【 NO.16 】 2000. 3.18


1.山深いムラ、山に近いムラは生き残れるか

 現在長野県内の民俗研究者のなかでは、もっぱら第52回日本民俗学会年会の話題でもちきりです。そこでは年会テーマ「ヤマの暮らし」に向けて試行錯誤されているといった情況です。

 単にヤマといっても (なぜ山をヤマと書くのかについては年会ホームページを参照) その暮らしははさまざまで、かつ日本のなかでも環境が異なっており、多様でしょう。だから、テーマを据えたとしても、多くの方々の大方の了解を得られるような固定した姿は見えないかもしれません。ただ、現在の長野県のヤマに暮らす人々が事例の中心になることはまちがいないのです。

 さて、それはともかく、外部から見れば長野県はすべてヤマであるものの、中から見るとヤマととらえられるところは限られてきます。山を主たる生業の場として暮らしている地域とくれば、すぐに思い当たるのが木曾谷でしょう。それ以外に浮かんでくるのは、遠山とか秋山といったかなり範囲の狭い領域になってきます。そして、もっと狭い領域で見ていくと、山の麓のようなところに主たる生業を山に頼った人々が暮らしています。それはムラぐるみというよりも個人規模の山との付き合いになっていたわけです。

 最近とくに言われるようになった「中山間地域」といわれる地域は、山深いムラと山に近いムラが該当するでしょう。
 そうしたヤマのムラに対してひとつの試みが行政サイドで動いています。
 農業農村基本法の制定にともない、その柱として注目されている中山間地域への直接支払い制度は、今年の4月から稼動します。その趣旨には次ぎのように記されています。
 中山間地域等は流域の上流部に位置することから、中山間地域等の農業・農村が有する水源かん養機能、洪水防止機能等の多面的機能によって、下流域の都市住民を含む多くの国民の生命・財産と豊かなくらしが守られている。
 しかしながら、中山間地域等では、高齢化が進展する中で平地に比べ自然的・経済的・社会的条件が不利な地域であることから、担い手の減少、耕作放棄の増加等により、多面的機能が低下し、国民全体にとっては大きな経済的損失が生じることが懸念されている。
 このため、耕作放棄地の増加等により多面的機能の低下が特に懸念されている中山間地域等において、担い手の育成等による農業生産の維持を通じて、多面的機能を確保するという観点から、国民の理解の下に、5年間の対策として下記の通り直接支払いを実施する。
とあります。この趣旨にしたがって、実施要綱が示されているわけです。
 
 細かい要綱によれば、耕作放棄地の機能回復、あるいは山林への転換も視野に入れながら、耕作放棄地を含めた空間の管理を目的にしているように見えます。
 
 この制度を簡単に言えば、傾斜度のきつい耕作地の面積当たりに対して、管理費として直接的に補助をします、というもので、そのために補助基準が定められているというものです。EUにおける条件不利地域対策を参考にしているようです。

 さて、行政の動きはひとまずおいておき、実際いのそうしたムラはどういう情況なのか。すこし触れてみることにします。

 長野県南部の下伊那郡の天竜川東岸は、西岸に比較するといかにもヤマのムラに相当します。平地は少なく、耕作地は谷あいの渓流沿いに点在し、日影地も少なくありません。人口も東から西へ流れ、過疎の進行が停滞した現在でもその歯止めがかからない地域としてとらえられるでしょう。松川町の天竜川東岸に生田というところがあります。ここのある地域をみると、地すべり地域に指定されており、いかにも災害の起きそうな地形です。このAという集落をみたとき、かつては住んでいたであろう家が空家となり、廃屋と化してあちこちに点在しているのです。それにともない耕作地は荒れ果て、集落の勢いというものもなくなってしまったように見えます。目の届かないようなところに崩壊した山の斜面があったりして、災害の兆しさえ感じるのです。

