平成8年長野県民俗学研究動向

 この研究動向は、信濃史学会『信濃』第49巻第6号隣県特集号「長野県地方史研究の動向」より、民俗学関係について転載しています。研究動向の執筆は窪田雅之氏(塩尻市広丘)。

 平成8年の長野県民俗学関係における動向は、長野県民俗の会の活動をはじめ、県内各地の研究諸団体を中心に活動が展開された。しかし、平成7年同様に研究者の多くが市町村史誌等の調査・執筆活動に追われ、必ずしも活発な実践活動が示されたとは思われない。以下に本県における研究諸団体の活動内容と調査研究の動きについて概観してみたい。

 長野県民俗の会では『長野県民俗の全通信』131〜136号と『長野県民俗の会会報』19号を発行した。また、例会を5回、総会を11月に松本市において開催した。平成8年の総会は平成7年の総会の野中健一氏による講演「昆虫食慣行からみえること」(同「昆虫食について」『長野県民俗の会会報』19)を受けて、シンポジウム「食生活研究の課題と展望」を開催した。ここでは福澤昭司氏の趣旨説明のあと日比野光敏氏による「民俗学による食研究の課題」という基調報告がなされ、金子万平氏の「長野県の伝統食」、胡桃沢勘司氏の「松本平への塩と魚の移入をめぐって」、中村羊一郎氏の「伝統的食生活とその変容について」という三氏のパネラーによる報告を受け、参加者によるパネルディスカッションがおこなわれた。パネルディスカッションでは民俗学における食文化・食生活の現状や幾つかの課題が揮き彫りにされ、充実したものであった。なお、このときのシンポジウムの内容は『長野県民俗の会会報」20号に掲載される予定である。

 また、各地区持ち回りの例会でもソースカツ丼(駒ヶ根市)や鯉料理(佐久市)を食べるなど、味覚という観点からも食文化ヘアプローチを続けているのは興味深い点である。同会の活動が食文化にスポットをあてたこともあって、食文化関連の論考が多く発表されるようになった。そんななかで、三石稔氏は「食からみた地域性−調味料を中心に−」(『長野県民俗の会会報』19)で、自分の体験に基づいて調味料からみた食の地域性を分析し、東北信と中南信をひとつのかたまりとした地域性があることなどを導き出している。ここで、その膨大なデータの分析をコンピュータを用いておこなっているのも三石論考の特徴である。今後は民俗学においてもデータ分析にこのような手法が一般的になると思われるが、どのようにデータを処理するかも検討課題の一つであろう。近い将来、県内の研究者の手による食文化報告書の刊行も充分考えられる。

 同会では昨年に引き続き、松本市内田の民俗調査をおこなった。この調査は松本市教育委員会が復原工事をおこない博物館として開館準備を進めている馬場家住宅(12月10日重要文化財指定・平成9年4月8日開館)の活動にも、将来的に何らかの民俗資料を提供することも含んでいる。同会の一連の調査は民俗学に興味を抱きながらも調査経験の乏しい会員に実践活動の場を提供する役割があり、金井ひろみ氏は「夏季民俗調査-松本市内田-に参加して」(『長野県民俗の会通信』316)で、各自のテーマ設定による調査だけではなく、共同で調査項目を設けておこなう調査は採集データの比較検討がしやすく自分のような初心者にとっては研鑚になるとの提言をしている。調査を初心者の実浅の場とする本来の主旨からも、検討する余地があろう。ともあれ、今後も充実した同会の民俗調査の継続が望まれる。また、この2年間の調査結果をまとめた報告書が平成9年に発行される予定である。

 柳田国男記念伊那民俗学研究所では『伊那民俗』24〜26号と『伊那民俗研究』6号を発行した。また、総会を5月に開催し、会員の研究発表のほかに後藤総一郎氏(所長)の「柳田国男と地方分権」、倉石あつ子氏の「女性と民俗」の二つの記念講演がおこなわれた。記念講演の内容は『伊那民俗研究』7号に掲載される予定であるという。同会は会員がそれぞれのテーマをもち、毎月4つの部会を組織して活動をおこなうなど、長野県民俗の会とともに県内の民俗学をリードする団体である。とりわけその一部会である「民俗芸能を語る会」の精力的な活動(桜井弘人氏「舞からみた遠山蒲月祭りについて−和田タイプの祭りを中心として−」『飯田市美術博物館紀要』6号など多数)は、後述する飯田市美術博物館の特別展活動の一端に結実されている。なお、飯田下伊那地域では同研究会をはじめ関連14団体で同地域研究団体連絡協議会を設立し、民俗学ほか関連諸分野の学際的な研究をおこなうことになった。これは従来県内では余りみられなかった傾向で、歓迎すべきことである。

