【 NO.26 】 2009. 1. 18


中央リニアを語る

 リニア中央新幹線を自費で建設するというJR東海の松本社長の言葉に端を発し、「長野県だけがごねている」というような雰囲気が流れ、知事はもちろん地方自治のトップにいる人たちへの悪口も増加している。これが「長野県」という姿を見事に現すものではあるが、これが「長野県の歴史と文化の源」とも言えるかもしれない。これまでCosmos Factoryで綴ってきたものをここにまとめて掲載してみた。なお、まとめるに当たって若干修正を行っている。
 10年後、15年後にどうなっているか、この足跡をまたどう振り返るか、そのためにも自分の中での今の思いをここに残す。




中央新幹線建設報道にみる 20071230
 しばらく前からJR東海が2025年に営業運転を目標にリニア中央新幹線を建設するという報道がちらほらしていて、それに向けた調査も始めたというニュースもその直後に小さく報道されていた。その際にわたしが感じたのは、新幹線ルートは直線ルートで建設される可能性が高いというものであった。その際の関連記事をストックしていずれ触れようと思っていたら、先日のJR東海の「自己負担による整備」方針である。実は2025年建設意向が表明されたときよりも、長野県内の報道記事は大きい。中日新聞の長野版には「別ルートにとまどいの声」と白抜きの大きな見出しが登場した。まるで一面トップ並みの扱いである。なぜかといえば、長野県内では山梨から諏訪を通過して伊那飯田と南下して中京圏へ入るルートを推進していて、流れとしてはそのルートの可能性大とふんでいたのだろう。ところが今回のJR東海の考えは、自己資金で建設して早期に営業を始めてかかった費用を早く回収するというものである。したがってとりあえず東京名古屋間を結ぶことが優先であって、途中の地域のことなどどうでもよいわけである。

 「どうでもいい」というのは言い回しが悪いかもしれないが、素直に考えればごく当たり前のことという印象がある。途中の地域といっても平らな部分があるのは山梨くらいで、あとはわずかな空間を山あいに持つだけで、スピードを売り物にするのなら駅などないほうがよい。たとえ長野県内の自治体が要望していたルートが実現したとしても、そのスピードから想定すれば、駅は一つといったところだろう。そんな思惑通りにことは進まないし、その程度しか人も住んでいない。このことは、建設が遅れるほどに目立ってくる課題だったと思っている。そこへきて、このごろの東京集中化である。地方の時代などという言葉は消え、大都市への集中化は、人口が減少してゆけばさらに加速するだろう。コンパクトシティーという考えが流行るが、おなじことをもう少し広い範囲で考えれば、コンパクトな国づくりということになる。東京圏内への集中というものは、災害というリスクをのぞけば、けして悪いことではない。そして健康な高齢者が田舎に住みたいというのなら、そういうエリアを設けておけばよい。分割されているJRという環境から考えれば、営業区間でいかなる設備投資をしていけばよいか、ということになる。東海がその最たる必要性を感じているのが、東京との時間短縮といえるだろう。巨額な建設費、そしてその負担をどう賄っていくか不安は残るが、意図はわかりやすい。そんな解りやすさから考えれば、最短ルートは当たり前だし、「駅の建設費は地元で負担してもらう」という考えもよくわかるものである。反発したところで、この地域の利用者は勘定できるわけで、時代背景とともに冷静に考えれば、もしかしたら駅一つも建設できないかもしれない。

 そんななか、ひとり歓迎イメージを持っている飯田地域。まさに地域性に視点をおいてきているわたしの思うつぼのような関係である。果たして歓迎イメージを持っていても、建設費は捻出できるのか、そんな印象もある。ルート認識の違いによって、こんな狭い地域なのに諏訪・伊那といった地域からまたまた無視される可能性もある。

 さて、2025年といえば、18年後である。健康であればわたしはまだ生きている。生きている間には絶対あり得ないと感じていた中央新幹線が、果たしていかなる姿で登場するのか、そして今利用している飯田線がどんな変化を遂げているのか、ますますこの地域が奈落の底に陥っている、などという印象ももちながら、行方を見守っていきたい。



分県もありうる 20080322
 東は早川町、西は大鹿村でリニアの地質調査が始まった。もちろん両者を結ぶラインをリニアで結ぼうという意図が見える。議論になっている長野県内での不協和音。そろそろ飯田市長は歓迎の意を発表しそうなところに来ていて、県内の統一見解は崩れていくのだろう。何度も触れてきているように、飯田というところは、もともと北を向こうとはしない。どうしてかといえば、それほど北の人たちに相手にされてこなかったということもあるし、県庁がとても遠いという現実がある。加えてこのごろは三遠南信という枠組みでいろいろ試みている。どう考えても北向きではないし、南へのアプローチを欠かさない。

 伊那市の小坂市長は「どうぞご勝手に」と今回の地質調査の件には、勝手にとは言うものの不信感を露にする。わたしも懸念していたことではあるが、「世界遺産登録を目指す南アルプスのどてっぱらに穴を開けていいのか」という疑問を投げている。おそらく今後も登録を目指した動きはあるのだろうから、そこに賛同している飯田市がどう応えるのか楽しみでもある。本気なら、そのくらいのことを考えて「歓迎」をするのだろう。まあこれも何度も書いていることであるが、早川町と大鹿村を結ぶラインでリニアを結ぶと、飯田市のど真ん中を通過する。本気にそんなものがやってきてよいのかそして、そんなところに駅ができたとして、停まる余地があるのか疑問は多いのである。

