【 NO.10 】 1999.6.27



1.人口問題と食料自給

 『伊那路』第43巻第6号(上伊那郷土研究会 1999年6月)に島崎洋路氏は、「蘇らせられるか日本の山」と題して興味深い報告をしています。
 世界的にみられる森林の減少は、発展途上国を中心とした人口増加に起因し、多くは燃料として消費されているといいます。そうした減少は、野生生物の減少や砂漠化などの重要な問題を引き起こしており、近未来の世界情勢を危ぶまざるをえないと印象付けています。そのいっぽうで、日本の森林率は66パーセントにあり、世界のなかでも一級の森林国になっているとも述べています。しかし、現実の状況はそうではなく、経済的な外材の輸入が進み、国産材が太刀打ちできなかったり、農業と同様に一次産業から二次・三次産業への労働力が流出し、林業を大きく失速させてしまい、多くの森林を維持管理していく状況にないと述べています。

 農林業、とりわけ経済的な部分では、林業の衰退は急であったようです。
 例えば十数年前の下伊那郡根羽村(長野県最南端)では、村にある多くの森林は見事に手入れされ、林業の潤いをそこかしこに感じ取られました。同じように奥三河や奥美濃といった地域にも、そうした森林が息づいていたように記憶します。しかし、そうした村々の現在の姿からは、林業の潤いが消えてしまったように見えるのです。

 同じ下伊那郡松川町上片桐では、新興住宅地の人々のなかに自治組織に加入せず、区とか自治会といった地域の社会組織に加入しない人々がいます。自治組織に加入しない人々が地域のなかで、さまざまな葛藤をしていることについては、『伊那路』第40巻第1号(上伊那郷土研究会 1996年1月)で「ある集合住宅をめぐる社会生活」と題してわたし(三石稔)が報告しましたが、民俗学の分野ではときおり取り上げられています。上片桐の場合は、加入しない理由として、地区の役員が回ってくる、区の会費が負担になる、といった理由のほかに、山作業の賦役もあがっているといいます。また、山作業へ行く区民からも「こんなに手をかけても金にもならない山のおこもりなどいいかげんに考えてもいいのでは・・・・・」という話しも聞こえます。現在こうした自治組織によって維持管理されている森林もずいぶん多いようです。社会生活の変化によっては、将来にわたって森林をとりまく空間をみると難しい問題を抱えているのでしょう。

 島崎氏は、林業就業者が7〜8万人という現状ではとうてい管理できるものではないとのべ、わずか20万人ほどの山守りと年数千億円ほどの資金があれば再生させることが可能だといわれています。しかし、現実的には自治組織の人々にたよっている山や個人有の山があり、こうした山々がどうなっていくかもひとつの問題とされるのでしょう。


 ところで島崎氏の報告の冒頭で書かれている数字に、わたしは森林以上に考えさせられることがありました。
 それは人口の推移です。日本の人口は2006年に1億2700万人に達し、以降減少し、約100年後の21世紀末には6000万人代になるという数字です。こういう数字は前にも目にしていたのでしょうが、21世紀を目前にして、改めて考えてみるといろいろみえてきました。

 人口問題に関しては、厚生省関連の国立社会保障・人口問題研究所のデータがあります。
 それによると、中位推計で2007年にピークとなり、2050年に1億50万人、2100年に6740万人とされています。

