平成22年長野県民俗学研究動向
この研究動向は、信濃史学会『信濃』第63巻第6号隣県特集号「長野県地方史研究の動向」より、民俗学関係について転載しています。研究動向の執筆は細井雄次郎氏(長野市)。なお、著書論文一覧については、HP管理者が作成している。
平成22年は諏訪大社の御柱祭の年にあたり、諏訪は多くの人で賑わったが、県内の諏訪系統の神社でも諏訪大社に倣い御柱祭が行われた。この各地の御柱祭の実態についてはここ数年になって注目されるようになってきている。伊那史学会は『伊那』982号を御柱祭特集にあて、伊那谷の諏訪系統の神社で行われる御柱祭の様子について各会員からの報告を載せている。また『長野県民俗の会通信』218号では内山大介が小海町松原にある諏方神社の御柱祭の様子について報告している(「松原諏方神社と御柱祭」)。そのほか伊那市の御柱祭について報告した「北福地の御柱祭」登内孝(『伊那路』54-10)は諏訪杜の御柱祭に対する地区の取り組みについて、それまで神社総代や区の役員の限られた人数で行ってきた御柱祭が、平成10年の御柱祭を契機に住民参加の祭りとして位置づけられ、回を重ねるごとに盛大になっている様子を述べており興味深い。伝統的な祭礼や行事の規模が縮小あるいは簡略化される傾向にある現代において、御柱祭は住民を巻き込んで盛大になる傾向がみられる。
このほか論考報告の多かったのは信仰に関する分野である。「諏訪形の厄神除け」三石稔(『長野県民俗の会会報』31)は、松川町諏訪形集落で行われる厄神除けと呼ばれるミチキリの習俗を事例に、県内の厄神除けの習俗を概観しなから、ミチキリの習俗の意味について考察している。夏目琢史の「縁結びと縁切り」(『信浪』62-1)は縁切りという俗信の構造、発生過程を縁結びの俗信や道祖神の機能との関係から考察したもの。木下守「あめ市再考」(『長野県民俗の会通信』215)は池田町のあめ市でみられる、市神様を運ぶ白装束に覆面の子どもたちの姿が、正月の来訪神あるいは神に仕える者を象徴していることを、全国の民俗事例や近世の記録等から考察したもの。木下にはこのほか、松本平のお船祭りの際にみられるオフリョウと呼ばれる神事について考察した「松本平の「オフリョウ」神事の覚え」(『長野県民俗の会通信』217)がある。このほか地域における信仰の様子について、松本地域の古峯信仰について報告した「古峯信仰の流行について」木下守(『長野県民俗の会通信』216)、伊那市内の産泰宮と産泰講の様子について報告している宮原達明の「伊那の子安信仰」(『伊那路』54-10)、高遠町水上集落に伝えられている妙見講の由来と講の内容について報告している「奥高遠の妙見講」矢島太郎(『伊那路』54-10)、千曲市屋代地域の神社について概説している「屋代地域の神社信仰」中島正利(『長野県民俗の会会報』31)などがある。このほか上田民俗研究会は『上田盆地』40号で巫女の活動について特集を組み、江戸時代祢津村(東郷市)を本拠地としていたノノウと呼ばれる歩き巫女について、これまでの研究成果をまとめた石川好一の「祢津の歩き巫女」、同じく近世、上田市伊勢山地区で活動していた神事舞太夫と梓神子の様子について報告した宮沢裕紀子の「上田地方の神子たち」、古典芸能の中に登場する巫女について、そこに括写された姿から巫女の性格を考察した益子輝之の「芸能に登場する巫女」を載せている。つづいて民俗芸能の分野に目を移すと、「越後の「灯籠押し」-下越地方における灯籠風流の展開-」三田村佳子(『信濃』62-1)は、新潟県下越地方にみられる、大型の灯籠を用いて押し合いを行う「灯籠押し」と呼ばれる祭礼風流について紹介し、その伝播の経路について、中世末頃より京都で流行した風流灯籠が、近世になり北前船の発展で栄えたこの地方に物流とともに流入したと考察している。