 ところでもっと気になるのは、あの静かだった釜沢が地質調査で賑やかになっていることだ。大河原でも最も奥の集落である釜沢は、わたしにとっても印象深い土地である。釜沢にはよそから移り住んだ人達もいた。そして外人さんも住んでいた。中世南北朝時代からの歴史ある地であるが、一躍こんなことで賑やかになっている。それもまた気になることである。

 さて、県内で理解していた諏訪ルートに対して、直線ルートが現実的な話になって、すぐに顔をほころばせた飯田地域。飯田らしいといえばそれまでだが、こんな動きを見ていてつくづく思うのは、もし道州制が現実味を帯びてきて、この県がどっち付かずの議論になったとき、今の流れでいけば、伊那谷の真ん中で県が分離する可能性もあるということである。このことは、あらためて考えておかないといけないのだろうが、それこそその分離される接点に住んでいる人たちは、自分たちにとってどうするべきか、そろそろ考え出さないといけないのではないだろうか。どう考えても飯田市というところは南を見ている。そこと同一生活圏として生きてきたそこより北に住んでいる人たちもそれでいのだろうかということである。同僚がこんなことを言った。「伊那市の市長はいまだにそんなことを言っている」と。彼は松本の人である。しかし、現実味を帯びてきている直線ルートは、ごく自然なものという捉え方をしているようだ。ここて問題なのは、伊那市長の言葉はともかくとして、それ以上にこの地域が一つではないという現実であり、しいては、そこで暮らしている人たちにとっては、さまざまな要因が過去から積もっていて、なかなか一つになれない背景があるということなのである。



中央リニアのベストな構想 20080529
 厳密にどこでボーリング調査をしているか確認していないが、早川町新倉の標高は600m、大鹿村釜沢の標高は900m、その間の距離約20kmだろうか。「南アルプスNET」によれば、「調査地域は、トンネル両端の有力な候補地とみられる」という。そうなのだろうか、と?を付すとともに、本当にそうだとしたら、やはりこの計画にとって地方は都会の踏み台ということになるのだろう。ちなみに標高差からみると、ちょっと勾配きつすぎる。

 「伊那谷自然友の会報」の最新号である137号の「自然通信」の欄に、「リニア中央新幹線計画に想う」という投稿を読んだ。この伊那谷自然友の会は、単純な自然保護団体だと、わたしは思っていない。それはこれまでこの会の会長を務められた北城節男氏にしても堤久氏にしても、話を聞いたかぎり、単純に自然保護を主張しているわけではなく、現在の社会の実情、とくに地域の実情を理解した上で、どう自然と付き合っていくべきかというところを自ら悩みながら研究されていた。明確な答えを大声で主張されないあたりに、そんなお二人の人柄のようなものも見た。それだけ地域の実情にも悩んでおられると感じたわけだ。とはいえ、こうした団体には自然保護一点張りの人がいないわけではないだろう。さまざまな人たちが会話を続ける。それで良いはずだ。そんななか、前述した投稿には、リニア構想によるボーリング調査が始まったことに触れ、疑問を呈している。その疑問とは、

 @この狭い日本列島でなぜ時速500kmの超高速列車が必要なのか。
 A停滞する経済の中で膨大な建設費を生み出すことに疑問。
 B沿線地域の自然破壊。
 C電磁波・騒音の問題。
 D沿線地域の開発が望めない。
 E地方財政が逼迫している中、リニア飯田駅をつくる余裕があるとは思えないこと。

以上6点をあげている(投稿者 飯田市片桐晴夫氏)

 中央リニアについては、「中央新幹線建設報道にみる」でも触れた。造るなら直線、それはごく普通の考え方である。そして今回の投稿を見て改めて調査ボーリングの位置関係をうかがったものが冒頭のものである。そこから改めてこの計画を考えてみよう。投稿にある6項目は、こうした流れから指摘するには問題外のものがある。それは@ADEである。@に関しては基本的な構想の原点に、大都市を結ぶ交通として現在の「東海道新幹線に代わるものが必要」という主旨があるだろう。災害時の対応というものはとくにその原点にあるだろう。Aに関しては採算性、経済性があると判断してJR東海が自ら進めるというのだから問題はないだろう。Dに関しては、@と同様であって、沿線の開発などは必要ないのである。あくまでも大都市を結ぶ、それが原点。EDの観点でいけば、造る側はどうでもよいことである。ということで答えは見えてくる。BCという公害的なものが問題になるだけなのである。早川町新倉、そして大鹿村釜沢、どちらも山間の奥まったところである。ここにトンネルの口ができたとしたら、確かに自然環境に対しては負荷が大きい。本気でこんな計画をするというのなら、考え物である。それを長野県内の多くのリーダーが望んでいるルートに当てはめたら、そんなルートは辞めた方がよいに決まっている。まじめにそれが良いと思っているリーダーたちの頭の中は、まともとは思えない。

