平成19年長野県民俗学研究動向

 この研究動向は、信濃史学会『信濃』第60巻第6号隣県特集号「長野県地方史研究の動向」より、民俗学関係について転載しています。研究動向の執筆は細井雄次郎氏(長野市)。なお、著書論文一覧については、HP管理者が作成している。

 平成19年の長野県における民俗学関係の動向は、例年同様県下の研究団体の活動を中心に行われた。

 まず長野県民俗の会では、定期の例会(第158回〜第161回)が行われ、『長野県民俗の会通信』(以下『通信』)第197号〜202号が発行された。
 『通信』には千曲市屋代の提灯つくりを報告する宮坂瑞希「屋代にのこる提灯づくり」(通信199号)、美ヶ原に展開される御嶽信仰について報告した木下守「美ヶ原の山岳信仰」(通信200号)、穂高地域の戸隠信仰について報告した臼井ひろみ「水害除けの祈り」(通信202号)などが載る。

 信濃史学会は例年通り『信濃』1月号を民俗学特集号にあてている。冒頭の倉石忠彦「山名呼称」は全国に見られる山をめぐる呼称を取り上げ、山の呼称に地域的な特徴が見られることを明らかにし、また、山の呼称の先後関係を論じている。倉石氏はまた、同号に「宗像教授の民俗学」を載せ、一連の漫画作品「宗像教授」 シリーズを分析し、漫画における民俗学のイメージについて考察する。窪田雅之「小正月の火祭り・三九郎の伝承について」は祝日法改正後の松本市内の三九郎行事の状況について、公民館や育成会の取り組みを通して報告している。福澤昭司「民俗学覚書」は自身の生活実感の中から生まれた民俗学の課題を紹介し、研究者の問題関心のあり方について考察する。木下守「松本あめ市の起源について」は明治初期の小山珍事堂なる人物によるあめ市の報告を紹介し、明治期における松本の人々のあめ市の起源についての認識について考察している。巻山圭一「身体に巣食うムシ」は県内のカンノムシ封じや歯痛封じのまじないについて、原因となるムシを封じ込める考え方と追い払う考え方がみられるとし、その分布の地域的な特徴を明らかにしている。このほか『信濃』七月号掲載の小島正巳・時枝務「妙高山麓における木曽御嶽講滝行場の一様相」は妙高市猪野山にある木曽御嶽講滝行場の右造物調査を通して、妙高山麓における明治初期の御嶽講の展開を報告し、この行場の宗教的意味について考察する。『信濃』八月号には浜野安則「三九郎の名の由来について」が載り、松本地域に伝えられている三九郎というドンド焼きの呼び名が、江戸時代初頭に改易された石川玄蕃頭康長に対する御霊信仰から生まれたものであり、三九郎は康長の幼名からとられたものだと推察している。

 伊那史学会はこちらも『伊那』1月号を民俗特集にあてており、江戸時代の武家の年中行事の記録を紹介する久保田安正「伊豆木小笠原家の年中行事」や、天龍村の旧道の民俗紀行を報告する塩澤一郎「大正九年 折口信夫の二信遠国境の旅を辿る (二)」ほか、会員の報告が載る。また『伊那』3月号では飯田大火60周年特集と題し昭和22年4月におきた大火の当時の様子について各会員からの報告を載せている。

 上伊那郷土研究会では『伊那路』10月号で民俗特集を組むほか、2月〜4月号で600号記念特集を組んで、『伊那路』創刊当時の上伊那での郷土研究の諸相を報告する伊藤純郎「『伊那路』以前−上伊那の郷土研究と『辰野町資料』」(『伊那路』51-3)や、上伊那での民俗学研究を振り返り、向山雅重の民俗学について報告した倉石忠彦「向山雅重先生の民俗学」(『伊那路』51-4)などを掲載している。

 柳田国男記念伊那民俗研究所は所報『伊那民俗』第68号〜第71号と『伊那民俗研究』第15号を発行、三信遠の国境に位置する遠山谷と駿河、遠江地域との人と物との交流を伝承や伝説、民俗芸能の事例を挙げて報告する八木洋行「信濃と結ぶ駿河・遠江」(『伊那民俗』71号)などを載せている。また民俗調査報告書『三穂の民俗』を刊行、これは昨年の『上久聖の民俗』に続くものである。同研究所では現在遠山地区の調査を行っており、その成果もいずれ報告書としてまとめられるだろう。

 東信史学会の『千曲』は第135号を特集号「千曲川水系における埋もれていた民俗芸能」とし、旧真田町戸沢と北柏木村白岩のわら馬曳きを比較した和根崎剛「北柏木村白岩のねじとわらうまひき」など、会員からの報告五篇を載せている。このほか民俗関係では各地に残る石造物や木像仏、絵画として残る馬場菩薩を報告している牧忠男「打沢の馬場等(石碑)と他府県の馬場菩薩像について」(『千曲』132号)や明治の頃の佐久の養鯉の風景を措いた絵図を分析した臼田明「稲田漁撈「吾郷桜井之鯉魚養殖場之図」を読む」(『千曲』135号)などがある。

