平成6年長野県民俗学研究動向
この研究動向は、信濃史学会『信濃』第47巻第6号隣県特集号「長野県地方史研究の動向」より、民俗学関係について転載しています。研究動向の執筆は三石稔氏(下伊那郡松川町)。
平成6年の長野県民俗学関係における動向は、長野県民俗の会の活動をはじめ、各地の研究諸団体を中心に活発な活動が展開された。 そんななか、『日本民俗学』が200号を記念して特集号を組んだように、長野県民俗の会においても、年5回開かれていた例会が百回に達し節目を迎えた年でもあった。百回を記念した例会では、田口光一氏より「例会発足の頃と百回の思い出」と題して発表があった。 そのなかで、当初より県内ブロック持ち回りのスタイルをとり、例会担当の地区が『長野県民俗の会通信』の原稿を受け持つという基本スタイルで進められてきたが、例会開催地区の少数会員のみの寂しい例会もみられ、持続的な参加者上昇への努力が、今後の例会の大きな課題となってきた(田口光一「例会発足の頃と百回の足跡」『長野県民俗の会通信』124)と述べている。この指摘に対応するにはどうしたらよいか、という点について例会のなかで討議されたが、残念なことに記念すべき例会でありながら、指摘通りの少数参加者という状況で、先行き不安な回顧と展望であった。平成2年度同会シンポジウム「郷土研究の展望」から3年あまり経過しながら、会の見通しにいくらかでも明るい兆しがあるのかどうか、という点について、同会のこれからの活動に注目したい。
さて、こうした同会の悩みは他の会も同様である。信濃史学会でも田澤直人氏が『信濃』46-1における編集後記において、例年民俗学特集号を1月号にあてながら、県内在住の執筆者による論文が掲載できないことへの苦労を述べており、県内各地での市町村史誌編纂に携わる研究者の現実の姿を踏まえ、よい打破のための知恵はないだろうか、と投げかけている。近年こうした悩みが各研究団体発行誌の編集後記や例会の議題とされるなか、もう一度民俗学研究者(民俗学以外も同様)それぞれがこの問題を考えることが必要な時にきているのだろう。
続いてこうした状況下での本県における研究諸団体の活動内容と、 研究の特色ある動きについて眺めてみたい。
長野県民俗の会では、『長野県民俗の会通信』119号〜124号と、『長野県民俗の会会報』17号を発行した。先にも述べたように例会を5回、さらに総会を松本市において11月に開催した。 咋年度総会における常光徹氏の記念講演「子供をめぐる民俗学」を受け、福澤昭司氏が「子供の民俗学の展開を」と提唱し、平成六年の例会および総会では「子供」を題材に民俗学の立場からさまざまなアプローチを試みた。福澤氏は、「子どもの姿がみえない」とか 「子どもが変だ」ということが、しばらく前から各所でいわれていたことについて、その原因は何かと問い、その対象を自ら教職の立場にあることから「学校」という場で展開される子供たちの現実の姿に照らし合わせ、現代における子供の姿を民俗学から総合的に研究できないか、と自らの悩みも含めて提唱したわけである(「子供の民俗学の展開を」『長野県民俗の会通信』119)。いわゆる従来の民俗学でとらえてきた過去形の農耕社会における子供の姿を知ろうとしたのではなく、民俗学本来が「経世済民」の現在学として立ち上がったとしたならば、現実の子供たちをとらえられないはずはない、という民俗学の本来の姿を問いただすものであった。