【 NO.22 】 2002.4.22


1.雪形

 木曽駒ケ岳に「島田娘」が現れました。桜の花が例年にくらべると二週間ほどはやいなか、雪形の登場は例年とそれほどかわりないといいます。三月に山に雪が多かったためともいわれますが、もともと農作業の目安にもされたという雪形ではありますが、最近の農業の多様性のなかでは、あまり目安になるような存在ではないようです。

 しかし、いっぽうでそうした雪形がかつてのような農作業の目安とされるのではなく、季節感を人々に与えてくれる存在として現在も親しまれていることも事実です。ここでは人々に親しまれている雪形について触れてみます。

 
 かつての暦は、月の満ち欠けによる太陰暦でしたので、自然の運行と月日とが、今の太陽暦のようには合わないことがありました。したがって二十四節気や雑節を頼りとすることが多かったといいます。ことに春の蒔き物の旬を見定めるために、八十八夜と小満とが使われましたが、それと併せて、このころの高山の残雪の形を何らかの姿に見たて、その雪形の現れるときをもって、粟・稗や大豆など蒔くのによい旬とされてきました。雪形は毎年同じ形が一定の気候条件のもとで現れてきます。自然によって左右される農業においては、暦より有効な手段として人々に親しまれていたわけです。そうした親しみがあったからこそ、山の名前に雪形の名前がつけられることも少なくなかったわけです。北アルプスの白馬岳・爺ケ岳・蝶ケ岳はもちろん、各地にある駒ケ岳も代表的な雪形から名づけられた山といわれます。白馬村から見える白馬岳の山腹には、四月になると馬の雪形が現れます。このころがちょうど田植え前のシロカキの時期であったことから、シロカキの馬とされ山の名になったといわれます。また、年によってはこの馬が頭を高く上げたノボリウマになったり、頭を下げたクダリウマになったりすることで作柄を占うこともあったといいます。『日本民俗大辞典』では、「(雪形の)いずれも生産暦とかかわるものであり、農作業の目安とならないものはいくら特徴のある形が現れても、雪形として定着しない」と述べられています。考えてみれば一年の約半年近くは山の雪が里から見えるにもかかわらず、雪形といわれる言葉そのものが春の蒔きものの時期にしか聞こえてこないことも、人々はこの時期に自然の変化に気を使い、山の姿をよく見ていたという証ともいえるでしょう。人々の自然との対峙の姿を尊く感じるとともに、現在私たちが季節感として親しく思う背景に何らかの繋がりを感じざるをえないわけです。

 ここで雪形のはなしをひろって見ましょう。

  • 烏帽子山の残雪がうさぎのねどこ(うさぎがいるくらい)になると、苗間のスジマキをする。(上田市小井田)
  • 美ヶ原の残雪がすきの形になると苗代の種まきをする。(丸子町向井)
  • 蓼科山の残雪がすきの形になると田植えをした。(和田村久保)
  • 蓼科山の峰に、残雪がこま形に見えるころ苗代作りにとりかかった。(小海町宮下)

    『長野県史』民俗編第一巻(二)東信地方 仕事と行事

  • 蓼科山に一つ目が見えるとカキシロ、苗代作りを始めた。(茅野市笹原)
  • 車山の残雪が馬形になると、ひえや粟の種まきのほか、畑仕事を始めた。(茅野市南大塩)
  • 八ヶ岳の編笠山の残雪がしかの寝姿、金魚のさかさ泳ぎの形になると苗代田の用意をする。(富士見町立沢)
  • 将棋頭山の山肌がマキモノジジーの形になると、豆・ひえ・粟をまく。(伊那市野底)
  • 駒ケ岳の山肌にヒエマキジーサン、こま形が現れると、シロカキをする。(伊那市下殿島)
  • 西駒ケ岳の頂上馬の背北側の山肌が、ヒエマキジジー、馬の顔の形になると、あわ・ひえをまく。(伊那市北福地)
  • 西駒ケ岳の残雪がこまの形となり、そのそばにヒエマキジーサンが現れると、もみまき、種まきをする。(高遠町勝間)
  • 間ノ岳(南アルプス)の残雪がしらさぎ、シロカキウマ、鬼の面の形になると水田のシロカキを始める。(宮田村北割)
  • 南駒ケ岳の少し南の山肌がイレコムスメの形(イレコとは、そば・あわをまいた時、間に大豆をまくこと)になるが、これが早く出るとその年は水不足になるという。(駒ヶ根市市場割)
  • 西駒ケ岳にヒエマキオンナが現れるともみ種を下ろしてよい、横根に犬の寝たほどの雪があればもみ種を下ろしてはならない、うどん坂のつるの水飲みというところに、彼岸に牛の寝ただけ雪があれば陽気が良いと聞いたことがある。(飯島町石曽根)
  • 南駒ケ岳の摺鉢窪にゴニンボーシが現れると春の農作業を始め、ヒエマキジョロシが三人現れるとまき物をする。(飯島町北村)
  • 七久保岳(南駒ケ岳)の山肌がゴニンボーズの形になると、あわまきの時期である。(松川町長峰)
  • 荒川岳の山肌にヒエマキジーが現れると水田の支度をしたと聞いたことがある。また、赤石岳の残雪が五(正)の字になると種もみをまき、これがくの字の形に残ると遅霜があると他部落でいった。(大鹿村下青木)

