平成17年長野県民俗学研究動向

 この研究動向は、信濃史学会『信濃』第58巻第6号隣県特集号「長野県地方史研究の動向」より、民俗学関係について転載しています。研究動向の執筆は細井雄次郎氏(長野市)。なお、著書論文一覧については、HP管理者が作成している。

 平成17年度の長野県における民俗学関係の動向は、例年のように県下の研究団体の活動を中心に行われた。
 長野県民俗の会(以下民俗の会)では、年5回の定期の例会(第150回〜第154回、うち第153回は第13回夏季民俗調査を兼ねる)が行われ、『長野県民俗の会通信』(以下『通信』)第185号〜第190号と『長野県民俗の会会報』(以下「会報』)第28号が発行された。また11月には松本市立博物館で総会を行い、鈴木明子氏による記念講演「オンナの身体論」を開催した。鈴木氏の講演は、現代女性の出産・月経が昔に比べ重くなっている傾向にあることを取り上げ、その一因として近代以降の生活文化の西洋化により、それまで日本人女性が身につけていた身体技法が変化したことが考えられるとし、その上で、しゃがむ姿勢や出産の姿勢といった身体技法の文化的考察の必要性と、身体技法という視点から日本の近代化を見直すことの可能性について話された。なお、講演の内容は『会報』第29号に掲載予定である。
 平成17年度は、これまで2ケ年ごとに設けてきた民俗の会としての研究テーマを設定しなかったため、会員各自の研究に基いた論考や報告が、例会や『通信』を通して発表された。『通信』186号・187号には今井啓氏の報告「遠山郷須沢の信仰」(一)(二)があり、同187号〜189号には、第151回例会で見学した坂北村青柳の狐の嫁入り行列行事について中村慎吾氏、吉江真美氏がそれぞれの視点で報告をしている。また同190号では倉石忠彦氏が「川と生活−流れる・流す−」で、昭和20年代頃の暮らしと川の関わりの様子を報告している。そのはか伊藤友久「地域のウダツに見る受容のかたち」(『通信』第188号)、橘隆一「緑化工学と微生物と日本文化−一学生が緑化工学に学びとった価値感″」(「通信』第189号)などが載る。
 信濃史学会は例年通り『信濃』1月号を民俗学特集号にあて、道祖神関係の論文を2本、産育関係の論文と研究ノートを掲載している。産育関係については、他の神々とは異なりケガレを忌避しない出産儀礼に登場する産神の性格を論じた岩田重則「子供霊と産神」、出産・産育儀礼の中での男女の性差を考察した板橋春夫「産育習俗の中の性差」、道祖神関係については、近世において中信地方を中心に広がった道祖神盗みの習俗について、これまでの史資料をまとめその分布と実施年代を明らかにした吉江真美「道祖神盗みの研究−中信地区を中心に−」、双休道祖神が多く建立され、道祖神のふるさとなどともいわれる安曇野は一方で、県内でも大黒天の石碑が数多く存在する特異な地域であるとし、安曇野における大黒天信仰を道祖神信仰との関連で考察した窪田雅之「大黒様と道祖神のせめぎあい−安曇野における像碑建立をともなう信仰の事例から−」が掲
載された。その他、戦前まで当時の女性が嫁入り前に経験した見習い奉公について、実際に奉公を経験した女性の聞き取りを通して、見習い奉公という経験が彼女たちの人生にとってどのような役割を果たしたのかを考察した粂智子「見習い奉公という経験」を掲載している。
 また、『信濃』5号では『信濃』800号記念を組み、各界の研究者の論文を載せているが、民俗学関係では『信濃』が創刊された昭和7年当時の信州における郷土研究の様子を、柳田国男と信州の教員との交流という視点から見直した伊藤純郎「昭和七年の信州郷土研究−栗岩英治と柳田国男」、県内に伝えられている洪水伝説の形成過程を考察した倉石忠彦「信濃の洪水説話と泉小太郎」が掲載されている。
 伊那史学会では『伊那』1月号を民俗特集にあて、橋都正「上郷丹保周辺の慶弔の習俗」、塩澤一郎「奥山半僧坊信仰と飯田の人びと」、久保田安正「伊豆木小笠原家の白輿」、赤羽二三男「松尾毛賀の地名と伝承」、三浦宏「『とんきら』のごとく」、木下睦美「天神様(講)の歌はどこからやって来たか」、田中幸美「不思議な火の玉の話」、依田時子「私の育った昭和初期の飯田の町」を載せる。また、『伊那』5月号には矢崎晴美「板屋根のある頃」、8月号に桃沢匡行「名庭師・野杁鎌吉(庭鎌)のこと」、今村善興「座光寺まんじゅうと北原得道」を載せている。
