【 NO.5 】 1998.10.18

1.秋の風景から

 タイトル画像にもあるはざ掛け風景は、少し前の農村にはごく一般的にあった風景です。写真のものは、木曾谷で撮ったものですが、木曾の場合は多段式のはざ掛けをするところが多く、比較的山間部ほど、こうした多段式のはざ掛けが多いようです。
 『長野県史』民俗編総説T地図38に長野県内の「はさ干し」の分布図が示されています。それによると、北信(長野県北部地域)と、木曾谷、伊那谷南部にそうした多段式のはざ干しが見られます。要約すると、収穫時期に日照時間が短いところほど多段式が見られるということです。
 
 写真のはざは10段以上というもので、多段式でも多いものです。こうした多段式を採用していた地域は、ほ場整備などが遅れたため、機械化による稲刈りが遅れていたところでもあります。もちろん一段掛けのところでも機械化が遅れているところは多く、そうした地域では、1戸あたりの所有耕地面積も小さく、ほ場整備などが行われたあとも、個人的な水稲耕作が中心となっています。最近は、農業の衰退とともに、農作業の受委託が進み、山間地域でも受委託による機械化が進んでいます。

 ここで機械化を前面に出すのはどういう意味かというと、機械化が進むと、稲刈りはコンバインによって行われるのが一般的だからです。コンバインとは、稲刈りと同時に脱穀作業まで行う機械で、はざ干しという作業が省かれるわけです。一時コンバインが普及し始めたころは、刈り取られた稲が機械乾燥によって乾燥されるため、米がおいしくないといって、自家用米だけははざ掛けする、という傾向がありました。現在でも「自分で食べる分だけは・・・・・」といってはざに掛ける人もいますが、一時ほどそうしたことにこだわることはなくなりました。天日乾燥と機械乾燥の米のおいしさを実感することができるほど差はないということでしょうか。それともそれ以外の要因によってお米のおいしさが左右されている、ということかもしれません。それぞれ作る側、食べる側の言い分がありますので、なんともいえませんが、ただ、近年の水稲耕作のほとんどは、コンバインによる稲刈りに変わったといってもさしつかえないでしょう。

 そうした変化によってどうなったか。
 まわりくどい話になりましたが、農村の秋の風景からはざ掛け風景が消えたということです。水田に稲穂がたれる光景が見られると、次第に稲刈りが始まります。稲刈りと同時に、かつては水田に稲はざの光景が見られたわけですが、最近はいきなり脱穀後の世界に変わります。はざ掛けされていた期間は、それほど長い期間ではありませんでしたが、このわすがな期間が秋から冬への微妙な季節模様を作っていたようにも思います。

 かつて私の子どものころ(昭和40年前後)には、こうした稲はざの光景のあとに、脱穀したわら束を水田に一時的に積んでいた時期がありました。子どもたちは、その障害物が遊びの格好な場所となったわけです。一面見渡せる水田地帯と異なり、わら束を積んだ空間は、かくれんぼや鬼ごっこといったごく普通の遊びにはちょうどよい空間を作ったわけです。また、そうしたわら束のところで遊ぶことが、まるで布団のなかで枕投げをする世界に共通していたようにも思います。

 さて、現在でもはざ干しをする人はいますが、全体からいえばわずかかもしれません。
 はざ干しする人たちは、コンバインではなく、バインダーと呼ばれる刈り取り機械を使って作業するわけで、コンバインとの違いは、はざ干しすることによる労力の節減ということでしょう。1戸あたり多くの水田を耕作する人や、受委託による耕作をしている人たちにとっては、この労力は必須の節減部分となるでしょう。したがって広大な稲作ちたいほど、コンバインによる刈り取りに変わっています。

 たとえば、安曇野のちょうど今の風景に、はざ干しの風景はほとんどみられません。ところどころ姿があっても広い水田地帯の空間からすればわずかです。同じように伊那谷の穀倉地帯ともいわれる伊那市や駒ヶ根市周辺地域(上伊那郡)からも、はざ干しの姿は少なくなりました。
 地域でいえば、やはり現代的な農業の取り組みに遅れていた地域のみにはざ干しの姿が多く残っています。たとえば下伊那郡の天竜川左岸地域などでは、逆にはざ干しのない光景の方が珍しいくらいです。

 このように秋の風物詩ともいえたはざ干しの姿も、地域によってはその姿を見ることがなくなりました。
はさ干しについて
 刈り取った稲は、ほぼ一握り程度にして、わら(バインダーで刈るようになってからは、麻布になった)で縛り、はさに掛けて乾燥した。
 はさについて、長野県内ではハゼと呼ぶ地域が多く、そのほかハザ・ハサ・ハゾ・ハデなどと呼ぶところがある。私はどちらかというとハザという認識が高かったため、ここでは、ハザとハサを混用している。
 先にも述べたが、はさでもっとも多い形が一段掛けである。ハザアシと呼ばれる支えの棒を組んで支柱を作り(私の住んでいる伊那谷中部ではハザクイと呼んだ)、ナルと呼ばれる長い横木をその上に渡した。ナルはだいたいのところでは、竹を使ったが、木を使うところもある。
 だいたいの形は一緒であるが、ハザクイの間隔や、ハザクイの組み方など家々によって違いがある。
 こうしてできたはさに、稲束を七三程度に分けて左右交互につめて掛けていく。一段がけのはさでは、ほぼこうした掛け方である。
 地域や家によって掛け方が変わってくるのは一段掛けたあとの上の処理の仕方である。上伊那郡飯島町では、ワカサといって、ほぼ半々に割った束を一段掛けた稲の上に横にして掛けていくのが一般的であった。また、半々に割った束を立てにして二段掛けのようにして掛ける場合もあった。
 現在でもおおくのはさ干し風景が見られる下伊那郡では、一段掛けしたあとにビニールシートを掛けている。これらは、掛けた稲に雨などが浸透しないようにするための処理である。
 また、はさ掛けの仕方も、機械化の変遷によって少しずつ変化してきたともいえる。
 かつてに比べると稲束の大きさも小さくなっている。これは脱穀機の普及によるものという。

