【 NO.24 】 2006. 1. 4


1.山を想う

 元旦、下伊那郡喬木村富田から、飯田市座光寺まで、客人を送る。客人はこういう、「わたしのイメージでは、陽は風越山に沈む。なのに富田へ来ると陽はどこへ沈むのだ」と。客人は座光寺で育った。したがって、天竜川の西側に位置することから、陽は伊那山脈からあがり、天竜川を越えて飯田市街地の西に位置する風越山へ沈む姿を常に見ていたわけである。ところが、天竜川の東、それも風越山から見るとちょうど南東に位置する富田からは、風越山はまったく違う方向に見えるのである。ふだん陽の沈む位置として意識していた山が、場所を変えて見ると、まったくイメージが異なるため、方向を見失うわけである。客人は、その位置関係をどうしても理解できないと、何度も口にする。
 『中川村誌下巻』民俗編において、「山と風景」を扱った。たとえば、天竜川右岸に住む昭和12年生まれの女性は、電車で通うときに見た南駒ケ岳百間ナギの上の稜線に見える上弦の月と山の美しさは、ここに嫁いできて強く印象に残る風景だという。また、冬の早朝、七久保駅から見る日の出の風景も美しい風景として心に残るという。いっぽう大正12年生まれの天竜川左岸に住む女性は、ふだん山を意識したことはなく、どの山が何という山か知らないというものの、陣馬形山の位置は常に意識していたという。それは、旅館を営むなかで、宿泊客に「今日は雨が降るかねー」と聞かれると、「陣場形山に雨が降り出すと、ここまで雨が来る」と答えたという。陣場形山は、中川村にとっては象徴的な山である。それは、村のほとんどの場所から山の位置を確認できるからである。標高1445メートルと、中央アルプスや南アルプスの高峰とは比べものにはならないが、伊那山脈の中にあっては、周囲に阻害する山がなく、目立つ存在である。この山からは、北は辰野から南は飯田まで広範囲を望むことができる。
 実はわたしの生まれ育ったところからは、東側にこの陣場形山が間近に迫っていて、南アルプスの山々は見えない。もちろん陽が昇るのは、この陣場形山から昇るもので、間近にあるということで、朝は遅い。そんなこともあり、じゃまな存在であった。「この山がなければ、もっと早く朝陽が当たるのに」と想うことはよくあった。下伊那郡大鹿村釜沢は、奥まったところにある集落である。ここには南北朝時代に後醍醐天皇皇子の宗良親王が居住したといわれ、伝説が多い。この釜沢の東側に除山(のぞきやま)といわれる山がそびえている。宗良親王の后であった紀伊の后が、せめてこの山が取り除かれたら吉野のように空が広くなって、月が長く見えるだろうといったもので、そこから除き山といわれたともいう。確かに間近に迫っている山は、わたしにとっての陣場形山と同様に、じゃまな存在であったのかもしれない。このように必ずしも山の存在は良いイメージばかりでなく、その山があるがために、不愉快に想うこともある。しかし、前述したように、かなりの広い範囲から山の位置を確認できるということは、方角を知ったり、位置を確認するにはありがたい存在にはなる。

 このように、毎日繰り返される暮らしのなかで、そうした山の風景を印象として強く持っていたりする。必ずしも山だけを意識するわけではないが、日常の風景にある山が方向感覚を育んでおり、山が見える地域に育った人々は、見知らぬ土地に行っても、必ず山がどこにあるかを頭のなかで意識したりする。東京や名古屋に出て、ビルしか目標物が見えず、不安に陥るのは誰もが感じたことである。どこからでも見える目印としての山を、あらためて印象深く思うときであり、山の風景をふるさとのイメージとして位置づける要因にもなっている。

 冒頭に述べた客人の言葉もうなずける言葉である。たとえば伊那谷の広範囲から望むことができる陣場形山ではあるが、わたしの常の生活上のイメージは、東側にそびえる山である。しかし、飯田市からこの山を捉えると、東というよりも北に位置する。もちろん伊那市から見れば南に位置する。正確に捉えれば真南でも真北でもないが、ふだんの暮らしでイメージする際は、東西南北程度の意識しかない。したがって、東なのか南なのか、という大雑把な捉え方で山の位置を確認しようとすると、想定している場所とは違うところに山が見えたりして、方向感覚が狂うわけである。まさしく冒頭の客人の疑問なのである。山に限ることではないが、方向感覚というものは、何かの目標物が目安となる。その目標物になりうるものが、やはり高く目立つものとなる。したがって、山間地域にあっては、特徴ある山の峰が、目標となり、またそれをつねに見ていることで、心のなかに日常的に刻まれていくのである。松本平では、常念岳の描かれている絵が売れるという。目標となりうるもの、形として印象に残るもの、そうした存在は、自らの心に深く刻まれていくのである。

