【 NO.25 】 2007. 1. 1


便所のはなし8題

 
第1章「わたしにとっての便所=v

 わたしにとっての「便所」≠ニ題して昨年ブログに載せてきた。その内容をまとめて紹介する。

 わたしにとっては「便所」というものは思い深いものがある。今でこそ「便所」という言い方はあまりしなくなった。かつて「トイレ」という呼称が登場したころには、その言葉にしっくりせず、便所という言葉をいつまでも使っていたが、今ではその「便所」も知らず知らず使わなくなって「トイレ」が普通に口から出るようになった。「いい印象」という言い方も適正かどうかわからない。それほど「便所」というものは変化してきたといえるのだろう。

 「はばかり」「手水場」「雪隠」「厠」「東司」など便所を表す言葉は多いし、歴史もある。岩手県九戸郡では小便所のことを「灰汁場」というらしい。また青森県では外便所を同様に呼んだという。かつては火を使ったから灰が出た。この灰を肥灰として利用したことはよく知られている。後にこのことは触れたいと思うが、かつての農家には灰屋(へえや)というものもあった。自分の排泄物が畑に撒かれ、そして食べ物が生育していったのだから、現代人が聞くとちょっと違和感はあるのかもしれない。

 さて、わたしにとっての便所とはどういうものだったのか、少し触れてみたい。
 わたしの子どものころの家の便所は、玄関の左脇にあった。もちろん何度も触れてきてはいるが、わたしは農家の生まれである。そして生家は大正12年に建てられたものだった。わたしが覚えているころにはその当時の間取りはすでに変更されていたが、便所の位置は変わっていなかった。ただ、かつては便所に隣接して風呂を置いてあったが、わたしの記憶にある生家はすでに隣接したところに風呂はなかった。風呂が隣接していたということは、風呂の水をトイレに排水していたということで、生のままでは濃すぎるということもあって、風呂の水で下肥を薄めていたというわけなのだろう。そんな玄関脇にあった便所は、一応大便と小便は分離してあったが、溜めそのものは同一だった。小便器は陶器のものではなく、板で組まれたものだったように記憶する。そして大便所の方も陶器ではなかったのだろうか、よく覚えていない。そんな便所に入ると、ウジが湧いていて、とても気持ちのようものではなかった。そんなことが起因するわけではないが、便所に行くことは好きではなかった。もちろん子どものころだから、小便とはいっても、そこらで立ち小便するのが普通で、わざわざ小便所へ行って済ませるということもなかった。

 そういえば家の中から便所には行けなかったから、夜縁側から小便をする、なんていうこともあったし、昼間もわざわざ柿木の根元に行って済ませていたものだ。また、少し大きくなったころ(中学生くらいだろうか)には、屋敷に隣接している田んぼに行っては小便をするため、そこだけ異様に稲の生長がよかったりする。そのため母に「お隣の田んぼに行ってしちゃあいかんに」とよく言われたものだ。

 とくに大便所にはあまり行かなかった。便所の印象が「悪かったから」といってしまえばそれまでだが、それは今だからそんな解釈をするだけかもしれない。なぜか大便所には行かなかった。やはり子どもにとっては、板の間に口を開けている便所は好きではない。常に「ここに落ちたら・・・」ということが頭に浮かぶ。もちろんきれいなものではない。そして、溜まっているウンチはもちろん、ウジが迎えてくれる。とても今ではイメージがわかないかもしれない。大人だったら違うかもしれないが、子どもにとっては「したいときにスル」程度に考えていれば、毎朝必ず用を足すなんていう考えはなかった。だから便秘になるのも必然的にことだったかもしれない。ガマンすることは得意で、一週間くらいウンチをしない、なんていうことも頻繁にあったように記憶する。子どもだからしたいと思ったら、草むらに行ってするのである。もちろんふく紙なんていうものは持っていないから、そこらにある葉っぱをむしってトレペの変わりにしたわけだ。とくにつたの葉を使った。大きくてごわごわしていなくて、加えて破れにくければいいのだ。それでもとても食生活は良好とはいえなかったから、お尻はよく汚れている。だからなんども拭かないときれいにならない。加えてやわらかいウンチなんかした時には大変なことだ。時には葉っぱが破れて素手で拭いていたりする。ちょっと想像をはるかに越えてしまうかもしれない。そんなこともよくあった。

