平成15年長野県民俗学研究動向

 この研究動向は、信濃史学会『信濃』第56巻第6号隣県特集号「長野県地方史研究の動向」より、民俗学関係について転載しています。研究動向の執筆は木下守氏(松本市入山辺)。なお、著書論文一覧については、木下氏の掲載一覧に追加補足している。

 平成15年の長野県下における民俗学関係の動向は、長野県民俗の会をはじめとする研究諸団体を中心に活発な活動がなされた。
 県内の研究団体の動向として、長野県民俗の会では、平成15・16年の研究テーマを「すてる・もどす」と決め活動を開始した。『長野県民俗の会会報』(以下、『会報』という)26号と『長野県民俗の会通信』(以下、『通信』という)173〜178号が発行された。『会報』26号は、平成14年度総会シンポジウム 「生業複合をめぐって」の全容を掲載するもので、安室知の基調講演「複合生業論のこれから」、研究報告として永島政彦「日誌から見た生業」、大場茂明「稲作をめぐる行政と農業現場」、三石稔「下栗の自然と生業」を載せ、当日の進行を務めた福澤昭司の「「生業複合」論の当面の総括にあたって」で2年間の研究テーマ「生業複合」の総括をしている。
 また、140から144の5回の例会が開催された。第11回夏季民俗調査は、安曇村稲刻を中心に七夕行事の見学調査が実施され
た。『通信』177号に報告、臼井ひろみ「松本の七夕見学記」、吉江真美「安曇村稲核の七夕」が載る。11月には松本市立博物館で定期総会が開催され、引き続き一般公開の形で、活動テーマに沿って研究発表、講演が行われた。研究発表は木下守の「供物の行方−安曇村夏季調査から」と三石稔の「建築にみる すてる・もどす」で、その趣旨は『通信』に発表されている。記念講演は、信州大学農学部教授の井上直人氏が「「こやし」に対する文化的態度−農耕民俗における「すてる・もどす」−」と題して行われた。記念講演の内容は『会報』27号に掲載される予定である。
 「すてる・もどす」という研究テーマは、人間が必要を感じ冥界から引き寄せたものが不要になり、出び異界に返すときどのようなことが行われているのか、その作法の中から世界観や暮らしの知恵を見出そうとしている。平成15年の研究成果は、このテーマに沿ったものとしては、桜井弘人「民俗における「もの」の連鎖について−祭りと年中行事を中心にして−」(『通信』176)、三石稔「「すてる・もどす」に神不在の現実をみる」(『同』)がある。前者は、第142回例会での発表をもとに、新野の雪祭りと正月行事に火と祭具が使いまわされる様子を「民俗連鎖」という造語で表現し、循環型社会への可能性を見出している。後者は、前述の報告も含め第142回例会での発表を評する形で「すてる・もどす」に言及している。同例会の巻山圭一の発表「野と薮のトポグラフィー」の報告にも期待がもたれる。
 そのはか『会報』には、小原稔「現代家並研究〜松本市旧城下町調査〜」、窪田雅之「城下町の道祖神信仰−松本城下町における道祖神木像祭りを事例として−」が、『通信』には窪田雅之「正月の「青山」と盆前の「青山」様」(174)、倉石忠彦「地域と層序の歴史・補遺」(175)、巻山圭一「正月行事研究の視座」(176・177)、倉石あつ子「風呂敷が入った−婚姻儀礼と風呂敷−」(178)等を載せている。
 信濃史学会は機関誌『信濃』1月号を民俗学特輯号にあてた。論文、倉石忠彦「山の神の祭り−地域と層序の歴史−」、細川恒「鬼伝説の生成と成長−八面大王伝説を中心に」、糸井絵美「ふるさとの養蚕−近しきひとの姿を見つめて−」に加え、平成11年1月に行われた福澤昭司の講演記録「伝説にみる松本地域のコスモロジー」を掲載する。また総会では、国立歴史民俗博物館教授の篠原徹氏の講演「暮らしの自然誌とその歴史性」、巻山圭一の研究発表「野菜と果樹をめぐる民俗」があった。
 柳田国男記念伊那民俗学研究所は、『伊那民俗研究』第12号及び所報『伊那民俗』第52〜55号を定期刊行した。『伊那民俗研究』には新谷尚紀「生と死の民俗−民俗学から見る日本人の生死観−」と松崎岩夫「下伊那の地名 その由来」の講演記録が、『伊那民俗』には久保田宏「祭りと湖水と塩−『日本の祭』注釈研究からの一視点−」(54)、木下篤史「松川町生田部奈地区の正月行事−大正から昭和初期にかけての正月行事−」等が載る。また、一月に逝去された後藤総一郎所長の追悼のため『伊那民俗研究』特別号を6月に刊行した。特別号の巻頭には、同研究所における後藤氏の最後の講演「柳田国男の地名考」の記録が掲載され、多くの追悼文が続く。後藤先生のご冥福をお祈りします。