    『長野県史』民俗編第二巻(二)南信地方 仕事と行事

  • 白馬岳の残雪が馬の形になったり、向かいの山の台ぐらの残雪が馬の顔の形になると畑仕事にかかる。台ぐらの残雪がだんだんマグワの形に変わると、シロカキをする。(小谷村奉納)
  • 白馬岳にタネマキジーサンとコシュビクの見えるころにスジマキをする。馬の形が残るとシロカキをする。残雪のあるころに苗代を作る。(小谷村千国)
  • 爺ケ岳の山肌にタネマキジッサが出ると苗代の種まきをした。(大町市館之内)
  • 爺ケ岳にジッサの雪形が出れば種をまき、鳥がジッサに向いている七日くらいの間に種まきを終えた。(穂高町柏原)
  • 蝶ケ岳の山頂付近に五月下旬から六月初めにかけてちょうの白い雪形が完全に出るころが、田植えの目安であった。夏至のころに白いちょうの背が割れると、田植えの完了の時期だった。(穂高町柏原)
  • 爺ケ岳の残雪が五月はじめころに、じいさんとばあさんがざるを持って種をまいているジジババの種まき姿になると、苗代の種まきをする。(梓川村岩岡、下角)
  • 鉢伏山の残雪が八の字に見えると水があるということで苗代をはじめる。(松本市内田)
  • 鉢伏山の残雪の形が「と」のような字の形になると、ねぎ、なす、かぼちゃなどの野菜の苗の植付けをする。(松本市両島)
  • 鉢伏山の残雪が草刈りがまの形になると苗代を(作る)、八十八夜ころに八の形になるともみ種をまいた。(松本市広丘郷原)
  • トチクボ山に牛が寝た姿の残雪があるときに味噌煮をすると、よい味噌ができた。(安曇村稲核)
  • 水沢の山の雪が解けたら種をまけ、といった。駒ケ岳の爺婆岩の山肌がジジババの形になるのが、草間にもみまきをする目安であった。水沢山の頂上あたりのキリクボの峰に雪が三モッコ残れば苗間作りを三日延ばせといった。(日義村原野)
  • 御嶽の残雪がタネマキジジーの形になると、豆、粟などの種まきや田のシロ作りをする。(三岳村本洞)

    『長野県史』民俗編第三巻(二)中信地方 仕事と行事

  • 毛無山の雪が解けて牛の形になったので、苗代作りを始める。(飯山市温井)
  • 高社山にウサギユキの雪形が見えるころ、綿、じゃがいもをまく。ウサギギユキのころになると気温が摂氏一五度くらいになる。(飯山市奈良沢)
  • 飯綱山にアワマキニュードーが出る。これは粟をまいている姿が南から北へ向けて沢に残る雪の筋で現れる。これが出ると苗間の木の葉さらいをする。(牟礼村福井)
  • 西岳(北アルプスの唐松岳)にソバマキニュードーが見える。これは残雪の形が三人でそばをまいている形に残るものである。こうなるとそばまきを始める季節である。(小川村味大豆)
  • 杓子岳にツボマキニュードーが見えるころになると、クレハリやそばをまく目安とした。(小川村夏和)