 ところで、長野県民俗の会では(仮称)『信州の石仏(神)シリーズ』の編集に向けて、会員が中心となって聞き取り調査・執筆をおこなっている。これは、福澤昭司氏が「石像物調査について−最近の会活動をふまえて」(『長野県民俗の会通信』134)で発言したように、石像(造)物調査自体も大きな目的であるが、現状に安穏としている会(会員)の現状を鑑み斬新な発想を喚起して会の活性化を図るという意図がある。それに関連して、浅野久枝氏は「石造物調査によせて」(『長野県民俗の会通信』135)で、調査にあたる場合、古い伝承ばかりでなく、松本市域にみられるような新しい道祖神にかかわる伝承、つまり「現在生成する民俗」という視点からも調査をする必要があるとしている。これは、この調査に関してだけでなく、民俗調査全般にわたって我々が再考しなければならない要素を含んでいる。なお、石造物の関連では道祖神を歩く会・野中昭夫『道祖神散歩』が発行されている。これは山崎省三『道祖神は招く』(平成6年)の写真編とも位置づけられるもので、ページの四分の三が県内の道祖神碑関連に費やされている。伝承よりも造形美などに重点をおいた、文字どおりガイド ブックとしての性格が強いが、民俗をわかりやすく視覚に訴えるという手法から我々が学ぶべきことはまだ多いはずである。

 いっぽう、市町村史誌の編纂も盛んである。次におおまかな編纂状況を述べる。松本市では平成9年が市制施行90周年にあたり、同年中の刊行を目指して『松本市史民俗編』の最終的な編集作業が進められている。長野市では松代などの重点調査が終了し、平成10年度の刊行に向けて『長野市誌民俗編』の編集作業に着手する段階を迎えている。上田市では『上田市誌民俗編』の編集に向けて20地区の集落調査などが終了し、現在調査結果を整理中である。民俗編は全4巻、平成11年度に第1巻の刊行が予定されている。同市では従来の市町村史誌の多くが大部の体裁で内容も余りに専門的であるため地域住民にとってそれほど身近な存在ではなかったことを踏まえ、1巻をほば200ページ構成として一人でも多くの市民に気軽に読んでもらえるような編集方針を定めたという。今後編纂予定のある市町村史誌関係者には参考になる方針である。飯田市では飯田市誌編纂準備委員会が開催され、平成9年に市制施行60周年を迎えることから、市制70周年の刊行に向けて待望久しかった『飯田市誌民俗編』の編纂が着手される。また、下伊那郡天龍村で『天龍村史民俗編』刊行に向けて、本格的な調査と執筆をお こなう調査委員会が発足している。このような状況であるので、市町村史誌の調査から数多くの論考が生まれている。小林経廣氏は「稲作に伴う複合生産を営む施設園芸」(『信濃』48-1)で、松本市史民俗編の調査結果から設定した松本市河西部の稲作と施設園芸との複合性に視点を据え、従来余りかえりみられなかった稲作地帯における換金作物を取り上げている。施設栽培による近代化、効率化の流れは、今後も益々強まっていくのであろう。倉石あつ子氏は長野市誌民俗編の調査過程で北信流にかかわり、日本民俗学会第755回談話会(1月14日)で「酒席の儀礼−北信流の意味−」を発表し、続いて「きみの恵みぞありがたき−北信流にみる人々の絆」(『市誌研究ながの』3)で伝統的な北信流が次第に形式化しながらも受継がれている事象に関心を寄せている。両氏以外の論考もエッセンスが市町村史誌の本編で改めて述べられると思われるので、刊行が待たれる。

