である。
    現在東京農業大学非常勤講師。