また、さらにそれが形を変えながら長野などの内陸部に伝播したとしている。伊藤友久の「画家須山計一が描いた疎開地「信濃の祭」」(『長野県民俗の会会報』31)は戦時中に長野に疎開した画家須山計一が見た当時の信州の祭礼風景について、彼が作画を担当した昭和22年刊の『信濃の祭』を通して考察したもの。久保田安正の「操座元市村伝七の伊豆木上演」(『伊那』980)は伊豆木小笠原家の御用日記に見られる淡路の人形師の伊那谷での興行の様子について報告している。
生業の分野では、秋山郷の木地師の活動について報告した楯英雄の「信州の秘境秋山郷の文献目録の作成」(『長野県民俗の会会報』31)や、阿南町の明治期における馬生産と馬市場の活況の様子を古文書や統計資料などを用いて報告した「阿南町新野における近世~明治期の馬生産と馬市場」塩澤元広(『伊那』984)などがある。
このほか民具関係で、日本のあかり博物館が所蔵する400点ものあんどん皿資料について、その主要生産地、装飾性といった点から紹介している見波瑞紀の「あんどん皿」(『信濃』62-1)、年中行事ではワラデッポウの行事の北関東における分布を、民俗地図を用いて考察した三輪京子の「北関東におけるワラデッポウ」(『信濃』62-1)、交易では松本市内で売られる七夕人形の製造販売の起源と歴史について、地元の人形店からの聞き書きをもとに考察した木下守・中村慎吾の「七夕人形の製造販売」(『長野県民俗の会会報』31)、口承文芸では上小地方に伝わる小泉小太郎伝説と、武相・佐久郡に広がる源平合戦の武将畠山重忠にまつわる伝承との共通性、その相互の関係について考察した柳沢賢二の「小泉小太郎と畠山重忠」(『千曲』143)などがある。また倉石忠彦「「道祖神」演歌論覚書」(『長野県民俗の会通信』217)は社会における道祖神のあり方を、高い芸術性を有するクラシックなどの音楽に対する演歌のあり方との共通項から考察したユニークな論考である。このほか比較民俗の観点から倉石あつ子が『長野県民俗の会通信』誌上に韓国の民俗事例を報告している。(「韓国仮面劇鑑賞記」(『長野県民俗の会通信』218・219)、「韓国における男根崇拝」(『長野県民俗の会通信』220)
最後に刊行物についてみてみる。この年、宮本袈裟雄氏の著作が岩田書院から相次いで3冊出された。宮本氏は長野市出身の民俗学者で、特に山岳修験の研究者として知られているが、平成20年12月に急逝された。3冊の本は氏と交友のあった研究者や教え子によって刊行されたものである。1冊目の『里修験の研究』は昭和59年に出された氏の代表作の復刻版。2冊目は『里修験の研究 続』で、『里修験の研究』刊行以降、氏が発表された山岳信仰、修験関係の論考をまとめたものである。本書には長野県の山岳信仰に関する論考も収められている。最後の3冊目は『被差別部落の民俗』である。山岳修験の研究者として知られる官本氏であるが、一方で現代の社会問題に対する民俗学のアプローチの一つとして、被差別部落を対象とした民俗調査の重要性を説いている。この著作は氏が関わってこられた被差別部落の民俗調査をまとめたものである。このなかで氏は被差別部落の調査研究においては、調査者は自らの調査を被差別部落の人々の解放に役立つものとしなくてはならないし、少なくともそうした意識を明確にしなければならないとし、なぜならそれは常にその成果が差別の再生産に利用される危険性をはらんでいるためであると述べている。近年、民俗学がどのように社会に貢献できるのかについて議論されているが、その際に研究成果を利用される研究者は、自分の研究が社会に及ぼす影響についてどのような責任を負うのか、そのことについての議論はどれくらいされているのだろうか。そのようなことを考えさせられるものである。このほか刊行物では倉石忠彦氏の古希を記念して刊行された、氏の教え子や研究者仲間による論文集『民俗文化の探求』(岩田書院)がある。