 そのほかの研究団体の動向として、上伊那郷土研究会は、機関誌『伊那路』の10月号(562号)を民俗特集号にあて、丸山輝子「上伊那地方に伝わる織機(高機)と付属具」、山岸久男「手良の池鯉鮒大明神碑」、中村要「わが家の古記録に見る辰野七蔵寺子持桂の由来」、春日重信「峠」等を掲載した。高井地方史研究会は、機関誌『高井』第144号で「知恵のだんご・だんご投げ・花まつり」という特集を組み、だんごを投げる行事の意味を探る試みを行った。東信史学会は機関誌『千曲』第119号で「峠」特集を組んだ。伊那史学会は機関誌『伊那』の1月号(896号)を民俗特集にあて、久保田安正「伊豆木小笠原家の正月三ケ日」、浅井舎人「大数珠を手送りして祈った念仏行事」、木下睦美「養蚕の民俗〜伝承用語(方言)は風前の灯〜」、原董「さまざまな庚申塔」等を掲載した。
 次に博物館の研究動向についてふれる。県内では長野市立博物館で、善光寺の御開帳に合わせ特別展「あの世・妖怪−信州異界万華鏡−」が開催され、会期中に記念講演、西山克・関西学院大学教授の「善光寺信仰と怪異」、小松和彦・国際日本文化研究センター教授の「妖怪学の楽しみ」が行われた。この特別展は、国立歴史民俗博物館の企画になる巡回展を基本に据えながらも、独自に行った県内の調査結果を反映させた意欲的な展覧会である。松本市立博物館では特別展「世界大風呂敷展〜布で包むものと心〜」、企画展「胡桃沢コレクションー−博物館のお宝ってどんなもの?」が開催された。前者は国立民俗学博物館の企画になる巡回展であるが、北信地方を中心に見られる婚礼のクチキキに風呂敷を贈る風習を紹介するコーナー「風呂敷が入った一姫婚儀礼と風呂敷」を設け、同テーマで倉石あつ子・跡見学園女子大学助教授の記念講演が行われた。後者は長野県内の郷土研究の先駆者である故・胡桃沢勘内のコレクション展で、勘内が柳田国男や折口信夫らと交わした書簡は貴重である。会期中、寄贈者で孫の胡桃沢勘司・近畿大学助教授の講演会が行われた。諏訪市博物館は、来年の御柱祭にさきがけ特別展示「御柱祭プレリュード展」を開催し、会期中に御柱フォーラム「巨木建立−古代柱祭と巨木文化−」を行った。また、美術館と共同で「立川流末裔府川一信幽玄なる彫金の世界」を開催した。美術館では作品を、博物館ではそのモチーフを扱うという試みだった。上田市立博物館では、アマチュア写真家の記録から旧清里村を振り返る写真展「写真に見る戦前・戦中の農村」を開催した。飯田市美術博物館では『研究紀要』第13号を刊行し、桜井弘人「遠山の霜月祭の湯立てとその構造2−木沢・下乗・和田タイプを中心として−」を載せる。日本のあかり博物館では『館報』第15〜18号を刊行し、博物館ノートで「浅間温泉の松明祭り−松本市御射神社春宮例祭宵祭り−」(15・宮坂)、「火防を祈る青柳宿の夜灯−東筑摩郡坂北村−」(16・山崎)、「秋葉さんのお灯明番−長野市長沼上町−」(18・山崎)の報告を載せる。県外で眼に留まったものをひとつ紹介すると、仙台市歴史民俗資料館調査報告書第二一集『足元からみる民俗(二)』に、大島建彦・東洋大学名誉教授の講演記録「祭りと年中行事」が掲載され、松本の「ぼんぼん」にも言及しており参考となる。
 最後に県内のフィールドを対象とした刊行物としては、笹本塾に集う県内の学芸員が山をテーマに研究した歴史・民俗に関する論文を収録した笹本正治編『山をめぐる信州史の研究』(高志書院)がある。宗教編に倉澤正幸「長野県上田・小県地方における山岳信仰の一考察」、原田和彦「長野市の観音霊場−清水寺・長谷寺を例として−」、笹本正治「中世諏訪信仰の一側面−諏訪社の蓮池が血に染まった−」、原田政信「信濃国追分宿の勧進帳からみた自性院縁起」、細井雄次郎「信州における釈尊信仰概観」を、産業編に遠山高志「木曽山と住民−妻籠村留帳から−」、降幡浩樹「山のめぐみ−山中紙と松代藩御用紙−」、嶋田佳寿子「近世松本藩における御用紙漉について」、山崎ます美「付け木と暮らし」、円中壽子「炭鉱と信州−東筑摩郡本城村丸山炭鉱索道組合にみる炭鉱経営」を掲載する。ほかに、笹本正治監修長野県飯山市編集『修験道と飯山修験の里奥信濃小菅』(はおずき書籍)、『伊那・木曽谷と塩の道』(吉川弘文館)、倉石忠彦『日本民俗学の形成と展開』を挙げておく。
 以上、長野県内に関わる民俗学関係の動向について概観したが、筆者の力不足で重要事項の欠落が多いかと思われる。不十分な点について心からお詫びする。