県内研究者による刊行物として笹本正治氏『中世の災害予兆』、長沢武氏『山の動物民俗記』、長野県農村文芸協会『暮らしが変わる人が変わる』などがある。また、関連のあるものとして倉石忠彦氏他編『日本民俗誌集成』第9巻などがある。笹本氏は前著『蛇抜・異人・木霊」(平成6年)に引き続き災害を取り上げ、災害の前兆・予兆をテーマに文献や伝承を分析して中世人の世界観へのアプローチを試みている。長沢氏は自身が山村に在って身近に動物と接し、そこから得た豊富な調査資料と歴史資料により動物と人間の関わりを丹念に述べている。『暮らしが変わる人が変わる』は『写真でつづる信州のむらの50年』(平成6年)の姉妹編にあたり、戦後50年間のむらにおける暮らしの変貌が三つの時代区分によって語られている。この50年は、特に昭和30年代後半から昭和40年代前半にかけては共同体の力が次第に弱まり、ムラの個人の主張が伸びていく時代であったことがわかる。また、『日本民俗誌集成』第9巻は巻山圭一氏の的を得た書評があるので(「書評」『長野県民俗の全通信』315)ここでは字数を費やさないが、掲載された民俗誌は福澤昭司氏の解題と解説(「民俗誌論のゆくえ」 )ともども今後も民俗学を学び研究しようとする者にとって確かな指針を与えてくれるものである。

最後に県内の博物館・資料舘での特別展等についてふれる。詳細については別項「歴史学関係」で述べられているので、ここでは長野市立博物館の「豊かな実りを祈る−小正月の行事−」展と飯田市美術博物館の「神々の訪れ−天竜川流域の芸能の面」展を紹介するにとどめる。前者は従来博物館の展示では比較的なおざりにされてきた自然と人間とのかかわりを中心に、小正月の行事の保存と記録をおこなったものである。後者は神事芸能の宝車といわれる天竜川沿いに焦点をしぼり、県境を越えて三遠南信地区の350点余の面と関連資料を一堂に展観したものである。このような特別展は美術展のように一朝一夕には開催できず、何よりも地道かつ堅実な民俗調査の継続を旨とする両博物館(学芸員)の姿勢は高く評価されてもよい。学芸員の本領は論文を書くことよりも、展示に発揮されるとよくいわれ、他の博物館でもこのような調査に裏付けられた特別展の開催が待たれる。両特別展とも内容のある図録が発行されたが、近年の傾向として予算の関係もあろうが、民俗学分野の特別展は図録が発行される館が少ないようである。特別展に限らず、博物館の活動はモノとコトバの両方を収集でさるので、 今後は民俗学分野における地域博物館の活動領域は益々広がるべきであるが・・・・・・。なお、県内の博物館では埋文系の学芸員に比べ民俗学(歴史学)系の学芸員の横の連携がないことがよく指摘されていたが、平成6年から長野県歴史民俗担当学芸員懇話会が有志によって結成され、年に4回各地区を持ち回って情報交換会や特別展見学会をおこなっている。平成8年は松本市立博物館ほか三館で開催された。博物館はもとより、学芸員諸氏、同会の今後の活動に大きな期待がかかる。

 以上、長野県における民俗学関係の動向についてひととおり概観してみたが、ここに取り上げたもの以外にも、話題性の豊富な論考や注目すべき活動が多くあったことは述べるに及ばない。しかし、何よりも担当者の力量や認識が不足していたこともあって、それらすべてにあたり網羅することができず甚だ皮相的になってしまったことを心からお詫びする。

