平成27年長野県民俗学研究動向

 この研究動向は、信濃史学会『信濃』第68巻第6号隣県特集号「長野県地方史研究の動向」より、民俗学関係について転載しています。研究動向の執筆は三石稔(本HP管理者)。なお、著書論文一覧については、HP管理者が作成している。

 近年県内の研究団体において発行される雑誌において、民俗学関係の論考が減少している。月刊で発行している『伊那』や『伊那路』においては、毎年「民俗特集」と題して民俗に関する論考を特集してきたが、かつては特集号以外においても民俗に関係した論考が投稿されることは珍しくなかった。しかし今や特集号においても「これは民俗学関係なのか」と思わされるような論考が寄せられるような状況となり、いよいよ特集号を組むことも危うい状況となっている。
 こうしたなか活況を呈すのは柳田國男記念伊那民俗学研究所(以降「研究所」)の活動と言えよう。その背景には他の研究団体と異なる研究所という建物を有し、行政のバックアップを受けているという環境がある。福田アジオ所長が就任されて以降始まった入門講座は、すでに4期を実施している。平成26年11月から翌3月まで6回開催された第3期、そして平成27年10月から始まった第4期と、参加者は常に30名ほどを数えているよう。加えて第3期より「入門ゼミナール」と題し、入門講座を受講して柳田國男や民俗学に関心を抱き、さらに一歩進んで自ら民俗を研究したいという人が、そのための素養、知識、方法を獲得することを目指す講座も始まっている。このゼミナールも入門講座に併せてすでに第2期を終えている(平成28年3月まで)。地域に研究者を育てたいという強い意図が汲み取れるが、その機関誌である『伊那民俗研究』や『伊那民俗』誌上にその成果が現れるには至っていない。とりわけ郷土研究の盛んな飯田下伊那地域を対象にした機関誌『伊那』は、毎年「民俗特集」を組んでいた一月号から、いよいよ平成28年1月においてその文字が消えた。研究所の目論見とは相反するこの地域の現状がうかがえる。もちろん会員でなければ投稿することはできないだろうが、こうしたところにも現代の研究者の傾向がうかがえる。複数の研究団体に入り、発表することで研鑽しようという気概は、過去のものというのが郷土史の現状なのだろうか。研究所では前野本寛一所長時代に盛んに行われていた民俗調査に変わって入門講座を企画しているが、いまだ会員それぞれの研究成果を発表するような場面を企画できていないのが実情で、今後に期待したい。なお、『伊那民俗』は100号を数え、野本寛一「民俗学―その責務の一端―」、福田アジオ「所報『伊那民俗』と紀要『伊那民俗研究』」、福澤昭司「これからの民俗学と伊那民俗学研究所への期待」、櫻井弘人「地域で民俗学がなすべきこと」など、「伊那谷民俗の課題と展望」と題した特集号を組んだ。
 長野県民俗の会では、『会報』37号と38号を、また『通信』245号~250号を発行している。『会報』37号では、月経や出産といった女性の生理現象を穢れとする観念を解消すべく法令を明治政府が出して、月小屋の習俗が多くの地域で衰退・消滅していったにもかかわらず、一部で戦後まで月小屋が残り、さらに産屋は月小屋以上に遅くまで残った点について着目し、衰退と消滅のプロセスを辿ることで月小屋および産屋は何のために存在したかについて論じた板橋春夫「月小屋・産屋をめぐる民俗思想―穢れ観の変容に注目して―」、安曇野市穂高有明の天蚕飼育の変遷と現状を報告し、群馬県中之条町で新たに始まっている天蚕の利用法を視野に入れながら衰退する天蚕飼育について考察し、安曇野市の特産品と紹介されながらも飼育の現状が地域で知られていないことや、天蚕センターの取組み方などについて問題提起する倉石あつ子「信州における天蚕飼育の現状―衰退とその問題―」、南佐久郡佐久穂町における民俗学実習に基づき、葬送儀礼の変容についてまとめ、簡略化の流れの中で消えていくもの、残っていくものについて整理し、その心性をとらえる必要性を指摘した石田航平ほか12名(筑波大学大学院教育研究科社会教育コース所属)「南佐久郡佐久穂町大日向地区における葬送儀礼の変容」など六編を収録。