 ということで、この構想が実現するとなれば、直線になる可能性が高い。それでもってBCを解決するには、南アルプス市あたりの標高300m地帯でトンネルに入り、恵那市あたりの標高300m地帯でトンネルを出るという長大トンネルで建設してもらうのが最良の策と思うが違うだろうか。もちろん長野県内はすべてトンネルである。どうしても駅が欲しいというのなら地下トンネル駅である。そのくらいのことを頭に入れてどこかの市長は期待しているんだろうなー、などとわたしは考える。違うとしたら「人の血を吸って環境都市≠ネんて言うな」なんて言いたくもなる。投稿された方も、推進しようとする方も、わたしの構想をJRに陳情する方がよいと思いますが・・・。



冷静に考えるべき 20080811
 先日、今年度初めてとなる長野への出張があった。荷物がなければ電車で行くところだが、そこそこの荷物があったため会社の車で向かった。9時半からの会議ということでけっこういつもよりは早い電車に乗らないと伊那で中継できない。6時半前の電車で向かうが、その電車は長野への直通便である。そのまま中継せずに電車で行くと10時少し前に駅に着くという便で、もし電車で行くにはもう1本前の始発に乗らなくてはならない。とはいってもその違いはせいぜい30分から1時間くらいの違いなのだが、我が家からはいずれにしても車なら2時間半、電車なら4時間という世界が長野なのだ。

 久しぶりに高速道路なるものを利用するのだが、この季節県外車がとても多い。午前中に終わり、さらに久しぶりに国道19号を利用して豊科まで走った。高速とは違い、車の量はまったく少ない。かつての国道19号をしっかり走ったわたしにはとても同じ道路とは思えないほどに少ない。わざわざ高速道路の代金を節約してこんな道を通る人もずいぶんと少なくなったということなのだろう。

 さて、前述したようにわが家から電車で北上するのにはずいぶんと抵抗があるほど時間を擁す。中央本線の走る岡谷まで約2時間である。飯田からなら約2時間半ということになる。伊那谷を抜けるだけでもそれだけ時間を擁すということを念頭にして次の問題に入る。いよいよリニアの試掘ボーリングも始まり、すでに既定の道筋という感が飯田下伊那では漂う。いっぽう飯田下伊那以北の人々に納得いかない事実として受け止められているが、よほどのこと(試掘しているラインでは地質上問題があるなど)がない以上リニアのラインは決まったようなものだ。とすると、相変わらず諏訪ルートを推し進めるなどという考えを持つのは得策ではないだろう。もちろん以前にも触れたように、わたしはそんなものに用はないし、果たしてこの地域にリニアがやってきたからといって地域として、また住んでいる人々にとって良いとは必ずしも言いがたい。それでもあえて通るというのなら、いわゆる地域活性化を願う人々の視点で考えてみる。

 基本的に諏訪ルートだとしても駅を地元の出資で造れと言われればせいぜいひとつ。そういう意味でいけば諏訪ルートであれば、駅の位置は諏訪に近くなる。ようは飯田というケースは小さくなる。ところが直線ルートとすれば、造ったとしても狭い伊那谷の東西の中のどこかということで、飯田を通れば飯田にしかその位置を求められない。ところが前述しているように連絡すべく飯田線は諏訪圏内から2時間半もかかる。諏訪から東京は、スーパーあずさを利用すればいまや2時間を切るところまできている。ようは飯田という遠隔の地ではもし駅があったとしても西日本方面へ向かう際に必要とされるだけで、東京指向の地域にとっては利点はそれほどないということになる。それは伊那あたりまできても同じで、伊那から飯田まで1時間半もかかっていては、さすがに利点は少ない。もし現在の輸送形態の中心である道路への依存度が下がればともかくだが、地方住民の足は車であることに違いはない。飯田線の改善が図れれば別だが、今の情況では難しい。よほどこの伊那谷がベッドタウン化して、人口が増えるというのなら別だが、そんな空間を誰が望むだろう。そんな大変貌を願ってのリニア誘致なのだろうか。一攫千金の世界のようである。伊那谷に現在住んでいる人たちの数からゆけば、その利用度は低い。これほど連絡が悪い中で、飯田以外の人たちがどれほど期待するかも疑問で、それを応分に負担できるだろうか。明らかに諏訪圏内にとってはそれほどのメリットはない。とすれば伊那谷北部地域の人たちの期待度に関わってくる。とすれば、直線であってもなるべく北側をルートに取ることが望まれるところだと思うが違うだろうか。とはいえ早川町と大鹿村釜沢を結ぶとそれほど北には行きそうもないが・・・。


中央リニアについて三度 20080829
 2025年営業開始を目指しているといわれる中央リニアに対しては通過地点にあたる長野県に限らず、いろいろ憶測が飛んでいる。とくにBルートという極端に迂回したルートを推し進めてきた長野県においては、直線ルートで建設すると表明したJR東海の考えに対して批判が相次いでいるのは承知のところである。これまでにも何度か触れてきたように、現実的な問題に置き換えてみると、わたしが提案した長野県内では地中化というのは良案だとは思うが、すでにそういう案はありえないことだとわたしも認識している。2025年といえば17年後である。もたもたしていればすぐにプロジェクトは進んでいく。現実に照らし、実現可能な計画を示して要求していくことが、この地域に求められるのだろう。でもしなければ、地域崩壊は時間の問題である。

