【 NO.12 】 1999.9.12


1.あぜ草の管理と水田

 ここしばらく、田の草取りについて触れていましたが、前にも述べたように田の雑草管理はそれほど重労働ではなくなりました。その一番の要因は除草剤効果です。最近では除草剤を使わない農法が叫ばれてきましたが、現実的にはほとんどの稲作が除草剤に頼っています。

 むしろ問題とされていて、これから先、さらに考えなくてはならなくなっているのが、あぜの草でしょう。

 赤瀬川原平著『老人力』(筑摩書房)では、都会が若者とすれば、田舎が老人だと説いています。田舎に暮らす若者にはつらい言葉かもしれませんが、現実的に過疎の著しいムラでは、若者は少なく、年寄によって細々農業が営まれている姿があります。おそらく、日本の農業を細々とも続かせる労働力の担い手は、老人にほかならないような実情になっています。ことに山間地域にいたっては、ムラの生命線を老人が担っているといっても過言ではないかもしれません。

 そんななか、耕地を、水田をいかに管理していくかは、重要な課題なのでしょう。行政をとりまく環境でも、こうした耕地の管理をいかにしていくか話題になっています。

 そこで、今回話題としたあぜ草は、管理の上で重要な地位を占めています。春は草を刈って田植えに備え、田植え後から稲刈りまで、何度となく草を刈ります。今でこそ草刈機が使われていますが、かつては鎌で刈っていたわけです。現在でも高齢農業者のなかには、機械を使えないようなケースもあって、手で刈る姿を時折見ます。草刈機が危険を伴うためで、扱うにも成人以上で男性、あるいは女性でも若い世代の作業といえるでしょう。

 あぜ草刈りの労働負担率は、ちょっと考えていただければわかると思いますが、平坦地より傾斜地の方が大きくなります。その負担率も同じ面積を刈る際の難易度という負担大もありますが、傾斜地ということは、耕作面積に占める畦畔(けいはん=あぜ)率も高くなり、面積的な負担も大きくなります。もちろん、刈った後の草の処理にいたっても、傾斜があるほど重労働になることはわかってもらえるでしょう。

 さらにもう一つ、昔がどうだったか、本音のところはわかりませんが、かつては、道もない耕作地がたくさんあって、そうした耕作者は、人のあぜを通って自分の耕作地に入ったわけです。それはかつてのことであって、現在では道路がなくては耕作できない時代ですので、そうした環境が整備されてきました。下の写真のヨコネ田んぼでは、現在でも道のない田んぼがあるといいますが、そうした環境も少なくなりました。このようにかつては道がなかったわけですから、人のあぜを歩くということは日常管理のなかでもあったわけです。したがって、よその者が歩いていてもしかたないというか、あたりまえだったわけです。しかし、道路が整備されてきた現在、よその者が人のあぜを歩いていると、とても目立ちます。それこそ田舎から子どもの姿が減り、子どもが外で遊ばなくなった現在、農村の耕作地に人の姿があることじたい、珍しくなっています。したがって、時おり人のあぜに侵入すると「人の土地に入るな」と注意されることもあります。

 それほど対人に敏感な時代になって、隣り合う者でさえ境界を争うなか、ことあぜ草を刈るにも気を使うわけです。

 信州大学農学部の木村和弘氏は、あぜ刈作業でも最も心拍数が多くなるのは法先(法尻)部だといっています。なぜかというと、下の耕作地にある稲に刈った草が被らないよう絶えず注意しなければならないためだということです。この際、刈った草が被らないよう下から上へ草を刈り上げるため、労働そのものも重くなるというわけです。同氏は、こうした作業を緩和する方法として、法先部に小段(法先からすぐ人の土地にするのではなく、歩く程度の段を設ける)を設けることを提案している。

 
  
長野県飯田市千代芋平 ヨコネ田んぼ


 私がかつて上伊那郡高遠町山室のほ場整備に携わった際、耕作者から「草刈が大変だから1.5mか1mごとに小段を設けて、法下にも小段を設けてほしい」といわれました。この地区は南アルプスの懐に位置する山間地で、傾斜度がとてもきつい(部分的には1/3〔18度〕傾斜)ところでした。もう何年も前のことですが、このとき思ったことは、将来あぜの草刈作業も、耕作地管理業として成り立つ時代がくるのではないか、ということでした。

 現在のほ場整備でも、まだまだこうしたあぜ草管理を考慮した方法はそれほどとられていません。耕作地を少しでも多くするか、管理しやすいように考慮するか、耕作者の考え次第というところなのでしょう。