 前述した中川村の旅館を営む女性の事例のように、山の様子をうかがいながら、気象の予兆を語ることが多くある。そうした事例を『長野県史 民俗編』から拾ってみる。
南信 守屋山に雲がかかると雨が降る。 岡谷市から茅野市まで広範
守屋山に夕立がくると里にもくる。 諏訪市北真志野
守屋山、入笠山に雨足が立つとくる。このためにムラの人々は「入笠山に雨立ちぬ、田植えする田の筋付け消さぬほどに降れ」などという。 原村払沢
守屋山が晴れてくると天気になる。 岡谷市小坂、茅野市南大塩
八ヶ岳にかさ雲が出ると雨が降る。 岡谷市小坂
八ヶ岳に横雲がかかると天気が荒れる。 茅野市坂室
蓼科山にかさ雲が出ると雨が降る。 岡谷市小坂、茅野市湯川
蓼科山からの夕立はあまりこないが、くると大雨になる。 原村払沢
入笠山からくる雨は長降りする。 茅野市坂室
大沢山に雲がかかる雨が降る。 茅野市大池
西駒ケ岳の頂上に雲がかかると天気が変わる。 高遠町荊口
「高烏谷夕立と娘のぼたもちは必ずくる」といって、高烏谷山に雲がかかると夕立がくる。 駒ヶ根市市場割
風越山(権現山)に雲がかかると雨が降る。 中川村大草、飯田市名古熊、同下殿岡など
恵那山に雲がかかると雨が降る。 飯田市越久保、同上虎岩
吉田山を南から北に霧が越すと雨が降る。 高森町大島山
中信 有明山に雲がかかると雨が降る。 三郷村中萱
常念岳に朝雲がかかると雨が降る。 堀金村上堀
常念岳にみだれた雲が出ると風が吹く。 三郷村中萱
夕方、有明山、鉢伏山に雲がかかると雨が降る。 梓川村岩岡
とちくぼ山に雲が出ると雨が降る。 安曇村稲核
聖山が曇ると雨が降る。 麻績村西之久保
聖山に雪雲がかかると雪が降る。 本城村八木
天狗山が曇ると雨が降る。 明科町宮本
鉢伏山にかさ雲が出ると雨が降る。 松本市新橋
鉢伏山に前かけ雲がかかると雨が降る。 松本市芳川平田
鉢伏山に雲がかかると雨が降る。 三郷村中萱、松本市川西
鉢伏山にかかった雲と鉢盛山にかかった雲が一緒になると夕立がくる。 松本市笹賀今村
鉢伏山に雲がかかると風が吹く。 豊科町飯田、堀金村上堀、松本市今井下新田ほか
鉢伏山が夕方よく見えると晴れる。 池田町十日市場、穂高町新屋、梓川村岩岡
鉢盛山雲がかかると雨が降る。 塩尻市柿沢
泣面山に雲がかかると雨が降る。 日義村原野
御嶽に雲がかかると雨が降る。 木曽福島町伊谷
御嶽山の裏にかかっている雲が切れて青空が見えてくると晴れる。 木曽福島町伊谷
御嶽山がかすんでうすく見えるときは日照りが続く。 木曽福島町伊谷
駒ケ岳に雲がかかると近いうちに雨が降る。 木曽福島町伊谷
木曾駒ケ岳の前岳にある北股の沢に、まゆげのような雲がかかると雨になる。 上松町吉野
四阿屋山の中腹に、アマノガワと呼ぶ横の帯雲がたなびくと雨が降る。 麻績村本町
四阿屋山に三度雪が降ると里にも降る。 坂井村山崎
朝早く御嶽山が出ていると雨が降る。 開田村藤沢
秋、白馬岳の真峰がはっきり現れると天気が変わるといわれた。 堀金村田多井
白馬の頂上の雪が長野県側にふぶいて見えると雪が降る。 小谷村千国
黒沢山に夕立が始まると夕立がじきにくる。 穂高町穂高
南木曽岳の雲が一部南へ行くと日照りが続く。 南木曽町三留野
