【 牛飼い 】
 昭和63年の10月に、遠山谷の下栗で撮影したものである。傾斜地に作られた牛小屋で牛飼いをしているところである。かつて平地では母屋の中に内マヤとして作られることが多かったが、下栗では傾斜地に等高線に沿って家が建てられたため、細長い家が多い。このため、内マヤとして作るには条件が厳しかった。そのため、マヤや蔵、蚕室などが、母屋に対して縦列に作られることが多かった。馬屋(マヤ)といっていた場所は、飼うものが馬から牛に変わるとウシゴヤと呼ぶようになった。

@ マヤの格子棒に丸く穴が掘り込まれている。今は横木を針金で縦棒に縛り付けているが、以前はこの穴に横棒を渡していたのだろう。この横木をはずしては牛を出し入れした。
A 長い横木である。下栗ではハザを作る際の横木のことをヨコナルという。ヨコナルは昔は栗の木を使ったが、曲がりがあったりして杉やヒノキを使うようになった。この長い横木もそうしたナルを利用したものではないか。ハザのヨコナルは、グゾバフジやイトバフジ、アケビヅルなどでタテックギに縛ったという。このマヤの横木もツルを使って縛り付けてある。
B マヤに敷かれる藁は、稲作を行なわないと手に入らない。下栗では田んぼがなく、稲作はほとんど行なわれなかった。この藁はよそから手に入れたものか。伊那谷の平地では、マヤに入れた稲藁がマヤゴイとなって、よい肥料となって田んぼに入れた。
C 奥にいる牛より小さい。子牛だろう。
D 帽子。農家では必ず帽子を被る。かつては農協のマークの入った帽子を誰もが利用した。
E 半纏を着る。
F モモヒキをはく。
G 手甲をつける。
H 牛に餌を与えるときは、どこでも必ずボールを使った。
I ドラム缶を半割に切ったものを餌箱としてどこでも利用した。
J 土間はコンクリートで覆われていた。
K マヤではハエがわく。だからハエたたきは必需品である。


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