平成7年長野県民俗学研究動向

 この研究動向は、信濃史学会『信濃』第48巻第6号隣県特集号「長野県地方史研究の動向」より、民俗学関係について転載しています。研究動向の執筆は三石稔氏(下伊那郡松川町)。

 平成7年の長野県民俗学関係における動向は、長野県民俗の会の活動をはじめ、各地の研究諸団体を中心に活動が展開されたが、例年に比較して研究者が市町村市誌の作業に追われ、活動が停滞した年であったようにも思われる。そんななか、長野県民俗の会は「昆虫食」をテーマに第102回例会を開き、マンネリ化していた例会の意義を考え直す機会を与えた。そして、ここから始まった「食」への疑問を足場に、希薄であった食生活研究へ会全体で焦点をあてようという動きとなった(福澤昭司「事務局から−南信例会に参加して−」『長野県民俗の会通信』127)。こうした動きから発表された中込睦子氏「虫食う人々」(『長野県民俗の会通信』128)は、今まであまりとらわれなかった昆虫食を身近なものとして経験を述べ、自然界にあるものの中で「食べ物」とそうでないものとを、人は何を基準に、どういう論理で区別してきたのか、という食へのアプローチの視点を変えてみる必要性を説いており、注目される。こうした昆虫食の問題は同会の平成七年度総会に引き継がれ、野中建一氏による講演「昆虫食慣行からみえること」によって、全国における昆虫食慣行の様子をクローズアップするこ ととなった。この講演内容については、平成8年度に発行される『長野県民俗の会会報』第18号に掲載される予定という。また、同会は平成8年度に向け再び食生活をテーマに研究を進めるといい、その成果に期待したい。

 このほか同会では、夏季民俗調査を松本市内田地区を対象に行っており、『長野県民俗の会通信』第129〜130号に報告されている。2年間の中川村大草における調査を引き継いだものであり、同会が継続的に実地調査を行おうとしていることは評価される。福澤昭司氏が「夏季調査の意義−この地からの民俗学を−」(『長野県民俗の会通信』第129号)で説いているように、民俗学に興味を持ちながらも、調査経験に乏しい会員に研修の場を提供する意味がこの夏季調査にあるといっている。柳田國男記念伊那民俗学研究所においても同会の創設五周年を記念して、1月に民俗調査ゼミナールを開いており、具体的なフィールドワークを前提とした講義を行っている(『伊那民俗研究』第5号)。ところで、フィールドワークに対する論議はときおり話題となる。現実に従来の民俗学がとらえようとした話者は減少し、時が無いという現実がそこにはある。こうした状況のなか、わずかな研究者による伝承の聞き取りには限界がある。特に都市化する山村の現況を見た場合、1人や2人の聞き取りで地域を把握するには疑問が多くなってきている。誰々がこういったから、この地域はこういった地域性があるなど と解くのは危険である。聞き取りを重視するのはもちろんだが、アンケートなどによる統計処理と、分野を越えた情報処理をもとに地域の暮らしを語るような方法があってもよいのではないだろうか。現実の研究者をとりまく状況を認識した上での調査方法が論議されてもよい。

 柳田國男記念伊那民俗学研究所では、「柳田国男研究会」「民俗芸能を語る会」「下伊那近代史研究会」という三研究会を中心に活動された。「芸能を語る会」は、特に芸能分野にこだわらず、参加者それぞれが思う視点に沿って発表する方法をとっており、同研究所の中では最も問題意識を持った会といえる。桜井弘人氏は、新野の雪祭について継続的に調査研究し、雪祭を正月儀礼として位置づけたうえで、サイホウについて歳神としてのいろいろな神格を重層的に持ち合わせているとしている。また、春日若宮祭と関連づけて検討をしており、従来の雪祭り研究の枠を超えた特筆すべきものである。桜井氏が言う「民俗芸能を問う場合、一般的な年中行事≠ニの関連をつねに念頭に置いて民俗そのもののなかで捉えることの大切さに気づかされた」は、あらためて年中行事研究の大切さを指摘したものといえよう。これらは『飯田市美術博物館研究紀要』第五号に発表されている。また、桜井氏は民俗芸能学会第55回研究例会(9月30日)で「面から見た遠山霜月祭」を発表している。