東信 蓼科山に雲がかかると雨が降る。 和田村久保、東部町西宮
蓼科山の峰に雲が南から北に下ると雨が降る。 上田市小井田
蓼科山に黒雲が出ると夕立がくる。 臼田町清川
蓼科山に雲がかかると風か吹く。 佐久市香坂、臼田町清川、佐久町下川原など
蓼科山の雲が切れると天気になる。 和田村久保、臼田町清川
大久保山の夕立雲は恐ろしい。 上田市金剛寺
入山と丸子山の間に帯雲(上方が黒く下方が白い帯状の雲)が出ると雨が降る。 丸子町練合
浅間山が曇ると夕立、尾之山が曇ると雨、烏帽子が曇ると雨になる。 東部町本海野
浅間山に雲がかかると雨が降る。 東部町赤岩、立科町塩沢
浅間山の腰に雲がかかると雨が降る。 軽井沢町発地
浅間夕立は荒れっぽい。 東部町赤岩
浅間山に三度雪が降ると里に初雪が降る。 小諸市耳取、立科町山部
浅間山に七回雪が降ると里にも降る。 佐久市長土呂、軽井沢町発地、佐久市跡部
浅間山に雪が降ると大雪になる。 御代田町小田井
浅間山に綿雪が降ると、里にも降る。 小諸市和田
「平尾ずきんに浅間帯」といって、朝、平尾山の頭に雲、浅間山麓に帯雲がかかっていると、その日は雨になる。 小諸市耳取
平尾山に雲がかかると雨が降る。 佐久市下桜井
平尾山がまる見えのときは雨になる。 佐久市長土呂
平尾山にずきん(かさ)、浅間山に帯状の雲がかかっていると天気になる。 御代田町小田井、佐久市跡部
平尾山が見えれば天気になる。 佐久市下桜井
太郎山の峰に逆さ霧がかかると雨が降る。 真田町横道、上田市小井田、上田市国分、上田市手塚など
太郎山の横霧が北に流れると雨が降る。 真田町上郷沢
太郎山からくる夕立は強い。 上田市西脇
太郎山に逆さ霧がかかると近いうちに雪が降る。 上田市西脇
太郎山に逆さ霧がかかると風が吹く。 上田市矢沢
朝日山に逆さ霧がかかると雨が降る。 上田市日向小泉
独鈷山に横霧がかかるとあめが降る。 上田市塩田上本郷
烏帽子岳に三度雪が降ると里にも降る。 上田市小井田、上田市金剛寺、丸子町坂井、東部町西宮など
烏帽子の山から浅間の方に雲がかかると晴れる。 丸子町向井
烏帽子、浅間が明るくなると晴れる。 東部町本海野
八ヶ岳にかたまった黒雲がでると雨が降る。 佐久市跡部
八ヶ岳が曇ると雪が降る。 八千穂村佐口
八ヶ岳に雲が出て強風が向くと雪が降る。 佐久町余地
八ヶ岳に三度雪が降ると里にも降る。 南牧村板橋
八ヶ岳に七度雪が降ると里にも降る。 小海町親沢
八ヶ岳に七回、浅間山に八回雪が降ると里にも降る。 臼田町臼田
八ヶ岳の頭がふぶくと雪が降る。 八千穂村崎田
八ヶ岳の頭にこけら雲が出ると風が吹く。 小諸市耳取
夫神岳に横霧が出ると晴れる。 青木村馬場
北信 鍋倉山の頂上に雲がかかれば天気が悪くなる。 飯山市桑名川
鍋倉山が曇ると雪が降る。 木島平村中村
鍋倉山に三回雪が降ると里にも降る。 飯山市西大滝
鍋倉山がカサ(黒い雲)をかぶると風が吹く。 栄村箕作
斑尾山が曇ると雨になる。 野沢温泉村平林
斑尾山の夕立はこっちの方にやってくる。 飯山市富倉
斑尾山の峰に雲がかかると雨が降る。 野沢温泉村平林、木島平村中村
斑尾山に雲がかかると雪が降る。 野沢温泉村平林
斑尾山がよく晴れてくると天気になる。 戸隠村志垣