 同研究所のデータから少し目に付いたことを次ぎにあげてみます。
  1. 従属人口指数の示すもの
     従属人口指数とは、年少人口(0〜14歳)と老年人口(65歳以上)の和を生産年齢人口(15歳〜65歳)で除したものです。簡単に言えば生産可能人口に対する非生産人口の比率のようなものでしょうか。この生産年齢人口は、現在ピークを過ぎて減少をはじめています。2050年には従属人口指数が83.0%になるといいますから、人口で5000万人余りの生産年齢人口に対して、年少および老年人口は4200万人程度に達するわけです。これから見えてくるものとして、全人口中の生産年齢人口が現在に比較すればずいぶん少なくなることと、その比率が下がることがわかります。世の中、求人倍率が下がり、働き口がなくて困っている人も多いようです。必要な就労人口も次第に減少するのでしょうが、働く場がなくて飢え死にするようなことはなさそうです。ただ、年金問題と定年制がさまざまに語られていますが、現実の人口と対比すると、生産年齢人口中の実労働者比率をあげることが就業者確保につながるとともに、厚生省がもくろむ年金支給年延長も、こうした人口動態とセットに考えざるをえないこともみえてきます。 定年=隠居ではすまされない事態が、人口動態の背景にありそうです。
  2. 死亡数の推移
     1996年には年間の死亡数は91万人であったといいます。これが2025年には166万人に達するといいますから、ほぼ1.8倍になります。その後2050年までの25年間の年間の死亡数は、160〜170万人程度の数字を示します。2050年には、5000万人ほどの生産年齢人口に対して、死亡数170万人程度を示し、生産年齢人口比3%強となります。言いかえれば生産上の死亡にかかわる部分の比率があがることがわかります。葬儀にまつわる生業(宗教・葬儀・墓)の盛況も考えられます。また、死に対する認識の変化もあるかもしれません。近年、長野県内の葬儀事情をみると、かつての葬儀が大きく変わってきています。家で行われた葬儀が公民館や寺に異動し、さらには葬儀場に移ってきています。また、隣組といった自治組織を中心に執行された葬儀が、葬祭センタ―といった専門家に委ねられてきています。これから50年間ほどの葬儀をめぐる環境は、さらに変わるでしょうし、そうした分野の生業が注目されるのでしょう。
  3. 世帯数の減少
     2014年に4929万世帯と、世帯数はピークを迎えるといいます。未婚率や出生率は現在の数字から大きく変わることはないという見こみもあり、世帯数も100年後には1/2程度になると推定できます。世帯が減少するということは、家が不要となるわけです。巷にまだまだ林立しようとしている宅地は、世帯数のピークを迎える15年間ぐらいは続くものの、いずれは不要となり、空家が増えていくのでしょう。もちろん建築業界の低迷が予測されます。
  4. 県別人口動態から
     ほぼ25年後の2025年データと現在の人口からみると、都市中心部は人口が減少するものの、周辺県は人口が増加します。いずれはどこも減少するのでしょうが、この25年ほどの推移からみると、東北や山陰・九州といった地域には問題がありそうです。秋田・山口・長崎・島根といった地域は、現在と比較すると80%程度の人口に25年後に達してしまうということです。さらには例えば秋田をみると、65歳以前の人口が現在の70%になってしまう。なにか閑散とした空間が浮かぶような気がします。


 わたしは以前より食糧不足がいつかやってくるという期待(失礼な発言かもしれないが、自給農業を目指す者にとって、戦後の食糧難のような状況下こそ、農業がもう一度大事にされるという淡い望みがあったからでもある)をもっていました。戦後ほどではないにしても、自給率を落としてしまったら大変なことになる、という印象付けは、農業関係者はあまり大きくない声で、以前より訴えてきたと思います。

 しかし、どうでしょう。人口のピークを迎える2006年というと、あと10年弱。よほどの天変地異があればともかく、あるいは急激な世界的人口増加がない以上、10年ほどでは食糧不足はやってきそうもない。とすれば、高齢化を迎えている国内の情況からすれば、すでに食料供給量は減少傾向にあり、自給率が低い部分を補っていってしまうような気もするのです。そして、100年後には人口が半減するというのですから、食料は現在の自給率程度を維持していればなんとかなりそうな気もしてきます。どうでしょうか?。

 ただし、不安もあるでしょう。60億人余の世界の人口が、50年後ぐらいには100億人にも達するといいます。日本はそのうちの1パーセントも満たないのです。どこも発展し現在の先進国並になった時、日本の情況がどこにあるかによっても異なるでしょうが、小国日本がもっと小さくなることは確実ではないでしょうか。情況は変わり、国外からの人口流入や、小国がための圧力に屈すればどこかへ吹っ飛んでしまいそうです。

 
 先に人口問題研究所のデータから気になる部分を指摘しましたが、100年後には空家が多くなり、もしかしたらゴーストタウン化した町が登場するかもしれません。もちろん地価は下がり、農地から宅地に転用した土地を、逆に宅地から農地へ転用するような事態もあるかもしれません。

 さらに、とどまるところを知らない開発の先にも同じような現象が出てくるのでしょう。飽和状態になりつつある道路。たしかに朝夕の車の渋滞は、30年前とは一変しているでしょう。どんな田舎でも渋滞があるのですから。ところが、道路建設が一向に修まらない現在、さらに50年くらい先を見とおすと、こちらもまた閑古鳥のなく道路だらけになるのでしょうか。高速道路の料金が高いなんていっていますが、人口が減れば利用者も減る。まだまだ道路が延長される。おそらくとんでもなく高い料金にするか、建設を止めるかしないと、維持すらできなくなりそうです。さらに、そんな時代に大きな災害でも出たら、朽ちかけた道路がそのままの状態で放棄されることすら予測されます。道路だけじゃないでしょう。国土も荒れ放題になる可能性があります。