また『会報』38号では、民俗学史を振り返った上で、「大学を頂点とする民俗学再生産のあり方を、個人の主体的な使命感、問題意識、研究方法が生かせる民俗学に変化させ発達させていかなければいけない」と述べ、それが日本各地で民俗学を頑張っている個人や団体の進むべき方向だろうと説く福田アジオ「ポスト柳田から脱柳田―二一世紀民俗学の課題―」、茅野と横須賀という地方住民と都市住民との協力によって、横須賀で創造された御柱祭を報告した佐藤照美「横須賀で行われた御柱祭」、少子高齢化社会にあって民俗の伝承行為が難しくなる中、それでも伝承を止めまいと地域住民の工夫によって息を吹き返し、さらには地域を活性化している事例を富山県から報告した「富山県発の2010年代前半における現代民俗文化論―これからの少子高齢化社会にむけた民俗のあり方をめぐる冒険―」、成田祗園祭の山車・屋台巡行が「見せる」要素を取り入れて変化させることで観光化を図り、以前よりもむしろ盛んとなって現在行われていることを報告した市東真一「成田祇園祭における観光化の研究―先鋒の役割を中心に―」など「変化」や「創造」に着目したものを中心に六編を収録。いっぽう見学を中心に開催された5回の例会は、県内各地の特徴ある事象を掬い上げて企画され、それらは『通信』に参加報告として掲載された。このほか『通信』には、若手の研究姿勢を説くとともに、かつて「地域民俗学会とどう連携していくかが話題になった」ものの「今の日本民俗学会では、こうした課題と取り組む気配はなさそう」な状況に対して、「地域で民俗の研究にいそしみ、民俗学を支えている人達とどう向き合うかも日本民俗学会の課題だろう」と述べた松崎憲三「民俗学の現状への一言~研究姿勢、研究対象をめぐって~」(『通信』249)や、かつて「郷土研究」ともいわれ、「同郷人」の感覚が重視された日本民俗学において、「郷土」の意識が希薄化するなか、近年の民俗学界の動向を見ていると、民俗学研究者集団のヒエラルキーの頂点に自らを位置づけた若い研究者たちに、果たして「郷土」は存在するだろうか、とこれからの民俗学のあり方を展望した倉石忠彦「「故郷」の変質と、「郷土」の喪失―地方・故郷・地元・郷土―」(『通信』245)など、長野県に留まらず日本民俗学の課題を論じるものが目立った。
 信濃史学会は例年通り『信濃』1月号を民俗学特集号にあてており、甲府市で行われる信玄公祭りと甲州軍団出陣というイベントを、「形式感覚」という概念を用いて分析し、資源化され観光事業となった歴史や民俗を学問として扱おうと試みた及川祥平「祭礼的なる場における歴史表象と偉人表象―山梨県下の祭礼・イベントにおける状況を中心に―」、人が自然と付き合うときに、持続的かつ平等に利用するためのシステムをどうやって構築したか、割山制度の分析から明らかにした大楽和正「森林資源をめぐる共有と分配」、海浜部における戦後青年団の解体という近代史に重なるテーマを、団員の生業が異なることによる生活感覚の差異に着目して、民俗学の立場から明らかにしようとした関口知誠「戦後青年団の解体過程に関する一考察―徳島県牟岐町西浦地区の青年団を事例として―」を収録。編集後記で福澤昭司は、学としてエネルギーを失う民俗学は大きくは二つの方向が模索されていると述べ、一つは現代社会の人々の暮らしの中から歴史や変遷を読み取るという、従来の民俗学の方向に徹し、それができなくなったら学としての終焉を迎えるのも辞さないというもの。もう一つは歴史にこだわらず現代社会の人々の生き方あるいは資源化された民俗事象の利用の仕方、されかたなどを研究するという方向だと説く。
 上伊那郷土研究会は『伊那路』11月号を民俗特集にあてており、平成28年に御柱祭を控え、御柱を扱った田中清文「諏訪の御柱考⑴―陰陽五行思想から謎を解く―」、三浦孝美「伊那御柱の昔」や、目薬師と乳イチョウについて報告した中崎隆生「今泉のお薬師様とイチョウの樹」を収録。ほかに中崎隆生「引持(ひきじ)の「ことはじめの念仏」」(『伊那路』59-2)などがある。