高社山に雲がかかれば雨になる。 飯山市南条、飯山市愛宕町、木島平村中島、木島平村中村
高社山に横に長く黒い霧がかかると雨が降る。 木島平村大町
高社山に逆さ霧がかかると雨が降る。 山ノ内町中須賀川
高社山の方からくる夕立はすごい。 飯山市静間
高社山が曇ると雪が降る。 山ノ内町中須賀川
高社山に三度雪が降ると里にも降る。 飯山市愛宕町、豊野町蟹沢、小布施町羽場、山ノ内町中須賀川
高社山に白い雲がかかると風が吹く。 木島平村中島
高社山へかさ雲ができると風が吹く。 飯山市木島坂井
高社山にかさ霧がかかると風が吹く。 木島平村大町
黒姫山に薄雲がかかれば雨が降る。 信濃町古海、信濃町稲附
妙高山、戸隠山、飯縄山への雲行きで雨が降るかどうか判断する。 信濃町稲附
妙高山に三回雪が降ると里にも降る。 信濃町古海
西の妙高山が夕方よく見えると明日は天気になる。 中野市草間
飯縄山が曇れば雨が降る。 信濃町仁之倉、長野市太田、長野市栗田、長野市小島田町花立
飯縄山に逆さ霧がかかると雪が降る。 長野市太田
飯縄山に三回雪が降ると初雪が降る。 長野市北屋島、長野市桜枝町、長野市栗田、長野市若穂塚本
飯縄山に北から腰霧が流れると晴れる。 長野市太田
飯縄山がよく晴れてくると天気になる。 戸隠村志垣
梅雨期に大倉山へ半分以上かかった霧が南へ行けば雨が降る。 豊野町蟹沢
旭山が見えなくなると天気が悪くなる。 長野市桜枝町
雁田山に霧がかかると雨になる。 中野市草間
聖山が曇ると夕立がくる。 長野市小市、信州新町上条、長野市信更町三水
聖山が曇れば雨が降る。 長野市青木島町綱島、長野市稲里町境、長野市川中島町四ツ屋、長野市川中島町戸部、長野市篠ノ井瀬原田、長野市篠ノ井東横田、長野市篠ノ井長谷、長野市信更町三水、更埴市羽生小島
西岳がきれいに晴れて見えると晴天が三日と続かない。 長野市小島田町花立
西岳がにごって見えると雨が降る。 長野市篠ノ井十二
虫倉山に雲がかかると雨が降る。 長野市信更町三水
虫倉山に三度雪が降ると、初雪が降る。 中条村青木
アルプスの中間に帯状に霧がまくとあめが降る。 大岡村芦ノ尻
アルプスが良く晴れていると次の日雨が降る。 坂城町入横尾
北アルプスが晴れると天気になる。 長野市七二会五十平
戸隠山が近くに見えると雨が降る。 戸倉町若宮
岩井堂山に雲がかかると雨が降る。 上山田町力石
岩井堂山が晴れていると天気になる。 上山田町力石
臂出山に三度雪が降ると里にも降る。 山ノ内町横倉
笠原岳に三回雪が降れば初雪がある。 中野市田上
八丁山に雪が三回降れば初雪がある。 須坂市常葉町、須坂市八重森、須坂市明光寺、須坂市下八町
冠着山に雪が降ると初雪が降る。 長野市篠ノ井東横田
冠着山に雲がかかると風が吹く。 坂城町中之条
冠着山があがれば(明るくなる)晴れる。 長野市川中島町古森沢、長野市篠ノ井長谷、更埴市上町、戸倉町内川
 以上は、山の名称をあげている事例から拾ってみた。「守屋山に雲がかかると雨が降る」という事例は、諏訪湖を中心にした広範囲で言われているもので、天候を占ううえでは、必ず見られている山ということになる。また、蓼科山のように、諏訪からも上田や佐久からも目標とされているわけで、山を通して違う空間にいる人たちが共有していることがわかる。

