平成20年長野県民俗学研究動向

 この研究動向は、信濃史学会『信濃』第61巻第6号隣県特集号「長野県地方史研究の動向」より、民俗学関係について転載しています。研究動向の執筆は細井雄次郎氏(長野市)。なお、著書論文一覧については、HP管理者が作成している。

 平成20年の長野県における民俗学関係の動向は、例年同様、県下の研究団体の活動を中心に行われた。

 長野県民俗の会では、『長野県民俗の会通信』(以下『通信』)第203号~208号を発行、そのほか『長野県民俗の会会報』(以下『会報』)30号を発行した。
 『通信』には6月に松本市で出土した江戸時代の七夕人形について考察した木下守「松本城下町出土の七夕人形について」(通信206号)や7月に長野市指定無形民俗文化財(旧大岡村指定文化財)であった塩竃神社の祭事が、祭りの後継者不足から文化財指定解除となった件を取り上げ、過疎地域の文化財保護のあり方について論じた多田井幸視の「過疎化と文化財保護のありかた」(通信207号)などが掲載されている。

 『会報』30号には県内に関わる論考が6本載せられているが、そのうち倉石忠彦「ドゥロクジンと鹿島神社」と窪田雅之「サンクロウにうたわれるオイベッサマの歌について」は共に道祖神に関する論考。倉石論文は道祖神の異称であるドウロクジンという名前の発生と伝播について民俗地図を用いながら考察している。そこではいわゆる中世日本記の世界の中で鹿島神社と道祖神が関係の深い神とされていることからドウロク(鹿)ジンという呼称が生まれた可能性を指摘し、また県内においてこの呼称が、千曲川流域を伝って新潟県から流入したことを明らかにしている。また窪田論文はサンクロウの際に旧安曇郡地域で歌われる歌詞について分析し、同地域にあった大黒信仰やオイベッサマ信仰が道祖神信仰に収赦していった様子を推定している。窪田は『信濃』1月号にも道祖神に関する論考「現代の道祖神碑事情」を載せている。そこでは、江戸時代から近代にかけて建てられた道祖神とは性格を異にするものとしてこれまで捉えられてきた、昭和20年代以降、松本・安曇野で顕著にみられる新しい道祖神建立の動きについて、道祖神に対する人びとの願いという視点に立てば、江戸時代からの道祖神信仰とのつながりのなかで捉えることを主張している。『会報』にもどると、その他、下伊那の三峰信仰について豊丘村堀越にある三峰神社の活動を例に、秩父の三峰神社本社とは別個に在地の三峰神社がどのように信仰を広げていったのか、神主家の活動を通して考察した西村敏也「伊那地方における三峰神社分霊社と三峰信仰の在地展開」、江戸時代の松代の天王祭の様子について真田家所蔵の「松代天王祭礼図巻」を用いて報告した松下愛「江戸時代の松代天王祭について」、県内に残る「むじな和尚」の伝説について、和尚の残した掛軸と和尚の死んだ場所に焦点をあてて報告した細井雄次郎「長野県下の「むじな和尚」の話をめぐって」、江戸時代の民間医療書『重宝記』の紹介をした竹入弘元「俗信集『重宝記』を読む」が掲載されている。

 信濃史学会は例年通り『信濃』1月号を民俗学特集号にあてる。宮坂徹「今に伝わる諏訪地方の信玄伝説」は諏訪地方に伝わる武田信玄にまつわる伝承を紹介し、伝承が伝わった背景について考察したもの。倉石忠彦「山名呼称-クラ・ミネー」は昨年の『信濃』1月号に掲載された「山名呼称-山名表現の形成-」の続編。前稿で論じた山の呼称の先後関係に、新たにクラとミネ呼称を加えて論じている。倉石あつ子・安藤有希・伊能千絵・那花友里「明治期女子教育における衛生観の形成」は明治末から大正にかけ刊行された雑誌『女撃世界』を素材に、明治期の女子教育のなかで、欧米から取り入れた「衛生」という概念がどのように教育され、「衛生観」が作られていくのかについて分析した論考であり、現在と当時との「衛生」観の違いなどが明らかにされており興味深い。そのほか三輪京子「茨城県と栃木県におけるワラデッポウ」が載せられている。『信濃』では3月号にも倉石忠彦「サンクロウ(三九郎)呼称雑感」と木下守「乗鞍岳開山と信仰の系譜」が載る。倉石の論考は『信濃』59-8に掲載された浜野安別の論考「三九郎の名の由来について」に対してのもの。サンクロウの名の由来を松本藩主の石川康長の幼名三九郎からとし、それまであった道祖神の火祭りに、康長の御霊を慰めるという要素が加わったためにサンクロウという呼称となったという浜野の説を、サンクロウの呼称を歴史上の人物名をもって御霊信仰に基づく行事であるとした新説であり、興味深い論文であると評しっつ、歴史上の人物を比定するにあたって史料的な根拠が乏しいことを批判している。木下の論考は長野と岐阜にまたがる乗鞍岳の信仰について、開山伝承や乗鞍岳に残る信仰遺跡から御嶽信仰との関わりを探っている。