以上平成22年の民俗の動向について概観してみた。筆者の力量不足で紹介できなかった文献については、本会会員の三石稔氏のHPを参照願いたい。本稿の執筆にあたっても三石氏の文献リストを参考にさせていただいた。ここに記して感謝申し上げる。
以下に刊行物・著者・論文・報告等を一括して掲げる。
総論
- 谷口貢・鈴木明子編『民俗文化の探求』倉石忠彦先生古稀記念論文集(岩田書院)
- 小田富英「柳田民俗学と教育現場の蜜月は再来するか」(『伊那民俗』81)
- 片桐みどり「飯田柳田國男研究会」(常民大学合同研究会編/岩田書院)
- 倉石忠彦「民俗学とインターネット情報覚書き」(『都市民俗研究』16)
- 高橋寛治「『野草雑記』と柳田国男の書簡」(『伊那民俗』80)
- 高橋寛治「(第25回常民大学合同研究会)基調提案」(常民大学合同研究会編/岩田書院)
- 楯英雄「信州の秘境秋山郷の文献目録の作成」(『長野県民俗の会会報』31)
- 野本寛一「民俗学の座標」(『伊那民俗』80)
- 野本寛一「遠山谷から日本を見る-民俗の学びを緒として-」(常民大学合同研究会編/岩田書院)
- 針間道夫「遠山に生きる」(常民大学合同研究会編/岩田書院)
- 針間道夫「遠山常民大学」(常民大学合同研究会編/岩田書院)
- 福澤昭司「葉書でつぶやく」
- 細井雄次郎「長野県地方史研究の動向(民俗関係)」(『信濃』62-6)
衣生活・食生活・住居
- 小原稔「スガレを追う人」(『長野県民俗の会通信』217)
- 見波瑞紀「あんどん皿」(『信濃』62-1)
生業生産
- 日本木地師学会編『信州秋山郷木鉢の民俗』川辺書林
- 寺田一雄「遠山谷の炭焼」(『伊那民俗』80)
交通交易
- 木下守・中村慎吾「七夕人形の製造販売」(『長野県民俗の会会報』31)
社会生活
- 今井啓「須沢集落の社会的変遷」(『伊那民俗』83)
- 登内孝「北福地の御柱祭-住民総参加へのあゆみ-」(『伊那路』645)
- 福澤昭司「親子心中と虐待」(『長野県民俗の会通信』219)
信仰
- 伊那史学会「各神社の御柱祭(松川町・高森町・飯田市・阿智村・平谷村・根羽村・大鹿村・喬木村・豊丘村」(『伊那』992)
- 寺田鎮子・鷲尾徹太『諏訪明神 カミ信仰の原像』岩田書院
- 阿部敏明「西間神社の御柱祭」(『長野』170)
- 今井啓「伊那谷の御柱祭とその起源説」」(『伊那民俗』80)
- 大原千和喜「祭りの今昔―龍江瑞相山紅雲寺」(『伊那』980)
- 小原稔「松本市島内青島の藤(富士)塚について」(『長野県民俗の会通信』216)
- 小原稔「閻魔大王とエンマコオロギ」(『長野県民俗の会通信』220)
- 木下守「古峯信仰の流行について」(『長野県民俗の会通信』216)
- 木下守「松本平の「オフリョウ」神事の覚え」(『長野県民俗の会通信』217)
- 窪田雅之「個人建立の道祖神碑について(1)」(『長野県民俗の会通信』217)
- 倉石あつ子「韓国における男根崇拝」(『長野県民俗の会通信』220)
- 倉石忠彦「「道祖神」演歌論覚書」(『長野県民俗の会通信』217)
- 中島悦子「柳田国男の『信州随筆』研究19 「御頭の木」薙鎌とは何か」『伊那民俗』83)