 気象にかかわる予兆としての山の存在はもちろんであるが、山の伝説というものも人々に語られてきた。そうした事例もいくつか紹介する。

○デイランボーの伝説
  デイランボーは蓼科山を富士山のような形にしようと思って、担いできた。土を大きく。そしたら暑いもんだからつい諏訪湖へ入って体を洗おうとしたら、諏訪湖はデイランボーのすねしかなかった。そんで向こうの塩尻峠を頭にして寝てしまった。それで目があいて、ああ、あの土を持って行こうとしたら、土はもう根づいちゃってデイランボーは担げなかった。それが向こうにある大泉山、小泉山だという。(茅野市湯川)
○八ヶ岳と富士山の争い
 八ヶ岳が富士山より高かったが、何か争ったんだか、つい阿弥陀さんが来て、とよかけて、そしたら富士山の方へ、八ヶ岳の方から水が流れた。そこでそのころ八ヶ岳が姉さんの神さんで富士山が妹さんで、妹さんの方が強くって、そのといでもってボーンと八ヶ岳の頭をたたいたら、ふっとんでしまって、今のような形になってしまった。富士山より低くなってしまったんだと。小学校のうちにアナグラで教わった。(茅野市湯川)
○十万山のわら人形
 山本勘助という人は、片目勘助ともいった。武田信玄の家来で、大変に戦の上手な武将であった。片目勘助が知久の神の峯を攻めるときいた知久氏の驚きは、格別であった。相手は天下に名高い武将であるので、迎え討つにはたくさんの兵力が必要だが、思うように集まらなかった。敵は次第に近づいてくる。思案のあげくわら人形をたくさん作って武士のふうをよそおい、山に並べた。勘助の一隊がそれを見て、十万人の大軍が立ち並んでいると報告したので、敵は道をかえて進んでいったという。このことから十万山と名前がついた。(喬木村帰牛原)
○爺ケ岳
 昔、さくじいと呼ばれるじいさんがあった。えらく物知りで、毎年近所の人が、「じいさん、いつころに、種もみを水に入れりゃあようござんすかね」とか、「いつころに、田に水をかけたらようござんすかね」とか、農業のことは何でも聞きにいったという。
 そのじいさんは、親切に教えてくれたというが、だんだんと年を取って亡くなってしまった。その亡くなるときに、「おれが死んだら、あの山へ出るでな。それを見てやれよ」といったそうだ。
 そのあくる年から、種をまく格好をしたじいさんの雪形が西の山に現れるようになった。それからその山を爺ケ岳と呼ぶ。(梓川村下角)
○常念坊
 昔、夕方になるときまって、一人の坊さんが田多井の酒店に、小さいとっくりをもって酒を買いに来た。ところがその小さいとっくりには、酒がほしいだけいくらでも入るという。その坊さんは、酒を買うと、常念岳のほうの闇の中に消えていく。だれもが常念岳の主の常念坊だといったという。今でも、春の雪解け時には、常念岳の東の斜面に、このとっくりをさげた坊さんの雪形がでる。(堀金村田多井)
○夫神岳
 昔、夫神村と別所村とで、氏神さまの奥社をまつることになった。ところが、それぞれの氏神さまを夫神岳のどこにまつるかの争いとなったため、両村が馬と牛とで夫神岳へ登る競争し、勝った方が頂上にまつることに約束した。約束の日、夫神村の代表は馬、別所村の代表は牛で競争したところ、牛が勝ったため、別所村は頂上、夫神村は中腹へ奥宮をまつってあるのだという。
 また、この山は昔は雨乞いの山で、日照りで困ったときに、住民が九頭竜権現に祈ると必ず雨が降ったという。そのお礼として、別所村と夫神村とで、竜神の形をした「しないのぼり」をあげることが行なわれていた。(青木村馬場)
○高社山
 昔、雲をつくようなでっかいでっかい鬼が、高社を背負って来たという。ところが途中でくたびれてしまって下ろしたところが、今の高社山、背負って来た縄を捨てたのが長峰山、下駄の歯についた土をはねたのが大塚、小塚になったのだという。(木島平村中尾)
○虫倉山の山姥
 虫倉山に住んだ大姥さまは、坂田の金時の母親だという。山頂付近の洞穴、「今穴」「元穴」に住んでいた。
 昔は、この虫倉山の峰に、のぼりが立つのが見えたそうだ。村人はこれを、「大姥様に孫のできたしるしだ」と話し合ったという。
 また、麓の酒屋へ、白髪の老婆が酒を買いに来た。それは二合どっくりのはずなのに、酒を注ぐと二升もはいったという。村人は、「大姥さまに孫ができたから酒を買いにきたのだ」と語り合った。大姥さまは、生まれたばかりの金時を、この酒で育てた。だから、金太郎の顔は赤いのだという。
 天気の変わり目には、大姥さまが山中をかけまわるのが見えたという。雨乞いを頼むと、大姥さまが一人でやってくれ、山に太鼓の音などが聞こえたともいう。
 今は子どもの「虫切り」の神様として信心され、お礼には鎌をあげる。(中条村倉本)

 さて、写真は前述した中川村の天竜川右岸の女性が語った、南駒ケ岳の山並みである。左から仙崖嶺、南駒ケ岳、赤椰岳、空木岳の峰である。おわかりのように、天竜川の右岸にある集落は、段丘崖の麓に展開し、集落からは段丘がじゃましてこの山並みは見えない。しかし、いっぽう天竜川の左岸や、この段丘崖を上ったところに位置する集落では、このように美しい稜線を常に望むことになる。もちろん、ここに写る集落から山が見えないわけではなく、対岸の向こうに伊那山脈の山々を望むことはできる。しかし、ここに暮らすある男性は、常に意識するのは天竜川だという。家の多くは東を向いており、暮らしのなかの方向性は常に東を向いていることも要因である。ここで山をテーマに触れてきたが、このように人々は、常に生活する方向に何が見えるかによって、認識のなかにあるイメージが左右されることがわかる。したがって、自分が常識に捉えていることも、生活環境によってはだれもが常識とはいえないということも、理解していないといけないわけである。

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