以下に刊行物・著者・論文・報告等を一括して掲げる。

総論

  1. 笹本正治『中世の災害予兆−あの世からのメッセージ−』吉川弘文館
  2. 長野県農村文化協会『暮らしが変わる人が変わる−村の生活50年』信濃毎日新聞社
  3. 浅野久枝「石造物調査によせて」(『長野県民俗の会通信』135)
  4. 伊藤純郎「柳田国男と小学校」(『伊那民俗研究』6)
  5. 伊藤純郎「『蕗原』前後−上伊那教育会と郷土教育運動−」(『伊那路』472)
  6. 小田富英「野に生きる・水野葉舟論(上)−葉舟の綴り方論と柳田国男」(『伊那民俗研究』6)
  7. 小野浩「『遠野物語』以前の柳田国男について−「幽冥談」」(『伊那民俗研究』6)
  8. 片桐みどり「柳田関連新聞記事紹介2 農村改善策 貴族院書記官長柳田國男(信濃時事新聞・大正五年一月一日付)」(『伊那民俗』24)
  9. 片桐みどり「柳田関連新聞記事紹介3 柳田國男氏が涼みがてら座談 歴史の改造を説く柳田國男氏(南信新聞・大正一五年八月一一日、一五日付)」(『伊那民俗』25)
  10. 片桐みどり「柳田関連新聞記事紹介4 旦開の盆踊り(南信新聞・大正一五年八月一二日付)」(『伊那民俗』26)
  11. 金井ひろみ「夏季民俗調査−松本市内田−に参加して」(『長野県民俗の会通信』136)
  12. 倉石忠彦「都市生活者の故郷観」(『日本民俗学』206)
  13. 倉石忠彦「民俗調査資料の記述をめぐって」(『長野県民俗の会通信』131)
  14. 倉石忠彦「民俗都市のイメージ」(『新国学の諸相』國學院大學院友学術振興会編 おうふう)
  15. 倉石あつ子「サイフの在り方−主婦対嫁・・・・家長対主婦」(『松本市史研究』6)
  16. 胡桃沢友男「『蕗原』以前−上伊那民俗研究事始め−」(『伊那路』468)
  17. 小林寛二「故郷を考える−一九九五年度、日本民俗学会年会に参加して−」(『長野県民俗の会通信』132)
  18. 桜井伴「山村昔ばなし」(『伊那』818)
  19. 桜井伴「民俗にみるやすらぎ」(『伊那』820)
  20. 清水三郎「下伊那における近代思想の展開−森本州平日記を中心に−」(『伊那民俗研究』6)
  21. 曽原糸子「講義メモ 飯田市「柳田國男記念伊那民俗学研究所 総会」記念講演「女性と社会と性と」倉石あつ子」(『柳田学舎』17)
  22. 中村ひろ子「書評 倉石あつ子著『柳田國男と女性観−主婦権を中心として』」(『長野県民俗の会通信』133)
  23. 原幸夫「柳田民俗学と地域づくり−癒しのフォークロアからの提言−」(『伊那民俗』25)
  24. 福澤昭司「石造物調査について−最近の会活動をふまえて−」(『長野県民俗の会通信』134)
  25. 福澤昭司「会員著書紹介 長沢武著『山の動物−民俗記−』」(『長野県民俗の会通信』135)
  26. 福澤昭司「地域研究と民俗誌−天竜村坂部によせて−」(『伊那民俗』26)
  27. 福澤昭司「民俗学と学校教育」(『松本市教育』30)
  28. 福澤昭司「書評 『静岡県史』資料編「民俗」及び「民俗文化史」」(『静岡県史研究』12)
  29. 前沢奈緒子「柳田國男自著家蔵本校訂一覧E」(『伊那民俗研究』6)
  30. 巻山圭一「書評 倉石忠彦・高桑守史・福田アジオ・宮本袈裟雄編『日本民俗誌集成』第九巻」(『長野県民俗の会通信』135)
  31. 三石稔「長野県地方史研究の動向 民俗学関係」(『信濃』48−6)
  32. 宮坂和代「『通信』を読んで」(『長野県民俗の会通信』136)
  33. 湯川洋司「山村の民俗変容と地域づくり」(『伊那民俗研究』6)
  34. 若尾典子「書評 倉石あつ子著『柳田國男と女性観−主婦権を中心として』」(『日本民俗学』208)

衣生活・食生活・住居

  1. 伊那北高等学校歴史研究部「お盆と正月の行事と伝統食−辰野町の駅前地区と小野地区の比較−」(『伊那路』471)
  2. 浅野久枝「松本のホウトウ」(『松本市史編さん室だより』183)
  3. 倉石あつ子「イゴ(エゴ)をめぐる味の伝承」(『信濃』48−1)
  4. 桜井伴「郷土の食−食生活の移り変り」(『伊那』812)
  5. 野中健一「昆虫食について」(『長野県民俗の会会報』19)
  6. 福澤昭司「ウミからヤマへ−海産物を通じた海と山との交流−」(『長野県民俗の会通信』131)
  7. 三石稔「食からみた地域性−調味料を中心に−」(『長野県民俗の会会報』19)
  8. 小林経廣「柳沢秀彰家の住まい」(『松本市史研究』6)