 上伊那郷土研究会でも『伊那路』10月号を民俗特集号としている。巻頭の福澤昭司「蕗原同人と有賀善左衛門−上伊那のエートスを訪ねて」では、昭和7年に教員による郷土研究の同人誌として発行された『蕗原』が、民俗研究の志向をもちながら当時の柳田国男の目指す方向とは離れ、社会経済学的な性格を強くしていった背景として、『蕗原』の指導的役割を果たしていた有賀書左衛門の影響と、その有賀も含め『蕗原』同人が、封建的な制度の残滓が色濃く残る当時の上伊那地域に暮らす中で、その社会の実態を把握し理解することが郷土研究であるとの考えをもっていたためであるとし、この彼らの研究への態度こそ実践の学としての民俗学であるとしている。
 そのほか同号には、渡辺弘行「竪穴式住居の修復作業から−かやぶき屋根と二つの職人気質」、若林徹男「父の背中から学んだこと」、竹渕修二「「伊那節」の音階を分析してみて−あいまいもことした音 陽音階の商音−」、小林敏男「駒ヶ根高原周辺のこと二題」が掲載される。また同7月号に池上武「福島県いわき市における信州(高遠)石工」、矢島太郎「六道地蔵尊祭り」が掲載されている。
 上田民俗研究会は『上田盆地』第38号を発行し、剣持康典「民謡《坂木甚句》考」、宮本達郎「西行伝承を広めたサイギョウ」、北沢伴康「臨死体験と鬼の存在にかかる一考察」、山極悦男「吊るし飾りの呼称について」、益子輝之「オニ考−「和を語る」による−、佐藤毅「明治初期旧上田藩士の宗教家たち」を掲載している。また『通信上田盆地』30号を出している。
 柳田国男記念伊那民俗研究所では、例年どおり所報『伊那民俗』第60号〜第63号を発行し、昨年度より新たに開始した民俗調査事業(飯田市上久聖地区)の成果を各所員が報告している。
 次に県内の博物館の展示関係を見てみると、民俗分野の展示としては7月に松本市立博物館・時計博物館で開催された特別展「七夕と人形」があげられる。松本市立博物館所蔵の七夕人形コレクションが昭和30年に国重要有形民俗文化財に指定されてから50年を記念して開催されたこの展示では、その七夕人形コレクションを展示するだけではなく、同じように七夕に人形師りをする全国各地の事例も取り上げた展示となっており、松本地方に見られる七夕習俗の全国的な位置付けを試みる内容となっている。なおこの展示会の図録『七夕と人形』は市販ルートで販売されており、従来の図録より手に入りやすくなっている。また同館では17年2月にも民俗分野の展示として「中野土人形」展を開催した。
 県内の民俗分野に関わる主な出版物を見ると、平成16年度ではあるが、平成16年2月に伊藤純郎『柳田国男と信州地方史−「白足袋史学」と「わらじ史学」』が刊行された。この著作は大正末から戦後にかけての、郷土研究を通じた信州の教員をはじめとする郷土研究者と柳田国男とのかかわりを考察したものである。平成17年5月に出された倉石忠彦『道祖神信仰の形成と展開』は1990年に出された同氏の『道祖神信仰論』以降の研究の成果をまとめた著作となっている。
 最後に、平成16年末から17年にかけて、相次いで県内の民俗研究者が逝去された。16年の12月には、昭和5年の洗馬村長興寺で開かれた柳田国男の講演会にも参加され、長年県内の民俗研究に携わってこられた清沢芳郎氏がお亡くなりになられ、明けて17年の3月には、県内の火にまつわる民俗を中心に研究されていた日本のあかり博物館の山崎ます美氏がお亡くなりになられた。いずれも県内の民俗研究のなかで重要な仕事をされてこられた方々だけに、お二人を失ったことは、深い悲しみであるとともに大きな痛手である。ここに慎んでご冥福をお祈りする。
 以上、長野県内に関わる民俗学関係の動向について概観した。筆者の力不足で目を通せなかった文献も多く、落としてしまったものも多いことを、お詫びいたします。

