平成28年長野県民俗学研究動向

 この研究動向は、信濃史学会『信濃』第69巻第6号隣県特集号「長野県地方史研究の動向」より、民俗学関係について転載しています。研究動向の執筆は三石稔(本HP管理者)。なお、著書論文一覧については、HP管理者が作成している。

 平成27年の動向で触れた通り、近年県内の研究団体において発行される雑誌において、民俗学関係の論考が減少しているなか、『伊那』1月号から「民俗特集」の文字が消えた。遡ると『伊那』の1月号が「民俗特集」として発行された最初は昭和29年のこと。その巻頭には「信州の出口入口」と題した柳田国男の文が掲載されている。その編集後記には「民俗特集1月号の巻頭を飾るため柳田先生の文を頂き地方雑誌の光栄である」と書かれている。これは『伊那』のために書き下ろしたものではなく「信州随筆からよかったら載せていいとのお言葉だった」と言うように、『信州随筆』よりの転載である。同じ編集後記には「斯くして新年読物として趣向を変えた。民俗特集を世に送った2月号からは平常に復し、新しく頂いた史学の原稿や読稿を載せる」とある。『伊那』は戦後昭和27年8月に復刊した。民俗特集が発行されるまで、特集号なるものは発行されていない。編集人であった原田島村には、「民俗」に対する思い入れがあったと考える。このように昭和29年に始まった「民俗特集」、その後昭和33、36、53、56、61年の1月号には「民俗特集」の文字は見られないが、それ以外の年は必ず1月号を「民俗特集」としてあてていた(昭和56年は4月をあてている)。これほどの歴史ある「民俗特集」について、編集後記では「今まで1月号は長年「民俗特集」としてきましたが、今年から普通号とし、民俗は随時掲載します」と記している。多くの読者が残念に思ったに違いない。同じことが他誌にも広がらないよう編集者の努力に期待したい(幸いにも平成29年1月号に「民俗特集」が復活された)。
 『伊那』の動向から解るように、民俗関係の研究者の減少が民俗関係の論考の減少を招いているのも事実。歴史を刻んできた『長野県民俗の会会報』と『信濃』1月号は、近年同じ編集者によって編集されている。前者は県内の研究者を中心に会員を育てることに重きを置き、後者は信濃史学会の会員に限らず、若手の研究者に原稿を依頼して意欲的な論文で構成するようにしてきた。ということで、近年の本研究動向でも解るように、『信濃』1月号は県内に関する論文ではなく、他県にかかわるものが多くなる傾向であった。今後『伊那』はこの両者と同様に、柳田國男記念伊那民俗学研究所との役割分担をしていかないと「民俗特集」を組めない可能性があるとともに、本来の柳田國男記念伊那民俗学研究所の活動への影響も危惧される。
 長野県民俗の会では、『会報』39号を、また『通信』251号~256号を発行している。『会報』39号では、道祖神の源イメージが形象化した結果として石造物を見るという視点から道祖神イメージを分析した倉石忠彦「「道祖神」イメージの形成―石造物を中心に―」、過去から現在に至るまでの器物の供養を取り上げ、「モノをつかえるだけ使い、その後しかるべき処置をとる」のが、モノに対するあるべき姿で、これを怠るとモノが妖怪化すると考える人々の理念を析出し、具体的には針供養について分析した松崎憲三「器物(道具)の供養をめぐって―その変化と広がり―」、長野県内における富士信仰を豊富な資料で外観した堀内眞「長野県の富士信仰」、歴史資料としての文書と屋台という物質文化との相互関係が伝承に与えた影響について長野市鬼無里の事例から述べた小森明里「長野市鬼無里の「財又地区二十戸共有文書」と諏訪神社の屋台」、東日本大震災と民俗学との関わりを体験の中から掘り下げた「災害と復興―釜石市両石そして茨城県神栖市の復興と日常―」の5編を収録した。5回開催された例会は、野沢温泉道祖神祭りのほか、6年に一度開催される諏訪上社の御柱祭と長野市湯福神社御柱祭、3年に一度開催される飯山市小菅の柱松柴燈神事といった平成28年の特徴的祭事見学を中心に企画され、それらは『通信』に参加報告として掲載された。総会では民俗学における女性研究について研究史を踏まえた上で、民俗学における研究視点の男女差について自身の研究から論じた倉石あつ子「民俗学における女性研究―私を語る―」の公開講演が行われた。
