『遥北通信』130号(H.5.4.1)

長野県南佐久郡小海町芦平の道祖神獅子舞

三石 稔
    
 「遥北通信」第128号で紹介したように、1月7日に南佐久郡小海町へ道祖神の獅子舞を見学に訪れた。小海町は西に八ケ岳を隔てて諏訪の茅野市に接し、北西に南佐久郡八千穂村、北東に同郡佐久町、東から南東にかけては同郡北相木村と南相木村、南は同郡南牧村と接している。中央を千曲川が北へ流れ、村中央部において、東より相木川が千曲川へ合流している。集落は主に千曲川と相木川沿いの道路に沿って分布し、また東西の台地上にも散在している。

 芦平は町の行政割でいうと、稲子(いなこ)にあたる。千曲川の左岸にあり谷上の台地上にある集落であり、南側は南牧村に接する。

 ここでは1月7日に火祭りが行なわれるが、カアガリと呼んでいる。夕方になると地区の水田に立てられたカアガリに火が付けられるが、その前に厄年の人たちによりみかんが投げられる。厄落としの意味であり、その中にはいくらかのお金も混ざっている。この日はこの時期としてはたいへん珍しい雨模様であり、水田で投げては泥まるけになってしまうということで、舗装された道路上でみかんが投げられた。しかし、下が舗装ということもあり、投げられたみかんはつぷれてしまうものが多かった。厄落としが終わると、カアガリに火がつけられる。

 カアガリが終わると、集落の下の方より子供たちによる獅子舞が始まる。まず入口にある民宿からである。ここの獅子舞は幌の中に子供たち全員が入るもので、今年は6人がその仲間であった。だいぷ子供が少なくなったため、男女一緒であり、また今年は、手伝いに中学生が1人加わった。また各家を巡回するわけであるが、大人が1人付いて一緒に回る。まず家に入ると(主に縁側より入る場合が多い)、幌の中に子供たちが入り次のような口上を述べる。


「新年明けましておめでとうございます。
 このお獅子さんは、
 二尺五寸のつるぎを持って、
 今晩この悪魔を払います。」

 家によっては、この口上の返しとして、「おめでとうございます」を言う。この口上を述べる時の獅子は、頭を床あるいは畳につけて、幌の中に入った子供たちも頭を下げ、はいつくばっている。かつては何人ぐらいこの中に入ったかは知らないが、想像するだけでもユーモラスである。

 口上の後、獅子舞が始まる。この時のはやし歌は次のようなものであった。


 てんつく、どんつく鐘をつく
 いじゃりの金玉砂がつく
 ねずみははりを舞いあいく
 そろたよそろたよ踊り子がそろた
 稲の出穂よりまだよくそろた
 踊り子見たさにくねから覗きゃ
 稲のこざやで目をついた
 盆が来たせか、蓮の葉がゆれる
 ゆれるはずだよ盆だもの
 盆は来い来い、正月は来るな
 年のよるのは情け無い
 佐渡で餅ついて越後へ投げりゃ
 佐渡と越後はひとねばり


 舞いの後に次の口上を述べる。


 しいなの焼き餅をあぷってたたいたら チンパラリンと割れたとさ


 ここまで終わると、各家では「はい ごくろうさん」といって、獅子の口に祝儀を入れてくれる。

 幌の中に子供たち全員が入るということで、その舞いは激しいものではなく、もぞもぞと芋虫が這うような動きであり、なかなか見ている者を笑わせる。はやしの言葉といい舞いといい、始めから終わりまで、他にはない楽しい獅子舞であった。この辺りで同様のはやし歌のところがあるということは聞いておらず、南牧村あたりでもこんな歌ではないようである。第128 号でも紹介した『子供組の習俗』(長野県教育委員会 昭和35年)においても、このような歌は報告されていない。