 このほか平成27年度に発表された主だったものには、松本市を中心とした地域での2、30年前から現在に至る葬儀の変化を振り返って現状を述べ、葬儀の当事者、寺、葬祭業者それぞれの変化への対応を分析した福澤昭司「「葬儀」から「お別れ会」へ」(『国立歴史民俗博物館研究報告』191)、文化庁が過去に行った第二次民俗資料調査が有効活用されていないと指摘する倉石忠彦「埋もれている民俗調査資料―文化庁・第二次民俗資料緊急調査資料―」(『日本民俗学』284)、三遠南信地域のシカウチ神事について諏訪信仰との関わりを考え、日本人が鹿をどのようにみてきたかを探ろうとした櫻井弘人「三遠南信地域のシカウチ神事と諏訪信仰―鹿の霊性に寄せて―」(『伊那民俗研究』23)、安曇野の人々が考えていた「あの世」とはどんなところだったのか、満願寺の例を中心に探ろうとした逸見大悟「安曇野に残る「あの世」の風景―栗尾山満願寺を中心に」(『安積野市豊科郷土博物館紀要』2)などがある。
 刊行物では『長野県史』などにおいて民俗地図の先進的活用法を示した倉石忠彦による『民俗地図方法論』(岩田書院)が刊行された。倉石が示した地図の重ね合わせの手法は、民俗事象の分布に標高や年降水量といった地理情報を重ねたり、旧街道や旧藩領域を重ねたりし、地理的条件や歴史的環境が民俗事象といかに関係しているかをあぶり出すものだった。今やパソコンによる地図情報システムが当たり前のように利用されているにもかかわらず、民俗学ではパソコンによるデータ分析が進んでいないのが実態である。今後倉石の示した方法論を基に、『長野県史』で蓄積されたデータを民俗地図として表す作業が求められる。また、長野県民俗の会では、平成12年に刊行された『信州の石仏 北信編』(郷土出版社)の続編として予定されていたほか三地域の同シリーズが、出版社の都合で中止されたことを受け、自費出版の準備をしていたものがようやく一冊にまとめられ『長野県中・南部の石造物』(岩田書院)として刊行された。これに併せ、同会では例会において石造物に関する研究報告や見学が実施され、11月の総会では倉石忠彦“「道祖神」イメージの形成―石造物を中心に―”の記念講演が行われた。
 天龍村霜月神楽等資産化実行委員会は、飯田市美術博物館の協力を得て「天龍村の霜月神楽」のDVDによる記録保存事業を行い、集大成とも言える「坂部の冬祭り」「向方のお潔め祭り」「大河内の池大神社例祭」「坂部の年中行事」のDVDと、報告書『天龍村の霜月神楽』を刊行した。現在「新野の雪祭り」も同様に記録保存事業が実施されている。なお、同実行委員会主催による「民俗芸能の資産化と継承を考える」と題した同事業の報告を兼ねたシンポジウムが、3月13日から15日に天龍村で開催された。
 信濃町文化遺産を活用した地域活性化事業実行委員会は、中村家住宅を中心にした調査・研究・普及活動から、信州打刃物を活かした地域づくりにつなげる活動をしており、『信州打刃物の里に残る野鍛冶の家と道具―中村家住宅及び鍛冶資料調査報告書』を発行した。
 博物館企画展関係では、長野市立博物館において、善光寺の御開帳に併せて「信仰のみち~善光寺・戸隠・飯綱・小菅・斑尾・妙高~」と「狐にまつわる神々」の特別展を同時開催した。北陸新幹線延伸にちなみ、善光寺信仰においてかつて人々が信仰をもとめて歩んだ〝みち〟を辿り、北信濃から上越にかかる山岳地域で発祥した信仰の広がりを捉えたものと、善光寺の背後に鎮座する飯縄山で発祥したとされる飯綱信仰について、中世の多様な神仏習合像を通して飯綱権現像の秘密に迫ろうとするものであった。
 以上平成27年の民俗学関係の動向について概観してみたが、筆者の力量不足で未紹介の論考や活動も多いと思われる。不十分な点について心からお詫びしたい。なおその他の論考については、筆者のホームページ「民俗学への扉」を参照願いたい。また、長野県にかかわる民俗学関係の研究会・書籍情報・雑誌情報・新聞記事・展覧会・祭事を掲載したブログ「信濃民俗ノート」も参考にされたい。