- 中島正利「屋代地域の神社信仰」(『長野県民俗の会会報』31)
- 中村慎吾「第一六九回例会のこと」(『長野県民俗の会通信』216)
- 夏目琢史「縁結びと縁切り―長野県内の「縁切り信仰」の事例を中心に―」(『信濃』62-1)
- 棚田芳雄「蚕玉様信仰についての思い」(『伊那』991)
- 浜野安則「長野県中信地区の中世石造物―石塔から見えてくる信仰と文化―」(『信濃』62-1)
- 原幸夫「『明治大正史世相篇』第12章「貧と病」読んで」(『伊那民俗』81)
- 原田望「飯田・下伊那の御柱祭」(『伊那』992)
- 三石稔「諏訪形の厄神除け」(『長野県民俗の会会報』31)
- 宮原達明「伊那の子安信仰」(『伊那路』645)
- 矢島太郎「奥高遠の妙見講」(『伊那路』645)
- 山内尚巳「諏訪大社と御柱祭」(『伊那』992)
- 山内尚巳「御柱祭あれこれ」(『伊那』992)
民俗知識
- 赤羽篤「かんじよりと千枚通し」(『伊那』980)
人の一生
- 今村善興「江戸時代子どもの病気と願掛け」(『伊那』980)
- 加藤真那生「区有林と戦時下の青少年時代」(『伊那』980)
年中行事
- 池内朝雄「芦野尻の道祖神祭り」(『文化財信濃』138)
- 神村透「下市田はホンヤリ、木曽宮越はサイノカミ―正月の門松おさめ―」(『伊那』980)
- 北原いずみ「遠山谷の小正月行事」(常民大学合同研究会編/岩田書院)
- 木下守「あめ市再考―池田町の事例を手掛かりとして―」(『長野県民俗の会通信』215)
- 清野大吉郎「飯田町のどんど焼き」(『伊那』980)
- 三輪京子「北関東におけるワラデッポウ―叩き棒の名称の分布と素材・用途の分布について―」(『信濃』62-1)
- 依田時子「飯田町、昭和初期のお正月」(『伊那』980)
民俗芸能
- 文化庁文化財部伝統文化課『「下伊那のかけ踊」調査報告書』
- 伊藤友久「画家須山計一が描いた疎開地「信濃の祭」」(『長野県民俗の会会報』31)
- 内山大介「松原諏訪神社と御柱祭」(『長野県民俗の会通信』218)
- 久保田安正「操座元市村伝七の伊豆木上演」(『伊那』980)
- 倉石あつ子「韓国 仮面劇鑑賞記(一)」(『長野県民俗の会通信』218)
- 倉石あつ子「韓国 仮面劇鑑賞記(二)」(『長野県民俗の会通信』219)
- 櫻井弘人「知久町一丁目の本屋台」(『伊那』981)
- 櫻井弘人「飯田松尾町一丁目の大獅子」(『伊那民俗』82)
- 櫻井弘人「遠山霜月祭の調査研究-後藤総一郎先生の宿題と今後の課題-」(常民大学合同研究会編/岩田書院)
- 桜井弘人「遠山霜月祭(和田)の「踏みならしの舞」」(『伊那』991)
- 三田村佳子「越後の「灯籠押し」―下越地方における灯籠風流の展開―」(『信濃』62-1)
- 百瀬将明「第一七六回例会に参加して」(『長野県民俗の会通信』215)
口頭伝承
- 吉田保晴「伊那谷のモズの仲間とヒバリ-民俗の窓を通して(6)-」(『伊那路』636)
- 吉田保晴「伊那谷のカワラヒワ-民俗の窓を通して(8)-」(『伊那路』646)
方 言
地 名
民俗誌
- 宮本袈裟雄『被差別部落の民俗』岩田書院
- 浮葉正親「下栗での民俗調査から(上)」(『伊那民俗』80)
- 浮葉正親「下栗での民俗調査から(中)」(『伊那民俗』81)
- 浮葉正親「下栗での民俗調査から(下)」(『伊那民俗』82)
- 片桐みどり「須沢に生きて 熊谷やよいさんに聞く」(『伊那民俗』82)
書評
- 北島花江「『遠山谷中部の民俗』を読んで」(『伊那民俗』83)
- 前澤憲道「『遠山谷中部の民俗』を読んで」(『伊那民俗』83)