 ところで、同研究所は『伊那民俗』第20〜23号まで発行した。このなかの第21号に掲載予定であった松尾研氏「生態系と民俗と」が、発送間際になって会を批判しているということから省かれた経過があった。民間の学問の場であり、自由な存在であると説いた創立当初の意図があるならば、内容の是非はともかく、発表することにより読者がその判断をするものであり、会が判断するものではなかったはずである。こうしたなか、同研究所の当初のもくろみも影をひそめ、地元研究者による研究成果があがらない状況を生んでいるようである。中央の先生の言葉に左右されない、自由な活動を期待したいものである。

 いっぽう研究活動で盛んなものに、市町村誌編纂から派生した特徴あるものがあった。長野市では『長野市誌民俗調査報告書第三集 「善光寺町」の民俗』を発行しており、今までとらえられなかった善光寺をとりまく町の民俗や、善光寺門前の暮らしが明らかにされている。この報告書はこうしたマチを対象とした民俗の報告事例として、これから発行される県内主要都市のマチをとらえようとする民俗誌には大変有効な参考書となるだろう。また、同誌編纂の過程において多田井幸視氏は、「善光寺平の北信流」を地域性としてとらえ『市誌研究 ながの』第2号に発表している。今まであまり注目されなかった「北信流」について全容が明らかにされたもので、興味深いものである。この問題をさらに推し進め倉石あつ子氏は、「酒席の儀礼−北信流を中心に−」を日本民俗学会第755回談話会(平成8年1月14日)において発表している。

 このほか『立科町誌民俗編』に関連して巻山圭一氏は、第47回日本民俗学会年会研究発表(10月6〜7日)において「堰とこころ」を発表している。松本市では『松本市史民俗編』の刊行を平成9年に控え、具体的内容検討に入っており、また、上田市においては『上田市誌民俗編』の体制が整ったようである(田口光一「上田市誌民俗編の取組み」『上田盆地』第34号)。

 県内研究者による刊行物として、倉石あつ子氏『柳田国男と女性観』、松瀬孝一氏写真集『奥信濃』があった。倉石氏は柳田が説いた主婦の位置づけが現実の女性たちの暮らしからかけ離れていることに疑問を抱き、そのギャップとは何かをとらえようとしている。その上で現実の生活形態にたち、主婦の優位性を主張してきた柳田の主婦論の見直しをしようとしたのものが本書である。また、松瀬氏は終戦後の奥信濃を中心とした写真をまとめており、それらの写真には『長野県史民俗編』に使われたものも多い。

 長野県教育委員会が行った長野県民俗芸能緊急調査の報告書が『長野県の民俗芸能』として発行された。県内の民俗芸能の現況を網羅したものとして資料価値は高い。この報告書を作成するにあたり、調査員の提出したカードのすべての内容を掲載することはできなかった。このカードの内容を研究者に閲覧できるよう配慮されればさらに有効利用できるものと思われる。

 平成7年1月29日、伊那谷を主要なフィールドとして生産生業を中心に民俗文化の全領域をにわたって業績を残され、向山雅重氏に師事し、その後継者ともいわれていた松村義也氏が逝去された。長野県民俗の会の設立時の発起人の1人であり、長野県史民俗編の編纂委員でもあった。豊富な知識と経験に裏付けされた指摘をされた松村氏は、研究者にとって忘れることのできない方であり、氏を失ったことは県内で民俗学を学ぶ者にとって大きな痛手となった。謹んで哀悼の意を表し、心よりお悔やみを申し上げたい。

 以上、長野県における民俗学関係の動向についてひととおり概観してみたが、ここに取り上げたもの以外にも、話題性の豊富な論考や注目すべき活動が多くあったことは当然予想される。何よりも担当者の力量・認識が不足しているうえに時間不足があって、それらすべてにあたり、網羅することができなかったことを深くお詫びしたい。