 わたしだけのことではない、子どもたちはそんな経験はみんなあった。そう思うと、昔の草むらには、ウンチが葉っぱで覆われている、なんていう光景がよくあったものだ。気をつけないと、人のウンチを踏んでしまう。いや、踏んでしまったこともある。




第2章「用を足したくなる環境」
 
 小便といえば立小便。当たり前といえばあたりまえで、立って用を足せば立ち小便≠セ。世の中から草むらがなくなれば、立ち小便もし難くなる。いや、今は荒地も多いから、その環境は必ずしも消えたとはいえない。しかし。かつてにくらべれば用を足せなくなったことは確かだ。加えて今は公衆トイレがけっこうあるし、さらにはコンビにへ行って用を足すなんていうことも普通に行なわれる。そのあたりの感覚である。前にも述べたように、かつては大便をしたくなれば、山の中に入ったり、草むらに行って用をたした。それがそれほど恥ずかしいことではなかった。同じように女性だって野で用を足すなんていうことは、致し方ないがあったはずだ。ところが、今はそういう感覚はそれほどない。とすれば、今のように男性も女性も関係なく仕事をこなすとなれば、女性と外回りの仕事をすると、どうしてもトイレのことを念頭に置かざるをえない。女性は女性で、トイレに頻繁に行くわけにもいかないから、必然的に我慢をするようになる。そしてそうした我慢に慣れてくる。

 以上から、用を足す環境というものもあるのだろう。かつては「野」でできたものができる環境もなく、しだいに「野」でするものではないものとなってきた。やたらなところでしたら訴えられそうでもある。大便はできれば自宅でしたい。そう思うのは、大便をする環境として自宅のトイレは最も優れている、ということもいえるだろう。水洗化された洋式のトイレは、明らかに快適になった。加えてウォシュレットの使いよさは、使い慣れてしまうと必需品となってしまう。いっぽうでそうした環境が整われる以前は、時には「自宅でするより外でする」なんていう意識の人も皆無ではなかった。それは、汚しても自分がきれいにする必要がないし、汲み取り式であれば、自宅ですればするほど汲み取り回数が多くなるわけだからだ。そんなケチな感覚で外で大便をする、なんていう認識は考えられないかもしれないが、ようは自宅の家庭ごみをコンビにのごみ箱に捨てるのと同じような感覚なのだ。会社でも公衆トイレでも朝方にトイレが「いっぱい」なんていう経験はないだろうか。自宅で用を足さなかった人たちが、そうしたトイレ事情を作り出したりする。必ずしも先ほどのよそのごみ箱へ≠ニいう意識に限られるものではなく、朝の忙しい時間に用を足せなかった、という事情もあるのだろう。

 環境という観点でいけば、公衆トイレの場合このごろはきれいになったが、汚れていると使いたくない、という意識も芽生える。かつてのようにコンクリート剥き出しのトイレともなれば、足元が濡れていたりすると気分はよくない。もちろん汚れているトイレを開けると、隣に移動したくなる。そんなことは誰でもあることだろう。トイレに関するアンケートなんかをのぞいてみても、「きれいであること」、あるいは「明るくしてほしい」なんていうのはごく普通である。昔の公衆トイレには、トイレットペーパーが備え付けられていないなんていうことも、珍しいことではなかった。いや、意図的に付けてないトイレもあったように記憶する。結局、前にも述べたように、自宅でできるものをよそへ来て用を足す、なんていうことが横行するから、意図的に外で用を足すようなことを避けるための策であったのかもしれない。今では公衆トイレでペーパーが置いてないところなど滅多にお目にかからない。誰も使わないような公園のトイレや、田舎のトイレくらいかもしれない。