 次に、伊那史学会であるがこちらも『伊那』1月号に主に伊那地域の民俗関連の報告を載せる。そのなかで塩澤一郎の「各地の大松明を観る」は祭礼に登場する大松明について、広く県内各地の事例を報告したもの。

 上伊那郷土研究会では例年同様『伊那路』10月号で民俗特集を組んでいる。巻頭の三石稔「遊びの空間から読み取る」は、氏のこれまでのフィールドワークのなかで話者に描いてもらった、子どもの頃の遊び場の地図を分析し、中川村の認識空間について論じたもの。地域性の醸成と地形的制約との関連を、話者の空間認識の分析を通して考察しており興味深い。特集号にはその他伊那地域の信仰、祭礼、生業、口頭伝承に係わる民俗事例が各会員から報告されている。また『伊那路』12月号では広域特集として秋葉街道を取り上げており、秋葉信仰に関する報告も載せられている。

 柳田国男記念伊那民俗研究所は所報『伊那民俗』第72号~第75号と『伊那民俗研究』第16号を発行、『伊那民俗』 では東濃から三遠南信にかけての限定された地域に自生するハナノキが、昭和初期にこの地域に残るデ良親王伝説と結びついてハナノキの忌避伝承として伝えられていたことについて、その背景を当時のハナノキの天然記念物自生地の指定によるハナノキ保存への人びとの思いと、尊王思想が鼓舞される時期が一致したことによるものと考察した伊藤正英「ハナノキのフォークロア」(『伊那民俗』第72号)などが載る。

 『伊那民俗研究』第16号には、文学者・翻訳家として知られるきだみのるの 『気運ひ部落周済紀行』を題材に、民俗学者としてのきだの問題意識について論じた室井康成「きだみのると柳田国男」が載るはか、柳田国男に関する論考や資料紹介が載せられた。

 このほか伊那民俗研究所では毎年実施している民俗調査の成果として報告書『遠山谷南部の民俗』を刊行。この調査に参加した会員による報告が 『伊那民俗』誌上に掲載されており、活動の活発な様子が窺われる。谷口悦子「南信濃和田 諏訪神社の御柱祭」 (『飯田市美術博物館紀要』18)もこの調査の成果として南信濃村和田の諏訪神社で行われている御柱祭の様子を、御柱の献納者に焦点をあてて報告している。

 東信史学会の 『千曲』 にも、昭和30年代に養蚕業が衰退した後、家庭の外へ出て工場などに勤めるようになった農家の女性と社会の変化について、当時の新聞から考察した丸田バツ子「養蚕以後の女性の家庭外労働」(『千曲』第138号)ほか数編の民俗関係の論考が載せられている。

 このほか民俗関係ではミロク信仰や世直しなどの概念を提示した民俗学者宮田登の民俗学的想像力について、彼が少年時代、学童疎開のために過ごした信州での体験との関連を考察した阿久津昌三「宮田登の民俗学的想像力」(『市史研究ながの』第15号)などがある。

 報告書等の書籍についてみると、先に見たように柳田国男記念伊那民俗学研究所から『遠山谷南部の民俗』が刊行されたほか、佐久市では『臼田町誌』第二巻民俗編が刊行され、飯山市では平成18年に国の選択無形民俗文化財に指定された小菅の柱松神事についての報告書が刊行されている。いずれも多くの研究者が関わった事業であるが、報告書の刊行をもって終わりとなるのではなく、これを契機に当該地域の民俗研究が活発になることを望むものである。また飯田市南信濃地区の上村遠山霜月祭保存会より『遠山霜月祭<上村>』という大部な報告書が刊行された。これまでまとまった報告がされてこなかった遠山谷の霜月祭について上村地域で行われている4ヶ所の霜月祭の詳細を記録した貴重な報告書である。この執筆・編集を行ったのは飯田市美術博物館の桜井弘人氏であるが、霜月祭を長年調査され、地元の人たちとの信頼関係も深い桜井氏でなければできなかったものであろう。

 以上平成20年度の長野県の民俗学の動向について概観してみた。毎度のことであるが今回も取り上げることのできなかった論考が多々あり、筆者の力不足を痛感する次第である。また、今回も三石稔氏のホームページ掲載の文献リストを参考にさせていただいた。ここに記してお礼申し上げます。