 『通信』においても注目すべき報告がされている。現在なおあまたの道祖神が建立されるなか、中国に発注されて建立されるものが道祖神の里とも言われる安曇野にもあり、その事実から道祖神の像容の整理・研究の必要性を説く倉石忠彦「中国製の「道祖神」碑」(『通信』251)、これまで触れられることがあまりなかった鉱山の暮らしを報告した中崎隆生「小串鉱山の暮らし」(『通信』256)、透析室を「命の境界に関与する空間」として捉え、地域社会の都市化を論じた倉石忠彦「透析室の人々」(『通信』255、256)などがある。また、新たな企画として取り組んだ「「長野県民俗の会」先達を訪ねる」は、会草創期の先輩を訪ねてこれまで記録されなかったものを掬おうとしたもので、第1回「田口光一先生」が渡辺宏によって収録された(『通信』253―255)。企画者のひとりである渡辺は、どのような方々が会を支えてきたのか興味があったといい、そのうえで実際に聞き取りをしてみることによって、文字からこぼれ落ちたものに接することができ、人柄、 伝統文化に対する思い、あるいは民俗学に対する思いといったものを受け止めていきたいと述べている。
 信濃史学会は例年通り『信濃』1月号を民俗学特集号にあてており、松本の「みすず細工」といわれる竹細工の盛衰を、主として行政資料を中心として明らかにした山口拡「みすず細工にみる民具の近代産業化の一例」、亡児供養と地蔵信仰の関わりを、青森県の二つの例大祭を事例として明らかにした近石哲「賽の河原祭祀にみる亡児供養と地蔵信仰―川倉賽の河原地蔵尊と今泉賽の河原霊場の例大祭の事例から―」、俗信の構造論的解釈を認めながら、具体的伝承と、構造論的解釈の乖離を、伝承の場に戻って背景を埋めようとした中田亮「俗信はいかにして伝承されるのか―水木しげる氏と宮本常一氏の幼少時代から―」、都市の大社で行われてきた里神楽の系譜を、神楽の伝承家と神社との関係から明らかにしようとした田村明子「都市の大社と里神楽―大國魂神社と山本社中―」の4編を収録。また「文化財レスキューの諸問題の小特集を組んだ2月号では、民俗分野から土田拓「アソウが残るむら―搬出資料からのぞく大北地域の小規模高齢化集落の生活変化―」、小森明里「被災時の選択と文化財の今後」のほか、神城断層地震後の文化財レスキューについて紹介した長野市立博物館企画展「救い出された地域の記憶」(平成27年開催)について報告した細井雄次郎「「救い出された地域の記憶~神城断層地震から1年~」開催報告」が収録された。細井は企画展によって多くの人にレスキュー活動について知ってもらえたが、そのいっぽうで救出した文化財の整理保全、活用については課題だと述べ、とりわけその保存場所についての悩みをあげている。このほか福澤昭司「現代社会と民俗学―葬儀と墓に寄せて―」(『信濃』68-8)は、「民俗学は現在の疑問から始まらなくてはならないのに、聞き書きによる過去にばかり思いを馳せている」と指摘したうえで、「民俗学に携わる者や民俗学に関心を持ちながらも従来の民俗学のイメージにとらわれてしまっている人々が、現代をどのように捉えようとしているのか、あるいは捉えなければいけないのか原点に立ち返って考えてみたい」と述べ、葬儀と墓を例にし、現代の人々が悩んでいる問題に対して、民俗学に携わる者はそれぞれの場で自分の見解を発表する必要性を説く。
 上田民俗研究会は『上田民俗』43号を発行した。長野県の方言区画を踏まえ、信州東部の方言の特徴を論じた出野憲司「方言あれこれ」のほか、佐久地域の方言を中心に方言の現在について触れた酒井イ玄「方言雑感」などこれまで同会では扱わなかった「方言」を特集した。
