語りはいらない。

ただ、ここに暮らす。




[長野県辰野町にて]





だれでも若いときがあり、
そうしたとき
それほど昔のことではなかったような気もする。
しかし、いつしか自分は年老いていき、
気がつくとすでに余命も少なくなる。
若いうちは、だれも先のことなど考えはしない。
ところが、少し年老いたと思うと、
余命の日々を不安視する。
安全なところに身を置いて暮らすからこそ、
そこはかとなく、穏やかさがほしいのである。




[長野県開田村にて]



先のことなど予想したくなくとも、
いつしか時は過ぎ、
ふけていく。





[長野県辰野町新町にて]



何かをしようと
ふと立ち止まった。
ところがそこで何をしたらよいのか
わたしはかいもく見当がつかず、
ふと堀の水を覗き込むと、
濁りきった水の中に
ぼんやりと
過去の自分が映し出されていた。

これからどこへ行くのだろう。



《長野県小谷村千国諏訪神社秋祭り「ささらすり」》





これらの写真は昭和時代の終わりから、
平成になってからのものです。
こうした暮らしが今でも残っていることも事実ですが、
そこでは、さまざまな問題を抱えています。