 同じ下伊那郡大鹿村は、伊那山脈を越えて、奥に入ったところにあります。南アルプスの山々が美しく見えるとともに、秋の紅葉は特別美しいところですが、この村も谷あいに集落が集居形態で点在しています。また、尾根や傾斜部に集落が点在し、まさしくヤマの中の村に該当します。先ほどの松川町生田と同様地すべりが活発で、崩壊現場によく遭遇します。そして防止対策の工事があちこちで行われています。ここもまた、かつては住んでいたであろう家が点在し、ムラの勢いがなくなってしまった集落があちこちに見られます。居住するのは、年老いた人々か、都会などからやってきて廃屋に住むようになったヨソの人たちです。こうしてヨソから住みついた人々も若い人たちは子どもが生まれて子どもが学校に通うようになると、その不便さに気づき、違うところに移り住む人も多いといいます。したがって子どもがいないような人や、年老いた人々に結果的には集約されていくようです。

 こうしたムラは長野県の平地から少しヤマへ入るとあちこちに見られます。活性化しようという機運はあっても、いつかは元の状況に行きついてしまっているようにも見えます。

 ここで先ほどの行政側の動きと重ねてみてみます。
 まず、空間に人々がいなくなったら、ヨソからでも来て環境維持するために管理してもらえば、行政の趣旨である農業農村の多面的機能については保持できるかもしれません。しかし、そこには生業というひとつの金を稼ぐという行為が前提となり、採算がつかないと継続は難しくなります。あくまでも現在の動きは地元住民が協定を結んで集落として管理できる体制を作ってほしい、という期待もあります。しかし、現実のムラをみたとき、集落すら維持しがたい状況になってしまうとどうにもならないように見えるのです。

 集落、ムラ (この場合どんな小さなまとまりでもよいのでしょうが) が存続できるという対策はどうしたらよいのか、この辺については触れられていないような気がするのです。まずもって多面的機能を優先しており、農村の機能維持はどうするのでしょう。それについては、おそらく従来も行われてきた公共事業などの施策が補うのでしょうが、現実のムラの姿は厳しいとしかいいようがありません。

 同じような目的の施策は多くなりました。
 棚田を守ろうというふるさと棚田支援事業もひとつで、最近注目もされています。
 飯田市千代芋平にあるよこね田んぼでは、「よこね田んぼ保全委員会」によって、耕作放棄地が復元されようとしています。活動は活発であり、当面は話題になることは確かですが、問題がないわけではありません。信越放送が作成したよこね田んぼを扱った番組で、地元の方はこういいました。
「荒れていたときは自分のもののように思っていたが、今はいきずらい(行きにくい)」
「よそのもん(物)のような気がする」
「取られたような気がする」
 保全委員会では都会からのオーナー制度も視野に入れるなか、ヨソの人が耕作していることへの抵抗のようなものを感じた正直な言葉でしょう。しかし、いっぽうでは、ただ荒れいるよりは耕作してくれることで自ら手を差し伸べてやろうという気が生まれて、活性することも事実のようです。
 ただ、生業としてきた空間と自らが住む空間が一体となって成り立ってきたムラの姿を見たとき、この姿が目指すものかどうかは推し進める人々も、地域の人々も考えておかなくてはならないでしょう。田んぼのある空間と自らが暮らす舞台が別のものとなったとき、かつてのムラの機能はどうなるのか、先にも述べたような暮らしの空間がなくなってしまったらどうなるのか。そこで養われてきた人々の暮らしとの一体性をなくさないで欲しいというのが、願いでもあります。

 
 ヤマを取り上げる日本民俗学会の年会は、こうした問題を解決してくれるかわかりませんが、糸口として、人々の内面にある暮らしの経験がさまざまな施策の参考になればありがたいものです。




上伊那郡高遠町山室那木沢 (平成6年撮影・整備前)
 平成7年よりここ山室はほ場整備が行われ、かなりの傾斜地の水田が少し大きめの区画に整備されました。三義営農組合を中心に水田耕作が行われていますが、耕作者の平均年齢は60歳を越えているといいます。
 こうしたムラに住む若い人たちはどういう状況にあるのか、というときのひとつのものさしが消防団組織になります。どの程度の年齢層によって組織されているかが、地域のありようでもあります。
 ここでは、50代になっても消防団に加入しているといいます(平地になると30代くらいまでが一般的)。
 そのなかでも40代が構成員の中心といい、それ以下の年代はもっと里の方に居を構え、そこから消防のときは通ってくるといいます。
 要因としては、子どもたちをここに住まわせても、子どもが少なくて友達ができないというところにあるようです。

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