この提唱に基づき、各例会では「子供」をテーマとして、さまざまな切り口で研究発表と討議が行われた。この動きを会としてさらに盛り上げ、11月の総会では、福澤氏の提唱によるところの「現代における子供の姿を、民俗学の研究方法として方向付けをしたい」という視点のもと、「子供と伝承」というシンポジウムを設定した。巻山圭一氏による「子どもの遊びを考える」という基調報告のあと、コメンテーターに倉石忠彦氏と提唱者である福澤昭司氏を迎え、酒井もとる氏の 「子供は小動物の死をどう考えるか」、小林寛二氏の「一人前の基準と変化のとらえ」、倉石あつ子氏の「家族と子供」という3氏のパネラーによる報告を受け、パネルディスカッションがおこなわれた。 主旨であったところの具体的方向を示すことはできなかったものの、 従来の枠をはずしての討議に民俗学の新たな視点を示したといえよう。なお、このときのシンポジウムの内容は『長野県民俗の会会報』第18号に掲載される予定という。
同会では昨年に引き続き上伊那郡中川村大草において、民俗調査をおこなった。フィールドでの調査において地域の独自性をとらえるには、個々の調査に比較すれば、集団でおこなう調査はより大きな成果が得られる。また、同じ間題意識をその場で討議することは、 研究者それぞれがつながりをもつことができ、1年を通して1テーマを持って研究された「子供」と同様注目すべきことである。同会の調査では、この地域に根強く残る「親方被官」の関係に直に接することとなったわけで、この問題について多く議論された。これら調査の報告は『長野県民俗の会通信』第120、123、124号に掲載されており、また、2年間の調査をまとめた報告書が平成7年度に発行されるという。
上田民俗研究会では、『上田盆地』33号を発行し、信濃史学会は『信濃』、上伊那郷土研究会は『伊那路』、伊那史学会は『伊那』の1月号をそれぞれ民俗特集とした。このなかで『信濃』46-1では福澤昭司氏が「マチとサトとヤマ−松本市を例として−」を発表している。ここでは長野市誌および松本市史民俗編編纂にかかわるなか、長野県におけるマチが小盆地に立地している条件から、山間地と平坦地の関係をどうとらえたらよいか、という最近の動向から述べられているもので、マチとヤマ、あるいはサトも含めたそれぞれの空間認識を指摘した特筆すべきものである。福澤氏は日本民俗学会第734回談話会(平成5年9月12日)においても「マチとヤマ−松本市を例として−」を問題にして発表している。この論考に基づき巻山圭一氏は『長野県民俗の会通信』121号において、 同会が平成4年におこなった夏季民俗調査の事例をもとに、同じ問題をとりあげた「山方・里方」を発表しており、同会が平成4年から始めた夏季民俗調査がマチとヤマをとりまく関係をとらえるきっかけを与えた結果となり、成果をあげた点といえる。
柳田國男記念伊那民俗学研究所では、『伊那民俗』第16〜19号と、『伊那民俗研究』4号を発行した。また、同会は会員それぞれのテーマのなか、「柳田国男研究会」「民俗芸能を語る会」「大月松ニメモ翻刻委員会」「下伊那近代史研究会」という四研究会をもち、それぞれ活発に活動をおこなっており、県内では、長野県民俗の会とともに活動的かつ成果をあげている団体といえる。「芸能を語る会」では桜井弘人氏が注目すべき報告をしており、特に『飯田市美術博物館研究紀要』第4号に発表されている「舞からみた坂部の冬祭りについて」は、舞の構成・構造を現地にて詳細に記録したうえで祭りの本来の意味は何か、という点までつきとめており、従来の民俗芸能の分野ではなし得なかった点を解明している。