平成21年長野県民俗学研究動向

 この研究動向は、信濃史学会『信濃』第62巻第6号隣県特集号「長野県地方史研究の動向」より、民俗学関係について転載しています。研究動向の執筆は細井雄次郎氏(長野市)。なお、著書論文一覧については、HP管理者が作成している。

 平成21年の長野県における民俗学関係の動向について、核となるような大きな動きは見られなかった。そのため例年同様、県下の研究団体の活動を中心に見ていきたい。
 長野県民俗の会では、『長野県民俗の会通信』(以下『通信』)第209号~214号を発行している。
 本年度の『通信』では御嶽信仰に関した報告が多く載せられている。まず209号では岡谷市にみられる御嶽信仰について中崎陸生氏が報告し、210号では松本の御嶽信仰について特集した号となっており木下守、小原稔各氏の報告が載る。このほか213号でも臼井ひろみ氏が松本市里山辺の御嶽信仰について報告を寄せている。民俗の会では20年度には女鳥羽山の御嶽霊場の調査も行っており、これらの成果をまとめたものが、近いうちに出されることかと思われる。
 信濃史学会は例年通り『信濃』1月号が民俗学特集号となっている。倉石忠彦「昔話と家族-何が「めでたい」か-」は 昔話の主人公としてよく登場する「おじいさん」と「おばあさん」を、昔話の中に日本の固有信仰を見る立場から、神の面影が投影されたものとする柳田の理解に対し、昔話が語られる場においてこの老夫婦という設定がどのような意味を持つのかについて考察したもの。この中で氏は長野県内の昔話の主人公の家族構成を分析し、昔話の主人公の多くが何かしら問題を抱える家族構成であり、とりわけ老夫婦二人きりの家庭は、後の面倒を見てくれる子どもができる可能性のない欠損家族の典型とする。その上で昔話の構成とは欠損から充足への移行であるとし、その移行にダイナミズムを与えるために設定された家族形態が「おじいさん」と「おばあさん」であるとしている。小原稔「長野県松本市城山丘陵の砦伝説について」は松本市北西にある城山丘陵に残る砦伝説をもとに現地を踏査し、その砦跡を推定している。吉田洋子「現代の劇場における信仰実態」は全国各地の劇場を対象に、アンケート方式と実地調査を併用して、劇場の祭祀状況を明らかにした論考。劇場の祭祀をその性格により公的祭祀・準公的祭祀・私的祭祀の三つのレベルに分け、それらが重層的に行われていることを指摘している。高久舞「地図からみる東京都の祭り囃子」は、東京都にある祭囃子の団体が伝える伝承を地図化しその伝播の経路を明らかにしようとしたもの。
 民俗学特集以外では『信濃』3月号に、松本市立博物館が所蔵する七夕人形コレクションにみられる四つの形態の系譜について、全国の七夕人形の習俗との比較を通して考察した木下守「七夕と人形-松本の七夕人形の系譜をたどる」、5月号に塩原佳典「明治前期における「貞享騒動」物語の変容」、浜野安則「三九郎の名の由来について (その二)」、9月号に倉石忠彦「道祖神に見る伝承と創造」と、茨城県土浦市沖宿町の鹿島神社の例大祭を取り仕切る当屋を勤めるイエの、祭りに対する意識について論じた前川智子「宵まちと先祖の記憶」が載る。浜野の論考は『信濃』59-8に載せた「三九郎の名の由来について」に対する倉石忠彦の指摘(『信濃』60-3に掲載)に対し、答えたもの。その中で三九郎=御霊信仰説を補強する事例として、貞享3年に起きた貞享騒動で処刑された義民加助の御霊として祀られていく様子を取り上げているが、同じ号に掲載されている、明治以降の貞享騒動および義民加助の評価について、当時出版された貞享騒動についての物語を通して検討した塩原論文とあわせて読むと面白い。9月号に掲載された倉石論文は、民俗学が主たる対象とする民間伝承の伝承のあり方について、氏の研究テーマの一つである道祖神を事例に考察した論考。古代、道祖神がどのように形成され、現在に到るまでにどのように変容してきたのかを、文献や民俗地図を駆使しなから明らかにし、伝承というものが時代と共に姿が変わるのは当然であるとした上で、その変化のなかにも「各時代を通じて見出すことのできる形態・要素」があって、それが「日本の基層文化に繋がるものである。」としている。