 書籍では松崎憲三編『諏訪系神社の御柱祭−式年祭の歴史民俗学的研究−』(岩田書院)が刊行された。これは成城大学民俗学研究所により2004年と2005年におこなわれた諏訪大社の御柱祭を含めた県内外の諏訪系の祭礼の調査・研究の成果をまとめたものである。

 諏訪大社の御柱祭については従来より多くの研究があるが、本書は題名に諏訪系とあるように、諏訪大社も含めながらそれ以外の各地の諏訪系統の神社で行われている御柱祭を主な対象としている点に特徴がみられる。諏訪大社の御柱祭については、近年の御柱祭の変化について祭を担う地域社会がどのような認識でその変化を受容してきているのかを考察した島田潔「近年の御柱祭にみる不変と可変」がある。そこでは御柱祭の変化が労力の効率化や担い手の減少といった単純に経済的な理由から生まれるものではなく、祭礼の核となる要素に重大な影響を与えない程度に、参加者が祭をより楽しめるような方向に変えられていく傾向がみられるとし、祭の担い手のこのような意識の醸成に、自分たちの祭礼の歴史や伝統を学ぶという姿勢が大きくあずかっているとの島田の指摘は、地域社会における歴史学、民俗学の役割を考える上で興味深い。また県内の諏訪系神社の御柱祭を分析したものには牧野眞一「御柱祭の地域性と重要性」、金野啓史「小宮と祝神の御柱祭」、森田晃一「生島足島神社の御柱祭に関する歴史的考察」、越川次郎「生島足島神社の御柱祭の現在」があり、県外については松崎憲三「長野県隣接地域の諏訪信仰と御柱祭」がある。そのほか、諏訪信仰の特徴である薙鎌に関する習俗の事例を御柱との関係で広く見た小林純子「木に鎌を打つ信仰」や江戸時代の松代城下でおこなわれた御柱祭の記録から当時の都市祭礼の風流について報告する福原敏男「近世都市における御柱祭」、諏訪大社の御柱祭と中信地域の小正月の行事として見られる、道祖神の近くに飾り付けをしたご神木を立てる御柱と呼ばれる行事との関係について考察する宇野田綾子「正月に立てる「御柱」」などが収められている。

 また、本書は副題にもあるように御柱祭の式年祭という点についても焦点をあてており、このような視点からは山田直巳「「式年」という「時の刻み」」や、御柱祭同様、周期的に祭祀が行われる山口県の年祭を取り上げた湯川洋司「「年祭」と蛇」、福島県浜通りで行われている浜下り神事を取り上げた小島孝夫「式年浜下りの周期性をめぐって」などの論考が載せられている。本書は前にも述べたように、これまで注目されることのなかった諏訪系統の神社の祭礼について総合的に分析を加えたものであり、これからの諏訪信仰研究の幅を広げるものである。

 また、これと同様の視点から諏訪大社以外の諏訪系統の神社で行われている卸射山祭りについて考察を加えたものに内山大介「卸射山祭りの伝播とその性格」(『信濃』59-4・5)がある。内山は現在各地の諏訪系統の神社や民間行事として行われている御射山祭りの内容が、諏訪大社における御射山祭りの性格をそのまま当てはめる従来の解釈では捉えることができないとして、卸射山祭りの現在の性格を新たに神を送る行事とみなし、卸射山祭りの神を送るという要素が各地にみられる疫神送りや厄神送りなどの民俗事象と重なることによって現在見られるような様々な御射山祭りの姿が作られたと結論付けている。

 以上、長野県内に関する民俗学関係の研究動向について概観したが、今稿で取り上げたもの以外にも多くの論考が出されており、それらを紹介できなかったのは、筆者の力不足によるものである。また、今回も三石稔氏のホームページに掲載されている「平成19年長野県民俗学研究動向」を参考にさせていただいた。ここに記してお礼申し上げる。また、そこには今回紹介できなかったものも含めて詳細なリストが載せられているので、ご覧いただきたいと思う。

以下に刊行物・著者・論文・報告等を一括して掲げる。

総論

  1. 伊藤正英「澁澤フィルムと三遠信の民俗」(『伊那民俗研究』15)
  2. 倉石忠彦「宗像教授の民俗学」(『信濃』59-1)
  3. 倉石忠彦「向山雅重先生の民俗学」(『伊那路』603)
  4. 田中正明「柳田為正先生の記憶―父柳田國男について書き残し・語り伝えたいこと」(『伊那民俗研究』15)
  5. 野本寛一「柳田館の風」(『伊那民俗学研究所報』70)
  6. 福澤昭司「民俗学覚書」(『信濃』59-1)
  7. 福澤昭司「第59回年会参加記」(『長野県民俗の会通信』202)
  8. 細井雄次郎「長野県地方史研究の動向 民俗学関係」(『信濃』59−6)
  9. 八木洋行「信濃と結ぶ駿河・遠江」(『伊那民俗』71)

衣生活・食生活・住居

  1. 片桐みどり「消えていく衣の習俗―乳幼児期の着物を中心に―」(『伊那民俗』69)
  2. 神村透「落とし紙」(『伊那』944)