桜井氏は平成6年の「芸能を語る会」において「新野の雪祭り」をとらえており、芸能分野だけではなく、年中行事と関連づけた報告がおこなわれている。これも『飯田市美術博物館研究紀要』第5号に発表される予定という。こうした同会と飯田市美術博物館の民俗への取り組みは、行政と一体化した事例として特筆すべきものであり、特に近年話題となった博物館と学芸員の問題について、良い事例として参考にできよう。さらに 同会はフィールドに出ることを第一目標としており、これからの成果に期待したい。
長野県教育委員会は、昨年に引き続き長野県民俗芸能緊急調査を実施した。昨年主におこなわれた悉皆調査に続き、本年は詳細調査が主におこなわれた。今まで特に調査がおこなわれなかったもので、 特に緊急性を要する芸能を50件選択して調査をおこなったものである。ところで、行政側の調査前段での準備不足と調整不十分、さらに調査方法が調査者独自の判断にまかされたことなどから、せっかくおこなわれた調査にしては内容の薄いものになってしまった、 という感想が聞かれ残念である。なお、平成7年には『長野県民俗芸能緊急調査報告書』がまとめられる予定という。
いっぽう市町村区誌の編纂も相変わらず盛んである。虫倉山系を中心とした総合調査研究報告『むしくら』は、行政単位を越えた広域なものであって、注目に値する。また、特に調査者独自の問題意識を重視して編纂が進められている長野市や松本市において、報告書が発行されている。長野市では『長野市誌民俗調査報告書第二集田子・山千寺の民俗』、松本市では『松本市史民俗編調査報告書第三集−神林を中心として−』『本市史民俗編調査報告書第四集−中山を中心として−』を発行しており、これら民俗編の刊行が注目される。
県内研究者による刊行物として、笹本正治氏『蛇抜・異人・木霊−歴史災害と伝承−』、小松芳郎氏『長野県の農業日記−明治・大正・ 昭和の記録』、熊谷元一氏『熊谷元一写真全集全四集』、松山義雄氏『伊那谷の動物たち』、同氏『新編伊那風土記』など例年になく数多くあった。そのなかで、笹本氏は大正12年の木曽地方における蛇抜災害(土石流災害)の状況とともにそれに伴ったうわさをとらえ、その背景にあった天保の災害まで遡り、日本人の災害観や異人・樹木に対する人々の思いを歴史資料と伝承の両面から解明しようとしたものである。また、小松氏は県内の「農業日記」との出会いの中から八編を取り上げ、体系的に読み解き、明治・大正・昭和における農家の具体的な暮らしを分析している。
以上、長野県における民俗学関係の動向についてひととおり概観してみたが、ここに取り上げたもの以外にも、話題性の豊富な論考や注目すべき活動が多くあったことは当然予想される。何よりも担当者の力量・認識が不足しているうえに時間不足があって、それらすべてにあたり、網羅することができなかったことを深くお詫びしたい。
以下に刊行物・著者・論文・報告等を一括して掲げる。
- 笹本正治『蛇抜・異人・木霊−歴史災害と伝承−』(岩田書院)
- 上原靖「民俗学の研究方法について(三)−淵源を究める−」 (『長野県民俗の会通信』119・120)
- 上原靖「民俗博物館を造るということ」(『長野県民俗の会会報』17)
- 臼井澗「宝くじを通して見た戦後の庶民生活」(『長野県民俗の会会報』17)