 イメージが第一という印象があるトイレ。かつての「野」も、今のトイレも、やはりその環境が快適さを決めるわけだ。女性の感覚はわからないが、今でも男性はトイレで立ち小便するよりも、「野」でする小便は開放的で気持ちがよいはずだ。それは男性だけの特権なのかもしれない。




第3章「用便後に尻を拭く」

 わたしにとっての「便所」≠ノおいて、野糞に触れて大便をしたあとに葉っぱで拭く話をした。わたしの子どものころ、30年ほど前の便所には、ちり紙というものはまだなく、新聞紙をちょうどティッシュペーパー程度に切断した紙が置かれていた。新聞紙はけっこう大便所に落としてもそれなりに解けたのか、あるいはそれほど紙を使わなかったのか、落とすことは許されていた。便所から汲み取って肥料にする際に、まだ新聞と解る姿であったことを覚えている。そののちちり紙を置くようになったが、そのころのちり紙というやつは、今のようなティッシュペーパーのように柔らかくはなかったが、新聞紙に比較すれば格段と改善された尻の感触であった。ところが、わたしの場合きれい好きだったせいか、拭いても何もつかなくなるまで何度も紙を使ったため、母に「紙をたくさん使うな」と戒められたものである。そのうちに肥料としては使わず、汲み取り業者に引き取ってもらうようになると、紙を多用すると便所がすぐにいっぱいになってしまうといって、使った紙は備え付けの箱に入れるように母に指導されたものだ。そうすることによって、汲み取り料を節約しようとしたもので、なかなか考えたものではあるが、あまり気の進むことではなかった。

 民俗学者、向山雅重先生の著書にこのお尻を拭く道具のことが書かれている。『伊那』昭和45年4月号に書かれた「ヨウトギ」には、なかなか興味深いことが書かれている。清内路村の方から聞いたところによると、下肥を背負い桶へ入れてセータ(背負板)で運ぶ際、山坂を歩くからなるべく水気を少なくしたかったという。そのために小便と大便は区別することを考えたわけだ。そうするには、もちろん小便と大便は別の溜めに入れるのだろうが、女性も男性用のいわゆる小便器で小便をしたというのである。女性の先生が宿を借りていたとき、「先生すまないが、小便と大便を区別しておくんなよ」と言われたというのである。以前「オンナの身体論」において、女性の立ち小便のことに触れた。「質疑のなかで、トイレの話が出て、かつては女性が立小便をしたというが、そうなると、トイレで必ずしもしゃがんでいたとは限らなくなる。その辺も含めて検討の余地はある。」と述べた。清内路の事例から導けば、小便と大便を区別するために女性の立ち小便が生まれたとも考えられる。年寄りがかがむのが大変だからといって立ち小便をするのではなく、下肥から水分を減らすためにしたわけだ。そうはいっても実家の母が座るのがつらいといって、このごろ立ち小便をするようになった現実を見る限り、そればかりでもないとは、少し思うわけだ。

 さて、向山先生書かれた「ヨウトギ」とは何かということになる。ヨウトギとは、大便の後始末をする木片のことである。ようは紙のかわりである。昔は紙などというものはなかったから、木を使ったわけである。栂や樅の木のマサを5寸ほどに切り、薄く割って使ったわけだ。表で拭き、次には裏で拭く。これを箱に入れておき、たまると「ヨウトギ、捨てに入ってこい」と言われてナギへ行って捨ててくるというのである。ここでいうナギとは、もちろん崩れている崖のことである。「ゴミのはなし」でも崖に捨てる行為について触れたが、やはり崖は捨てる空間であっことをここでも知ることができる。そして、ヨウトギが紙に変わっても紙を便つぼに落とされると下肥としては邪魔だといって、「紙は便所に落とさないでください」と張り紙をすることになったわけである。