以下に刊行物・著者・論文・報告等を一括して掲げる。

総論

  1. 伊藤純郎「昭和七年の信州郷土研究−栗岩英治と柳田国男」(『信濃』57-5)
  2. 臼井ひろみ「山崎ます美さんを偲んで」(『長野県民俗の会通信』187)
  3. 倉石あつ子「「韓流」という熱波に酔う」(『長野県民俗の会通信』185)
  4. 倉石忠彦「川と生活−流れる・流す−」(『長野県民俗の会通信』190)
  5. 木下守「総括 シンポジウム「すてる・もどす」課題の整理」(『長野県民俗の会会報』28)
  6. 小林経廣「先輩である清澤芳郎先生をしのびつつ」(『長野県民俗の会通信』186)
  7. 高橋こ寛治「御頭の木」(『伊那民俗』60)
  8. 橘隆一「緑化工学と微生物と日本文化−一学生が緑化工学に学びとった価値“感”−」(『長野県民俗の会通信』189)
  9. 竹内靖長「考古学からみた「すてる・もどす」」(『長野県民俗の会会報』28)
  10. 野本寛一「「学び」の自覚と持続のために−所報60号に寄せて−」(『伊那民俗』60)
  11. 宮坂昌利「「天竜川流域の民俗文化と後藤総一郎」展をみて」(『伊那民俗』60)

衣生活・食生活・住居

  1. 飯山市「食の風土記」編纂委員会『信州いいやま食の風土記』
  2. 伊藤友久「地域のウダツに見る受容のかたち」(『長野県民俗の会通信』188)
  3. 松上清志「水の恵みを求めた人々の営みとつながり」(『伊那民俗』63)

生業生産

  1. 浦山佳恵「昭和二○年代の生業を中心とした暮らしからみる「すてる・もどす」」(『長野県民俗の会会報』28)

社会生活

  1. 柏木亨介「ムラの生活の心得−ムラハチブ裁判の分析を通して−」(『長野県民俗の会会報』28)

信仰

  1. 今井啓「遠山郷須沢の信仰(一)」(『長野県民俗の会通信』186)
  2. 今井啓「遠山郷須沢の信仰(二)」(『長野県民俗の会通信』187)
  3. 窪田雅之「大黒様と道祖神のせめぎあい−安曇野における像碑建立をともなう信仰の事例から−」(『信濃』57-1)
  4. 倉石忠彦「ソコヌケビシャク(底抜け柄杓)」(『國學院大學神道資料館館報』5)
  5. 中村慎吾「人形供養にみる物の捨て方」(『長野県民俗の会会報』28)
  6. 中村慎吾「坂北村青柳で見た『すてる・もどす』−お姿の供養と担ぎ棒の再利用−(一)」(『長野県民俗の会通信』188)
  7. 中村慎吾「坂北村青柳で見た『すてる・もどす』−お姿の供養と担ぎ棒の再利用−(二)」(『長野県民俗の会通信』189)
  8. 松崎憲三「動植物の供養−草木鳥魚を中心に−」(『長野県民俗の会会報』28)
  9. 吉江真美「道祖神盗みの研究−中信地区を中心に−」(『信濃』57-1)

民俗知識

  1. 鈴木文子「<いたみ>の性質−島尾敏雄『死の棘』を資料として−」(『長野県民俗の会会報』28)

人の一生

  1. 板橋春夫「産育習俗の中の性差」(『信濃』57-1)
  2. 岩田重則「子供霊と産神」(『信濃』57-1)
  3. 粂智子「見習奉公という経験」(『信濃』57-1)
  4. 山田慎也「死者とともに暮らす生活−上久堅の民俗調査から」(『伊那民俗』60)

