『遥北通信』128号(H.5.2.1)

長野県南佐久郡小海町宿渡の道祖神獅子舞

三石 稔
    
 1月7日に南佐久郡小海町を訪れ、道祖神の獅子舞を見学した。今までにも同郡臼田町清川の獅子舞や、山を越えると山梨県ということで、割合近接している牧丘町などの獅子舞を紹介してきたので、この八ケ岳山麓一帯には道祖神の獅子舞が多いことは御存知の通りである。今回訪れた小海町は、臼田町より山梨に近い位置にあり、以前にも紹介した南相木村や北相木村の入口にあたる。町内では本村上、本村下、市の沢、宿渡、本間、宮下、五箇、芦平、以上8カ所で獅子舞が行なわれていたことが、『子供組の習俗−南佐久地方における年令階梯制の記録』(長野県教育委員会 昭和35年)に報告されている。このうち今回は宿戸(しゅくど)と芦平(あしだいら)を訪れた。他の地区で現在も行われているかどうかについては、確認してないが、日程などの変更があっても現在まで続けられているところがほとんどのようである。

 『子供組の習俗』によると、小海町における獅子舞の日程は、本村上、本村下、市の沢、宿渡が1月2日、本間、宮下、五箇、芦平は1月1日であり、各所とも夜に行なわれていた。南佐久郡内には川上村、南牧村、小海町、南相木村、北相木村、八千穂村、佐久町、臼田町の8町村と佐久市がある。これらの市町村における日程をみると、南牧・小海・南北柏木・佐久・臼田・佐久市においては、ほぼ2日を中心に行なわれており、川上や臼田の青沼では小正月を中心に行っている。本来は各所とも同一の日程で行われていたのであろうが、明治維新後の太陽暦に改められた時点において、このような日程の乱れが生じたものであろう。

 今回訪れた宿渡や芦平では、『子供組の習俗』に報告されている日程と少し違っている。宿戸では2日・7日・14日の3日行われており、芦平では7日に行われいる。

 宿渡では小学6年までの子供組によっておこなわれている。ただ過疎地域ということもあり、近年どこでもそうであるように女の子が加わる。ただし、今年はたまたま女の子がいないために、男の子のみであった。人数は7人で喪中の家の子は参加しない。獅子は普段は公民館に納めてあり、獅子が使われるのは、1年中でもこの時だけである。7人と子供の数が少ないため、今年は14日には舞わないということであった。獅子舞は午後4時から道祖神の碑の前の前から始める。獅子を被る者が、1人、その幌持ちに1人つく。道祖神の前では、碑に噛み付く所作をする。この噛むところは、以前に諏訪の平出一治氏が報告して下さった獅子舞と共通している。道祖神の前で一舞いすると、集落の方から各一軒ごとに獅子を舞って歩く。宿渡は比較的集落がまとまっており、ほとんどの屋敷は隣へつながっており、約30軒ほどある。小学6年生が親方であり、かつては舞いが元気がなかったり、上手でなかったりすると親方に怒られたようである。

 頭1人と幌持ちが用意できると、

 「悪魔っぱらい 悪魔っぱらい」

を3回繰り替えし、家の中に獅子と幌持ちが上る。この時、各家では玄関あるいは座敷の戸を開けて獅子を迎える。戸が開いていないと、「あけとくれー」と子供たちはさけび催促をする。家の中に上りこむと、外で待つ子供たちは「悪魔っぱらい」のはやし方となる。家族全員が座敷に座り、頭を噛んでもらうまではやしを繰り替えす。舞いが終わると「御苦労さん」といってお金をくれる。2・7・14日の3日やるのでかなりお金がたまるという。

 回る時、獅子や幌持ち以外の者は笹を持って回り、舞いをしている間、この笹をざわざわと揺するのである。この笹は各家で14日の舞いが終わると処理をするという。喪中の家は回らないが、留守の家も舞いをしない。

 配役としては、獅子・幌持ち・おんべい持ち・下足番袋持ち・太鼓といったものである。先程からも述べているが、今年は子どもが少ないということもあり、中学生が手伝っていた。集まったお金は最後に分配されるが、かつては年齢によってかなり差がつけられていたようである。各家すべて回ると、最後の家の近くにいつも宿になってくれる家があり、そこで夕食を食べるという。

 舞そのものは簡単であり、時間も短いため、おそらく他の地区の獅子舞と比較してもかなり簡略化されたものだと予想される。次回に同町芦平の獅子舞を報告する。