以下に刊行物・著者・論文・報告等を一括して掲げる。

総論

  1. 倉石あつ子『柳田国男と女性観』(三一書房)
  2. 天地弘「宇宙民俗学の可能性」(『長野県民俗の会通信』126)
  3. 石井正已「『炭焼日記』刊行の前後」(『伊那民俗研究』5)
  4. 折口信夫「大正九年の旅の手帖−折口博士記念 古代研究所紀要第四輯より」(『伊那』804)
  5. 金澤直人「思い出の記録」(『上田盆地』34)
  6. 倉石忠彦「同郷人の民俗学」(『長野県民俗の会通信』127)
  7. 後藤総一郎「民俗調査の意義」(『伊那民俗研究』5)
  8. 後藤総一郎「『天龍村史』の編纂はじまる−研究所メンバーが「民俗篇」を担当−」『伊那民俗』22
  9. 小林多門「柳田書簡紹介七 今村良夫へのはがき(昭和二五年七月三一日付、昭和三五年二月一二日付)」(『伊那民俗』20)
  10. 小林多門「柳田書簡紹介八 野沢虎雄への書簡(昭和二年七月一八日付・同八月九日付・同八月二○日付)」(『伊那民俗』21)
  11. 小林多門「柳田関連新聞記事紹介一 産業組合に就て柳田法学士の講演(信濃毎日新聞・昭和三四年一一月一五日付)」(『伊那民俗』23)
  12. 酒井もとる「書誌紹介 松瀬孝一写真集『奥信濃』」(『長野県民俗の会通信』127)
  13. 桜井伴「祖父の時代」(『伊那』804)
  14. 桜井伴「孫の『石も木も草もだいじにするおじいさんです』」(『伊那』810)
  15. 桜井伴「摩耶夫人と聖母マリヤ」(『伊那』811)
  16. 佐藤照美「夏期調査に参加して」(『長野県民俗の会通信』130)
  17. 鈴木寛之「民俗学における語彙研究の視点について」(『信濃』47−1)
  18. 関勝夫「折口信夫と雪祭り−大正九年の旦開村新野の面影」(『伊那』802)
  19. 高橋寛治「都市再生と民俗学」(『伊那民俗』22)
  20. 田口光一「上田市誌民俗編の取組み」(『上田盆地』34)
  21. 中村寿人「色無尽 大鹿村の風土とともに インタビュー」(『伊那民俗』23)
  22. 平山和彦「歴史と伝承」(『信濃』47−1)
  23. 福澤昭司「シンポジウムを終えて」(『長野県民俗の会通信』125)
  24. 前沢奈緒子「柳田國男自著家蔵本校訂一覧D」(『伊那民俗研究』5)
  25. 巻山圭一「「宇宙民俗学の可能性」に寄せて」(『長野県民俗の会通信』126)
  26. 松尾研「田園の生態系を復元する−もなみ園の試み」(『伊那』809)
  27. 丸山輝子「シンポジウムに参加して」(『長野県民俗の会通信』125)
  28. 丸山泰功「「子供のフォークロア」を拝聴して」(『長野県民俗の会通信』125)
  29. 三石稔「長野県地方史研究の動向 民俗学関係」(『信濃』47−6)
  30. 三石稔「経世済民の学とは」(『長野県民俗の会通信』130)
  31. 宮坂昌利「『東筑摩郡誌別篇』の編纂決定の経緯をめぐって」(『伊那民俗研究』5)
  32. 山口儀高「郷土に生きて郷土を知る(インタビュー)」(『伊那民俗』20) 

衣生活・食生活・住居

  1. 竹入弘元解説「向山雅重民俗スケッチ二八『戒壇めぐりのぞうり』−長野市善光寺−」(『伊那路』465)
  2. 桜井伴「衣食住と生活用具」(『伊那』802)
  3. 小林ノブ子「ハタ織り」(『伊那路』456)
  4. 奥野公昭「『伊那名物ローメン』について」(『長野県民俗の会通信』127)
  5. 尾崎行也「嘉永二年武石村食生活の考察」(『上田盆地』34)
  6. 尾上一明「昆虫食雑感」(『長野県民俗の会通信』128)
  7. 倉石あつ子「浦安のお惣菜屋」(『浦安いまむかし』)
  8. 倉石あつ子「昆虫食体験記−一○二回例会に参加して−」(『長野県民俗の会通信』127)
  9. 倉石忠彦「地域と食生活」(『長野県民俗の会通信』129)
  10. 中込睦子「虫食う人々」(『長野県民俗の会通信同』128)
  11. 福澤昭司「事務局から−南信例会に参加して」(『長野県民俗の会通信』127)
  12. 三石稔「カツ丼と食文化」(『長野県民俗の会通信』126)
  13. 伊藤友久「大平宿のいろり」(『長野県民俗の会通信』129)
  14. 竹入弘元解説「向山雅重民俗スケッチ二一『小風呂』−木曽郡馬篭−」(『伊那路』457)
  15. 多田井幸視「上水内郡鬼無里村民家の特徴−ヒラキと堆肥小屋−」(『長野県民俗の会通信』128)
  16. 吉澤政已「民家における仏壇の位置について」(『伊那路』456)