    『長野県史』民俗編第四巻(二)北信地方 仕事と行事





西駒ケ岳の「島田娘」と「駒形」
 西駒ヶ岳の千畳敷カールに馬の形が現れます。南を向き、頭と胴体だけで脚はみえません。
伊那谷自然友の会で「駒形」として紹介していましたが、
地元ではほとんど取り上げることのない雪形といいます。

 千畳敷の南側、島田娘の出る峰頭を「さぎだるの頭」と呼びました。
北斜面に白鷺の舞い下りる雪形が現れるからそういわれたものですが、
今ほ「島田頭」と呼びます。

島田娘の左隣を婿様に見立てることもあります。
島田娘と向き合って話しているように見えます。
市場割(駒ケ根市)では、これを「稗まき小僧」と呼んでいました。
腕を南にのばして、種をまく人の姿に見立てるのです。
「島田娘」や「稗まき小僧」が現れるのを見て、
苗代作りにかかったといいます。

参考文献  松村義也『山裾筆記』
 
南駒ケ岳の「稗蒔き女」と「五人坊主」

  七久保小学校(飯島町)辺だと、真正面によく見えます。
南駒ケ岳の摺鉢窪カールの上の稜線に沿って五つの黒点が並びます。
 坊主頭の一つ一つが点というよりも、小さい人形(ひとがた)をしていて、
あたかも雪の稜線を五人の山男が一列に並んで歩いて行くように見えます
 摺鉢窪の直下は「百間ナギ」と呼ぶ断崖です。

東の斜面に現れるのは「稗まき女」です。
 駒ヶ根市市場割辺で、この雪形を「いれこ娘」と呼びます。
いれこ(入子)というのは、畑へ蕎麦や粟をまくとき、
その間に大豆をまくなど混作にすることをいいます。
昔は畑の作物は入子に作るのが普通でした。
 飯島町の北村で聞いたのは、「稗まきじょろし」と言う呼び方です。
一人でなく三人の娘に見立てるのです。
右隣りにもう二人、合わせて三人の女郎衆(娘)というわけです。
 「いれこ娘」といい「稗まきじょろし」といい、その呼び方に風情があります。

参考文献  松村義也『山裾筆記』

 空木岳は深田久弥に「なんというひびきのよい優しい名前だろう。もし私が詩人であったなら、空木という美しい韻を畳み入れて、この山に献じる詩を作りたいところだ。」と言わせた山です。
 空木(うつぎ)は卯の花のことで、初夏に白い小さい花がたくさんに咲きます。時を同じくして空木岳全体の残雪がウツギの花のようにみえることから、山の名がつけられたといいます。


 同じ雪形でも呼び方が違うことは地域によって異なります。
 平成13年に長野県観光課は「雪形」のパンフレットを作成しました。そのなかの表示も地域ではむしろ違う呼び方をしているものもありました。ここで紹介した『長野県史』民俗編には、調査箇所ごとの多くのデータがありますので、参考になるかと思います。紹介したものは雪形ちいわれるものを中心にあげました。雪の残量や有無などによって農作業の目安にしているものもあり、雪形とまではいえないものもありました。農作業の目安とされるものには、開花や鳥の鳴き声といった自然の動きをあつかったものもあります。

 
代表的な雪形の情報
雪形が現れる山 代表的な名称 見える地域 時期
白馬岳 代かき馬 白馬山麓一帯 5月上旬
爺ケ岳 種まき爺さん 大町市から穂高町一帯 3月下旬から4月下旬
蝶ケ岳 豊科町から穂高町 5月上旬から6月上旬
御嶽山 種まき爺 三岳村一帯 4月下旬から5月中旬
西駒ケ岳中岳東斜面 こま形 伊那市東部から高遠町一帯 5月中旬
西駒ケ岳 島田娘 駒ヶ根市一帯 4月中旬から5月下旬
空木岳 ウツギ 駒ヶ根市一帯 5月下旬から下旬
南駒ケ岳 五人坊主 飯島町一帯 5月上旬から下旬
南駒ケ岳 稗まき女 飯島町一帯 5月上旬から下旬
間ノ岳 鬼面 宮田村北割・南割 5月上旬から中旬
飯綱山 種まき爺さん 長野市一帯 4月下旬

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