 すでに90%以上の確率でありえない@Bルートと、A既定のルートであろう直線ルートの問題について触れてみよう。まず@ルートである。

 現在の流れでは中間駅の数は三つ程度と言われている。一県一駅という考えは、ただ通過するだけでは沿線が納得しないという基本スタイルによる。駅の建設には地元負担をというのが原則になるのだろうが、負担は差し置いても駅の建設は現実化していくのだろう。神奈川・山梨・長野といったところに駅が設置されるのは常道だろう。とするともしBルートが復活したらどうなるかである。Bルートを選定するとなれば、問題になるのが既存の中央東線である。いわゆる並行在来線となるから、既存利用者や国民のニーズという面からゆけば、駅は諏訪に設置され、諏訪−新宿間の特急、いわゆる在来線の「あずさ」は廃止されることになる。ということは北陸新幹線でも話題になっている在来線の運営はどうするかとなり、問題は大きい。Bルートを推し進めるというのなら、当然そのあたりの構想を整理して要求しなければ取り上げてもらえないだろう。果たして特急あずさを捨ててもリニアを求めるべきだろうか。もちろんもし整理されたとしても諏訪駅では伊那谷は通過していくだけになり、メリットがなくなるのは言うまでもない。伊那駅では在来線への連絡が悪く、それらの整備に多額な負担が生じるのは必然のことである。

 ではAルートはどうか。JR東海では直線ルートのラインは想定の上で進めているのだろう。わたしの予想では、長野県内では南アルプスをくぐり、大鹿村釜沢で一瞬顔を出したリニアが、次に顔を見せるのは喬木村氏乗あたりで、再びトンネルに入ったリニアは川路あたりで姿を現すのだろう。もし駅を設置するとすればこのあたり。川路といえば飯田駅よりもはるか南である。ここで次のトンネルに入ると阿智で顔を見せるかどうか。あとは恵那山の南をくぐって行くというルートである。現在、諏訪から飯田駅まで経路を探ると最短で2時間半程度、長いと3時間近く要する。実は中央線を利用して名古屋まで行くと、2時間半程度である。お分かりのように、諏訪から飯田まで行くうちに名古屋まで着いてしまうということで、メリットはない。わたしの予想のように川路あたりに駅でも造ったらもっとひどいことになる。以前にも触れたように、飯田に駅ができたとしても、この駅を利用する長野県人は、今の状況では伊那谷の人口だけということになる。これを解消するには、飯田線を高速化する以外にはないのだが、今の軌道では無理で、この負担の方が大きくなる。そして付加的な問題として、秩序ある計画を今のうちに作っておかないと、もっと大変な問題が起きても不思議ではない。解りやすいものとして、現在高速バス事業でバス事業持ちこたえている信南交通には大きな痛手で地域の路線バスは完全に姿を消すことになるだろう。もちろん現住民以外の新住民が多量に住みつけば別であるが、果たしてそれだけの受容できる空間はあるだろうか。またあったとしても、秩序を維持できるかというところも課題になる。天秤にかけるとしたら、現在住んでいる人たちのために何かをするか、それとも新たにそこに経済を見出す、あるいは新たに住み着く人たちのために何かをするのかという選択になるのだろう。

 以上のような問題点をクリアーできる策がまとめられているかというところになる。直線が既定のルートだというのなら、飯田駅へどう連絡させるか、もちろん他地域の人たちを踏み台にした施策は策にあらずであって、たとえば飯田線高速化、そして名古屋へとなると中央西線の存在ですら危うくなる。おそらく多数決的な発想ならばBルートで諏訪駅がベストなのだろうが、直線ともなればそうはゆかない。早川町−釜沢というラインが固定されるとなれば、あとは中央西線に近いところまで駅を引きずるか、ということになる。それでもって長野県内となると、すでに策はないのか・・・ということになる。県内をあきらめて中津川あたりまでずらしてもらうなどという意見が出てきても不思議ではない。ということで最終的には道州制までも視野に入れてゆかないと答えは見えてこない。いずれにしても地図にルートを入れてみれば、中央東線の新宿−甲府間は明らかに廃止対象になり、名古屋近辺のルート次第では、名古屋−中津川間も廃止となりうるわけで、長野県の出方は大変重要だということがわかるだろう。それらを踏まえてBルートだと言っているのだとしても、すでに希望ばかり言っている段階ではないと考えられる。



分離を助長するお役所 20081011
 中央リニアが直線ルートで現実化の道を歩む中、長野県知事を始め長野県内の基本スタイルが諏訪ルートを推進しようとすることへの批判もある。わたしも確かにそういうことをこの日記の中で書いてきているが、今のまま飯田というところに協力して「直線ルート、そして飯田駅実現へ」というわけにはいかないと思う。そこに近い地域に住んでいる者にしてもそんな流れがすんなりいっては、飯田の思うがままで許せるものではないと思う。それは今までにも触れてきたようにこの地域の中での飯田、そして伊那という関係、さらには飯田がそれを断ち切るように他地域への思いやりをしてこなかったまなざしに対して「それで良いのか」と思うわけで、わたし以上にそう思っている人がいても不思議ではない。

