『遥北通信』147号(H8.11.1)

飯島町清水坂お不動様の猫神

三石 稔
 猫神というと以前にいくつか紹介してきた。更埴市霊靜山の石仏群にみられる猫神は、その像容のユニークさでは特筆すべきものであった。また、伊那市西春近山本の公民館裏にある猫像も小ぶりではあるが、素朴な一体であった。これらは『遥北通信』などで紹介しているので参考とされたい。ところで、伊那谷には意外に猫神が多い。伊那市山本の猫像を紹介したおりにも、養蚕関係の石造物として紹介してきたが、地元での聞き取りで必ずしも養蚕関係なのかよく確認をしなかった。最近猫神を伊那谷のところどころで確認するなかで、それらが養蚕の関係石造物であるか聞き取りできないものが多い。

 ここで紹介する上伊那郡飯島町豊岡にある清水坂の猫神も養蚕関係のものとは安易に決めつけるわけにはいかない。清水坂は飯島町本郷から与田切川を渡り飯島の町へ登る所にある坂である。かつての国道153号線与田切川橋の北東側をいい、現在その場所は竹薮となっている。ここで紹介する清水坂のお不動様は、現在の国道153号線与田切橋のすぐ北の段丘崖上の森にある。なぜ清水坂というと、このお不動様がかつては豊岡の臂曲がりにあったためで、その辺りが元の清水坂であったようである。清水坂のお不動様は4月の28日が祭日で昭和30年代初頭までは、近在に知れた賑やかな祭りであったようである。飯島だけではなく、天竜川東岸の大草などからも歩いて参拝に訪れたという。その後祭りはすたれ、現在では祭りらしい祭りも行われていないようである。お不動様は鬱蒼とした杉林の中にあり、2メートルほどの大岩の上に石造の不動明王が安置されている。寛政4年銘のあるもので、まわりには奉納された剣がいくつも立てられている。このお不動様の右手には 「蚕玉大神」などもあり、近くに写真の猫神がある。ほかに蛇神もいくつかあるが、この蛇神も一般的には養蚕関係の石造物という捉え方もされている。しかし、猫神同様養蚕繁盛のためにまつられたという聞き取りはなかなかできないのである。
 『日本石仏図典』(日本石仏協会編−国書刊行会)の「ねこ」を引いても「蛇」を引いても、いずれも養蚕の鼠害を防ぐものとされている傾向が強い。ところが、やはり伊那谷に多い蛇像も養蚕とのかかわりは意外に少ないのでは、と思われる。とくに蛇に関しては墓地に多く見られ、養蚕関係の他の石造物とはやはり趣が異なるようである。

 さて、清水坂で聞いたこの二種類の像についての信仰であるが、あまり確実性には薄れる。ただ、お不動様の存在に比較すると、その認識が薄いことは確かなようである。お不動様の前に新しい剣がいくつか奉納されているが、それらに片桐さとさんの名前が見える。片桐さんはこのお不動様を日頃お詣りしているが、この猫神の存在は知らなかったという。お不動様の存在を最も認識されている方でも、境内の他の石造物についての認識を持っていないことがわかる。ここのお不動様は、町の宮下家が個人的にまつったもので、後に盛大な祭りとなり、地域の信仰を篤く受けてきたようである。といってお不動様境内の他の石造物も宮下家で建立したものかというと、それぞれの銘文を調べてもそうではなさそうである。残念ながら宮下家も世代が変わり、それを確認することは不可能であるが、ここでは祭りを実行してきた豊岡集落の人々の聞き取りから捉えるしかないようである。

 周囲の人々の猫神のとらえ方は、どこどこの家で猫に祟られてまつられたものという。具体的にはわからないが、伝承としてこうした話が語られているようである。また、蛇像に関しても蛇に祟られたため、 まつったものという。 同じ飯島町の日曽利 で見た蛇像に関して も、蛇の祟りをまつったものということ を聞いた。墓地にまつられることが多いところからも、個人の祟りに対する奉納というケースが多いのではないかと思われる。伊那谷には確かに猫や蛇像が多い ようであり、少し注目したい石造物である。