 柳田國男記念伊那民俗学研究所は、福田アジオ所長を講師に2013年2月から6回にわたって開催された第1期『民俗学入門講座』の講義内容をまとめた伊那民俗叢書1『民俗学入門』を発行した。講座には遠方からの参加者も含め、毎回30名もの参加があったという。入門講座はすでに第5期まで継続しており、民俗学を学ぶ人の広がりを期待したい。
 縁フォーラムは『縁―集いの広場―』10号を発行し、古代から近世初期までの文献と民間伝承とを資料として、道祖神の呼称・存在形態・神のイメージ・神体形態・神体認識などを整理し、道祖神信仰が形成された経緯を明らかにしようとした倉石忠彦「道祖神像イメージの展開」のほか、めまぐるしく変化する妊娠出産事情のなかで、科学的側面と文化的側面それぞれからみた妊娠出産を議論すべきではないかという視点に向けて、韓国と日本における現代妊娠、出産事情を報告した高久舞「戌の日参り―現代安産祈願事情―」、倉石美都「現代韓国の出産習俗覚え書き」を収録。
 上伊那郷土研究会は『伊那路』10号を民俗特集にあてており、伊那市常円寺の二十二夜様のほか伊那市内の月待ち行事についてまとめた中崎隆生「常円寺丸山公園の二十二夜様」、高遠にある博物館や資料館が所蔵するそばの道具を扱った林洋一「高遠に残るそばの道具―高遠町歴史博物館・伊那市民俗資料館所蔵品より―」が収録されているが、「民俗特集」と冠したものの論考はこの2編のみと、民俗関係の論考の少なさが気になる。
 伊那史学会は冒頭に記したように『伊那』から「民俗特集」が消えたものの、6年に一度の御柱祭に合わせ下伊那地域の御柱祭を総覧した特集を8月号にまとめており、平成28年は37社において御柱祭が実施されたと報告している。このほかかつての土葬習俗を紹介しながら埋葬の変化を報告した橋都正「下伊那における人の死・埋葬などの変化」(『伊那』64-9)があるが、民俗関係論文では唯一である。
 このように平成28年は民俗学関係の論考が少なかったと言える。県外の研究団体が発行したものとして、神仏を「叩く」という行為で示される祈願のかたちを民俗文化におけるヒトとカミとの交流の意味を探る糸口ではないかと説く小池淳一「神仏を叩く―民俗信仰の原形―」(『西郊民俗』236)、長野県内の天狗伝承をまとめた高橋成「長野県の天狗像」(『西郊民俗』235)、豊蚕が祈られた石仏(大黒天・道祖神・蚕神)を松本藩領の事例から捉えた窪田雅之「豊蚕祈願と石仏―長野県中信地区の大黒天・道祖神・蚕神とのかかわりから―」(『日本の石仏』160)などがある。
 刊行物では現代社会にみられる民俗信仰(田の神、野神、山の神といった民俗神のほか、俗信、祭り、行事を含む)を外観したうえで、夢占いや縁切り習俗、野神、人神、祭り、行事を取り上げながら「民俗信仰に寄り添う人々」が何を取捨選択しながら今日ある姿に育んできたのか、またどのような意味合いをもって民俗信仰が維持されてきたのかを明らかにしようとした松崎憲三『民俗信仰の位相―変質と多様性さぐる―』(岩田書院)が刊行された。また松本市教育委員会は、歴史文化基本構想策定のための文化財把握の過程で、市内にある念仏供養塔の総数が庚申塔を上回ることに着目し、江戸時代の共同体のあり方を示すであろう名号塔や念仏供養塔を、「念仏講・念仏会」という仲間および行事と合わせて考察し、有形・無形の文化財を総合的に把握しようとした『「松本の念仏塔と念仏行事」調査報告書』を刊行した。
 以上平成28年の民俗学関係の動向について概観してみたが、筆者の力量不足で未紹介の論考や活動も多いと思われる。不十分な点について心からお詫びしたい。なおその他の論考については、筆者のホームページ「民俗学への扉」を参照願いたい。また、長野県にかかわる民俗学関係の研究会・書籍情報・雑誌情報・新聞記事・展覧会・祭事を掲載したブログ「信濃民俗ノート」も参考にされたい。