 次に、伊那史学会であるがこちらも『伊那』1月号を民俗特集とし、依田時子「写真で見る明治末期の女性」や「折口信夫の三信遠国境の旅を辿る(三)」など、主に伊那地域の民俗関連の報告を載せる。
 上伊那郷土研究会では例年同様『伊那路』10月号で民俗特集を組み、中崎陸生「伊那市西箕輪羽広仲仙寺の神願様」や飯塚政美「山岳信仰の起源と西春近の権現山信仰」などの報告が載せられている。また『伊那路』3月号には三石稔「伊那谷の南と北」が載る。この論考は上伊那郡と下伊那郡の郡境域で生まれ育った氏が長年持ち続けている帰属意識についての問題から、一くくりでくくられる伊那谷も南と北ではかなり文化的に異なり、また北と南それぞれが独自色が強いことを述べたもので、外からの視点ではわからない、その地域で生きる側からの視点でなければみえてこないものであろう。
 柳田國男記念伊那民俗研究所は所報『伊那民俗』第76号~第79号と『伊那民俗研究』第17号を発行している。研究所では民俗調査報告書『遠山北部の民俗』も刊行しており、『伊那民俗』では所員によるこの民俗調査に関連した報告が載せられている。一方『伊那民俗研究』第17号には、野本寛一「「コト八日」の民俗世界」、野田真吉「柳田国男の「民俗芸術と文化映画」と宮田登の「映像民俗学の調査方法」をめぐって-民俗事象の映像記録についての諸問題の覚え書-」が載る。
 野本論文は二月八日、一二月八日に行われるコト八日の民俗行事について、氏の豊富な調査事例からその意味を考察した論考。コト八日は通常、この日に訪れる厄神の侵入を防ぐための行事、あるいは災厄や穢れを追放するための行事とされているが、行事を構成する要素を詳しく分析し、一二月から二月にかけて、太陽の力が弱まり、冬が本格化するのに対し、コト八日はその期間の冬篭りの入りと出の日にあたり、物忌みを行うことを意味していたとする。ただし現在のコト八日の多様な展開について、行事に現れる現象をすべて整然と説明することは現時点では難しいとし、今後の課題としている。そのなかで「民俗を、伝承の現在で裁ち切り、その断面を覗いて見ると、そこには単純に要約することのできない、様々な時系の貌がふぞろいに並んでいる。あるものは、古代的な貌を、またあるものは中世的な表情を示し、そしてまた、近世の貌をみせる。それに地方色が加わり、まさに混沌の世界で収集がつかない。」と述べているが、この民俗伝承の複雑さの形成過程について、道祖神を例に論じたのが先ほど見た倉石論文(「道祖神に見る伝承と創造」『信濃』61-9)ともいえるだろう。一方野田の論考は1993年に亡くなった記録映画作家である氏が1984年に執筆したもので、未発表原稿である。野田氏は映像民俗学会を立ち上げた人物であり、本稿は柳田国男が戦前、民俗学研究と映像記録との関係について述べた「民俗芸術と文化映画」と日本映像民俗学の会の例会で講演した宮田登の発言を取り上げ、映像民俗の方法論について述べたもので、柳田が三つに分けた民俗伝承のなかの、最も重要とされる心意伝承を明らかにするのに映像が有効であること、しかし映像に心意伝承を捉えるためには、映像を記録する側に熾烈な表現意欲がなければならないと主張する。
 このほか東信史学会の『千曲』にも、明治から戦後までの東信地域の器械製糸業の流れを概観した野澤敬「東信地方における器械製糸業の変遷」(『千曲』第140号)ほか数編の民俗関係の論考が載せられている。また佐久史学会では『佐久』57号で踊念仏についての特集を組んでいる。
 報告書等の書籍についてみると、先に見たように柳田國男記念伊那民俗学研究所から『遠山谷北部の民俗』が刊行されたほか、倉石あつ子『女性民俗誌論』が岩田書院から出版されている。
 以上、平成21年の長野県における民俗学研究の動向についてみてきたが、毎年思うことだが筆者の力量不足から言及できなかった論文は数多い、また誤読や誤解から来る的はずれな紹介も多い。さらに本年はその度合いが増しているように思え、県内の民俗学研究者の方々にはご迷惑をおかけし誠に申し訳ありません。筆者の力量不足を補ってくださるのが、本会会員の三石稔氏のHPである。各年ごとに県内の民俗学関係の論文のリストが掲載されているので、ぜひご覧いただければと思う。
 本稿もこのリストを参考にさせていただいた。ここに記して感謝申し上げる。