- 小田富英「野に生きる・水野葉舟論序説−『遠野物語』以後の国男と葉舟−」(『伊那民俗研究』4)
- 春日太郎「文化施設めぐりP商家民俗資料館 丁池上家」(『伊那路』451)
- 片桐みどり「柳田書簡紹介3 村沢武夫へのはがき(昭和八年七月三○日付」(『伊那民俗』16)
- 片桐みどり「柳田書簡紹介4 熊谷元一へのはがき(昭和二一年六月一七日付、二二年三月五日付消印、六月一八日付)」(『伊那民俗』17)
- 片桐みどり「柳田書簡紹介5 北原痴山への書簡・小林郊人への葉書(北原宛昭和二○年一月一八日付、小林宛昭和ニ○年一月二九日付)」(『伊那民俗』18)
- 金子万平「ビデオの活用は」(『長野県民俗の会通信』122)
- 北原泰邦「『民俗都市』としての『団地アパートの民俗』」(『都市民俗論の展開−都市民俗論ノートT−』)
- 熊谷元一 「会地村と村人を撮り続けて(インタビュー)」(『伊那民俗』19)
- 倉石あつ子「女性研究の成果と課題」(『日本民俗学』198)
- 倉石忠彦「伝承の発見と構造」(『長野県民俗の会会報』17)
- 後藤総一郎 「野に出よう−柳田研究−」(『伊那民俗』17)
- 桜井伴「道は雑草の中にあり(インタビュー)」(『伊那民俗』16)
- 田口光一「例会発足の頃と百会の足跡」(『長野県民俗の会通信』124)
- 田澤直人「シンポジウムに寄せてX」(『日本民俗学』198)
- 多田井幸視「水の利用と水神様」(『地域文化』28)
- 多田井幸視「夏季民俗調査へのいざない」(『長野県民俗の会通信』122)
- 寺田一雄「例会報告」(『長野県民俗の会通信』122)
- 波平恵美子「十常民大学合同研究会記念講演『ケガレと力』」(『伊那民俗研究』4)
- 福澤昭司「マチとサトとヤマ−松本市を例として−」 (『信濃』46-1)
- 福澤昭司「子供の民俗学の展開を」(『長野県民俗の会通信』119)
- 福澤昭司「マチとヤマ−松本市を例として−」(『日本民俗学』197)
- 福澤昭司「民俗学からみた城下町研究の予備的考察」(『松本市史研究』4)
- 福澤昭司「シンポジウムに寄せてU」(『日本民俗学』198)
- 福澤昭司「書誌紹介『熊谷元一写真全集』第一巻〜第四巻」(『長野県民俗の会通信』124)
- 前沢奈緒子「柳田國男自著蔵本校訂一覧C」 (『伊那民俗研究』4)
- 前沢奈緒子「柳田書簡紹介6 水野都沚生へのはがき (昭和三五年五月二○日付)」(『伊那民俗』19)
- 巻山圭一「長野県地方史研究の動向 民俗学関係」(『信濃』46-6)
- 松村義也「書誌紹介 小松芳郎著『長野県の農業日記』」(『長野県民俗の会通信』124)
- 松村義也「文化施設めぐりS 駒ケ根市郷土館」(『伊那路』454)
- 松本清人「映像の可能性−「生者と死者のかよい路」を観て−」 (『長野県民俗の会通信』122)
- 松山義雄「自著を語る伊那谷の金属文化を追って『新編伊那風土』」(『フォークロア』5)
- 三石稔 「中川村大草の夏季民俗調査に思うこと」(『長野県民俗の会通信』120)
- 宮坂昌利「資料紹介『柳田法學士の産業組合談』について」 (『伊那民俗研究』4)
- 竹人弘元解説「向山雅重民俗スケッチH 『ハコゲタ・ユキゲタ・大野刈り』−飯山市辺−」(『伊那路』445)
- 竹人弘元解説「向山雅重民俗スケッチM 『ミノ(蓑)』−飯山市湯井−」(「『伊那路』450)
- 今井稔「串柿作り」(『伊那路』444)
- 北原領一「蜂追い−蜂追いノウハウ−」 (『伊那路』449)