生業生産

  1. 浦野和夫「農業の一年と私」(『伊那路』472)
  2. 小林経廣「稲作に伴う複合生産を営む施設園芸−松本市島立・新村・和田の専業農家の生産形態−」(『信濃』48−1)
  3. 桜井伴「木地師物語」(『伊那』813)
  4. 塩澤正人「飯田下伊那地方の和紙製造のあゆみ」(『伊那』822)
  5. 田澤直人「佐久地方のムラ仕事について−高校生とその親へのアンケートから−」(『長野県民俗の会会報』19)
  6. 野本寛一「始原生業複合論ノート−秋山郷・伊那谷から−」(『信濃』48−1)

社会生活

  1. 倉石あつ子「きみの恵みぞありがたき−北信流にみる人々の絆−」(『市誌研究ながの』3)
  2. 石井克生「マンションと地域社会の交渉史−東京都保谷市の事例より−」(『信濃』48−1)
  3. 田澤直人「隣組長の仕事(二)」(『長野県民俗の会通信』133)
  4. 三石稔「ある集合住宅をめぐる社会生活」(『伊那路』468)

信仰

  1. 道祖神を歩く会・野中昭夫『道祖神散歩』新潮社
  2. 浅井舎人「根羽村の石造文化財」(『伊那』812)
  3. 窪田雅之「現代の道祖神−その役割と性格を中心に−」(『松本市史研究』6)
  4. 小出章「長野市のお善鬼さま」(『むしくら』12)
  5. 小林巳知「戦後消えた秋葉信仰(長野・望月町)」(『日本の石仏』79)
  6. 塩澤一郎「上伊那の奥山半僧坊(1)(2)」(『伊那路』468、470)
  7. 塩澤一郎「堀本丈吉翁と三峯(お犬様)信仰」(『長野県民俗の会通信』132)
  8. 塩澤一郎「伍和の風祭り(一)(二)(三)」(『郷土史巡礼』286、287、288)
  9. 塩澤一郎「信州伊那谷の先祖まつり−上伊那郡長谷村・浦−」(『あしなか』244)
  10. 高橋稔「虫倉神社と秩父の行者」(『むしくら』11)
  11. 田幸喜久夫「須坂市の双体道祖神」(『須高』42)
  12. 田中英雄「信州・飯縄山紀行」(『須高』79)
  13. 外山俊太郎「九頭龍神の信仰と系譜」(『高井』117)
  14. 中島重人「あーめたんぼ いおうぞ−南佐久郡南相木村の雨乞い−」(『長野』188)
  15. 林登美人「三十番神の像と額」(『伊那』820)
  16. 原隆夫「庚申講の掛軸」(『郷土史巡礼』294)
  17. 原田昭一「道祖神 祭りと占い」(『高井』117)
  18. 牧野眞一「木曽御嶽行者の家祈祷−長野市松代町の事例から−」(『長野県民俗の会通信』134)
  19. 丸山泰功「北御牧村における念仏講の一例から」(『長野県民俗の会通信』132)
  20. 宮尾達雄「茅野市の虫倉神社の祭と多神道」(『むしくら』11)
  21. 宮島潤子「接吻道祖神」(『日本の石仏』78) 

人の一生 

  1. 倉石忠彦「育児儀礼−人の一生覚え書き(七)−」(『長野県民俗の会通信』136) 

年中行事

  1. 長野市立博物館『豊かな実りを祈る−小正月の行事−』
  2. 伊藤昭雄「正月の周辺−柳田國男を読み、地域と我が家の正月をみる−」(『伊那』812)
  3. 窪田雅之「子供仲間の行事に対する規制や抑圧について−松本市域のサンクロー・アオヤマサマを中心に−」(『長野県民俗の会会報』19)
  4. 胡桃沢友男「奈川村のサイノカミと厄落とし」(『あしなか』244)
  5. 塩澤一郎「おさんやり−南信濃の盆行事−」(『まつり通信』426)
  6. 下村幸雄「伊那路を撮す(四六)恩徳寺の節分会−南箕輪村沢尻−」(『伊那路』473)
  7. 下村幸雄「伊那路を撮す(五○)辰野のほたる祭り−辰野町−」(『伊那路』478)
  8. 下村幸雄「伊那路を撮す(五一)天竜川の精霊流し大法要−伊那市坂下区−」(『伊那路』479)
  9. 松上清志「下伊那の七夕行事」(『伊那』820) 
  10. 宮尾幸「わが町の文化財保護 道祖神行事について」(『文化財信濃』23-3)