以下に刊行物・著者・論文・報告等を一括して掲げる。

総論

  1. 倉石忠彦解説『都市民俗基本論文集 第1巻 都市民俗研究の方法』(岩田書院)
  2. 倉石あつ子『女性民俗誌論』(岩田書院)
  3. 北村皆雄「(解説)記録映画作家・野田真吉のこと」(『伊那民俗研究』17)
  4. 倉石忠彦「「団地」の調査から「都市」の研究へ―私的都市民俗研究史(一)」(『都市民俗』15)
  5. 桜井浩嗣「柳田国男の『信州随筆』研究18「御頭の木」から名称の歴史的価値に触発されて」(『伊那民俗』79)
  6. 常民大学合同研究会「パネルディスカッション 天竜川流域の暮らしと文化」(『常民大学研究紀要』9)
  7. 野田真吉「柳田国男の「民族芸術と文化映画」と宮田登の「映像民俗学の調査方法」をめぐって―民俗事象の映像記録についての諸問題の覚え書―」(『伊那民俗研究』17)
  8. 細井雄次郎「長野県地方史研究の動向(民俗関係)」(『信濃』61-6)
  9. 松田不秋「三遠南信地域文化に関わって ミュージアムを結ぶ 風景(物語)街道を旅して」(『伊那民俗』76)
  10. 三石稔「伊那谷の南と北」(『伊那路』626)
  11. 宮坂昌利「柳田国男の『信州随筆』研究17「自序」」」(『伊那民俗』77)

衣生活・食生活・住居

  1. 依田時子「写真で見る明治期の女性」(『伊那』968)
  2. 野牧和将「臼・囲炉裏・坂畑―食の民俗調査を終えて―」」(『伊那民俗』77)
  3. 宮下英美「上村の食-蕎麦」(『伊那民俗』76)
  4. 伊藤友久「「コキ柱」を持つ大町市美麻の民家」(『長野県民俗の会通信』212)
  5. 松上清志「飯田下伊那の地方の住まい―民俗調査からみえてきたこと―」(『伊那』973)

生業生産

  1. 伊藤一夫「昭和初年の鍛工場開業広告の考察」(『伊那路』633)
  2. 佐藤優紀「長野市戸隠・鬼無里の麻栽培調査報告」(『長野県民俗の会通信』211)
  3. 田中幸美「車屋」(『伊那』968)

交通交易

  1. 久保田賀津男「峠とは何か~峠の民俗~」(『伊那民俗』78)
  2. 塩澤一郎「折口信夫の三信遠国境の旅を辿る(三)」(『伊那』968)
  3. 中崎隆生「大橋染色店の木曽での和服商い」(『長野県民俗の会通信』214)
  4. 針間道夫「遠山谷の交通と交易 その光と影」(『伊那民俗』79)

社会生活

  1. 前川智子「宵まちと先祖の記憶―茨城県土浦市沖屋町鹿島例大祭における当屋を中心に―」(『信濃』61-9)

信仰

  1. 荒川万里利恵「第一六四回例会に参加して」(『長野県民俗の会通信』211)
  2. 飯塚政美「山岳信仰の起源と西春近の権現山信仰」(『伊那路』633)
  3. 臼井ひろみ「松本市里山辺上金井の御嶽神社」(『長野県民俗の会通信』213)
  4. 大原千和喜「坂ノ神「才ノ神」」(『伊那』968)
  5. 小原稔「松本市島内の御嶽信仰系神社調査の中間報告」(『長野県民俗の会通信』210)
  6. 加藤真那生「村祭り」(『伊那』968)
  7. 北野晃「虫と金属の「サナギ」の神秘(下)-諏訪大社の鉄鐸など-」(『西郊民俗』206)
  8. 木下守「松本市入山辺の清龍様」(『長野県民俗の会通信』210)
  9. 倉石忠彦「「道祖神」に見る伝承と創造」(『信濃』9)
  10. 倉石忠彦「道祖神関係呼称の展開―サイノカミとサエノカミ―」(『道祖神研究』3)
  11. 中崎隆生「岡谷市湊小田井の御嶽さま」」(『長野県民俗の会通信』209)
  12. 中崎隆夫「伊那市西箕輪羽広仲仙寺の神願様」(『伊那路』633)
  13. 平沢利夫「信州の十二神社巡訪」(『あしなか』284)
  14. 桃沢匡行「私の見たワラ人形、聞いたワラ人形」(『伊那』968)
  15. 桃沢匡行「今に伝わる「道切り」の大草履」(『伊那路』633)
  16. 百瀬将明「第一六六回例会に参加して」(『長野県民俗の会通信』212)
  17. 吉田洋子「現代の劇場における信仰実態」」(『信濃』61-1)