生業生産

  1. 岡澤由往「旱魃今昔物語」(『長野』180)
  2. 小林経廣「夏季民俗調査に参加して」(『長野県民俗の会通信』130)
  3. 桜井伴「ギリ轆轤とギリ鉋」(『伊那』811)
  4. 竹入弘元解説「向山雅重民俗スケッチ二○『たかに追われた山鳥』−高遠町長藤−」(『伊那路』456)
  5. 竹入弘元解説「向山雅重民俗スケッチ二三『牛乳搾りの腰掛』−伊那市ますみケ丘−」(『伊那路』459)
  6. 竹入弘元解説「向山雅重民俗スケッチ二四『川魚を捕るフミアミ』−長谷村杉島−」(『伊那路』460)
  7. 竹入弘元解説「向山雅重民俗スケッチ二八『牛馬耕の犂』−南箕輪村田畑−」(『伊那路』464)
  8. 寺田一雄「種まゆ作り」(『長野県民俗の会通信』130)
  9. 永池稔「中野における竹細工研究覚書(二)」(『高井』110)

社会生活

  1. 上杉妙子「長野県佐久地方におけるカロートの共用集団について」(『信濃』47−1)
  2. 倉石忠彦「地域社会と生活の形成」(『松本市史研究』5)
  3. 小林経廣「松本市域のつきあいと義理の一次的考察」(『松本市史研究』5)
  4. 田澤直人「隣組長の仕事」(『長野県民俗の会通信』130)
  5. 多田井幸視「善光寺平の北信流」(『市誌研究ながの』2)
  6. 松村義也「凶作と村−飯島陣屋支配の村における実体−」(『長野県民俗の会会報』18)
  7. 和田健「飛び地編入されたムラ」(『信濃』47−1)
 

信仰

  1. 山崎省三『道祖神は招く』(新潮社)
  2. 赤羽篤「辰野町付近の雨乞いの事例について」(『長野』180)
  3. 麻場長男「戸隠お種池の水で雨乞い祈願」(『長野』180)
  4. 石塚正英「作仏聖とものがみ信仰−万治の石仏と奇妙山石仏群−」(『日本の石仏』75)
  5. 伊藤麟太郎「御柱論」(『信濃』47−5)
  6. 牛越嘉人「大町・北安曇地方の念仏塔の建立と念仏信仰」(『信濃』47−8)
  7. 牛越嘉人「北安曇地方の馬頭観音」(『日本の石仏』76)
  8. 大沢昭「伊那地方の雨乞い」(『長野』180)
  9. 金子清「雨乞いの仏さまたち−長野市若槻地区−」(『長野』180)
  10. 金子万平「善光寺地震と鹿島明神の石碑」(『長野』181)
  11. 金子万平「石仏調査の意義と課題−鬼無里村の事例から−」(『長野県民俗の会会報』18)
  12. 上伊那郷土研究会「第二○回県外実地調査−富士信仰と塩の道、@概要、A富士信仰の一面、B実行教のことなどあれこれ、C富士信仰・富士講にかかわって、D富士川水運と岩淵について、E塩の道・鰍沢河津、F塩の道・フェルケール博物館」(『伊那路』467)
  13. 久保知大「雨乞い地蔵尊」(『長野』180)
  14. 倉石和彦「豊野町の雨乞いについて」(『長野』180)
  15. 胡桃沢友男「庚申年造塔をめぐって−上伊那・塩尻・松本の場合」(『伊那路』456)
  16. 胡桃沢友男「峠路の大日如来−信飛国境野麦峠−」(『日本の石仏』73)
  17. 小林計一郎「雨乞いと霊山・寺社」(『長野』180)
  18. 下村幸雄「伊那路を撮す(三六)四日市場の御念仏講−高遠町長藤四日市場−」(『伊那路』460)
  19. 下村幸雄「伊那路を撮す(三七)行者様の祭−飯島町七久保高遠原−」(『伊那路』461)
  20. 翠川渡「文書に見える『雨乞い』」(『長野』180)
  21. 杉崎満寿雄「国境のない村にて−長野県北安曇郡小谷村戸土−」(『あしなか』239)
  22. 関舜「竜の掛軸」(『長野』180)
  23. 瀬原田正「筑北地域の雨乞い」(『長野』180)
  24. 高木六男「奥信濃の庚申話」(『日本の石仏』74)
  25. 瀧澤博和「雨乞い小話」(『長野』180)
  26. 竹入弘元解説「向山雅重民俗スケッチ二五『道祖神双体像』−高遠町山室中村−」(『伊那路』461)
  27. 田中七郎「子どもの頃の講」(『上田盆地』34)
  28. 常盤真重「中条村『月夜棚』の雨乞い」(『長野』180)
  29. 常盤真重「長野県の軍馬碑」(『長野』183)
  30. 月岡光夫「木島平村中島の市神祭」(『高井』110)
  31. 土屋長久「軽井沢町における月待ち信仰について−特に石造物の展開を中心にして−」(『長野』183)
  32. 徳永法静「虎御前について」(『長野』180)
  33. 新津武「むかし祈り、いま虹の乱舞の雨−豊野町」(『長野』180)
  34. 羽床正明「道祖神信仰と関蝉丸神社」(『信濃』47−7)
  35. 原五郎「絵馬ものがたり」(『伊那』800)
  36. 堀内暉巳「聖権現の雨乞い−水と生物と神様−」(『長野』180)
  37. 松本智「『からかさ石』に雨乞い−小川村北尾−」(『長野』180)
  38. 宮崎松治「宮崎家の弁天様」(『長野』180)
  39. 宮沢豊穂「戸隠の雨乞い」(『長野』180)
  40. 柳沢賢次「富士山と祭り考」(『長野』183)
  41. 矢野恒雄「戸隠さんへの雨乞い」(『長野』180)
  42. 矢吹志津子「北信栄村東部谷の里修験たち」(『信濃』47−1)
  43. 山浦哲雄「道教と上田地方の習俗」(『上田盆地』34)
  44. 山口義孝「雨乞い覚書き」(『長野』180) 