以下に刊行物・著者・論文・報告等を一括して掲げる。

総論

  1. 講演要旨「民俗学入門講座第Ⅲ期 日本の民俗学-民俗学を築いた人びと 第2~4回」(『伊那民俗』100)
  2. 及川祥平「祭礼的なる場における歴史表象と偉人表象―山梨県下の祭礼・イベントにおける状況を中心に―」(『信濃』67-1)
  3. 岡安裕介「柳田国男から折口信夫へ受け継がれしもの―言語論的民俗学の展開―」(『伊那民俗研究』23)
  4. 折山邦彦「『信州随筆』と菅江真澄の縁地をたどる」(『伊那民俗』102)
  5. 倉石忠彦「ただ一言」(『山陰民俗研究』20)
  6. 倉石忠彦「「渋谷」の民俗学―賑わいを捉える―」(『都市民俗研究』20)
  7. 小森明里「博物館に寄贈される資料の性格」(『長野県民俗の会会報』37)
  8. 櫻井弘人「地域で民俗学がなすべきこと」(『伊那民俗』100)
  9. 櫻井弘人「柳田家と津具山崎家の交流-山崎家からの寄贈書簡-」(『伊那民俗』102)
  10. 櫻井弘人「野本寛一前所長の「文化功労者」表彰を祝う」(『伊那民俗』103)
  11. 杉本仁「財団法人民俗学研究所の解散の経緯と『柳田国男伝』の論述―酒井卯作氏の論稿に寄せて―」(『伊那民俗研究』23)
  12. 征矢野俊子「谷川健一先生の残したもの」(『長野県民俗の会会報』37)
  13. 高橋寛治「地域の今日的課題と民俗学」(『伊那民俗』100)
  14. 田中正明「財団法人民俗学研究所の軌跡―資料の確認を中心として―」(『伊那民俗研究』23)
  15. 野本寛一「民俗学-その責務の一端-」(『伊那民俗』100)
  16. 中田亮「富山県発の2010年代前半における現代民俗文化論―これからの少子高齢化社会に向けた民俗のあり方をめぐる冒険」(『長野県民俗の会会報』38)
  17. 福澤昭司「窪田空穂の随筆にみる民俗」(『長野県民俗の会会報』37)
  18. 福澤昭司「これからの民俗学と伊那民俗学研究所への期待」(『伊那民俗』100)
  19. 福田アジオ「ポスト柳田から脱柳田―二一世紀民俗学の課題―」(『長野県民俗の会会報』38)
  20. 福田アジオ「所報『伊那民俗』と紀要『伊那民俗研究』」(『伊那民俗』100)
  21. 福田アジオ所長講演要旨「民俗学入門講座第Ⅳ期 柳田国男の民俗学・その仮説を学ぶ 第1・2回」(『伊那民俗』103)
  22. 松上清志「伊那谷から「野の学」の発信を」(『伊那民俗』100)
  23. 吉田保晴「伊那谷の鷹狩り-民俗の窓を通して(23)-」(『伊那路』699)

衣生活・食生活・住居

  1. 橋都正「明治生まれの女性の野良着」(『伊那』1040)
  2. 木下美奈子「私と藤糸との出会い~藤姫伝説に導かれて~」(『伊那民俗』103)
  3. 松上清志「忘れられた民具は語る-「サネクリ」を通して-」(『伊那』1040)
  4. 松澤英男「「深見の池」と地域の人々のくらし(2)」(『伊那』1042)

