【 NO.3 】 1998.8.30

1.メダカを育ててみよう

 夏休みに隣町に住む兄の子どもが、近くの川でメダカを採ってきたといって見せてくれました。
小さな水槽に透き通ったきれいな魚が入っていましたが、どうもメダカとは違うようです。メダカにしては細長く透き通りすぎています。わたしの子どもの頃には、どこにでもいたメダカが、今はどこにも見られなくなってしまったといいます。小さくそれらしい魚はメダカだといってもみんな信じてしまうほど、メダカの形がわからなくなってしまっています。

 長野県内のメダカの生息地によついては、松本市の西原重行先生が詳しいです。「メダカの先生」とも言われて知られていますが、今年6月に『メダカと共に生きて』という自家本を出版されました。

 それによると、昭和51年から52年頃に、県内の60校ほどの理科の先生に協力を得て、アンケート形式でメダカの生息地調査をされたといいます。すでにその時点で、どこにでもメダカがいる、という状況はなく、生息地が限られていたようです。この第1回目の調査時点では、県内の30ヶ所で確認できたといいます。その後、平成4年から5年にかけて行った第2回目の調査では、ほとんどのところで確認できなかったといいます。それまで確認されていた中信平ではほとんど姿を消してしまい、更埴市や諏訪・飯田方面に数カ所確認できただけだといいます。その15年の間に、さらにメダカの住める環境がなくなっていたということです。

 この西原先生の報告では、現在野生のメダカが確認できるところは、更埴市稲荷山、諏訪市豊田や湖南、飯田市上久堅や喬木村富田ぐらいといわれます。

 そのうちのひとつにあたる下伊那郡喬木村富田では、地区内のいくつかのため池で、現在もメダカが生息しています。
喬木村のため池

 ここでは毎年秋になると、ため池の水を抜いて管理しています。その水抜きの際には、たくさんのメダカ(かつてはウケスと呼ばれていた)やタニシ(ここではツボといいます)、モロコが採れます。これらはちょうど秋祭りの時期ということもあって、大事な祭りのご馳走としてお客に出されるわけです。メダカを採って煮て食べるというところは、現在では本当に珍しいかもしれません。しかし、バケツにすくうことができるほど採れていたのですから、昔のようにたんぱく源のそれほどなかった時代には貴重だったわけです。

 水を抜いて泥栓などの補修をすると(最近はため池の取水装置が整備されて、それほど補修をするということはなくなっています)、また水をためて来年の春に備えるわけです。

 それほどメダカっていなくなったのだろうか!・・・・・・・と思われる方もいるかも知れませんが、野生のメダカは本当に見られなくなりました。店で売っているメダカはヒメダカといわれ、赤い色をしていますが、野生のメダカは黒い色をしています。

 黒メダカもヒメダカも飼いかたは一緒で、簡単に増やすことができます。
 美しい熱帯魚もいいですが、メダカを飼って増やしてみませんか。

 わたしは以前からこの富田のため池から採ったメダカを飼っているのですが、水槽のメダカの数が減ったこともあって、この夏休みにメダカ採りに出かけました。

ポンスケとポンスケを仕掛けたところ

 メダカは大事に採ってあげないと、家にたどり着く間に死んでしまうものがいます。
 この富田のため池に学校の先生なんかがメダカを採りにきますが、なかには捕虫網ですくう人がいます。これは強引ですし、メダカが傷ついてしまいます。やはり、専用の道具で採りたいものです。採るには「ポンスケ」と呼ばれる道具を使い、中に粉ぬかを炒ったものを入れて池に沈めておきます。しばらく沈めておけば、その中にメダカが集まっています。

 メダカを飼って2年ほどですが、実はそれほど多く孵化したわけではありません。本格的に増やそうという目的ではなく、熱帯魚のかわりに水槽で眺めて観察したかったわけです。日のあたる場所へ水槽を設置すると、すぐに卵をつけました。そのうちに水草などに卵を産み付けますが、そのままでは、成魚が食べてしまうので、別の場所へ移しておきます。卵を付けたメダカがいたら、しばらくはよく見ていないと知らない間に卵は消えてしまいます。多くは生みつけた卵を、成魚が食べてしまってなくなるケースです。

 わたしも水槽の中に別の産卵箱を設置して孵化させましたが、稚魚の際に「このくらい大きくなればいいかな・・・・」と思って成魚と同じ空間に出したところ、あっという間に成魚に食べられてしまって、情けなく思ったことがありました。できれば、いくつか水槽を用意して、成長に応じた環境をつくってやることが大切なのでしょう。

 夏場の7月から8月ころが、産卵のピークです。

 水槽の場合、日当たりのよい所に置くと、水の汚れが目立ちます。熱帯魚のように鑑賞用にするには、水替えを頻繁にするしかありません。なかなか労力がいるため、背景に色のついたビニール板を置いたところ(西原先生によると青色を好むといいます)、水の汚れは目立たなくなったのですが、そのせいなのか、卵を生まなくなりました。日光を遮断してしまったためでしょうか。いかに日当たりのよい場所がよいか、ということでしょう。

