平成24年長野県民俗学研究動向

 この研究動向は、信濃史学会『信濃』第67巻第6号隣県特集号「長野県地方史研究の動向」より、民俗学関係について転載しています。研究動向の執筆は三石稔(本HP管理者)。なお、著書論文一覧については、HP管理者が作成している。

 平成24年の動向では、近年調査報告書を毎年発行し成果を上げてきていた柳田國男記念伊那民俗学研究所の所長が、野本寛一から福田アジオに交替されたことが大きい。なぜならば、近年同研究所の所長の動向が長野県内の民俗学研究に少なからず影響を与えていたからだ。たとえば野本はこれを機会に飯田を訪れる機会が増え、多くの研究者を民俗調査に導いたとともに、自らも調査において多くの事例をすくい上げてきた。そして必ず報告書を発行して地域に還元することを実践した。しかし『遠山谷北部の民俗』(平成21年)の発行におけるトラブルを機に、執筆することの難しさを研究者が身を持って学ぶことになり、いっぽうで執筆することへの不安感か、活動に陰りが見えかけてきていた。そんななか三代目福田はそれまでの所長とは違った課題を提示した。一つは他に例を見ない研究所という建物を持った研究会であるという恵まれた環境の有効利用である。「柳田國男館の1階の広間は、先輩方の努力によって、部屋の周囲の天井まで届く書架に柳田國男の著書、民俗学の専門書が配架され、かつての書庫としての雰囲気を醸し出している。しかし、それを会員や市民が利用する形になっていない」(『伊那民俗』20)と述べ、「研究所」と看板を掲げている以上、その実践的利用展開を求めた。二つ目として紀要の構成である。会員とりわけ地元会員の発表論文が極めて少ないことを指摘する。前述した報告書のトラブルの経験からか、研究所報である『伊那民俗』の執筆者が固定化するとともに、紀要である『伊那民俗研究』に至っては講演会録がほとんどを占める。何より民俗学関係の図書を所蔵している図書館としてみれば、柳田館を超えるものは、県内において他に例を見ない。図書に関しては、長年にわたり長野県民俗の会が多くの受贈図書を所有してきているが、その蔵書一覧はなく、閲覧可能な状態ではない。恵まれた環境を会員のみならず、県民の多くに開放していく展開を望むところである。
 そのほか例年と同様、各研究団体の活動を中心に行われたが、研究成果である論文の減少は否めない。例年1号を民俗特集として組んでいる『伊那』や『伊那路』において、特集号を組みながら民俗系の論文とは言い難い論考が目立ち、特集号が構成できなくなるのではないかという危惧さえうかがえる。こうしたなか福澤昭司は「これからの民俗学」(『長野県民俗の会通信』(以下『通信』)228)において「ひところは、黄昏の民俗学だの民俗学の落日だのといわれ、民俗学の衰退を嘆く論調がみられたものである。ところが、今やその域をはるかに通り過ぎ、個々が黙って狭い専門分野に閉じこもったり、過去の資料を適当に操作したりする研究が多くなった。」と述べ、「そもそも民俗学とは、何を研究対象として何をめざした学問だったのだろうか」と研究者の悩みを代弁している。日本民俗学会が現在何を研究対象にしているかについて、学会の研究発表の傾向から分析しながら、結局地方在住の研究者が進むべき方向を見つけられずにおり、それを導くのは「この学問で食べている研究者の未来へ向けた責任」ではないかと指摘する。