 清内路ではヨウトギといったが、上村(現飯田市)ではステギとかステンボウといった。このステンボウという呼び方はけっこう一般的だったようだ。さらにステンボウ以前には、藁を吊っておいてそれを端から使っていった、などという伝承もある。もちろん野に出れば葉っぱを使ったもので、向山先生の『続山ぶどう』の「ステンボウ」には、「ふきの葉、イタドリの葉なんぞは、山へでも行ったとき、まことに具合よかった」と泰阜村栃城で聞いた話が書かれている。

 今ではトイレットペーパーが当たり前のように使われているが、日本のトイレットペーパーの品質は高いといわれる。紙が日常的に身の回りに出現したのは新聞の購読に始まるのだろう。新聞を購読しなければこんなに紙は氾濫しなかった。それがヨウトギやステンボウをなくした。いや、食生活が変わることにより、かつてのヨウトギやステンボウでは用は足せなくなったかもしれない。だから紙が登場したから用便に使われるようになったという見方もあるだろうが、軟便になれば必然的に木片は消える運命だったのかもしれない。

 余談であるが、中国ではかつて木片であとを拭いたといい、その木片を袋に入れて持ち歩いたという。また、インドでは用弁後、尻を高くしてこれに水をかけて指でこすったという。乾燥した地域では何分間か尻を乾かしているだけで何も使わなかったともいう。動物が尻を拭かないことを思えば、人間の用便始末は多様でおもしろいものだ。




第4章「便座器のもたらした変化」

 「オンナの身体論」において、日本女性の出産や月経が重くなっているといわれる要因として、かがむこと、しゃがむことをしなくなったことがあると、鈴木明子氏は説いた。男は大便はしゃがむものの、小便は立ったままする。それにくらべれば女性はどちらもしゃがむわけで、男性に比較すれば日常で否応なくしゃがむ回数は増える。和式といわれる便器は、しゃがむことで用を足すわけだ。その和式便器は世の中からどんどんなくなっている。当たり前のようにしゃがむ必要性が減少する。

 和式というからしゃがんでする便器の形が日本式なのかと錯覚を覚えるが、ヨーロッパでもしゃがむ姿勢の便器は一般的だったようで、フランスではしゃがむ形式の便器が多いという。紀元前1370年のエジプトの便器は腰掛ける形のおまるだったという。ずいぶん昔のことでありながら、今でもそう形式がかわっていないことに、生理的現象であって、それほど人に見せるようなものではない影の世界は、大きく変化していないということを改めて認識させられたりする。

 そんな和式便器はあくまでも男にとっては大便専用だし、女性にとっては両用である。しかし、水洗化が当たり前になるとともに、世の中からは便座式の洋式トイレというものに変化してきた。加えて便座式の方が身体には負担が少ない、あるいは痔にならないなんていう情報が与えられて、それを日本では受け入れてきた。このへんの変化のニュアンスがなかなか個人差があっておもしろいと思うのだが、あまり触れられていない。ホテルはもちろん、個人住宅のトイレにおいても水洗化されることによって、便器は従来の和式のように、大便用と小便用という分離式ではなく、便座式の便器がひとつだけ置かれるようになった。便座式の便器は、大も小も兼ねられるという利点はあったのかもしれない。狭い住宅事情という日本特有の環境は、トイレのスペースを縮小するには洋式は都合よかったこともある。

 ところが便座式のトイレで立小便をするというのは、それまでの分離型のトイレに慣れていると大変抵抗があるものだ。前にも述べたが、男にとっては立小便は気持ちのよいものだ。ところが、立小便の場合は、とりあえず便器の方を向きさえすれば、少しは便器の手前へしずくを落とすことはあっても、いいかげんでも便器が小便を受け止めてくれる。ところが便座式の便器で立小便をするとなると、そんないいかげんな足しかたでは、小便を受け止めてくれないからだ。しっかり便器の穴へ向けて用を足さないと大変なことになってしまう。飲み屋かなんかで酔っぱらいが便座式で立小便などしていたら、そのトイレに入って大便などいささかしたくなくなる。もちろん、女性と男性が共用だったら女性にとってはかなりつらい空間となってしまうだろう。こんな話を友人ともしたことはないし、他人ともしたことはない。しかしながら、和式から洋式、分離型から共用型という流れの中では、誰しもそんな戸惑いを持ったはずである。初めて便座式トイレへ入ったとき、どうやって小便をするのかわからなくてあきらめた覚えがあるのはわたしだけだろうか。これからの子どもたちはどうも思わないかもしれないが、かつてを知っているものほどその違和感は持って当然である。