以下に刊行物・著者・論文・報告等を一括して掲げる。

総論

  1. 倉石忠彦「山の神の祭り−地域と層序の歴史−」(『信濃』55-1)
  2. 倉石忠彦「地域と層序の歴史・補遺」(『長野県民俗の会通信』175)
  3. 新谷尚紀「生と死の民俗−民俗学から見る目本人の生死観」(『伊那民俗学研究』12)

衣生活・食生活・住居

  1. 原幸夫「健康病の癒し方−健康病から脱出するための民俗の知の再生へ」(『常民大学研究紀要』C)
  2. 福嶋康子「もらい風呂から見る人間関係」(『長野県民俗の会通信』172)
  3. 福嶋康子「もらい風呂から見る人間関係」(『長野県民俗の会通信』173)
  4. 小原稔「現代家並研究〜松本市旧城下町調査〜」(『長野県民俗の会会報』26)
  5. 田中久子「句の食材・行事食」(『伊那路』554)

生業生産

  1. 安室知「複合生業論のこれから」(『長野県民俗の会会報』26)
  2. 糸井絵美「ふるさとの養蚕−近しきひとの姿を見つめて−」(『信濃』55-1)
  3. 大場茂明「稲作をめぐる行政と農業現場」(『長野県民俗の会会報』26)
  4. 金箱正美「「引札」雑記−「漉き草(こうぞ)」による和紙漉きも含めて−」(『高井』146)
  5. 須永敬「猟・洞窟・修験道−信越国境の山岳洞窟「リュウ」をめぐって」(『長野県民俗の会通信』175)
  6. 中村慎吾「『誰も知らない夜の総会』」(『通信』176)
  7. 永島政彦「日誌から見た生業」(『長野県民俗の会会報』26)
  8. 武田富夫「中野市新井の箒づくり」(『高井』143)
  9. 檀原長則「風穴を利用した蚕種(蚕の卵)の貯蔵」(『高井』143)
  10. 福澤昭司「「生業複合」論の当面の総括にあたって」(『長野県民俗の会会報』26)
  11. 広瀬忠一「戦前の古道具の思い出」(『伊那』896)
  12. 丸山輝子「上伊那地方に伝わる織機(高機)と付属具」(『伊那路』561)
  13. 三石稔「下栗の自然と生業」(『長野県民俗の会会報』26)

交通交易

  1. 若林秀行「明治初年における富山−長野間の新道に関する研究−開通社関係史料の検討を中心に−」(『富山史壇』140)

社会生活

  1. 桜井弘人「民俗における「もの」の連鎖について−祭りと年中行事を中心にして−」(『長野県民俗の会通信』176)
  2. 須永泰一「ヴィダルの浅間登山−「踏査−日本の浅間火山と草津・川原・上磯部鉱泉」から−」(『群馬文化』274)
  3. 永井辰雄「縁日」(『伊那』899)
  4. 永井辰雄「縁日」(『伊那』900)
  5. 永井辰雄「縁日」(『伊那』902)
  6. 野口一郎「塩引きと一緒に電灯がやって来た−してやられた稲荷山町民」(『長野』228)
  7. 春日重信「峠」(『伊那路』561)
  8. 三石稔「「すてる・もどす」に神不在の現実をみる」(『長野県民俗の会通信』176)

信仰

  1. コイで久和『信濃路の双体道祖神』(敬和)
  2. 天野恒雄「忘れられた路傍の馬頭観世音−牟礼盆地を中心に−」(『長野』227)
  3. 天野恒雄「明治六年廃却無檀無住寺院の顛末」(『長野』232)
  4. 久保田宏「祭りと湖水と塩−『日本の祭』注釈研究からの一視点−」(『伊那民俗』54)
  5. 窪田雅之「城下町の道祖神信仰−松本城下町における道祖神木像祭りを事例として−」(『長野県民俗の会会報』26)
  6. 窪田雅之「現代の道祖神考−ムラの豊穣を確約する神からマチの繁栄をもたらす神へ−」(『あなたと博物館』130)
  7. 武井幸重「そそう神とみしゃくち神の呼称」(『茅野』57)
  8. 寺瀬喜一郎「庚申信仰と二つの庚申塔」(『高井』145)
  9. 中村要「わが家の古記録に見る辰野七蔵寺子持桂の由来」(『伊那路』561)
  10. 原董「さまざまな庚申塔」(『伊那』896)
  11. 山岸久男「手良の池鯉鮒大明神碑」(『伊那路』561)
  12. 吉江真美「愛知県新城市出沢のサエノカミその他」(『長野県民俗の会通信』173)
  13. 渡辺みゆき・西海賢二「聖と民間宗教弟−信濃の徳本行者をめぐって−」(『信濃』55-1)