 翌平成25年には、福田アジオによる民俗学講座が柳田國男記念伊那民俗学研究所で始まり、地元である飯田下伊那周辺にとどまらず、県外からも受講者が集うほどの盛況という。ポスト柳田、脱柳田を掲げる福田アジオという看板を目当てに集う研究者もいるようだが、所長就任後の課題をこの地の研究者が消化し、次段階に臨めるかはこれからの活動如何ともいえる。こうして現在の長野県における民俗学は飯田周辺に活況をみるわけであるが、平成24年には「遠山霜月祭」に関わる長年の各種成果が認められ、櫻井弘人が民俗芸能学会大会において本田安次特別賞を受賞した。飯田市美術博物館という環境の整った中で民俗芸能の資料保存に取り組んだ行政と、遠山常民大学という後ろ盾が整っていたことにもよるだろう。翌平成25年10月19日から3日間、民俗芸能学会大会が、その飯田市美術博物館を会場に開催された。
 飯田市美術博物館の民俗芸能の映像化の成果は、民俗芸能の継続が困難ななか、貴重な資料保存の方法を示したものであるが、同じ映像化という方法では、伊那市にある井上井月顕彰会とヴィジュアルフォークロア共同の成果もあげられる。上伊那郡下に伝わる年中行事や民俗芸能を四年にわたって収録し、「上伊那の祭りと行事30選」としてまとめたもので、NPO法人科学映像館においてウェブ上に公開されている。また平成24年11月3日から2日間にわたって上伊那広域連合の主催で「上伊那の祭りと行事30選映像の祭典」が開催されている。
 平成24年に発表された論考の傾向を見ると、近年の傾向通り信仰に関するものが多い。長野県民俗の会平成23年度総会の講演録である牧野眞一「木曽御獄講の展開―長野市と関東地方の事例から―」(『長野県民俗の会会報』(以下『会報』)33)や例会を中心に会員の多くが関わって調査しまとめられた木下守「女鳥羽山の石造物調査」(『会報』33)は、いずれも御獄講関連のものである。『日本の石仏』143号(日本石仏協会)は「彩色と石仏」を特集し、石田益雄「安曇野の道祖神彩色碑について」、窪田雅之「信州筑摩野の彩色道祖神碑について」は道祖神の彩色習俗の理由について考察している。倉石忠彦「長野県の「風除け」習俗―民俗地図を資料として―」(『会報』33)は、民俗地図を作成するにあたっては県史や市史といった各種報告書などを活用しなければ効果的なものにならいが、そのデータベースの作成が必要であることを指摘する。また松崎憲三「生命感の変化に関する覚書~「循環的生命観」から「直線的生命観」へ~」(『会報』33)は、家のあり方が変容する中で生命観が変化をする背景を先行研究から覚書としてまとめたものである。『伊那』や『伊那路』から民俗に関する論考が減る中、『高井』181号(高井地方史研究会)は「高度経済成長期前のくらし」を特集し、衣食住を中心に多くの事例を報告している。
 県内の研究団体をリードしてきたともいえる長野県民俗の会は、会報発行の遅れがここ数年の活動の負い目となっていた。会報34号は平成24年の暮れに発行されたが、本来は平成23年に発行されるべきものであった。同号の特集「長野県民俗の会四○周年によせて」において福田アジオは、「今日、民俗学が回復すべきものの一つは、民俗を対象として形式的に把握するのではなく、民俗を担う人びとの実感とともに総体としてとらえ記述する方法である。そして、それを分析する二一世紀に相応しい方法を開拓することである。それは長野県から、『会報』から始まる。」(「長野県から日本の民俗学へ」)と励ましとも思える論考を寄せているものの、40周年から2年遅れで会員に届くという残念な結果でもあった。