 このごろの若い人たちは、男性も便座に座って小便をするという。そうなる布石はさまざまにあったのだろう。共用することになったことも要因であるだろうし、若い男性(もうずいぶん前からだから、若くなくてもそういう男性はいるが)には、小便をするにもズボンのベルトを緩めて用を足す者が多い。いわゆる「社会の窓」を使わないのだ。わざわざそういう若い人たちに問いただしたことはないが、彼らにとって、便座式のトイレで小便をする方法はどうなのか、そしてもしそこで立小便をするとすればどう思うか、そこが微妙なのだ。

 わたしは自宅を新築する際に、水洗トイレを設置するにあたり、やはりスペースを省くためにトイレは一室と考えた。ところがわたしも便座式のトイレは小便がしにくいし、衛生上も芳しくないと思っていたし、それをもっと強く感じる妻は、共用に対して抵抗があったようだ。そこで、一室ではあるが、そのひとつの空間に便座式と小便用の便器を並べたわけである。さて、会社のトイレも各階に備え付けられたトイレは一室に便座式の便器がひとつ置かれている。気分的なものなのだが、わたしはそのトイレをあまり使いたくない。だから小便専用トイレへ向かう。「立小便は連れションが気持ちいい」なんていう言葉をよく若いころに言ったが、小便の風景というものは独特な世界があったように思う。もちろん男性だけに許された特権のように。ところが、男性が便座に座って小便をするようになってしまっては、かつてのそんな独特な世界は消えてしまう。生理現象だけに、環境に左右されるとなるとストレスがたまる。そう思うのだが、かなりくだらないことなのだろうか。




第5章「便所周りでの作法」

 わたしは小便をする際に、戸の鍵をしめないのがいつもだ。しかし、これは外国では作法上問題ありのようだ。日本ではトイレが個室ならノックをして確認するのが常識だ。しかし、実際は個室トイレの鍵が赤くなっていなかったり(ようは鍵が閉まっていなかったり)、あるいは電気が点いていなかったりすると、ノックもせずにドアを開けようとする。とくにわたしはそうである。なぜノックしないのか。面倒くさいのであるとくに身体を動かして確かめなくてはならない、あるいは音を立てるということが気になってしかたない。だから、できれば様子をうかがって、使用されていなければ、静かにトイレに入りたいのである。これからトイレに行く≠ネんていうことをあからさまに人様に知らせたくないし、自らもそんな明確な行動をして便所を意識したくないのである。基本的に便所というものが、必要ではあるが、陰の世界のものであるということを気持ちの中で持っているのだろう。人にそんなことを聞いたこともないが、少なからずそんな意識は誰にもあるのではないだろうか。

 さて、もともと小便所と大便所は別物だったから、かつてのイメージを持っている者にとっては、小便しようと個室に入って、ドアを閉めることに違和感があったりする。その気持ちもかろうじてわたしにもあるが、そうはいってもドアを開けっ放しで小便をすることはこのごろはなくなった。ところが、今でも開けたまま小便をする人はいる。以前女の立小便の話をしたが、年老いた女性でも、わざわざあるドアを閉めずに立ち小便をしている、なんていう姿を見たことがある。会社の若い男性が、そんなドアを開けっ放しにして小便をしている先輩をみて、なんとかしろよ≠ネんて言っていたが、気持ちとしては開けっ放しに賛成ではある。が、周りの人は「失礼なやつ」と思うような世の中になっていることは確かである。