以下に刊行物・著者・論文・報告等を一括して掲げる。


総論

  1. 福田アジオ『伊那民俗叢書1 民俗学入門』(柳田國男記念伊那民俗学研究所)
  2. 小原稔「第二○○回例会報告」(『長野県民俗の会通信』255)
  3. 倉石忠彦「透析室の人びと」(『長野県民俗の会通信』255)
  4. 倉石忠彦「透析室の人びと(承前)」(『長野県民俗の会通信』256)
  5. 小池淳一「私の一冊 岡野弘彦著『折口信夫の晩年』」(『長野県民俗の会通信』255)
  6. 小森明里「被災時の選択と文化財の今後」(『信濃』68-2)
  7. 小森明里「長野市鬼無里の「財又地区二十戸共有文書」と諏訪神社屋台」(『長野県民俗の会会報』39)
  8. 多田井幸視「第六七回日本民俗学会年会に参加して」(『長野県民俗の会通信』251)
  9. 土田拓「アソウが残る山のむら―搬出資料からのぞく大北地域の小規模高齢化集落の生活変化―」(『信濃』68-2)
  10. 土田拓・細井雄次郎・多田井幸視「第二○○回例会発表要旨「農山村における集落限界化と民俗」」」(『長野県民俗の会通信』254)
  11. 日向繁子「災害と復興-釜石市両石そして茨城県神栖市の復興と日常-」(『長野県民俗の会会報』39)
  12. 平栗豊久「下伊那西部と奥三河の旅」(『伊那民俗』106)
  13. 福澤昭司「現代社会と民俗学―葬儀と墓に寄せて―」(『信濃』68-8)
  14. 福田アジオ所長講演要旨「民俗学入門講座第Ⅳ期 柳田国男の民俗学・その仮説を学ぶ 第3~5回」(『伊那民俗』104)
  15. 福田アジオ所長講演要旨「民俗学入門講座第Ⅳ期 柳田国男の民俗学・その仮説を学ぶ 第6回 祖霊から穀霊へ」(『伊那民俗』105)
  16. 福田アジオ所長講演要旨「民俗学入門講座第Ⅴ期 現代日本を民俗学から考える(第1回) 3.11以降の社会と民俗学」(『伊那民俗』107)
  17. 細井雄次郎「長野市立博物館企画展「救い出された地域の記憶~神城断層地震から1年~」開催報告」(『信濃』68-2)
  18. 松上清志「柳田國男館が国登録有形文化財に~市民活動や民俗学研究の場として地域貢献を~」(『伊那民俗』106)
  19. 三石稔「長野県地方史研究の動向 民俗学関係」(『信濃』68-6)
  20. 三石稔「挙家離村のムラ〝高地〟へ-第二○○回例会報告-」(『長野県民俗の会通信』255)
  21. 宮坂瑞紀「日本のあかり博物館の教育普及事業について」(『日本のあかり博物館館報』67)
  22. 宮下英治「蓋然性もしくは推論の学であるへき民俗学」(『伊那民俗』106)
  23. 湯澤孝一「柳田国男の俳諧-信州俳人への評価と戦時下の活動-」(『伊那民俗』106)
  24. 渡辺宏「「長野県民俗の会」の先達を訪ねる(第一回)-田口光一先生(上)」(『長野県民俗の会通信』253)
  25. 渡辺宏「「長野県民俗の会」の先達を訪ねる(第一回)-田口光一先生(中)」(『長野県民俗の会通信』254)
  26. 渡辺宏「「長野県民俗の会」の先達を訪ねる(第一回)-田口光一先生(下)」(『長野県民俗の会通信』255)

衣生活・食生活・住居

  1. 熊谷文世「阿智村伍和丸山の豆腐作り」(『伊那民俗』105)
  2. 林洋一「高遠に残るそばの道具-高遠町歴史博物館・伊那市民俗資料館所蔵品より-」(『伊那路』717)
  3. 宮坂瑞紀「300年前と100年前のあかり」(『日本のあかり博物館館報』68)
  4. 宮坂瑞紀「昭和時代のろうそく製造販売 新潟県上越市 村山ローソク店」(『日本のあかり博物館館報』69)
  5. 宮坂瑞紀「国産マッチ」(『日本のあかり博物館館報』70)