以下に刊行物・著者・論文・報告等を一括して掲げる。

総論

  1. 長沢武『野外植物民俗事苑』(ほおずき書籍)
  2. 今井啓「飯田の寺町と仏教会」(『伊那民俗』91)
  3. 春日藤彦「伊那市美篶下県の地域性を考える」(『伊那路』663)
  4. 北川稔夫「知らなかった伊那谷の思想史」(『伊那民俗』91)
  5. 高橋寛治「福田アジオ新所長と歩む、民俗学の発信基地へ」(『伊那民俗』89)
  6. 楯英雄「木曽開田高原における戦後の女性の短歌に見る厳しい農業と詩人尾崎喜八の開田高原の詩の風景」(『長野県民俗の会会報』33)
  7. 野本寛一「徒めぐりの断想」(『伊那民俗』89)
  8. 福澤昭司「これからの民俗学」(『長野県民俗の会通信』228)
  9. 細井雄次郎・三上光一「明治一四年の鎮守の森の姿」(『長野県民俗の会通信』232)
  10. 細井雄次郎「長野県地方史研究の動向 民俗学関係」(『信濃』64-6)
  11. 和田憲「産業組合に対する森本州平と柳田國男の思い」(『伊那民俗』89)

衣生活・食生活・住居

  1. 大竹京子「戦時中の服装について」(『高井』181)
  2. 鎮目信子「昭和初期の衣服の思い出」(『高井』181)
  3. 下田あや子「暮らしと衣服」(『高井』181)
  4. 竹内昭江「衣食足りて」(『高井』181)
  5. 片桐静雄「飯山地方のおもてなし料理」(『高井』181)
  6. 神村透「売木村のハレの食べ物・秋の仕事-昭和35年の記録-」(『伊那』1004)
  7. 児玉要「母に教わったお煮かけうどんと十日夜」(『高井』181)
  8. 小林きみ子「みそやま」(『高井』181)
  9. 高野勝子「私の子供のころ」(『高井』181)
  10. 都筑弘文「戦時中の食について」(『高井』181)
  11. 土屋誠之「学生時代を想う」(『高井』181)
  12. 依田時子「擂り初めと七草きざみ」(『伊那』1004)
  13. 石澤昭平「非化学肥料時代の臭気流漂懐想記」(『高井』181)
  14. 小林紀夫「六〇年前の我が家のくらし」(『高井』181)
  15. 島田博文「矢垂の共同浴場」(『高井』181)
  16. 武田富夫「高度成長前の農家のつくりとくらし」(『高井』181)
  17. 田中毅「お勝手」(『高井』181)
  18. 町田親穂「井上家の間取り」(『高井』181)
  19. 柳沢萬壽雄「「水」と「トイレ」の思い出」(『高井』181)
  20. 若林徹男「野菜の冬囲い」(『伊那路』660)
  21. 若林徹男「昔も節電?」(『伊那路』664)

生業生産

  1. 今村眞直「伊那谷の養蚕・製糸-蚕と絹の記念資料館を-」(『伊那』1004)
  2. 岩崎由紀夫「わくわくした家畜や小動物とのふれあい~昭和三〇年(一九九五)代~」(『高井』181)
  3. 関孝一「秋山郷の漁師と洞窟」(『高井』180)
  4. 寺田一雄「飯田の染物業 大王路 矢野貞さんに聞く」(『伊那』1004)
  5. 徳永泰男「農家の暮しを支えた家畜」(『高井』181)
  6. 服部比呂美「水引業を支えた内職-飯田・上飯田の民俗調査から-」(『伊那民俗』88)
  7. 松上清志「「サネクリ」-綿繰器-」(『伊那民俗』88)
  8. 三澤政博「高社山へボヤ(たきもの)採りに」(『高井』181)
  9. 若林徹男「大足」(『伊那路』665)
  10. 若林徹男「南瓜」(『伊那路』668)
  11. 若林徹男「一粒の米」(『伊那路』670)

交通交易

  1. 臼井ひろみ「馬に関する話」(『長野県民俗の会通信』231)
  2. 小野沢誠「高度経済成長へ向かう頃の竹原」(『高井』181)
  3. 直井雅尚「「松本へ行く」」(『長野県民俗の会通信』228)

社会生活

  1. 中崎隆生「伊那市竜東地区のジルイ(地類)の話」(『伊那路』660)
  2. 若林徹男「雪かき(除雪)」(『伊那路』662)

信仰

  1. 石沢昭平「蓮の二十三夜塔」(『高井』180)
  2. 石田益雄「安曇野の道祖神彩色碑について」(『日本の石仏』143)
  3. 木下守「女鳥羽山の石像物調査」(『長野県民俗の会会報』33)
  4. 木下守「二つの念仏寺-弾誓派念仏道場の変遷-」(『長野県民俗の会通信』227)
  5. 木下守「念来寺の起源-史実と伝承のはざまで-」(『長野県民俗の会通信』228)
  6. 木下守「岡田向山御獄神社とその周辺」(『長野県民俗の会通信』231)
  7. 草間美登「信州安曇野沿革の奇跡伝承地名攷(上)」(『信濃』64-1)
  8. 草間美登「信州安曇野沿革の奇跡伝承地名攷(中)」(『信濃』64-2)
  9. 窪田雅之「信州筑摩野の彩色道祖神碑について」(『日本の石仏』143)
  10. 小林義和「馬乗り馬頭観音をたずねて」(『高井』180)
  11. 田川幸生「建て御柱とお休み御柱・御神紋梶ノ葉」-中野市・山ノ内町・小布施町の例-」(『高井』180)
  12. 田中英雄「東国の山岳にみる蔵王権現」(『日本の石仏』144)
  13. 中上敬一「蔵王権現と役行者」(『日本の石仏』144)
  14. 平出一治「八ヶ岳山麓の橋供養塔-甲信国境」(『日本の石仏』144)
  15. 平出一治「原村の道祖神」(『茅野』77)
  16. 細井雄次郎「長野市内の絵馬について」(『長野』282)
  17. 細井雄次郎「庶民信仰の受容と変容~県内の大山石尊信仰の事例として~」(『須高』75)
  18. 牧野眞一「木曽御獄講の展開~長野市と関東地方の事例から~」(『長野県民俗の会会報』33)
  19. 松家晋「十文字峠越えと一里観音-武州・栃本から信州・梓山へ-」(『あしなか』195・196)
  20. 若林徹男「千社参り」(『伊那路』666)
  21. 脇田雅彦「木曽・開田村の馬頭観世音さま」(『あしなか』195・196)