以下に刊行物・著者・論文・報告等を一括して掲げる。

総論

  1. 大月和彦「柳田国男の「飯山講演」について」(『伊那民俗研究』16)
  2. 大月松二「飯山講演「妖怪変化」と「郷土研究」の講演筆記」(『伊那民俗研究』16)
  3. 倉石あつ子/安藤有希/伊能千絵/那花友里「明治期女子教育における衛生観の形成―『女学世界』を読む―」(『信濃』60-1)
  4. 倉石あつ子「冬ソナの終焉」(『長野県民俗の会通信』204)
  5. 倉石あつ子「臨津江の向こうに」(『長野県民俗の会通信』208)
  6. 倉石忠彦「民俗の「創造」ということ」(『長野県民俗の会通信』207)
  7. 倉石忠彦「身体と伝承」(『都市民俗研究』14)
  8. 倉石忠彦「傘を持つ-手の使い方-」(『都市民俗研究』14)
  9. 田中正明「大月松二の聴書・日記の翻刻完了に寄せて」(『伊那民俗』72)
  10. 田中正明「『先祖の話』朱筆本校訂一覧-大月松二「柳田国男聴書」を受けて-」(『伊那民俗研究』16)
  11. 寺田一雄「民俗調査の成果を現代に生かす-野本所長の講演から-」(『伊那民俗』75)
  12. 巻山圭一「千曲川・犀川流域の民俗」(『河川レビュー』140)
  13. 三石稔「遊びの空間から読み取る」(『伊那路』621)
  14. 室井康成「きだみのると柳田国男-「擬制」の打破としての民俗学の実践-」(『伊那民俗研究』16)
  15. 和田憲「和田のマチ 遠山谷南部の民俗調査から学ぶ=過去から未来へ」(『伊那民俗』75)
  16. 山田哲郎「信州開田村 木曽馬回想記―最後の純血馬「第三春山号」の旅立ち」(『あしなか』277)

衣生活・食生活・住居

  1. 多田井幸視「自然の中の家」『日本の民俗5家の民俗文化誌』(吉川弘文館)

生業生産

  1. 木下守「庄内酒田の押絵雛」(『長野県民俗の会通信』205)
  2. 寺田一雄「伊那近代思想史研究会24 森本州平家の養蚕」(『伊那民俗』75)
  3. 矢島信之「祖父の日記に見る明治期の刈敷山作業の実情」(『伊那路』621)
  4. 山田哲郎「木曽馬物語その後―第三春山号の安楽死から現在まで―」(『あしなか』280)
  5. 若林徹男「師匠の背中(2)より-藁搗き」(『伊那路』621)

交通交易

  1. 胡桃沢勘司『牛方・ボッカと海産物移入』(岩田書院)
  2. 八木洋行「信濃と結ぶ駿河・遠江」」(『伊那民俗』71)

社会生活

  1. 久保田安正「江戸中期伊豆木小笠原家の贈答品」(『伊那』956)

信仰

  1. 岡村知彦「佐久の踊り念仏塔再考」(『日本の石仏』127)
  2. 折山邦彦「先祖祀りと氏神様」(『伊那民俗』73)
  3. 木下守「第一六一回例会報告」(『長野県民俗の会通信』203)
  4. 窪田雅之「現代の道祖神碑事情―新たに建設される神々をどうとらえるか―」(『信濃』60-1)
  5. 倉石忠彦「ドウロクジンと鹿島神社」(『長野県民俗の会会報』30)
  6. 倉石忠彦「道祖神塔と道祖神碑」(『道祖神研究』2)
  7. 高橋寛治「和歌山県かつらぎ町三谷の「鎌八幡宮」(『伊那民俗』73)
  8. 多田井幸視「過疎化と文化財保護のあり方」」(『長野県民俗の会通信』207)
  9. 谷口悦子「南信濃和田 諏訪神社の御柱祭-富と栄誉の象徴-」(飯田市美術博物館『研究紀要』18)
  10. 谷口悦子「柳田国男の『信州随筆』研究12 探訪 穂高神社奥宮 信州の出口入口を訪ねる旅」(『伊那民俗』71)
  11. 中島淑雄「飯島町鳥居原のいぼ神様」(『伊那路』621)
  12. 西村敏也「伊那地方における三峰神社分霊社と三峰信仰の在地展開-長野県下伊那郡豊丘村堀越三峰神社の事例から-」(『長野県民俗の会会報』30)
  13. 林登美人「徳本上人の磨崖碑―智里大沢川のほとり―」(『伊那』956)
  14. 細井雄次郎「松代祝神社の絵馬と山梨岡神社の夔の神」(『長野県民俗の会通信』206)
  15. 松澤英太郎「田畑区・御園区等に伝わる諏訪大社上社御頭祭への奉仕」(『伊那路』621)
  16. 百瀬将明「第一六一回例会報告・感想」(『長野県民俗の会通信』203)
  17. 吉江真美「柳田國男の道祖神観」(『道祖神研究』2)