- 小松政行「伊那谷の伝統行事食文化」(『伊那路』455)
- 桜井伴「郷土の食文化今昔」(『伊那路』799)
- 高遠高校三年A組 「高遠はそば切りの発祥地か」(『伊那路』444)
- 竹人弘元解説「向山雅重民俗スケッチR 『山小屋のごへいもち』−高遠町長藤−」 (『伊那路』455)
- 箱山貴太郎「味噌と日本人」(『上田盆地』33)
- 浅沼健司「千曲川洪水と防災へのあしあと(一)」(『高井』109)
- 竹人弘元解説「向山雅重民俗スケッチO 『上川・下川』−長谷村溝口しものはら−」(『伊那路』452)
- 竹人弘元解説「向山雅重民俗スケッチQ 『屋敷畑の利用』−伊那市西春近小出−」(『伊那路』454)
- 手塚好幸「木曽と水−特に宮ノ越宿の水間題について−」(『樹芸』4)
- 山崎ます美「灯火具『「瓦灯』についての一考察」(『高井』108)
- 小松芳郎『長野県の農業日記−明治・大正・昭和の記録』(郷土出版社)
- 前林政行『高遠焼集成』(ほおずき書籍)
- 宮下慶正『南アルプス山麓の枝折』(自家刊行)
- 清沢芳郎「『背負い具にみる長野県の地域性』を読んで」(『長野県民俗の会通信』120)
- 日下部新一「副業」(『伊那』788)
- 小林寛二「中川村大草の調査に参加して」(『長野県民俗の会通信』120)
- 小松芳郎「民具の保護と保存と活用と」(『長野県民俗の会通信』123)
- 斉藤洋一「被差別部落の歴史に学ぶ」 (『同和教育だより』43
- 桜井伴「清内路村櫛つくりの歴史」(『伊那』790)
- 桜井伴「伊那谷の養蚕の今昔」(『伊那』797)
- 竹人弘元解説 「向山雅重民俗スケッチP 『丸干組の窯』−高遠町西高遠諸町−」 (『伊那路』453)
- 多田井幸視「かや葺き職人」(『長野県民俗の会通信』123)
- 寺田一雄「伊那谷のワラ製民具」(『伊那』788)
- 寺田一雄 「炭焼」(『長野県民俗の会通信』124)
- 永池稔「中野における竹細工研究覚書」(『高井』108)
- 野溝利雄「諏訪形の猪垣考」(『伊那路』444)
- 野本寛一 「栃の民俗」(『伊那民俗研究』4)
- 平岩道男 「村の貧乏鍛冶屋」(『伊那路』449)
- 二代 深澤秀石「硯工の道のり」(『伊那路』448)
- 福澤昭司「大草の野良仕事」(『長野県民俗の会通信』120)
- 丸山輝子「機織りの先輩にお会いして」(『長野県民俗の会通信』123)
- 三石稔「園場整備による暮らしの変化」(『松本市史研究』4)
- 井出孫六・市川健夫監修『定本信州百峠』(郷土出版社)
- 熊谷元一「駒場むかし絵がたり第四七話 米のねだん」(『郷土史巡礼』265)
- 関島久雄「郵便安さん 心に残る村の人々」(『伊那』790)
- 関島久雄「村の郵便物の集配と逓送・その家族 心に残る村の人々(二)」(『伊那』795)
- 竹人弘元解説「向山雅重民俗スケッチL 「せ−た(背板)』−清内路村上清内路−」(『伊那路』449)
- 原隆夫「郷土の坂道考(一)・(二)」(『郷土史巡礼』266・267)
- 伊坪達郎「駒場村上町下町の借家人」(『郷土史巡礼』272)
- 上杉妙子「『位牌分け』慣行の変化における僧の関与−習合の微視的過程についての一分析−」(『民族学研究』59-2)
- 浦野和夫「青年会と私」(『伊那路』452)
- 神谷佳代「民俗空間におけるサカイ≠フ変容と子どもの生活−長野県木曽郡楢川村奈良井における−」(『信濃』46−1)