 11/8長野日報に「上伊那・木曽 名所紹介」という記事の見出しが見えた。権兵衛トンネル開通以降、伊那市を中心とした地域の木曽との連携が目立つ。なぜいまさら木曽へ、と思うことについても今まで触れてきた。確かに飯田より木曽福島の方が伊那には近くなったかもしれない。しかし、だからといって飯田下伊那ではなく木曽谷という広域圏に擦り寄る。こうした動きを助長するようなたとえば県とか、またあまりこの地域のことには無知な外部の人たちがいて、そうすることが活性化につながると思っているのかもしれない。けして木曽と連携するなというのではない。なぜ飯田下伊那地域と壁を作ってきた地域が広域行政の舵をとる県などの無知な人たちに乗せられてしまうのか、とそんなことを思うのだ(実際のところ飯田地域と壁を作ってきた地域が、だからといって木曽へという意識を持つとは思えないし、事実木曽へアプローチしようとする人は少ないだろう)。記事で紹介されているのは両地域の秋の景勝地を紹介した観光パンフレットである。十万部作成して両地域の住民には全戸配布していくという。発行したのは両地域の広域連合だという。A2サイズをA4の大きさに折りたたんだパンフレットで県の元気づくり支援金から事業費として157万円ほどの助成を受けたという。来春には春のバージョンも作成するという。なんというか近年の観光を主導しているのは県でありながら、なぜかこうした郡単位の縦割りをしたがる。ようは地域性などを認識した上での配慮などはなく、無知になった住民もそれでよしと思っている。何よりパンフレットを見てみよう。伊那谷と木曽谷は並走するように南北に展開している。実は楢川村が塩尻市に入ってしまって、木曽郡ではない。このあたりもだからこそ広域行政の役割があると思うのだが、現実的には行政が異なるからそうした枠外に追いやられたものは積極的には紹介されていない。木曽の南端にある南木曽町は、ほぼ飯田市と同じあたりに並ぶ。ということは木曽谷を網羅するとなれば、上伊那だけではなく下伊那、とくに飯田までは同じ地図上のエリアに入ってくる。それをわざわざ上伊那と木曽というエリアだけに絞るから、地図としては描かれても景勝地の空白地帯が登場する。事実掲載された地図では、南は飯田市の天竜峡あたりまで描かれていて、下伊那郡の全域をA2版に展開しようとすればすべて網羅可能だ。ところがわざわざ飯田市より南をカットして、そこには大きな字で景勝地の地図上の番号と景勝地名が一覧で書かれている。下伊那全域を掲載したとしても、右上と左下には上下伊那と木曽以外の地域があってそこに文字を集約することは十分可能なはずだ。なぜわざわざ上伊那と木曽なのか、だれが提案したものかしらないが、きっとこうした構図に異論を発す人がいないのだろう。こんなことをするからますます飯田地域が伊那地域へのまなざしを持たなくなる。それを県が主導しておいて、リニアがなんたらかんたら知事に言わせるようなら、ほとんどばらばら状態といわざるをえない。

 以前にも触れたが、中央線がリニアの開通に伴って新宿−甲府間が廃止されると、困るのは諏訪・松本地域。だからこそリニア諏訪ルートにすがる。中南信地域にあっては、どう考えても諏訪周りルートが最善策であることに変わりはない。それは前述した中央線の今後のことと絡むからだ。絶対新宿−松本間の維持が約束されるのならともかく、それがないとすれば、人口密度的に考えて何はともあれそれしか主張できないのである。けっこう長野県知事の発言に対して批判をする人がいるが、多数決でいけば当たり前のことである。そしてここまで触れた地域性が絡む。この問題を発端にして、さらなる伊那谷の分離が顕在化するのが残念でならないが、それは伊那谷の南北が両者にまなざしを持たなかった結果である。

 かつてのパンフレットをみてみると、「伊那谷」という扱いのものがあった。ところが最近は必ず上下を分けて作成される。それらはほとんどお役所絡みのものである。そういう姿を見ていてつくづく思うのは、地方事務所(県の出先機関)が別にあるのがいけないということだ。



もっと足元を見なくては 20081028
 近ごろリニアが話題になって、ブログにもよく関連の記事が掲載されている。このことについてはわたしも何度か触れてきたことで、いまさら「また何を?」というとこであるが、きっとリニアの駆け引きはまさに地域性を表すもので、今後も頻繁に利用する題材だろう。

 「あなろぐちっく」さんの日記にこんなことが書かれていた。「悲しいのは、知事が県の利益にならないという理由で直線ルートに反対していることだ。諏訪という地方の人たちも直線ルートでは長野県の総意ではないと言う。この直線ルートにある飯田市には、諏訪よりも多くの人が住んでいる。この人は長野県人ではないのか・・・・ 長野県人とは、長野市の辺りに住んでいる人か、長野市に益をもたらす地域に住む人のことなのか・・・」というものである。おそらく飯田周辺の人たちの多くがこの意見に賛同するのだろう。これがわたしの今までにも触れてきた、この地域の不幸な意識なのであり、どうしようもないことなのかもしれない。しかし、飯田とか伊那といった枠で切られてしまうとやるせない人たちがいるんじゃないか、と発言したあなろぐちっくさんの口からこうした言葉が出たということは、かなり厳しい状況だと感じる。

