【 NO.2 】 1998.6.22

1.ゴミと下水道


1998.6.21付の『長野日報』上伊那版(長野日報社)の一面に、「次世代に引き継ぐ重要環境」は・・・・・という、伊那市の市民意識調査の結果が報じられていました。
それは、伊那市が今年1月から2月にかけて、18歳以上の市民2000人を対象に実施した、「環境に関する市民意識調査」の結果をまとめたものについての報道です。
3項目以内で選択してもらった「次世代へ引き継ぐべき重要な環境」は、

1.河川環境(天竜川・三峰川)
2.中央アルプスの景観
3.南アルプスの景観
4.渓谷・渓流
5.田畑
6.夜空・夜景
7.社寺林
8.水辺
9.平地林
10.公園

といった順でした。
河川に対しての思い入れが強いのは、この地域が河川によって地域を形成してきたためでもあり、また、近年の河川改修にかかわる広報活動(この地域の河川改修は、建設省天竜川上流工事事務所にかかわる思想が前面に出ているともいえます。それは、環境に配慮した改修を重要視している同事務所の、さまざまな広報活動や現実の改修工事で証明されるでしょう。)によるところも大きいかもしれません。

こうした反面、同報道では、「大都市に比較して悪い環境」の回答に「川の汚れを」あげています。河川への期待度が大きいだけに、その現実の姿への認識も高い証明にもなっているわけです。調査をした伊那市生活環境課の言葉として、「都市環境整備の遅れへの不満は、ある程度予想されたが、水の汚れや、ごみの投げ捨てといったモラルの低下を指摘する声がこれほどとは・・・」と載せています。

文化生活の基準として、もっとも重要視されていた「下水」については、近年急ピッチに整備されてきて、まだまだ整備率は低いものの、着実に下水整備は行われています。これは、こと伊那市に限らず、長野県内どこでも共通しており、一時の低整備率に比較すると、そのアップ率はなかなかのものでしょう。

ところが、この下水道整備の裏側で、人々の現実の心意が見え隠れしています。

それは何か。

下水道整備といっても整備の方法はさまざまです。都市部の広域圏においては、流域下水道なるもので大規模に整備されていたり、小さい市部では、単独の下水道整備が行われています。また、農村部では農業集落排水整備なるもので整備が進み、もっと小規模な下水道整備もあります。さらに下水道とはいえませんが、個々の家で設置する合併処理浄化槽なるものもあります。こうしたさまざまな整備が行われるなか、とくに農村部のように家が点在している場合、下水道整備になるのか、合併浄化槽による整備を促されるのかというところで、人々は葛藤する場合があります。その多くの場合、行政側の指導で位置づけられていきますが、どうしても受益者となる人々は、下水道(この場合公共下水だろうが、農業集落排水整備だろうがかまわない)整備へ加入を期待するケースが多いわけです。

その背景には、「なぜ、うちだけ仲間はずれになるのだ」という気持ちがあるようです。もちろんそこに差別はなく、行政的な経済性が求められているわけです。しかし、地域による集団性の強い農村部だけに、ただそれだけでは説得できない「何か」があります。

ところで、下水の処理施設を訪れてみると、その施設へ入ってくる流入物に驚かされます。本来であれば、せいぜい家庭の台所から流れ出した調理の残骸程度と思いますが、ずいぶん大きな物も流れ着きます。そして、こうした処理施設には、それらを細かく砕く機械が設置されていますが、そうした機械でも困るような物体もやってくるのです。
裏返してみると、自分の家からひとたび出ていってしまえば、誰が流したものかわからないのだから、流してしまえ、と思えばどんなこともできるわけです。こうしたことは、許されることではありませんが、タバコの吸い殻や空缶を投げ捨てするのと非常に似ているともいえるでしょう。自らの所有地内ならともかく、そうでないよその土地では、安易に非常識なことを繰り返す日本人的な発想ではないでしょうか。そういう私も、こと下水のことを思うと、「ひとたび流れ出てしまえば、・・・・」という気持ちがないわけではありません。しかし、そうした気持ちがある以上、これからの日本の問題とされているゴミの問題や、盛んに言われるようになった環境ホルモン対策なども、到底進むわけがないでしょう。