- 亀井好恵「塩尻市小曽部の水利用」(『信濃』46-3)
- 小林将人「生活改善運動とむらの変化−北信栄村・長瀬の事例−」(『信濃』46-1)
- 駒木敦子「再考・嫁姑関係−北信栄村一集落の事例より−」(『信濃』46-1)
- 酒井淳「村山利用における平等志向−会津における入会林野の慣習−」(『信濃』46-3)
- 桜井伴「山村に来た人々−山村のうつり変り−」(『伊那』798)
- 千葉房「栗矢敬老会とある老人のこと」(『郷土史巡礼』269)
- 中野泰「ムラと社会と青年会−北信・栄村のツキアイマツリをめぐって−」(『信濃』46-1)
- 那須祐三「箕輸町内屋号の考察(二)・(三)・(四)−部落別エーナの分析−」(『伊那路』444・447・449)
- 福澤昭司「大草から」(『長野県民俗の会通信』123)
- 三石稔「『凶作と村』」(『長野県民俗の会通信』119)
- 翠川渡「『教訓独見紗」について−農民の家訓−」(『上田盆地』33)
- 大洞紀元『石への祈り』(伊那史学会)
- 鬼無里村石造文化財調査委員会編『鬼無里の石仏』(鬼無里村教育会)
- 穂高町石造文化財編纂委員会編「穂高町の石造文化財 解説・資料編 写真編」(穂高町教育委員会)
- 伊藤麟太朗「諏訪神社社殿考(二)」(『茅野』36)
- 牛越嘉人「中島の庚申講」(『信濃』46-10)
- 牛越嘉人「長野県大北地方の庚申塔の造立」(『日本の石仏』72)
- 浦野和夫「『蚕玉様』と私」(『伊那路』444)
- 浦野和夫「真鹿寺と私」(『伊那路』447)
- 大柴弘子「『キツネ悪きの家』が語られる村」(『長野県民俗の会通信』120)
- 唐沢和雄「木喰上人とその作品」(『伊那路』450)
- 倉田幸三「阿智神社と安布知神社更に戸隠神社」(『郷土史巡礼』272)
- 五味和男「お大方様」(『茅野』36)
- 斉藤武雄「高社山麓集落における祭事と修験者」(『高井』106)
- 佐藤毅「祈祷札と上田小県の山伏(修験)」(『上田盆地』33)
- 塩澤一郎「中村庄助翁の信仰 伊那市常円寺の大理石碑から」(『伊那路』446)
- 塩澤一郎「奥山半僧坊点描」(『伊那民俗研究』4)
- 篠原真紀子「中川付大草の調査に参加して」(『長野県民俗の会通信』123)
- 竹人弘元解説「向山雅重民俗スケッチG 「道祖神に供える人形」−中野市倭柳沢−」(『伊那路』444)
- 武田寛「堀越の石仏薬師について」(『伊那』788)
- 辻浩子「玉依比売命神社の御神事」(『長野県民俗の会通信』121)
- 西山保「松川町華厳寺の毘沙門天立像について」(『伊那』794)
- 西山蕗子「開拓地移住人の宗教的選択」(『伊那路』451)
- 原五郎「喬木の野仏」(『伊那』788)
- 原隆夫「郷土史夜話二」(『郷土史巡礼』272)
- 丸山泰功「干葉県山武郡蓮沼村におけるオビシャ行事」(『長野県民俗の会会報』17)
- 宮坂寛美「『諏訪大明神緑起畫詞』考」(『茅野』37)
- 森田悌「新嘗とエビス講」(『信濃』46-9)
- 熊谷元一「駒場むかし絵がたり第四九話 ごとうむし」(『郷土史巡礼』267)
- 下村幸雄「伊那路を撮す(24) 八島神社の御筒粥神事−辰野町赤羽−」(『伊那路』447)
- 丸山利雄「郷土植物名考(二)」(『高井』106)
- 竹人弘元解説「向山雅重民俗スケッチI 『おはぐろ道具』−伊那市中央区−」(『伊那路』446)