 まずあなろぐちっくさんの間違いは、県の利益を考えればやはり直線ではないということ。人口の話を出すと間違いなく直線ルート長野県のメリットはない。諏訪市は飯田市よりも人口は少ないが、諏訪広域圏の人口は20062/1現在で約210千人。南信州広域圏の人口は20058/1現在で177千人。飯田市が大半を占めているものの、広域圏の人口比では明らかに諏訪が多い。加えて飯田市から遥か遠い下伊那西南部といった地域もあって、下伊那地域は広大であることは言うまでも無い(面積比 諏訪:飯田=715km2:1929km2)。さらに言えば中間地域の上伊那広域圏の人口は200511/1現在で約198千人である。もっといえば松本広域圏の人口は20064/1現在で430千人である。ようは人口のことを言うと、北寄りであるほど広域視点に立てばメリットが大きいということになる。このことは念頭においておかなければならない点である。もちろん飯田の人々が「長野県人」であることも説明すことでもないだろう。

 飯田の人たちが思うほど、わたしは飯田下伊那地域が長野市の人々に虐げられているとは思わない。以前いつごろだったか触れたことがあるが、長野市内の犀北館の隣にある歯医者さんに通った際、そこの歯科衛生士さんが、「下伊那っていいところがありますよね」と言ったことを忘れない。彼女は売木村にある星の森キャンプ場を毎年訪れると言っていた。彼女だけではない。確かに遠いことは誰もが認識していてどこにどんな村があるかなどということを知らない人は多いが、目くじらを立てて下伊那の人々が文句を言うほど長野市周辺が恵まれているわけではない。人口が多ければある程度傾向するのは仕方の無いことだし、またそこに住んでいる人たちが「飯田は・・・」などと文句を言うことはない。しいて言えば田中知事時代に、知事自ら長野を毛嫌いしていたことで、「飯田の方が恵まれている」と口にする人がいたことは事実ではあるが・・・。しかし、その当時長野市周辺のとくに西山地域を頻繁に訪れていたわたしは、飯田市下伊那以上に虐げられた村々を見てきたつもりだ。それほど飯田周辺地域が際立って長野県人として蔑まされているなどということはまったくないのである。むしろ飯田下伊那の人々がそれを意識しすぎて、自地域の中に閉じこもっている傾向を感じるわけである。そういう意識があるからこそまた成功している人たちもいるのだろうから、必ずしもそれが悪いばかりではないということも認識しなくてはならない。

 あなろぐちっくさんのこれまでの語りにはない違和感のある意見は、わたしには少しばかりがっかり感が生じたわけだが、それがこの地域を物語っているといってもよいことで、やはり根深い問題が横たわっているとわたしは思っている。ちなみにコメントの中で彼が感じ取ったこれまでの北の方の人の言葉が並べられているが、もちろんそういう言葉を口にする人もいる。しかし、それは意識しすぎるからこそ悪く捉えてしまいがちで、より強く地域性を意識しながらこの何十年もの間長野県内を歩いてきたわたしだからこそ言えることは、「それほどじゃないですよ」ということである。どうも飯田下伊那地域の人たちが口にする言葉は、自分たちを誇示しすぎているということである。わたしの関わっている世界でたとえて言うならば、飯田下伊那は民俗の宝庫とか民俗芸能の宝庫なんていうことを言う。でももっと素朴でかつての暮らしをしっかりと継続している地域は全国に行くといくらでもある。なぜそうやって他地域をもっと純粋に見ようとしないのか。また、田舎そのものも売り出しているが、どうでしょう、飯田下伊那より素朴な地域はいくらでもあると感じる。そういうところにいつも違和感を持っているわたしでもある。もっと足元をみないといけない、というのは自分も含めてみんなに知ってほしいということである。昨日も南箕輪村の水田地帯を歩いていて思ったのは、飯田下伊那には姿が少なくなったワレモコウが、あたこちに咲いている。びっくりするほど多い。周辺には新たな住宅地が虫食いのように点在してはいるものの、風景だけをとってみると、素朴な風景はいくらでも足元にある。もっともっと目を凝らして観察していかなくてはいけないとつくづく感じるわけである。

 そういえばもうひとつ最近気になった事例があった。ある郷土研究の雑誌を出している飯田の方に「お一人で全部やるのは大変だから、こういう時代ですし役割分担とかしてはどうなんですか」と言ったところ、「そういうわけにはいかない」と言う。「●●(飯田ではない県内の地域の会を事例にして)ではそうやっているようですが」と言うと、「●●とは違う」とずいぶんと不機嫌に言われてしまった。何か自分たちがけなされたと思われたのかもしれないが、こういう意識があちこちで垣間見れたりする。とても違和感のある後味の悪いものとなってしまうのである。こんなことを長年蓄積してきたのだろう。だからこそ簡単には抜け出せない関係になってしまっているのである。