 前から何度も書いているように、小便器と大便器が共用になるなんて思ってもいなかったわたしは、初めて座便器で小便をしようとしたとき、どうやってよいかわからなかった。笑い話ではない、本当の話である。いつ頃のことだったか覚えはないが、20代のことである。だいたいが、座便器についている座枠が上に上がるということを理解していなかったのである。だから、そんな座便器のトイレに入ると、あきらめて別の便所を探した覚えもある。それでもその便所しかないとわかると、座枠をあげずに降りたまま座枠の穴に向って小便をしたのである。そう、座枠に飛ばないように前かがみになって。冷静に考えてみれば、ズボンを下ろして、座って小便をすればよいことなのだが、当時は座って小便をするなとどいうことはありえない世界だったわけだ。

 もうひつと。座便器を小便と大便に共用していると不潔さがある。そんな座便器にあまり座りたくないのだが、これもまた、今のトイレ事情に慣れていない証拠なのかもしれない。このごろ知ったことなのだが、座枠の上にトイレットペーパーをコの字型に敷いて用を足すというのが常識だという。使用後にそのロール紙を水とともに流すというのだが、へー≠ニいう世界だった。誰にも聞いたことはなかったことだったからである。また、座枠はもちろん、蓋を閉めてトイレを出るのが常識なのかもしれないが、やはり座便器になれていない者にとっては、そんな行為も面倒くさい行動なのだ。




第6章「便器が詰まる」

 水洗にしてから水の使用量は多くなる。そんなことは当たり前のことだが、節約するために大便後に流す水の量を減らす方法がある。タンクの中に水を入れたペットボトルを入れておくのだが、こうするとペットボトル分の水は毎回節約となる。下水の使用料は一般的に水道の使用量に比例するため、水道使用量をもって下水道料金が決定する。だから節約すれば当然上下水道ともに節約となる。初めて便器で水を流した時に思ったことは、「こんなに水を流していいの」という感じだった。あれだけ水が流れるのだから、大便が流れないなんていうことはないだろう、そう思っていると時に流れないことがある。

 いや、流れないどころか詰まる時がある。便秘気味で数日ためたりしていると、当然出すのも苦労だが、流れずに苦労ということもある。とくに数日ためていて図太いのなんかしたら大変だ。あの黄泉の世界への口から便が消えていかないのだ。まるでこの世に未練があるがごとく。しばらくしていると流れたり、水をもう一度流してみたりすると「流れる」ということもあるが、何度アプローチしてもダメという時もある。結局固まったようなものは流れないのだ。こんな時は、専用の流す道具がある。ゴムでできたお椀型のもので、お椀の底に柄がついていると思えばよい。ホームセンターなんかで探すと、その道具が売られている。この道具を便器の穴のところにあてがい、穴に向けてゆっくり押し込み、お椀の中に水が入るようにゆっくり戻してやる。そうしたら勢いよく穴に向けてお椀の中の水を押し込んでやるのである。この圧力によって黄泉の国への扉が開くのである。

 この道具、何度か使っていると慣れたものだが、初めて使った時はやり方が今ひとつよくわからなかった。水を押し込むのか空気を押し込むのかが、まずわからなかった。水を含んでやっても開きそうもなかったので、空気を溜め込んで勢いよく押し込んだりしてみた。ダメどころか、空気を押し込もうとすると、穴の中にある汚水が跳ね返って便器の外に飛び出したりする。大変なことである。そこらに汚水が飛び散るのだから。「もう、勘弁してよ」という感じに落ち込むのだ。なんとか流れると、二度とこんな道具は使いたくない、と思うのだが、忘れたころにまた詰まらせるのだ。赴任先でも詰まらせたことがあり、わたしは二つ目を購入した。初めて詰まらせた時に家族にバレテ以来、家族には「父ちゃんのウンチは大きいから・・・、自分で流してよ・・・」と言われ、悲惨なものだった。

 詰まったときの道具を売っているということは、人には言えないが詰まらせる人が結構いるのかもしれない。欧米では便を詰まらせて申告する場合は、必ず同姓の係員に申告するものだという。まあ、異性に詰まらせた自分のウンチを見られるのは屈辱的なことかもしれない。欧米では水が貴重だから、流す水の量が日本とは違ってかなり少ないという。よけいに詰まりやすいから、旅行に行かれる方は注意が必要のようだ。まあ、海外にまったく縁のないわたしには、心配のいらないことだが・・・。