- 牧野英雄「近世以降間山村における墓碑の形態」(『高井』108)
- 渡辺重義『写真が語る佐久の年中行車−北佐久ところどころ−」(森出版)
- 浅井舎人「喬初春の子どもの民俗行事」(『伊那』788)
- 有馬佐和子「十日夜」(『伊那路』450)
- 下村幸雄「伊那路を撮す(25) 大久保の事念仏−駒ケ根市東伊那大久保−」(『伊那路』448)
- 下村幸雄「伊那路を撮す(31)天伯社の『サンヨリコヨリ』−伊那市上川手・下川手−」(『伊那路』454)
- 竹入弘元解説「向山雅重民俗スケッチN 『茅の輪の神事』−伊那市荒井区荒井神社−」(『伊那路』451)
- 竹淵頌畝「小正月」(『伊那路』444)
- 田澤直人「佐久地方における墓掃除・墓参りをめぐる習俗」(『上田盆地』33)
- 永池衛夫「英知絵譜(第四部)町年寄日記にみる年中行事」(『上田盆地』33)
- 高森町民俗芸能委員会編『高森町民俗芸能誌』(高森町教育委員会)
- 『伊那』791(伊那史学会、伊那谷の獅子舞特集(6)、北原・韓郷社・大栢熊野神社・関宮神社・片桐・桑原神社・横前・阿智の獅子舞)
- 板谷徹「舞式からみ舞踊譜ヘ−天龍村向方の御潔祭りの舞を事例とした試み−」(『民俗芸能研究』19)
- 猪切智義「雪まつりの保存に三○年(インタビュー)」(『伊那民俗』18)
- 伊藤志げ子「戦後の伊那節踊りと伊那のはな踊り」(『伊那路』454)
- 上原靖「私のこどもの頃の遊び」(『長野県民俗の会通信)』122)
- 片桐登「太棹一筋に−大鹿歌舞伎を継承して−(インタビュー)」(『伊那民俗』17)
- 日下部新一「黒田人形」(『伊那』790)
- 黒河内茂「中尾歌舞伎の変遷」(『伊那路』453)
- 黒矢勇夫「老母が伝えた『信濃宮・宗良観王の歌』」(『伊那路』450)
- 気賀沢兼義「市場割大神楽」(『伊那路』453)
- 小林一行「与地の伊那節」(『伊那路』453)
- 小林寛二「子供の遊び」(『長野県民俗の会通信』(123)
- 桜井伴「行列について(上)・(下)」(『伊那』788・789)
- 桜井弘人「舞からみた坂部の冬祭りについて」(『飯田市美術博物館研究紀要第四集』)
- 桜井弘人「芸能の旅 12 飯田市上郷下黒田 黒田人形」(『伊那民俗』16)
- 桜井弘人「芸能の旅 13 南信濃村木沢中立稲荷神社の小祭」(『伊那民俗』18)
- 下村幸雄「伊那路を撮す(22)貴船神社の子供騎馬行列−高遠町藤沢荒町−」(『伊那路』445)
- 下村幸雄「伊那路を撮す(23)中曽根の獅子舞−箕輪町中曽根−」(『伊那路』446)
- 下村幸雄「伊那路を撮す(26)古瀬の春まつリ−中川村田島古瀬−」(『伊那路』449)
- 下村幸雄「伊那路を撮す(27)日方磐神社春の例祭−飯島町田切−」(『伊那路』450)
- 下村幸雄「伊那路を撮す(28)馬見塚蚕玉神社−駒ケ根市福岡馬見塚−」(『伊那路』451)
- 下村幸雄「伊那路を撮す(29)古田人形−箕輸町上古田−」(『伊那路』452)
- 下村幸雄「伊那路を撮す(30)芝宮神社津島社の祇園囃子−飯島町七久保−」(『伊那路』453)
- 下村幸雄「伊那路を撮す(32)伊那森神社秋の例祭−駒ケ根市東伊那伊那耕地−」(「『伊那路』455)
- 須藤功「俺たちの祭り『新野の雪まつり』」(『ふれあい』冬号)
- 武井正弘「坂部の冬祭−フィールド・ノートを通して−」(「『飯田市美術博物館研究紀要第四集』)