民俗知識

  1. 市澤治助「お呪い」(『伊那』800)
  2. 倉石忠彦「都市と占い」(『フォークロア』7)

人の一生

  1. 飯島吉晴「子供のフォークロア」(『長野県民俗の会会報』18)
  2. 倉石あつ子「家族と子供−共同体から家族へ−」(『長野県民俗の会会報』18)
  3. 倉石忠彦「民俗学において『子供』とは何か」(『長野県民俗の会会報』18)
  4. 小林寛二「現在における一人前の基準−中学生と高校生、その親達の考えを中心にして−」(『長野県民俗の会会報』18)
  5. 酒井もとる「子供は小動物の死をどう考えるか」(『長野県民俗の会会報』18)
  6. 福澤昭司「子どもと伝承をめぐって」(『長野県民俗の会会報』18)
  7. 巻山圭一「子どもの遊びを考える」(『長野県民俗の会会報』18)

年中行事

  1. 浅井舎人「失われた子どもの年中行事」(『伊那』800)
  2. 今村実「ほんやり」(『伊那』800)
  3. 上野和男「年中行事の調査方法」(『伊那民俗研究』5)
  4. 下村幸雄「伊那路を撮す(四一)茅の輪くぐりの神事−伊那市坂下神社−」(『伊那路』466)
  5. 下村幸雄「伊那路を撮す(四二)盆の『振りまんど』−南箕輪村田畑−」(『伊那路』467)
  6. 竹入弘元解説「向山雅重民俗スケッチ二二『ヤイカガシ−奈良県奈良公園付近−」(『伊那路』458)
  7. 辻浩子「上水内郡豊田村豊津硲地区の道祖神祭り」(『民具マンスリー』28−3)
  8. 林登美人「下伊那の寺小屋一一 寺子屋の行事」(『伊那』802)
  9. 林正直「下伊那の寺子屋一二 下清内路の特異な天神祭」(『伊那』810)
  10. 丸山泰功「旧河南村下山田地区の天神様行事」(『伊那路』456)