 メダカの寿命は2年から3年といいます。わたしの水槽では、なかなかそこまでは生存できず、長かったもので1年半ほどです。それでもすぐに死んでしまうということはなく、1年くらいはみんな生存してくれます。
 野生のメダカをとってきたばかりは、それまでいたメダカと比べると元気さがちがいます。さらに水槽にいるメダカは、なんとなくブヨブヨしているのですが、採ってきたばかりのものは肉が締まっているように見えます。飼っているうちに背骨が曲がってくると、いよいよ死ぬのも近いようです。

メダカについて、情報がありましたら、
E-Mail・・・・mitsu@janis.or.jp
へお願いします。 

 なお、メダカについては、
『メダカと共に生きて』西原重行著
「川とのつきあい方を考えるV メダカの学校は・・・中川勲さんインタビュー」(『伊那谷自然友の会報』78)
をご覧ください。
メダカ リンク集
「野生メダカのホームページ」
              ・・・・・・全国生息地調査実施中



2.水田生物の環境

 水田の区画を整理するほ場整備は、稲作農業を営むものにとって必要不可欠でした。
 前述の喬木村富田のため池がある西の平地区は、かつてほ場整備をしようという動きがあったといいますが、実現されませんでした。地域社会のなかにおけるさまざまな駆け引きは、時として多くの人々の希望を実現手前でくじくことがあります。現在でもこの地区の稲作には、多大な労力を要しており、老齢化の進むなか、こうした山間地農業の背景で管理しきれない農地は、荒廃農地化が進んでいます。

 だから、かつての生物が生き残れる環境が残ったとはいえません。

 宇根豊氏(註-1)は、水田の構造の変化を指摘しています。その構造の変化は、まさしくほ場整備によるものです。宇根氏は「ほ場整備によって水田が水をためるだけのダムになったときから、メダカやドジョウやフナは、産卵のために排水路から田んぼのなかにさかのぼることができなくなった・・・・・」と言っています。農業行政側は、「水田はダムだ」といって、国土保全の上に必要なものだという言い方をして水田の重要性をうたっています。それは事実ですが、安易にダム化することは、川を堰きとめたダムと同じ道を歩むことになります。ようするに川の生態系を一変させる要因となったダムと同様、水田の生態系を一変させるダムと化してしまうということです。

 小川に生息した多くの生物は、水田の口を通り産卵を水田でしました。その口が閉ざされることが、多くの生物の環境を失わせた要因になっていたということです。宇根氏も、農薬散布だけが生物を失わせた要因ではなかったはずだと説いています。そして、これからのほ場整備への提言として、次のように説いています。

 圃場整備の計画は、人間が楽しく働けるか、農業生物のいのちが失われないか、という視点から見直す。

 @大区画の見直し
30a以上の区画は生き物にとってマイナス。できるだけもとの地形を残す。
 A三面張りを廃止する
コンクリートの三面張りは生き物を殺し、水質を悪化させる。
 Bパイプ配管をやめる
水路は水を流す装置ではなく、生き物を育て、運ぶ場だったはずだ。
 C安全な構造にする
子どもも遊べないような空間があってはならない。
 D子どもが遊べる水辺にする
人間が、水や、稲や、生き物に親しめるような配慮が必要。
 E休息できる空間が必要
木も1本もないような田畑ではなく、木陰で憩えるような場所は必要。

 なお、すでに環境破壊型の圃場整備工事が完了した地区では、もう一度、環境に配慮してやり直す。もちろん負担は、社会的な共通資本だから、全額税金から行う。
 
 さて、現在の圃場整備はどうなっているのか。
 その現場で働くわたしにとっては、なかなか頭の痛い話です。

 思い起こしてみれば、確かにかつての水田は形状はともかくとして、水田の水をかけるミナクチと、排水を行うアトは、極端なことをいえば同じ場所でした。水を引くにも引いてくる間に漏水して水不足に悩まされたり、水持ちが悪かったりと、整備されてきた今のほ場とは違った悩みが多かったはずです。そんななか、今のように排水の口を意識するような傾向はなく、それほど乾田にしなくてはならない、という意識がなかったとも言えます。それが米余りのなかで、転作が奨励され、乾田でなくてはなかなか畑作物ができない、という現実から乾田化が圃場整備の第1目標にもなってきたといえます。また、機械化への流れも稲作の環境を変えていきました。すべては農政の流れからのものです。

 ただ、現在の圃場整備をこの提言どおりに行うのは、なかなか難しいともいえるでしょう。まず、管理に苦労している農業者は、手のかからない農業を実現できることを願っています。したがって、Aのような三面張りを廃止することは、同意してもらうのにずいぶん農業者の理解が必要です。

 こうした現実をみつめながら、かつての水田生物の環境をとり戻す方法を考えなくてはならないでしょう。
 そこには、蓄積されてきた民俗社会の構造や、行政の壁を越えた融和が必要であり、まず権力重視の動きでは何も解決できないということを認識するべきでしょう。

註-1
宇根豊  1950年長崎県島原生まれ
       1973年より福岡県農業改良普及員になり、現在にいたる。
       著書 『田んぼの忘れもの』(葦書房)
           『田の虫図鑑』(農文協)
           『減農薬のイネつくり』(農文協)

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