 このように、いろいろなことを人口と天秤にかけていくと、なかなか愉快(失敬、でも冗談じゃないです)な将来が見えてくるような気もします。空家の点在する村や町、広い道路に時折走る車(きっとその頃は電気自動車でしょうか)にはエンジン音もなく、人の行き来もまばら。緑のコントロールができず、山は荒れ、荒れた平坦地にも木々が成育していく。雑草雑木で覆われた山間地は、手をこまねくばかりで、人は住めなくなり、平坦地へとさらに人口は流出する。あげくに人工物が補修されずに朽ちかけた姿を見せる。世界は人口が増加しているのですから、日本だけを想定して物事を語っても現実的ではないですが、人口の背景を探ると、わたしたちの暮らしを大きく左右しそうな問題が見えてきます。

 どうでしょう?。


2.カブトエビ登場

 豊年エビと貝エビを紹介しましたが、同じ種類のカブトエビも登場です。

 学研の学年別月刊科学教材『2年の科学』7月号では、教材にカブトエビの卵がついています。
 その生態についても詳しく書かれており、なかなか大人も勉強になりました。

 カブトの形に似ているところからカブトエビといわれるように、なかなか格好はグロテスクです。
 下の写真は、卵から孵化したカブトエビです。しっょっかくが2本あり、先がそれぞれ3本にわかれています。少し暗くてわかりずらいですが、黒い目が二つあります。目と目の間に小さな目が一つあって、生まれたてのころ、光を感じる役目があるといいます。とくに生まれた手の小さいときは、光のある方に寄ってきます。胸にある足は約20本あり、なめらかに動かす様は豊年エビや貝エビとよく似ています。おなかの所にも約60本の足があります。尻尾が二つあって体長の割には長くなります。この二つの尻尾の間に肛門があります。豊年エビや貝エビより活発に動き回り、よく食べます。したがって絶えずうんちをしますので、水槽の中はうんちだらけになります。

 教材の卵を半分に分けて二つの水槽に入れました。
 1日後水温28゜C、カブトエビらしきものがすでに孵化しました。ミジンコは多数見られました。
 2日後水温21゜C、2匹ほどカブトエビと確認できました。豊年エビらしきものも数匹見えます。
 3日後水温19゜C、2ミリ以上になり、排泄をしているのが見えます。豊年エビも1.5ミリほどになり、さらに貝エビの姿も確認できました。
 4日後水温19゜C、カブトエビ2匹、5ミリほどになり、豊年エビは1.5ミリから3ミリほどのものが3匹ほど見えます。
 9日後水温19゜C、脱皮の殻が見えます。もう何回かしているようです。2センチほどになったカブトエビが2匹。豊年エビは1センチほどで3匹ほどいます。貝エビ1匹。
 13日後水温20゜C、卵をつけているのが見えたため、水槽を大きいものに変えました。体長は頭から尻尾の先まで3.4センチ。2匹います。豊年エビの姿は1匹になってしまいました。大きさは1センチ。

 本当によく食べます。田の草とりをさせるにはもってこいかもしれません。どのくらい生存するかも注目です。

 教材についたカブトエビはアメリカカブトエビといい、世界にはほかにアジアカブトエビ・オーストラリアカブトエビ・ヨーロッパカブトエビがいるといいます。この4種類のうち、日本にはアメリカカブトエビ・アジアカブトエビ・ヨーロッパカブトエビの3種類がいるようです。

 教材の説明によると、袋の中には10個以上の卵が入っているものの全部一度には孵化しないといいます。環境の変化のためにずれて孵化するようになっているといいます。そのため、二億年もの間生き続けていたともいいます。
 孵化には日光が必要で、水温25゜C程度が適温ともいいます。水温の急激な変化は孵化後のカブトエビには苦手といいます。



3.田の草取り

 田植えも終わり梅雨の季節になると、田の草取りのころとなります。
 稲作の中でももっとも大変な作業のひとつとされます。

 かつては、「ユイ」、「イイ」などといって労力を交換し合うことにより、農作業のピーク時を乗り越えていました。
 とくに機械化される以前には、田ごしらえ・田植え・田の草取り・稲刈り・稲こき・もみすりといったもののほかに、畑作や養蚕など農業の全般に渡って労力交換をおこなっていました。とくに田植え・稲刈りといった部分はその代表的なもので、こうした労力交換は近所や親戚を中心に行われていました。