かつての農村部の河川には、盛んにゴミが捨てられました。河川のパトロールが強化されるようになると、人里離れた山の中にゴミが目立つようになりました。そうした光景も、かつてに比較すると少なくなってきていますが、未だに認識が低い人は多いようです。
高速道路のごみ箱に家庭ゴミが多くて困ったものだ、という話をよく聞きます。高速道路のごみ箱に限らず、どこのごみ箱も同様のことがいえるでしょう。平気で「高速道路のごみ箱が一番捨てやすくていいよ!」という人がいるのですから困ったものです。そこに罪悪感など微塵もないようです。

農村部ほど空間が大きすぎて、ゴミの姿を視野に入れることは少ないでしょう。ということは、普段の暮らしから、そうした問題を認識させることは難しいともいえます。
しかし、こうした住民意識調査のトップに、「川の汚れ」が指摘されるようになることは、しだいに意識が上がってきたことを予想させてくれます。

2.豊年エビ


水田に生息する生物が、環境のバロメーターともいわれます。かつて、昭和30年代から40年代にかけては、さまざまな生物がいましたが、その後激減しました。ちょうどそのころに農薬が急激に広まったわけで、それらは、農作業の省力化から生まれてきたわけです。

一時激減した生物も、かつてほどではないにしても、復活してきているものもあります。代表的なものにホタルがあげられるでしょう。しかし、それらは、「ホタルの住める環境を」という、集中的生物保護によるところからきたものであって、総体的に生物が戻ってきたとはいえず、むしろ極端な人々の好みによる保護活動の結果ともいえるかもしれません。

最近こうした水辺の環境を取り戻そうという意識は強くなってきていますが、そんななか、ホタルに次いでメダカを呼び戻そう、という動きも多いようです。

ところで、水田に生息した生物というと、次のようなものがあげられます。
メダカ
どじょう
フナ

カブトエビ
豊年エビ
貝エビ
ミジンコ
タニシ
アメンボ
ゲンゴロウ
タガメ
タイコウチ
水カマキリ
など・・・・・・・
あげていくときりがありません。
とくに、ついこのごろ気が付くと見えなくなったものに、メダカ・タニシ・ゲンゴロウといったものがあります。

ここで紹介する豊年エビは、甲殻類無甲目ホウネンエビ科で、体長が15〜20ミリメートル。体は細長く円筒形で甲殻を持っていません。脚は11対で、最後部の体節に尾脚が1対あります。無色半透明ですが、緑色を帯びることもあるといいます。水田などに初夏に出現し、背を下にして泳ぎます。
日本各地に生息したこのエビ、今でも場所によっては見ることができます。
田植え後の水田(ちょうど今ごろ)を、よーく見ていると、透き通った脚のいくつもある虫がいることに気が付きます。

エビ類では、ほかにカブトエビや貝エビがいます。これらのエビは、姿は似ていないものの、生態は非常によく似ているといいます。『田んぼの忘れもの』(宇根豊著・葦書房)によると、その生態は、
  1. 主に田んぼに生息する。田んぼ以外では水路でも目にするが、田んぼで孵化したものが移動しているようだ。
  2. 卵は代かきのあと、水・温度(20度以上)・光に反応して、孵化し、急速に大きくなる。土の中の光が当たらない卵は数年の寿命があるようだ。
  3. エビは孵化して20日後から、産卵をはじめ、親は30日〜40日で寿命がつきる。したがって、急にいなくなるような印象を与える。
  4. カブトエビは土(草の芽生えも)をかき混ぜ、丸ごと飲み込み食べる。豊年エビと貝エビは、アジアカブトエビだと思われる(ほかにアメリカカブトエビがある)。
  5. 卵は秋冬を土の中で越す。
ということです。
とくにカブトエビは、水田の水を濁らせる効果があり、除草活用が可能だといわれています。

江戸時代には、鑑賞用に飼われたたともいう豊年エビ。私は家の水槽に入れて飼ってみました。
田んぼの水と同じような状況がよいかと、田んぼの水を汲んできて入れて飼っていましたが、約2週間ほどで死んでしまいました。鑑賞用に飼われたと聞きうなずけるのは、実に背泳ぎが上手で、また透き通っている姿は、見ていてあきないことです。

上記の生態の特徴にもあるように、長生きをしないのと、急にいなくなるところから、意外に知られていないものが豊年エビかもしれません。
わたしも今まであまり認識していなかったのですが、ここにもいますよ・・・・という情報がありましたら
E-Mail・・・・mitsu@janis.or.jp
へお願いします。

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