民俗芸能

  1. 長野県教育委員会編『長野県の民俗芸能−長野県民俗芸能緊急調査報告書−』(長野県教育委員会)
  2. 『伊那』803(伊那史学会、伊那谷の獅子舞特集(七)、林里熊野神社・上宮外県神社・田切・高遠原・石上・七久保新田・北村耕地・石曽根諏訪神社・本郷神社の獅子舞、伊那谷の獅子舞の特徴とその伝承・分布)
  3. 今村輝夫「いろはかるた抄」(『伊那』800)
  4. 大平千和喜「紅雲寺と里人の絆(三)」(『伊那』808)
  5. 加藤篤士「下清内路神社の龍勢梯子」(『伊那』810)
  6. 久保田裕道「大河内の神楽」(『まつり通信』410)
  7. 久保田裕道「三信遠鬼考」(『まつり』57)
  8. 倉石あつ子「昔浪花節・今カラオケ」(『浦安いまむかし』)
  9. 小林康正「花祭の誕生−民俗芸能における芸能的実践の生成過程について−」(『民俗芸能研究』21)
  10. 桜井伴「予祝歌春駒の再発見」(『伊那』800)
  11. 桜井弘人「新野の雪祭について−サイホウを中心として−」(『飯田市美術博物館研究紀要』5)
  12. 桜井弘人「芸能の旅一五 上村程野山王神社の春祭り」(『伊那民俗』20)
  13. 桜井弘人「芸能の旅一六 遠山地方の殿入り中郷・正八幡宮を中心に−」(『伊那民俗』21)
  14. 下村幸雄「伊那路を撮す(三三)春近神社の土蔵獅子舞−伊那市東春近−」(『伊那路』457)
  15. 下村幸雄「伊那路を撮す(三四)上横川神社の神楽−辰野町門前−」(『伊那路』458)
  16. 下村幸雄「伊那路を撮す(三五)殿村八幡宮の奉納相撲−南箕輪村南殿−」(『伊那路』459)
  17. 下村幸雄「伊那路を撮す(三八)笠原の獅子舞」(『伊那路』463)
  18. 下村幸雄「伊那路を撮す(三九)松倉硫黄沢神社の春祭り−高遠町藤沢松倉−」(『伊那路』464)
  19. 下村幸雄「同(四○)光前寺の稚児行列−駒ヶ根市光前寺−」(『伊那路』465)
  20. 翠川渡「善光寺地震のごぜ唄」(『長野』182)
  21. 鷹見栄雄「田舎(素人)相撲」(『伊那』800)
  22. 武井正弘「民俗芸能の調査方法」(『伊那民俗研究』5)
  23. 橋都正「向方のお潔め祭り(上)」(『伊那』811)
  24. 日向繁子「岩下の踊り念仏」(『女性と経験』20)
  25. 古田大三「資料 飯島の花火」(『伊那路』460)
  26. 松村義也「子供と賭けごと遊び」(『伊那路』456)
  27. 三石稔「芸能の旅(一七)飯島町梅戸神社獅子舞」(『伊那民俗』22)
  28. 山口泰平「北羽広獅子舞に伝わる『鐘馗の舞』について」(『伊那路』461)

口頭伝承

  1. 伊藤友久「伝説をつくった左甚五郎」(『長野県民俗の会通信』125)
  2. 上原靖「一富士二鷹三茄子−俗信の考察の一例−(一・二・三)」(『長野県民俗の会通信』126・127・129)
  3. 矢沢れい「民話を語り継いで インタビュー」(『伊那民俗』21)
  4. 山田千宏「『悪口・雑言』考」(『信濃』47−9)

方言

  1. 翠川渡「公家言葉と信州方言」(『上田盆地』34)
  2. 原市蔵「方言語彙などからみた上清内路と木曽谷の関係」(『伊那』808)
  3. 福沢武一「方言はふるさと(一五)・(一六)」(『伊那』801・811)
  4. 岩崎佐吉「上小地方の養蚕方言」(『上田盆地』34) 

民俗誌

  1. 長野市誌編さん委員会民俗部会・企画調査部企画課市誌編さん室『長野市誌民俗調査報告書第三集 「善光寺町」の民俗』(長野市)
  2. 倉石忠彦「三つの顔を持つ町」(『浦安いまむかし』)
  3. 桜井伴「新野の話」(『伊那』806)
  4. 福富佳織「やまふところ=i松本市内田地区)の夏季調査報告」(『長野県民俗の会通信』129)