第7章「化粧室」

 便所といえば便所である。大便と小便の用途しか考えられないのだが、今や便所は洗面所から化粧室と呼び方は変化するとともに、その用途も便所だけではなくなった。そう考えれば便所という言い方そのものも化石化していく。便室の用途として用便をする場所というのが日本的考えであったが、欧米では着替え、あるいは履物の履き替え、そしてポケットの中の金品の入れ替えというような用途もあったようだ。そして、欧米では便室と洗面所というものが別個の空間であって、洗面所の用途も多様であった。日本ではそうした感覚がなかったこともあり、便所に付随した洗面所は、単に用便後の手洗い程度に考えていた。だからこの形式が取り入れられてきたころは、洗面所はそれほど重要視されていなかったのか、スペースも狭かった。欧米での洗面所の用途をみると、@洗顔と歯磨き、A用便後の手洗い、B外出後の、あるいは外から屋内に入ったときの手洗い、C服装や化粧直し、D上半身の水拭き、Eハンカチや靴下などの洗濯、などの用途があるという。日本人としては、公衆の場で@とかD、Eをするには抵抗があるだろう。またそんな光景をあまり見ることはない。洗顔や歯磨き程度の姿は見るが、それらはケースが限られているように思う。それでも現代の日本人にはそれほど違和感がないかもしれない。

 ポケニャンさんはブログ「男子化粧室」において、男子化粧室≠フ表示を見て「何をする場所なのか」みたいに違和感を覚えた経験を書いている。男女平等社会なら、女子化粧室に対して男子化粧室があってもちっとも不思議ではない。しかしながらそこまでして「化粧室」なる言葉を当てなくてはならないのか、それともマジに化粧のためのスペースなのか、不思議な話である。化粧≠ニは何かと広辞苑で引いてみる。「紅・白粉などをつけて顔をよそおい飾ること。美しく飾ること。外観だけをよそおい飾ること。」などと書かれている。そして化粧室≠ノついて「化粧に使う部屋。洗面所・便所にもいう。」とある。化粧室の意味からいけば洗面所でも便所でもいいわけだからけして不可思議なことではないが、そんな小難しいことではなく、便所の用途なら単に「便所」で良いと思うのだが、なぜこうも呼称を変えてきたのだろうか。便所≠謔閾化粧室≠フ方が聞き応えが良いというイメージの問題なのだろうか。それともマジに化粧≠フための空間なのだろうか。

 そんなことを考えながら思うのは、公衆の便所とプライベートの便所ではかなり感覚に違いが出てきているというのが印象である。明らかに公衆の場に整備されてきた便所は化粧室になりつつあり、プライベートな便所は、相変わらず便所のままである、そんな印象である。ところが旅館よりもホテルの台頭により、人々は明らかに欧米化してきたことも確かで、それに慣らされてきていることも確かである。ホテルの狭いスペースだからこそなのだろうが、便器と浴槽が隣り合わせに並んでいるのは、わたしにはどうしても許せないわけで、今やそんな許せない≠ネんていう人はいなくなっているかもしれない。




第8章「陰の世界」

 ここまで、あえて「便所」と題していろいろ書いてみた。というのも、わたしの子どものころの便所とはずいぶん様変わりしたその空間が、わたしにとってどう変化してきたのか、そんな部分がわたしの一歴史にも感じられたからだ。便秘気味の自分の身体は、子どものころの日常の便所とのかかわりから出来上がったもののように感じたし、いっぽうでどんなにきれいで明るくなっても、相変わらず陰の空間であることは、わたしには変わりないからということもある。