民俗知識

  1. 橋都正「木マモリ・コモリ柿」(『伊那』1004)
  2. 宮下英美「北信濃の垂れ桜を訪ねて」(『伊那民俗』89)
  3. 吉田保晴「伊那谷のカラス-民俗の窓を通して(17)-」(『伊那路』665)

人の一生

  1. 尾崎行也「幕末上田城下町取究にみる冠婚葬祭」(『上田盆地』41)
  2. 北原明「地方における青年会の歴史とその意義-伊那市手良地区を中心にして-」(『伊那路』669)
  3. 北原明「地方における青年会の歴史とその意義(2)-伊那市手良地区を中心にして-」(『伊那路』670)
  4. 酒井もとる「位牌分けについて」(『上田盆地』41)
  5. 佐々木清司「明治期の不幸法事諸控帳をよむ」(『上田盆地』41)
  6. 浜野安則「牛伏寺の厄除行事と厄年信仰」(『信濃』64-1)
  7. 益子輝之「葬礼の食」(『上田盆地』41)
  8. 松崎憲三「生命観の変化に関する覚書~「循環的生命観」から「直進的生命観」へ~」(『長野県民俗の会会報』33)
  9. 丸田ハツ子・宮澤かほる「民俗談話会「お葬式を語る」のまとめ」(『上田盆地』41)

年中行事

  1. 臼井ひろみ「穂高のあめ市~今昔の様相~」(『長野県民俗の会通信』231)
  2. 折山邦彦「「青へぼの木」の現在」(『伊那民俗』91)
  3. 片桐みどり「雛の節句いろいろ」(『伊那民俗』88)
  4. 倉石忠彦「長野県の「風除け」習俗-民俗地図を資料として-」(『長野県民俗の会会報』33)
  5. 高野邑「小正月飾り」(『伊那』1004)

民俗芸能

  1. 藤沢好文「私が育った頃のふるさと」(『高井』181)
  2. 丸谷文男「草間千石への歩みの中で生れ今も息づく祭り文化を考える」(『高井』180)
  3. 若林徹男「橇遊び(滑り台)」(『伊那路』661)
  4. 若林徹男「祭り」(『伊那路』669)

口頭伝承

  1. 北原いずみ「巫女の墓・甲賀三郎伝説・小泉小太郎伝説の地を訪ねて」(『伊那民俗』88)

方 言

  1. 井上伸児「消えていくことばの文化(その18) 『物類稱呼』と『下伊那方言集』(その2)」(『伊那』1006)
  2. 井上伸児「消えていくことばの文化(その20)-「オカメス」(メダカ)」(『伊那』1012)
  3. 吉田保晴「伊那谷のホオジロ類-民俗の窓を通して(15)-」(『伊那路』661)
  4. 吉田保晴「伊那谷のノスリ-民俗の窓を通して(16)-」(『伊那路』663)

民俗誌

  1. 伊藤修「中川村桑原漆ケ窪の民俗」(『伊那路』669)
  2. 大原千和喜「天竜川左岸の川筋に暮らす人々と竹薮」(『伊那』1004)
  3. 樋口春雄「町のまん中の川」(『高井』181)
  4. 宮崎辰昭「自給自足の薪や炭」(『高井』181)