生業生産

  1. 寺田一雄「70年前の生業複合 八重河内の遠山常雄さんに聞く」(『伊那民俗』68)
  2. 中崎隆生「諏訪湖の漁業(第158回例会報告)」(『長野県民俗の会通信』198)
  3. 細井雄次郎「上越高田の土人形と長野」(『長野県民俗の会通信』198)
  4. 宮坂瑞紀「屋台にのこる提灯づくり―追悼 提灯職人塩島忠氏―」(『長野県民俗の会通信』199)
  5. 山田哲郎「信州開田村 木曽馬回想記―最後の純血馬「第三春山号」の旅立ち」(『あしなか』277)
  6. 湯沢道子「小家畜 昭和の記録」(『伊那』944)

交通交易

  1. 北原いずみ「柳田国男の『信州随筆』研究11 信州の出口入口」(『伊那民俗』69)

社会生活

信仰

  1. 臼井ひろみ「水害除けの祈り―青木花見の戸隠神社」(『長野県民俗の会通信』202)
  2. 内山大介「御射山祭りの伝播とその性格―「送る」祭祀としての御射山祭り―(上)」(『信濃』59-4)
  3. 内山大介「御射山祭りの伝播とその性格―「送る」祭祀としての御射山祭り―(下)」(『信濃』59-5)
  4. 木下守「美ケ原の山岳信仰」(『長野県民俗の会通信』200)
  5. 倉石忠彦「「むすぶ神」と道祖神」(『道祖神研究』1)
  6. 小島正巳・時枝務「妙高山麓における木曽御嶽講滝行場の一様相」(『信濃』59-7)
  7. 桜井弘人「遠山谷に生き続けるネギ―信仰世界をになった民間宗教者―」」(『伊那民俗学研究所報』70)
  8. 谷口悦子「探訪 穂高神社奥宮 信州の出口入口を訪ねる旅」(『伊那民俗』71)
  9. 林登美人「下伊那磨崖仏と磨崖碑―山吹・浪合・上飯田・龍江・智里―」(『伊那』944)
  10. 細井雄次郎「長野市七二会の馬頭観音講」(『長野県民俗の会通信』198)」
  11. 三浦孝美「庚申塔建立考―辰野町石造物調査会調査資料から―」(『伊那路』609)

民俗知識

  1. 伊藤修「民俗覚書二題」(『伊那路』609)
  2. 田中幸美「虫が知らせる」(『伊那』944)
  3. 巻山圭一「身体に巣食うムシ―封じ込めることと追い払うこと―」(『信濃』59-1)

人の一生

  1. 三輪京子「安曇野市三郷楡地区調査報告 その三」(『長野県民俗の会通信』197)

年中行事

  1. 八十二文化財団『信州年中行事と食』
  2. 木下守「松本あめ市の起源について―小山珍事堂の「信濃松本飴市」をめぐって―」(『信濃』59-1)
  3. 窪田雅之「小正月の火祭り・三九郎の伝承について―松本市公民館関係者の取り組みから―」(『信濃』59-1)
  4. 久保田安正「伊豆木小笠原家の年中行事」(『伊那』944)
  5. 倉石美都「十四日は君がいるからカップル記念日―韓国カップル記念日事情―」(『長野県民俗の会通信』197)
  6. 桜井弘人「立石という小宇宙と事念仏」(『伊那民俗』71)
  7. 橋都正「松を立てない門松」(『伊那』944)
  8. 浜野安則「三九郎の名の由来について」(『信濃』59-8)
  9. 細井雄次郎「サイノカミのカンジン」」(『長野県民俗の会通信』199)

民俗芸能

  1. 清内路村役場『全国手づくり花火全集』
  2. 熊谷元一「こまあそび」(『伊那』944)
  3. 熊谷良一「新野のお鍬様見聞録」(『伊那』945)
  4. 多田井幸視「小菅柱松神事準備案内」(『長野県民俗の会通信』200)
  5. 橋都正「柳田国男の『信州随筆』研究10 新野の盆踊り」(『伊那民俗』68)
  6. 依田時子「もったいない≠ェ身に沁みついて」(『伊那』944)

口頭伝承

  1. 若林徹男「理鏡坊のお話」(『伊那路』609)

方 言

  1. 在京飯田高校同窓会『飯田・下伊那の方言』
  2. 井上伸児「消えていくことばの文化(その14)―古語から学ぶ飯田方言―」(『伊那』952)

地 名

  1. 倉石忠彦「山名呼称―山名表現の形成―」(『信濃』59-1)
  2. 林登美人「三昧所(さんまいしょ)について」(『伊那民俗』69)

民俗誌

  1. 柳田國男記念伊那民俗学研究所『三穂の民俗』飯田市美術博物館
  2. 細井雄次郎「戸隠民俗調査報告」(『長野県民俗の会通信』201)」

書 評

  1. 金子万平「燈火研究に託した思い―山崎ます美著『燈火・民俗見聞』―」(『信濃』59-1)