生業生産

  1. 小林大二「「種室」と「腰越・風穴」」(『千曲』159)
  2. 三石稔「田ごしらえと農具(二)」(『長野県民俗の会通信』256)
  3. 山口拡「みすず細工にもる民具の近代産業化の一例」(『信濃』68-1)

交通交易

  1. 竹若康雄「飛騨ブリの道」(『伊那路』719)
  2. 矢澤亨「今「信用」と「先用後利」に生きる 越中・大和・近江の薬屋さんと上伊那」(『伊那路』719)

社会生活

信仰

  1. 松崎憲三『民俗信仰の位相-変質と多様性をさぐる-』(岩田書院)
  2. 松本市教育委員会『松本の念仏塔と念仏行事』
  3. 阿部敏明「竹原区荒川組の観音講と堂(二)」(『高井』194)
  4. 浦山佳恵「〝小菅の柱松〟見学記」(『長野県民俗の会通信』255)
  5. 大田真理「【報告】小谷村の式年薙鎌打ち神事-諏訪大社御柱祭に先駆けて-」(『長野県民俗の会通信』254)
  6. 市瀬武文「喬木村阿島北明神社」(『伊那』1059御柱祭特集)
  7. 今井啓「餅投げ、ウチマキが意味するもの-下伊那南部の「オクヨ」を手がかりに-」(『伊那民俗』105)
  8. 今村理則「天竜川右岸の御社宮司神―伊那谷南部の小字から二―」(『伊那』1058)
  9. 岡田正彦「南信州の十王信仰と十王堂(中の三)」(『伊那』1057)
  10. 片桐亀十「根羽村中野諏訪神社」(『伊那』1059御柱祭特集)
  11. 上伊那郷土研究会編集部「上伊那の「御柱」」(『伊那路』711)
  12. 木下守「方光庵の石地蔵の文化財指定に当たって-松本の石造物製作史解明の糸口-」(『長野県民俗の会通信』253)
  13. 木下守「大酒供養塔」(『長野県民俗の会通信』256)
  14. 櫛原利喜夫「飯沼諏訪神社」(『伊那』1059御柱祭特集)
  15. 窪田雅之「豊蚕祈願と石仏-長野県中信地区の大黒天・道祖神・蚕神とのかかわりから-」(『日本の石仏』)160
  16. 倉石あつ子「公開記念講演要旨「民俗学における女性研究-私を語る-」(『長野県民俗の会通信』256)
  17. 倉石忠彦「「道祖神」イメージの形成-石造物を中心に-」(『長野県民俗の会会報』39)
  18. 倉石忠彦「中国製の「道祖神」碑」(『長野県民俗の会通信』251)
  19. 倉石忠彦「道祖神イメージの展開」(『縁-集いの広場-』10)
  20. 小池淳一「神仏を叩く-民俗信仰の原形-」(『西郊民俗』236)
  21. 小島稔「麻績神社」(『伊那』1059御柱祭特集)
  22. 小林竜太郎「長野市と上水内郡における平成二十八年御柱祭の日程」(『長野』305)
  23. 櫻井弘人「口絵 古写真でみる千代・野池神社の御柱祭」(『伊那』1059)
  24. 佐々木賢実「阿智村六社」(『伊那』1059御柱祭特集)
  25. 高橋成「長野県の天狗像」(『西郊民俗』235)
  26. 高山直樹「長野県民俗の会第一九七回例会参加報告」(『長野県民俗の会通信』251)
  27. 田中英雄「石祠型墓石内の双体仏に僧形双体道祖神の祖形をみる」(『日本の石仏』159)
  28. 近石哲「賽の河原祭祀にもる亡児供養と地蔵信仰―川倉賽の河原地蔵尊と今泉賽の河原霊場の例大祭の事例から―」(『信濃』68-1)
  29. 知久一彦「知久平諏訪神社」(『伊那』1059御柱祭特集)
  30. 中崎隆生「常円寺丸山公園の二十二夜様」(『伊那路』717)
  31. 中崎隆生「第一九九回例会に参加して」(『長野県民俗の会通信』254)
  32. 橋都正「大鹿村の「矢立木」と「箭立木大明神」石碑盗難?」(『伊那』1062)
  33. 原田望・山内尚巳「申年御柱祭見て歩記」(『伊那』1059御柱祭特集)
  34. 原田望「御柱祭写真」(『伊那』1059御柱祭特集)
  35. 堀内眞「長野県の富士信仰」(『長野県民俗の会会報』39)
  36. 松崎憲三「器物(道具)の供養をめぐって-その変化と広がり-」(『長野県民俗の会会報』39)
  37. 山内尚巳「平成二十八丙申年飯田・下伊那の御柱祭の概要」(『伊那』1059)