 『長野県史』民俗編第5巻総説T(平成3年 長野県史刊行会)によると、長野県内では松本市や上田市といった真中から北側の地域でエイ、エーといった呼び方がされ、いっぽう南側の地域ではユイと呼ばれている所が多いようです。また、南側でも木曾谷では、テマガワリと呼ばれていました。

 こうした労働のなかでも田植えや田の草取りといったものは、他の地域から人を頼むこともありました。田植えをする女衆をソートメとかサオトメとっいって、新潟県や富山県から受け入れていたようです。とくに北信といわれる長野県北部の地域ではそうした女衆に頼むことが多かったようです。田植えのころに来てそのまま田の草取りをし、7月中ごろ近くまでいて、盆前に帰るということもあったといいます。

 松本市神林川東で聞いた話では、越後の方から田の草取りの女衆が来たといい、そうした人を斡旋してくれる人がいたといいます。
 このように田の草取りを専門の出稼ぎの人に頼んだという地域もありましたが、労力交換のみでまかなった地域もありました。伊那谷ではそうしたよその人に頼んだという話を聞きません。

 さて、農作業の多くが機械化によって労力がかからなくなったものの、とくにそれは稲作であって、多くの収入が得られる畑作や果樹といったものは、まだまだ多くの人手を要しているようです。

 そんななか、田の草取りの光景はあまりみられなくなりました。
 除草剤という効果的な農薬が普及したためで、この時期、水田に人影をみることは本当に少なくなりました。いたとしても草刈をする人であって、田の中に入ってはいつくばっている姿は見られません。近年、無農薬がさけばれるようになって、除草剤が注目を浴びてもいますが、この世の中から除草済がなくなったら、人件費がかかりすぎて、日本の稲作はなくなってしまうかもしれません。最近は合鴨を使った除草効果があちこちで話題となっているようですが、いかがでしょう。そのほかにも除草効果をあげるために、いろいろためされているようです。やはり、エライ(大変な)仕事ですので、かつてのように人手で草取りをするようなことは、経済的に合わないのでしょう。

 下の写真は平成11年6月20日現在の、長野県南部のある水田です。左側は除草剤をまいた水田。右側は除草剤をまかなかった水田です。光の向きが違うためあまりよくわからないかもしれませんが、左側には草が見えず整然とした水面が見えると思います。いっぽう右側は水草がちょっと浮いていますが、稲の株の間に草が見えると思います。この右側の水田は、この日草取りをおこなったため、まだきれいになっている方かと思います。大きな面積を耕作していなければ右側のように田の草取りをしてもいいでしょうが(といってもこうした作業を夏まで何回か行うとなると、気が遠くなりますが・・・・)、1ヘクタール規模の耕作者になってくると大変でしょう。毎日田んぼに入っていても一人や二人じゃ間に合いません(そのへんを消費者はよく理解してほしいとも思いますが・・・ この写真ではわからないかもしれませんが、左側は本当に整然としていて、人影もなければ人が最近田んぼに足を踏み入れた様子もありません。さらにこの田んぼが整然としている理由に、中にあまり生き物がいないということもあります。おたまじゃくしやアメンボは見られますが、数は多くありません。ときおりヤゴがいる田んぼがありますが、生き物は少ないようです。いっぽう右側の田んぼにはいろいろな生き物がいます。豊年エビ・ヤゴ・おたまじゃくしといったものがたくさんいます。ほかにもカニ・クモといったものもすぐ目に入ります。実は除草剤をまいた田んぼでも豊年エビやメダカといった生き物がいます。ただ、そうした田んぼは草が生えています。除草剤の強さにもよるのでしょうか。




4.コオイムシ

 体長2cmほどのコオイムシは、ため池などに生息しているが、現在では姿を容易に見ることはありません。

 コオイムシは、オスの背中にメスが卵を産み付けます。背中中に白い卵がくっついています。この卵をオスは守るのです。それだけではなく、卵を空中に出して、呼吸の手助けをしたり、孵化のときは、卵を空気中に出しておぼれないようにするといいます。オスの背中に産み付けるとは、なかなか考えたものです。外敵から守るには、もってこいといったところでしょうか。

 同じコオイムシ科に属すタガメは、最大の水生昆虫といわれているとともに、現在では幻の水生昆虫ともいわれています。
 このタガメは、水の上に突き出た杭や木の枝に卵を生み、それをオスが守るといいますから、コオイムシと似ています。

 写真は卵を生んだばかりのメスです。


 コオイムシの飼育方法は、Water Bugの「コオイムシ類の飼育方法」を参考にされるよいでしょう。



   or