民俗知識

人の一生

  1. 木下守「風呂敷が入った−姫姻儀礼と風呂敷」(『あなたと博物館』127)
  2. 倉石あつ子「風呂敷が入った−婚姻儀礼と風呂敷−」(『長野県民俗の会通信』178)
  3. 関孝一「天神さん−北信地方の贈答風習」(『高井』142)

年中行事

  1. 浅井舎人「大数珠を手送りして祈った念仏行事(『伊那』896)
  2. 伊藤明啓 「なつかしの花まつり」(『高井』144)
  3. 上原左之治「高杜神社のだんごなげ」(『高井』144)
  4. 臼井ひろみ「松本の七夕見学記」(『長野県民俗の会通信』177)
  5. 小澤由美子「渋温泉薬師講団子まるめ」(『高井』144)
  6. 小野沢昭雄「稲荷 稲泉寺のだんご投げのうつり」(『高井』144)
  7. 木下篤史「松川町生田部奈地区の正月行事−大正から昭和初期にかけての正月行事−」(『伊那民俗』55)
  8. 窪田雅之「正月の「青山」と盆前の「青山」様」(『長野県民俗の会通信』174)
  9. 久保田安正「伊豆木小笠原家の正月三ケ日(『伊那』896)
  10. 小林武見「戸那子の「おまんだらさん」」(『高井』144)
  11. 小林義和「小沼のだんご投げ」(『高井』144)
  12. 斎藤善教「天然寺の甘茶注ぎと知恵のだんご」(『高井』144)
  13. 島田茂文「知恵の団子(私見)」(『高井』144)
  14. 関富貴治・関孝一「西條山阿弥陀寺の知恵のだんご」(『高井』144)
  15. 竹内芳郎「中条のだんごなげ(正称 お彼岸念仏)」(『高井』144)
  16. 武田富雄「延命寺のだんごなげ」(『高井』144)
  17. 檀原長則「二つの観音堂とだんご投げ」(『高井』144)
  18. 中島正三「安代温泉薬師堂の団子作り」(『高井』144)
  19. 中嶋常雄「赤岩の谷厳寺の花まつり」(『高井』144)
  20. 野口侃 「だんごのいろいろ」(『高井』144)
  21. 西澤新吉「小正月行事」(『須高』56)
  22. 藤木孝蔵「栄村のちょうなだんごまき」(『高井』144)
  23. 巻山圭一「正月行事研究の視座」(『長野県民俗の会通信』176)
  24. 巻山圭一「正月行事研究の視座」(『長野県民俗の会通信』177)
  25. 宮坂寛美「御柱祭の意義についての一考察」(『茅野』58)
  26. 宮沢裕紀子「近世後期上田領の女児の祝いと雛飾り」(『千曲』116)
  27. 山口立雄「長野えびす講煙火打上げ場所の変遷と二尺玉打上げ成功」(『長野』228)
  28. 吉江真美「安曇村稲核の七夕」(『長野県民俗の会通信』177)
  29. 渡辺重義「伝統行事は文化財」(『伊那』896)
  30. 渡辺博 「飯山の花まつりについて」(『高井』144)

民俗芸能

  1. 大倉隆夫『牛牧歌舞伎』
  2. 柴登巳夫「古田人形芝居の現状と課題」(『伊那路』554)
  3. 桜井弘人「遠山の霜月祭の湯立てとその構造2−木沢・下乗和田タイプを中心として−」(『飯田市美術博物館研究紀要』3)

口頭伝承

  1. 福澤昭司「伝説にみる松本地域のコスモロジー」(『信濃』55-1)
  2. 細川恒「鬼伝説の生成と成長−八面人王伝説を中に−」(『信濃』55-1)
  3. 丸山瑞穂「身近にあった化かされそうになった話火の玉の正体見たり−」(『長野』229)
  4. 宮澤千章「火玉と狐火」(『伊那』896)

方 言

  1. 木下睦美「養蚕の民俗」伝承用語(方言)は風前の灯〜」(『伊那』896)

地 名

  1. 後藤総一郎「柳田国男の地名考」(『伊那民俗研究』特別号)
  2. 松崎岩夫「下伊那の地名 その由来」(『伊那民俗研究』21)

民俗誌

  1. 寺田一雄「平成一四年度夏季調査報告」(『通信』174)
  2. 寺田一雄「平成一四年度夏季調査報告」(『通信』175)