 
 さて、棚田が流行っています。
 しかし、そうした田んぼにつきものがこのあぜ草刈りです。棚田そのものを文化財として扱うという文化庁の方針も出ていますが、その維持されていく姿をどう評価して、ただ形さえ残れば文化財として扱えるのか、なかなか難しいものがあります。ただ、考えてみれば建造物に限らず文化財は形だけ残されているわけですから、形があれば評価されるものと判断すればいいことなのでしょう。ただ、生きて(耕作すること)いることを前提とするならば、やはり、今までの文化財とは違うわけです。管理方法が難しくなります。

 農業工学研究所の有田博之氏は、グランドカバーによる畦畔管理を説いています。その資料によると、あぜ草の管理方法として、刈り払い87.78%、除草剤11.22%、グランドカバー植物0.39%、火入れのみ1.71%とあります。なかなかグランドカバー植物による方法がとられない原因に、ただ植えれば良いという簡単なものではないことがいわれています。思うにグランドカバーとは一口にいうものの、面積の大きなあぜに植物を植えるにもお金がかかります。また、植えたあと密生するまでは草取りをしないと大変なことになります。もちろん密生しても雑草は生えます。有田氏の資料によると、グランドカバー植物の最も多いものが、アジュカ(十二単)、次いでシバザクラ、芝、マツバギクなどと続きます。すべて私の家の庭にありますが、家庭で扱う際も、やはり雑草の生えるのを防ぐためのグランドカバーの意味合いが強いわけです。しかし、雑草は季節によって生えるものが変化します。それらに対応すべくグランドカバー植物は、なかなかないでしょう。結果的に除草管理が必要です。見た目は良いですから管理を怠らないことを前提にできるものといえます。経験からいうと、マツバギクがもっとも除草効果が大きく、管理に手がかからないもので、花の咲く期間がながいですから、お勧めかもしれません。

【草刈とその処理】

 ある人がいう。
 「隣の田んぼの人は困った人で、俺んちの刈ったあぜの草を俺んちの田んぼの方へ放り投げる」
 よく話を聞くと、この人は刈った草を倒したままにしておいて、集めないという。したがって隣の人は自分の田んぼに人の刈った草が風で飛んで入るのを嫌って、刈った人の田んぼに草を入れてしまうのだという。
 わたしは、それはあなたの方にも責任があるのじゃないかというと、俺んちのまわりは皆そうしているという。
 かつては、あぜの草を刈れば処理をするのが当たり前だった。そのまま放置すると、土手が痛みやすく、もぐらがやってきて土手が弱くなるといわれた。
 ある人のまわりでは、この隣の人はまわりから嫌がられているという。まわりは皆草を倒したままにしておくのが当たり前になっているのに、この人だけ昔からの方法をとっているからだ。もちろん、それは隣の人のように草を人の田んぼに投げ入れる行為が伴うことが、要因ではあるが。

 さて、このグランドカバー、簡単には勧めてほしくない方法です。
 外来の植物を植えてきれいに見せかけて、それで良いのかということです。おそらく、棚田の土手一面にグランドカバー植物が咲けば、見事でしょう。
 しかし、日本の植物を忘れることは、環境保全という視野からいけば逆行しているともいえます。ただでさえ山奥にも外来の植物が密生する時代になりました。どれが日本のもので、どれが外来のものか、興味のない人でないとわからなくなってしまいました。それほどまでに外来植物に駆逐されています。

 農村で現在でも盛んに行われる開発のなかで、今もって法面保護工法に外来植物が蒔かれます。効果的に保護を行うには、伸びのよい植物を植えるのはいたしかたないものの、そろそろこうした考えも正してほしいものです。

 こうして考えてみると、あぜ草管理業があっても不思議ではないでしょう。
 年寄では手を出せない作業だけに、農村の存続の一課題でしょう。
 いっそ、稲作体験などといわずに、あぜ草刈体験ツアーでもやったらいかがでしょう。
 でも、危険で事故のあった際には保証問題になるのでしょう。やはり無理ですか。



2.農薬は安全か?

 農業の現実を今まで盛んに話題にしてきました。
 もっとも大切なのは、農業が銭目当てだけに経済性を求めるのではなく、自らの食いぶちを生産する、「食べる」という原点に立って続いてほしいものです。

 そんななか、作業性を重視して農薬が当たり前に使われるようになりましたが、果たしてどうなのでしょう。

 わたしのまわりは果樹園一色です。ですから日常的に農薬とかかわっています。
 子どもたちの様子を一日の生活から追います。

  
 こうした環境下での健康状態はどうなのか、わかりません。どことなくガンや体の不調を唱える人が多いような気もします。
 おそらく旬になってそうした果物を食べるだけの消費者の危険度とは、比べ物にならないほど危険だ!ということはいえるのでしょう。
    

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