【 NO.7 】 1999.2.20


1.メダカがレッドリストに!

 環境庁がこの2月18日に改訂した日本産の淡水、半淡水魚類のレッドリストで、メダカが絶滅の恐れのある種、絶滅危惧2類に分類されました。本ページでは以前よりメダカをとらえていたものの、これほど早く絶滅の恐れがある、と認められてしまうとは思ってもいませんでした。ただ、現実の話として、長野県内でもほとんど確認できなくなってしまっているという報道はされてきており、希少であるという認識は、最近とくに広まってきていました。

 そうしたなか、生息地を特定できない範囲で全国的生息地調査を行っているホームページがあります。「日本野生メダカ保存会」で、ホームページ上のみで、その活動情況が確認できます。それによると全国的に生息地は分布しており、都市近郊地域でも確認されているようです。そのいっぽうで、まだまだ確認報告のない地域もあり、ぜひ一度ご覧になって、自分の住んでいる周辺はどうなのか確認してみてください。

 なお、このページで紹介しているメダカについては、生息地を特定できるわけですが、あくまでもメダカを暮らしと結びつけながら扱っているためです。また、ここで紹介しているメダカについては、地域でも最近とくに知られるようになり、監視活動も行われているため、その環境変化については即応できる情況になっています。

下伊那郡喬木村の水田に生息するメダカ


このあたりでは、秋祭りにウキスやタモロコといったため池で捕れた魚介類を、ご馳走としてお客に出しています。左側がウキス(メダカ)。



喬木村富田の水田

2.食材の安全性

 「ニュースステーション」の報道をきっかけに、埼玉県所沢市産のホウレンソウがずいぶん問題となりました。2月18日、報道の根拠となった「葉物」が、お茶であったことが判明し、お茶からは問題になるほどのダイオキシンが検出されないとして、安全宣言が出されました。ある報道がきっかけとなり、不買運動につながるケースは最近多いようです。それらはより安全な食材を、という人々の認識の変化でもあるでしょうが、いっぽうで、何がどう安全かということは確立されていないようなきがします。

 この時期に葉物といえばホウレンソウだろう、という安易な認識から広まったものの、こうした報道をきっかけにもっと食材の現実や、農産物にかかわる人々の認識が高まることを望みたいのですが、いつしか忘れられてしまうのが常です。

 あるラジオ番組で語られていたことですが、今回のような問題は起こるべきして起こったものであって、産業廃棄物などの処理施設が林立するような地域にあっては、あらかじめ予想されるような問題だったはずだと述べていました。そして、行政や農協といった農産物の環境をとりまく側の姿勢が問われた問題だったとも述べていました。また、農民が知っていて危険な農産物を作るわけではないのだから、いったいどの程度が問題とされる値なのか、といった情報をしっかり伝えるべきではないかと述べていました。

 ここで問題としなければいけないのは、ことダイオキシン問題だけではなく、食材を売るという現実をもっと見つめなければならないということでしょう。たとえばふだん食料品を買う場合、加工品についてはある程度内容物に対しての表示がされています。賞味期間はとくに誰でも目を向ける表示だと思います。また、添加物などはその内容物を知る代表的な表示であって、まだまだ多くの人は気にはとめませんが、買う側への配慮がかなりされているといえるでしょう。

 ところが農産物となると、○○産という表示はあっても、それが食材としてどうなのか、判断基準は何もないわけで、ただただ品物を買う側の経験とか、雰囲気が判断基準といえるでしょう。こと、農産物に限らず、加工前の原材料については、加工品業者にしても分からないのが現実でしょう。そうなると、この食材がどの基準にあるのかという情報が必要になってくるのでしょうが、これは生産者と消費者の信用しかないわけです。そうなった場合、生産者としては安全なものを生産しているという自信が欲しいはずです。今回の問題は本当のところ生産者には自信はないはずです。なぜかといえば、ダイオキシン濃度がどの位だなんて生産者にはわからない情報だからです。となれば、行政などの明確な対応が必要となるでしょう。

 環境問題もそうですが、あいまいでかつ難しい説明ではなく、安全なものを提供する基礎づくりをしてほしいものです。
 農薬については、このホームページで触れてきました。「今まで何も問題なかったのだからいいじゃないか」と、行政も生産者も思うのではなく、本当に問題はなかったのか、と振り返ってみることもしなくてはいけない時代にきているはずです。それほど現代農業の歴史は浅いはずです。とくに農業も企業化されようとしているわけですから、経済性を追求していったらますますこの問題は解決されないものになってしまうでしょう。

 義務教育も学校を選んで住みかを変える時代だ、と田舎でもいわれるようになりました。その住みかを探すにも容易ではなく、また判断が難しくなったとつくづく思うのです。 



西の洞ため池にて

   or