長野県の地方区域分類という視点から 20081124
 『信濃』11月号(信濃史学会)において、山中鹿次氏が「長野県の地方区域分類の現状と課題−道州制施行問題に関連して−」と題して論文を寄稿している。道州制についてはこれまでにも何度か触れてきたことと、最近のリニア問題などにも関連して、長野県の分裂の危機という捉え方が十分に出てきていると考えている。山中鹿次氏は日本道州制研究会幹事だといい、道州制賛成論者である。検索すると関連ページがたくさん登場してくる。それはともかくとして、果たして山中氏の指摘は長野県においてどうとらえるべきか、そんなところを思い興味深く読んだ。

 山中氏はこれまでの道州制試案において多様な地方区域に分類されている長野県の位置づけをし、次いで国の出先機関や公共機関での長野県の現状を把握、長野県が東西の接点にあって、多様な位置づけにあることに触れている。そして、もともと長野県民にある分割志向と一体思考の矛盾に焦点をあて、もし道州制に組み込まれるとしてどういう方向性があるだろうかという部分を提案している。

 地方制度調査会が2006年に示したものでは長野県はすべての案において「北関東」に区分された。しかし、地方制度調査会以外の案では、必ずしも関東に属すものではなく、さまざまな案があげられている。提案するそれぞれの人々にさまざまな打算があってのことなのだろうが、区割り案ばかりが先行するのも無理のないことである。強いてはそれが将来の自分たちの生活にもかかわってくる。もちろんそれが地域にとってどういう立場になるかということにも関わる。いずれにしても長野県にあっては山中氏が言うように、分割志向がどう働くかということになるのだが、現知事は道州制に対して「市町村と国の二層制で道州制は必要ない」と口にする。もともと現知事は県の役割はサポート役といっており、はっきりしないが県はいずれなくなっても仕方ないという考えを持っているのかもしれない。そこへゆくと前知事の田中康夫氏は、道州制が導入されることで長野県が分裂することを指摘して、それが故に山口村の越県合併に反対していた。田中氏の意図が必ずしも山口村の人々のためになるとは思えなかったが、大局的にみれば長野県の先行きを案じてのものだったわけだ。しかし、リーダーが案じる以上に、わたしには地域は分裂傾向にあると認識している。やはり地域のリーダーたちがどう接しているかが重要で、そうした流れが住民にも雰囲気を醸し出したりする。いや、それ以上に地域に根強いモノが横たわっているのかもしれない。

 山中氏の指摘の中でなるほどと思った視点があった。山梨県では知事が東京都と同じ区割りを希望しているものの、経済同友会は「南関東、東京と同じ州になることで、過疎の進行やゴミ処分場など迷惑施設を押しつけられる懸念から、静岡、山梨、長野による中央州を形成することを主張」と紹介している。山梨県はともかくとして、長野県は関東につこうが中京につこうが、いずれも僻地であることに違いはない。例のリニア問題からいけば、これを扱った掲示板などを伺うと、長野県など相手にされていないという印象は強い。リニアのルートについてごちゃごちゃ言うのなら「長野県を8つに分割し、隣り合う8つの県に併合させれば、すべては丸く収まる」などという意見すらある。確かにその通りかもしれないが、果たして分裂の先に本当にそんな現実があったらどうだろう。いずれにしてもリニア問題は、道州制と大きく絡んでくることも事実で、もし道州制が導入されるとすれば、長野県が「駅の設置を」と望んでいる意図が大きく左右されてくる。もっといえば、直線ルートが現実化したとして、さらには飯田地域が分県してしまったら、長野県には何の価値もないものになってしまう。そういう意味で、なんとか諏訪まで引き上げたいという考えは、いずれ議論にもなる道州制とも絡んでいることは自ずと解るわけである。そしてその接点にある地域だけに、「迷惑施設が押し付けられる」という想像もけして非現実的なものではない。

 山中氏は「道州制議論は長野県の分割志向を再燃させつつある」とまでいう。かつて県庁の綱引きをした長野県には、一体にはなれないものがあった。「春の統一地方選挙の候補者討論会で、「道州制が導入されれば、飯田下伊那地方は県を割っても中京圏へ行くべきか」という問いに、候補者五人全員が同意し、聴衆からも疑問の声は起こらなかった」という。さらに小木曽根羽村長や大平天龍村長の道州制では中京圏以外は考えられないという意識を紹介している。どれほど「信濃の国」を歌おうと、いざとなれば生活圏域は明らかに違うということを示す事例である。

 山中氏の捉えかたにはおそらく南信=中京圏のようなものが見え隠れするが、これは伊那谷という地域をあまり理解されていない視点だと思う。中京圏を望むのは伊那谷ではなく、飯田下伊那ではないだろうか。道州制論者である山中氏は、「現行の長野県の活用」をしながら道州制に移行することを薦めている。「県知事を廃止したり、県職員の身分を道州や市町村に移管するとしても、放送局や本籍地や住民票の記載は長野県の呼称を使用し、道州制の中でも高校野球予選や、運転免許試験場、県立歴史館など現行の県単位で保ち、市民感覚での長野県の存在感は現状と大差ないものとすることである」と述べている。果たしてそんな非現実的な道州制はありえるのだろうか。いずれにしてもいざとなってからでは遅い。接点、そしてもともと分割志向のある地域だけに、山中氏が最後に提案している「長野県から道州制や、広域地方行政に関するシンポジューム開催や、提案。岐阜、静岡、愛知などを交えた日本列島の東西交流のイベントや特別展開催」は必要なことではないだろうか。