民俗知識

人の一生

  1. 中川勲「私の子どもの頃の里山と暮らし」(『伊那』977)

年中行事

  1. 箕輪町郷土博物館『みのわの年中行事』
  2. 木下守「七夕と人形-松本の七夕人形の系譜をたどる」(『信濃』61-3)
  3. 野本寛一「「コト八日」の民俗世界」(『伊那民俗研究』17)
  4. 浜野安則「三九郎の名の由来について<その二>」(『信濃』61-5)

民俗芸能

  1. 岡村和彦「常行三昧と踊り念仏」(『佐久』57)
  2. 越志徳門「戸隠の年中行事と式年祭」(『文化財信濃』134)
  3. 小林勇「春日岩下の踊念仏」(『佐久』57)
  4. 小林多門「柳田国男の『信州随筆』研究16 木曽民謡集」(『伊那民俗』76)
  5. 桜井源太良「御代田町荒町の踊り念仏」(『佐久』57)
  6. 高久舞「地図からみる東京都の祭囃子」(『信濃』61-1)
  7. 高柳一雄・春原進・鈴木美由貴「布施大木の踊り念仏―回向柱を立て―」(『佐久』57)
  8. 林和好「十念寺(小諸市平原)と一遍上人―踊念仏と来迎会」(『佐久』57)
  9. 松上清志「天竜川中流域での遊び」(『常民大学研究紀要』9)
  10. 南澤繁久「十念寺二十五菩薩来迎会―踊念仏と来迎会(二)」(『佐久』57)

口頭伝承

  1. 小原稔「長野県松本市城山丘陵の砦伝説について」(『信濃』61-1)
  2. 小原稔「松本の巨人伝説の伝承地について」(『長野県民俗の会通信』212)
  3. 小原稔「松本の巨人伝説の伝承地について(二)」(『長野県民俗の会通信』213)
  4. 小原稔「松本の巨人伝説の伝承地について(三)」(『長野県民俗の会通信』214)
  5. 倉石忠彦「昔話と家族-何が「めでたい」か-」(『信濃』61-1)
  6. 竹入弘元「箕輪町南宮神社「鹿踊り」の古文書発見」(『伊那路』633)
  7. 吉田保晴「伊那谷の鳥(1)-民俗の窓を通して-」(『伊那路』625)
  8. 吉田保晴「伊那谷のツバメ類-民俗の窓を通して(2)-」(『伊那路』629)
  9. 吉田保晴「伊那谷のワシ・タカの仲間-民俗の窓を通して(3)-」(『伊那路』632)
  10. 吉田保晴「伊那谷のキジ・オナガ・ムクドリ・ヒヨドリ―民俗の窓を通して(4)」(『伊那路』633)
  11. 吉田保晴「伊那谷のコジュケイ-民俗の窓を通して(5)-」(『伊那路』634)

方 言

  1. 井上伸児「消えていくことばの文化(その17)―食べ物三題―」(『伊那』979)
  2. 萩元育夫「「千代の方言」から見えてきたもの―今、千代から消えつつある方言のいくつか―」(『伊那』976)

地 名

民俗誌

  1. 柳田國男記念伊那民俗学研究所『遠山北部の民俗』
  2. 片桐みどり・宮下英美・北原いずみ「越下倉臣さん、ミナヱさんインタビュー 遠山谷此田に生きる」(『伊那民俗』77)
  3. 巻山圭一「民俗慣行の変容」(『長野県民俗の会通信』209)