生業生産

  1. 倉石あつ子「信州における山蚕飼育の現状―衰退とその問題―」(『長野県民俗の会会報』37)
  2. 宮本尚子「俳画 農耕図屏風に見る安曇野の米作り」(『民具マンスリー』48-4)
  3. 吉川節子「徒弟制度の中で生き」(『伊那』1044)

交通交易

  1. 小野沢誠「高度経済成長へ向かう頃の竹原」(『高井』181)

社会生活

  1. 大楽和正「森林資源をめぐる共有と分配」(『信濃』67-1)
  2. 山本勝「神社総代一年の仕事-箕輪町南宮神社の場合-」(『伊那路』698)

信仰

  1. 阿部敏明「竹原区荒川組の観音講と堂(一)」(『高井』193)
  2. 岡田正彦「南信州の十王信仰と十王堂(中の二)」(『伊那』1045)
  3. 小原稔「長野県松本市蟻ケ崎犬飼山御嶽神社の祭り」(『長野県民俗の会会報』38)
  4. 小山丈夫「飯綱信仰について」(『高井』191)
  5. 櫻井弘人「三遠南信地域のシカウチ神事と諏訪信仰―鹿の霊性に寄せて―」(『伊那民俗研究』23)
  6. 佐藤照美「横須賀で行われた御柱祭」(『長野県民俗の会会報』38)
  7. 塩澤一郎「古地図からみる秋葉寺奥の院」(『伊那民俗』103)
  8. 杉崎満寿雄「風祭り-風神・風切鎌・薙鎌」(『あしなか』303)
  9. 田中清文「諏訪の御柱(1)―陰陽五行思想から謎を解く―」(『伊那路』706)
  10. 田中清文「諏訪の御柱(2)―陰陽五行思想から謎を解く―」(『伊那路』707)
  11. 中崎隆生「今泉のお薬師様とイチョウの樹」(『伊那路』706)

人の一生

  1. 石川航平・尾形幸輝・窪庭勇輝・齋藤琴音・齋藤隆宏・高橋信博・高畑啓一・永池航太郎・林裕行・藤原尚哉・横木星・米田陸王・和田麦彦「南佐久郡佐久穂町大日向地区における葬送儀礼の変容」(『長野県民俗の会会報』37)
  2. 板橋春夫「月小屋・産屋をめぐる民俗思想―穢れ観の変容に注目して―」(『長野県民俗の会会報』37)
  3. 小野明里「平成二五年度総会報告1」(『長野県民俗の会通信』239)
  4. 関口知識「戦後青年団の解体過程に関する一考察―徳島県牟岐町西浦地区の青年団を事例として―」(『信濃』67-1)
  5. 福澤昭司「「儀礼」から「お別れ会」へ―松本市近辺の葬儀の変化」(『国立歴史民俗博物館研究報告』191)

年中行事

  1. 中崎隆生「引持(ひきじ)の「ことはじめの念仏」」(『伊那路』697)

民俗芸能

  1. 大原千和喜「思い出の天龍河原」(『伊那』1040)
  2. 小林淳男「木島平村のからす踊り」(『高井』193)
  3. 市東真一「成田祇園祭における観光化の研究―先鋒の役割を中心に―」(『長野県民俗の会会報』38)
  4. 竹渕修二「わらべ歌に使われている音について」(『伊那路』698)
  5. 三石稔「「獅子切り」覚書」(『長野県民俗の会会報』38)

方言

  1. 井上伸児「消えていくことばの文化(その21・最終回)「とぶ」「うら」」(『伊那』1045)
  2. 吉田保晴「伊那谷のキセキレイ-民俗の窓を通して(24)-」(『伊那路』701)

民俗誌

  1. 片桐みどり「戦前の飯田町の賑わい-馬場千里さんの子供時代その2-」(『伊那民俗』102)

書評・書誌紹介

  1. 今井啓『ことばにつながる故郷 上久堅』編集・発行 上久堅公民館・上久堅を学ぶ会(『伊那民俗』102)