 はさ干し以外に地干しといって、田んぼに広げて干す方法もあった。長野県内でははさ干し以外の干し方は少なかったが、長野県外ではそうした干し方を主流にしたところもあるという。
 (以上参考文献 『長野県史』民俗編総説T)

2.ゲンゴロウの交尾

 当初ここでは、タニシ(長野県下伊那地方ではツボという)について掲載予定でしたが、今年の長雨でため池の水抜きが遅れていて、タニシがとれずにいます。そこで、わたしの家の水槽で今日繰り広げられたゲンゴロウの交尾について、最新情報として載せることにしました。
 今までにも水生生物については、何度か暮らしの情報で触れてきました。
 幻ともいわれるほどの水生生物もいるといいます。ゲンゴロウはそこまで言われないにしても、やはり限定された場所でしか見られなくなりました。

 源五郎と書かれるだけに、日本人には親しみやすい名前でしられています。知名度では水生昆虫のなかではピカイチでしょう。種類は多く、120種類以上あるといいます。わたしの家の水槽にいるゲンゴロウは、体長4センチメートルほどで、ゲンゴロウの多くの種類の中でも最大のものです。ゲンゴロウは肉食のため、ほかの小魚類と同じ水槽に飼うと、それらを捕食してしまいます。水生昆虫同士でも捕食しますので、混合飼育には気を使わなければなりません。むしろ単独で飼うほうよいようで、同種であっても共食いをするといいますので、同じ種類のゲンゴロウを単独で飼うのがおすすめです。

 生息地としては、かつては水田などに見られたのですが、農薬や水質の汚染に敏感であったため、限られています。山間地域の池などに生息しており、わたしの家のゲンゴロウは、やはり山に面したため池から採取してきたものです。近年山間地域でもブラックバスを放すこころない釣りマニアなどがいて、その環境が大きく変化したといいます。メダカやこうした水生昆虫の激減は、そうしたことも要因となっています。ゲンゴロウもブラックバスなどの魚には食べられてしまうということです。

 ゲンゴロウの飼育に付いては、水生昆虫専門店Water Bugのホームページ【Water Bug ゲンゴロウ類の飼育方法】を参考にされるといいと思います。
 ところで、ゲンゴロウなど水生昆虫について検索していたら、大変参考になるページがあったのですが、それがWater Bugのぺーじでした。貴重種がどんなものかわかりますが、そんな話を聞いていると、貴重であるがうえに、商売にのっている水生昆虫の現実の姿を見たような気もします。

 子どもが学校に、ゲンゴロウやガムシ・マツモムシ・ミズカマキリといったものをつい先日持っていきました。農村地帯の子どもでも、その姿をほとんど知らなくなったのではないか、と家で話しているうちに持っていくことになりました。事実、名前は知っていても本物の姿を知らなかった子どもがほとんどです。そういうわたしでさえ、本物の姿を忘れていましたし、かつて見たものが本当にそのものだったかも記憶になく、情けない話です。この時イモリなども一緒に持っていったのですが、いずれにしても田舎でさえ、かつていた生物を忘れてしまっています。
 ゲンゴロウは2から4年ほど生きるといわれ、けっこう丈夫な生き物です。そしてなんといってもその泳ぎの上手さは見ていてあきないものです。「暮らしの情報NO.2」で紹介した、豊年エビは優雅に泳ぐいっぽう、ゲンゴロウはすばやくたくましく泳ぎます。どちらも本当に見ているものを楽しませてくれます。

 さて、そんな飼っているゲンゴロウが交尾をしました。ゲンゴロウの雄雌の違いは、前足の膨らみにあります。雌の前足はすらっとしていますが、雄の前足には膨らみがあって、吸盤のようなものがついています。
 20分ぐらいの間、雌の上に雄が乗っかって、ときおり雄が呼吸をする尻尾のあたりを雌の尻尾のあたりに差し込んでいました。交尾かな?と思ってずっと見ていたところ、今度は雄が3分ぐらい尻尾のあたりを雌に差し込んでいました。そして5分くらい休み、再び交尾を3分ぐらいすると終わりました。もう終わりかなと思っていたところ、また交尾を始め、今度はいつまでたっても交尾を止めません。1時間ぐらいして用事があってその場を離れましたが、何時間か後に帰ってみたところ、交尾はもうしていませんでした。
 ゲンゴロウの交尾は早春から晩秋までといいます。しかし、産卵にいたるのは日照時間の長い夏季だといいますので、今回の交尾の結果産卵するかはわかりません。もちろん肉食ですので、産卵した場合は、同じ空間にいると成虫に食べられてしまいます。
 今回驚いたのは、その交尾の時間が長かったことで、下の写真のような状態で水槽の中をあちこち移動していました。

 水生昆虫を含めた昆虫に関するホームページは、
   「昆虫情報発信基地」 http://www.japan-net.ne.jp/~jpcat/index.html へ。
 また、水生昆虫に関するリンク集についても、同ページにある
   「水生昆虫の部屋」 http://www.japan-net.ne.jp/~jpcat/r-suisei.html へ。


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