 全裸になる空間というと、日本では風呂という場所がある。もちろん個人の家では誰もそれを見る人はいないが、公衆浴場、あるいは温泉場においては、まさしく全裸を見せる場となる。わたしは温泉が好きで、一時地元にある温泉に頻繁に行った時期があった。息子が小さいころだったから、「外へ出る」という楽しみの一つとして、そんな家族の形が出来上がっていたのかもしれない。ちょうど公共の温泉があちこちに出来て、金銭的にも余裕があったということもある。そんな温泉に頻繁に訪れていたころ、息子を連れてプールに行った時に大変違和感を覚えたことがあった。それは、更衣室で水泳用のパンツに履き替えるとき、思わず温泉の脱衣所の感覚でさっとパンツを脱いで履き替えようとした時だ。まわりにそんな履き替え方をしている人はいない。みんなバスタオルを巻いて、陰部を見せないように隠しているからだ。そのころ温泉に頻繁に行っていたということが、そんな違和感を覚えさせた引き金にもなった。確かにプールの更衣室では、そんなスッぽんぽんになるということはそれまでなかった。それが自分の中では、温泉とプールが同化してしまったわけだ。

 欧米の人たちに限らず、世界の多くの人々は人前でパンツを脱ぐことはしないだろう。だから日本の温泉というものは、大変不思議な世界に映るに違いない。もう20年近く前になるだろうか。名古屋にある「まつり同好会」という会の記念大会があって参加して、今は亡き会長さんと親しかったということもあって大会後の懇親旅行に同行したことがあった。その際ネパール人の同じくらいの年の青年と仲良くなったのだが、温泉に着いて「入ろう」といっても遠慮するのである。3月ということもあってまだまだ寒かったということもあるが、温泉では浴衣に着替えるということもなく、上着を脱いで、その上に浴衣を羽織るというような格好をしていて不思議に思ったものだったが、考えてみればこちらの方が異種の人種に見えたに違いないのだ。

 以上は便所とはなんら関係のない話であるが、第7章でも触れたように、浴槽と便器が、そして洗面台が並ぶという空間が、欧米とはずいぶん捉え方がちがうんだということを確認しながら感じた、陰の世界の捉え方にたどり着くわけだ。どんなに便所空間が明るくなろうと、便器から闇の世界が見えなくなろうと、「トイレの花子さん」のように、便所にはお化けの話が絶えない。精神的に不安定になる空間というものが、あの空間にはあるように感じる。かつてのポットン便所なら、便槽の中から手が手でくるという話もうなづけるが、今の便器から手が手でくるという発想はなかなか難しい。でも、怪談話でもしたあとに、あるいは妖怪の話をしたあとに、今の便所に行ってみると、あながち手が出てきても不思議ではない、とそんな気持ちになったりする。それほど不安定な空間なのだ。ほかの方はどう思うか知らないが、かつての和式便器は、陰部と便器の間に隙間があった。ところが今の座便器にはその隙間がない。和式にあわせて言うなら、便器に腰を下ろして蓋をしているようなものだ。だから、あの暗い世界がかつてはウンチをしながらのぞくことができたが、今はひたすら尻を下ろして蓋をして暗い世界を自ら作っているわけだ。だから、その空間は用を足しているあいだは、のぞくこともできない。それは大きな不安な時間でもある。陰の世界に陰部だけを放り出しているのだから。

 さて、最近の便所は奇麗だと昔の便所を知っている者、誰もが言うだろう。それでも便所に落書きがされていることもある。しかしながら、昔と違って管理もよくされているから、そんな落書きを眼にすることは少ない。かつてなら、汚い公衆便所の定番が、性器を象った落書きであった。それは学校の便所でも同じであったが、今の学校の便所がどうかは知らない。今でこそインターネットに限らず、そうしたモノをあからさまに見ることができたり、そうした掲示板に落書きできるから、わざわざ便所に落書きもないか、などと納得したりするが、陰の世界に便所が君臨していたからこそ、かつてはそんな若者たちの落書きの空間にもなったのだろう。そうした行為を、便所の空間変化と性環境変化と結びつけるのも乱暴だが、全く関係がないということもないように思うがどうなんだろう。

 

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