- 田中義広「新野の盆踊り」(『まつり通信』404)
- 三浦孝美「高遠領上伊那郷における近世芸能史料断片」(『伊那路』453)
- 三石稔「芸能の旅14 伊那市西箕輪羽広の獅子舞」(『伊那民俗』19)
- 山田干宏「『縁切り遊び』考」(『信濃』46-6)
- 倉石忠彦「犀川と穂高見命」(第二次『悠久』59)
- 小林千元「古田奇談狐舉震聟入」(『伊那路』444)
- 杉崎満寿雄「大鹿村で聞いた話」(『あしなか』236)
- 高野六雄「冠着山の嫡捨山説と塚田雅文」(「千曲」81)
- 常光徹「学校の怪談と子どもの民俗」(『長野県民俗の会会報」17)
- 益子輝之「落語の民話性」(『上田盆地』33)
- 丸山泰功「口承文芸の可能性−都市民俗調査の方法の一端−」(『長野県民俗の会通信』119)
- 翠川宣子「泉小太郎伝承地のある横浜市泉区泉町について」(『千曲』82)
- 宮本達郎「義経伝説について思うこと」(『上田盆地』33)
- 矢沢れい「昔話の部」(『伊那』788)
- 福沢武一「方言はふるさと(一三)・(一四)」(『伊那』788・789)
- 熊谷元一『熊谷元一写真全集』全四巻(郷土出版社)
- 熊谷元一『思い出の駒場』(郷土出版社)
- 小林一行『大萱の里』(ほおずき書籍)
- 小松谷雄著・稲葉治雄さし絵『伊那谷のこころふるさとの四季』(ほおずき書籍)
- 坂下区『区制九十周年記念 坂下区誌』(坂下区誌刊行委員会)
- 澤頭修自『夢もまた縁なり』(編集工房ノア)
- 長野市誌編さん委員会民俗部会・企画調査部企画課市誌編さん室『長野市誌民俗調査報告書 第二集田子・山干寺の民俗』(長野市)
- 長谷村誌刊行委員会編『長谷村誌第一巻民俗編人物編』(長谷村誌刊行委員会)
- 松本市史民俗部門編集委員会・松本市史編さん室編『松本市史民俗編調査報告書第三集−
- 神林を中心として−』(松本市役所)
- 松本市史民俗部門編集委員会・松本市史編さん室編『松本市史民俗編調査報告書−中山を中心として−」(松本市役所)
- 松山義雄『伊那谷の動物たち』(同時代社)
- 松山義雄『新編伊那風土記 隻眼の神と御霊信仰』(法政大学出版局)
- (財)宮本記念財団・埼玉大学文化人類学研究会編『栄村東部谷の民俗−長野県下水内郡栄村−』(財)宮本記念財団・埼玉大学文化人類学研究会)
- 戸草ダム民俗等調査委員会編『奥三峰の歴史と民俗」(長谷村教育委員会)
- 虫倉山系総合調査研究会・長野市・上水内郡戸隠村・鬼無里村・小川村・中条村編「むしくら 虫倉山系総合調査研究報告』(虫倉山系総合調査研究会・長野市・上水内郡戸隠村・鬼無里村・小川村・中条村)
- 八坂村誌刊行会編『八坂村誌B 民俗編 本編・資料』(八坂村教育委員会)
- 小松谷雄「四徳の記録(一)『殿小屋』の謎」(『伊那路』454)
- 竹人弘元解説「向山雅重民俗スケッチJ 『ちょんばと春の連山』−高遠藤沢守屋山−」(『伊那路』447)
- 竹人弘元解説「向山雅重民俗スケッチK 『ゆんめこんぶくろ』−高遠町守屋山−」(「『伊那路448)
- 巻山圭一「山方・里方」(『長野県民俗の会通信』121)
- 松村義也「夏季調査の聞き取りから」(『長野県民俗の会通信』123)
- 丸山輝子「大草の思い出」(『長野県民俗の会通信』120)
- 丸山輝子「中川村大草夏季民俗調査採訪メモ」(『長野県民俗の会通信』124)
- 三石稔「調査地『大草』の概要」(『長野県民俗の会通信』123)