民俗芸能

  1. 飯田市美術博物館『神々の訪れ−天竜川流域の芸能の面』
  2. 上中村獅子保存会20年の歩み刊行委員会『上中村獅子保存会記念誌』
  3. 上原靖「子どもの遊びと人間形成(一)(二)(三)(四)」(『長野県民俗の会通信』131、132、133、134)
  4. 北原永「むげん隗と太鼓音楽」(『伊那路』468)
  5. 桜井弘人「舞からみた遠山霜月祭について−和田タイプの祭りを中心として」(『飯田市美術博物館研究紀要』6)
  6. 桜井弘人「天竜川流域における面と伝承」(『伊那』822)
  7. 桜井弘人「芸能の旅(二○)天龍村向方の盆行事」(『伊那民俗』25)
  8. 桜井弘人「特別展「神々の訪れ」によせて 天竜川流域の面とその意味」(『伊那民俗』26)
  9. 下村幸雄「伊那路を撮す(四三)伊那まつりの大わらじ−伊那市−」(『伊那路』469)
  10. 下村幸雄「伊那路を撮す(四五)中山諏訪社の秋祭」(『伊那路』472)
  11. 下村幸雄「伊那路を撮す(四七)八幡神社の春祭り−中川村下平−」(『伊那路』474)
  12. 下村幸雄「伊那路を撮す(四八)松島神社春祭の鼓笛隊−箕輪町松島−」(『伊那路』475)
  13. 下村幸雄「伊那路を撮す(四九)湖上の三番叟−飯島町七久保千人塚−」(『伊那路』476)
  14. 曽原糸子「天竜村大河内「鹿追い神事」を尋ねて」(『柳田学舎』16)
  15. 滝澤譲「民俗芸能としての獅子狂言(一)−その伝承と分布−」(『むしくら』13)
  16. 瀧浪利忠「霜月祭の火と湯を伏せて インタビュー」(『伊那民俗』24)
  17. 武井正弘「祭事を読む−諏訪の豊穣儀礼と天龍水系」(『飯田市美術博物館研究紀要』6)
  18. 田中義広「山村の念仏踊り」(『まつり通信』428)
  19. 橋都正「向方のお潔め祭り(下)」(『伊那』812)
  20. 橋都正「天龍村大河内のうち(家)祭り(春の祭り)」(『伊那』822)
  21. 橋都正「芸能の旅(一九)下伊那郡高森町下市田の獅子舞」(『伊那民俗』24)
  22. 原菫「吉岡人形の伝承」(『伊那』812)
  23. 原隆夫「盃状穴というくぼみ穴」(『郷土史巡礼』296)
  24. 日向繁子「荒堀夜明かし念仏−共同体が継承するもの−」(『女性と経験』21)
  25. 松村澄人「七久保芝宮神社の獅子舞と祇園囃子」(『伊那路』468)
  26. 宮下勇「鬼無里神社春祭り」(『むしくら』10)矢澤昇「伊那谷のわらべうた(一)」(『郷土史巡礼』296)

口頭伝承

  1. 岡田千春「北竜湖伝説とそのルーツ」(『高井114』)
  2. 岡田千春「高社山と斑尾山の背比べ伝説」(『高井』117)
  3. 桜井伴「釣り名人関爺(村の河童の話)」(『伊那』816)
  4. 巻山圭一「往来と伝説−寝覚浦島太郎・蓼科山甲賀三郎伝説の生成−」(『信濃』48−12)
  5. 宮尾達雄「山姥と<あげろう>」(『むしくら』9)
  6. 宮島潤子「鬼女と山姥<紅葉と維茂・二人はひとつ>」(『むしくら』9)
  7. 宮島潤子「鬼女と山姥<地名・地形からみた鬼と姥>」(『むしくら』10)
  8. 宮島潤子「大姥・山姥・鬼女」(『むしくら』12)
  9. 宮本達郎「塩田地方の口頭伝承」(『通信上田盆地』28)

民俗誌

  1. 倉石忠彦・高桑守史・福田アジオ・宮本袈裟雄編『日本民俗誌集成』第九巻 三一書房
  2. 長沢武『山の動物民俗記』ほおずき書籍
  3. 平谷村誌刊行委員会『平谷村誌上巻 民俗編』
  4. 望月町・望月町誌刊行会『望月町誌第二巻 民俗編』
  5. 山家民俗誌刊行会『山家民俗誌』
  6. 佐藤照美「山と暮らし−長野県小諸市糠地の調査報告−」(『信濃』48−1)