民俗知識

  1. 中田亮「俗信はいかにして伝承されるのか―水木しげる氏と宮本常一氏の幼少時代から―」(『信濃』68-1)

人の一生

  1. 倉石美都「現代韓国の出産習俗覚え書き」(『縁-集いの広場-』10)
  2. 高久舞「戌の日参り-現代安産祈願事情-」(『縁-集いの広場-』10)
  3. 橋都正「下伊那における人の死・埋葬などの変化」(『伊那』1060)

年中行事

  1. 多田井幸視「過疎化と年中行事の変化-長野市西山地域の門松飾りの事例から-」(『市誌研究ながの』23)
  2. 多田井幸視「野沢温泉道祖神祭り見学の報告」(『信濃』68-4)
  3. 市東真一「野沢温泉道祖神火祭り見学記」(『長野県民俗の会通信』252)
  4. 大楽和正「野沢温泉の道祖神祭り-第一九八回例会参加記」(『長野県民俗の会通信』252)
  5. 福澤昭司「暦がなかったら」(『長野県民俗の会通信』253)
  6. 柳沢賢次「見学会に参加して(2)」(『信濃』68-4)
  7. 山田潤「見学会に参加して(1)」(『信濃』68-4)

民俗芸能

  1. 岡庭圭佑「消えた飯田の屋台祭り」(『伊那民俗』106)
  2. 関福盛「天龍村坂部のまつりと取り組み~伝統芸能継承をめざして~」(『伊那』1057)
  3. 北原太志郎「飯田の花柳界がもたらしたものは何か~地域文化の継承・再生に向けて~」(『伊那民俗』104)
  4. 田村明子「都市の大社と里神楽―大國魂神社と山本社中―」(『信濃』68-1)
  5. 塚平寛志「本町三丁目大名行列 宮下勝吉さんインタビュー」(『伊那民俗』104)
  6. 中崎隆生「年番制度が守る祭りと煙火」(『伊那民俗』106)
  7. 秦野高彦「多様な個性を一つに結ぶ“南信州くらし”で輝く地域づくり「民俗芸能継承プロジェクト」の取り組み」(『伊那民俗』104)

口頭伝承

  1. 小林恵子「昔ばなし「むかしあったってやな」」(『高井』196)

方言

  1. 出野憲司「方言あれこれ」(『上田盆地』43)
  2. 酒井イ玄「方言雑感」(『上田盆地』43)
  3. 瀬田忠雄「方言カルタあそび」(『上田盆地』43)
  4. 丸田ハツ子「民俗研究会 談話会 方言のことあれこれ語ろう」(『上田盆地』43)
  5. 宮澤かほる「方言の思い出」(『上田盆地』43)
  6. 吉田保晴「伊那谷のウソ-民俗の窓を通して(26)-」(『伊那路』714)

民俗誌

  1. 中崎隆生「小串鉱山の暮らし」(『長野県民俗の会通信』256)
  2. 吉田成己「DVD「天龍村坂部の年中行事」に寄せて」(『伊那民俗』107)

書評・書誌紹介

  1. 加藤隆志「書評『長野県中・南部の石造物』(『長野県民俗の会通信』251)
  2. 小森明里「書評『はじめて学ぶ 民俗学』」(『長野県民俗の会通信』252)