リニアが通るという「問題」 20081230
 JR東海の松本正之社長が12/26に村井長野県知事をたずねてリニア整備計画への協力の挨拶をした。いよいよリニアによる駆引きが現実化するわけで、へたをすると長野県内には大きなしこりを残すことになる第一歩だったのかもしれない。前述したようにこれまでにも何回も触れてきた。

 「長野県の一部がごり押しする迂回ルートと、日本全国で当たり前とする直線ルートのせめぎあいが始まりました」などということを言う伊那谷の人もいる。しかしよく考えてみると、やはり南アルプスの直下に穴を開けるのに抵抗のある人はいるはずだ。ところが直線ルート上においてこれを口にする人は極めて少ないというよりは、村八分にされるのではないかというほどに直線が当たり前という雰囲気がある。もちろんルート上とはいえ、通過するだけの地域の人々は反対したいところだろうが、そう遠くないところに駅ができるなら、という期待感がどこかにあるだろうし、周辺地域全体がそういう意識でいる以上、「反対」などとはちょっと言えないというのが田舎の現実なのかもしれない。

 妻がやはりという感じにこのことに触れ、「伊那谷自然友の会とかは反対していないの」などとわたしに聞くが、わたしに聞くよりは付き合いのある先生方に自ら聞いてみた方が早いだろう。そもそも迂回してルートが長くなるよりは、見えないところを最短で行く方が自然破壊は少ないかもしれない。などというと、妻はそもそも長野県など通らなければ良い、などという。確かにそれが最も自然への影響は少ない。

 現実味を帯びてくると「駅がどこに」という話が賑わう。長野県が求めている迂回ルート沿線の人口は、諏訪208,139人(ウィキペディア最新データより)、上伊那192,678人、下伊那171,870人である。三つも駅を造ったら一駅あたりの人口は平均20万人程度となる。もちろん諏訪地域には周辺地域が付随するから、たとえば松本圏の安曇野市まで含めた人口430,685人ともし二つとした場合の上伊那を加えると政令指定都市並みの人口にまで跳ね上がる。ところがこの場合は駅を諏訪圏に置かないと松本圏の人々は使いづらい。ここから解ることは、より多くの人々の利用価値を上げるには、どうしても諏訪圏まで迂回させないと意味がないということである。だからこそ長野県がごり押しするのも当然なのだ。そこへいくと直線ルートとなれば下伊那地域に駅ができる(一県一駅という思想にあわせれば)。下伊那地域の周辺を見てみよう。前述したように上伊那は192,678人。合計しても364,548人これに加えられる人口はない。岐阜県側の駅は、名古屋との距離を考慮すればそれほど名古屋近辺になることはない。とすれば中津川などということになれば、恵那山の向こう側の人々が下伊那にできる駅を利用することはない。そして南側地域に至っては山間地域ということや、飯田まで遠いという立地から名古屋に出た方が早い。ようは長野県の南端を通すというルートは、周辺人口からして地域性からみれば実は問題が多いということになる。それを地域エゴと言ってしまえば、では地域とは何かということになってしまう。そして下伊那地域に駅となれば、松本圏の人々はまず利用しづらい。中央線や篠ノ井線の特急で松本から長野が1時間ほど、南へは木曽福島まで1時間ほどという位置にある。木曽福島と緯度の同じくらいにある伊那市がそこそこということになる(ただし飯田線へ直接乗り入れられる環境を整えてのことであるが)。それより南に下ってしまうと、時間がかかりすぎてしまうということである。

 もうひとつ問題なのはこれも以前から触れている在来線とのかかわりである。東京から甲府まではリニアと在来線が平行する。駅を一県にひとつ造るということはそれらと絡んでくる。何も造らないといえば在来線が消されることもないだろうが駅を造る以上は人口の少ない地域の在来線は地元に下ろされる。とすると中途半端に在来線が消されると、たとえば諏訪や松本の人々は大きな痛手となる。直線ルートで了解したとしても、さらに在来線まで消されてしまったらマイナス効果となってしまう。もっといえば中津川あたりに駅が造られると中央西線も消されてしまう。これは大変なことである。

 たとえばの話、富士山の直下に穴を開けるといったら多くの人が反対するのではないだろうか。もちろん活火山であるからそんなことは現実としてありえないが、それを南アルプスに置き換えると反対しないというのは南アルプスに対しての思い入れの違いか、ということになる。南アルプスを世界遺産に、という動きがあるが、それを理由に迂回させろといっているのも胡散臭いが、開けてもいいじゃないかと言っている人たちが南アルプスを世界遺産に、などという資格はない。ようは南アルプスをその程度にしか見ていないということだ。

 周辺人口ということを考慮すれば、こんなルートがあってもよい。山梨から南アルプスを南に迂回して浜松市の北側を通過して名古屋へ向かう。こうすれば長野県と岐阜県は通過しない。名古屋の次ぎの駅は「浜松」、浜松市民にとってちょっと使いづらいことになるかもしれないが、813,615人の市域人口は諏訪地域に駅を造った場合の周辺人口を上回る。いずれにしても中津川−飯田間も近すぎるという感じがするがどうだろう。
 

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