年中行事

  1. 三石元・りゑ『三石家の一年』(南信州新聞社出版局)
  2. 折山邦彦「柳田国男の『信州随筆』研究6 青へぼの木」(『伊那民俗』63)
  3. 北原いずみ「知久の庄における盆 上久堅の民俗調査から」(『伊那民俗』61)
  4. 桜井弘人「飯田市下久堅 三石家の年中行事−『三石家の一年』刊行に寄せて−」(『伊那民俗』61)
  5. 田中薫「松本七夕人形の生成」(『長野』244)
  6. 中村慎吾「坂北の狐の嫁入りと火伏せ信仰(一)」(『長野県民俗の会通信』187)
  7. 中村慎吾「坂北の狐の嫁入りと火伏せ信仰(二)」(『長野県民俗の会通信』188)
  8. 矢島太郎「六道地蔵尊祭り」(『伊那路』582)
  9. 吉江真美「東筑摩郡坂北村青柳地区の「狐の嫁入り」行事」(『長野県民俗の会通信』188)

民俗知識

  1. 横山篤美「山村ことわざ抄(下)−長野県安曇村」(『あしなか』273)

民俗芸能

  1. 伊那市教育委員会『伊那市のまつり(伊那市内の民俗芸能(無形文化財)の記録第二集)』
  2. 大田切人形と吉田金吾編集委員会『大田切人形と吉田金吾』(宮田村教育委員会)
  3. 大倉隆夫「義士踊り」(『伊那』931)
  4. 桜井弘人「講義緑『日本の祭り』を読む―三遠南信の民俗芸能と年中行事から」(『柳田学舎』73)
  5. 宮下英美「上久堅の遊び−調査を終えて−」(『伊那民俗』60)
  6. 山崎一司「猿楽の鬼から榊鬼へ−返閉にみる鬼の変容−」(『民俗芸能研究』39)

口頭伝承

  1. 今井啓「飯田下伊那の妖怪」(『伊那民俗』62)
  2. 久保田誼「信州・伊那の長谷村に中尾歌舞伎あり」(『伊那路』580)
  3. 倉石忠彦「信濃の洪水説話と泉小太郎」(『信濃』57-5)
  4. 原幸夫「矢立の木(伝説と習俗)」(『伊那民俗』62)
  5. 横山十四男「姨捨山の人舛田−その伝説の考証とけ現代的意味−」(『信濃』57-5)

方 言

  1. 井上伸児「消えていくことばの文化(その12)−「まぶしい」の方言」(『伊那』929)
  2. 馬瀬良雄「福沢武一著『北信方言記』を読む−伊那市出身の方言研究者を偲んで−」(『伊那路』582)

地 名

  1. 今村理則「「あまつづみ」と「あまさか」−飯伊の気象地名から−」(『伊那民俗』61)
  2. 林雄三「三穂・立石北部の地名」(『伊那民俗』63)

民俗誌

  1. 浅科村史編纂委員会『浅科村史』
  2. 中川村誌編纂刊行委員会『中川村誌 下巻 近代・現代編/民俗編』
  3. 片桐みどり「越久保に生まれ、育ち、生きて93年−森本八百重さんのライフヒストリー」(『伊那民俗』62)

書 評

  1. 木下守「石沢誠司著『七夕の紙衣と人形』」(『信濃』57-1)
  2. 倉石忠彦「上田市誌編さん委員会編『上田市誌 民俗編』」(『信濃』57-4)
  3. 杉本仁「伊藤純郎著『柳田国男と信州地方史−「白足袋史学」と「わらじ史学」』」(『長野県民俗の会通信』190)
  4. 田沢直人「伊藤純郎著『柳田国男と信州地方史−「白足袋史学」と「わらじ史学」』」(『信濃』57-9)
  5. 巻山圭一「伊藤純郎著『柳田国男と信州地方史−「白足袋史学」と「わらじ史学」』」(『長野県民俗の会通信』186)
  6. 山崎ます美「長野市誌編さん委員会編『長野市誌 第十巻 民俗編』」(『信濃』57-9)