2月8日はこと八日です。こと八日というと12月8日もいいますが、長野県では2月8日近辺にこと八日の行事が集中しており、こと八日というと2月8日という認識が強いようです。

 先日1月30日に上田市塩田の舞田において道祖神祭りが行われました。このあたりでは2月8日のこと八日にワラウマを引く行事が行われていたものの廃れてしまい、現在では真田町戸沢のものがよく知られている程度です。舞田の祭りにワラウマヒキがあったかどうかは知りませんが、塩田でも別所では2月8日にわらで作ったウマにわらのタワラをつけ、タワラに入れた餅を供えるといいます。そして昔は道祖神を囲んで小屋をかけ、その中に子どもたちが泊り込んで祭りが行われたといいます(『長野県史』民俗編第1巻(2)東信地方)。同じ塩田上本郷でも2月8日に餅をワラウマにつけていったといいます。このように長野県の東部にはワラウマヒキの行事がかつては盛んであったようです。舞田で行われていた道祖神祭りも、もとは2月8日ころに行われていたものでしょうか。

 県内では2月8日に道祖神の祭りを行うところが他にもあります。
 松本市入山辺厩所(まやどころ)では、こと八日の朝、木戸先でモミガラやトーガラシ、抜けた髪の毛などを焚きます。そして餅をつき道祖神に供えますが、このとき道祖神の神像に餅を塗りつけます。これは誰よりも早くお参りをすることで良縁が授かるという意味だといいます。そして昔はワラウマへ餅を入れた藁苟を背負わせて道祖神まで引いていって塗りつけたようで、真田町戸沢で現在も行われているものと同様のものでした。

 厩所では同じ日の午後、公民館に大人たちが藁を持ち寄って大きなワラウマを作ります。このワラウマにビンボーガミといわれるジジ、ババ二体の人形が乗せられます。このワラウマを中心に据えて円座になると念仏が唱えられます。念仏が終わると「ビンボーガミ追い出せ、ビンボーガミ追い出せ」と囃しながら薄川の端まで行き、そこでワラウマを焼いてしまいます。

 入山辺の他の集落でも同じような習俗があったといいます。また、入山辺に限らずたとえば松本市笹賀今村でもドーソジンマツリといってワラウマヒキが行なわれています。
 
 このようにこと八日に行なわれる行事に見られるキーワードとして、ウマ・餅・念仏があります。それらがつながるように行事が繰り広げられるところもあれば、断片的な行事もあります。厩所のものも必ずしも道祖神の祭りに直接つながるものではなく、むしろこと八日の行事といった方がわかりやすいかもしれません。

 県内では厩所とよく似た行事が飯田市の天竜川東に集中しています。

 飯田市千代芋平で行なわれるコトノカミオクリでは、厩所と同じような人形が作られ、馬ではなくミコシに乗せられて、村境まで送られていきます。この行事と直接つながるものかは別として、前日の7日に子どもたちが各家を回って大将荒神という行事をしました。戦後間もないころに絶えてしまったといいますが、鉦と太鼓を叩きながら唱え事をいってまわるもので、数珠を持たないものの念仏のようなものをしたといいます。また、芋平と隣り合わせの野池では、現在でも大将荒神が続けられており、こちらでは数珠を持って家々を回っています(現在は公民館など主だった所だけで行なう)。また、コトノカミオクリの際に各家から「馬」の字が書かれた短冊が一緒に送られており、ここにも先のキーワードにあったウマが登場します。また、コトノカミボタモチをこの日に作ります。このようにウマ・餅・念仏がかかわる同じような行事が千代から同じ飯田市上久堅、下伊那郡喬木村あたりにかけて多く見られます。

 ただし、行なわれる日は「こと」が行事の名称に付随するものの2月8日に限らず、その近辺に行なわれており、3月に入って行なっているところもあります。

 こと八日行事についてはこちらを参照してください。 


下伊那郡喬木村冨田「コトネンブツ」


 さて、コトとはなにか。『日本民俗大辞典』(吉川弘文館)によると「コトは節の国語的表現で、歳時の折目の意味。折目には多く神祭が行われるのでコトは祭事(神事)の意味を含み、また労働の折目に設けられる休み日のこともさす。関東から東北地方にかけて年中行事や休み日をカミゴトという地域がある。(中略)コトの名称がつけられた行事は、正月を間に対照的に時間配置された行事に多くみられる。十二月と二月の事八日はその典型である。」とあります。

 コトは1年中に何度かあったもので、青森県八戸市などで行われる旧暦3月7日の精進ゴトや栃木県の田植休みのサナブリコト、石川県のアエノコトなどもコトの祭りのようです。


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