民俗知識

  1. 竹入弘元「俗信集『重宝記』を読む」(『長野県民俗の会会報』30)

人の一生

年中行事

  1. 今村善興「江戸時代の虫送り(北原年代記の記録から)(『伊那』956)」
  2. 加藤真那生「どんど焼き」(『伊那』956)
  3. 木下守「松本城下町出土の七夕人形について」(『長野県民俗の会通信』206)
  4. 窪田雅之「サンクロウにうたわれるオイベッサマの歌について-松本市梓川上大妻幅先の事例をめぐって-」(『長野県民俗の会会報』30)
  5. 桜井弘人「立石という小宇宙と事念仏」(『伊那民俗』71)
  6. 橋都正「坂部のカヤダカラと沖縄のサングァー」(『伊那』956)
  7. 谷口悦子「遠山谷南部の「ぎおん」「津島さまの祭り」(『伊那』956)
  8. 細井雄次郎「戸隠栃原地区追通の鳥追いとセーノカミのカンジン」(『長野県民俗の会通信』203)
  9. 三輪京子「茨城県と栃木県におけるワラデッポウ」(『信濃』60-1)

民俗芸能

  1. 上村遠山霜月祭り保存会・飯田市美術博物館『遠山霜月祭り<上村>』
  2. 遠藤鉄樹「花祭・遠山霜月祭と天白神-勧請神・天白の動きをさぐる-」(『まつり』69)
  3. 坂本要「南信州の念仏踊り・掛け踊りその他」(『まつり』69)
  4. 桜井弘人「遠山霜月祭 上村中郷の「神の子上げ」と水牛」(『伊那』967)
  5. 塩澤一郎「各地の大松明を観る―新野の雪祭りに寄せて」(『伊那』956)
  6. 竹渕修二「機械が解明してくれたわらべ歌のリズム-日本固有の伝統的なリズムをもつわらべ歌-」(『伊那路』621)
  7. 田中幸美「子どもの頃の遊び―陣とり・川中島―」(『伊那』956)
  8. 橋都正「柳田国男の『信州随筆』研究14 新野野盆踊りその2」(『伊那民俗』74)
  9. 星野和彦「いま、祭りが滅びる」(『伊那民俗』74)
  10. 松下愛「江戸時代の松代天王祭について」(『長野県民俗の会会報』30)
  11. 山崎一司「中絶・廃絶する民俗芸能の保存を-三遠南信の霜月神楽の現状から-」(『伊那民俗』73)
  12. 山崎一司「三信遠の霜月神楽-「湯立」と「湯ばやしの舞」を中心に」(『まつり』69)
  13. 山路興造「三信遠の民俗芸能-その研究視点-」(『まつり』69)

口頭伝承

  1. 赤羽篤「童謡「お米ついて」に関して(その3)」(『伊那』956)
  2. 伊藤正英「ハナノキのフォークロア」(『伊那民俗』72)
  3. 中村健一「柳田国男の『信州随筆』研究13 犬坊の墓」(『伊那民俗』73)
  4. 細井雄次郎「長野県下の「むじな和尚」の話をめぐって-和尚が残した書画と和尚の死んだ場所について考える-」(『長野県民俗の会会報』30)
  5. 細井雄次郎「『幽谷余韻』に記された狸の和尚の話」(『長野県民俗の会通信』208)
  6. 宮坂徹「今に伝わる諏訪地方の信玄伝説」(『信濃』60-1)
  7. 湯沢孝一「柳田国男の『信州随筆』研究15 矢立の木(伝説と習俗)」(『伊那民俗』75)

方 言

  1. 井上伸児「消えていくことばの文化(その15)―「あばな」(別れのあいさつ)―」(『伊那』957)

地 名

  1. 倉石忠彦「山名呼称―クラ・ミネ―」(『信濃』60-1)
  2. 倉石忠彦「古代山名呼称-『風土記』を資料として-」(『長野県民俗の会通信』204)
  3. 倉石忠彦「古代山名呼称-『風土記』を資料として-(二)」(『長野県民俗の会通信』205)

民俗誌

  1. 柳田國男記念伊那民俗学研究所『遠山南部の民俗』

書 評

  1. 倉石忠彦「『遠山谷の民俗』を読む」(『伊那民俗』74)